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爆弾太平記(ばくだんたいへいき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-10 10:06:33 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 というのだ。ウン。とてもシッカリした奴なんだ。第一そういう面魂つらだましいが尋常じゃなかったよ。お乳母日傘んばひがさでハトポッポーなんていった奴とは育ちが違うんだからね……。
 ……ウンウン。そうなんだ。つまり彼等仲間の所謂「私刑ノメシ」に処せられた訳だ。その紋付袴の男が誰だったか、今だに調べてもいないが、むろん調べる迄もない。林友吉の頭脳あたまと仕事ぶりを警戒していた、釜山の有力者の一人に相違ないのだ。そいつが友吉親子の顔を見知っていたので、それとなく貰い下げて追い放した奴を、外海そとうみで待伏せていた配下の奴がったものに違いないね。……もっとも友吉おやじがその筋の手にかかったのはこの時が皮切りだったから、あるいは余計な事でも饒舌しゃべられては困る……という算段つもりだったかも知れないがね……。
 とにかく、そんな訳で舟を漕ぎ漕ぎ友太郎の話を聞いて行くうちにアラカタの事情ようすがわかると吾輩大いに考えたよ。……待て待て……この子供を育て上げて、この復讐心を利用しながら爆薬漁業の裏道を探らせたら、存外面白い成績が上がるかも知れん。かなり気の永い話だが五年や十年で絶滅する不正爆薬ではあるまいし、急がば廻われという事もある。それにはこの死骸をごく秘密裡に片付けて、忰を日蔭物ひかげものにしないようにしなければならぬ。普通の墓地に葬って墓を建ててやらねばならぬが、何とか名案は無いものか……と色々考えまわしているうちに釜山港に這入った。そこで夕暗ゆうやみに紛れて本町一丁目の魚市場の蔭に舟を寄せると、吾輩の麦稈帽むぎわらぼう眉深まぶかに冠せた友吉の屍体を、西洋手拭で頬冠りした吾輩の背中に帯でくくり付けた。片手に友太郎の手をいて、程近い渡船場ぎわの医者の家へ辿り付いたものだが、その苦心といったらなかったよ。夕方になると市が立って、朝鮮人がゾロゾロ出て来る処だからね。
 ところで又、その医者というのが吾輩の親友で、鶴髪かくはつ、童顔、白髯はくぜんという立派な風采の先生だったが、トテモ仕様のない泥酔漢のんだくれの貧乏老爺おやじなんだ。そいつが吾輩と同様独身者ひとりものの晩酌で、羽化登仙うかとうせんしかけているところへ、友吉の屍体をかつぎ込んで、何でもいいから黙って死亡診断書を書いてくれと云うと、鶴髪童顔先生フラフラの大ニコニコで念入りに診察していたが、そのうちに大声で笑い出したものだ。
「……アッハッハッハッ。折角持って来なすったが、これは死亡診断を書く訳にいかんわい。まだ脈が在るようじゃ。アッハッハッハッハッ……」
 という御託宣だ。……馬鹿馬鹿しい。何をかす……とは思ったが、忰が飛び上って喜ぶし、呑兵衛のんべえドクトルも、
「……拙者が請合って預かろう。行くか行かんか注射をしてみたい……」
 と云うから、どうでもなれと思って勝手にさしておいたら……ドウダイ。二日目の朝になったら眼を開いて口を利くようになった。
 傷口も処々乾いて来た。熱も最早もう引き加減……という報告じゃないか。呑兵衛先生、案外の名医だったんだね。おまけに忰の友太郎が又、古今無双の親孝行者で、二晩の間ツラリともしない介抱ぶりには、流石さすがのワシも泣かされた……という老医師ドクトルの涙語りだ。
 そこで吾輩もヤット安心して、組合の仕事に没頭しているうちに、忘れるともなく忘れていると、二三週間経つうちに、それまでチョイチョイ吾輩の処へ飲みに来ていた老医師ドクトルがパッタリと来なくなった。……ハテ。可笑おかしい……もしや患者の容態が変ったのじゃないか知らん。それとも呑兵衛先生御自身が、中気ちゅうきにでもかかったのじゃないか知らん……考えているうちに、急に心配になって来たから、チットばかりのかね懐中ふところに入れて、医院せんせい門口かどぐちから覗き込んでみると、開いた口が三十分ばかり塞がらなかった。
