打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

暗黒公使(ダーク・ミニスター)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-10 9:48:03 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


   警視庁 第一捜索課長
   狭山九郎太氏 足下
     千葉県夷隅郡上野村字中島五百六十四番地[#地付き、地より3字アキ]
     士族 戸主 志村浩太郎 印[#地付き、地より3字アキ]
     明治十七年九月二日生[#地付き、地より3字アキ]
[#上記、1、2行目と4行目の「志村浩太郎 印」は中文字、それ以外は小文字。4行目「印」は○付き文字]

 小生は右の通り貴下と一面識もなき、一介の米国移住民であります。ですから左(さ)に申述べますような事を貴下に御依頼致しますのは非常な失礼で、且つ僭越である事を、深く自省致しておる者であります。しかし小生は小生の自殺に就いて、一度は必ず貴下のお手数を煩わすに違いないであろう。そうしてそのような事情に立ち到りましたならば、貴下は必ずや小生の死状及び、自殺の原因について深い疑問を抱かれるでありましょう。そうして今日迄、幾多の難事件を解決されました場合と同様に、貴下は事件の根本的原因に対して、単身、極秘密の研究調査を遂げられるでありましょう。しかもそのような事に相成りますれば、第一にこの遺書を発見して下さるお方は、失礼ながら貴下以外の何人でもあり得ない。又、小生の死後、妻ノブ子と、愛児嬢次の保護をお頼み申上ぐる程のお方も亦(また)、御迷惑ながら天下に唯、貴下お一人しかおいでにならない事を、深く深く確信致している者であります。

 何をお隠し申しましょう。小生はついこの数週間前まで、米国の黄金帝国主義の手先となって、世界の平和を攪乱する目的の下に組織された、極悪無頼漢の一団体、J・I・C秘密結社の西部首領の地位におった者であります。
 この団体の怖るべき内容に就いては、最早御承知の事とは思いますけれども、御参考のために、後程、概要を申述べたい考えでありますが、小生は最近に至りまして、或る動機から、今までの非行を恥じまして、この団体に属して売国的行為を続くるに忍びず、日本民族存立のため、断然、この団体を裏切り脱退するに決し、秘密裡に財産を纏(まと)めて日本に渡来し、去る九日夜、外務省機密局長M男爵閣下にお眼にかかりまして、J・I・C結社の暗号十二種(中には米国機密局にて使用中のもの二三あり)と、日本内地に散在するJ・I・C団員の名簿と小生の旅行免状とを提出し、然るべき御処置を伏願致しますと同時に、未練な申状(もうしじょう)ではありますが、妻と愛児の身上に就き特別の御寛典を仰ぎたく懇願するところがありました。
 然るにM男爵閣下には小生のかような窮状を見て呵々(かか)大笑されました。そうして小生の旅行免状を返却されながら次の如く訓戒をされました。
「……お前を悔悟せしめたその純乎(じゅんこ)たる大和民族の血を以(もっ)て、今後、国家のために報恩的の奉仕をせよ。お前の妻ノブ子の行為は疾(と)くに察知していたところであるが、余等(よら)は逆に彼女の手を利用し、虚偽の暗号電報を彼女に盗読せしめて、J・I・Cを通じて彼女の手を利用している米国政府を欺瞞していたものである。彼女は要するに頭のいい婦人の通弊として主義理想に走り過ぎたために、このような奸悪手段の手先に利用せられて、売国行為をさせらるるに至ったもので、決して彼女を悪人と云う事は出来ないと思う。さればお前達親子三人の生命は勿論、不問に附せらるべきもので、もとより外務省の関知するところではない。これを表沙汰にしても無用の反感と物笑いを招くばかりである。真の外交手段と云う事は出来ないであろう」
 と云われまして再び呵々大笑されました。
 この大笑の前にひれ伏した小生は、頭髪が一時に逆立ちました。
 J・I・Cの叛逆者に対する報復手段が如何に深刻執拗なものであるかを知っておられながら、小生等親子を、その呪いの中(うち)に放任しようとしておられるM男爵の意中を察して、骨の髄まで震え上らせられて退出しました。
 かくして小生等親子三人は、当然の酬(むく)いとはいいながら、天下に身を置く処がなくなったのであります。ただ一人、貴下の御同情を仰ぐより外に生存する道がなくなったのであります。
 放蕩無頼の酬い、又は売国奴相当の末期とは申せ、一切の同情と庇護とを受くる資格を喪失すると同時に、拳銃(ピストル)と、麻縄と、毒薬と、短剣とに取り囲まれて遁(のが)るる途(みち)もなくなっておりながら、僅に残る未練から、せめて妻子だけは無事に生き残らせて、日本人らしい一生を送らせたいばかりに、かような苦しい手段を以て、極秘密の裡(うち)にこの遺書を貴下に呈上する事の止むを得ざるに立ち至りました。小生の境遇に対し、一片の御同情を賜わりまして私の迷える魂を安んじ賜わらむ事を、三拝、九拝してお願い致す次第であります。
[#ここから1字下げ]
――因(ちな)みに――この遺書は内容を厳秘にして小生の旧友藤波弁護士に委託しましたもので藤波自身もこの内容を存じません。これは同人に内容を知らせて迷惑をかけたくない考えから致しました事で、一つには同人に預けておきました方が、可疑(いか)がわしい銀行の地下室に預けるよりも安全確実と信じましたからかように計らいました次第であります。
[#ここで字下げ終わり]

 次に、先ずJ・I・C秘密結社の恐るべき内容を暴露致します前に、順序として小生の経歴を少しばかり述べさして頂きたいと思います。
 小生の父は千葉県の旧士族でありまして、極端な漢学崇拝者でありましたが、御維新の際、彰義隊に加わって各地に転戦した事があります。その後一人息子の小生と共に、前記原籍地に隠遁致しまして、書道漢学の塾を開いておりましたが、近来の学校制度を極度に嫌いまして、小学校卒業後の小生を上の学校に進ませず、塾生と一緒に厳格な漢学教育を仕込んでおりました。これは性来のなまけ[#「なまけ」に傍点]者で自由思想崇拝者の小生としては実に不満苦痛に堪えない境遇でありましたが、父の厳命が恐ろしいと同時に、経済上の都合から、苦学をする勇気もないままに、止むを得ず隠忍致しておる状態でありました。
 然るにその父は、その後間もなく、小生が十六歳の時に死亡致しましたから小生はここぞとばかり、僅かばかりの家財を処分致し、村人の餞別を受けて東京に出まして、学校に入って新知識を得ようとしましたが、それまでの厳格な教育の反動が来ましたものか、親譲りの飲酒癖が次第に高まって来まして、遂に堕落学生の群に入り、種々の悪事と醜行に興味を持つに至り、数年の後にはM男爵の遠縁に当る富豪、現貴族院議員、枢密院顧問官久礼(くれ)伯爵の三女ノブ子を誘うて亜米利加(アメリカ)に渡航する事に相成りました。
 米国渡航後の小生はローサンゼルス市を相手とする草花栽培に着眼し、特に自分の趣味として酒類の合成法に深入りしまして爾後(じご)二十何年の間に幾多の新発見を致しました。従って、有機化学的の研究から毒薬の研究にも趣味を持つようになりましたもので、現在小生が所持しております一瓶の如きは小生手製の物の中(うち)でも最猛毒な一種であります。しかもこれは失礼ながら、ずっと後(のち)に手に入れました貴下の秘密出版にかかる『毒薬の研究』の中にも洩れているようでありますから、その製法を御参考迄に説明致しますと、臭気でもお解りになります通り木精(メチル)の一種で、ジャスミン油中のアンスラニル酸メチルエステルを石灰の媒合によって電気分解させて見た結果、偶然に得ました比重約七七の軽い液体であります。その化学式は調べて見ませぬから判然致しませぬが、一種の多価木精(メチル)であります事はたしかで、豚や犬等によって実験した結果を見ますと、先ず聴神経を犯されて、次に視神経を破壊してしまいますが、心臓には絶対に影響しないようであります。又黒人の奴隷を材料として研究したところによりますとアルコール中毒者、又は、飲酒して酔臥したものに注射した場合には、五分間後に確実な全神経の痲痺を起し、同時に全筋肉を強直させて、死前と同様の状態で絶息致しますので、絶対に苦悶を起しませぬ。但し、その時に飲酒していない者、又はアルコール中毒者でなければ単に阿片程度の愉楽な麻酔を感ずるに止まるという、極めて便利なものでありますが、非常に得難い液体でありますから大切に保存致しておりましたものが、計らずも今度役に立つ事と相成った次第であります。

 しかし、かような研究はずっと後(のち)に致しましたもので、渡米後の小生はそのような研究に耽る暇もなく、自分自身も固く禁酒を守りまして花栽培に熱中しましたが、その中(うち)に偶然、カーネーションの肥料にアマニンの実が適当している事を発見し、大輪の花を咲かせる事に成功しましてから、一躍花成金となり、巨大なる温室十数棟を所有するに至り、居住しておりましたロ市でも屈指の成功者として衆人の尊敬を受ける身の上と相成りました。
 愛児嬢次が生れましたのも実にこの時でありましたので(嬢次という名前は一見奇妙に感ぜられるかも知れませぬが変名ではございませぬ。これは同人が生れますと間もなく非常に虚弱な体質に見えて来ましたので、異性に形どった名前を附けると丈夫に育つという日本在来の迷信から、妻が小生と相談の上ジョージというクリスチャンネームを象(かたど)って附けたものであります。又、嬢次の母方の里は久礼(くれ)姓でございますが、万一貴下が同人をお探し下さる場合にはそんな名前を用いているかも知れませぬから御参考迄に申添えておきます)その頃の私達一家は、実に幸福そのものの象徴でありました。
 しかし、世間にありふれた、平凡な実例ではありますが小生を今日のような不幸のドン底に陥れたものは他でもありませぬ。この時の身分不相応な幸福そのものだったのであります。すなわち小生は自分の成功に気が緩むと共に、又も、生れ付きの飲酒癖に囚われるようになりまして、明け暮れロ市内の酒場に流連(いつづけ)し、家事は悉(ことごと)く妻に一任して顧みないようになりました。

