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私は二十歳過ぎまで旧い家庭の陰鬱と窮屈とを極めた空気の中にいじけながら育った。私は昼の間は店頭と奥とを一人で掛け持って家事を見ていた。夜間の僅かな時間を偸んで父母の目を避けながら私の読んだ書物は、いろんな空想の世界のあることを教えて私を慰めかつ励ましてくれた。私は次第に書物の中にある空想の世界に満足していられなくなった。私は専ら自由な個人となることを願うようになった。そして不思議な偶然の機会から殆ど命掛けの勇気を出して恋愛の自由を贏ち得たと同時に、久しく私の個性を監禁していた旧式な家庭の檻からも脱することが出来た。また同時に私は奇蹟のように私の言葉で私の思想を歌うことが出来た。私は一挙して恋愛と倫理と芸術との三重の自由を得た。それは既に十余年前の事実である。 その以後の私に更にまたいろいろの自由を要望する意識が徐々として萌して来た。低落した女性の位地を男子と対等の位地にまで恢復することはその随一の欲望であった。 そこで私は様々の妄想や誤解を抱いた。古今の稀に見る天才婦人や、欧洲の近代文学に現れた自由思想家の理想的仮設人物である優秀な女主人公やを標準にして、或努力次第で一躍すべての女性が――私自身も――男子と対等な利権を得られそうにさえ思われた。表面には出さなかったが、心の中では一概に男子の暴虐に反抗したい気分を満たすまで思い詰めたこともあった。
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しかし人知れず久しい内省に耽った後で、私は女性の位地がこんなにまで低落したのは、その原因を男子の横暴にのみ帰しがたいことを知った。女性の頭脳は遠い昔において或進化の途中に低徊したまま今日に到った観がある。私は女性が本質的に男子に比して劣弱なものであるとは思わない、しばしば天才婦人の現われるという事実が女性もまた男子と対等に進化し得られる素質を備えていることを暗示しているのであるが、さはいえ古今の一般女子を通じてその直観力の浅さ、その理性の鈍さ、その意志の弱さを思えば、とても男子の対等な伴侶となることの出来ないのは勿論、男子の足手まといとなって悲惨な屈従の生を送らねばならないのは当然女子自身の受くべき応報であった。私は微力を測らずして一躍男子の圧抑から脱れようとする痩我慢を恥じねばならなかった。私は瞭然と女性の蒼白な裸体を見ることが出来た。
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私は女性の位地を高めようとするには、女性が互に現在の自己の暗愚劣弱を徹底して自覚することがその第一歩であると確信するに到った。私は最近四、五年来その事を筆にして同性の参考に供えたのみならず、先ず出来るだけ私自身を修めることに励んで来た。私は自分の知識欲と創作欲とを私の微力の許す限り充実させることに力めて来た。 私はまた平安朝の才女たちの生活から暗示を得て、女子の生活の独立は、女子自ら経済上に独立することが重大な一因であると知って世の職業婦人に同情し、婦人の職業が増加して行くのを喜び、教育を受けた若い婦人が進んでそれらの職業に就くという新しい風潮を祝福した。そして私もまた自分の職業を以て一家の経済を便じることに苦心して来た。
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私は近年欧洲へ旅行するまでは、日本という世界の片隅にいて世界に憬れている一人の世界の浮浪者であった。日本よりも世界の方がより多くなつかしかった。しかるに欧州の旅行中、到る処で私一人が日本の女を代表しているような待遇を受けるに及んで、最も謙虚な意味で私は世界の広場にいる一人の日本の女であることをしみじみと嬉しく思った。私の心は世界から日本へ帰って来た。私は世界に国する中で私自身に取って最も日本の愛すべきことを知った。私自身を愛する以上は私と私の同民族の住んでいる日本を愛せずにいられないことを知った。そして日本を愛する心と世界を愛する心との抵触しないことを私の内に経験した。
