少女のラブレター(五)
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敏雄様……。 十五夜の月が、淋しく物思う地上の一人子を哀れむように照らしております。虫の声もいたしましたけど、何故にかく泣き止むのでしょう? 唯一人なのに……私はやはり淋しいのです……自分で淋しいと思うからなのでしょうけど、私達の若さに同情してくれる人はないのですもの……私の一番大事なお兄さま、昨夜は久しぶりで夢で御目にかかれました。でも、あなたは御元気がなく、お言葉さえかけて下さらないのでした……で、悲しゅう御座いましたの。ですから忘れて下さいませんようにと書きますわ。その後お体はつづいておよろしいの? 今日は何だか心細くてなりませんの。 先達てのレターに、姉の来ていますことを申上げましたために、あなたは御遠慮遊ばしていらっしゃるのじゃなくって? 御心配には及びませんわ。あなたからのお便りのない日は、私は寂しくてなりませんのよ。ですから、早くお便りをお恵み下さいませ。 病の床に是非なく伏しておりましたけれど、私はたまらなくなって………。 呪われた東京を思い出して……今はこの書く手もふるえて、この窓から見れば――赤い血のような無数の星の流れ、空一面に気味悪くそまって。 真紅のほのおの高く高く息づくのを! 恐ろしい……そうして、人々のどよめきの中を依然として星は乱れ飛ぶ! 鐘は鳴る! おお、今は午前三時よ! 床をぬけ出たためか、風邪の復活! ほん当に悲しゅうございます……お願いですからお便りを! 病の床に伏す身は! 遠い都にいますあなたを思い出しては……おしのび下さいませ。 また後便でゆっくり申し上げます。
小夜なら つる子 私の兄さまへ …………………… この少女の悩みは、前の哲学的なのに比べて感傷的である。「私達の若さに同情してくれる人はない」の一句はことに強い感銘をあたえる。現代のあらゆる教育は、少年少女の若さにすこしも同情をしていない。只無暗に押さえ付けようとするか、ほったらかしておくか、二つの間を出でぬ手段を執るのみで、動もすれば彼等子女を罪人扱いにして、自分達の誠意の足らぬ事を考えまいとする。彼等の青春に同情する不良芸術、不良人間の魅力の方が、教育の力よりもはるかに強いのは無理もない。「私達の若さに同情してくれる人がない」という言葉は、無能な現代教育の心臓を刺す短剣である。
少女のラブレター(六)
……………………
略―― この前差し上げましたレター御覧になりまして? ――さぞお笑いなすった事と思いますわ。だって、何度レターを差し上げても御返事がないから、もしや発見されたのじゃないかと思いまして、逃れるためにあんな事を記しまして……おゆるし下さいませ。本当に不可ない子でございますのね………。 お願いが只一つ御座いますの。日本橋の姉が只今突然帰って参りました。ですから、これからお手紙下さる時も、麻布だと分るかもしれませんから、誠に恐れ入りますが、 「林町にて、すみ子」としてお出し下さいませ。ほん当に失礼なんですけど、おしのび下さいませ。時間を見計って見守っておりますから、大抵は大丈夫で御座いますけど、もしやと思いまして………。 略―― 姉の居る間は多少出られないだろうと思っております。そして、十二月のくるのを指折り数えて待っておりますの。駒込へ参りますの。そしたらゆっくり出来ますわ。それこそ本当にゆっくりどこかへ遊びに参りましょう………。 この苦しいハート……私はただその時のシーンを! 空想を……それで慰めておりますの。女の生命は愛ですわ。愛なしには生きてゆかれませんものを………。 私はあなたなしにはこの世に一日だって、一時間だって生きていられませんのよ。あなたのためなら、どんな事をも厭いませんわ。献身的の愛を……いつまでもね。最後という事なしに……お願い致しますわ。 略――
あなたの つや子より なつかしい 私の邦彦兄さまへ …………………… この少女は明らかに江戸ッ子で才気がある。しかも色事に対する趣味を理解している。都会人の冴えた才智と不良性とが如何に密接な関係があるかは、この手紙の文句だけでも証拠立てられる。
少女のラブレター(七)
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ただ今なつかしいお便り有がとう存じました。 白秋のわすれな草を手にして……おりましたら、恋しいあなたからのお便り、……私の手は戦きました。嬉しさに……二十七日には日比谷までお出下さったのですってね。 おゆるし下さいませ……すべては私が……ほんとうにすみませんでした。 こちらへお出下さるそうですわね……わざわざすみませんわ。水戸でもよろしいのですけど、人目が多いからよしましょう。 途中と申しましてもよく存じませんけど、利根川べりは? あまり奇麗な町でも御座いませんけど、利根川が。土浦で下車しますの。上野から土浦までの切符をお求め下さいませ。そして土浦で下車して……わたくしも一番で参りますから……もしも早くお出になりましたら、停車場でお待ち下さいませ……。 