 然るにこの頃、ロ市附近に一つの秘密結社が発達しかけておりました。この結社は初め、日本、印度(インド)、支那三国の無頼漢によって組織されておりましたので、その三国の英語の頭字を取ってJ・I・C団と名付け、主として西部亜米利加、及(および)、メキシコ境へかけた民家や、旅行者を荒す強窃盗やインチキ賭博を仕事にしておりましたが、その後次第に西北海岸の都会地に近づいて富豪や銀行を脅やかし、又は各方面の依頼に応じて暗殺を引受くる拳銃業者(ガンマン)の集団となり、英、米、伊、露、等の各国の無頼漢が参加するに及んで、遂に大仕掛の政治的金儲(かねもうけ)手段を引受くる大団体と化し、一時桑港(サンフランシスコ)に移しておりました本部を更に東、紐育(ニューヨーク)に移し、名士、富豪の暗殺、同盟罷工(どうめいひこう)の煽動等はもとより、各国に潜入して、悪思想の宣伝、革命等のあらゆる政治的の陰険手段を請負うに足る、恐るべき組織を完備するに至りました。
 この団体の首領は名をウルスター・ゴンクールと申しまして、小生と同年同月生れで、西班牙(スペイン)人の父と、猶太(ユダヤ)人の母との間に生れた混血児だと申しますが、一見したところでは純然たるヤンキーとしか思われませぬ。出身は墨西哥(メキシコ)境のアリゾナ州で、志を立てて英国の剣橋(ケンブリッジ)大学に遊び、法律を研究して帰ってから、西部亜米利加を放浪しておりますうちに、このJ・I・C結社に加盟したものでありますが、今から八年前に、同人がまだ、J・I・Cの一方の頭目として腕を揮っております時分に、ローサンゼルスの或る舞踏場で、偶然に小生と落ち合ったものであります。
 その頃彼は綽名(あだな)を禿鷲(コンドル)と呼ばれて、ロ市の盛り場一帯に鬱然たる勢力を張っておりましたが小生は同人と交際を結ぶや、その風采と、胆力と、学識と、弁舌とが如何にも堂々としているのに感心しまして、忽ち親友以上に仲よく相成り、吾が家に伴って妻の手料理で御馳走をした事が幾度もあります。ゴンクールのコンドルが、妻のノブ子に懸想(けそう)しましたのは確かにこの時に相違ありませんので、この時以来、今日に至るまで引き続いて参りました小生一家の不幸は、大部分コンドルの仕業(しわざ)と申しても差支えないのであります。
 コンドルは先ず小生と妻とを引き離すべく小生を誘って、J・I・C結社の団員に引き入れましたが、永らく日本を離れておりまして、一種の亜米利加式、無国民性者(コスモポリタン)化しておりし上に、無学で、無智でありました小生は、コンドルの云う通りにこの秘密結社の仕事を、最も男性的な、堂々たるものと信じておりました。すなわちこの結社は米国政府、暗黒局(ブラック・チェンバー)の直轄に属するもので、虚無党、社会党、無政府党以上に強大な勢力を有し(以上は或る程度迄事実)全世界に亘って弱きを扶(たす)け、強きを挫(くじ)く大侠客的の事業を行う理想的の直接行動機関(これは全然欺瞞)と信じまして、コンドルが指導するままに、持っているだけの毒薬の知識を事業遂行のために提供し、又は不良少年時代の記憶を再現さして、或は富豪を脅かし、又は名士を殺したり致しました。現在小生のポケットに納めております五連発の拳銃(ピストル)は、その時の形見でありまして、既に六人の生命(いのち)を奪ったものであります。申すまでもなく小生は酒さえ飲まねば、これ程までに判断力を喪(うしな)う者ではありませぬが、コンドルは小生のこの弱点をよく見抜いておりまして、いつも小生に酒と女を与えて良心を晦(くら)ましつつ、一方に小生が犯罪遂行の計画(プラン)に巧みな事と、比較的金銭に淡泊なため、仲間の人望が集まり易いのを利用して、着々、J・I・Cの勢力を張り、小生を表面的の傀儡団長とし、自分自身を実際の団長とする基礎を築き上げて行きました。
 斯様(かよう)にして小生が数年の間、桑港(サンフランシスコ)に在って、酒と、女と、悪事とを楽しみ、米国の民主主義的自由享楽思想の普及による世界の平和的統一の理想を夢みて、家庭の事を忘れております留守中に小生の妻子は実に、絵にも筆にも描かれぬ怖ろしい眼に会い続けておったのであります。
 或る夜ローサンゼルスの郊外に在りました小生の留守宅は、大勢の覆面強盗に襲われまして、金庫を奪われました上に、ノブ子の貞操までも蹂躙(じゅうりん)されようとしたのでありますが、折柄小生を訪問して来ましたコンドルは一身を以て賊を逐い散らし、ノブ子の危急を救いました。又、或る夜は、家(うち)の裏庭に積んでありました秣(まぐさ)から発火して、住宅を焼き払ってしまいましたが、その時も、偶然に来合わせたコンドルと、桑港(サンフランシスコ)から雉猟(きじりょう)に来ておりました藤波(この遺書の保管者にて小生の旧友)氏の御蔭(おかげ)で、煙の中に打ち倒れている妻子が救わるる事に相成りました。しかもノブ子はこのために一時病気となり、加うるに資金欠乏のために当座の仕事を中止せねばならぬ破目(はめ)に陥りましたが、コンドルはこの時も前と同様に親切に妻の世話を致しまして、巨額の金を貸し与え、仕事が続くようにしてくれました。そのような金をコンドルがどこから持って来たものか、私は今以て怪訝(けげん)に堪えませぬが、そのような事は気付かぬながらに、妻ノブ子は友人として衷心からの感謝をコンドルに捧げておりましただけで、小生の妻たる一事は決して忘れておりませんでした。
 以上の出来事が全部コンドルの策略であった事は申す迄もありませぬ。(但し、藤波氏は全然無関係)コンドルは斯(か)くして小生の妻に佯(いつわ)りの親切を尽す一方、機会ある毎(ごと)に小生の放蕩無頼な生活を聞き伝えるように仕掛けまして小生の事を思い諦めさせようと試みていたのでありますが、些(すこ)しも効果がない事を知りまして、遂に最後の手段に訴え、自身に変装して小生の留守宅を襲い、妻を誘拐しようとしました。けれども数度の事変に懲りておりました妻ノブ子は、この時、既に最後の手段を覚悟していたものと見えまして、強盗の一群が自分を取り囲んでいる事を知るや否や、極力これに抵抗して数名を射殺し、それでも力及ばない事を悟るとその場で愛児嬢次を殺して自殺する決心を示しましたので、流石(さすが)のコンドルも手を引くの余儀なきに至り、今度は方針を改めて、気永に策略をめぐらして、妻を吾物(わがもの)としようと巧(たく)らみ初めました。このような悪事に関する彼コンドルの執念深さは実に驚くのほかありませんので、その手段や技巧が割合いに露骨で、低級なものがあるにも拘らず着々成功して今日の大を致しました原因は一にこの根気に在るものと考えなければなりませぬ。現に女の方面にかけても、米国各地の富豪、有力者の令嬢、女優、女記者等で、明敏な頭脳の持主でありながら、唯一つ、コンドルのかような意志の反覆力に根負けして、彼の妾(めかけ)となり、彼の手先となって活躍している女性が十数名に上っているのを見ても一目瞭然で、従って彼コンドルが、ノブ子に対する執念を今日に至るまで放棄していない事も、明かに首肯さるる次第であります。

 コンドルは小生の妻ノブ子を責め落す半永久的手段の第一着手として、或る日隙を見て愛児嬢次を誘拐して見世物師に売り飛ばしてしまいました。そうして死なんばかりに狂い嘆くノブ子に嬢次の行方を探してやるのだからと云い聞かせて、東部、紐育(ニューヨーク)に連れ出しました。
 しかもノブ子はこの時までも、今迄の迫害がコンドルの所為であった事に気付かずにおりましたので、当時行方不明の形になっておりました小生に断る迄もなく、同人の親切に慰められて兎(と)も角(かく)も心を落着け、家財の全部を同業者に売り払って紐育に移住しましたが、愛児の行方は勿論のこと、色々な事を報告してくれる友人から遠ざかりましたために、小生の行方を尋ねるよすが[#「よすが」に傍点]さえなくなってしまいました。
 一方にコンドルもその後二三年の間はノブ子に付き纏って何かと親切振りを見せ、その心を動かすべき機会を探っておりましたが、遂にその折を得ず、強いて迫る時は自殺でも仕(し)かねない決心をアリアリと見せましたので、亜米利加女ばかりを相手にし慣れておりましたコンドルは、かようなノブ子の純日本式貞操観念を理解する事が出来ず、一種のヒステリーと考えましたらしく、熱心に入院静養を勧めた事もあったそうであります。一方に小生はまた、妻が小生を見限って、愛児と共に行方を晦ました旨をコンドルから聞きましたのみならず、小生が苦心して開拓した事業その他の財産までも妻が奪い去ったという報告を信じまして、全く妻子の事を断念し、依然として悪事の頭目となり、指揮計画者となりつつ、酒色に親しんでおりました。

 然るにこれを見ましたコンドルはイヨイヨ機会が熟したものと考えましたらしく、妻を手に入れる第二段の策略に取りかかりました。
 すなわちコンドルは友人の悪弁護士や偽探偵を使って、愛児嬢次の行方を捜索してやると言葉巧みに偽らせ、時々は見すぼらしい姿をした嬢次の写真を見せたりなぞしまして、四五年の間にノブ子の全財産を捲き上げてしまいました。ここに於てノブ子は窮迫の余り、僅かに残った金でタイプライターと簿記を習い覚え、紐育(ニューヨーク)北郊外ハドソン河の傍らなるマハン造船所の前に在る料理店ゴールデン・ハマーの事務員に住み込む事になりました。ところが、しかも偶然か天意か知らず、このゴールデン・ハマーこそはその当時J・I・C秘密結社の根拠となっていた処でありまして、コンドルはこの時、東部首領となって、当時危機一髪の境におりました欧洲大戦前の各国外交の裏面に活躍して、バルカン方面に根拠を据えて策動しており、小生は西部首領となりまして、桑港(サンフランシスコ)に根拠を構え、主として支那、朝鮮内地に活躍するJ・I・Cの資金輸送の仲介を仕事と致しておりました。
 然るに又、妻ノブ子はこのゴールデン・ハマーに住み込みますと間もなく、そのカーネション会社経営から得た事務的才能を発揮致しまして、店主アラン、及び、団員一同に認められるように相成りました。そうして日本のJ・I・Cにまだ然るべき中心人物が居ないために、その情報部長としてノブ子を派遣する事に内定し、店主アランとゴンクールの両人から、言葉巧みに結社の加入を勧誘し初めたのであります。
 ところで元来この、J・I・C結社の建前と致しましては、その国々に同情を持たない他国人、もしくはその国に深怨を抱いている隣国人を密偵として派遣し、その国人に対する兇悪なる仕事の遂行、もしくは団員相互の制裁等に、情実的な間違いの起らないように警戒するのが通例となっておりますので、この意味から申しますと、こうした団員の決議は異例に属する事でありました。殊(こと)にかような女を、日本内地に於けるJ・I・Cの首領とも見るべき情報部長に決定したというのは異例中の異例に属するものでありましたが、その理由と申しますのは他でもありません。J・I・Cの団員が貴方(あなた)の名声を恐れていたからであります。すなわち先年、貴方が英国大使館の日英同盟に関する重要書類紛失事件に関係されました際、現場の近くに吐き棄てられたチューイング・ガムの形状によって、その犯人の国籍と職業を推定し、事件発生後二時間を出でず、東京市内を脱出する暇(いとま)なき以前に犯人を逮捕されたる事実が、日英両国を除きたる各国の新聞に漏洩し、大々的に報道されましたので、かくの如く外国の事情に精通したる名探偵には、外国人は不向きかも知れぬ。寧(むし)ろ日本人の、しかも女を派遣して、意表に出る策略を執ったならば却って安全かも知れぬという説が多数を制しましたために、コンドル首領も不承不承に承知したものと考えられます。
 しかし申すまでもなくゴンクールのコンドルは、この事を少しも小生に相談しませず、ただ愛児嬢次が日本に居るらしいと偽って、妻を日本に追いやったものでありますが、馬鹿正直な妻ノブ子はこの時までもなお、コンドルの人物と仕事が不正不義なものである事を気付かず、コンドルは世界中の国々の法律や制裁に関係なく、秘密の裡に不幸なる民族国家を助くる超人的人物と信じ切って結社加入を承諾しましたものだそうで、同時に又、小生がこの結社の西部首領となっておりました事も、この団体の完全な秘密組織のために遮断されて夢にも聞知していなかったそうであります。すなわち小生も妻も、結社加入以来一度も本名を名乗らず、変名、もしくは自己の標識番号のみを以て通信し、且つ、英文タイプライターばかりで事務通信をしておりましたので、数限りない手紙や電報を取り交しながら、一度もその夫であり、妻である事を知り得なかったのであります。
 かような次第で、妻ノブ子は、伜(せがれ)嬢次が日本に居るらしいという話を聞くや、大喜びでジェイ・ファースト(J・1)の番号を貰いまして、小生が居りました桑港(サンフランシスコ)を秘密裡に通過して日本に参りました。そうして東京麹町区土手三番町浸礼教会跡に隠れ、外務省機密局に奉職し、J・I・Cのために働く一方、精魂の限りを尽して愛児の行方を捜索しておりますうちに、早くも三年の月日を経過致しました。

