お婆さんの禿頭は、頭の上を掻きむしって、毛の種を蒔いてやりました。 娘の低い鼻は、鼻の穴に突っかい棒を入れて高くしてやりました。 女中の居ねむりは、着物の襟にトゲを縫いつけて、うつむくと痛いように仕かけてやりました。 下男の腰が痛いのは、腰の処に太い鉄の釘を打ち込んで丈夫にしてやりました。 こうしてみんなの病気を治してやりましたので、無茶先生のまわりに大きい、小さいお酒の樽がいくつも積まれました。 「もう病人は居ないか」 と無茶先生が云いますと、宿屋の主人は畳にあたまをすりつけて、 「ありがとう御座います。この上はこの家中のものがみんな死なないようにして下さいませ」 といいました。 「ウン、そうか。それは一番易いことだ」 と無茶先生は笑いながら云いました。 「サア。みんな、ここへ来て並べ」 と家中のものを眼の前に呼び寄せて、ズラリと並ばせました。 「サア、どうだ。みんな、死なないようにしてもらいたいか」 と尋ねますと、みんなそろって畳に頭をすりつけて、 「どうぞどうぞ死なないようにして下さいませ」 と拝みました。無茶先生は大威張りで、 「よし。そんなら何万年経ってもきっと死なないようにしてやる。その代り、おれの云うことをみんなきくか」 「ききますききます。私もどうぞヒョロ子と一所に何万年経っても死なないようにして下さい」 と、豚吉まで一所になって拝みました。 無茶先生は大笑いをしまして、 「アハハハハハ。貴様たちもそんな片輪でいながら死にたくないか。よしよし、それではみんなと一所におれの云うことをきけ。いいか。今からおれが歌うから、貴様たちはみんなそれに合わせて手をたたいて踊るのだ。その踊りが済めば、おれが一人一人に死なないように療治をしてやる」 と云いながら、無茶先生は又一つの樽に口をつけて、中のお酒をグーッと飲み干します。と今度はその次の樽をあけて、みんなに思う様飲ませました。中にはお酒の嫌いなものもありましたが、無茶先生のお医者が上手なことを知っておりますから、これを飲んだら死なないようになるに違いないと思いまして、一生懸命我慢してドッサリ飲みましたので、みんなヘベレケに酔っ払ってしまいました。そうして無茶先生に、 「早く歌を唄って下さい。踊りますから」 と催促をしました。 無茶先生は拳固で樽をポカンポカンとたたきながら、すぐに大きな声で歌い出しました。 「酒を飲め飲め歌って踊れ 人の生命は長過ぎる
生れない前死んだらあとは 何千何万何億年が ハッと云う間もない短さを 生きている間に比べると
人の生命の何十年は 長くて長くてわからぬくらい 飲めや飲め飲め歌って踊れ 人の一生は長過ぎる
生れてすぐ死ぬ虫さえあるに 人の一生はちと長過ぎる 酒を飲め飲め歌って踊れ 飲んで歌って踊り死ね
サッサ飲め飲め死ぬ迄飲めよ サッサ歌えや死ぬまで歌え サッサおどれよ死ぬまで踊れ 一度死んだら又死なぬ」 「イヤア、こいつは面白い。素敵だ素敵だ」 と、酔っ払った豚吉がまっ先にドタドタ踊り出しますと、宿屋の主人もお神さんも、番頭や女中や子供までも、酔っ払ってはねまわります。しまいにはヒョロ子まで立ち上って、無茶先生のまわりをぐるぐるまわりながらヒョロリヒョロリと踊ってゆきます。大変な騒ぎです。 しかも一まわり歌が済む度毎に、無茶先生はお茶碗で一ぱい宛みんなにお酒を飲ませますので、酔っ払った人たちはなおのこと酔っ払って踊ります。そのうちにみんな疲れてヘトヘトになって、あっちへバタリ、こっちへバタリたおれて、とうとうみんな動けなくなってしまいまして、みんな虫の息で、 「もう、とてもお酒は飲めませぬ」 「踊りも踊れませぬ」 「早く死なないようにして下さい」 と頼みました。 その様子を見ると、無茶先生は歌をやめて、腹をかかえて笑い出しました。 「アハハハハ……面白かった。とうとうみんなおれに欺されて、動くことが出来なくなったな。それでは一つ死なないようにしてやろうか」 と云いながら、鞄の中から鉄槌を一つ取り出しました。 それを見ると豚吉は驚いて尋ねました。 「その鉄槌で何をなさるのですか」 「これでみんなの頭をたたき割って殺して終うのだ。いいか。