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街の底(まちのそこ)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-13 9:34:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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その街角には靴屋があった。家の中は壁から床まで黒靴で詰っていた。その重い扉のような黒靴の壁の中では娘がいつも その横は花屋である。花屋の娘は花よりも その横は女学校の門である。午後の三時になると彩色された処女の波が溢れ出した。その横は風呂屋である。ここではガラスの中で人魚が湯だりながら新鮮な裸体を板の上へ投げ出していた。その横は果物屋だ。息子はペタルを踏み馴らした逞しい片足で果物を蹴っていた。果物屋の横には外科医があった。そこの白い窓では腫れ上った首が 彼はこれらの店々の前を黙って通り、毎日その裏の青い丘の上へ登っていった。丘は街の三条の直線に押し包まれた円錐形の濃密な草原で、気流に従って草は柔かに曲っていた。彼はこの草の中で光に打たれ、街々の望色から希望を吸い込もうとして動かなかった。 彼は働くことが出来なかった。働くに適した思考力は彼の頭脳を痛めるのだ。それ故彼は食うことが出来なかった。彼はただ無為の貴さを日毎の此の丘の上で習わねばならなかった。ここでは街々の客観物は彼の二つの視野の中で競争した。 北方の高台には広々とした貴族の邸宅が並んでいた。そこでは最も風と光りが自由に出入を赦された。時には顕官や淑女がその邸宅の石門に与える自身の重力を考えながら自働車を駈け込ませた。時には華やかな踊子達が花束のように詰め込まれて贈られた。時には磨かれたシルクハットが、時には鳥のようなフロックが。しかし、彼は何事も考えはしなかった。 彼は南方の狭い谷底のような街を見下ろした。そこでは吐き出された炭酸 「俺は何事を考えねばならぬのか。」と彼は考えた。 彼は十銭の金が欲しいのだ。それさえあれば、彼は一日何事も考えなくて済むのである。考えなければ彼の病は癒るのだ。動けば彼の腹は空き始めた。腹が空けば一日十銭では不足である。そこで、彼は蒼ざめた顔をして保護色を求める虫のように、一日丘の青草の中へ坐っていた。日が暮れかかると彼は丘を降りて街の中へ這入って行った。時には彼は工廠の門から疲労の風のように雪崩れて来る青黒い職工達の群れに包まれて押し流された。彼らは長蛇を造って連らなって来るにも拘らず、葬列のように俯向いて静々と低い街の中を流れていった。 時々彼は空腹な彼らの一団に包まれたままこっそりと肉飯屋へ入った。そこの調理場では、皮をひき剥かれた豚と牛の頭が眠った支那人の首のように転んでいた。職工達は狭い机の前にずらりと連んで黙っていた。だが、盛り飯の廻りが遅れると彼らは箸で茶碗を叩き出した。湯気が満ちると、彼らの顔は赤くなって伸縮した。 牛の頭で腹を満たすと彼は十銭を投げ出してひとり露地裏の自分の家へ帰って来た。彼は他人の家の表の三畳を借りていた。部屋にはトゲの刺さる傾いた柱がある。壁は焼けた 彼は夜になると家を出た。 彼は漸く浮き上った心を静に愛しながら、 「そうだ。その釘を引き抜いて!」 彼はばらばらに砕けて横たわっている市街の幻想を感じると満足してまた人々の肩の中へ這入っていった。しかし、彼は人々の体臭の中で、何ぜともなく不意に悲しさに圧倒されて立ち停った。それは鈍った鉛の切断面のようにきらりと一瞬生活の悲しさが光るのだ。だが、忽ち彼はにやりと笑って歩き出した。彼は空壜の積った倉庫の間を通って帰って来るとそのまま布団の中へもぐり込んで円くなった。 彼は雑誌を三冊売れば十銭の金になることを知っていた。此の法則を知っている限り、彼は生活の恐怖を感じなかった。或る日彼はその三冊の雑誌を売って得た金を握りながら表へ出ようとした。すると、戸口へ盲目の見馴れぬ汚い老婆がひとり素足で立っていた。彼女は手にタワシを下げてしきりに彼に頭を下げながら哀願した。 「私は七十にもなりまして、連れ合いも七十で死んで了いまして、息子も一人居りましたが死んで了いました。乞食をしますと警察が赦してくれませんし、どうぞ一つ此のタワシをお買いなすって下さいませ。私は金を持っておりましたが、連れ合いの葬式が十八円もかかりましてもう一文もございません。どうぞ此のタワシをお買い下さいませ。宿料を一晩に三十八銭もとられますので、それだけ戴けないとどうすることも出来ません。どうぞ一つこれをお買いなすって下さいませ。」 彼はその十銭の金を老婆の乾いた手に握らせて外へ出て行った。彼は青い丘の草の中へ坐りに行くのである。 「生活とは、」―― 彼は何事を考えても頭が痛むのだ。彼は黙って了った。彼は晴れた通りへ立った。街は彼を中心にして展開した。その街角には靴屋があった。靴屋の娘は靴の中で黙っていた。その横は幾何学的な時計屋だ。無数の稜の時計の中で、動いている時計は三時であった。彼は女学校の前で立ち停った。華やかな処女の波が校門から彼を眼がけて溢れ出した。彼は急流に洗われた杭のように突き立って眺めていた。処女の波は彼の胸の前で二つに割れると、揺らめく花園のように 底本:「愛の挨拶・馬車・純粋小説論」講談社文芸文庫、講談社 1993(平成5)年5月10日第1刷発行 1999(平成11)年5月12日第3刷発行 入力:栗田聡史 校正:土屋隆 2004年6月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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