 然るにこの時、ノブ子が日本に到着する以前から初まっておりました欧洲大戦は正に酣(たけなわ)となっておりまして、聯合国側と独逸(ドイツ)側と、いずれも絶体絶命のところまで押し詰め合って、双方の力は殆んど相伯仲しているかのように見えておりましたのが、漸次独逸側に有利となって来る形勢を示しておりました。すなわち聯合軍側は各種の利害関係と、人種的、もしくは国家的反感のために、統一力の不足を明かに暴露致しておりました上に、勤倹質素の生活に堪え得ないため、刻々に物資の不足を来し、独逸軍の決死的奮戦に見る見る圧倒されまして、今三箇月もすれば決定的に、四分五裂の守勢敗北状態に陥るものと観測されておりました。
 ここに於て米国ウオル街の金権連中の中でもモルガン一派の富豪は、その当時までに聯合国側に供給しておりました巨額の資金と物資が貸し倒れとなるのを恐れまして、今まで最後の最後の最後通牒を独逸(ドイツ)に発しつつ軍備の充実を計る傍ら、形勢を観望しておりましたウィルソン大統領の部下二三名の者に賄賂を贈って、出来る限り参戦を早め、至急に動員を行うように勧告させました。
 同時に一面に於て、かような形勢に対する大統領の決意を早くも察知しましたウオール街の金権、資本家連中は、直ちに西比利亜(シベリア)出征米国司令官、日本、及び支那駐在の米国使臣と秘密裡に交渉を重ね、又、他方面には英国愛蘭(アイルランド)の独立運動に潜入せるJ・I・Cの密偵首領と十分なる協議を遂げた後(のち)、露西亜(ロシア)と、独逸と、支那の反乱を助けて、三国を米国資本の支配下に置くべき方針を決定し、モルガン一派と相前後してウィルソン大統領にこの旨を進言しました。これは強大なる陸軍と、高潮せる民族意識を保有せる独逸と露西亜を圧倒すると同時に列強の弱点を押え、一方に支那の利源を糧(かて)として東洋の覇権を握らむと焦慮しつつある日本の死命を制して、全世界を米国資本の植民地化し、米国をして事実上の世界の王たらしむべきウィルソン氏の理想と一致するものがありますが、果して偶然に一致したものかどうかという事は小生の存じております範囲では不明であります。ただ小生はコンドル、即ちウルスター・ゴンクールが、ウオル街の資本家代表グランド・シュワルト(旧タマニー・ホールの残党?)氏より巨額の資金を受取りまして、この手段の実行方法に就き小生の忌憚(きたん)なき意見を求めて来た事実を知っているのみであります。

 かくしてウオル街の資本家代表G・シュワルトは、この種の仕事を一手販売にしておりましたJ・I・Cにこの大事業を依頼して来ましたので、コンドルは欧洲方面を引受け、小生は東洋方面の仕事を担任するに決し、その計画を立てる事になりました。
 その計画の第一は、先ず、目下満洲に勢力を張っております張作霖に軍資金と、十数台の優秀なる飛行機を貸し与え、従来の親日傾向を放棄させて日本を圧迫させる一方に、一時平静に帰しております支那の内治を再び攪乱し、その虚に乗じて、支那各地の利権と、金融機関の中心を掌握するにありました。
 又、これに並行する第二の計画と申しますのは、目下西比利亜(シベリア)の実権を掌握しております白系露人の有力者を強大なる金力で糾合して一丸となし、極東露西亜帝国を建設し、その心臓となるべき浦塩(うらじお)の金融機関を米国の一手に掌握し、豊富なる西比利亜の金鉱、石炭、木材等の利権を開発する事でありました。
 申すまでもなく、如上(にょじょう)の計画は小生の一存で決定したものではありませぬ。ウオル街代表G・シュワルト氏の意を受けたJ・I・C幹部の大体計画によって小生が細部の意見を附け加えましたもので、精密な内容は外務省機密局長M男爵に報告してありますから、ここには略さして頂きますが、ただここに一つ、この仕事の可能か不可能かの運命を決定する重大問題がありました。G・シュワルト、W・ゴンクール、並(ならび)に小生は勿論の事、米国政府の首脳部も唯、この問題の一つのために、極東に対する政策の根本方針を決定し得ずにいる深刻な事実がありました。
 それは日本が保有している石油の量という、極めて簡単な一問題でありました。
 御承知の事とは存じますが、現在、及び、将来の戦争に於て、その一国の戦闘力を根本的に支配するものは石炭でもなければ、火薬でもありませぬ。唯一つの石油であります。飛行機、軍艦、自動車、タンク等、戦略、戦術の死命を制する器械は悉(ことごとく)重油、軽油を動力とする時代となって来たのであります。
 そのような時代のまっただ中に、地質の関係上、太古以来石油に恵まれておりませぬ所謂(いわゆる)「乾燥島(ドライアイランド)」の日本が、最近の対外政策に関して、どれだけの苦悶を続けて来ました事か。越後の油田は涸渇に瀕し、数百万の生霊の代償として露西亜から貰った樺太(かばふと)の油田が思わしからず、台湾の新油田も多寡(たか)の知れたものである事が判明している今日(こんにち)、石油の不足から来る覿面(てきめん)な戦闘力の不足のために、世界無比の軍隊を有する日本民族が、どれだけの軟弱、退嬰(たいえい)外交を続けて来ました事か。
 最も手近い例としては、吾々移民が、日本のこの弱点を知っている米国政府のために、如何に虐殺的、もしくは半虐殺的の圧迫、侮辱の忍従を本国政府から強いられましたことか。
 日本が欧洲大戦に本気に参加せず、東部戦線に於ける露国の敗退を救うべく、英国から再三の慫慂(しょうよう)を受けたのにも応じなかったのは、偏(ひと)えに背後の米国を警戒して不足勝ちな石油を蓄積したいためと伝えられておりますが、このために日本民族の実力が欧米各国から如何に軽視される立場に陥って来ましたことか。
 更に日本が彼(か)の日英同盟を廃棄し、新嘉坡(シンガポール)と濠洲海軍の脅威を覚悟しつつ日仏の秘密協商の成立に焦慮しているのは何のためでもない。日本が仏領(ふつりょう)印度(インド)に於ける豊富な油田に着眼した結果だと伝えられておりますが、この憐れな石油乞食と化しつつある日本民族の状態を布哇(ハワイ)と比律賓(ヒリッピン)に居る米国の太平洋艦隊が如何にせせら笑っておりました事か。
 このために東洋の時局……特に支那方面に於ける日本民族の発展政策が、如何に米国……特にアングロ・サクソン民族の資本主義政策の横暴専断に任せられて、如何に手も足も出ないまでに叩き付けられて来ましたことか。

 ところがこの形勢が最近に至りまして意外の変化を徴(あら)わしはじめたのであります。日本民族のこうした石油不足から来る軟弱外交が、次第に強硬化して来ました事を、米国の機密局は鋭敏に感じはじめたのであります。同時に紐育(ニューヨーク)ウオル街新タマニー・ホールの首脳部連中は、日本内地に於ける日米戦争に関する著述の出版が、次第に露骨化しつつある事実に驚きはじめたのであります。その他、比律賓附近に於ける日本海軍の大演習。潜水艦の夥しい建造。日本のガソリン製造技術の急速なる進歩。米国の隣国ともいうべき南米ブラジルに対する堂々たる移民開始。満洲に対する露骨なる出兵、等々々。いずれも米国政治家の驚目駭心(きょうもくがいしん)の種とならぬものはありませぬ。これは一体、どうした事でありましょうか。こうした日本の対米態度の硬化はそもそも何を意味するものでありましょうか。
 日本在来の石油タンクの数はその後すこしも増加した模様は見えませぬ。新しい有力な油田が発見された噂も聞えませぬ。それだのに日本は何を力としてかように対米外交の態度を硬化させて来たものでしょうか。これは米国の上下の専門家、非専門家が均(ひと)しく驚愕、怪訝(けげん)の眼を※(みは)っているところであります
 かくして日本の石油保有量に関する疑問は「日本一蹴(いっしゅう)すべし」という主張の下に樹(た)てられたる前記の東洋米化政策を実行すべきウオル街の金権政治家と、その仕事を引き受けたJ・I・Cの首脳者とが、その政策の実行に先立って、深甚の考慮を払わねばならぬ重大問題と化して来たのであります。

 この問題に関する前記のウオル街、全権代表、G・シュワルト氏と、コンドルと、小生との間に行われました前後数十回の討議は、米国式国民外交の特徴を遺憾なく発揮した波瀾万丈を極めたものでありました。勿論、その会議の中(うち)にはG・シュワルト氏の紹介による匿名の政府吏員も適時参加したのでありましたが、その結果最後の勝利を得たものは、あくまでも強気一点張を以て終始したコンドルの主張でありました。
 すなわち……。
[#次の3項目は2行目以降1字下げ]
一、日本の対米硬化は恐るるに足らず。米国政府の極東政策は既定の通り実行すべし。
二、日本の対米外交硬化の原因は、新油田発見の報なき点より見て、石油の秘密購入貯蔵にある事明白なり。又、新動力機関の発明等に非ざるは軍艦、潜航艇等の改造、新設計等が依然として旧態に依るを見ても明かなり。故(ゆえ)に日本内地に於ける石油の秘密貯蔵個所を発見して、万一の際これを爆破するだけの用意を整えおけば、それだけにても戦闘準備は十分なり。
三、日本内地に於ける石油の秘密貯蔵場所を発見する事と、万一の際、これを爆破する準備とは、吾々J・I・Cの一手に委任されたし。
[#ここで字下げ終わり]
 ……云々……というのでありますが、尚、御参考までに申添えますと、私共はこの第三項の石油貯蔵場捜索のために、日本内地に居ります○○、及び、△△△△を使いまして、来春の学校休暇を手初めに旅行、或はキャムプ生活を奨励し、全国鉄道の沿線、特に××××沿線附近の私設鉄道の輸送状態を過去四五年に亘って詳細に調査する事に決定したものであります。
 そうしてこの仕事の主任……すなわち、所謂(いわゆる)「暗黒公使(ダーク・ミニスター)」となって日本に渡るべく、米国機密局の白紙命令(ブランクオーダー)を受けました小生が、仕事の確実を期するために、日本内地に散在するJ・I・C団員の本名と国籍とを一々取調べさせております中(うち)に、劈頭(へきとう)第一に内報を受けましたのは小生妻ノブ子の名前でありました。
 小生はかくの如き事情の下に、日本に渡って来たのであります。すなわち妻ノブ子を米本国に逐い返して、自身に代ってこの大事業を遂行すべく、テキサス州の富豪中村文吉と偽り、当座の費用十五万円を携えて去る五日、横浜に到着、直ちに東京に入って帝国ホテルに宿泊し、その翌日外務省に在勤中の妻を呼び出して本郷菊坂ホテルの一室で面会したのであります。
 その時小生は妻に面会しましたならば、烈しく妻の不都合を責め、それを理由として遮二無二米国へ逐い返す考えでありましたが、事実は却って正反対の結果になってしまいました。
 ノブ子の涙ながらの物語によって、同人が小生と愛児嬢次のため非常な辛苦艱難(かんなん)と闘いながら、よく貞節を守り通して来ました事実を、初めて、しかも詳しく承知致しました小生は徹底的にたたき付けられてしまいました。今までの小生の行跡が如何に不都合、非道、且つ無反省なものであったかを心の奥底から覚らせられました。且つ、それと同時に、妻が外務省の反古籠(ほごかご)の中から拾い集めておりました色々な報告によりまして(これもM男爵の所謂逆手段であったかも知れませぬが)満洲王張作霖(ちょうさくりん)は、決してコンドル、及び、グランド・シュワルトが小生に説明せし如き大人物に非ず。その力は支那全土を攪乱するに足らず。その部下と共に良民を苦しめて不義の栄華を楽しむために汲々としておる者で、今日これを援助するにしても、他日に於て、果して米国のために信義を守る者であるかどうか、信用の限りでない事が判明しました。
 かくして小生の良心は漸く眼覚め初めました。一方に妻の貞節に動かされて、今までの行いを後悔致しました小生は、一方に小生が初めから終(しま)いまでコンドルに欺かれておった事を覚りました。酒色のために良心を晦まされて、資本主義的に腐敗堕落した米国一流の悪政治家の野心を感知し得なかった自分の愚を覚りました。民族的自覚を喪った各人種の綜合体である米国の無政府、無国家的唯物資本主義、もしくは黄金万能主義が組織する社会の必然的産物として、夜を日に継いで醸成されつつある、あらゆる不道徳、不自然、不人情、反法律、反逆、破壊、放縦(ほうじゅう)、堕落、淫虐の強烈毒悪なる混合酒に酔わされて、数千年来自然に親しみつつ養い来った日本民族の純情を失いかけていた自分自身をやっとの事で発見しました。そうしてそのなつかしい日本民族の勢力を殺(そ)ぐべき事業のために、残忍非道なる無頼漢の命(めい)を奉じて出て来た今度の旅行が、如何に屈辱的な、非国民的なものであったかを深く深く反省させられました。
 妻ノブ子の純情によって……愛児嬢次に対する純愛の再生によって……。