 ひげだらけの脱獄囚みたいな友吉おやじと、鶴髪童顔、長髯の神仙じみた老ドクトルが、グラグラ煮立にえたった味噌汁と虎鰒とらふぐの鉢を真中に、片肌脱ぎか何かの差向いで、熱燗あつかんのコップを交換しているじゃないか。おまけに酌をしている忰の友太郎を捕まえて、
「……野郎。この事を轟の親方に告口つげぐちしやがったらタラバがにの中へタタキ込むぞ」
 と怒鳴っているのには腰を抜かしたよ。医者が医者なら病人も病人だ。世の中にはドンナ豪傑がいるか知れたものじゃない。……むろん吾輩の方から低頭平身して仲間に入れてもらったが、その席上で友吉おやじは吾輩の前に両手を突いて涙を流した。
「……もうもうドン商売は思い切りました。これを御縁に貴方の乾児こぶんにして、小使でも何でもいい一生を飼殺しにして下さい。忰を一人前の人間に仕立てて下さい。給金なんぞは思いも寄らぬ。生命いのちでも何でも差出します」
 という誠意満面の頼みだ。
 吾輩が、そこで大呑込みに呑込んだのは云うまでもない。
 そこで今まで使っていた鮮人に暇を出して、鬚だらけの友吉おやじを追い使う事になったが、そのうちに機会を見て、吾輩の胸中を打明けてみると、友吉おやじ驚くかと思いのほか平気の平左でアザ笑ったものだ。
「……へへへ……そのお話なら私がスパイになるまでも御座いません。とりあえず私が存じておりますだけ饒舌しゃべってみましょう。それで足りなければ探っても見ましょうが……」
 と云うのでベラベラ遣り出したのを聞いているうちに吾輩ふるえ上ってしまったよ。この貧乏な瘠せおやじが、天下無双の爆薬密売買とドン漁業通の上に、所謂、千里眼、順風耳じゅんぷうじの所有者だという事をこの時がこの時まで知らなかったんだからね。
 とりあえず匕首あいくち咽喉のど元に突付けられたような気がしたのは、対州から朝鮮に亘るドン漁業の十数年来の根拠地が、吾輩の足元の釜山絶影島まきのしまだという事実だった。
「……それが虚構うそだと云わっしゃるなら、この窓の処へ来て見さっせえ。あの向うに見える絶影島のズット右手に立派な西洋館が建っておりましょう。あの御屋敷は、先生の御親友で釜山一番の乾物問屋の親方さんのお屋敷と思いますが、あの西洋館の地下室に詰まっている乾物の中味をお調べになった事がありますかね」
 と来たもんだ。
 燈台もと暗しにも何にも、吾輩はその親友と前の晩に千芳閣で痛飲したばかりのところだったから、言句ことばも出ずに赤面させられてしまった。
「……お気にさわったら御免なさいですが、林友吉は決してお座なりは申しまっせん。日本内地から爆薬ハッパを、一番安く踏み倒おして買うのが、あのお屋敷なんです。アラカタ一本七十五銭平均ぐらいにしか当りますまい。お顔と財産が利いている上に現金払いですから、安全な事はこの上なしですがね。
 ……爆弾ハッパの出先は何といっても九州の炭坑やまが第一です。一本十銭か十五銭ぐらいで坑夫に売るのですが、その本数を事務所で誤間化ごまかして一本三十銭から五十銭で売り出す……ズット以前の取引ですと手頃の柳行李やなぎこうりに一パイ詰めた奴を、どこかの横路次で、顔のわからない夕方に出会った鳥打帽子のインバネス同志が右から左に、無言だんまり現金げんナマと引き換える……だから揚げられても相手の顔は判然わからん判然らんで突張り通したものですが、今ではソンナ苦労はしません。電車や汽車の中で大ビラにかばんを交換するのです。……売る奴は大抵炭坑関係かその地方の人間で、買う奴は専門の仲買いか、各地の網元の手先です。そんな連中の鞄の持ち方は、仲間に這入っていると直ぐにわかりますからね。以心伝心で、傍に寄って来て鞄を並べておいてから、平気な顔で煙草の火を借りる。一所いっしょに食堂に行って話をきめる。途中の廊下で金を渡して、駅に着いてから相手の鞄を片手に……左様さようなら……と来るのが紋切型もんきりがたです。三等車で遣ってもおなじ事ですが、決して間違いはありません。一度でもインチキを遣った奴は、永い日の目を見たためしがありませんからね。
