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註釈与謝野寛全集(ちゅうしゃくよさのひろしぜんしゅう)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/11/22 10:27:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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片隅にありて耳をば澄すなりめしひの如き水色の壺 室の一隅に水色をした陶器の壺が置かれてある。じつと耳を澄して常人の耳にはまだ入らない音をも聞かうとして居る。敏感なそしてうす無味の悪い盲目の人の座つた姿が思はれる壺であると云ふ歌。何となく寒気を覚える程確実に物が掴んである。行く水の上に書きたる夢なれど我が力には消しがたきかな 行く水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけりと云ふ古今集の歌の意を受けて、さうした無駄な思ひかは知らぬが、自分の意志の力ではこの空想を壊してしまふことは出来ないと歎いた歌で、恋歌とせずに、他から見ては突飛な希望と云ふやうなものを胸に畳んでゐることを云つたものと解釈して置く方が妥当なやうである。洞門の出口にわれを待つ友がたそがれに吹く青き鳥笛 是れは同じ時に塔の沢から湯本の玉簾の滝を見に出かけた途中で、洞門の出口に友人の西村伊作氏が背を寄せて、土産物店で買つて来た笛を吹いて居たのであつた。桃色の明りの中に 白を著てと云ふ所まで読んで、しののめの空の下を来る少女を云ふ歌かと思ふと、さうでなく、そんな風にして白い色の船が此方へ来ると云ふのである。速力の早い小舟が生き生きとした力を現して出て来たのである。夏の歌かと思はれる。寂しさよこの頃おつる髪を見て作り笑ひもことにこそよれ 寂しい事実である。何がさうかと云ふと、額の方を広くばかりして抜け落ちて行く髪の毛を目に見て、滑稽だなどとも云つて人に笑つて見せて居る自分が情けなく寂しいのである。心にもなく人に笑つて見せることはあつても是れは余りであつて、自分を醜くするこのことに反省がされると云ふ歌。はしたなく 縁が無くなつて裏もはげた中身だけの醜い感じのする鏡、其れがうら寒い秋にうら寒いものの目に附き易くて自分を女達鏡の 鏡の間はベルサイユ宮殿の一室の鏡で張りつめた間のことである。大広間の一つになつて居て、窓は広い森に向いて開かれてゐる。是れは鏡の間の方から隣の部屋へ今出て来た皆夜会服の裾を長く引いた貴女達で、其の人達はこの間の広い窓の傍へ寄り、秋の夜の月の明るい庭を眺めるのであつたと云つてある。ルイ十三四世の頃の宮廷の光景を描いて居るのであつて、漢詩の宮詞と云ふやうなものである。沈香亭の北の欄干に倚つて牡丹を見て居た楊貴姫は牡丹の花と同じやうに想像され、このルイ朝の貴女達は秋の月のやうな麗人であることを思はしめる。曇る空波のしろきを前にして網を打つなり 曇つた空が上にあつて、下の海には白い波が立つてゐる。この風景を前にして裸体の人が網を打つて居ると云つてあるが、壮重な感じは一漁夫が立つて居るとする方にあるが、私は漁夫が幾人も居ると見る方がよいと思ふ。其れをこの言葉だけで表現し足りないとは思はない。裸男の大勢の力が集められて居ても大海や空に比べては小さいものであらうから。木立みな十字にとがり太陽も十字に光る冬枯の上 どの木も十字に見え、それに象の背の菩薩の如く 象の背に乗つて居る一切に背を向けながら入る如き甘さを感ず劇場の口 芝居の入口に達した時の心もちに、是れで一時的にもせよ世間と断たれた世界へ身を置くことになると云ふ満足がある。気に入らぬ一切の物に背を向けて遺ることの出来る快感を感じるのはこの時であるとかの隅になにがし立ちて叫べども振る手のみ見ゆ群衆の上 一方の隅に名士の某が立ち高い声を放つて演説をしてゐるやうであるが、何も必ずと云ふ約束をたやすげにかはして別るうら若き人 永久の愛の誓ひを初めとして二年三年の後の約束も若い人達は平気でするが、其れは実行の出来難い物である事を、過去の経験からよく知つて居る自分である。自分も以前にやすやすとした約束が一つとして果されたものはない。諸君は今に自分のやうな苦い悔いばかりを味はねばならないであらうと云つて、若い人をやはらかに海に入らんとする山を磯にささへて白き城かな 伊太利亜にてと云ふ端書きがある。伊太利亜を私は見ないのであるが、作者の歌つた所は南方の伊太利亜で、柔い岬の山が地中海に伸びて終らうとする所に白いシヤトウが立つてゐて、山の線を止めた形に見えたやうである。