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三右衛門の罪(さんえもんのつみ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-16 8:58:22 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 芥川龍之介全集5
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年2月24日
入力に使用: 1995(平成7)年4月10日第6刷
校正に使用: 1996(平成8)年7月15日第7刷

底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

文政ぶんせい四年の師走しわすである。加賀かが宰相さいしょう治修はるなが家来けらい知行ちぎょう六百こく馬廻うままわやくを勤める細井三右衛門ほそいさんえもんと云うさむらいは相役衣笠太兵衛きぬがさたへえの次男数馬かずまと云う若者を打ちはたした。それも果し合いをしたのではない。あるいぬ上刻じょうこく頃、数馬は南の馬場ばばの下に、うたいの会から帰って来る三右衛門を闇打やみうちに打ち果そうとし、かえって三右衛門に斬り伏せられたのである。
 この始末を聞いた治修はるながは三右衛門を目通りへ召すように命じた。命じたのは必ずしも偶然ではない。第一に治修は聡明そうめいしゅである。聡明の主だけに何ごとによらず、家来任けらいまかせということをしない。みずからある判断をくだし、みずからその実行を命じないうちは心を安んじないと云う風である。治修はある時二人の鷹匠たかじょうにそれぞれみずから賞罰しょうばつを与えた。これは治修の事を処する面目めんもくの一端を語っているから、大略をしもに抜き書して見よう。
「ある時石川郡いしかわごおり市川いちかわ村の青田あおた丹頂たんちょうの鶴くだれるよし、御鳥見役おとりみやくより御鷹部屋おたかべや注進になり、若年寄わかどしよりより直接言上ごんじょうに及びければ、上様うえさまには御満悦ごまんえつ思召おぼしめされ、翌朝こく御供揃おともぞろい相済み、市川村へ御成おなりあり。たかには公儀より御拝領の富士司ふじづかさ大逸物だいいちもつを始め、大鷹おおたか二基にき※(「隼+鳥」、第4水準2-94-33)はやぶさ二基を※(「敬/手」、第3水準1-84-92)たずさえさせ給う。富士司の御鷹匠は相本喜左衛門あいもときざえもんと云うものなりしが、其日は上様御自身に富士司を合さんとし給うに、雨上あまあがりの畦道あぜみちのことなれば、思わず御足おんあしもとの狂いしとたん、御鷹おたかはそれて空中に飛び揚り、丹頂もにわかに飛び去りぬ。このさまを見たる喜左衛門は一時いちじの怒に我を忘れ、この野郎やろう、何をしやがったとののしりけるが、たちまち御前ごぜんなりしに心づき、冷汗れいかんうるおすと共に、蹲踞そんきょしてお手打ちを待ち居りしに、上様には大きに笑わせられ、予のあやまりじゃ、ゆるせと御意ぎょいあり。なお喜左衛門の忠直ちゅうちょくなるに感じ給い、御帰城ののち新地しんち百石ひゃっこくに御召し出しの上、組外くみはずれに御差加おさしくわえに相成り、御鷹部屋おたかべや御用掛ごようがかり被成なされ給いしとぞ。
「その後富士司の御鷹は柳瀬清八やなせせいはちの掛りとなりしに、一時み鳥となりしことあり。ある日上様清八を召され、富士司のやまいはと被仰おおせられし時、すでに快癒ののちなりしかば、すきと全治ぜんじ、ただいまでは人をもねませぬと申し上げし所、清八の利口をやにくませ給いけん、それは一段、さらば人を把らせて見よと御意あり。清八は爾来じらいやむを得ず、おの息子むすこ清太郎せいたろう天額てんがくにたたき小ごめ餌などを載せ置き、朝夕あさゆう富士司を合せければ、鷹も次第に人の天額へ舞いさがる事を覚えこみぬ。清八は取り敢ず御鷹匠小頭こがしらより、人を把るよしを言上ごんじょうしけるに、そは面白からん、明日みょうにち南の馬場ばばおもむき、茶坊主大場重玄おおばじゅうげんを把らせて見よと御沙汰ごさたあり。たつこく頃より馬場へ出御しゅつぎょ、大場重玄をまん中に立たせ、清八、鷹をと御意ありしかば、清八はここぞと富士司を放つに、鷹はたちまち真一文字まいちもんじに重玄の天額をかいつかみぬ。清八は得たりと勇みをなしつつ、圜揚まるあげ(まるトハ鳥ノきもいう)の小刀さすが隻手せきしゅに引抜き、重玄を刺さんと飛びかかりしに、上様うえさまには柳瀬やなせ、何をすると御意ぎょいあり。清八はこの御意をも恐れず、御鷹おたかの獲物はかかり次第、まるを揚げねばなりませぬと、なおも重玄をさんとせし所へ、上様にはたちまち震怒しんどし給い、つつを持てと御意あるや否や、日頃御鍛錬ごたんれん御手銃おてづつにて、即座に清八を射殺し給う。」
 第二に治修はるなが三右衛門さんえもんへ、ふだんから特に目をかけている。かつて乱心者らんしんものを取り抑えた際に、三右衛門ほか一人ひとりさむらい二人ふたりとも額に傷を受けた。しかも一人は眉間みけんのあたりを、三右衛門は左の横鬢よこびんを紫色にあがらせたのである。治修はこの二人を召し、神妙の至りと云う褒美ほうびを与えた。それから「どうじゃ、痛むか?」と尋ねた。すると一人は「難有ありがたい仕合せ、幸い傷は痛みませぬ」と答えた。が、三右衛門はにがにがしそうに、「かほどの傷も痛まなければ、きているとは申されませぬ」と答えた。爾来じらい治修は三右衛門を正直者だと思っている。あの男はとにかく巧言こうげんは云わぬ、頼もしいやつだと思っている。