 ……そんな仲買連中は若松や福岡にもポツリポツリ居るには居ります。しかしそんな爆薬のホントウに集まる根城というのが、四国の土佐海岸だという事は、いかなとどろき先生でも御存じなかったでしょう。今の貴族院の議員になって御座る赤沢という華族様の生れ故郷と申上げたら、おわかりになりましょうが、昔から爆弾ドン村と云われた処で、今の赤沢様が、その総元締をして御座るのです。その又、総元締の配下になって御座る大元締というのが、やはり日本でも指折りのえらい人達ばっかりですが、その人達の手から爆弾ドン村へ集まって来た爆薬が、チッポケな帆舟ほまえに乗って宇和島をまわって、周防灘から関門海峡をノホホンで通り抜けます。昨日きのうの朝の西南風にしばえなら一先ず六連沖むつれおきへ出て、日本海にマギリ込みましょう。それから今朝けさ北東風きたこちに片尻をかけて、ちょうど今時分、釜山沖へかかる順序ですが……ホーラ御覧なさい。あの馬山ばさん通いの背後うしろから一艘、二艘……そのアトから追付いて来る足の速いのも……アノ三艘の片帆の中で、どれでもええから捕まえて、船頭と話して御覧なさい。四国なまりじゃったら舟の中に、一こりや二こり爆薬ハッパは請合います。松魚かつおの荷に作ってあるかも知れませんが、あの乾物屋さんに宛てた送り状なら税関でも大ビラでしょう。荷物をけてみたら一ぺんにわかる事です。
 ……そのほかに爆薬ハッパの出る処は、大連たいれん上海シャンハイですが、上海のは大きい代りに滅多に出ません。おまけに英国か仏蘭西製フランスできの上等品で、高価たかい上に使い勝手が違うのがきずです。大連のはやはり日本の桜印か松印ですが、これは大連から逆戻りして来る分量よりも、奥地へ這入る分量の方がヨッポド大きい。……どこへ落ち付くのか用が無いから探っても見ませんが、大連、営口えいこうから、満洲の奥地へ這入る爆薬ハッパは大変なものです。その中の一箱か二箱がタマに抜け出して朝鮮へ来るので、ドウカすると内地のものより安い事があります。これは支那の兵隊か役人が盗んで来たものだそうですが、それだけに油断も出来ません。非道ひどい奴になると玉蜀黍とうもろこしの喰い殻に油をしたした奴を、柳行李一パイ百円ぐらいで掴まされた事があるそうです。
 ……ところでイヨイヨ朝鮮内地に来ますと、ソンナ爆薬ハッパの集まる処が、この釜山の外に二三箇所あります。
 ……慶北の九龍浦きゅうりゅうほは何といっても釜山の次でしょう。もっとも釜山に来た爆薬ハッパは、あのお屋敷の地下室に這入るだけですが、九龍浦の方はチット乱暴で、人里離れた海岸の砂の中に埋めて在るのです。私が今度、こんな目に会いましたのも、多分、この案内を嗅ぎ付けた事を知って、釜山の方へズキをまわしたのでしょう。
 ……それから九龍浦の次は浦項ほこう江口こうこうで、ここは将来有力な爆薬ハッパ根拠地たまりになる見込みがあります。この三個所は釜山と違って、巡査か警部補ぐらいが駐在している処ですから、丸め込むにしても大した手数はかからんでしょう。裁判所の連中でも、みんな美味うまい事をしておりますので、その地方地方での一番の有力者が皆、爆薬ドンの元締になっているのですから世話が焼けません。……そのほか四五月頃の巨文島きょぶんとう、五、六、七月頃の巨済島きょさいとう入佐村いりさむら、九、十、十一月の釜山、方魚津ほうぎょしん甘浦かんぽ、九龍浦、浦項、元山げんざん方面へ行って御覧なさい。先生のように爆薬漁業ドンを不正漁業なんて云っている役人は一人も居りませんよ。ドン大明神様々というので、駐在巡査でも一身代ひとしんだい作っている者が居る位です。尋常に巾着きんちゃく網や、長瀬ながせ網を引いている奴は、馬鹿みたようなもんで……ヘエ……。
 ……そのほかに爆薬の出て来る処は無いか……と仰言おっしゃるのですか。ヘエ。それあ在るという噂は確かに聞いておりますが、本当か虚構うそかは私も保証出来ません。つまりそこ、ここの火薬庫の主任が、一生一代の大きなサバを読んで渡すことがあるそうで、古い話ですが大阪や、目黒の火薬庫の爆発はその帳尻を誤魔化ごまかすために遣ったものだとも云います。そのほか大勢で火薬庫を襲撃した事件も在ると申しますがドンナものでしょうか。新聞には出ていたそうですが……。
 ……そんな大物のけ口が、ドン方面ばっかりで無い事は保証出来ます。露西亜ロシアや、支那に売込んで行く様子も、この眼で見たんですからいつでも現場に御案内致しますが、しかし値段のところはちょっと見当が付きかねます。何でも長城ちょうじょうから哈爾賓ハルピンを越えると爆薬ハッパの値段が二倍になる。露西亜境の黒龍江こくりゅうこうを渡ると四倍になるんだそうですが、これは拳銃ピストルでも何でも、禁制品やかましいものはミンナ同じ事でしょう。売国行為だか何だか存じませんが、儲かる事は請合いで……エヘヘヘヘヘヘ……」