一度死んでしまえば、今度はお前たちの望みどおりいつまでも死なないのだぞ。サア、覚悟しろ」 と云うや否や鉄槌をふり上げて睨みつけますと、酔っ払って動けなくなっていた宿屋の主人もお神さんも、番頭も女中も子供も一時に飛び起きて、 「ワア。人殺し」 と叫ぶと、吾れ勝ちに梯子段のところへ来て、あとからあとから転がり落ちて逃げてゆきました。只あとには、豚吉とヒョロ子だけが残っております。 無茶先生は豚吉のそばへ寄りまして、 「ウム、感心感心。貴様はこの鉄槌でなぐられたいのか」 と云いますと、今まで真赤に酔っていた豚吉は、真青になってふるえながら拝みました。 「オ、オ、お助けお助け。ワ、ワ、私は、コ、コ、腰が抜けて、ウ、ウ、ウ、ウ、ウ、動かれないのです」 と涙をポロポロこぼしました。 「ワハハハハハ。いつも意久地の無い奴だ。じゃあヒョロ子、お前はどうしたんだ。やっぱり腰が抜けたのか」 とゆすぶって見ましたが、もうグーグーとねむってしまって返事もしません。 「アハハハハ。そんなに沢山飲みもせぬのにヒドク酔っ払ったな。よしよし。そのまんま寝ていろ。コレ、豚吉、心配するな。今云ったのはおどかしだ。お前たちを殺そうなぞと俺が思うものか。出来ないことを頼むから、ちょっと胡魔化して踊らせてやったのだ」 「エッ。それじゃ今のは冗談ですか」 「そうだとも」 「ああ、安心した。それじゃもっとお酒を飲みます」 「サア飲め、沢山ある。おれも飲もう」 と、二人で樽を抱えてグーグー飲んでいるうちに、いつの間にか酔い倒れてしまいました。 やがて夜が更けて、家中が静かになって鼾の声ばかりきこえるようになりますと、表の方へゾロゾロゾロゾロと沢山の靴の音がきこえて来ましたが、その時ふッと眼をさました無茶先生が、何事かと思って雨戸のすき間からのぞいて見ますと、それは隣の町から無茶先生たちを捕えに来た兵隊の靴の音で、見る見るうちに三人の泊っている宿屋は兵隊に取り巻かれてしまいました。しかもその兵隊達はみんな、無茶先生の香水を嗅がせられて嚔の出ないように、鼻の上から白い布片をかぶせて用心をしています。 それを見ると無茶先生は可笑しいのを我慢しながら、 「よしよし。きのうおれに香水を嗅がされて死にそうになったので、魔法使いだと思って捕えに来たのだな。しかも鼻ばかり用心して来るなんて馬鹿な奴だ。そんならも一度驚かしてやる」 と独言を云って、鞄の中から小さな瓶を取り出して、中に這入っていた粉薬を傍にあった火鉢の灰の中へあけて、スッカリ掻きまわしてしまいました。 それから今度は下へ降りて、宿屋の台所へ行って塩を沢山と、物置へ行って六尺棒を一本と、大きな鋸を一梃と、縄の束を一把と取って、又二階へ帰りますと、何も知らずに寝ているヒョロ子と豚吉にシビレ薬を嗅がせ初めました。 宿屋を取り巻いた兵隊達は、鼠一匹逃がすまいと鉄砲を構えて待っております。 その中の大将は、出来るだけそっと表の戸をコジあけさせて、兵隊を四五人連れて宿屋の中に這入って、主人の寝ている枕元に来ますと、靴の先でコツコツと蹴って起しました。 お酒に酔っていい心持ちで寝ていた宿屋の主人は、何事かと思って眼をさましますと、自分の枕元に怖い顔をした大将と、鉄砲を持った兵隊が四五人立っていますので、夢ではないかと眼をこすって起き上りました。 その時大将は腰のサーベルを見せながら、 「大きな声を出すと斬ってしまうぞ。只おれが尋ねることだけ返事しろ。貴様の処には髪毛や髭を蓬々と生やした真裸の怖い顔の男と、背の高い女と低い男の三人が昨夜から泊まっているだろう」 「ヘヘイ」 と、宿屋の主人は寝床の上に手を突いて、ふるえながら返事をしました。 「その三人をおれたちは捕えに来たのだ。さあ、そいつどもの居る室に案内をしろ」 「カ、カシコマリマシタ」 と、宿屋の主人はガタガタふるえながら立ち上って、階段を先に立って上りました。 大将はサーベルをギラリと抜いて兵隊に眼くばせをしますと、兵隊も鉄砲に剣をつけてあとから上って行きました。 そうして三人の寝ている室の前まで来ますと、主人も大将も兵隊達もめいめいに室の裏と表にわかれて、戸や障子のすき間から中の様子をのぞきましたが、みんなハッと肝を潰しました。 