 小生のこの時の煩悶が如何に甚だしかったかは、御賢察に任せるほかありません。
 それから後(のち)小生は丸二日の間一度も帝国ホテルへ帰りませんでした。市の内外各所の酒場料理店を次から次へと飲みまわって良心の声を聞くまい聞くまいと努力しました。妻らしい女の影を見ますと、良心に追いかけられるように往来をよろめきつつ駈け出しました。夜は又眠られないままに、こっそりホテルを脱け出して、代々木方面の草原(くさはら)に寝て星を仰いで考え明かすなどして、僅かの間に脱獄囚のように窶(やつ)れ果てた一事でも、略(ほぼ)、御賢察が願える事と思います。
 けれども私は遂に良心の追跡から逃れる事が出来ませんでした。
 小生は去る十月八日の早朝、前後不覚に酔いたおれて、どこかわからないまま睡っておりました草原の中から頭を擡(もた)げますと、折りから降り出した時雨(しぐれ)の中に、蒼然(そうぜん)と明け離れて行く宮城の甍(いらか)を仰ぎました瞬間に、思わず濡れた草の中に正座しました。すっかり酔いから醒め果てて、くたくたに疲れきったその時の私の心の底には、もう理想とか、主義とか、意地とか、張りとかいう理窟めいたものは影さえ残っておりませんでした。そうして、そんなもの以上に切実な真実心ばかりが澄みきって残っていたのでありました。
 その澄みきった真実心をもって静かに仰ぎ見ました時に、初めて宮城の気高さと尊さがわかりました。これこそ吾々日本民族が、この真実心を以て守り伝えて来た、その真実心のあらわれに外ならぬ。あの瑞々(みずみず)しい松の一葉(ひとは)一葉、青い甍の一枚一枚、白い壁の隅々、あの石垣の一個一個までも、こうした日本民族の真実心の象徴に外ならぬではないかとしみじみ思い知りました。
 私の心がしずかに、神々しく私に帰って参りました。そうして雨の中に悽愴(せいそう)粛然と明けて行く二重橋を拝しまして、大自然の心の中(うち)にある最も崇高な、清浄な心の結晶が昔ながらに在(おわ)しました事を感謝しました。雨にずぶ濡れになったまま青草の中にひれ伏して、今までの小生の罪を繰返し繰返しお詫び致しました。
 かくして小生は主義も理想もない天空快濶な自然の児(こ)に立ち帰る事が出来ました。二十年前(ぜん)の若い田舎書生の心となって、恐る恐る帝国ホテルに帰って参りました。
 小生はその翌日、前記の如くJ・I・Cの秘密文書をM男爵の手に交付すると同時に、頭を短かく刈り、鬚(ひげ)を剃り落し、服装を改めて東京駅ステーション・ホテルの十四号室に這入りました。それから十五万円の金は正金銀行から引き出して東洋銀行に入れ、荷物は皆、帝国ホテルに放棄しておきました。これは小生が今度の要件のため、急にいずれへか出発したものと見せかけるためでありました。

 かようにして意を安んじました小生は、早くも五月蠅(うるさ)く付き纏う暗殺者の眼を逃れつつ、妻に危険を及ぼさぬように注意して二三度面会致しました結果、ウルスター・ゴンクールが伜(せがれ)を人質に取り、妻を威嚇(いかく)せんと致しております事情を知りました時には、思わず悲憤の情に満たされて、又しても凡(すべ)ての物を呪いたい気持になりました。しかし最早(もはや)、自分自身が、J・I・Cの呪いの的となっておりますばかりでなく、官憲の保護を受くる資格さえ喪っている上に世間から一片の同情をさえ受けられない身の上となっておりますからには、とてもこの運命に抵抗する力が得られない事と深く深く自覚致しましたので、せめてもの事に、自分一人を殺して、妻子の生命(いのち)だけでも救い止めたい決心を致しまして、小生の所持金の全部を妻に与え、残余を以て一身の後始末を致し、万事を貴下に御依頼申上ぐる決意を固めまして、やっと只今その決心の大部分を実行し終ったところであります。
 あとはこの遺書を旧友藤波弁護士に依託して後(のち)、このホテルを脱け出して駅前の広場のまん中にある立木の根方に腰をかけまして、酔っ払いの真似をしながら、この二枚の名刺を埋めて帰れば万事を終る手筈になっておるのであります。

 狭山九郎太氏よ。
 かくの如き無恥、無徳、ほとんど一片の同情にだも価しない売国奴の小生が、正義、法律の執行官たる貴下に対して、かような厚かましい事を御依頼申上ぐる資格がない事は、明かに自覚致しております次第であります。
 しかしながら貴下よ……。
 叶いまする事ならば、小生と、小生の妻子とを同一視なさらないようにお願い致したいのが小生の最後の切ない希望なのであります。
 小生の妻も、妻と生写しの姿と声とを有しております伜の嬢次も共に、純正なる日本民族の血と肉と精神とを保有致しておるに相違ない事を貴下の前に誓わして頂きたいのであります。
 伜の嬢次がコンドルに誘拐されましたのは四歳の時だったそうでありますが、その容貌はもとより皮膚の色から、髪毛(かみげ)の生え際に至るまで妻と生き写しでありまして、少し大きくなりましてからは声までも妻の声と間違いましたそうで、ただ耳だけが小生のと同じ恰好をしていた事を記憶しております。今はどれ位の背丈になっておりますか存じませぬが、ちょうど十五歳になっております訳で、小生が只今宿酔(しゅくすい)から醒めまして、死期の近い事を覚悟致しております気持ちの、異様に澄み切った遥か遥か彼方に、その嬢次の姿が立っておりまして、まだ見ぬ父母を恋い慕いつつ、日本の空をあこがれております心が、ハッキリと感じられておるのであります。
 けれども、それと同時に彼(か)の恐るべき禿鷲(コンドル)の爪が、その愛児嬢次を虚空に掴みつつ、日本に飛んで来まして、その恐ろしい翼で、妻ノブ子を羽搏(はう)とうとしている事実がありありと感じられておるのであります。聞くところに依ればコンドルは目下東部亜米利加(アメリカ)に於て、欧洲各国からアブレて参りました曲馬師連を集め、部下の中(うち)でもこの方面に心得のあるものをこれに配合してバード・ストーン曲馬団なるものを組織し、各地で興行をして大喝采(かっさい)を博しており、近く東洋方面にも興行に出かけるらしい噂を承わっております。これは別にコンドルから直接聞いた訳ではありませぬので、特にコンドルが小生にだけ隠しておる計画ではないかと考えられるのでありますが、しかし、いずれにしても小生はこの噂の実現の真実性を信じて疑わないのであります。

 この小生の死後の敵コンドル事、ウルスター・ゴンクールは前にも申述べました通り、風采の堂々たる好紳士で、表面では口癖のように正義人道を高潮しておりますが、実はアリゾナ生れの兇悍(きょうかん)冷血なる無頼漢で、その強烈なる意志と胆力とによって、不断に部下を畏伏させ、戦慄させておるものであります。彼は酒を飲まず、煙草を用いず、語学は元来不得手の方で、仏、伊の二箇国語を心得ておりますが、日、支、朝鮮、印度方面の東洋語は全然通じませぬ。近頃日本語の研究を初めておるとの事ですが、まだ日常の挨拶程度だそうで、平生語学の達者なものを秘書にして用を弁じておりますので日本文字なぞも無論読めません。……にも拘わらず彼は極度の好色漢でありまして、この方面に独特の怪手腕を持っており、言語の通じないままに各人種の情婦を持っておるのみならず、如何なる良家の夫人、令嬢でも、一度狙ったら最後、必ず自家薬籠中のものとして終(しま)う手腕に至っては団員の斉(ひと)しく舌を巻いておるところであります。
 その他の特徴としては射撃の名手であると同時に、拳闘の重体量選手となったことがあります。殊にその精力の絶倫さは想像を超越したものがありますので、一日平均四時間の睡眠を摂(と)るのみ。二昼夜の間に百余哩(マイル)を徒走した事があると聞いております。その部下は大抵露西亜(ロシア)人、猶太(ユダヤ)人、支那人、印度(インド)人、伊太利(イタリー)人、その他、ケンタッキー、アルカンサス等の南部亜米利加(アメリカ)人で日本人は極く少数しか居りません。いずれも、欧米各地で持てあまされた、警察なぞを物とも思わぬ無鉄砲者の中から、世間を欺くに足る相当の技術を持った者という難かしい条件で、金に飽かして選(よ)り集めたもので、彼は巧みにこれを操縦して事業を遂行しております。殊に団体内の制裁には、前にも申します通り、その違反者に同情なき異国人を使って容赦なく実行させるようにしておりますから、団結の鞏固(きょうこ)な事は非常であります。その仕事の如何に敏活なものがありますかは、小生がM男爵の手に暗号を渡して後(のち)、一夜も経たない中(うち)に小生の死刑を宣告し、一週間も経たないうちに応急的な暗号の鍵を送って、妻ノブ子の死刑を宣告して来たのを御覧になってもお察し出来る事と思います。
 最後に今一言(いちごん)させて頂きます。小生は小生の妻子に対する貴下の御庇護に関する私的御費用の一端として、藤波弁護士の手に保管中の二万円也を貴下に捧呈させて頂きたいのであります。但し、清廉なる貴下は、或(あるい)はこの金を不浄の金としてお受取りにならないかも知れませぬが、しかし貴下よ。由来国際間の事は、人道と法律とを超越したものであります。小生が人類の敵たる秘密結社に反逆を企て、その秘密を発(あば)く事が、国家的立場より見て許されるものでありますならば、小生がこの金をJ・I・Cから奪ったとしましても決して罪悪ではありますまい。況(いわ)んやこの金は日本人の財産を奪ったものではありません。日本を不利の地位に陥れむとするウオル街の全権代表者より個人的に適法の手続(てつづき)を以て小生の手に渡り、合法的に小生の所有となったものでありますから、仮令(たとえ)小生が相手の望み通りの仕事を遂行しなくとも、先方から返還を要求すべき性質のものではありません。況(いわ)んやこの金の代償として要求されている仕事が不正であるに於ては尚更(なおさら)の事であります。小生の妻にはこのような道理を説明してもわかるまいと思いましたから他の意味の金と云って取らせておきましたが、貴下には正直に所信を告白致します。願わくば国家のため、又は小生の妻子のため、枉(ま)げて御受領賜わりまするよう伏願致します。
 狭山氏よ。貴下にお願い申上げたい事、又はお知らせ申上げたいことはこれで終りました。
 小生はかようにして「非国民」もしくは「無頼漢」なる汚名の下に唯一人淋しく葬られなければならぬ運命に立ち至りました。これは小生が自ら求めましたところで、天地の間、どこの何人(なんぴと)を怨みようもありませぬ。
 でありますからして小生は仮令(たとえ)貴下がこの遺書を一笑に附して小生の希望をお容(い)れにならず、あの金は没収、もしくは寄附等となして、小生の妻子の保護は結局小生の妻子の勝手にお任せ下さる事に相成りましても小生は決して貴下をお怨み申上ぐる者ではありません。それは当然の御処置に相違ないので、それ以上の事をお願い申上ぐるのは分を超えておるからであります。
 しかし、その中に唯一つ、只今より申述ぶる最後のお頼みばかりは、如何にしても思い切る事が出来ません。而(そ)して貴下が小生のためにこの唯一事までもお拒みになるほど、罪人に対して厳酷なお方とは想像し得ないのであります。
 そのお願いと申しますのは、外(ほか)でもありませぬ。
 もし貴下が他日どうか致した機会に小生の妻子を御覧になるような事がありましたならば、何卒左(さ)の一事を貴下のお口からお申聞かせ賜わりたいのであります。
「お前の夫、お前の父は非国民の無頼漢であった。けれどもその最後は君国の事を思い、お前達の身の上を悲しんで死んだ。彼は良心の曙光を認めつつ死んだのだ」
 ……と……。
 最後に貴下の御健康を祈らせて頂きます。 頓首 敬白[#「頓首 敬白」は地付き、地より3字アキ]

