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比叡山(ひえいざん)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-26 8:25:54 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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山上の宿院に着いた時はもう 門を入るとツイ眼の前に白い花がこんもりと咲き枝垂れてゐた。見るともなく見れば、思ひもかけぬ幾本かの櫻の花である。五月の十八日だといふに、と思ふと、急に山の深いところに來てゐるのを感じた。飛石を傳つて、苔の青い庭を玄關まで行つたが、大きな建物には殆んど人の氣も無く、二三度訪うても返事は聞かれなかつた。途方に暮れてぼんやりと佇んでゐると、何やら鳥の啼くのが聞える。靜かな、寂しいその聲は曾つて何處かで聞いたことのある鳥である。しばらく耳を澄ましてゐるうちに筒鳥といふ鳥であることを思ひ出した。思ひがけぬ友だちにでも出會つた樣に、急に私の胸はときめいて來た。そして 坂なりに建てられたこの宿院のずつと下の方に煙の上つてゐるのを見た。どうやら人の居る 私は撲たれた樣に驚いた。そして一寸には二の句がつげなかつた。初めこの比叡山に登つて來たのは參詣のためでなく、見物でもなく、或る急ぎの仕事を背負つて來たのであつた。自分のやつてゐる歌の雜誌の編輯を今月は旅さきで濟ませねばならぬ事になり、東京から送つて來たその原稿全部をば三四日前既に京都で受取つてゐたのである。そして急いで京都でそれを片附けるつもりであつたが、久しぶりに行つた其處では同志の往來が繁くて、なか/\ゆつくりそんな事に向つてゐるひまが無かつた。印刷所にさねばならぬ日限は次第に迫つて來るし、困つた果てに思ひついたのはこの山の上であつた。それは可からう、其處には宿院といふのがあつて行けば誰でも泊めて呉れるし、幾日でも滯在は隨意だし、と幾度びか其處に行つた經驗のある或る友人も私のその計畫に贊成して呉れたので早速私は重い原稿を提げて登つて來たのであつた。京都から大津へ、大津から汽船で琵琶湖を横切つて坂本へ、坂本から案外に嶮しい坂に驚きながらも久しぶりにさうした山の中に寢起きする事を樂しみながら、漸く斯うして辿り着いて來たのである。 さうして斯ういふ思ひもかけぬ返事を聞いたので、私はまつたくぼんやりしてしまつた。そして尚ほ押し返へして二三度頼んでみた。老婆の態度はます/\冷たくて、まご/\すればそのまま追ひ出しも兼ねまじき風である。終に私も諦めた。では一晩だけ泊めて下さいと言ひ棄てながら下駄を脱いだ。長くはさうして立つてゐられぬ位ゐ、私の脚は痛んでゐた。 通された部屋はもう薄暗かつた。投げ出された樣に其處に突き坐つてゐると、廣い屋内の何處からか微かな讀經の聲が聞ゆる。聞くともなく耳を傾けてゐるとまた例の鳥の啼くのが聞えて來た。山鳩の啼くよりは大きく、梟よりは更に寂び、初めもなく終りもないその聲に耳を澄ましてゐると、もう先程の疳癪も失望もいつか知ら消え失せて、胸はたゞ言ひ樣のないさびしさものなつかしさで一杯になつて來る。私は立ち上つて窓をあけた。少しの庭を距てて、眼の及ぶ限り一面の杉である。戸外はまだ明るかつた。ぼんやりと其處らを見してゐると、ふと大きな杉の間に遠く輝いてゐるものを見出した。琵琶湖だナ、と直ぐ思ひついた。 讀經は何時か終つたが、筒鳥は尚ほ頻りに啼く。それに混つて何だか名も知らぬ小鳥らしいのの啼くのも聞えて居る。窓に倚りかゝりながら、私はいよ/\耐へ難いさびしさを覺えて來た。そして、端なく京都の友人の言つてゐた言葉を思ひ出して、そそくさと部屋を出た。 案の如くその宿院から石段を一つ登れば一軒の茶店があつた。其處で私は二合入の酒壜を求めながら急いで部屋へ歸つて來た。出來るなら飯の時に飮み度いが、今通りすがりに見れば食堂といふ札の懸つてゐる大きな部屋があつた。飯は多分其處で大勢と一緒に喰べなくてはなるまいし、ことに寺院附屬のこの宿院で公然と酒を飮むのも惡からうと、壜のまま口をつけやうとしてゐるところへ、薄暗い窓のそとからひよつこり顏を出した者がある。十四五歳かと思はれる小柄の小僧である。 「酒買うて來て上げやうか。」 「酒……? 飮んでもいいのかい?」 「此處で飮めば解りアせんがナ。」 「さうか、では買つて來て呉れ、二合壜一本幾らだい?」 「三十三錢。」 それを聞きながらこの小僧奴一錢だけごまかすな、と思つた。たつた今三十二錢で買つて來たばかりなのだ。 「さうか、それ三十三錢、それからこれをお前に上げるよ。」 と、言ひながら白銅一つを投り出してやつた。 犬の樣に闇のなかに飛んで行つたが、直ぐまた裏庭から歸つて來て窓ごしにその壜をさし出した。 「燗をして來てあげやうか。」 「いや、これで結構だ。」 彼はそのまま窓に手をかけて立つてゐたが、 「酒好きさうな人やと思うてゐた。」 