 黙って聞いていた吾輩は、この笑い声を聞くと同時に横ッ腹からゾーッとして来たよ。話の内容がアンマリ凄いのと、思い切りヒネクレた友吉親仁おやじの、平気な話ぶりに打たれたんだね。吾輩はその時にドッカリと椅子にヘタバリ込んだ。腕を組んで瞑目沈思したもんだ。気を落付けようとしたが武者振いが出て仕様がなかったもんだ。
 しかしそのうちテーブルを一つドカンとたたいて決心を据えると吾輩は、友吉親子を連れてコッソリと××を脱け出した。何よりも先に対岸の福岡県に馳け付けて旧友の佐々木知事を説伏ときふせて、出来たばっかりの警備船、袖港丸しゅうこうまるを試運転の名目で借り出した。速力十六ノットという優秀な密漁船の追跡用だったが、まだ乗組員も何もまっていなかった。こいつに油と食糧を積込んで、友吉親子に操縦法を仕込みながら西は大連、営口から南は巨済島、巨文島、北は元山、清津せいしん豆満江とまんこうから、露領沿海州に到るまで要所要所を視察してまわること半年余り……いかな太っ腹の佐々木知事も内心大いに心配していたというが、それはその筈だ。電報一本、葉書一枚行く先から出さないのだからね。大いに謝罪あやまってガチャガチャになった船を返すと、その足で釜山に引返して、友吉親子もろ共に山内閣下にお目にかかった。むろん官邸の一室で、十時すぎに勝手口から案内されたもんだが、思いもかけない藁塚わらづか産業課長が同席して、吾輩と友吉おやじの視察談を、夜通しがかりに聞き取ってくれたのには感謝したよ。友吉親子一代の光栄だね。
 その結果、藁塚産業課長が急遽きゅうきょ上京して、内務省、司法省、農商務省、陸海軍省と重要な打合わせをする。その結果、朝鮮各道の警察、裁判所に厳重な達示が廻わって、銃砲火薬類取締の粛正、不正漁業徹底殲滅せんめつの指令が下る。しかも総督府から指導のために出張した検事正や、警視連のゆびさす処が一々不思議なほど図星ずぼしあたる。各地の有力者が続々と検挙される。その留守宅の床下や地下室、所有漁場の海岸の砂ッ原、岩穴の奥、又は妾宅の天井裏や泉水の底なぞから、続々証拠物件が引上げられるという、実に疾風迅雷式の手配りだ。ここいらが山内式のスゴ味だったかも知れないがね。
 それあ嬉しかったとも……吹けば飛ぶような吾々の報告が物をいい過ぎる位、いったんだからね。
 しかしソンナ事はオクビにも出せない。むろん総督府の方でも御同様だったに違いないが、その代りに今後、爆薬漁業の取締にいて、万事、漁業組合長、轟技師の指導を受くべし……といったような命令が、各道の官庁にまわったらしい。吾輩の講演を依頼する向きがソレ以来、激増して来たのには面喰った。一時は、お座敷がブツカリ合って遣り繰りが付かないほどの盛況をたくましゅうしたもんだ。流石さすがのドン様ドン様連中も、最早もはやイケナイと覚悟したらしいんだね。実に現金な、浅墓あさはかな話だとは思ったが、しかし悪い気持ちはしなかったよ。とにもかくにもソンナ調子で南鮮沿海からドンの声が消え失せてしまった。それに連れて沿岸から遠ざかっていた鯖の廻遊が、ダンダンと海岸線へ接近し初めたので、漁師連中は喜ぶまいことか……轟様轟様……というので後光がさすような持て方だ。
 吾輩の得意、想うべしだね。「ソレ見ろ」というので友吉おやじと赤い舌を出し合ったが、これというのも要するに、あの呑兵衛老医師ドクトルのお蔭だというので、三人が寄ると触ると、大白たいはくを挙げて万歳を三唱したものだ。
 ハッハッ……その通りその通り。どうも吾輩の癖でね。じきに大白を挙げたくなるから困るんだ。なんじ元来一本槍に生れ付いているんだから仕方がない。スッカリ良い気持になって到る処にメートルを上げていたのが不可いけなかった。思いもかけぬ間違いから自分の首をフッ飛ばすような大惨劇にぶつかる事になった。ドン漁業に対する吾輩の認識不足が、骨髄に徹して立証される事になったのだ。