   大正七年十月十三日午後七時半
     本郷菊坂ホテルにて認(したた)め終る。

 私は片仮名交りのギゴチない文章を横書にした、世にも読み難(にく)いこの遺書をとうとう読み終った。けれども暫くの間は行の末尾を凝視した切り顔を上げる事が出来なかった。
 私はこれ程の信頼と尊敬とを受けた事は未だ曾(かつ)てなかったのである。
 同時にこれ程の面目なさと恥ずかしさを感じた事も未だ曾てなかった。そうして又、これ程の大きな難事業を委託されたのも生れて初めてだったのである。
 そうして又、同時に、これ程の純な気持ちを持った親子が、斯程(かほど)まで残虐な、異常な運命に飜弄されているのを見た事も、今日迄六十余年の生涯を通じてなかったのである。
 泣きも笑いも出来ないとはこの時の私の気持であったろう。
 けれども、やがてそのようなあらゆる感情が雲のように湧き起るのをやっと押し鎮めて、平生の理智を取り返して来ると、私は眼の前に面(おもて)を伏せている少年の姿に、驚異の眼を注がない訳に行かなかった。
 この少年は極めて無邪気な方法で、岩形氏……否、志村浩太郎氏の屍体の秘密をどん底まで透視している。警視庁で鬼と謳われた私の手落を、二年後の今日に至って何の苦もなく看破している。……しかもその証拠は儼(げん)として動かす事が出来ない。現在私の手中にある。
 ……この少年は果してそのような古今の名探偵に比すべき頭脳を、今から備え持っているのであろうか……。
 ……それともこれが世にいう親子の因縁……もしくは目に見えぬ魂の引き合わせとでもいうものであろうか。
 かよう考えて来ると私はもう、自分の考えに堪えられなくなって、思わず遺書をパタリと閉じて、机の上に置いた。居住居(いずまい)を正して少年に問いかけた。
「……成る程……わかりました。しかし君は今しがた、お母さんが何者にか殺されたと云いましたね」
「ハイ……」
 少年は依然として淋しそうな顔を上げた。その睫は涙のために乱れていた。しかし言葉はハッキリとして落ち着いていた。
「ハイ……申しました」
「……その事実はどうして解ったのです」
「だって……生きている筈がないんですもの……」
 と云ううちに少年は又も力なくうなだれてしまった。
「……ハハア……それじゃ、お母さんからのお消息(たより)が、それから後(のち)ちっともないのですね」
 少年はうなずいた。
「……成程(なるほど)。君が曲馬団に居るとすれば、お母さんが何等かの方法で会いに来ない筈はない。すくなくとも無事で居る事を君に知らせない筈はない。それが何の頼りもないところを見れば誰かの手にかかって殺されておられるに違いない。しかも誰かの手にかかって殺されているとすれば、その手はW・ゴンクールの手に違いない……という三段論法が成立する訳ですね」
 少年は前よりも強くうなずいた。どうやら唇を噛んでいるらしい態度である。
「……成程……それでその復讐をするために僕の手伝いを求めに来たのですね」
 少年は微かにうなずいた。又もハンカチを顔に当てて肩を窄(すぼ)めた。
 私は、その姿を見ると堪(た)まらなくなって、机の上に両手を支えた。頭を幾度も幾度も下げて謝罪(あやま)った。
「……済まない……済みません。僕は君の御両親ばかりでなく君に対しても会わせる顔がないのです。僕は君等親子にこれ程の信頼を受ける価値はない人間です。僕は世間で云うような名探偵でも何でもありませぬ。凡クラな、トンチンカンなヘボ探偵に過ぎないのです。それは君にだって解っているでしょう。……それだのに、こんなにまで信頼を受けてはトテモ僕はたまらないのです……こんな、老耄(おいぼれ)のヘボ探偵を、どうして君がそんなにまで信頼してくれるのか、僕は殆んど了解に……」
 ここまで私が立て続けに饒舌(しゃべ)り続けて来ると、少年はその涙に濡れた顔を急に上げながら、片手で私の言葉を遮り止めた。その眼には云い知れぬ敬虔の念が輝き満ち、その片頬には物悲し気な微笑さえ浮んでいた。
「先生……」
 そう云って椅子から立ち上った少年の態度には上官に対するような厳粛さがあった。私はその気合いに押されたようになって沈黙した。
「先生……僕は両親に代って先生に感謝しに来たのです」
「……ナ……何を……」
 と私は面喰って眼をパチパチさせた。
 少年は、又も無言のままポケットを掻い探(さぐ)って一葉の古新聞紙を私の前に差し出した。その第一頁の『東洋日報』という標題(みだし)の上の余白には、

Care Nichibei Kyokai
No. 152. 3. Avenue, East End,
     New York

 という英文字のスタムプが押捺(おうなつ)してある。それを取る手遅しと受取って開いてみるとその第五頁の社会欄と、中央の欄外に一つ宛(ずつ)赤丸が付けてある。大正七年十月十五日の記事である。

    怪死体と怪自動車[#大文字]
        芝浦にて発見さる[#中文字]
       ステーション・ホテル
       毒殺事件続報…………

[#ここから1字下げ]
 昨朝夜半、東京駅ステーション・ホテル第十四号室にて米国帰りの富豪、印度(インド)貿易商岩形圭吾氏が、何者にか毒殺され、鬼課長狭山九郎太氏の出動となり、その結果犯人が、志村のぶ子と称する絶世の美人らしき事判明したるも、鬼課長の一行が土手三番町旧浸礼教会跡なる犯人の潜伏所を探知して逮捕に向いたる時は犯人が既に、警官を載せ行きたる自動車の運転手樫尾初蔵なるものと共に、その自動車T三五八八号にて逃走したる後(のち)なりし事は昨夕刊に報道せる通りなり。
 しかるに該記事締切後十四日午後四時に至り、該自動車が芝浦海岸埋立地に放棄しあるを通行の巡査が発見し、直に警視庁に通報したるを以て狭山課長が単身オートバイにて出張し調査を行いたるに、更に附近の溝渠(こうきょ)中に浮みおる塵芥の下より、繃帯したる咽喉部を撃ち貫かれたる鮮人留学生らしき屍体を発見したり。然れども狭山課長は緘黙(かんもく)して何事も語らず。又別に調査する模様もなく立会の巡査に手伝わせて該屍体を無雑作にT三五八八の自動車に搬入し、空虚となりおれるタンクにオートバイのガソリンを注入し、附近の自動車屋より運転手を雇いて運転させ、自身はオートバイにて先導しつついずれへか立ち去りし趣なるが、該屍体はそのまま共同墓地に仮埋葬し、自動車は数寄屋橋タクシーに返還したる模様なるも、狭山課長の消息はその後全然不明にして、この稿締切までは何等の報告に接せず。然れども、以上の行動を以て察する時は何等か的確なる方針の下に、意外の辺にて意外の活躍をなしおるものなるべく、今明日(こんみょうにち)の中(うち)には何等かの刮目(かつもく)すべき成果を挙げ来(きた)るべく信ぜられつつあり。

 ○コロラド丸出帆[#中文字] 過般来船内にチブス患者発生したるため、横浜に停船を命ぜられおりし沙市(シヤトル)行客船コロラド丸は一昨十二日解禁されたるを以て今十四日午後六時出帆、定期航路に就く事となれり。
[#ここで字下げ終わり]

 私は思わず机をドンとたたいた。
「……豪(えら)い……君が探偵なら正に名探偵だ。僕もシャッポを脱がざるを得ないよ」
 少年は極(きま)り悪げにうつむいた。
「……僕は電話口で芝浦にT三五八八の自動車が……という巡査の慌てた声を聞いた瞬間にそう思ったよ。志村夫人と樫尾運転手は、芝浦海岸から自動端艇(モーターボート)に乗って逃走したに違いない……と……。そこで誰にも云わないで単身、オートバイを乗り付けて調べてみると、一寸(ちょっと)普通人には気が付かないが自動車の幌のまん中に、かなりの近距離から発射したらしいピストルの新しい弾痕がある。これは樫尾がモーターボートを芝浦へ廻す手配を感付いたJ・I・Cの人間が先廻りをして、君のお母さんを狙撃したものに違いないので、人家から数町離れた海岸とはいえ、白昼にこんな危険を犯すのは尋常の目的でない事がすぐにわかるのだ。しかし車内には血痕も何も見当らないのでもしやと思って附近を探すと、かねてから君の両親を狙っていたJ・I・Cの鮮人の屍体を発見したのだ。つまりモーターボートの近くの石垣の蔭に隠れて待ち伏せていたのだね。……それからガソリンがなくなっていたのは無論ガソリンを使いつくす程長距離を走ったものではない。用心のためにボートの中へ持ち込んだものであるが……僕は初めから考えるところがあってそうと察した訳なんだが、君は新聞記事以外に何も見ないまま、一足飛びに僕が気付かなかった欄外記事と結び付けて、乗った船まで推測したところは、たしかに一段上手(うわて)と云わなければならぬ。ところで、これが、どうして僕に感謝する理由になるのですか」
「最初からの新聞記事を一緒にしてそこまで読んで来れば解ります。貴方(あなた)は途中から母の追跡を止めておられます。母を楽に逃げられるようにしてやっていられます。それは中途で母の無罪を認めて下すったからです」
 少年はすらすらとここまで云うと、恰(あたか)も自分自身が両親の罪を背負っているかのように、悄然(しょうぜん)と頭を下げた。
 私は云うべき言葉を知らなかった。……明察神の如し……とはこの少年の事であろうか。只、呆れに呆れてその綺麗に分けた頭を見上げていた。
 けれども、やがて私は吾(われ)に返った。厳粛な態度で椅子から立ち上って、少年の横から近付いて両手をピッタリと肩に当てた。強く二三度ゆすぶりながら云った。
「……よろしい……君の一身は引き受けた。誓って君の両親の仇敵(かたき)を打たして上げる」
 少年は顔を上げた。いかにも嬉しそうに私の顔を見上げながら、両眼から溢れ流るる涙を隠そうともしなかった。
 私も胸が一パイになって来た。
[#改丁]


中巻



新来朝
五国聯合
バード・ストーン一座大曲馬

     プログラム (午後一時開演)
(同 五時終了)