お逢いするのはいつでもお逢いしたいのですけど……五日はいかがでしょうか。いつでもとのお言葉故、五日ときめますわ。では五日に土浦駅で御まち下さいませ。私、二十八日水戸へ参りまして海岸へ参りましたら、それはそれは色が黒くなりましたの。まるで土人のように……おわらい下さいますな。 お頭が痛みになるのですってね。お大切に遊ばせ。あなたの御健在を毎日祈っております。 こちらへ参りましてから、ほん当に無意味な日のみつづいてさびしいのです。時折あなたからのお便りを取り出しては、思いなやんでおりましたの。でも逢われて嬉しゅうございますわ。早く五日の来るのを待っております。ではね、何卒お願い致しますわ。五日に土浦までね。私ほんとに嬉しゅうございますわ。何と申し上げてよいやら……いずれお眼もじのうえ……。 もしも五日に雨が降りましたら、六日にいたしましょう。曇っておりましても実行します。神様は大丈夫お天気にして下さいますから。 恋しい欣吾様御前に
喜のうちに 智恵子 …………………… 媾曳に慣れた少女の手紙である。東京付近の郊外が、到る処こうした男女のために利用されている事が推測される。
本物の不良いろいろ
次には本物の不良少年少女に就いて研究して見る。 実を云うと、不良に本物だの贋ものだのとある筈はない。只、程度が高いか低いかだけの違いで、煎じ詰むれば人間性の低級な表現に過ぎぬという事は誰しも認むるところであろう。 ところで、その「不良性」のあらわれに幾通りもあるように思われる。 第一は最初から生活難の背景、又は商売的の意味を持ったもので、男性では俳優その他の芸人、外勤員、祈祷師、各種の治療師、活弁、呉服屋、ボーイ等の男淫売式? の「不良」、又女性ならば職業婦人の第二職業、女優、女給、芸者、半玉、魔窟の女なぞが発揮するアレである。 第二の方は興味本位、享楽本位から来たもの――今一つ突込んで云えば、思想カブレ、流行カブレ、虚栄、ウヌボレ、自暴自棄なぞいう内的原因から起った不良性の嵩じたもので、生活難の背景だの、商売的の意味だのが極めて薄い。たとえば男女の学生、華族や富豪のお坊ちゃん嬢ちゃんなぞがあらわす不良性は、大部分この方に属すると見ていい。 一般にはこれをゴッチャにして、一列一体に不良と名付けているようであるが、記者の云う「不良」は、どちらかと云えば後者を指しているつもりである。 ところで、後の方の不良性を調べて見ると、三期に分ける事が出来るようである。 先ず人間性が卑屈な形式であらわれるとする。初めのうちは親兄弟や先生を困らせる程度であるが、だんだんと図々しくなって深みに這入る。この程度を第一期と名づける。 とうとう社会を困らせるようになって、その筋の閻魔帳に割り込む。この程度を二期とする。 もっと進むと商売化する。社会から圧迫されて、不良を本職にしなければ喰えないようになる。これを第三期と見る。 これ以上は大抵大人の仲間に這入ってしまう。そうしてもっと悪性になるか、真面目にかえるかする。いずれにしても「不良少年少女」とは云えない。 記者が最初に「本物の不良」と名づけたのは、この中の第二期から三期のものを指しているつもりである。 但、実際上うようよしている不良を、第何類だの、第何期だのとハッキリ区別する事は絶対に出来ない。皆、複雑した動機と経過を持っているにきまっている。只、記者の心持ち――又は不良本人の意識だけで出来る区別である。そうして、要するにこの記事を読んで下さる人々の理解を助けるために、こうした区別を試みたに過ぎぬ事を含んでおいて頂きたい。
八幡市の不良団に関する福岡県知事の質疑
大正十二年の暮の事――。 沢田福岡県知事から内務当局へ宛て一つの問合せを発した。その内容は今日迄発表されていないが、一時新聞に伝えられた八幡市の不良少年団に関したものであった。 その意味は大略左の通りであった。
大正十二年の十一月頃からの事、当福岡県下八幡市に不良少年団が出来た。彼等は父兄監督者の眼を潜って会合協議の上、活動写真式の団体を組織することとし、秘密契約を結び、左の腕を切って血を啜り合い、兄弟の義を固め、兇器等を懐にして活動館の付近に潜伏出没し、誘惑脅迫等の手段を以て良家の子女を窘しめた。これは東京の震災後、九州方面に流れ込んだ避難民の中に不良少年が居て、こんな事を始めさせたものと考えられるが、貴方の意見如何云々。
この質問書を内務省からまわされた警視庁では、大略左の意味の回答をしたという。
そのようなやり口は必ずしも東京式とは認められぬ。八幡市の不良少年が、ある刺戟によって独立的に思い立ったものであろう云々。
三千の不良少年、三百の不良少女
