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三右衛門の罪(さんえもんのつみ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-16 8:58:22 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「何と思う余裕よゆうもござりませぬ。わたくしは傘を斬られると同時に、思わず右へ飛びすさりました。足駄あしだももうその時にはいで居ったようでございまする。と、太刀たちが参りました。二の太刀はわたくしの羽織のそでを五寸ばかり斬り裂きました。わたくしはまた飛びすさりながら、抜き打ちに相手を払いました。数馬の脾腹ひばらを斬られたのはこの刹那せつなだったと思いまする。相手は何か申しました。………」
「何かとは?」
「何と申したかはわかりませぬ。ただ何か烈しい中に声を出したのでございまする。わたくしはその時にはっきりと数馬だなと思いました。」
「それは何か申した声に聞き覚えがあったと申すのじゃな?」
「いえ、左様ではございませぬ。」
「ではなぜ数馬とさとったのじゃ?」
 治修はじっと三右衛門を眺めた。三右衛門は何とも答えずにいる。治修はもう一度うながすように、同じ言葉を繰り返した。が、今度も三右衛門ははかまへ目を落したきり、容易に口を開こうともしない。
「三右衛門、なぜじゃ?」
 治修はいつか別人のように、威厳のある態度に変っていた。この態度を急変するのは治修の慣用手段かんようしゅだんの一つである。三右衛門はやはり目を伏せたまま、やっとつぐんでいた口を開いた。しかしその口をれた言葉は「なぜ」に対する答ではない。意外にも甚だ悄然しょうぜんとした、罪を謝する言葉である。
「あたら御役おやくに立つ侍を一人、刀のさびに致したのは三右衛門の罪でございまする。」
 治修はるながはちょっとまゆをひそめた。が、目は不相変あいかわらずおごそかに三右衛門の顔に注がれている。三右衛門はさらに言葉を続けた。
数馬かずま意趣いしゅを含んだのはもっともの次第でございまする。わたくしは行司ぎょうじを勤めた時に、依怙えこ振舞ふるまいを致しました。」
 治修はいよいよ眉をひそめた。
「そちは最前さいぜんは依怙は致さぬ、致すわけもないと申したようじゃが、……」
「そのことは今も変りませぬ。」
 三右衛門は一言ひとことずつ考えながら、述懐じゅっかいするように話し続けた。
「わたくしの依怙と申すのはそう云うことではございませぬ。ことさらに数馬を負かしたいとか、多門たもんを勝たせたいとかと思わなかったことは申し上げた通りでございまする。しかし何もそればかりでは、依怙がなかったとは申されませぬ。わたくしは一体多門よりも数馬に望みをしょくして居りました。多門の芸はこせついて居りまする。いかに卑怯ひきょうなことをしても、ただ勝ちさえ致せばいと、勝負ばかり心がける邪道じゃどうの芸でございまする。数馬の芸はそのようにいやしいものではございませぬ。どこまでもともに敵を迎える正道せいどうの芸でございまする。わたくしはもう二三年致せば、多門はとうてい数馬の上達じょうたつに及ぶまいとさえ思って居りました。………」
「その数馬をなぜ負かしたのじゃ?」
「さあ、そこでございまする。わたくしは確かに多門よりも数馬を勝たしたいと思って居りました。しかしわたくしは行司でございまする。行司はたといいかなる時にも、私曲しきょくなげうたねばなりませぬ。一たび二人ふたり竹刀しないあいだへ、おうぎを持って立った上は、天道に従わねばなりませぬ。わたくしはこう思いましたゆえ、多門と数馬との立ち合う時にも公平ばかりを心がけました。けれどもただいま申し上げた通り、わたくしは数馬に勝たせたいと思ってるのでございまする。云わばわたくしの心のはかりは数馬に傾いて居るのでございまする。わたくしはこの心のはかりたいらに致したい一心から、自然と多門の皿の上へおもりを加えることになりました。しかものちに考えれば、加え過ぎたのでございまする。多門にはかんに失した代りに、数馬には厳に過ぎたのでございまする。」
 三右衛門はまた言葉を切った。が、治修は黙然もくねんと耳を傾けているばかりだった。
「二人は正眼せいがんに構えたまま、どちらからも最初にしかけずに居りました。その内に多門はすきを見たのか、数馬のめんを取ろうと致しました。しかし数馬は気合いをかけながら、あざやかにそれを切り返しました。同時にまた多門の小手こてを打ちました。わたくしの依怙の致しはじめはこの刹那せつなでございまする。わたくしは確かにその一本は数馬の勝だと思いました。が、勝だと思うや否や、いや、竹刀の当りかたは弱かったかも知れぬと思いました。この二度目の考えはわたくしの決断けつだんにぶらせました。わたくしはとうとう数馬の上へ、当然挙げるはずの扇を挙げずにしまったのでございまする。二人はまたしばらくのあいだ正眼せいがんにらみ合いを続けて居りました。すると今度は数馬かずまから多門たもん小手こてへしかけました。多門はその竹刀しないを払いざまに、数馬の小手へはいりました。この多門の取った小手は数馬の取ったのに比べますと、弱かったようでございまする。少くとも数馬の取ったよりも見事だったとは申されませぬ。しかしわたくしはその途端とたんに多門へ扇を挙げてしまいました。つまり最初の一本の勝は多門のものになったのでございまする。わたくしはしまったと思いました。が、そう思う心の裏には、いや、行司ぎょうじは誤っては居らぬ、誤ってると思うのは数馬に依怙えこのあるためだぞとささやくものがあるのでございまする。………」
