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渓をおもふ(たにをおもう)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-26 8:22:40 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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疲れはてしこころのそこに時ありてさやかにうかぶ渓のおもかげ いづくとはさやかにわかねわがこころさびしきときし渓川の見ゆ 独りゐてみまほしきものは山かげの巌が根ゆける細渓の水 巌が根につくばひをりて聴かまほしおのづからなるその渓の音 二三年前の、矢張り夏の真中であつたかとおもふ。私は斯ういふ歌を詠んでゐたのを思ひ出す。その頃より一層こゝろの疲れを覚えてゐる昨今、渓はいよ/\なつかしいものとなつて居る。ぼんやりと机に 蒼空を限るやうな山と山との大きな傾斜が――それをおもひ起すことすら既に私には一つの寂寥である――相迫っ[#ここのみ拗音が小さい字「っ」になっている]て、其処に深い木立を為す、木立の蔭にわづかに巌があらはれて、苔のあるやうな、無いやうなそのかげをかすかに音を立てながら流れてをる水、ちひさな流、それをおもひ出すごとに私は自分の心も共に痛々しく鳴り出づるを感ぜざるを得ないのである。 渓のことを書かうとして心を澄ませてをると、さま/″\の記憶がさま/″\の背景を負うて浮んで来る。福島駅を離れた汽車が 汽車から見た渓が次ぎ/\と思ひ出さるる。越後から信濃へ越えようとする時にみた渓、その日は雨近い風が山腹を吹き靡けて、深い茂みの葛の葉が乱れに乱れてゐた。肥後から大隅の国境へかからうとする時、その時は冬の真中で、枯木立のまばらな傾斜の蔭に氷つたやうに流れてゐた。大きな岩のみ多い渓であつたとおもふ。 おしなべて汽車のうちさへしめやかになりゆくものか渓見えそめぬ たけながく引きてしらじら降る雨の いづかたへ流るる瀬々かしらじらと見えゐてとほき峡の細渓 秋の、よく晴れた日であつた。好ましくない用事を抱へて私は朝早くから街の方へ出て行つた。幸ひに訪ぬる先の主人が留守であつた。ほつかりした気になつたその帰り路、池袋停車場へ廻つて其処から出る武蔵野線の汽車に乗つてしまつた。広々した野原へ出て、おもふさまその日の日光を身に浴びたかつたからである。一度途中の駅へおりたのであつたが、其処等の野原を少し歩いてゐるうちに野末に近くみえてをる低い山の姿をみると是非その麓まで行き度くなり、次の汽車を待つてその線路の終点駅 朝山の日を負ひたれば渓の音冴えこもりつつ霧たちわたる 石越ゆる水のまろみをながめつつこころかなしも秋の渓間に うらら日のひなたの岩にかたよりて流るる淵に魚あそぶみゆ 早渓の出水のあとの瀬のそこの岩あをじろみ秋晴れにけり おどろおどろとどろく音のなかにゐて真むかひにみる岩かげの滝 雪が解けそめたとは云へ、 むら山の峡より見ゆるしらゆきの岩木が峰に霞たなびく 相模三浦半島のさびしい漁村に二年ほど移り住んでゐた事があつた。小さな半島に相応した丘陵の間々に小さな渓が流れてをる。一哩も流れて来れば直ぐ汐のさしひきする川口となるといふやうな渓だ。それでも私はその渓と親しむことを喜んだ。川に棲むとも海に棲むともつかぬやうな小さな魚を釣る事も出来た。 わがこころ寂しき時しいつはなく出でて見に来るうづみ葉の渓 わが行けば落葉鳴り立ち細渓を見むといそげるこころ騒ぐも 渓ぞひに独り歩きて 冬晴の芝山を越えそのかげに魚釣ると来れば落葉散り 芝山のあひのほそ渓ほそほそとおち葉つもりて釣るよしもなき こころ斯く静まりかねつなにしかも冬渓の魚をよう釣るものぞ みなかみへ、みなかみへと急ぐこゝろ、われとわが寂しさを噛みしむるやうな心に引かれて私はあの利根川のずつと上流、わづか一足で飛び渡る事の出来る様に細まつた所まで分け上つたことがある。 狭い両岸にはもうほの白く雪が来てゐた。断崖の蔭の落葉を敷いて、ちょろ/\、ちょろ/\と流れてゆくその氷の様になめらかな水を見、斑らな新しい雪を眺めた時、何とも言へぬこゝろに私は身じろぎすら出来なかつた事を覚えてをる。いま思ひ出しても神の前にひざまづく様な、ありがたい尊い心になる。水のまぼろし、渓のおもかげ、それは実に私の心が正しくある時、静かに澄んだ時、必ずの様に心の底にあらはれて私に孤独と寂寥のよろこびを与へて呉れる。 渓の事はまだ沢山書き度い。別しても自分の生れた家のすぐ前を流れてゐる故郷の渓の事など。更にまたこれからわけ入つて見たいと思ふ其処此処の河の上流のことなど。 底本:「日本の名随筆33 水」作品社 1985(昭和60)年7月25日第1刷発行 底本の親本:「若山牧水全集 第六巻」雄鶏社 1958(昭和33)年6月 ※「渓をおもふ」は1920年の発表で翌年刊行の「静かなる旅をゆきつつ」に収められた。 入力:砂場清隆 校正:もりみつじゅんじ 2000年7月26日作成 2005年1月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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