★1……君が代行進曲 専属音楽団
★2……文字を解し、計算し、地図を読む馬
          米国理学博士 アスタ・セガンチニ夫人
★3……二頭立戦車曲芸
       ◇第一戦車
〔伊太利〕 ルビヤ・ベルチニ嬢。アルマ・ドラー嬢。ヤヌヌ・スタチオ(弟)。
       ◇第二戦車
〔伊太利〕 マルテ・コスチニ嬢。イポリタ・ホルマニ嬢。カヌヌ・スタチオ(兄)。
★4……満洲馬曲芸
〔支那〕 張蔡。宝卓。陳亢凱。紫白哥。李勲。黛岳。
★5……自転車新曲芸
〔英国〕 サイラス・ブランド
★6……哥薩克馬曲芸
〔露西亜〕 カルロ・ナイン嬢。ワーシカ・コルニコフ。コンスタンチン・ダレウスキー。ブレボフ・ミハイロウィッチ。アルツバイエフ・ハドルスキー。
★7……美人大曲馬
〔米国〕 エルマ・フランチェスカ嬢。アンネット・シルビア嬢。アンナ・サロン嬢。クララ・ハイン嬢。パオロ・カーマンセラー嬢。
★8……コロンビヤ行進曲
専属音楽団
   小憩 十分間
★9……喜劇大馬と小犬
〔支那〕 珍友三
★10……馬上の奇術
〔伊太利〕 ジョージ・クレイ
★11……馬の大舞踏会
座附美人一同参加

==入場料 一円・二円・三円・七円==   

(以 上) (裏面欧文番組略)