無茶先生は、睡っているヒョロ子と豚吉を二人共丸裸体にして、手は手、足は足、首は首、胴は胴に鋸でゴシゴシ引き切って、塩をふりかけて、傍にある空樽の中へ漬物のように押しこんでいます。そうして、一つの樽が一パイになると、又次の樽に詰めて、六つの樽を一パイにしますと、それぞれに蓋をして縄で縛り上げて、二つにわけて六尺棒の両端に括り付けました。 それから鞄から眼鏡を取り出してかけると、その鞄も一所に棒にくくり付けてしまって、火鉢の傍にドッカリと座りながら、 「サア来い。エヘンエヘン」 と咳払いをしました。 大将はこの様子を見るといよいよ驚き怖れましたが、思い切って大きな声で、 「サア、皆。魔法使いを捕えろッ」 と怒鳴りますと、四五人の兵隊は一時に室の裏表からドカドカと飛び込みましたが、無茶先生は驚きません。大きな声で笑いました。 「アハハハ。何だ、貴様たちは」 「兵隊だ」 「何しに来た」 「貴様たち三人を捕まえに来た」 「お前たちの鼻の頭にかぶせた布片は何だ」 「これは昨日のように貴様に香水を嗅がせられない要心だ」 「アハハハハ。いつおれが貴様たちに香水を嗅がせた」 「この野郎。隠そうと思ったって知っているぞ。貴様は無茶先生だろう」 「馬鹿を云え。おれは塩漬け売りだ。この通り荷物を作って、夜が明けたらすぐに売りに出かけようとするところだ。第一、貴様たち三人を捕えに来たと云うが、この室中にはおれ一人しか居ないじゃないか。ほかに居るなら探して見ろ」 と睨み付けました。その時 「嘘だッ」 と雷のように怒鳴りながら大将が飛び込んで来ました。 飛び込んで来た大将は刀をふり上げながら、無茶先生をグッと睨み付けました。 「この嘘吐きの魔法使いめ。貴様が今しがた人間を塩漬けにしていたのを、おれはちゃんと見ていたぞ。そうして、一人しか居ないなぞと胡魔化そうとしたって駄目だぞ」 「アハハハハ。見ていたか」 と無茶先生は笑いました。 「見ていたのなら仕方がない。いかにもおれは自分が助かりたいばっかりに、二人の仲間を殺して塩漬けにしてしまった。サア、捕えるなら捕えて見ろ」 「何をッ……ソレッ」 と大将が眼くばせをしますと、大将と兵隊は一時に無茶先生を眼がけて斬りかかりましたが、彼の時遅くこの時早く無茶先生が投げた火鉢の灰が眼に這入りますと、大将も兵隊も忽ち眼が見えなくなって、一時に鉢合せをしてしまいました。 「これは大変」 と逃げようとしましても逃げ道がわかりません。壁や襖にぶつかったり、樽に躓いたりして、転んでは起き、起きては転ぶばかりです。 「ヤアヤア。大変だ大変だ。又魔法使いの魔法にかかった。みんな来て助けてくれ助けてくれ」 と大将が叫びますと、無茶先生も一所になって、 「助けてくれ助けてくれ。みんな来いみんな来い」 と叫びます。 これを外できいた兵隊たちは、 「ソレッ」 と云うので吾れ勝ちに家の中へ駈け込んで、ドンドン二階へ上って来ましたが、みんな無茶先生から灰をふりかけられて盲になってしまいます。そうして、とうとう家中は盲の兵隊で一パイになってしまいました。 「サア、どうだ。みんな眼が見えるようになりたいなら、静かにおれの云うことをきけ」 と、その時に無茶先生が怒鳴りますと、今まで慌て騒いでいた兵隊たちはみんな一時にピタリと静まりました。 「いいか、みんなきけ。今から一番鶏が鳴くまでじっと眼をつぶっていろ。そうすれば眼が見えるようになる。おれはこれから二人の塩漬けの人間を生き上らせに行くんだ。邪魔をするとおれの屁の音をきかせるぞ。おれの屁の音をきくと、耳がつぶれて一生治らないのだぞ。ヤ、ドッコイショ」 と云ううちに、二人の塩漬けの樽と鞄を結びつけた棒を担ぎ上げて、まだお酒の残っている樽を右手に持ちながら梯子段を降り初めました。 「ヤアヤア。こいつは途方もなく重たいぞ。ああ、苦しい。屁が出そうだ屁が出そうだ。オットドッコイ。あぶないあぶない。屁の用心。屁の用心」 と云いながら、大威張りで降りて表へ出て行きましたが、兵隊たちはみんな耳へ指を詰めて眼をとじて、一生懸命小さくなっていましたので、誰も捕まえようとするものがありません。 