東京は、こんな風に日本全国から「不良」の本場と考えられているが、実際それだけの価値は充分にある。 目下警視庁の黒表に控えられている不良少年が約三千、不良少女が約三百もある。然も一粒撰りの者ばかりで、これ以下の「イケナイ」のは無数だという。東京全市が不良の支配下にあるのではないかと疑われる位である。これ等の不良少年少女は震災後激増して、今日の数に達したものである。 同時に彼等は、震災後、殆んど全部が郊外に引っ越してしまったのであった。というのは、市内が一時寂れて、郊外の町々が大繁昌をした……即ち彼等の狙う相手が市外に避難したのが主な原因である。 そのほか、郊外に暗い処が多いこと――警察の取締が行届きかねる事――又は東京市の中心に到る電車の距離が長いため誘惑に便利な事――なぞいろいろの原因がある。 しかしこの頃になって、郊外が万事に不便なのと、道路が悪いので、少し位家賃が高くとも構わずに市内に引返す人が殖えて来た。そのために郊外に空屋が殖えて来て、家賃がドシドシ下落するという。 不良連中もこの春あたりからポツポツ市内に引返すであろう。 ところで、「不良」と「善良」との区別は一見してなかなか付きにくいので、当局でも家庭でも困っている。何でもないのに不良気取のが居る一方に、不良の方でも研究して、そう見られまいとするからとてもわからない。
鳥打帽と制服の特徴
一般に、震災前と震災後とは、東京人の風俗に一大変化を来した。改め切れなかったものが、あの大きなショックで改められたのだと、学校当局や警視庁では云う。しかし、今一層これを深刻に見れば、物質的方面ばかりでなく、精神的方面にもそうである。殊に、堕落気分を持ちながら実行出来なかったものが、あのドサクサに紛れて思い切って堕落したとも見られる。 或る呉服屋で震災後、絹の上物一切を倉庫にブチ込んだ。こんなものは当分売れまいと思っていたら、豈計らんや。十日にならぬ中に売り切れてしまったという。ザッとそういったような気持ちの変り方である。 その中に不良のスタイルが生み出された。 学生間に於ける鳥打帽の大流行は、カフェー、活動、その他に横溢している享楽気分にふさわしい気分のあらわれである。その冠り方や柄で不良かどうかはわかると、狃れた刑事は云う。 同様に制服にも不良化傾向が現われた。昨年の秋あたり、制服の詰め襟の背を割いて、袖口を腕の処よりも広くした、所謂喇叭袖を尾行して行くと、大抵不良行為を発見したと、警視庁の捜索課では云う。甚だしい学生は、制服の背中の中央近くまで裂いているのがあった。袖口を裂いたのもチョイチョイ見受けたと云う。
不良少女の服装と着こなし方
不良少女の服装はまちまちで、その筋でも見当が付かぬらしい。職業婦人が出て来て、矢鱈と風俗を突飛にするので、いよいよわからなくなるという。成程と思わせられる。 オールバックに濃化粧、漆のような引き眉に毒々しい頬紅口紅をつけ、青地か紫色の綿紗に黒手袋、白絹模様入りの靴下に白鞣の靴の踵を思い切り高くして、虹のようなショールを波打たせながら八方に眼を配って行く……といったような女学生をいきなり不良とは断定できぬ。 しかし、記者の見たところを綜合すると、不良少女は割合に狭い帯を締めているようである。これは胸のふくら味と下腹と尻との丸味を区切って見せるためで、昔流に広いシャンとした帯で、その辺から受ける肉感を芸術的に殺して終うのと正反対の行き方である。そのために羽織の紐の付処と締加減に巧な手加減がしてあって、どことなく洋服の感じが取り入れてあるように見える。 同時に、昔は襟足を見せて美感をそそったものを、彼女たちは反対に襟元を心持ちくつろげて、襦袢の襟を大きく見せながら反り身になって歩くようである。これは新しい女や外交官の夫人なぞによくある着こなし方である。又は、舶来のフイルムに出て来るキモノの感じを学んだものであろう。裾が長くて締りのないのは云う迄もない。 但、こんな着こなし方は、強ち不良ばかりに限ったわけでもないようである。
歩き方に現われる特徴
「不良」の中でも、屈指の少女は却て質素な風姿をしている。 西洋の諺か何かに、 「本当の悪魔は平凡な人間に見える」 とあるが、事実かも知れぬ。とにかく、普通の少女と不良少女の区別は出来ないと云った方が早わかりである。 唯ここに一つだけ、殆ど不良少女に限られた特徴がある。それは足の運び方である。それも、和服に袴で靴を穿いている場合に限って見分けられる位、微妙なものである。 不良少女が行くのをうしろから見ると、所謂「内がま」とも「外がま」とも付かぬ。それかといって真直でもない。心持ち爪先が外を向いたり、内を向いたり、一足毎に一定せぬ。 又、踵を卸して次に爪先を地に付ける時、何となくパタリとして力無く見える。普通の少女だと、往来をあるく時は多少に拘らず緊張しているから、爪先を先につけるか、又は爪先と踵を同時に落すところである。 不良少女のはその腰から股のあたりにも緊張味がなく、膝の関節の曲り加減が、急ぐともなく、ゆっくりするともなく見える。注意して見ると、サッサとあるく時にもこの気持ちがある。要するに、腰から下の三段の関節に一種の締りが抜けた歩き方と云えば、あらかたわかると思う。 これは、「普通の家庭に育った少女の不良気分」が、歩き方に反映したものと思う。職業婦人のだともっと硬ばるか、ゾンザイに見えるかして、どちらかと云えば男性化した気分があらわれている。 あれが不良少女と、記者に指さし示された女学生は、一人を除いたあと全部が、この特徴を持ったあるき方をしていた。股をすぼめて恥かし気に歩いて、処女を気取る不良少女は一人も居なかった。