 ……どうしてって君、わからんかね……と……云いたいところだが、そういう吾輩も実をいうと気が付かなかった。朝鮮沿海からドンの音が一掃されたので、最早もはや大願成就……金比羅こんぴら様に願ほどきをしてもよかろう……と思ったのが豈計あにはからんやの油断大敵だった。ドンの音は絶えても、内地の爆弾取締りは依然たる穴だらけだろう。ちっとも取締った形跡が無いのだ。藁塚産業課長の膝詰ひざづめ談判が、今度は「内地モンロー主義」にぶつかっていた事実を、ドンドコドンまで気付かずにいたのだ。
 その証拠というのは外でもない。山内さんが内地へ引上げて内閣を組織されるようになった大正五年以後、折角せっかく、引締まっていた各道の役人のたががグングンゆるんで来たものらしい。それから間もなく大正八年の春先になると、一旦、終熄しゅうそくしていた爆弾ドン漁業がモリモリと擡頭して来た。……一度い捲くられた鯖の群れが、岸に寄って来るに連れて、内地から一直線に満洲や咸鏡北道かんきょうほくどうへ抜けていた爆薬が、モウ一度南鮮沿海でドカンドカンと物をいい出すのは当然の帰結だからね。おまけに今度は全体の遣口やりくちが、以前よりもズット合理的になって来たらしく、友吉親仁おやじの千里眼、順風耳じゅんぷうじを以てしてもナカナカ見当が付けにくい。……これは後から判明した話だが、彼奴きゃつ等は一時南鮮の孤島、欲知ほっち島の燈台守を買収してここを爆弾の溜りにしていた事がある。しかも燈台の上から高度の望遠鏡で、水雷艇や巡邏船を監視して、色々な信号を発していた……というのだから、如何にその仕事が統制的で、大仕掛であったかが想像されるだろう。
 然るに、ソンナ程度にまでドン漁業が深刻化しつつ擡頭して来ている事を、夢にも知らなかった吾輩はアタマから呑んでかかったものだ。……しょうもない鼠賊チョコマンども……俺が居るのを知らないか。来るなら来い。タッタ一ヒネリだぞ……というので、腕によりを掛けて釜山一帯の当局連中を鞭撻にかかったものだが、その手初めとして取りあえず慶尚南道けいしょうなんどうの有志、役人、司法当局四十余名を釜山公会堂に召集して、爆弾漁業勦滅そうめつの大講演会を開く事になった。これに各地方の有力者二十余名、臨時傍聴者三百余名を加えた有力この上もない聴衆を向うに廻わして吾輩が、連続二日間の爆弾演説をこころみる……というのだから、吾輩の意気、まさ衝天しょうてんがいがあったね。

 大正八年……昨年の十月十四日……そうだ。山内さんが死なれる前の月の出来事だ。その第一じつの午前十時から「爆弾漁業の弊害」という題下に、堂々三時間に亘った概論を終ると、満場、割るるが如き大喝采だ。そのアトから各地の有力者のうちでも代表的な五六名が、吾輩の休憩室に押掛けて来てすこぶる非常附きの持上げ方だ。
「……イヤ感佩かんぱい致しました。聴衆の感動は非常なものです。先生の御熱誠の力でしょう。三時間もの大演説がホンノちょっとのにしか感じられませんでした。当局連中もスッカリ感激してしまって、今更のように切歯扼腕せっしやくわんしているような次第で……私共も一度はドンで年貢を納めさせられた前科者ナッポンサラミンばかりですが、今日の御演説を承りまして初めて眼が醒めました。何でもカンでも轟先生が朝鮮に御座る間は悪い事は出来んなア……とタッタ今も話しながらこっちへ参りましたような事で……アハハハ……イヤ、恐れ入ります。……ところでここに一つ無理な御相談がありますが御承諾願えますまいか。……というのは、ほかでもありません。本日集まっている当局連中の中には、先生の御講演を一度以上拝聴している者が多いのです。……ですから取締方法なぞを詳しく承わっているにはいるのですが、しかし遺憾ながら爆弾漁業なるものの遣り方を実際に見た者が生憎あいにく、一人も居ないのです。そのために先生の御高説を拝聴しましても、何となく机上の空論といったような感じに陥り易い。……何とかしてその遣り方を実地に見せて頂きながら、御講演を承る事が出来たら……ちょうど先生が海の上で、水産学校の卒業生をつかまえて御指導になるような塩梅あんばい式にですね……お願い出来たら、それこそ本格にピッタリと来るだろう。将来どれ位、実地の参考になるか知れん……という註文を受けましたものですから、まことに道理もっとも千万と思いまして、実は御相談に伺った次第ですが……如何いかがでしょうか。ちょうど申分のないぎ続きですし、明日あすの上天気も万に一つ外れませんし……乗船は御承知の博多通いで甲板デッキの広い慶北丸が、船渠ドックを出たばかりで遊んでおりますから、万一御許しが願えましたら、私共が引受けて万般の準備を整えたい考えでおります。……それから実演をする人間ですが、これは只今、釜山署に四人ばかり現行犯がブチ込んで在りますから、あの連中に遣れと云ったら、遣らんとは申しますまい……その方が聴き手の方でも身が入りはしますまいか」