そのうちに無茶先生は表へ出ますと、大きな声で、 「アア。やっとこれで安心した。ドレ、ここで一発放そうか」 と云ううちに、大きなオナラを一つブーッとやりました。 無茶先生のオナラをきいた兵隊たちは、 「大変だっ」 と耳を詰めましたが、あとは何の音もきこえません。 さてはほんとに耳が潰れたかと思っていますと、そのうちに、 「コケッコーコーオ」 と一番鶏の声がきこえました。 「オヤオヤ。一番鶏の声がきこえるくらいなら耳は潰れていないのだな。そんならあの屁は只の屁で、きいても耳は潰れないのだな。サテはおれたちは欺されたな」 と、一人の兵隊が眼を開いて見ますと、室の中にともっているあかりがよく見えます。 「ヤッ、眼があいた眼があいた。オイ、みんな眼をあけろ眼をあけろ。何でも見えるぞ……きこえるぞ」 と怒鳴りましたので、兵隊達は一時に起き上りました。そこへ大将も起きて来て、 「サア、魔法使いのあとを追っかけろ」 といいましたので、兵隊たちは勢い付いて八方に駈け出して無茶先生を探しましたが、まだあたりがまっ暗で、どこへ行ったかわかりませんでした。 無茶先生は、その時町を出てだいぶあるいていましたが、右手に持ったお酒の樽へ口をつけてグーグー飲みながら、 「ウーイ。美味い美味い。酔った酔った。エー、豚の塩漬けは入りませんか。ヒョロの塩漬けは入りませんかア。アッハッハッハッ。面白い面白い。エー、豚とヒョロの塩漬けやアーイ」 と怒鳴りながら、あっちへよろよろ、こっちへよろよろとしてゆきます。 「アー、誰も買いませんか。豚とヒョロの塩漬けだ。安い安い。百斤が一銭だ一銭だ。アッハッハッハッ。面白い面白い。樽の中で手は手、足は足に別々になって寝ているんだ。眼がさめたら困るだろう。アハハハハ。誰か買わないか、豚とヒョロの無茶苦茶漬けやアイ」 とあるいているうちにだんだんと夜があけますと、いつの間にか道が間違って大変な山奥に来ています。 「イヤア、こいつは驚いた。酔っているものだから飛んでもないところへ来てしまった。これじゃ、いくら怒鳴ったって誰も買い手が無い筈だ。ああ、馬鹿馬鹿しい。ああ、くたぶれた。第一こんなに重くちゃ、これから担いでゆくのが大変だ。一つ生き上らして、自分で歩かしてやろう」 といいながら、無茶先生は二人を塩漬けにした樽を担いで、谷川の処へ降りて来ました。 無茶先生は山奥の谷川の処まで来ますと、お酒の樽の蓋をあけて、中から豚吉とヒョロ子の手や足や首や胴を取り出して、谷川の奇麗な水でよく洗いました。 それから鞄をあけて一つの膏薬の瓶を出して、切り口へ塗って、豚吉は豚吉、ヒョロ子はヒョロ子と、間違えないようにくっつけ合わせて、そこいらにあった藤蔓で縛ってしばらく寝かしておきますと、やがて二人ともグーグーといびきをかき初めました。 その時に無茶先生は、谷川のふちに生えていた細い草の葉を取って、二人の鼻の穴へソッと突込みますと、二人共一時に、 「ハックションハックション」 と嚔をしながら眼をさまして、起き上りました。 「ヤア。お早う」 と無茶先生が声をかけますと、二人とも眼をこすりながら、 「お早う御座いますお早う御座います」 とお辞儀をしましたが、又それと一所に二人とも飛び上って、 「アア、大変だ。咽喉がかわく咽喉がかわく。ああ、たまらない。腹の中じゅう塩だらけになったようだ」 「私も口の中が焼けるようよ。ああ、たまらない」 といううちに、二人とも谷川の処へ駈け寄って、ガブガブガブガブと水を飲み初めました。 「アハハハハハ」 と無茶先生は笑いました。 「咽喉がかわく筈だ。お前たちは塩漬けになっていたんだから」 「エッ。塩漬けに……」 と二人共ビックリして、水を飲むのを止めてふり向きました。 「ああ。おれはお前たちをこの樽に塩漬けにして、おれはやっとここまで逃げて来たんだ」 と、無茶先生が今までのことを話しますと、二人は夢のさめたように驚きました。そうして、いよいよ無茶先生のエライことがわかりまして、その足もとにひれ伏してお礼を云いました。 しかし、やがてヒョロ子は自分の身体のまわりを見まわしますと、泣きそうな顔になりました。 「けれども先生、私たちはこんなに裸体になりましたがどうしましょう。