東京の土を踏んでドキドキと躍る心
大正十二年の秋以後、東京は特に夥しい人間を吸収した。その中にまじる少年少女は片端から不良化した。そうして本物の不良をドシドシ殖やした。 その順序を考えて見ることは、この稿の最重要な使命の一つと思う。 第一、田舎から出て来た少年少女は、永らく東京に住んでいる家庭の子女より堕落し易いというが、さもありそうに思われる。 少々惨酷な云い方ではあるが、しっかりした身よりがあって東京に来たのは別として、只無暗に東京にあこがれて吾家を飛び出したりするのは、東京に着かぬ前から不良性を帯びていると云っていい。田舎を嫌ったり、窮屈がったりして飛び出した気持ちには、既に不良性の種子が宿っている。「何でも東京へ」とあこがれる気持ちの裡面には、自堕落によく似た自由解放や、虚栄と間違い易い文化的生活に対する欲望がチラ付いている。 あこがれの東京に着く。 震災後、思い切って華やかになった東京のすべては、彼等の眼を驚かし、耳を驚かす。面喰らって感じてドキドキキョロキョロする。 その中に落ち付いて来る。 新聞や雑誌で見聞きした東京の風物が、一々実物となって彼等を魅惑し始める。欲しいものがいくらでもある。好ましい男女の姿、羨ましくも自由に楽しげなその身ぶりそぶり、そのまわりに光り、かがやき、時めき、波打つもののすべては、彼等の心を惑わせ、狂わせ、躍らせずには措かぬ。その中でも「不良性」は真っ先にこの刺戟に感じ易い。
自分の心から生存競争の邪道へ
田舎出の少年少女は、東京の「不良」の誘惑がどんなに恐ろしいかを知っている。そんな忠告をうるさがりながらも、自分の清浄無垢を信じている。「だから東京に行っても差支えはない」と思う……その心の奥に不良の種が蒔かれている事を気付かずにいる。そうして、只東京の「不良」の誘惑ばかりを警戒している。 ところが、東京で出来た知り合いの中に不良らしいのは一人も居ない。同時にその友達の中に、この偉大な大都会を物とも思わぬ少年少女があって、面白く親切にいろんな事を教えてくれるのが居る。そんな友達の話を聞いていると、何でも東京でなければならぬように思われて来る。つい感心して夢中になってつき合っている中に、今まで悪いと思っていた事がいつの間にか悪いと思えなくなる。 殊に東京でエライと云われる大人は、白昼堂々とそんな事をやっている。それが最新式だの、文明式だのと持てはやされている。そんなのを見たり、真似たりして、天晴れ東京通になって、田舎者を馬鹿にしている時は、もう平気で「不良」をやっている時である。「自分の不良性」が「東京の不良性」と共鳴して、自分を不良化してしまっている時である。 この時に自覚しても最早遅い。 友達を怨んでも、東京を呪っても追付かぬ。学校は追い出されている。故郷からの送金は絶えている。イヤでも不良かゴロに仲間入りしなければやり切れなくなっている。 いよいよ不良が上達する。 生存競争の邪道に陥る。 ……といったような順序である。
押え切れぬ勇気や智恵
又、こんな風にして本物の不良は出来る。 生れ付き智恵や勇気があり余った青年、自分の美貌や才智にうぬぼれた少女等は、よく平凡な田舎を嫌って東京に飛出す。しかし、そこで仕事に有り付いて、コツコツと働いて、結婚して、子供を設けて、平和な家庭を……そんな事で満足出来ない。 何でも強い刺戟を受け続けて行きたい。いつも大勢をアッといわせて見たい……そんなのを「東京」は待ち構えて「生存競争の邪道」に陥れる。東京にはそんな「生存競争の邪道」が横路地の数だけある。 精神的に悪い境遇に育ったもの、生れ付きヒネクレたもの、又は、良心欠乏、無智なぞいう先天的の犯罪性を帯びたものも、静かな地方を嫌って東京に出て来る。曇った空気を恋い、彩られた光りを慕って、それからそれと飛びまわるうちに金箔付きの不良になる。こんなのになると、この節の教育や制裁では押え切れない。説教すれば、抗弁するか泣くかする。拘引さるれば却って箔をつける。
善良が不良に急変
前にも述べた通り、「不良性」は要するに「人間性の卑屈な表現」である。即ち不良性は直に人間性で、逆に云えば人間として不良性を備えざるなしという事になる。孔子の「習」、基督の「罪」、釈迦の「業」等いう言葉は、この意味を含んでいはしまいかと思われる。 この人間性、即ち不良性はいろんな因縁に依って善ともなり悪ともなるので、天性善良な素質を豊に備えた少年少女でも、一度不良的刺戟を受けると、存外容易に不良化する傾きがある。 東京の二三署の刑事や部長が記者に話した事の中で、左の意味の処だけは共通していた。 「不良になった動機の中で、何の気もない少年少女が偶然に一度不良から被害を受ける。それがキッカケになって案外容易に不良化する。時と場合に依っては、良心の極めて鋭い少年少女がかなり甚だしい不良になっている場合さえある」 云々と。尚、記者の見たところに依れば、良心の鋭いというよりも、気の小さい者が、一朝の刺戟で大胆な自暴自棄的境界に踏み込むことはあり得る。