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欧洲の旅行から帰って以来、私の注意と興味とは芸術の方面よりも実際生活に繋がった思想問題と具体的問題とに向うことが多くなった。私は芸術上の述作を読む場合にも芸術的趣味の勝ったものよりは生活的実感の勝ったものを余計に好むようになった。忙しい中で新聞雑誌の拾い読みをするにも、芸術上の記事を後廻しにして欧洲の戦争問題や日本の政治問題に関連した記事を第一に読むという有様である。 これは私の心境の非常な変化である。私は最近一両年の間に、日本人の生活を、どの方面からも改造することに微力を添えるのでなければ、日本人としての私の自我が満足しないのを朧ろげに感じるまでに変化しているのであった。 痴鈍な私は幾多の迷路を迂回して今頃ようやく祖国の上に熱愛を捧げる一人の日本人となった。
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第三十五議会の解散は突如として私の意識を緊張させ、祖国に対する私の熱愛を明らかに自覚させた。否、この度の解散は微弱な私一人のためのみならず、日本人全体のために日本人自らが励声一番した「気を附け」の号令ではなかったか。 明治の末期このかた、妥協に妥協を重ね、虚偽に虚偽を重ねた日本人の生活は、今までに腐敗の頂点に達して、日本人自ら内部の空虚と外面の醜汚とに不満を感じ、誠実に満ちた真剣の生活を無意識に期待している折から、全日本を腐敗させた病毒の府である衆議院の崩壊したことは、独り政界のみならず、あらゆる社会の惰気と腐敗とを一掃して、日本人の生活を積極的に改造する大正維新の転機が到来したことの吉兆である気がしてならぬ。国民はこの政界の颶風を切掛に瞭然と目を覚し、全力を緊張させて久しくだらけていた公私の生活を振粛しようとするであろう。議会に多数を制していた政府反対党の人々も、大隈内閣の与党と称せられる人々も、もし一片の良心を存しているなら、今更のように時代の激変に驚いて、国民の前に自分たちの過去の積悪を愧じ入ると共に摯実な内省の人に帰らざるを得ないであろう。そして時代の腐敗に愛想をつかして常に傍観者の態度を取っていた清節孤痩の憂世家たちも、今は白眼にして冷嘲を事とするようなことなく、正面から真剣に時代の改革者として起たないではいられないであろう。 私はこんな事を想像して議会の解散にいいようもない痛快を感じたのであった。そして私はこの度の解散をあらゆる手段と努力とを集めて意義あるものにせねばならぬと思った。
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今は総選挙の日が迫っている。私の注意は頻りにその方へ向く。選挙権を有する男子たちはこれを機会に果してどの程度まで民本主義の精神を発揮し、日本人の政治をかの官僚派と既成政党との少数者から取戻して、真に全日本人の生活意志を代表するに足る優良な新人才の手に託そうとするであろうか。 私は政府党と政府反対党と中立党とに論なく、すべて党人と称する人々の大多数は、廉恥も識見もない野人でなければ私欲と猾智とに富んだ政商の徒であると思っている。全日本人の生活の一表現である政治を党人と称する彼ら少数の階級の利福の具に供して暴横邪曲を恥とせぬ国民の寄生虫であると思っている。候補者としてこの際立った党人はあらゆる苦肉の計を用いて選挙人の良心と理性とを攪乱し誘惑しようと試みるであろう。明治の選挙人と大正の選挙人とは大抵同一の人である。同一の選挙人もその思想は時代の急変と共に推移したであろうし、殊に近年の政変と、世界の大戦と、この度の議会解散とが国民の政治的自覚を幾重にも刺戟したことであるから、選挙人が各自の投票権を各自の政見の象徴として厳粛に行使しようとする覚悟は明治時代に比して幾倍か堅実になったであろうと想像されるのであるが、しかしまた同一の選挙人には同一の情実に累せられる弱点が附き纏って残っていないとも限らないから、私は総選挙の結果がまたまた選挙人の不本意と国民の失望とに終りはしないかということを危むのである。
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