 こう云う治修は今度のことも、自身こう云う三右衛門に仔細しさいを尋ねて見るよりほかに近途ちかみちはないと信じていた。
 仰せをこうむった三右衛門は恐る恐る御前ごぜん伺候しこうした。しかし悪びれた気色けしきなどは見えない。色の浅黒い、筋肉の引きしまった、多少疳癖かんぺきのあるらしい顔には決心の影さえほのめいている。治修はまずこう尋ねた。
「三右衛門、数馬かずまはそちに闇打ちをしかけたそうじゃな。すると何かそちに対し、意趣いしゅを含んで居ったものと見える。何に意趣を含んだのじゃ?」
「何に意趣を含みましたか、しかとしたことはわかりませぬ。」
 治修はちょいと考えたのち、念を押すように尋ね直した。
「何もそちには覚えはないか?」
「覚えと申すほどのことはございませぬ。しかしあるいはああ云うことをうらまれたかと思うことはございまする。」
「何じゃ、それは?」
「四日ほど前のことでございまする。御指南番ごしなんばん山本小左衛門殿やまもとこざえもんどのの道場に納会のうかいの試合がございました。その節わたくしは小左衛門殿の代りに行司ぎょうじの役を勤めました。もっとも目録もくろく以下のものの勝負だけを見届けたのでございまする。数馬の試合を致した時にも、行司はやはりわたくしでございました。」
「数馬の相手は誰がなったな?」
御側役おそばやく平田喜太夫殿ひらたきだいふどの総領そうりょう多門たもんと申すものでございました。」
「その試合に数馬かずまは負けたのじゃな?」
「さようでございまする。多門たもん小手こてを一本にめんを二本とりました。数馬は一本もとらずにしまいました。つまり三本勝負の上には見苦みぐるしい負けかたを致したのでございまする。それゆえあるいは行司ぎょうじのわたくしに意趣を含んだかもわかりませぬ。」
「すると数馬はそちの行司に依怙えこがあると思うたのじゃな?」
「さようでございまする。わたくしは依怙は致しませぬ。依怙を致すわけもございませぬ。しかし数馬は依怙のあるように疑ったかとも思いまする。」
「日頃はどうじゃ? そちは何か数馬を相手に口論でも致した覚えはないか?」
「口論などを致したことはございませぬ。ただ………」
 三右衛門はちょっと云いよどんだ。もっとも云おうか云うまいかとためらっている気色けしきとは見えない。一応いちおう云うことの順序か何か考えているらしい面持おももちである。治修はるなが顔色がんしょくやわらげたまま、静かに三右衛門の話し出すのを待った。三右衛門はもなく話し出した。
「ただこう云うことがございました。試合の前日でございまする。数馬は突然わたくしに先刻の無礼をびました。しかし先刻の無礼と申すのは一体何のことなのか、とんとわからぬのでございまする。また何かと尋ねて見ても、数馬は苦笑にがわらいを致すよりほかに返事を致さぬのでございまする。わたくしはやむを得ませぬゆえ、無礼をされた覚えもなければ詫びられる覚えもなおさらないと、こう数馬に答えました。すると数馬も得心とくしんしたように、では思違いだったかも知れぬ、どうか心にかけられぬ様にと、今度は素直に申しました。その時はもう苦笑いよりは北叟笑ほくそえんでいたことも覚えて居りまする。」
「何をまた数馬は思い違えたのじゃ?」
「それはわたくしにもわかり兼ねまする。が、いずれ取るにも足らぬ些細ささいのことだったのでございましょう。――そのほかは何もございませぬ。」
 そこにまた短い沈黙があった。
「ではどうじゃな、数馬の気質は? 疑い深いとでも思ったことはないか?」
「疑い深い気質とは思いませぬ。どちらかと申せば若者らしい、何ごとも色にあらわすのを恥じぬ、――その代りに多少激し易い気質だったかと思いまする。」
 三右衛門はちょっと言葉を切り、さらに言葉をと云うよりは、吐息といきをするようにつけ加えた。
「その上あの多門との試合は大事の試合でございました。」
「大事の試合とはどう云うわけじゃ?」
「数馬はがみでござりまする。しかしあの試合に勝って居りましたら、目録をさずかったはずでございまする。もっともこれは多門にもせよ、同じ羽目はめになって居りました。数馬と多門とは同門のうちでも、ちょうど腕前の伯仲はくちゅうした相弟子あいでしだったのでございまする。」
 治修はるながはしばらく黙ったなり、何か考えているらしかった。が、急に気を変えたように、今度は三右衛門の数馬かずまを殺した当夜のことへ問を移した。
「数馬は確かに馬場の下にそちを待っていたのじゃな?」
「多分はさようかと思いまする。そのは急に雪になりましたゆえ、わたくしはかさをかざしながら、御馬場おばばの下を通りかかりました。ちょうどまたとももつれず、雨着あまぎもつけずに参ったのでございまする。すると風音かざおとの高まるが早いか、左から雪がしまいて参りました。わたくしは咄嗟とっさに半開きの傘を斜めに左へ廻しました。数馬はその途端とたんりこみましたゆえ、わたくしへは手傷もわせずに傘ばかり斬ったのでございまする。」
「声もかけずに斬って参ったか?」
「かけなかったように思いまする。」
「その時には相手を何と思った?」

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