「それからいかが致した?」
 治修はるながはややにがにがしげに、不相変あいかわらずちょっと口をつぐんだ三右衛門の話を催促さいそくした。
「二人はまたもとのように、竹刀の先をすり合せました。一番長い気合きあいのかけ合いはこの時だったかと覚えて居りまする。しかし数馬は相手の竹刀へ竹刀をれたと思うが早いか、いきなりつきを入れました。突はしたたかにはいりました。が、同時に多門の竹刀も数馬のめんを打ったのでございまする。わたくしは相打あいうちを伝えるために、まっ直に扇を挙げて居りました。しかしその時も相打ちではなかったのかもわかりませぬ。あるいは先後せんごを定めるのに迷って居ったのかもわかりませぬ。いや、突のはいったのは面に竹刀を受けるよりも先だったかもわかりませぬ。けれどもとにかく相打ちをした二人は四度目の睨み合いへはいりました。すると今度もしかけたのは数馬からでございました。数馬はもう一度突を入れました。が、この時の数馬の竹刀は心もち先があがって居りました。多門はその竹刀の下をどうへ打ちこもうと致しました。それからかれこれ十ごうばかりは互に※(「金+凌のつくり」、第4水準2-91-5)しのぎけずりました。しかし最後に入り身になった多門は数馬の面へ打ちこみました。………」
「その面は?」
「その面は見事にとられました。これだけは誰の目にも疑いのない多門の勝でございまする。数馬はこの面を取られたのち、だんだんあせりはじめました。わたくしはあせるのを見るにつけても、今度こそはぜひとも数馬へ扇を挙げたいと思いました。しかしそう思えば思うほど、実は扇を挙げることをためらうようになるのでございまする。二人は今度もしばらくののち、七八ごうばかり打ち合いました。その内に数馬はどう思ったか、多門へ体当たいあたりを試みました。どう思ったかと申しますのは日頃ひごろ数馬は体当りなどは決して致さぬゆえでございまする。わたくしははっと思いました。またはっと思ったのも当然のことでございました。多門はたいを開いたと思うと、見事にもう一度面を取りました。この最後の勝負ほど、呆気あっけなかったものはございませぬ。わたくしはとうとう三度とも多門へ扇を挙げてしまいました。――わたくしの依怙と申すのはこう云うことでございまする。これは心のはかりから見れば、云わば一毫いちごうを加えたほどの吊合つりあいの狂いかもわかりませぬ。けれども数馬はこの依怙のために大事の試合を仕損しそんじました。わたくしは数馬かずまうらんだのも、今はどうやら不思議のない成行なりゆきだったように思って居りまする。」
「じゃがそちの斬り払った時に数馬と申すことをさとったのは?」
「それははっきりとはわかりませぬ。しかし今考えますると、わたくしはどこか心の底に数馬に済まぬと申す気もちを持って居ったかとも思いまする。それゆえたちまち狼藉者ろうぜきものを数馬と悟ったかとも思いまする。」
「するとそちは数馬の最後を気の毒に思うてるのじゃな?」
「さようでございまする。かつはまた先刻せんこくも申した通り、一かどの御用も勤まる侍にむざと命をおとさせたのは、何よりもかみへ対し奉り、申しわけのないことと思って居りまする。」
 語り終った三右衛門はいまさらのようにかしらを垂れた。ひたいには師走しわすの寒さと云うのに汗さえかすかに光っている。いつか機嫌きげんを直した治修はるなが大様おおように何度もうなずいて見せた。
い。好い。そちの心底はわかっている。そちのしたことは悪いことかも知れぬ。しかしそれもせんないことじゃ。ただこののちは――」
 治修は言葉を終らずに、ちらりと三右衛門さんえもんの顔を眺めた。
「そちは一太刀ひとたち打った時に、数馬と申すことを知ったのじゃな。ではなぜ打ち果すのをひかえなかったのじゃ?」
 三右衛門は治修にこう問われると、昂然こうぜんと浅黒い顔を起した。その目にはまた前にあった、不敵なかがやきも宿っている。
「それは打ち果さずには置かれませぬ。三右衛門は御家来ではございまする。とは云えまた侍でもございまする。数馬を気の毒に思いましても、狼藉者は気の毒には思いませぬ。」

(大正十二年十二月)




 



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月10日公開
2004年3月9日修正
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