「不良化率」減少法
たとえば或る少年か少女かが、何品かを不良少年に捲き上げられる。ところで父兄母妹にそれを発見されてはならぬ……というような申訳ない心の苦しみから、ツイ不良な方法でその捲き上げられた品に似たものを手に入れて当座を胡麻化す。その時に動いた不良性がそのまま静まらずに、一度二度と罪を重ねて、いつしらず不良になるといったようなのが極めて多い。又は自分が遣られた手口に感心をする。「巧いな」と思ったり、「あんなにやれたら面白いだろう」と思ったりする。つまり、自分の不良性を他人の不良性から誘発されて不良化するのも珍らしくないように見える。善良な少女が一朝の過失に身を汚されて心を悩ました揚句、良心や理智が昏迷し、麻痺して、遂に棄て鉢的の不良少女になる場合も亦決して少くないと信ずる。 尚、記者の見るところに依れば、このような動機で不良性を帯びた少年少女の中には、両親や何かの怒りや警戒、又は排斥的の冷たい待遇に依って、一層その不良化を早めたのが非常に多い。もしこのような少年少女にその教育の責任者が今少し強い忍耐力を持って、温かい、そうして明らかな教育を施したならば、どれ位その「不良化率」を減少したであろうかという事を記者は深く感じたことを付記しておく。
東京の学生生活に狃れ過ぎて
大きな声ではいえないが、東京の学生生活に狃れ過ぎると不良になる。故郷を遠ざかった世間見ずの若い連中が、次第に大胆になっていろんな不良性を発揮する。 嘘を吐いて為替をせしめる。学校をサボってゴロゴロする。エラガリ競争をして低級なイタズラをやる。又は新智識を衒って雑誌や新聞の受け売りを吹く。女を見ては色眼を使う。 それが学生だというので、ドンドン通ったり、モテたりすると、世間はこんなものかと思われて来る。 図々しい奴は実社会に応用し始める。一度二度と成功すると、いつの間にか学校糞を喰らえで純粋の不良になってしまう。侮辱していると云う人があるかも知れぬが事実である。その筋に睨まれた不良にはそんなのが多いから困る。 苦学生のは又違う。 彼等は何でも成功しようと思って東京に来るのであるが、案外うまく行かないとジリジリする。世間の冷たさが骨身にこたえる。自分の青春が見る見るイジケて行くのがわかる。とうとう我慢し切れなくなって、「成功」と「享楽」の「早道」に這入る。とうとうしまいには「成功」の方を忘れてしまって、「享楽」だけを追いまわし始める。それでおしまいである。
苦学成功の油断から
反対に苦学に成功した場合でも堕落する可能性がある。 苦学に成功すると独立独歩で、誰も八釜しく云う者が無い。つい慰安の意味で遊んで見る。忽ち苦学では追付かなくなる。 さもなくとも初めから成功が目的だから、喰えさえすれば学校なんぞはどうでもいい。学費を稼ぐのが馬鹿げて来る。 おまけに「世間はこれ位のものか」という気になっている。その油断から不良風を引込む。東京市中の到る処の抜け路地は、苦学の御蔭でチャンと飲み込んでいるから、堕落するのに造作はない。 東京の家庭の婦人、色町の女、魔窟の女なぞが、苦学生というと無暗に同情するのも彼等のためにならぬ傾向がある。 帝大の苦学生で、苦学生の元締めをやっているのがある。本郷に大きな家を借りて苦学生を泊める。納豆を二銭乃至二銭五厘で仕入れて来て、三銭五厘で卸してやる。苦学生はこれを五銭に売って食費を払う。その二階に大学生は陣取って、変な女を取り換え引き換え侍らして勉学? をしている。 不良とは云えまいが、ざっとこんな調子である。
少年の悩みから
一般に今の若い人々は、「将来」に対して一つの大きな悩みを持っている。 少年の方は、学校を出てから何になろうか、自分の才能がどんな仕事に向くだろうかという事を発見し難く、モヤクヤと困しんでいる。 十人十色の才能を見分ける事をせずに、一列一体の学課を詰め込む主義の今の教育法は、一層この悩みを深刻にする。猛烈な成績の競争と試験制度は、彼等を神経衰弱になるまでいじめ上げる。 その結果、彼等はいよいよ実社会に対する気弱さを増す。そうして遂に自暴自棄に陥る。 或る一つの天才しか持たぬ青年、又は生れ付き学問に不向きなタチの少年は、いつも成績不良の汚名を受けて、学校や家庭から冷遇される。その果は矢張り自暴自棄で、踵を連ねて不良の群に入る。 これは云い古された議論である。寧ろ記者の受売りである。 併し、現在の東京と対照させると、この議論は決して古いものでなくなる。却て新しい、高潮さるべき実際問題となって来る。 現在の東京に見る見る増加して行く極端な対照――非常な華やかな生活と恐ろしくミジメな生活――遣り切れぬ享楽気分と堪え切れぬ生存競争――その中にニジミ流るる近代思想は、彼等少年の「勉強」に対する頭の集中力を攪乱し、その「誘惑」に対する抵抗力を弱むべく、日に日に新しい深刻味を加えて来つつある。
少女の悩みから