このまま道は歩かれませぬが、どことかに着物はありませぬでしょうか」 「まあ、待て待て」 と無茶先生はニコニコ笑いました。 「そんなに心配するな。ここは山奥だから誰も見はしない。だから恥ずかしいこともないのだ。お前たちの身体がどんなに長くても短くても笑うものは無いのだ。それよりもおれについて来い。これから長い長い旅をするのだ。そうするとおしまいにいい処へ連れて行ってやるから」 と云ううちに先に立って歩き出しました。 豚吉とヒョロ子は無茶先生のあとからついてゆきますと、無茶先生は包みを一つ抱えたまま先に立って、二人をだんだん山奥へ連れてゆきました。そのうちにお腹が空きますと、ちょうど秋の事で、方々に栗だの柿だの椎だの榧だのいろんな木の実が生っております。それを千切ってたべては行くのでしたが、都合のいい事はヒョロ子が当り前の人の二倍も背が高いので、いつも三人が食べ切れない程木の実を千切ることが出来ました。 そのうちになおなお山奥になりますと、鳥や獣が人間を見たことがないので珍らしそうに近寄って来ます。そうしてしまいには、友達のように身体をすりつけたり、頭にとまったりするようになりました。そんなのにヒョロ子は千切った木の実を遣りながら、 「まあ、先生。ここいらには猪や鹿がこんなに沢山居るのですね」 と云いましたので、無茶先生も豚吉も大笑いをしました。 こんな風にして何日も何日も旅を続けてゆくうちに、或る日ヒョロ子はシクシク泣き初めましたので、無茶先生がどうしたのかとききますと、ヒョロ子は涙を拭いながら、 「お父さんやお母さんに会いたくなりましたのです」 と申しました。それをきくと豚吉も一所に泣き出しました。 「私も早くうちへ帰りとう御座います。たった三人切りでこんな山の中をあるくのは淋しくて淋しくてたまりません」 「馬鹿な」 と、無茶先生は急に怖い顔になって二人を睨みつけました。 「何をつまらんことを云うのだ。お前たちは自分の姿を人が見て笑うのがつらいから村を逃げ出して来たのじゃないか。こうして山の中ばかりあるいていれば誰も笑う者が無いから、おれはお前たちをここへ連れて来たのだ。こうして一生山の中ばかりあるいていれば、これ位のん気なしあわせなことははいではないか」 「エッ……先生、それでは私たちは一生こうして山の中ばかり歩いていなければならないのですか」 と豚吉は叫びました。 「ああ。何という情ないことでしょう。私はもう笑われても構いませぬ。何故逃げ出したと叱られても構いませぬ。早くうちへ帰ってお父様やお母様にお眼にかかりとう御座います。どうぞどうぞ先生、私たちへうちへ帰る道を教えて下さいませ」 と、二人共地びたに坐わって、泣きながら無茶先生を拝みました。 そうすると無茶先生も立ち停まって、ジッと二人を見ていましたが、又怖い顔をして、 「それは本当か」 と尋ねました。 「本当で御座います本当で御座います。もうどんなことがあっても、両親や友達を欺して村を逃げ出したりなんぞしません」 「きっときっと親孝行を致します」 と、豚吉もヒョロ子も、涙をしゃくりながら無茶先生にあやまりました。 無茶先生はその時初めてニッコリしました。 「それをきいて安心した。おれは、お前たちが両親や友達にかくれて逃げて来たものだとわかったから、罰を当てたのだ。お前たちの身体をどんなに立派に作りかえても、心が立派にならなければ何もならないと思ったから、わざと両親が恋しくなるようにこんな山の中をいつまでも引っぱりまわしたのだ。けれどもお前たちがそんな心になれば、いつでもお前達の身体を立派な姿にしてやる。ちょうどいい。もう山奥は通り過ぎて人間の居る村に近付いている。あれ、あの音をきいて御覧」 と向うの方を指しました。 無茶先生が指した方を向いて豚吉とヒョロ子が耳を澄ましますと、一里か二里か、ズッと向うの方から、 「テンカンテンカンテンカンテンカン」 と鍛冶屋の音がきこえます。 「アッ、鍛冶屋の音が!」 「人間が居る」 と、二人は飛び上って喜びました。そうして無茶先生と一所に大急ぎでそちらへ近づきましたが、やがてとある崖の上へ出ますと、向うは一面の田圃で、すぐ眼の下には川が青々と流れて、その流れに沿うた道ばたの一軒の家から、最前の鉄槌の音が引っきりなしにきこえて来ます。 