また自分の心持には早くから大人(おとな)びている所があった。投げやりな父に代り病身な母を助けて店の事を殆(ほとん)ど一人で切盛(きりもり)したためもあるが、歴史や文学書に親(したし)んだので早く人情を解し、忙(せわ)しく暮す中にも幾分それを見下して掛かる余裕が心に生じていたからであったらしい。 それで大人びていた自分は、恋愛などの心持も文学書に由って十二歳の頃から想像することが出来た。『源氏物語』の女の幾人に自分を比較して微笑(ほほえ)んでいた事もあった。しかし異性に対する好悪の情はあったにせよ実際に自分自身の恋愛と名づくべき感情は二十三の歳まで知る機縁が自分の上になかった。常に自分の周囲の男女は都(すべ)て不潔な人間だという気がして、それで書物の中の男女にばかり親んでいた。 一般に処女の恋愛は異性に対する好悪の情が好奇心に一歩を進めた所から生ずるという人がある。しかし自分には何らのそういう好奇心も感じなかった。自分の経験でいえば、性欲というべきものの意識は処女時代にない。性欲の記事を読んでも、男子のように肉体的に刺激せられる所は少しもない。これは男子と生理関係の相違が大変にあるらしい。或る特別な境遇に育った処女は知らぬこと、普通の処女は自分と同じであろうと想われる。専門学者から見たなら、処女の恋愛や男子に対する好き嫌いの感情にもその根柢には性欲が潜在しているかも知らぬが、処女には全くその意識が欠けているのではないか。もし処女にもあれば、性欲に対する好奇心があるだけであろう。それとても目に見えて肉体の衝動から自発するのではなかろうと想われる。そうして自分にはその好奇心に類似するものすら欠けていた。 自分が「純潔」を貴ぶ所から堺(さかい)の街(まち)の男女の風俗のふしだらな事を見聞きしてそれを厭(いと)い、また読書を好む所から文学書の中の客観的な恋愛に憧(あこが)れて、自分の感情を満足させていたのが、処女時代の貞操を守り得た二つの理由であったが、厳格な家庭が実世間の男子と交際する機会を与えなかったのもまた一つの理由であった。 自分は学校へ行く以外に家の閾(しきい)を跨(また)いだことは物心を覚えて以来良人の許(もと)へ来るまでの間に幾回しかないということの数えられるほど稀(まれ)であった。堺の大浜(おおはま)へさえ三年に一度位しか行かなかった。自分の歌に畿内(きない)の景色や人事を歌うことが多くても、実際京都や大阪へ行ったことは十度にも満たないのであった。それだけにかえって深い印象が今に残っているのかも知れぬ。勿論学校へ行くには女中や雇人の男衆が送り迎えをする。その外の場合は父や親戚(しんせき)の老人や雇人の婆(ばあ)やなどが伴(つ)れて行ってくれる。全く単独に出歩いたことはなかった。 女学校を出てからは益々家の中でばかり働いていた。厳し過ぎる父母は屋根の上の火の見台へ出ることも許さなかった。父母は娘が男の目に触れると男から堕落させに来るものだと信じ切っていた。甚(はなはだ)しい事には自分の寝室に毎夜両親が厳重な錠を下して置くのであった。雇人の多い家では――殊に風儀の悪い堺の街では――娘を厳しく取締る必要があることは言うまでもないが、自分ほど我身を大切に守ることを心得ている女をそれほどまでにせずともよいであろうに、自分の心持を領解してくれない両親の態度をあさましいと思って、心の内で泣いたことも多かった。 自分は生来(うまれつき)外出(そとで)を好まなかった所へ父母が其様(そんな)であるから、少しは意地にもなって、全く人目に触れない女になってしまおう、誰が勧めても頼んでも店の薄暗い物蔭以外には一歩も出まいと決めていた。そうでなくても、兄は東京に学んでいる。妹は京都に学んでいる。弟はまだ土地の中学にいる。店を初め一家の締め括(くく)りのために自分はどうしても両親を助けて家にいなければならなかった。人はお嫁に行(いっ)てから家政に苦労するのに、自分は反対に小娘の時から舅姑(しゅうとしゅうとめ)のような父母に仕えてあらゆる気苦労と労働とをしていた。そんな境遇にいたので異性と恋をするというような考も機会も全くなかった。従って貞操を汚すような男の誘惑というものも一切知らなかった。 それからこれは何時(いつ)かの『早稲田文学(わせだぶんがく)』へ載せた雑感の中にもちょっと書いた事であるが、自分は幼い時から動(やや)もすると死の不安に襲われて平生(へいぜい)少しの病気もない健かな身体(からだ)でありながらかえって若死をする気がしてならなかった。それがため他人の嫁入沙汰(ざた)を聞いても他人は他人、自分は自分の運命があるという風に思って、結婚などをする自分ではないと堅く信じていた。