少女の悩みは又違う。 どうせお嫁に行かねばならぬが、その婿は自分で撰むわけに行かぬ場合が多い。そうして、いい処に行くために、面白くも何ともない学校の成績を挙げねばならぬ。ジッと音なしくしていなければならぬ。 ――家事を習って――お裁縫を習って――作法を習って――お化粧をして――そうしてお婿さんの趣味と一致せねばならぬ――何でも盲従しなければならぬ――。 女なんて、そんなつまらないものかしら。 そんなら独立するとすれば――職業婦人にならねばならぬ。内的にあらゆる誘惑と戦って――外的には男子と実力の競争をして――そんな事が妾に出来るか知ら――妾の趣味、智識の内容にそんなねうちがあるのか知ら――。 今の東京はそんな悩みを刺戟する最新、最鋭の材料に満ち満ちている。 こんな悩みが深ければ深いだけ、それだけ少女の頭に湧く空想や妄想が殖える。次第にセンチメンタルになり、神経衰弱になり、刹那の感興に涙ぐんだり狂喜したりする傾向が極端になる。そうして欺され易く、感化され易くなる。又は悩み抜いた揚句が、投げ遣りの自堕落になる。 いずれも不良の原因である。 こうして一度傷ついた彼女の心の痛みは、だんだん早い速力を持って彼女を不良の谷に引き落す。
おいらのせいじゃない
すべての子女は、親よりも純清な心を持っているにきまっている。それが不良になるのは、家庭と社会の欠陥――即ち大人の不始末からである。 先天的の不良性でも、それは矢張り数代、もしくは数十代前からの大人の不仕鱈が遺伝したものである。子女の不良を責める前に、大人は先ずこの事を考えねばならぬ。 ところが実際は反対に見える。 子女の不良が或る程度まで進むと、不良仲間から認められると同時に社会からも認められる。親兄弟、一家親族、知人朋友、学校警察まで、よってたかって善良世界を追い出して、不良の世界へ追い遣ってしまう。そうして「おれたちのせいじゃない」と思ったり、云ったりしている。 言語道断である……。 ……と、今の不良たちは、また殆ど十人が十人思っている。「おれがこんなになったのは境遇からだ」とか、「すべては運命だ」とか云っている。「おれたちが悪い事をしているのじゃない。世間がさせるのだ」位に心得ている。 これが又言語道断であるが、事実、そんな錯覚に陥る原因が多いのだから仕方がない。警察で説諭をしても、こんな理窟で逆ねじを喰わせられる。少年ばかりでない、少女がやるから困ると係官は云う。 彼等不良少年少女は、だから案外堂々と不良行為をやる。捕まるとウルサイから用心をする位の事である。中には積極的に社会や警察をカラカッテ面白がるのさえある。
女性の自由解放と虚栄奨励
本物の不良少女になる順序に二タ通りある。第一は虚栄から始まって万引に移る。その虚栄の本場は東京である。最近の派手な風俗は、一面から見れば狂的の虚栄競争である。その万引心理をそそる品物が全市に満ち満ちている。 しかし、こちらの話はよく雑誌や新聞に載っているから略するが、こんなのが高じて良心を喪うと詐欺をやり、恐怖心を磨り減らすと恐喝までやる事になる。 近頃の女学校の個性尊重、自由解放主義も、虚栄を奨励していると見られる。 若い女性の個性尊重、自由解放は、正面から見れば誠に結構な事であるが、裏面から見ると実につまらないものである。 極端に皮肉に見れば、東京の女学校――わけても私立の教育方針は、真実に近代思想を理解して、指導的に女性解放をやっているように見えない。反対に、人気取りのためにお嬢さん方の希望と迎合しているかのように見える。だからその結果は、無意味な虚栄奨励、見栄坊許可という事実に堕ちている。 その結果、彼女達仲間の嫉妬心や羨望心を増長させている。手癖の悪い娘が出来たり、虚栄のために身を持ち崩すお嬢さんが出来たりしている。 その証拠は新聞の軟派の雑報を見るがいい。又は警察に行って聞いて見るがいい。
自惚れから堕落へ
少女の堕落の今一つは、矢張り近代思想の誤解から始まって享楽主義に落ちる事である。この世は無意味である。只、享楽だけがある。人生は零である。只、刹那の感興だけしかない。これに対して人間は絶対に自由でなければならぬ……といったような思想を、極めて低級な意味に考えて実行する。 実は、うぬぼれていい――堕落して構わない――と考えて堕落した事になる。 今の東京はうぬぼれの大競争場である。あらゆるおめかしの大品評会場である。大抵の風姿をしても驚かぬ程、その競争は激烈である。 活動役者の表情の技巧や、近代芸術の線や色彩は、そんなに別嬪でなくとも挑発的に見える化粧法や表情法を、到る処に鼓吹している。 そんな研究に浮身を窶しているうちに、彼女たちは自分の持っている性の強さ、魅力を知るようになる。又は、女の弱身をそのまま男性に対する強みにする方法を飲み込むようになる。 これが堕落の初め終りである。 芝居や実世間のバムパイヤになれる唯一の大道である。 女学生なら、先生に泣き付いて出欠を胡麻化す。色仕掛で落第を喰い止める。職業婦人だと、会計を軟化させて前借をして逃げる。重役の令息の新夫人に脅迫状を送る……なぞいうのがいくらも暗から暗へ葬られている。新聞に出ているのはその一部分である。
泥棒の手習い場