「ヤア。ちょうどいい処にあの鍛冶屋はあるな。よしよし、あの家を借りてお前たちを立派な姿に作りかえてやろう。ちょっと待て。あの家の様子を見て来るから」 といううちに無茶先生はグルリと崖のふちをまわって、その家の門の口へ来ました。 見るとこの家の主人は五十ばかりのお爺さんですが、独身者と見えてお神さんも子供も居ず、たった一人で一生懸命鉄槌で鉄敷をたたいて、テンカンテンカンと蹄鉄を作っています。それを見ると無茶先生は大きな口を開いて、 「アハハハハハ。テンカンテンカン」 と笑いました。 鍛冶屋のお爺さんは不意に門口から笑うものが居るので吃驚して顔をあげて見ますと、髪毛と髭を蓬々とさした真裸体の男が鞄を一つ下げて立っておりますので、大層腹を立てまして怒鳴り付けました。 「何だ、貴様は」 「おれは山男だ」 「山男が何だって鞄を持っているのだ」 「この中にはおれが山の草で作った薬が一パイに詰まっているのだ。どんな病気に利く薬でもあるのだ」 これをきくと鍛冶屋の爺さんは急にニコニコしまして、 「それあ有り難い。それじゃテンカンに利く薬もあるだろうな」 とききました。 無茶先生はトボケた顔をして、 「テンカンとはどんな病気だ。鉄槌で物をたたく病気か」 と尋ねますと、爺さんは頭を掻きながら、 「そうじゃない。不意に眼がまわって、引っくりかえって泡を吹く病気だ。わたしはその病気があるためにお神さんも貰えずに、たった一人で鍛冶屋をしているのだ」 と云ううちに泣きそうな顔になりました。 「ウン、その病気か。それならたった一度で利く薬がある。けれども只では遣れないぞ」 「エエ。それはもう私に出来ることでお前さんの望むことなら、何でも御礼にして上げる」 「それじゃ、まずこの仕事場を日の暮れるまで貸してくれ。それから町へお使いに行ってもらいたい」 「それはお易い御用です。今からでもよろしゅう御座います」 「よし、それではこの薬を飲め」 と、鞄の中から何やら抓んで、鍛冶屋の爺さんの掌に乗せてやりました。 「ヘイヘイ。これは有り難う御座います」 とピョコピョコお辞儀をしながらよくよく見ましたが、不思議なことに何べん眼をこすってもそのお薬が見えません。 「これは不思議だ。私の眼がわるくなったのか知らん」 とお爺さんは独言を云いました。 「見えるものか」 と無茶先生は笑いました。 「それは人間の眼には見えないほど小さな丸薬だ。それを飲めばどんなテンカンでもすぐになおる。嘘だと思うなら嘗めて見ろ」 お爺さんはすぐに舌を出して、自分の掌をペロリと嘗めて舌なめずりをしましたが、 「フーン。これは不思議だ。大層いいにおいがしますな。何だか腹の中まで涼しくなるような……」 と眼をキョロキョロさせました。 「それで貴様のテンカンは治ったのだ。そのお礼に貴様は今から町へお使いに行って来い。それはおれども三人の着物を買いにゆくのだ。おれはちょうど貴様と同じ位の身体だからお前の身体に合う上等の着物と、それから五尺五寸の女の着物と、五尺八寸の男の着物と買って来い。お金はここにある」 と、鞄の中から金貨を一掴み出してやりました。 お爺さんはその金を受け取らずに手を振って申しました。 「いけませんいけません。私の病気はビックリテンカンというので、何でもビックリすると眼がまわって引っくり返るのです。ですから、こんな淋しいところの一軒家に居るのです。とても賑やかな、ビックリすることばかりある町へはゆかれませんから、こればかりは勘弁して下さい」 と申しました。 「この馬鹿野郎」 と無茶先生は怒鳴りつけました。 「その病気はもう治ったのじゃないか。嘘かほんとか試しに行って見ろ。もし町へ出て眼がまわるようだったら、着物を買わずに帰って来い。その金はおれの薬の利かない罰に貴様に遣るから」 「えっ、こんなに沢山のお金を?」 「そうだ。その代り、何ともなかったら、着物を買って来ないと承知しないぞ」 「それはもうきっと買って来ます。それじゃためしに行って来ましょう」 と、お爺さんは大急ぎで支度をして出て行きました。 