我れも行く春の銀座の灯のもとを巴里の宵の 銀座の春の灯が連つた所を自分も行く。ここにして夜毎に 此の頁に並んでゐるのは何れも軽い調子の歌である。銀座の夜に三四人がカフエエより扇形して春の夜の銀座の雪を照らすともし火 銀座の雪の上へ家の入口の灯の明りが末広がりに扇の形をして若きむれ酔ひて歌へば片側の卓にある身もおもしろきかな 作者と片隅の卓へ一所に倚つて居る人達を云ふのでなく、彼方此方に一団一団になつて居る若い連中があるのである。酔つて歌ひ出すまでにも其の人達の歓語が耳を喜ばせて居た。なほ 「もう一つ」と女は低い声で云つて、ギヤルソンに卓上の君により初めて明日の歌を聞く凍れる中の春のおとづれ 吉田精一氏の歌集春の口笛の序に詠まれた歌の一つである。この作者ににはかにも松を通して朱をながす夕日の中の街道の雨 夏の変調な天気らしい。東海道の藤沢辺の街道を少し奥へ入つた家から作者は見て居るやうである。古い並木の松であるから大木が列をなしてゐて、足柄辺りへ入る日が赤い夕焼を作つてゐる空が背景になつて居る。この街道の上に今雨が降つて居るのである。相当に何故と世に問ふことを忘れたるうつろの心しづかなるかな 自分が何故に無視されてゐなければならぬかを世間に対して問つてやりたい心持ちも、何時となくどうでも好い気になつた、従つて憎みも悲みも忘れた今の心境は静かである。この空虚は愛すべきものであると云ふ歌。もとより是れは作者自身だけが空虚と呼んでゐる空虚なのである。うきことは思はぬ如く馳せながら薔薇を散らしぬ曲馬の女 人間である以上、その中に白き孔雀の誇りもて長く引きたる夕ごろもかな 仏蘭西座の廊下を往来する貴婦人達の中の特に目立つ一人を作者は歌つたのであるが、そんな場所でなく、或る大邸宅の夜会場で思ふ人が誰れよりも素ばらしく、白い衣装を著けて現れて来たやうな解釈が出来ないこともない。作者が巴里に居た頃の女の夜の服は四五尺も裾を引くのが多かつた。白い孔雀が鳥の王のやうな誇りを持つて居るのと、其の人の外へ現れた自尊心に共通なものがあつたのである。我が筆もミケランゼロの 巨匠ミケランゼロの鑿の当てられるものは岩も木も生命のある人になつたと云ふが、自分の筆もさうでありたい。一度び書かうとすれば遺憾なく万象が詩になるやうにありたいとかう作者は望んである。いろいろの 松戸の高等園芸学校の花畑であらう。色彩の多い、そして直線が主になつて出来た模様のペルシヤの更紗の其れをまた種類も幾つも混ぜて、四角に、長方形に岡へ切りはめたやうに畑の見えたのも、時季が多様な花に満ちた初夏だからであつたであらう。我が手もて捉ふることの難しとはなほ 自分の力ではどんなに最善を尽くしても得られぬ望みであると云ふ自覚は永久に与へて欲しくない。何時までもこの空想を捨てたくないと云ふことが云はれてゐるのであつて、恋の歌と解釈が出来ないではないが、作者の比較的後年の作であるから、その外のことと見る方が妥当なやうに私は思ふ。おほかたの目に見えざれば人知らじ心に祈り血を流せども 是れも恋歌めいては居るがさうではないと私には思はれる。普通の目で見ては自分ものんきな者に見えるであらう、芸術の道の精進の為めに心には血を流すほどの苦しみをして居るのであるがと解すべきである。底本:「冬柏」新詩社 1935(昭和10)年6月号 1935(昭和10)年7月号 1935(昭和10)年9月号 1935(昭和10)年10月号 1935(昭和10)年12月号 1936(昭和11)年2月号 ※掲載誌に重複して記載されて居る表題「註釈與謝野寛全集(通し番号) 晶子」は、省略しました。 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。 ※底本で「灯」と混在している「燈」は、新字に書き替えませんでした。 ※底本は、以下に振り仮名(ルビ)をふっています。 加えてこのファイルでは、読みにくい、もしくは、読み誤りやすいと判断した言葉に、ルビを補いました。短歌へのルビ付けにあたっては、「與謝野寛短歌全集」明治書院、1933(昭和8)年 2月を参照しました。 入力:武田秀男 校正:土屋隆 2005年3月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたつたのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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