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私はこの物価の暴騰時代に、労働者が目前の窮乏を補足する必要から、賃銀の値上を要求することは正当過ぎる要求として勿論同感しますが、しかしこれが前述のように階級闘争の意義に遠いものである所から、この事が少しも無産階級全体の幸福とはならない事を遺憾に思います。賃銀の値上は、その要求に成功したる少数の工場労働者だけに目前の窮乏を救うだけのものです。のみならず、値上げしたる賃銀は資本家の利潤から支払われるものでなくて、資本家はきっとそれだけの増収を製品の価格を値上げすることに由って計ろうとします。例えば活版職工の賃銀の増加はてきめん印刷物の定価の引上を見ずに置きません。そうすれば、資本家と、及びその資本家と賃銀において妥協した少数の労働者とが協力して、製品の価格を不法に吊上げ、大多数の消費者たる無産階級を層一層物価の暴騰に由って苦める結果を生じます。 例えば私たちのような文筆の職業に就いている者は単独的労働者であって、工場や会社の労働者のように集団的行動を為しがたい者です。労働者は工場労働者ばかりと限らず、私たちと同じような単独無勢力の労働者の方が社会には多いのです。こういう労働者は大挙結束して資本家に迫るだけの威力を持たないのですから、工場労働者が賃銀値上の運動に成功する日にも、依然として不当に少く支払われて、それに我慢していねばならない上に、更に間接に工場労働者の賃銀値上が影響して生活の必需品に対し、一層不当に多く支払わねばならないという二重三重の苦境に立たせられます。同じ労働階級でありながら、その中に、更に特権階級と無特権階級とが併存するという事は、決して正義に合したことだといわれません。今日同盟罷工に成功しつつある工場労働者の中の聡明な人たちがもしこの事に想い到るならば、その自家の行為が同じ階級の中の大多数者の生活を一層困難に導く結果を見て、意外の感に打たれるのみならず、その行為が資本家の行為と纔かに五十歩百歩の差を以て利己的行為たるを免れないことに赤面せねばならないでしょう。
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しかし階級闘争が賃銀の値上を越えて、その本体たる利潤の争奪戦にまで向上する日が遠からず到来するにせよ、そうしてあるいはそれが露西亜の過激派のように、労働階級の勝利に帰する日があるにせよ、私はそれを決して望ましい事だとは考えないのです。それは反動の社会です。極端なる資本家階級の横暴に代えるに、極端なる労働階級の横暴を以てする社会です。私の理想はそういう衡平を失した顛倒生活の外にあります。私がどうせ一度来る階級闘争なら、それをなるべく早く穏和な方法で通過させたいと望むのはこれがためです。
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私は階級闘争を出来るだけ早く緩和する方法として、資本階級の絶滅を計ると共に、労働階級の絶滅をも併せて計る外はないと思います。両階級が対立して存在する限り、いずれかの一方が代って支配者の地位に就くことを要求し、特権を占有する者と第二次的人格者として隷属する者との嫉視争闘の断える機会は永久に来ないでしょう。 茲に到って、私は本文の初めに述べたような文化主義の理想に由って、人類生活の精神と組織とを根本的に改造する必要を切実に感じます。 文化主義の社会には、唯だ文化生活の建設に努力し、協力し、貢献する労作者ばかりがあります。資本主義もなければ営利主義もなく、従って資本家と労働者との階級が対立する見苦しい光景もありません。生活に必要な物質財は、その生産を各人の能力に応じて自由に分担すると共に、その分配もまた各人の必要に応じて公平に行れます。生産の唯一の要素は人間の労働力です。土地も、器械も、原料も、資金も、余剰価値も、悉く人間の労働力に附属したものです。資本制度が亡んで営利を目的とする労作が存在しないのですから、利潤の名を以て称すべき性質のものもなく、余剰価値が多く生ずれば、それだけ一般人類の物質的生活が豊富に保障される結果になります。 資本主義の精神と制度とが勢力を持っている今日において、このような文化生活を翹望することは空中の楼閣にも比すべき幻想として一笑に附せられるでしょう。しかし私は予言します。資本階級も労働階級も、人生の真の平和が愛と正義と平等と自由との中にあることを深省する日が来るなら、資本家はその営利的利己心と、階級的特権と、不労遊惰の悪習とを抛って、その全財産を社会の共有に委すると共に、一般の文化的労作者の間に没入し、労働者もまた資本家に盲従する奴隷心と、乃至資本家に取って代ろうとする利己的支配的欲望とを一擲して、同じく文化的労作者としての一席に就くことを、いずれも自発的に決行するに到るでしょう。資本と労働の協調問題は、こういう風に文化主義の理想を目標として考察しなければ、要するに徹底した解決を発見しがたかろうと思います。(一九二〇年一月)
(『雄弁』一九一九年九月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店 1985(昭和60)年8月16日初版発行 1994(平成6年)年6月6日10刷発行 底本の親本:「女人創造」白水社 1920(大正9)年5月初版発行 入力:Nana ohbe 校正:門田裕志 2002年5月14日作成 青空文庫ファイル: このファイルはインターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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