『源氏物語』のような文学書を読んで作中の恋には自分の事のように喜憂することがあっても、それは夢の世界、空想の世界に遊んでいる自分に過ぎなかった。 また十七、八歳から後は露西亜(ロシヤ)のトルストイの翻訳物などを読んで、結婚は罪悪である、人種を絶やして無に帰するのが人間の理想だというような迷信がかなり久しい間自分を囚(とら)えていたので、自分は固(もと)より、偶(たまた)ま逢(あ)う同じ街の友人にも非結婚主義を熱心に勧めたりなんかした。そういうような事に由っても自分は男子の誘惑から隔った遠い彼方(かなた)に住んでいた。 親戚の者から縁談を勧める事もあったが、自分が汚らわしいという風に眉(まゆ)を顰(ひそ)めるので、自分の前でそんな話を持出す人も後には全くなくなった。親たちも家になくてならぬ娘であるから、自分が結婚を望む気振(けぶり)もないのを善(い)い事にして格別勧めようともしなかった。そうして自分は出来るだけ従順に働いて、忙(せわ)しい家業に心を尽していた。空想の別世界にも住んでいるが、現実の常識生活にも一点の批を打たれないようにしようというのが自分のその頃の痩(やせ)我慢であった。父が株券などに手を出して一時は危くなった家産を旧(もと)通りに挽回(ばんかい)することの出来たのも、大抵自分が十代から二十歳(はたち)の初へかけての気苦労の結果であった。そういう一家の危機を外に学んでいる兄や妹に今日が日までも一切知らせずに済(すま)すことが出来たのであった。 自分の処女時代は右のようにして終った。思いも寄らぬ偶然な事から一人の男と相知るに到って自分の性情は不思議なほど激変した。自分は初めて現実的な恋愛の感情が我身を焦(こが)すのを覚えた。その男と終(つい)に結婚した。自分の齢(とし)は二十四であった。 恋をし結婚をして以後の自分の観(み)る世界は処女の時に比べて非常に濶(ひろ)い快活なものとなった。娘の頃の自分の心持には僻(ひが)んだり、偏したり、暗かったりした事の多かったのに気が附いた。結婚をせねば領解の出来ない事柄の多いことも知った。 それから今日まで妻として貞操に何の欠けた所もない生活を続けて来ているのは自分ら夫婦にとって東から日が昇るのと斉(ひと)しく当然(あたりまえ)の事としている。一夫一婦主義を意識して実行しているのでも、『女大学』に教えてあるような旧道徳に圧抑せられているのでもない。つまり初めの恋愛状態が益々根を張り枝を伸して発達して行くのに過ぎない。良人と自分とは天分も教育も性情も異(ちが)っている。それでいろいろの彩料を交ぜながら何処(どこ)かに引緊(ひきしま)って調和が取れている絵のように二人の心持がしっくりと合っている所に、自分の感情は歓喜と幸福とを得ているらしい。勿論、不足と不安とは自分らの生活の上に絶間もないが、その不足と不安の生活を共にしているという事が、自分らの歓喜でも幸福でもある。動揺の乏しい単調な生活であったなら自分らはあるいは早く倦(あ)いてしまっていたかも知れない。 同じ芸術に従事して生活の思想にも形式にも類似の多いという事が二人の心の平衡(へいこう)を保って行かれる一つの原因であろう。また子供に対する愛情を斉しくしていることも一つの原因であろう。また良人を師として常に教えられ、親友以上の親友として、不安動揺の生の中に信頼し扶(たす)け合って行く情味も一つの原因であろう。 しかし何が自分の貞操を自然に守らせている原因の重(おも)なものかと考えて来ると、処女時代から失わずにいる「純潔」を貴ぶ性情がそれである。良人と自分との間には心の上に虚偽がない。何事も隠さずに打明けねば自分の純潔を好む心が済まない。従って肉体をも純潔に自重したい。不貞なる行為はやがて不潔である。虚偽である。純潔な肉体は、自分の純潔な心の最も大切な象徴として堅く保持したいと思うのである。 翻って処女時代を顧みてもそうである。自分はよほど特殊な境遇に育ち、特殊な性情を持って処女時代の貞操を正しく過ごして来たが、前に挙げた多くの理由には僻(ひが)んだり間違ったりした心持から出たものも交っている。その中で今日から考えても最も正しい理由はやはり「純潔」を貴ぶ性情であった。 自分には今日まで貞操を破るような行為を望む内心の要求は少しもなく、今後もそういう危惧(きぐ)は夢にも思いがけないが、万一そういう不貞な心が起るとしても、それを予防するものはこの「純潔」を貴び、正しきを欲する性情の威力であると信じている。