と言ひながら行つてしまうた。 苦笑しい/\私は手早くその冷たいのを一口飮み下した。二口三口と續けて行くうちに、次第に人心地がついて來た。窓の前の庭も今は全く暗く、遠くの峰に幾らか明るみが殘つてゐるが、麓の湖はもう見えない。筒鳥の聲もいまは斷えた。部屋はまだ闇のままである。なるやうになれ、と投げ出した心の前には却つてこの闇も親しい樣に思ひなされてゐたが、やがて廊下に足音が聞えて薄赤い洋燈を持つて入つて來た。 翌朝は深い曇りであつた。窓もあけられぬ位ゐ霧がこめて、庭に出てみると雨だか木の雫だか頻りに冷たく顏に當る。 未練が出て今一度老婆に滯在のことを頼んでみたが生返事で一向 何とも言へぬ深い感じのする山である。その日は四方を霧が 根本中堂から十三丁とかある樣に道標に記された淨土院を訪はうと私は歩いてゐた。淨土院は當山の開祖傳教大師の遺骨を納めた寺で、この大正十年が同大師の一千一百年忌に當るのだ相だ。一時は三千坊とか稱へて山内全部に寺院が建ち並んでゐた相だが、今では寺の數三十ほど、そのうち人の住んでゐるのは僅か十六七だらうといふことである。山の廣さ五里四方と云ひ、到る處杉檜が空を掩うて茂つてゐる。ちやうど通りかかつた徑が峠みた樣になつてゐる處に一軒の小さな茶店があつた。動きやまぬ霧はその古びた軒にも流れてゐて、覗いてみれば小屋の中で一人の老爺が頻りと火を焚いてゐる。その赤い色がいかにも 小屋の背後は直ぐ深い大きな溪で、いつの間にか此處らに薄らいだ霧は、その溪一杯に密雲となつて眞白に流れ込んでゐる。空にも幾らか青いところが見えて來た。では一りつて來るから、何卒お頼みすると言ひ置いて私は茶店を出た。雀一羽降りてゐぬ、靜かな淨土院の庭には泉水に水が吹き上げて、その側に 其處を降りて再び茶店に歸つて行くと私の顏を見た爺さんは、いま娘が來たので早速寺へ問合せにやつた、多分大丈夫と思ふが、兎に角暫く待つてゐて呉れといふ。幸ひ二三本酒壜の並んでゐるのを見たので、それを取つて 話は都合よく運んだのであつた。が、何しろその寺はこの山の中でも一番荒れた寺で、住職もあるにはあるのだが平常は其處にゐず、麓の寺とかけもちで何か事のある時のほかはこちらへは登つて來ない、ただ一人の寺男の爺さんがゐるばかりで、お宿をすると云つてもその寺男の喰べるものを一緒に喰べて貰はなくてはならぬがそれで我慢が出來るか、とまた心配相に爺さんは私に問ひかけた。却つてその方が私も望むところだ、何しろ望みが叶つて嬉しい、お爺さんも一杯やらないか、と冷酒の茶椀をさすと、いかにも嬉しさうに寄つて來て受取つて押し頂く。お爺さんも好きらしいネ、と笑へば、これが樂しみでこそこんな山の中にもをられるのだといふ。幸ひ客も無かつたので二人してちびちびと飮み始めた。その途中にふつと氣のついた樣に、若しこれから旦那がその寺でお酒をお上りになる樣だつたら一杯でいゝから寺男の爺に振舞つて呉れ、これはまた私以上の好きで、もとはこの麓で立派な身代だつたのだがみなそれを飮んでしまひ、今では女房も子供も何一つない身となつてその山寺に這入つてゐる程の男だから、としみ/″\した調子で爺さんが言ひ出した。宜しいとも、私も毎日これが無くては過せない男だが、それでは丁度いい相棒が出來て結構だなどと話し合つてゐるところへ、溪の方から頭を丸く剃つた、眼や口のあたりに何處か拔けた處のある、大きな老爺がのそ/\と登つて來た。ア、來た/\と云ひながら茶店の老爺は立ち上つて待ち受けながら、今度はまた世話になるな、といふと、何も出來ぬが客人が困つてなさる相だから、と言ひ/\側にやつて來た。私も立ち上つて禮をいふと、向うはただ默つて眼をぱち/\させながら頭を下げてゐる。それを見ると娘はさも/\可笑しいといふ樣に、顏を掩うて笑ひ出した。茶店の爺さんも笑ひながら、旦那、この爺さんはまことに耳が遠いのでそんな聲ではなか/\通じないといふ。自分の聲は人並外れて高調子なのだが、これで聞えないとすれば全然 やがてその爺さんに案内せられて私は溪の方へ降りて行つた。今までの處より杉はいよ/\古く、徑は段々細くなつた。そして、なか/\遠い。隨分遠いのだなといふと、なアに今の茶店から七町しか無いといふ。近所に他にお寺でもあるのかと聞くと、釋迦堂が一番近いが其處には人がゐないのだから先づ一軒だちの樣なものだといふ。 なるほど四方を深い木立に距てられた一軒だちの寺であつた。外見は如何にも壯大な堂宇だが、中に入つて見るとその荒れてゐるのが著しく眼に付く。この部屋を兎に角掃除しておいたから、と言はれて或る部屋に入つて行くと疊はじめ/\と足に觸れて、眞中の 底本:「若山牧水全集 第五卷」雄鷄社 1958(昭和33)年8月30日発行 入力:kamille 校正:小林繁雄 2004年7月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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