 このプログラムを貰って演技場に這入(はい)って行くと、入口に突立っている巡査は古い顔馴染(なじみ)であったが、一寸(ちょっと)胡散(うさん)臭そうな眼付きをして私を見送っただけで、横の方を向いてしまった。変装はしていたが眼付が違っていたために掏摸(すり)とでも思ったのであろう。私はそのまま円形の見物席の背後を廻って、割合に人の疎(まば)らな正面の特等席の中央(まんなか)あたりの空席に腰を卸(おろ)した。
 見上ぐれば、曲馬場内の五個所から斜めに突き出た軍艦のマストに擬(まが)う大支柱と、その大支柱から分岐した数十本の小支柱とで、巧みに釣り上げられた大天幕の穹窿(きゅうりゅう)の無数の隙間からは、晴れ渡った空の光りが、星のように、又は七宝細工のように眩(まぶ)しく場内に降り落ちて来る。
 その真中の一番高い処から、大きな鳥の姿を金糸で刺繍(ししゅう)にした三間四方もあろうかと思われる真紅の大旗が垂らしてあるが、その近所の天幕の穴が特別に眩しいために、何の鳥だかはっきりとわからない。
 直径三十間以上もあろうかと思われる場内は隅から隅まで光線が明るく行き渡っている。ただ入口に近い側の天幕の斜面には、一面に午後の日ざしが照りかかっていて、そこから洩れ込む光線が、場内に籠っている人いきれと、煙草の煙とを朦朧と照しているために、楽屋から演技場に出て来る通路は黄金色(こがねいろ)の霧に籠められて、そこいらを動きまわる人間が皆、顕微鏡の中の生物(いきもの)のように美しく光って見える。中央の演技場は直径二十間位の円形を成していて、草一本、石ころ一つないように掃き浄められているが、この周囲を取り巻く人間の数は無慮三千以上もあろうか。興行が眼新しいのと、場所がいいのと、入場料が安いのと三拍子揃っている上に、天気がよくて、おまけに風がないと来ているので、満場立錐(りっすい)の余地もない大入りで、色々な帽子やハンカチが場内一面に蠢(うごめ)いている有様は宛然(さながら)あぶらむし[#「あぶらむし」に傍点]の大群のように見える。外国人も、むろんその中に大勢交っていて、私の居る特等席を中心にして場内の方々に散らばっているようである。
 やがて拍手の音が演技場の四方から湧き起ると豪快な露西亜(ロシア)国歌「戦い熟せり。勇めや進め……」のマーチに連れて、四頭の馬に乗ったコサック騎兵が現われた。但し、コサック騎兵とはいうもののその服は青と紫と、赤と、緑の四色の化粧服で、長い槍の尖端もニッケル鍍金(めっき)で光っている。ただ人間と馬だけは本物のコサック産らしく、場内に乗り込んで来ると直ぐに左右に引き別れて槍の試合を初めた。試合といっても、それはほんの武技の型に過ぎなかったが、それでも随分猛烈なもので、マーチに入れ交る野蛮な掛け声と共に、木(こ)ッ葉(ぱ)のように馬を乗りまわし、槍を搦(から)み合わして闘いながら落ちようとして落ちなかったり、馬の腹をぐるぐる這い廻ったりするところは、度々見物を唸(うな)らせた。
 十分間ばかりで試合が済むと見物席に一しきり喝采(かっさい)が湧いた。烈しい口笛を鳴らす者もあった。これは一座の明星カルロ・ナイン嬢の出場を予期した動揺であったらしい。その十分に調子付いた見物の亢奮(こうふん)的喝采の裡(うち)に、コサック式の白い外套、白い帽子、白手袋、白長靴、銀拍車という扮装(いでたち)で、白馬に跨(またが)ったナイン嬢は、手綱を高やかに掻い繰りながら現われたが、私の居る特等席の正面七八間の処まで来て馬を止めると、見物一同に向って嫣然(にこやか)に一礼をした。見ればまだ十五六にしか見えない花恥かしい少女であるが、何もかも眩しい程の白ずくめの中に、黒い縮れた髪に蔽われた頬と、胸に挿した一輪の薔薇(ばら)とが薄紅色をしているばかりである。雪の精というものがもし外国にあるならば、このような姿ではあるまいかと私は思った。
 その瞬間に雷のような喝采が再び湧いた。私はシュミッド特製のオペラグラスを眼に当てた。
 私は決して好色漢ではないつもりであるが、青年時代を西洋で過したお蔭で、美人の鑑定法ぐらいは一通り心得ているつもりである。殊に、美人というものの標準から見れば、日本美人は到底、西洋美人の敵でないという議論は、よく洋画家なぞが口にするところで、自分も固くそう信じているのであるが、不思議にも今まで、あまり共鳴者がないばかりでなく、西洋かぶれの候(そうろう)のと烈しい反対を喰った事さえある。これはこの議論が、日本人特有の負け惜しみ根性を刺戟するせい[#「せい」に傍点]らしいが、それにしても、これ位明白な事が解らぬというのは、余りに尻(けつ)の穴の狭い話で、こんな涙ぐましい愛国心ばかりで固まり合っているから、横着な、図々しい西洋文明にたたき付けられてしまうのだと、私はいつも憤慨していた。殊に今双眼鏡の中に入って来たカルロ・ナイン嬢の姿を見ると一層この感を深(ふこ)うしたのであった。
 ところで西洋美人の最美なるものは、常に黄金(こがね)色の髪の毛と、空色の瞳とを持っているものである。しかし吾々日本人の眼から見ると、露西亜(ロシア)、伊太利(イタリー)、もしくは西班牙(スペイン)系統の美人に見るような、黒い髪と、黒い瞳の方が一層深い親しみと懐しみを感じられるのは無理からぬ訳である。カルロ・ナイン嬢は正(まさ)にその後者の方で、全体に小柄の方であるが、心持玉子(たまご)形をした拉典(ラテン)系統の顔の輪廓と、端麗花を欺(あざむ)く眼鼻立ちと、希臘(ギリシャ)の古彫刻そのままの恰好のいい頸(くび)すじと、気高くしなやかな身体(からだ)付きとは、人種と男女と老若の差別を問わず、満場を恍惚(こうこつ)たらしむる資格を十分に持っている。殊にその白い華奢(きゃしゃ)な長靴に包まれた足首の恰好のいい事……私は決して好色漢ではないが、こんな素晴らしい足首は日本美人には絶対に発見されない。カルロ・ナイン嬢の身体(からだ)にはこれ等のすべての条件が遺憾なく備わっているばかりでなく、その容姿の全体が一種の清らかな、侵し難い気品に包まれている。しかもこの気品は後天的な修養で得られるものではないので、事によるとこの少女は、欧洲のどこかの貴族の出ではあるまいかと疑った位である。いずれにしてもこの曲馬団の花として露西亜趣味の荒っぽい演技の中(うち)に嬢の姿を加えたのは、取り合わせからいっても大成功と云わねばならぬ。満都の人々が嬢の姿を見るためにかように熱狂して集まって来るのも無理はない。
 嬢を加えた演技は疾(とっ)くに再開されていたが、私はただ、喝采の声を耳にするばかりで、レンズに限られた範囲しか見ていなかったから、何をやっているかよく解らなかった。
 眼鏡の中には嬢を初め他の四名の顔が交(かわ)る代(がわ)る現われた。皆汗を掻いていた。ナイン嬢の耳の附け根にある黒い黒子(ほくろ)が、汗で白粉(おしろい)を洗われたらしくハッキリと見えて来た。色の黒い、逞しい鬚武者(ひげむしゃ)の巨漢(おおおとこ)の髪毛は、海藻のように額に粘り付いている。今一人の若い男は、あまり固いカラを着けているために、首の周囲が擦れて輪の形に赤くなっている。その中(うち)に五人は槍を投げ棄てて、外套を脱いだ。下は身体(からだ)にぴったりと合ったコサックの制服で、最前見た嬢次少年の服装と似たり寄ったりである。四人の男はそのまま、カルロ・ナイン嬢を真中に二人宛(ずつ)、前後に一列に並んで場内をぐるぐる廻りはじめた。そうして四人が交る代る嬢の肩を飛び越したり、嬢の左右の鐙(あぶみ)伝いに馬の腹をまわったりして乗馬を交換して行った。それから最後には、場内の正面に持ち出された白い卓子(テーブル)の上に、贅沢なサモワルや、酒瓶や、湯気の立つ露西亜料理を並べたのを、夜会服シルク・ハットの座員が取り巻いて椅子に就いて食事を初める。その上を四頭の馬が交る代る縦横十文字に飛び越し初めたのには肝(きも)を冷した。写真ではこの種の芸当を二三度見た事があるが、実際で見ると感心を通り越して寒心するばかりである。但し、カルロ・ナイン嬢はこれに加わらずに、馬を卓子(テーブル)の一方に立てて長い銀革の鞭(むち)を廻して四人を指揮していた。
 場内から割れるような喝采が起った。同時にこの演技が終りを告げると、嬢を中心にした四人の騎兵が今度は立乗りをしながら、拍手を浴びつつ一列になって場内を廻転しはじめた。
 けれどもその第一周目が終る迄に私はふと妙な事に気が付いていた。ちょっと見たところ、五頭の馬はカルロ・ナイン嬢の銀の鞭で支配されているようであるが、実はそうでない。いつも嬢の直ぐ次に馬を立てるあの色の黒い、鬚武者の巨漢(おおおとこ)が、眼色や身振りで、自在に操っているのである。これは卓子(テーブル)飛び越しの最中に見付けた。それからもう一つはカルロ・ナイン嬢の馬の乗り方があまり上手でない事である。もちろん普通には乗(のり)こなしているに違いないが、他の連中の馬術があまり達者過ぎるために、際立って危なっかしく無調法に見える。しかしこれは、いくらか乗馬の経験を持っている私にそう見えただけで、軽業(かるわざ)見物のつもりで来ている連中には気付かれないかも知れない。
 ところでこれだけの事ならば、別に不思議はないようなものであるが、今の第一周目で、五頭の馬が私の前を馳(は)せ過ぎる時に、中央の白馬に乗っているカルロ・ナイン嬢と、その次に馬を立てている鬚武者とが二人ともちらりちらりと私の顔を見て行ったのを見逃す事は出来なかった。或(あるい)はずっと二三間前から私を見詰めて来たもので、私はただ双眼鏡のレンズに入った間だけしか見なかったのかも知れないが、とにかくその二人の眼は、偶然に私を見た眼付きではなかったようである。二人とも何かしら同じ秘密の意味を以て、私の顔を注視して行ったものとしか思われなかった。
 ……咄嗟の間に私の頭の中はぐるりと一廻転した。
 この曲馬団を真先に……まだ全部が日本に到着しない以前から怪しいと睨んだのは、誰でもないここに居る私で、そのために私は警視総監と意見を衝突さして辞職した位である。そうして今日はその正体を見定めに来ている私である。一つは警視総監の鼻を明かし旁々(かたがた)、呉井嬢次の讐討(かたきう)ちの助太刀(すけだち)をするに就いて、準備的の偵察をこころみるために……それからもう一つは嬢次少年が、生命(いのち)に拘る大切なものを蔵(かく)しているという黒い手提鞄(てさげかばん)を、是非とも楽屋から盗み出しておかねばならぬというので、それを手伝ってやるためにわざわざ出かけて来た者である……が……それを彼等二人は感付いているのであろうか……否……否……そんな事は有り得べき道理がない。この大勢中に、どうして私を見付けられよう。
 殊に……私は変装をしている。胡麻塩(ごましお)頭を真黒に染めて、いつも生やしっ放しの無精髭(ぶしょうひげ)を綺麗に剃って、チェック製黒ベロアの中折(なかおれ)の下に、鼈甲縁(べっこうぶち)の紫外線除けトリック眼鏡を掛けて、ルーズベルト型ダブルカラに土耳古更紗(トルコさらさ)の襟飾(ネクタイ)、黒地のタキシード服と、青灰色の舶来地外套、カンガルー皮入のエナメル靴を穿いて、茶色のキッドの手袋に、銀頭の紫檀(したん)のステッキという十年も若返った姿をしている。実は嬢次少年が注意しなければ、もっと手軽な変装で済ますつもりであったが……、
[#ここから1字下げ]
……仲間にハドルスキーといって団長の片腕になっている露西亜人がいる。この男は鬚武者の巨漢(おおおとこ)の癖に恐ろしく智恵の廻る奴で、この一年ばかりの間、団長と一緒に欧羅巴(ヨーロッパ)[#(ヨーロッパ)は底本では(ヨーヨッパ)と誤記]をメチャメチャに掻きまわして廻ったのは、ハドルスキーの智恵に外ならぬ。だから団長は曲馬団の事をハドルスキーに任せ切っている位である。……ところがこのハドルスキーは、嘗て桑港(シスコ)のホテルで同室した際に、この曙(あけぼの)新聞を私の鞄の底から引き出して、不思議そうに眺めまわしているのを、鍵穴から覗いて見た事がある。その時はまだ東京駅ホテルの記事にも赤丸を附けていなかったので、それと知ったかどうか解らないが、用心のために何もかも察しているものとして、出来るだけ大事を取って、念入りに変装して下さい。団長も貴方(あなた)の顔は新聞の写真や何かで研究してよく知っている筈ですから……。
[#ここで字下げ終わり]
 ……と言葉を尽して忠告したので、その通りに取っときの変装をした物で、ここへ来がけに警視庁へ立ち寄って来た時も……私が志免ですが、何の御用でお見えになりましたか……というステキもない保証を貰って来た位である。見付かる筈は絶対にない。
 私は一寸(ちょっと)の間(ま)に、これだけの考えを廻(めぐ)らして自信を固めた。そうして今のはもしや自分の眼の迷いではなかったかと思いながら、もう一度よく見定めるつもりで、今しも第二周目に這入った五頭の馬を見た。
 第一頭……第二頭……カルロ・ナイン嬢は見物一同の喝采の声に応ずるために紫のハンカチを振って近付いて来た。そうして私の直ぐ背後(うしろ)あたりをチラリと見ただけで通過した。私の顔には視線を落さなかった。その次に来た鬚武者は、馬上に突立ち上って大手を拡げたまま近付いて来たが、これも私の直ぐ背後(うしろ)あたりを見ながら駈けて行った。あの鬚男がハドルスキーだな……ともう一度念のために番組を拡げて見るとハドルスキーの名は最後(ドッサリ)の真打(しんうち)格の位置に書いてある。私はすこし安心した。今のは自分の眼の迷いかも知れないと思った。
 第三周に這入った。今度はこっちからハドルスキーの顔を記憶するつもりで近づいて来るのを待ったが、今度もカルロ・ナイン嬢とハドルスキーは私に視線をくれなかった。前の通りに私のすぐ背後(うしろ)のあたりを見て行った。しかし、そのハドルスキーの後姿をじっと見送っているうちに、私はどこかで見たような男だな……と思った。見たとすれば多分、外国に居る時分の事と思われるが、私はそんな古い事のような気がしない。つい近頃の事のように思われてならぬ。けれどもこの時はどうしても思い出し得なかった。
 五頭の馬が勢よく楽屋の方へ駈け込んで行くと又、場内一面に拍手の音が波打った。カルロ・ナイン嬢の姿が三度ほどアンコールされた。三度目には馬から降りて、徒歩で出て来て一揖(いちゆう)したが、その気高い姿勢と、洗煉された足取りは、疑いもない宮廷舞踊の名手である事を証明していた。
 その姿が満場のどよめきを背後(うしろ)にして楽屋口に消え込むと、見物の中には申し合わせたように番組を出して次の曲目を見る人が多かった。私の前の席に居る霜降りマントに黒山高の白髯(はくぜん)紳士と、左に居る角帽制服のすらりとしたチャップリン髭の青年も大きな声で話を初めたが、二人は識(し)らない同志らしいけれども双方とも余程の馬好きらしく、最前から頻(しき)りに馬の話をし続けているのであった。
「面白かったですね」
「さようさ……最前の満洲馬よりも、馬が立派じゃから引っ立ちますな」
「満洲馬と哥薩克(コザック)馬はあんなに違うものでしょうか」
「違いますともさ。この頃の哥薩克馬には、ノースターや、アラビッシュの血が交っておりますのでな。哥薩克[#「哥薩克」は底本では「哥薩哥」と誤記]の頭目じゃったミスチェンコの乗馬なぞは立派なアングロ・アラビッシュのハンツグロで、しかも哥薩克以上に耐寒耐暑の力が強かったそうですがな」
「へえ……して見ると満洲馬はまるで駄馬ですね。小さくて……」
「さようさよう。あの次に小さいのは日本の対州馬でしょうよ。ハハハハ……しかし、よくこんなに各地の純粋種ばかり集めて乗り馴らしたものですなあ。余程金を費(つか)ったでしょう」
「人間と馬と対(つい)になっているんですからね」
「そうそう。全く感心ですな。この次の美人大曲馬にはどんなのが出て来るか……」
「あっ……美人大曲馬は一番先に済んでしまいましたよ。昨日(きのう)もそうでしたが……」
「ははあ。プログラムの都合ですかな。道理で時間がすこしおかしいと思いました。……それではこの次は『大馬と小犬』が始まる訳ですな」
「そうです。まだ時間がありますが」
「面白いですかな」
「ええ『大馬と小犬』も面白いですがその次の馬上の奇術っていうのが素敵なんです。何でも米国に帰化した伊太利(イタリー)の少年だという事ですが、曲馬と手品を一緒にやるんです。見物に頼んで自分の身体(からだ)を馬の上に縛らしておいて、自由自在に乗りこなす上に、七尺もあるハードルを飛び越したり、火の輪を潜り抜けたりする中(うち)に綺麗に縄を脱けてしまうんです。それから長い長い万国旗を馬の耳から引き出したり、帽子の中から火を燃やして、その中から鳩を掴み出したり、蝋(ろう)の弾丸(たま)を籠めたピストルでそれを撃ち落したり、いろんな事をするんです」
「ほほう……なかなか達者なものですナ」
「まだあるんです。一番おしまいにはビール樽(だる)の中に封じられて二頭の馬の背中に積まれたまま、ぐるぐるまわっているうちに、自分の姿とそっくりの人形を幾個(いくつ)も幾個もビール樽の中から地面(じびた)の上に投げ出すのです。それは確かに空(から)っぽのゴム人形だろうと思うんで、樽の中に仕掛けてある圧搾瓦斯(ガス)か何かで膨らますに違いないと思われるんですが、その投げ出し方が巧妙な上に、馬から落ちるとすぐに駈け付けて抱き上げたり介抱したりする楽屋連中の態度が又、とても真に迫っているので、その人形の一つ一つが生きたジョージ・クレイに見えてしようがないんです。……今のが本物だ……いや今度こそ……なんて皆がワーワー云い出すんです」
「成る程。ハハハ。それは眼新しいですな」
「そのうちに二頭の馬が、向うの真中あたりに来て左右に引き別れると、樽がばらばらになって、中には誰も居ない。それで初めて一番おしまいのゴム人形そっくりに見えたのが、本物のジョージ・クレイだったという事が解るんだそうです」
「ははあ。……何ですかそれじゃ貴方は昨日(きのう)御覧になったのじゃないですか」
「ええ……見ませんとも……友達がみんな話していたんです。このジョージ・クレイと今のカルロ・ナイン嬢がこの曲馬団の花形だって……」
「アハハハ……成る程成る程」
「……それから……その次の馬のダンスも面白いそうです」
 と青年は慌てて云い足した。
「何でも最前から曲馬をやった伊太利や亜米利加の美人や、外にまだ大勢居る座附(ざつき)の女が、全部薄い着物を着た半裸体の姿で、数十頭の裸馬と入れ交って、あの楽屋口から練り出して来て、愉快な音楽に合わせながらダンスを遣るんだそうです」
「ハハハ……。それは嘸(さぞ)かし面白いでしょう。毛唐はそんな事を好くものですからナ」
 青年ははっとしたらしく前後左右を見まわした。しかし近くに西洋人らしい者が居ないのを見て安心したらしかった。
 一方場内には二十名ばかりの音楽隊が輪を作ってコロンビア・マーチを奏していた。義勇兵式の空色のユニフォームに金銀のモールをあしらった綺羅(きら)びやかなバンドで、歯切れのいい鮮かなピッチが満場をしんとさせていた。
 私はその音楽を聞き、又前の二人の話に耳を傾けつつ、時計を出して時間を計(はか)っていた。そうして演奏が済むと同時に立ち上って、見物席の背後(うしろ)に出ようとした。その時にふと気が付いたが、私のすぐ真背後(まうしろ)の席にいつ来たものか十八九のハイカラな女優髷(じょゆうまげ)の女が、青い色眼鏡をかけて、片っ方の眼に薄桃色のガーゼを当てて坐っている。
 もっともそれだけの事ならば別に私の注意を惹きはしない。眼の悪い女は、よくこうしているものだが、私が驚いたのはこの女が、眼元はよくわからないが実に絶世の美人で、最前のカルロ・ナイン嬢に優(まさ)るとも劣らぬ容色を持っている事である。この女を見ると私の持論の「日本美人は西洋美人の敵でない」という主張が、根元からぐら付き出したような気がした。しかも不思議にもこの女は、最前カルロ・ナイン嬢が持っていた紫のハンカチと、同じような色の、同じ位の大きさのハンカチを軽く口の処に当てているのであるが、それが又、この女の着ている派手(はで)な紫色の錦紗縮緬(きんしゃちりめん)の被布(ひふ)や着物と一緒に、化粧を凝(こ)らしたこの女の容色を引っ立てて、妖艶を極めた風情を示している。あまりに俗悪な比喩ではあるが、最前のカルロ・ナイン嬢の容姿を雪の精に見立てるならば、この女は、その化粧の凝らし加減や、その妖艶を極めているところから見て、是非とも花の精と思わなければならぬであろう。それも普通の花の精ではない。たった一眼で人の魂を奪い、生命(いのち)までも取ろうとする毒草の精に譬(たと)えねばならぬ……それ程にこの女は深刻な、艶麗な美しさをもっている。二年前に私の鼻を明かした志村ノブ子を、私は不幸にしてたった一眼チラリと見ただけで、印象に深く残していないが、これも絶世の美人だったそうで、東洋銀行に金を受取りに行った時は、やはりこの女と同様に紫縮緬の被布を着て、紫色のハンカチを持っていたそうである。カルロ・ナイン嬢も最前、紫のハンカチを振っていた。又嘘か本当か知らないが、伝え聞くところに依ると、世界第一の美人として歴史に名高い埃及(エジプト)女王のクレオパトラも紫色が好きだったそうである。紫という色は、ほかの凡(すべ)ての色を打消して、自分の美を擅(ほしいまま)にするものだと何やらの本で見た事があるが、もしそうだとすれば絶世の美人と呼ばれる女の嗜好(しこう)は自然と一致するものではあるまいか。しかも絶世というのはこの世に一人か二人しか居ないという意味であるとすれば、もしやこの女は志村ノブ子であるまいか。
 私は女の容色に魅せられたようになって、こんな柄にもない突飛な疑問を起しながらじっと女の顔を見ていると、女も気が付いたかしてはっとしたように私の顔を見上げた。そうして極り悪そうに俯向(うつむ)いたまま、席を立って出て行った。
 後を見送った私は急に馬鹿馬鹿しくなった。志村ノブ子とは年が二十近くも違っている。おまけにこの女は処女である。処女でなければあんな風に軽い単純な吃驚(びっくり)し方をするものでない。そうして、あんな風に羞恥(はにか)んでおずおずと出て行くものでない。とにかく今日は妙な日だ。よく美しい女だの少年だのに会う日だ。
 その中(うち)に女はどこへか行ってしまった。自分もそのまま席を立って楽屋の前を通り抜けた。楽屋は近いうちに建築される東亜相互生命保険会社の板囲いと背中合せになっていて、そこへ行くのには演技場内から楽屋口を通って行くのと、一度表へ出て裏口から這入るのと二つの道しかない。しかし演技場内から楽屋へ行く通路の近所にはいつも一人か二人の団員が居ない事はないからうっかり這入れば直ぐに咎(とが)められるにきまっている。
 私は改札口に来て係りの女にちょっと用足しに出たいからと云ったら、女は返事をしないで直ぐ傍に腰をかけて、切符を勘定している小柄な、痩せこけた西洋人を見上げた。その男の耳は、よく進化論や遺伝学の書物の挿し絵に出て来るつんと尖(と)んがった動物耳で、見るからに無鉄砲な、冷血な性格をあらわしていたが、その恐ろしく高い鼻の左右から、青い眼をギョロギョロさして私を見ると、黙って……よろしい……という風に頷(うなず)いたまま、又一心に切符を勘定し初めた。その時にそこいらに立っていた二三人の丁稚(でっち)風の子供が、その西洋人と絵看板を見比べて、
「スタチオだ……スタチオだ……」
 と囁(ささや)き合ったので、私はモウ一度振り返ってその横顔を記憶に止めると、何かしらヒヤリとしながら、大急ぎで人混みに紛れ込んだ。ちょっと虎口(ここう)を逃れたような気持ちになって……。
 それから大きな天幕(テント)張りを故意(わざ)と遠い方にぐるりとまわって、東京駅の見える裏通りへ来ると、そこには厩(うまや)があって、凡(およ)そ三十頭位の馬が、共進会見たいに繋いであった。カルロ・ナイン嬢の白馬も向って右から七番目に居る。その前二間ばかりの処を、古い亜鉛(トタン)の低い垣で仕切って「入るべからず」と立札がしてあって、その垣の内外に山のように積んだ秣(まぐさ)の間から、楽屋の一部と、馬の出入口が見える。折よく人は一人も附いていないで、ただ通りかかりの者が十四五人立ち止まって、ぼんやりと馬の顔を見ているだけであった。
 傾いた日光が大天幕(テント)の左上から眩しく映(さ)して、馬の臭いや汚物の臭気が鼻を撲(う)った。
 私は猶予なく三尺ばかりの亜鉛(トタン)壁をヒラリと飛び越すと、恰(あたか)も係りの者であるかのように落ち着いた態度で、馬をいじり初めた。一匹毎(ごと)に鼻面を叩いたり、口を開かせてみたり、眼のふちを撫でたりしてやると、馬は皆温柔(おとな)しくして私が噛ませる黒砂糖包みの錠剤を一粒宛呑み込んだ。この錠剤の内容は前にも一度説明した通り、俗に馬酔木(あしび)とかアセモとかいう灌木の葉から精製したもので、人間に服(の)ませると朝鮮人参と同様の効果があるが、錠剤にして馬に与えるときっかり二十分位で気が荒くなって、狂人(きちがい)のようになって暴れ出す。その代り精製してあるのだから副作用や何かはちっとも起さずに十分か十五分位であっさりと鎮まってしまうので、これはワザワザ陸軍の廃馬を使って実験したものだから間違いはない。
 こうして都合よく誰にも見付からずに……見付かったら騎兵大佐の名刺を出して胡麻化(ごまか)すつもりであった……三十一頭の馬全部に、手早く錠剤を与えてしまうと、折柄、場内に哄(どっ)と大きな笑い声が起った。これは「大馬と小犬」の演技が初まっているので、この演技は、主役の支那人がなかなか上手(じょうず)だから、長くて四十分、短くて二十分以上は請合(うけあい)かかると嬢次少年は云った。その途中でこの厩の馬が一度に暴れ出す。……楽屋の者が総出で取り鎮めに来る。その隙に姿を換えた少年は、荷物部屋の奥に飛び込んでGEORGE(ジョージ)・CRAY(クレイ)と書いた真鍮張りのトランクを開いて、中にある黒い鞄を取り出して逃げるという計画である。
 持主が自分の品物を持って行き易いように手伝ってやるのだから泥棒ではない。しかしこの行為の形式は金箔付きの泥棒の手先で、尠(すくな)くとも曲馬団に対する営業妨害という事だけは断言出来る。ついこの間まで法律の執行者だった私が、こんな事をしようとは夢にも想像しなかった。しかし、これも嬢次少年のためとあれば仕方がない。