一方、本物の不良少年も、異性を引っかけるばかりでない。泥棒、詐欺、脅迫なぞいろいろやる。そうしてこの種類になると、極軽いのでも本物の不良としてお上から睨まれるのである。男女関係のそれのようにありふれていないからでもあろうか。東京市中はこんなあらゆる種類の「不良養成所」である。殊に現在のバラック街はそうである。 震災後急増した飲食の新店、又はその新しい雇人は、不良式ゴマ化しに持って来いの研究相手である。 そんな飲食店の食器や備え付品を、初めは楊子入れ位から始めて、ナイフ、フォークに到る迄失敬して、泥棒学のイロハを習う。だんだん熟練して、額縁や掛物、皿小鉢や鍋に及ぶ。 いい洋食店なぞは入口でマントや帽子を預かるが、これが盗難警戒である事なぞは先刻御承知であろう。 尤もこの式は大人もやるが、若い者も面白半分に盛にやる。だんだん慣れて来て、こんな楽なものかと思うのが本手になる始まりである。喰い逃げもよくやるが、詐欺の第一歩である。 澄まして喰物を注文してポツポツやりながら、椋鳥を見つけて話し込む。その中に都合よく表に飛び出す……といった式が一番ありふれている。ポット出の学生なぞはよくやられる。
借りたインバネス
大勢連れで露店を掻きまわしたり、飲食店の皿数を胡麻化したりするのは、東京に限らぬ学生たちのわるさである。 隣席の客の下足札をすり換えて穿いて行く。あとでお客が面喰らうのを見ているとなかなか面白いという。面白いかも知れぬが立派な泥棒行為である。 一人の青年が、田舎者と公園で知り合いになって、一緒に飲食店に這入った。煙草を買いに行こうとすると、生憎雨が降り出したので、一寸のつもりで田舎者のインバネスを借りて出て行った。 「貸さない」 とは云えないまま貸したものの、田舎者は心配になった。急いで金を払って、雨の中を青年の行った方へ行くと、二人の友達と四辻で話をしている。その中に電車が傍を通ると、三人共飛び乗って行った。 田舎者は驚いた。 近所の交番に駈込んで、電車の番号とその青年の風采を告げた。交通巡査が直に赤いオートバイを飛ばして、その電車を押えて、青年と友達を引っぱって来た。 青年は三人共某大学生と名乗って、しきりに田舎者にあやまったが、田舎者は承知しなかった。三人は警察へ連れて行かれた。 一時は真黒な人だかりであった。記者もその中の一人であったが、今でも本物の不良かどうかわからずにいる。 大正十三年十月二日午後二時頃、浅草公園雷門前での出来事――。
色魔学のイロハ
女給をからかうのは、色魔学のイロハのイである。 眼ざすカフェーに毎日行って、十銭ずつ珈琲を飲む。それ以外に何も取らずに、必ず五銭宛余計に置いて来る。こうして三円使ううちには、きっと女給を二人以上引っかけて見せると、或る不良が云ったそうである。不良学も容易でない。 この頃は、女学生だの、職業婦人だの、又は上流の淑女、令夫人たちが、ドシドシカフェー程度の飲食店に這入る。デモクラ精神の普及であろう。御蔭で不良は満作である。 気の利いたカフェーやその他の飲食店には、よく別室の設備がある。これは温泉の家族風呂、料理屋のチョンの間と同様、いろんな男女が人を馬鹿にする処である。外からは何も見えないが、○○と同じ程度に挑発する。 「不良」はよく一人でここに入って女給を呼ぶ。人待ち顔に話しかけて口説き落す。その代り失敗すると、コックや何かに半殺しの眼に合わされるが、その危険があるのでなお面白いと云う。 大きな有名なカフェーには御定連の名士? が居る。名高いカフェーゴロ、顔の古い艶種記者、不良老年、壮士の頭目、主義者のチャキチャキなぞが、午後の或る時間になるとズラリと顔を揃える。駈け出しの不良なぞはそれと知ったら縮み上る。そうして早くあれ位の顔になりたいと思う。学生が博士になりたいと思うのと対である。
好男子で乱暴者でピストルの名手
極印つきの不良少年に二種類ある。昔は硬軟の二つであったが、今では、その中に又、文化式と非文化式の二派が出来ている。たとえば、硬派で斬るの突くのというのは非文化式で、地位や名誉なぞいう社会的の生命を脅かすのは文化式である。軟派では野合式が非文化組、社交式が文化組である。昔もこの区別があるにはあったが、今の東京程著しくなく、又、今の東京程入り乱れていない。 その中でも硬派の非文化式という奴は、人間が怜悧になったせいか非常に減って来た。居ても満州や支那に飛んで行ったり、又は文化式の手先に使われて改宗したりするらしい。その代り文化式の方は恐ろしく発達して来た。 世の中の変遷はこうした不良の世界にもちゃんと現われているから面白い。否、「不良」の方が「世の中」に先立って変化して行くのかも知れぬ。 硬派の非文化式の中で、或る一人の事蹟は、今でも東京のカフェーゴロの間に語り草になっている。その話は、その男に脅迫された人の友人で、立派な官歴を持った人の談とよく一致しているから、聞いた通りここに書いておく。事実の有無は保証出来ない。只参考迄である。 その男は高い身分を持つ某家の令息で、好男子で、ピストルを撃つ手腕に独特のものがあった。 彼は十代から家を出て、乾児を連れて東京市中のカフェーを押しまわった。彼の前でちょっと生意気な素振りをする者があると、彼はいつも相手の意表に出る乱暴を加えてタタキ伏せた。 彼の乱暴とピストルは仲間の敬意の焦点となった。