 という辞令の妙をつくした懇談だ。
 ところで吾輩もこの相談にはチョッコン面喰めんくらったね。コンナ計劃が違法か、違法でないかは、希望者が司法官連中と来ているんだから、先ず先ず別問題としても、そうした思い附きの奇抜さ加減には取敢とりあえず度肝どぎもを抜かれたよ。殺人犯を捕える参考のために、人殺しの実演を遣らせるようなもんだからね。……しかし何をいうにもこの談判委員を承った連中というのが、人を丸める事にかけては専門の一流揃いと来ているんだ。如何にも研究熱の旺盛な余りに出たらしい脂切あぶらぎった口調で、柔らかく、固くもちかけて来たもんだから吾輩ウッカリ乗せられてしまった。……少々演説が利き過ぎたかな……ぐらいの自惚うぬぼれ半分で、文句なしに頭を縦に振らせられてしまったが……しかし……というので吾輩の方からも一つの条件を持ち出したもんだ。
「……というのは、ほかの問題でもない。その爆弾漁業の実演者についてこっちにも一つ心当りがあるのだ。その人間はズット以前にドンを遣っていた経験のある人間だが、当局の諸君は勿論の事、一般の漁業関係の諸君が、その人間の過去を絶対に問わない約束をするなら、その生命いのちがけの仕事に推薦してみよう。現在ではスッカリ改心して、実直な仕事をしているばかりでなく、素敵もない爆弾漁業通だから将来共に、君等のお役に立つ人間じゃないかと思うが……」
 と切り出してみた。これはかねてから日蔭者ひかげものでいた林友吉を、どうかして大手を振って歩けるようにして遣りたいと思っていた矢先だったから、絶好の機会チャンスと思って提案した訳だったがね。
 するとこの計略が図に当って、たちまちのうちに警察、裁判所連の諒解を得た。……それは一体どんな人間だ……と好奇の眼を光らせる連中もいるという調子だったから、吾輩、手を揉み合わせて喜んだね。早速横ッ飛びに本町の事務室に帰って来て、小使部屋を覗いてみると、友吉親仁おやじは忰と差向いでヘボ将棋を指している。そいつを捕まえてこの事を相談すると、喜ぶかと思いのほか、案外極まる不機嫌なつらふくらましたもんだ。
「それはドウモ困ります。私は日蔭者で沢山なので、先生のために生命いのちを棄てるよりほかに何の望みもない人間です。あんなヘッポコ役人の御機嫌を取って、罪をゆるしてもらう位いなら、モウ一度、玄海灘でふんどしの洗濯をします。まあ御免蒙りまっしょう」
 というニベもない挨拶だ。将棋盤から顔も上げようとしない。このおやじがコンナ調子になったらてこでも動かない前例があるから弱ったよ。
「しかし俺が承知したんだから遣ってくれなくちゃ困るじゃないか。今更、そんな人間はいなかったとは云えんじゃないか」
 とハラハラしながら高飛車をかけて見ると、おやじはイヨイヨつらを膨らました。
「それだから先生は困るというのです。アノ飲み助のお医者さんも云い御座った。先生は演説病に取付かれて御座るから世間の事はチョットもわからん。しかしあの病気ばっかりは薬の盛りようがないと云って御座ったがマッタクじゃ。……一体先生は、アイツ等が本気で爆漁実演ドンを見たがっていると思うていなさるのですか」
 と手駒を放り出して突っかかって来た。イヤ。受太刀うけたちにも何にも吾輩、返事に詰まってしまったよ。実をいうと二日間の講演をタッタ三時間に値切られてしまった不平が、まだどこかにコビリ付いていたんだからね。こう云われると頭が妙に混線してしまった。そのまま眼をパチパチさせていると、おやじはイヨイヨ勢い込んで突っかかって来る。