啻(ただ)に貞操についてのみならず個人の尊厳はこの性情を土台として保たれかつ発揮せられるものだと信じている。 このように意識して自分の貞操の地盤を反省し出した自分は「純潔」を貴ぶ性情を主とした上になお下のような理由を新たに加えたい。それはもし貞操を乱した場合を予想した消極的の理由ではあるが、今日の自分はこういう事をも考えて見ずにはいられない。即ち処女時代において不貞の行為があれば、処女の純潔は破壊せられたのである。その女は自ら恥と悔(くい)とを覚えるばかりでなく、淑女たる資格なき者として社会から擯斥(ひんせき)せられても涙を呑(の)んで忍ぶより外はない。進んで貞淑な人の妻となる資格に欠けた所のあるのは勿論である。かような将来の不幸を予知する明敏な心がある以上、処女自身にあくまでも自己の貞操を尊重するのが賢い仕方である。 妻にして貞操を破るとすれば忽(たちま)ち家庭の不和を生ぜずには已(や)むまい。子女の教育についても母が正義の規範を示す資格を欠くことになる。教えられざる女は知らぬこと、理智の眼の開(あ)いた婦人はこれがためにも貞操を尊重せねばならぬ。家庭の平和と純潔とを乱せば一身の破滅ばかりでなく、延(ひ)いては一家の協同生活を危くし、社会の幸福をも害(そこな)う結果が予想せられる。 学者は種の保存の上からも女子の貞操は太切(たいせつ)であるという。学説としてはそうでもあろうが、自分にはまだ夫婦の血族を保存するために貞操を守ろうとする自覚はない。それよりも自分のように純潔を貴ぶ性情を基礎としてさえいれば自然に種の保存の意義にも一致する結果になると思う。 以上は専ら自分にのみついて述べた。これを自分だけの経験から出発した特殊の貞操観であって、一般の婦人たちに及ぼしがたいものである事は勿論知っている。世の中の婦人の大多数は貞操の堅固な人たちである。自分はその一人一人の特殊な貞操観を聞きたい。 また再婚をする婦人の心持、良人を定めずして多数の異性に接する稼業(かぎょう)の女の心持などは、どういう所に心の平衡を取って自己を安んじ羞恥(しゅうち)を抑(おさ)えていることが出来るのか、それらについても経験を聞きたい。 未亡人というものは故人某(なにがし)の妻である。それが再嫁をするということは法律上に姦通ではないにしても、本人の心持は疚(やま)しくないものであろうか。未亡人の貞操観というものも赤裸裸に語る人があって欲しい。 また男子の貞操観をも聞きたいものであるが、それは男子自身の正直な告白を待つより外はない。しかし自分の想像では、男子は生理的に女子とよほど異(ちが)った所があって、処女には性欲の自発がないにかかわらず、若い男子にはそれが反対に熾(さかん)であるらしい。(十月の雑誌『三田文学(みたぶんがく)』の谷崎氏の小説はその一例である。)また婦人は早く老いやすいにかかわらず、男子は七十歳の老人にも好色の噂(うわさ)を聞く例(ためし)が多い。特殊な男子を除き、一般大多数の男子がそうであるなら、男子の貞操はよほど趣を異にせねばならぬはずである。男子は貞操を守るに堪えないともいわれよう。 それとも、将来は教養ある男子が殖えるに従って、自己の純潔を貴ぶため、家庭の平和を欲するため、放縦(ほうしょう)な性欲を自制して一夫一婦主義を女子と同じく尊重し実践するようになるであろうか。また反対に女子もまた刺激に憬(あこが)れる心や食物その他の変革から従来の体質を漸次一変して性交の欲望を自発し、併(あわ)せて男子と斉しく老ゆることも遅くなるであろうか。最後に述べて置く、自分の貞操は男子――良人の貞操の如何(いかん)に由って動揺するものでない。自分の肉体を清らかに保つのは自分の心の象徴だとして、何よりも先ず自分のために尊重するのである。そうしてこれは誇るべき事でも何でもない、自分に取って当然の事だと思っている。
(『女子文壇』一九一一年一〇―一一月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店 1985(昭和60)年8月16日初版発行 1994(平成6年)年6月6日10刷発行 底本の親本:「雑記帳」金尾文淵堂 1915(大正4)年5月初版発行 入力:Nana ohbe 校正:門田裕志 ファイル作成:野口英司 2002年1月10日公開 2003年5月18日修正 青空文庫ファイル: このファイルはインターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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