お爺さんがもう大分行ったと思うと、無茶先生はその家の表へ出て崖の上を見ながら、 「オーイ。降りて来――イ」 と呼びました。 「ハーイ」 と豚吉とヒョロ子が返事をしますと、やがて二人とも降りて来ましたが、久し振り人間の住む家を見ましたので、二人ともキョロキョロしておりました。 一方に、お使いに出たお爺さんは、二三町行った時うしろの方から誰か大きな声で呼ぶ声がしましたので、立ち止まって見ておりますと、やがて家のうしろの崖の上から恐ろしく背の高い女と背の低い男が、しかも丸裸で降りて来て自分の家に這入りましたので、お爺さんの胸は急にドキドキし初めました。そうして、これは何でも不思議なことが初まるに違いないと思いまして、ソッと引返して裏の方へまわって、そこにあった梯子を伝って屋根裏から天井へ這入って、家の中の様子をのぞきました。 鍛冶屋の爺さんが天井の節穴から覗いているとは知らずに、無茶先生は久し振り人間の住む家に這入ってキョロキョロしている豚吉とヒョロ子のうしろから鍛冶屋の鉄槌で頭を一つ宛なぐり付けますと、豚吉とヒョロ子はグーとも云わずに土の上にたおれてしまいました。 鍛冶屋の爺さんは驚きました。 「ヤア。これは大変だ。あの山男は人殺しだ」 と思わず声を立てるところでしたが、やっと我慢をしました。 「それにしてもあの殺された人間は何という不思議な姿であろう。男の方は横の丸さが当り前の人間の倍もあるのに、背丈けは半分しかない。又、女の方はヒョロヒョロ長くて、まるで竹棹のようだ。何という不思議なことであろう。あの山男はあの二人を殺して喰うのか知らん」 と、一生懸命息を詰めて見ておりました。 無茶先生はそれから鍛冶屋にありたけの鉄を集めて真赤に焼いて、たたき固めて、一つの大きなヤットコと鉄の箱を作りました。 それから鍛冶屋にありたけの炭を集めて、ドンドン炉の中にブチ込んで、一生懸命で火を吹き起しますと、その火の光りで家中が真赤になりました。 「オヤオヤ。家が焼けなければいいが」 と心配しいしい見ておりますと、無茶先生は鉄の箱をその上にかけて、水を一パイ汲んで、豚吉とヒョロ子をその中に投げ入れて、あとから真っ黒な薬を一掴み入れて煮初めました。 「サテ、煮て喰うのかな」 と思いながらお爺さんが見ておりますと、豚吉とヒョロ子は中の湯が煮立つにつれて真黒になって、まるで鉄のようになってしまいました。 それを大きなヤットコで挟み出して、鉄の箱の中の水を汲み出して外へ棄てて、鉄の箱も外へ出しますと、又も炭をドシドシ炉の中に入れて前よりも一層非道く燃やしましたが、やがてその炭の火が眼も眩む程まっ赤におこると、無茶先生はさっきこしらえた大きなヤットコを取り出し、先ず豚吉を挟んで火の中へ、 「ドッコイショ」 と突込みました。 「ヤア大変だ。この山男は人間を焼いて喰う化け物だ。人間の丸焼きだ丸焼だ」 と、鍛冶屋のお爺さんはふるえ上って見ておりました。 ところが豚吉は焼けも焦げもしません。だんだん赤くなって、しまいには当り前の鉄と同じように美しい火花がパチパチと飛び出す位柔らかに焼けて来ました。 それを無茶先生はヤットコで引き出して、大きな鉄敷の上に乗せて、片手に大きな鉄槌をふり上げて、 「スッテンスッテンスッテン」 とたたきましたので、豚吉の身体はだんだん長く延びて来て、当り前の長さになりました。 それから又火に突込んで、焼いて柔らかくしては、又引き出してたたきます。そのうちに豚吉の眼も鼻も口も、身体や手足の恰好も、すっかり無茶先生の鉄槌でたたき直されて、ホントに立派な、絵のような美しい人間の姿になりました。 「イヤア。これは不思議だ。あの山男は魔法使いだ。けれども、あんなに鉄のようになった人間をあの山男はどうするのだろう。もとの通りに生かすことが出来るのか知らん」 と鍛冶屋の爺さんは独言を云いました。 無茶先生は豚吉の身体をたたき直しますと、そのまんま火の中へ入れて、今度はヒョロ子を引きずり出して、鉄敷の上に乗せて、二つにタタき屈げましたので、ちょうど当り前の人間の長さになりました。それを焼いてはたたき、たたいては焼いて、頭も尻も無い一つの大きな鉄の玉にしましたので、天井裏からのぞいていた鍛冶屋の爺さんは又肝を潰しました。 