「……先生は駄目だよ。演説バッカリ上手で、カンが働らかんからダメだ。その役人連中の云い草一つで、チャンと向うの腹が見え透いているじゃありませんか。……ツイこの間も云うたでしょう。今度初まった爆弾漁業ドンの仕事ぶりが、どうも私のに落ちんところがある。この前のドン退治の時と違うて検挙の数がまことに少ないし、評判もサッパリ立たん。その癖に、下関しものせきから上がる鯖の模様を船頭連中に問うてみるとトテモ大層なものじゃ……昔の何層倍に当るかわからんという。値段も五六年前の半分か、三分の一というから生やさしい景気じゃない。不思議な事もあればあるもの……理屈がサッパリわからんと思うとったが、わからんも道理じゃ。彼奴きゃつ等はこの前にりて、用心に用心を踏んで仕事に掛かってケツカル。朝鮮中の役所という役所の当り当りにスッカリ手を廻わして、仲間外れの抜け漁業ドンばっかりを検挙させよるから、吾々の眼に止まらんです。……今来ているそこ、ここの有力者というのは、一人残らずそのドン仲間の親分株で、役人連中は皆、薬のまわっとるテレンキューばっかりに違いありません。そいつが、先生に睨まれんように、わざと頬冠りをして聞きに来とるに違いないのです。それじゃケニ先生の演説が聞きともないバッカリに、そげな桁行けたはずれの註文を出しよったのです。……それが先生にはわかりませんか……」
 と眼の色を変えて腕を捲くったもんだ。
 今から考えるとこの時に、このおやじの云う事を聞いていたら、コンナ眼にも会わずに済んだんだね。……このおやじの千里眼、順風耳じゅんぷうじのモノスゴサを今となって身ぶるいするほど思い知らされたものだが、しかしこの時には所謂いわゆる騎虎きこの勢いという奴だった。そういう友吉おやじを頭から笑殺してしまったものだ。
「アハハハ。馬鹿な。それは貴様一流の曲り根性というものだ。お前は役人とか金持ちとかいうと、直ぐに白い眼で見る癖があるから不可いかん。……よしんば貴様の云うのが事実としても尚更の事じゃないか。知らん顔をして註文通りにして遣った方が、こっちの腹を見透かされんで、ええじゃないか。……アトは又アトの考えだ。……とにかく今度の仕事は俺に任せて云う事を聴け。承知しろ承知しろ……」
 と詭弁まじりに押付けたが、そうなると又、無学おやじだけに吾輩よりも単純だ。云う事を云ってしまった形でションボリとなって、
「それあ先生が是非にという命令なら遣らんとは云いません。腕におぼえも在りますから……」
 と承知した。するとその時に廿歳はたちになっていたせがれの友太郎も、親父おやじが行くならというので艫櫓ともろを受持ってくれたから吾輩、ホッと安心したよ。友太郎はその時分まで、南浜なんひん鉄工所に出て、発動機の修繕工つくろいを遣るかたわら、大学の講義録を取って勉強していたもんだが、それでも櫓柄ろつかを握らしたらそこいらの船頭はかなわなかった。よく吾輩の釣のお供を申付けて見せびらかしていた位だったからね。
 そこでこの二人を連れて、釜山公会堂に引返して、判事や検事連に紹介したが見覚えている者は一人も居なかった。……断っておくが友吉おやじは、再生以来スッカリ天窓テッペンが禿げ上ってムクムク肥っていた上に、ゴマ塩の山羊髯やぎひげを生やしていたものだから、昔の面影はアトカタも無かったのだ。又忰の友太郎も十二の年から八年も経っていたのだから釜山署で泣いた顔なぞ記憶している奴が居よう筈はない。そこで釜山署に押収しておった不正ダイナマイトを十本ばかり受取った友吉親子は早速準備に取りかかる。吾輩も、午後の講演をやめて明日の実地講演の腹案にかかった。……先ずドンを実演させて、捕った魚の被害状態をそれぞれ程度分けにして見せる。これは魚市場から間接にドン犯人を検挙するために必要欠くべからざる智識なんだ。それから爆薬製作の実地見学という、つまり逆の順序プログラムだったが、実をいうと吾輩もドン漁業の実際を見るのは、生れて初めてだったから、細かいプログラムは作れない。臨機応変でやっつける方針にきめていた。
 一方に各地の有志連は慶北丸をチャーターして万般の準備を整える。一方に吾輩を千芳閣に招待して御機嫌を取ったりしているうちに、その日は註文通りの静かな金茶色に暮れてしまった。

 ところがあくる朝になってみると又、驚いた。勿論、新聞記事には一行も書いて無かったが、向うの本桟橋の突端に横付けしている慶北丸が新しい万国旗で満艦飾をしている。五百トン足らずのチッポケな船だったが、まるで見違えてしまっている上に、デッキの上は丸で宴会場だ。手摺てすりからマストまで紅白の布で巻き立てて、毛氈もうせん絨壇じゅうたんを敷き詰めた上に、珍味佳肴かこうが山積して在る。それに乗込んだ一行五十余名と一所いっしょに、地元の釜山はいうに及ばず、東莱とうらい馬山ばさんから狩り集めた、芸妓げいしゃ、お酌、仲居なかいの類いが十四五名入り交って足の踏む処もない……皆、船に強い奴ばかりをりすぐったものらしく、十時の出帆前から弦歌の声、湧くが如しだ。
