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浅間山麓(あさまさんろく)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-25 7:02:03 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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落葉松の暗い林の奥で、休みなくかっこうが鳴いている。単調な人なつっこいその 谷あいの繁みをわけてゆくと、一軒の廃屋があった。暗い内部には、青苔のぬらぬらした朽ち果てた浴槽があって、湯が 私の泊まった家は、病院であって宿屋なのである、いえ宿屋で病院だという方が適当かも知れない。余り病院くさくならないように、消毒液でも臭気のしない高価なものを使うとはいっているが、浅間山の頂を前にした古い田舎屋が病棟なのである。朝早くから百姓のお婆さん達が、病児を背負って遠い道を歩いてくる。診察に来たお婆さんがいうには、 「以前はなァあんた、少し重い病人だと長野までゆきやしたが、近頃はナ、盲腸でも何でも此処で手術して貰えるで、へぇみんな、ずんずん達者になりまさァ」 その有難い院長さんはどんな人かというに、外科手術が多いというから、誰でもあらゆる外科医のタイプを想像してみるだろう。処がそれは、大一番の丸髷に赤い鹿の子のてがらをかけた、たわやかな美人なのである。 「恐いね、女の外科手術なんざァ」泊まっている学生たちが手術室を 夕方はまた夕方で、いろんな患者がこの若い女医をめがけて飛び込んでくる。霧の深いある と 小諸の街で絵葉書を買ったら、千曲川旅情の歌の詩碑のに添えて、作者島崎藤村氏の大写し一枚、映画俳優かと見まごうばかり物々しいのが入っていた。此処まで来たついでに「小諸なる古城のほとり」の碑を見てゆきたいと思って、街を歩いてる人に訊いたら、そんなもの知らないという。今度は床屋へ入って訊いて見た。すると主人が 茶店のお爺さんに、「島崎さんの碑はどの辺にありますね」と訊くと、動物園を通って、橋を渡って、馬場を突っ切って行くと直ぐだといった。城内はさすがに老木が繁りあっていた。鹿の谷へ降りてみたら昼も暗く、ひんやりとした崖の際に、鹿は無期徒刑の囚人のように、憂鬱にうごめいてた。そこを上って動物園になっている平地に出ると猿や熊が熱そうに檻の中をのたうち歩き、ラジオのジャズがきこえて、旅情も何もあったものではなかった。橋があるといわれた橋は「しらつる橋」、それは谷に 城というものは大抵高所に築かれるものだが、この城は穴城といって、千曲川の水利に拠るもので、こういう築城法は、古来日本にも類例がないんです――と土地の青年がいっていたが、今はもうそれらしいものもなくて、石垣ばかりしか見られない。 碑の傍に腰をおろしていると、一緒に上ってきたアッパッパに日傘の娘さん達も、そこに来て休んだ。だが彼女たちは詩碑にチラと一瞥をくれただけで、外の景色を見おろしながら、いろんな話をしていた。そして左の方に見える、怪物のように横たわった偉大な三本のドラフトを指しながら「信濃川のが東洋一なら、この水電のドラフトは日本一なんですって、凄いもんでしょう」感動をこめて自慢する。「まさか」という笑い方をしたら、厳めしい顔をふり向けて、「そりゃ、ほんとです」といった。こんなだと、この古城趾も遠からず、昔を偲ぶ雰囲気などなくなって、工場の煤煙に包まれるだろうと思った。 底本:「空にむかひて 若杉鳥子随筆集」武蔵野書房 2001(平成13)年1月21日初版第1刷発行 初出:「都新聞」 1934(昭和9)年7月28~29日 入力:林 幸雄 校正:小林 徹 2003年4月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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