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瓶詰地獄(びんづめじごく)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-10 10:12:25 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


       *

 その時に私が、どんな顔をしたか、私は知りませぬ。ただ死ぬ程息苦しくなって、張り裂けるほど胸が轟いて、唖のように何の返事もし得ないまま立ち上りますと、ソロソロとアヤ子から離れて行きました。そうしてあの神様の※(「登/几」、第4水準2-3-19)あしだいの上に来て、頭を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしり掻き※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)りひれ伏しました。
「ああ。天にまします神様よ。
 アヤ子は何も知りませぬ。ですから、あんな事を私に云ったのです。どうぞ、あの処女むすめを罰しないで下さい。そうして、いつまでもいつまでも清浄きよらかにお守り下さいませ。そうして私も…………。
 ああ。けれども…………けれども…………。
 ああ神様よ。私はどうしたら、いいのでしょう。どうしたらこの患難なやみから救われるのでしょう。私が生きておりますのはアヤ子のためにこの上もない罪悪つみです。けれども私が死にましたならば、尚更なおさら深い、悲しみと、苦しみをアヤ子に与えることになります、ああ、どうしたらいいでしょう私は…………。
 おお神様よ…………。
 私の髪毛かみのけは砂にまみれ、私の腹は岩に押しつけられております。もし私の死にたいお願いが聖意みこころにかないましたならば、只今すぐに私の生命いのちを、燃ゆる閃電いなずまにおわたし下さいませ。
 ああ。隠微かくれたるに鑒給みたまう神様よ。どうぞどうぞ聖名みなあがめさせ給え。み休徴しるしを地上にあらわし給え…………」
 けれども神様は、何のお示しも、なさいませんでした。藍色の空には、白く光る雲が、糸のように流れているばかり…………崖の下には、真青まっさおく、真白く渦捲うずまきどよめく波の間を、遊び戯れているフカの尻尾しっぽやヒレが、時々ヒラヒラと見えているだけです。
 その青澄あおずんだ、底無しの深淵ふちを、いつまでもいつまでも見つめているうちに、私の目は、いつとなくグルグルと、眩暈くるめき初めました。思わずヨロヨロとよろめいて、漂い砕くる波の泡の中に落ち込みそうになりましたが、やっとの思いで崖の端に踏み止まりました。…………と思う間もなく私は崖の上の一番高い処まで一跳びに引き返しました。その絶頂に立っておりました棒切れと、その尖端さきに結びつけてあるヤシの枯れ葉を、一思ひとおもいに引きたおして、眼の下はるかの淵に投げ込んでしまいました。
「もう大丈夫だ。こうしておけば、救いの船が来ても通り過ぎて行くだろう」
 こう考えて、何かしらゲラゲラと嘲り笑いながら、残狼おおかみのように崖を馳け降りて、小舎こやの中へ馳け込みますと、詩篇の処を開いてあった聖書を取り上げて、ウミガメの卵を焼いた火の残りの上に載せ、上から枯れ草を投げかけて焔を吹き立てました。そうして声のある限り、アヤ子の名を呼びながら、砂浜の方へ馳け出して、そこいらを見まわしました…………が…………。
 見るとアヤ子は、はるかに海の中に突き出ている岬の大磐おおいわの上にひざまずいて、大空を仰ぎながらお祈りをしているようです。

       *

 私は二足三足うしろへ、よろめきました。荒浪に取り捲かれた紫色の大磐おおいわの上に、夕日を受けて血のように輝いている処女おとめの背中の神々こうごうしさ…………。
 ズンズンとうしおが高まって来て、膝の下の海藻かいそうを洗い漂わしているのも心付かずに、黄金色こがねいろ滝浪たきなみを浴びながら一心に祈っている、その姿の崇高けだかさ…………まぶしさ…………。
 私は身体からだを石のようにこわばらせながら、しばらくの間、ボンヤリと眼をみはっておりました。けれども、そのうちにフイッと、そうしているアヤ子の決心がわかりますと、私はハッとして飛び上がりました。夢中になって馳け出して、貝殻かいがらばかりの岩の上を、傷だらけになってすべりながら、岬の大磐おおいわの上に這い上りました。キチガイのようにれ狂い、さけぶアヤ子を、両腕にシッカリとかかえて、身体からだ中血だらけになって、やっとの思いで、小舎こやの処へ帰って来ました。
 けれども私たちの小舎こやは、もうそこにはありませんでした。聖書や枯れ草と一緒に、白い煙となって、青空のはるか向うに消え失せてしまっているのでした。

       *

 それからのちの私たち二人は、肉体からだ霊魂たましいも、ホントウの幽暗くらやみい出されて、夜となく、昼となく哀哭かなしみ、切歯はがみしなければならなくなりました。そうしてお互い相抱き、慰さめ、励まし、祈り、悲しみ合うことは愚か、同じ処に寝る事さえも出来ない気もちになってしまったのでした。
 それは、おおかた、私が聖書を焼いた罰なのでしょう。
 夜になると星の光りや、浪の音や、虫の声や、風の葉ずれや、木の実の落ちる音が、一ツ一ツに聖書の言葉を※(「口+耳」、第3水準1-14-94)ささやきながら、私たち二人を取り巻いて、一歩一歩と近づいて来るように思われるのでした。そうして身動き一つ出来ず、微睡まどろむことも出来ないままに、離れ離れになってもだえている私たち二人の心を、窺視うかがいに来るかのように物怖ろしいのでした。
 こうして長い長い夜が明けますと、今度は同じように長い長い昼が来ます。そうするとこの島の中に照る太陽も、唄う鸚鵡おうむも、舞う極楽鳥も、玉虫も、蛾も、ヤシも、パイナプルも、花の色も、草の芳香かおりも、海も、雲も、風も、虹も、みんなアヤ子の、まぶしい姿や、息苦しい肌のとゴッチャになって、グルグルグルグルと渦巻き輝やきながら、四方八方から私を包み殺そうとして、襲いかかって来るように思われるのです。その中から、私とおんなじ苦しみにとらわれているアヤ子の、なやましいが、神様のような悲しみと悪魔のようなホホエミとを別々にめて、いつまでもいつまでも私を、ジイッと見つめているのです。

       *

 鉛筆が無くなりかけていますから、もうあまり長く書かれません。
 私は、これだけの虐遇なやみ迫害くるしみに会いながら、なおも神様の禁責いましめを恐れている私たちのまごころを、この瓶に封じこめて、海に投げ込もうと思っているのです。
 明日あしたにも悪魔の誘惑いざないに負けるような事がありませぬうちに…………。
 せめて二人の肉体からだだけでも清浄きよらかでおりますうちに……。

       *

 ああ神様…………私たち二人は、こんな苛責くるしみに会いながら、病気一つせずに、日にし丸々と肥って、康強すこやかに、美しくそだって行くのです、この島の清らかな風と、水と、豊穣ゆたか食物かてと、美しい、楽しい、花と鳥とに護られて…………。
 ああ。何という恐ろしい責め苦でしょう。この美しい、楽しい島はもうスッカリ地獄です。
 神様、神様。あなたはなぜ私たち二人を、一思いに屠殺ころして下さらないのですか…………。

――太郎記す………

◇第三の瓶の内容

 オ父サマ。オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニ、コノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。
市川 太郎
イチカワ アヤコ





底本:「夢野久作怪奇幻想傑作選 あやかしの鼓」角川ホラー文庫、角川書店
   1998(平成10)年4月10日初版発行
初出:「猟奇」
   1928(昭和3)年10月
入力:林裕司
校正:浜野 智
1998年11月10日公開
2003年10月15日修正
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