 友吉親子が漕いで行く小舟に乗って、近づいて行った吾輩は、この体態ていたらくを見て一種の義憤を感じたよ。……何とも知れない馬鹿にされたような気持ちになったもんだが、しかし今更、後へ引く訳には行かない。不承不承にタラップへ乗附けるとたちまち歓呼の声湧くが如き歓迎ぶりだ。すぐに甲板デッキへ引っぱり上げられて先ず一杯、先ず一杯と盃責めにされる。モトヨリ内兜うちかぶとを見せる吾輩ではなかったので、引つぎ引つぎ傾けているうちに、忘れるともなく友吉親子の事を忘れていた。
 そのうちに慶北丸はソロリソロリと沖合いに出る。美事な日本晴れの朝凪あさなぎで、さしもの玄海灘が内海うちうみ外海そとうみかわからない。絶影島まきのしまを中心に左右へ引きはえる山影、岩角がんかくは宛然たる名画の屏風びょうぶ[#ルビの「びょうぶ」は底本では「じょうぶ」]だ。十月だから朝風は相当冷めたかったが、船の中はモウ十二分に酒がまわって、処々ところどころ乱痴気騒らんちきさわぎが初まっている。吾輩の講演なんかどこへ飛んで行ったか訳がわからない状態だ。……そのうちに吾輩はフト思い出して……一体、友吉親子はドウしているだろうと船尾へまわってみると、船のともから出した長い綱に引かれた小舟の上に、チョコナンと向い合った親子が、揺られながらついて来る。何か二人で議論をしているようにも見えたが、吾輩が、
「オーイ。酒を遣ろうかあア……」
 と怒鳴ると友吉親仁おやじが振り返って手を振った。
「……要りませえん。不要ブウヨウ不要。それよりもこっちへおでなさあアイ」
 と手招きをしている。その態度がナカナカ熱心で、親子とも両手をあげて招くのだ。
「いかんいかん。こっちはなア……お前達の仕事を見ながら、講演をしなくちゃならん」
 と怒鳴ったが、コイツがわからなかったらしい。忰の友太郎がグイグイ綱を手繰たぐって船を近寄せると、推進機スクリュウ飛沫しぶきの中から吾輩を振り仰いで怒鳴った。
「……先生……先生……講演なんかお止めなさい。おやめなさい。あんな奴等に講演したって利き目はありません。それよりも御一所ごいっしょに鯖を捕って釜山へ帰りましょう。黙ってこの綱を解けば、いつ離れたかわかりませんから……」
 というその態度がヤハリ尋常じゃなかったが、しかし遺憾ながら、その時の吾輩には気付かれなかった。
「イヤ。ソンナ事は出来ん。向うに誠意がなくとも、こっちには責任があるからなア。……ところで仕事はまだ沖の方で遣るのか」
「ええもうじきです、しかし暫く器械の音を止めてからでないと鯖は浮きません。どっちみち船から見えんくらい遠くに離れて仕事をするんですからこっちへ入らっしゃい。大切だいじな御相談があるのです……どうぞ……先生……お願いですから……」
「馬鹿な事を云うな。行けんと云うたら行けん。それよりもなるべく船の近くで遣るようにしろ。器械の方はいつでも止めさせるから……」
「器械はコチラから止めさせます。どうぞ先生……」
 と云う声を聞き捨てて吾輩は又、甲板デッキに引返して行ったが、この時の友太郎の異様な熱誠ぶりを、知らん顔をしてソッポを向いていた友吉親仁おやじの態度を怪しまなかったのが、吾輩一期いちごの失策だった。あるいはイクラかお神酒みきがまわっていたせいかも知れないがね。
 ところで甲板デッキに引返してみると船はモウ十四海里も西へ廻っていて、絶影島は山の蔭になってしまっていた。そのうちに機械の音がピッタリと止まったから、さてはここから初めるのかな……と思って立上ると、飲んでいる連中も気が附いたと見えて、我勝ちに上甲板や下甲板のふなべり雪崩なだれかかって来た。
「どこだどこだ。どこに鯖がいるんだ」
 とキョロキョロする者もいれば、眼の前の山々に猥雑な名前を附けながら活弁マガイの潰れ声で説明するヒョーキン者もいる。中には芸者をふなばたへ押し付けてキャアキャア云わしている者もいた。

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