警視庁を横目に睨んで脅迫
彼は遂に警視庁に挙げられて処分されたが、出獄すると間もなく、嘗て警視庁の巡査の先生であった有名な武術家某氏を単身訪問して暇乞いをした。 「今から東京を立ち去るから、旅費二百円程頂きたい」 と要求した。 武術家某氏は言下に拒絶した。 彼は黙って懐中から短銃を取り出して見せた。 「今この中に六発の弾丸が這入っております。その第六発目で貴方を撃つのですから、そのつもりで見ていて下さい」 と念を押して、悠々と一発放った。その弾丸は武術家某氏の耳朶とスレスレに飛んで天井を貫いた。 某氏は粛然としていた。 ――二発――三発――四発――。 皆耳とスレスレに飛んだ。 ――五発――。 武術家某氏は手を挙げて制止した。望み通りの金を与えた。 これは今日迄秘密にされているという。 彼はその金を持って有力な乾児と共に東京を出た。各所の有名な富豪を訪れて金を強要したが、 「今日金が無ければ、明日何時に貰いに来る。警察に訴えるのは自由である」 といった調子であった。その中の一つで釜山に起った事件は、その当時、本紙にも載ったから思い出す人もあるであろう。 彼は満州から支那方面に去ったらしく、その後の消息は聴かぬ。
文化式不良学
今の東京にはこんな非文化式は流行らぬ。その代り文化式が全盛で、極印付きが三千何百も居るのだからウンザリする。今から二十何年前の非文化旺盛時代が坐ろになつかしまれる位である。 こんな文化式不良の札付きになると、東京市内外の不良の系統がわかって来る。同時に不良学上の智識と興味がズンズン付いて来る。 第一に東京市中の案内が、親の家の中よりもよくわかって来る。それも町筋や電車系統位の事でない。眼ぼしい店ならば、その営業振りや店員の顔ぶれ、お客の筋。工合のよさそうな異性の家ならば、その内情や生活振り、家の構造、近所との関係なぞを、その家の主人よりもよく知るようになる。 警察や憲兵署員の顔と名前、性質等は特に大切である。交番の所在はもとより、抜け路地や飲食店の案内、眼じるしになる家とか木や石の形まで、必要に応じて記憶して、抜け目なく利用し得るようになる。 警官達を親友みたようにしているのも居る。手先になっているのも居るらしい。
世間が馬鹿に見える
不良学の中で最も六ヶしく、面白いのは、他人の心理を見抜く術と、その隙に乗ずる呼吸である。これは普通の世渡りにも必要なものであるが、不良の方の術と呼吸は世間並の裏を行くのだから六ヶしい。 人間の心理を、大人と子供、男と女、又は職や生活に依って区別して、あらかたこんなものと飲み込んでいるばかりでない。その場の調子に依って自分の心理状態までも一瞬間にかえてしまって、相手の気持ちに吸付いたり、又は薄トボケて捕まり損ったりする術と呼吸の必要は、不良生活の到る処に出て来る。理想的に云えば実世間の名優でなければならぬ。 この辺まで研究が積むと、人間が皆馬鹿に見えて、面白くてたまらない。講談本や探偵小説にある巨盗怪賊の忍術は、こんな事を云ったものかと思われると吹き立てる不良さえある。無論当てにはならないが……。 現代の教育には、この人間学の一科目が欠けているため、学生は皆、学校を出てからポツポツ研究に取りかからねばならぬ。それは不良は早くから裏面的に研究して、ドシドシ実際に応用している。世間見ずの令息令嬢が引っかかるのも無理はない。 ところで、そんな人間学の先輩――不良学のお手本が日本一に集中しているのは東京である。
場所に依って違う不良の種類
東京の不良は場所に依ってタチが違うようである。土質に依って植える草が違うのと同じわけであろう。 浅草は主として脅迫や誘拐で、千住方面は相も変らず遊廓や魔窟相手のゴロが多い。神田、本郷、早稲田方面は書物泥棒や下宿屋荒し、麹町、青山、牛込、渋谷あたりへかけては誘拐や色魔式が横行する。又、下町一帯は万引やカフェーゴロの仕事場で、山の手は色魔や詐欺の本場と云ってよかろう。東京市外となるとそんなのがゴッチャで、しかも盛に行われる。飲み逃げや喰い逃げは無論全部共通である。 気の利いた不良になると、遠く東京郊外の温泉地、遊覧地、海水浴場までも活躍する。但、こんなのには色魔式が多いので、東京市内及付近では、小石川の植物園が何といってもこの式の大中心地である。しかも最高級から最低級まで横行するので、バラックの裏手の午前零時頃は、用事が無ければ通る気になれない位であった。 その次は井の頭で、これはどちらかと云えば高級なのが多いらしい。但、夜は高級か低級か保証の限りでない。根津権現はその又次という順序である。その他大小の公園、神社、仏閣、活動館、芝居小屋、カフェー、飲食店なぞが、色魔式の活躍場所である事は云う迄もない。 このような不良の活躍ぶりを見ると、社会の欠陥がよくわかる。三千何百の不良を養う東京の社会的欠陥はどれだけに大きいのであろう。
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