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木枯紀行(こがらしきこう)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-26 8:19:08 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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寒しとて囲炉裡の前に厩作り馬と飲み食ひすこの里人は 其処へ提灯をつけて案内の爺さんが来た。相共に上天気を喜びながら宿を出た。まるまると馬が寝てをり まろく寝て眠れる馬を初めて見きかはゆきものよ眠れる馬は のびのびと大き獣のいねたるは美しきかも人の寝しより 十文字峠は信州武州に跨がる山で、此処より越えて武蔵荒川の上流に出るまで上下七里の道のりだといふ。その間、村はもとより、一軒の人家すら無いといふ。暫らく渓に沿うて歩いた。もう此処等になると千曲川も小さな渓となつて流れてゐるのである。やがて、渓ばたを離れて路はやゝ嶮しく、前後左右の見通しのきかない様な針葉樹林の中に入つてしまつた。木は多く樅と見た。今日はいちにち斯うした森の中を歩くのだと爺さんは言つた。 三国に跨がるこの大きな森林は官有林であり、其処にひそひそ盗伐が行はれてゐた。中でもやゝ組織的に前後七年間にわたつて行はれてゐた盗伐事件が今度漸く摘発せられたのださうだ。何しろ関係する区割が広く、長野県群島県東京府の役人たちがそのために今度出張つて来たのだといふ。わたしは苦笑した。その役人共のためにわたしは二度宿屋から追放されたのだと。 いかにも深い森であつた。そして曲のない森でもあつた。素人眼には唯だ一二種類と見ゆる樹木が限界もなく押し続いてゐるのみであるのだ。不思議と、鳥も啼かなかつた。一二度、駒鳥らしいものを聞いたが、季節が違つてゐた。たゞ散り積つてゐるこまかな落葉をさつくり/\と踏んでゆく気持は悪くなかつた。それが五六里の間続くのである。 幸ひに登りつくすと路は峰の尾根に出た。そして殆んど全部尾根づたひにのみ歩くのであつた。ために遠望が利いた。ことに峠を越え、武州地に入つてからの方がよかつた。我等の歩いてゐる やがて夕日の頃となると次第にこの山の眺めが生きて来た。尾根の左右に幾つともなく切れ落ちてゐる山襞、沢、渓間の間にほのかに靄が湧いて来た。何処からとなく湧いて来たこの靄は不思議と四辺の山々を、山々に立ちこんでゐる老樹の森を生かした。 また、夕日は遠望をも生かした。遠い山の峰から峰へ積つてゐる雪を輝かした。浅間山の煙だらうとおもはるゝものをもかすかに空に浮かし出した。其他、甲州地、秩父地、上州地、信州地は無論のこと、 「ホラ、 と老爺はうなづいて、其処の伝説を語つた。斯うした深い渓間だけに、初め其処に人の住んでゐる事を世間は知らなかつた。ところが折々この渓奥から椀のかけらや、箭の折れたのが流れ出して来る。サテ豊臣の残党でも隠れひそんでゐるのであろうと、丁度江戸幕府の初めの頃で、所の代官が討手に向うた。そして其処の何十人かの男女を何とかいふ 日暮れて、ぞく/\と寒さの募る夕闇に漸く峠の麓村栃本といふへ降り着いた。此処は秩父の谷の一番つめの部落であるさうだ。其処では秩父四百竃の草分と呼ばれてゐる旧家に頼んで一宿さして貰うた。 栃本の真下をば荒川の上流が流れてゐた。殆んど真角に切れ落ちた断崖の下を流れてゐるのである。向う岸もまた同じい断崖でかえたつた山となつて居る。その向う岸の山畑に大根が作られてゐた。栃本の者が断崖を降り、渓を越えまた向う地の断崖を這ひ登つてその大根畑まで行きつくには半日かかるのださうだ。帰りにはまた半日かゝる。ために此処の人たちは畑に小屋を作つて置き、一晩泊つて、漸く前後まる一日の為事をして帰つて来るのだといふ。栃本の何十軒かの家そのものすら既に断崖の中途に引つ懸つてゐる様な村であつた。 十一月十一日。 爺さんはまた七里の森なかの峠を越えて梓山村へ帰つてゆくのである。わたしは一人、三峰山に登つた。そして其処を降つて、昨日尾根から見損つた中津川が、荒川に落ち合ふ所を見度く、二里ばかり渓沿ひに遡つて、名も落合村といふまで行つて泊つた。 翌日は東京に出、ルックサックや着茣蓙を多くの友達に笑はれながら一泊、十七日目だかに沼津の家に帰つた。 底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版 1976(昭和51)年8月1日初版発行 ※1927(昭和2)年冬記 ※「ルツクサツク」と「ルックサック」の混在は、底本通りにしました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:林 幸雄 校正:浅原庸子 2003年10月22日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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