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探偵小説の真使命(たんていしょうせつのしんしめい)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-10 9:53:45 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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探偵小説が下火になって来た。 曾ての自然主義文芸がそうであったように……。 自由民権思想がそうであったように……。 人類の趣味傾向が、かくして遂にドン底を突いてしまったのだ。 明治維新以来、西洋文化の輸入に影響されて日本人の趣味が急劇に低下して来た。以前から忌避し軽蔑されていた肉慾描写や、不倫の世相が、自然主義の輸入以来逆照され初めた。人間が不合理視され、禽獣道が合理視されるようになった。それは、たしかに新しい傾向であった。 ところが明治末期から大正以降に於ける探偵小説の流行は、そうした傾向を更に低級化し、深刻化した。モット尖鋭な肉慾や露骨な犯罪心理に深入りする趣味を、日本人に逆照して見せた。そうしてその逆照手段が本格、変格のあらゆる角度に向って急速に分析され、分科され、単純化され、平凡化されていく 探偵小説はだから、今やその最後の牙城に逃込みつつある。…… 探偵小説の真価値は、そのトリックに在る。謎々の興味に だから探偵小説は芸術であってはならない。 エロ、グロ、ノンセンス、ユウモア等の謎々以外の風味を含ませるのは探偵小説の邪道、堕落道である。冒険、神秘、怪奇、変態心理、等々々の名を冠らせ得る小説は、探偵小説界の外道、寄生虫でしか在り得ない。そんなものは皆、この真の探偵小説界の非常時に際して、変格の名の下に、強烈な下剤を以て探偵小説界から駆除されなければならないのだ。 探偵小説はどこまでも探偵小説として、ストーリー本位の使命を守って行かねばならない。単なる謎々の筋書のみを守って行く所謂本格に生きて行かねばならないのだ。 しかもその本格モノを書ける作者は現在の日本に極く少数しか居ない。のみならずその少数者は結局「一人二役」「探偵即犯人」「偽アリバイ」等々の極めて少数トリックが存在し得るだけの数だけしか探偵小説は書けない事に理論上なっている。その水の手の切れた、敵から案内を知り抜かれている、狭い、窮屈な牙城に一人か二人しか居ない探偵小説家は 「本格以外のものは探偵小説ではないぞ」 ……と……。大勢の二股武士、変格探偵小説家の群れは、これに対して一言も答え得ない。……たしかにその通りである……同時に絶対にソンナ事はないぞ……という言葉を口の中で戸惑いさせつつ、ヒッソリと静まり返って、相も変らず水の手の豊富な外廓をウロウロしている。 だから日本の探偵小説界は現在、物の見事に行詰まっている。孤城落日である。 仏も仏教の教義が、日本人の頭脳によって急速に分析されて、あまりにも種々の宗派を分岐し、あまりにも方便化され、単純化された結果、遂に今日の如き堕落、行詰まり時代を招致したように……等々々……。 以上のような諸現象を毎日毎日目に見、耳に聴いて来た吾々探偵小説ファンは、思わずタメ息せざるを得ない。探偵、猟奇小説界に於ける一切の新人も、思わず 新しい人々の自由奔放な大暴れが期待したくなった。笑われてもいい。憎まれても構わない。それが探偵小説界のためだと思い込んでしまった。筆者は敢えて云う。 所謂、本格探偵小説なるものは探偵小説の原始的な型を伝統している純粋種である。今から百年か二百年か前に流行していた、あらゆる種類の文芸の中から進化し生れた、より新しい、より深い、より痛い文芸である。一切の芸術の伝統精神と形式から離脱して、人間の心理を今一層深く、アケスケに 今までの芸術は望遠鏡か、写真機か、又は顕微鏡のレンズでしかなかった。単に焦点を作るのが、その使命であった。 これに反して探偵小説の使命は三稜鏡で旧式芸術で焦点作られた太陽の白光を冒涜し、嘲笑し、分析して七色にして見せる尖端芸術である。従来の心理描写は平凡な心理描写に過ぎなかった。だから将来の心理描写こそは真実な心理そのものの解析、綜合でなければならぬ。 こうした趣味、傾向に人類を導くために、曾ての探偵小説は従来の芸術が金科玉条として死守して来た美学上の諸条件を だから云う。純粋種は実に尊い、有難いものである。吾々は純粋種の味を時々回想してみる必要がある。 しかし正直のところ今となっては純粋種はあまり美しいものでも だから云う。 鶏の人類に対する真実の使命はその変種に在る。食用鶏は卵が少く、採卵用鶏は肉が 同様に探偵小説の真の使命は、その変格に在る。謎々もトリックも、名探偵も名犯人も不必要なら捨ててよろしい。神秘、怪奇、冒険、変態心理、等々々の何でもよろしい。吾々はもはや太陽の白光だけでは満足し得ないのだ。スペクトルの七色光だけでも既に満足し得なくなっているのだ。紫外、赤外線は勿論のこと、その中に横たわる暗黒線の内容までも分析して、何かしら戦慄的な、絶大恐るべき毒線を作る原素の潜在を確保しなければ、良心的に生き甲斐を感じなくなっているのだ。どこまでも探偵し、暴露して行かなければ本能的に満足が出来なくなっているのだ。 探偵小説の使命はこれからである。 全世界はまだまだそうした探偵小説の処女地である。何でもない暑中見舞のペン字の曲り目から、必死的な殺人の呪いが分析され、新しいハンカチの折目から持主の不倫行為の現場が映写し現わされ得る筈だ。 この無良心、無恥な、唯物功利道徳の世界は到る処に探偵趣味のスパークが生む、新しい芸術のオゾン臭が、生々しく 新人よ、 日本民族の趣味は確実に、敏速に低下して行きつつ在る。肉慾から犯罪へ――文芸趣味から探偵趣味へ――唯物科学から、唯心分析へ――良心から――無良心へ――。 だからコンナ風にも考えられるようである。 探偵小説は、良心の戦慄を 最後に探偵小説が文芸であるかドウカは責任を負う限りでない。 だから題材の選択は無限の自由さを持っている筈である。だからその選択者の個性が、極端に深刻、強烈に出る筈である。 それでいい……それだけでいいのだ。 底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房 1992(平成4)年12月3日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:小林徹 2001年8月8日公開 2006年3月2日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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