「ヤアヤア。あんな丸いものになった。人間の鉄の玉が出来上った。あの山男はあんなまん丸いものをもとの通りに生かすつもりか知らん」 と、なおも眼をこすって見ていますと、無茶先生は又も鉄槌を振り上げてその鉄の玉をたたいているうちに、丸い鉄のまん中から頭をたたき出しました。その次には、その頭の左右から両手をたたき出しました。そうしてその下に胴を作り、足を作ってしまいますと、今度は髪毛をたたき出し、眼鼻を刻みつけ、耳から手足の指から爪まで作りつけて、まるで女神のように美しい女としてしまいました。そうしてそれが済むと、豚吉と一所に並べて火の中に突込んで、その上から残った炭を山のように積み上げて、ブウブウを動かし初めました。 初め赤く焼けていた豚吉とヒョロ子は、だんだん白い光りを放つように焼けて、身体中から火花が眼も眩むほど飛び散り初めました。その時に無茶先生は両手でヤットコを握って、初めに豚吉を、その次にヒョロ子を引きずり出して、前を流れている川の中へドブンドブンと投げ込みました。 鍛冶屋のお爺さんはこれを見ると、慌てて天井を出て、裏の物置の屋根から裏庭へ飛び降りて、大急ぎで川のふちへ来ました。 見ると、豚吉とヒョロ子が沈んだ川の水の底からはグルングルングルグルグルと噴水のように湯気や泡が湧き出して、水の上に吹き上っておりましたが、やがてだんだんとその泡が小さくなって消えてしまいまして、青い水の上にポッカリと白い豚吉の身体が浮き上りました。見ると、それは当り前の人間とちっともかわりがないどころでなく、昔の豚吉とはまるで違った立派な姿になっているのでした。 「これは不思議」 と鍛冶屋のお爺さんが思う間もなく、今度はヒョロ子の身体が青い水の上に浮上りましたが、これも今までとはまるで違った美しい別嬪さんになっております。 「不思議不思議」 と、鍛冶屋の爺さんは手をたたいて申しました。 これをきいた無茶先生がヒョイとその方を見ますと、鍛冶屋の爺さんが立っていますので、無茶先生はビックリしまして、 「ヤア。貴様はもうお使いに行って来たのか。何という早い足だ。もしや今おれがしていたことを見はしまいな」 鍛冶屋の爺さんは見る見る真青になってふるえ上りまして、そこへ座ってしまいました。 「どうぞお許し下さいまし。魔法使いの山男様。私はすっかり見ていました。ああ恐ろしや、肝潰しや。又テンカンが起りそうだ。どうぞ生命ばかりはお助けお助け」 と手を合せて拝みながら、頭を往来の土の上にすりつけました。 無茶先生はこれをきくと、大きな眼玉を剥いて鍛冶屋の爺さんを睨みつけましたが、 「よしよし、見たら仕方がない。その代り今見たことを一口でも人に話すと、それだけビックリしても起らなくなったテンカンがまた起るようになるぞ。決して人に話すことはならぬぞ」 と叱りつけますと、お爺さんは大喜びです。 「エエ、エエ。それはもう決して人に話しません。どうぞお助けお助け」 と、また拝みました。 「よしよし。助けてやるから、あの二人の身体を水から上げろ。それから貴様の家へ連れ込んで、すっかり拭き上げて、貴様の布団を着せて寝かせ」 「ヘイヘイ。かしこまりました」 お爺さんは大勢いで二人を水から引き上げて、無茶先生の云いつけ通り家の中に担ぎ込んで、二人を寝かしました。 「コレコレ。それでは貴様は今から町へ行って、さっき頼んだ買物をして来い。それから腹が減ったから、喰い物とお酒を買って来い」 「ヘイヘイ。そして、その召し上りものはどんなものがよろしゅう御座りましょうか」 「それは葱を百本、玉葱を百個、大根を百本、薩摩芋を百斤、それから豚と牛とを十匹、七面鳥と鶏を十羽ずつ買って来い」 「えっ。それをあなたが一人で召し上るのですか」 「馬鹿野郎、そんなに一人で喰えるものか。葱は白いヒゲだけ、玉葱は皮だけ、大根は首だけ、薩摩芋は頭と尻だけ、豚は尻尾だけ、牛は舌だけ、七面鳥は足だけ、鶏は鳥冠だけ喰うのだ。それからお酒は一斗買って来い。ホラ、お金を遣る」 「ヘイヘイ」
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