 元来私は初めての人間に出会うと、非常に警戒する性質(たち)で、善にまれ、悪にまれ、その人間の本性を底の底まで見抜いてしまった後でなければ、口を利きたくないという性分の男である。そうして一旦交際を初めても、暫くの間はその人間を疑問の圏内に保留しておいて、さり気なく様子を見ているので、この点から云えば私は思い切って卑怯な、疑い深い人間であった。……ところが今度ばかりはまるで調子が違っていて、私のそうした平生の性質とは全然正反対の事ばかりしている。まだ子供とはいえ素性の不確かな、しかも驚く程悧巧(りこう)な人間を直ぐに信用して、その境遇に心(しん)から同情して窃盗の助手を甘んじて引き受けている。これは恐らく私の退職後の気の緩みから来たものかも知れないが、自分でも変だと思って考え直そうとすると、直ぐに少年のあの無邪気な、愛くるしい顔が眼の前に浮んで来て……何卒(なにとぞ)私の生命(いのち)を保護して下さい。私が頼みにするお方は貴方より他にありませぬ……という声が耳底に聞えるように思われる。
 少年はその時私にこう云った。
「私はまだ一つ大切なものを曲馬場に残して来ております。私は是非それを取りに行かねばなりませぬ。それが敵の手にあるうちは、私は危険で一歩も外へ出る事が出来ないのですから……」
 と……。その時に私は、それが唯、黒いボックス革の手提鞄(てさげかばん)というだけで、中に何が入っているのか詳しく問い正しもしないまま直ぐに、
「それは私が取りに行ってやろう」
 と云った。それ位、私はこの少年に気乗りがしていたのである。そうして私が鞄を盗み出す方法について少年の意見を求めると、少年は深い感謝の眼付きをした。
「ありがとうございます。何卒それでは馬に薬を飲ませる仕事だけをお願い致します。馬さえ騒ぎ出せば、あとは私の方が勝手を知っておりますから仕事がしよいと思います。私は新宿から自動車で日蔭町へ行って、馬好きの学生か何かに化けて行くつもりですから……本当にお蔭で助かります」
 そう云った時の嬉しそうな子供子供しい眼付きと言葉は今でもありありと私の眼に残っている。それから私は少年を送り出すと、直ぐに変装をして家(うち)を飛び出して、警視庁(やくしょ)へ来て志免警視に面会して、
「近いうちに大仕事があるかも知れないから腹構えをしておくように……」
 と云い棄ててここへ来たので、後から思えばこの時の私は、嬢次少年を信用していたというよりも、寧ろその姿の美しさと、心根の真実さと、頭脳の明晰さに酔わされていたものと評すべきであろう。
 折から又一しきり場内でゲラゲラという笑い声がどよめいた。時計を出して見るとキッチリ三時十分である。今から約二十分の後(のち)――三時半前後には騒ぎが初まるのだ。私はズラリと並んだ馬の顔を一渡り見まわすと直ぐに亜鉛(トタン)塀を飛び出して、表の入口に来て、今度は切符を見せて無事に場内の特等席に帰った。私の背後(うしろ)に居た女優髷の女はまだ席に帰って来ない。大方私を不良老年と見て取って帰ってしまったのかも知れぬ。つまらない事をしたものだ。
 もう一度時計を出して見ると三時十三分になっている。厩から出てゆっくり歩きながらここまで来る間(ま)に三分かかっている訳だ。あとは僅に十七分間である。女の事なぞ考えている隙(ひま)はない。
 場内は一寸(ちょっと)居ない間(ま)に著しく暗くなって夕暗(ゆうやみ)のような色を漂わしている。これは太陽が雲に隠れたためで、見物は水を打ったように静かだ。演技場の真中には今、中位の象かと思われる巨大な白葦毛(あしげ)の挽馬が、手綱も鞍も何も着けずに出て来て、小さな斑(ぶち)のテリア種の犬と鼻を突き合わせて何かひそひそ話をしている体(てい)である。そこへ赤白だんだらのピエロ服を着て骸骨のように眼鼻を黒くした小男が、抜き足さし足近づいて来て、妙な腰付きをして耳に手を当てがいながら、馬と犬の内証話を聞こうとした。これを見付けた犬は急に憤(おこ)ってワンワン吠えながら道化男に噛み付こうとする。道化男は危機一髪の間(ま)に悲鳴を揚げて逃げまわる。楽隊が囃(はや)し立てる。見物はただ訳もなく笑った。
 馬と小犬は道化役者(ピエロ)を楽屋口の柱の上に追い上げると又、広場の真中に来て内証話を初める。
 私は又時計を出して睨み初めた。もう二分経っている。あと十五分……。
 道化男は又、前の失敗を二度ほど繰返した。見物席に駈け上ったり、木戸口から飛び出したりした。しまいには馬の腹の下に這入って、前足の間から二匹の内証話を聞こうとした。それを犬が素早く発見して吠え付いた。馬は棹立(さおだ)ちになった。そうして二匹とも今度は勘弁ならぬという体(てい)で逐(お)いまわし初めた。
 あと十二分……。
 道化男は馬の腹の下や、前足や後足の間を飛鳥(ひちょう)のように潜り抜けて巧みに飛び付いて来る馬と犬を引っ外(ぱず)した。見物の中に拍手の声が起った。結局道化男は逃げ場を失った苦し紛れに裸馬に飛び乗った。馬は憤(おこ)って前に飛び横に跳ね、棹立ちになったり前膝を突いたりして、一生懸命に振り落そうと藻掻(もが)いたが、道化男はいつも千番に一番の兼ね合いで踏みこたえる。拍手の音が急霰(きゅうさん)のように場内一面に湧き起った。その響きの裡(うち)に道化男は、裸馬に乗ったまま犬に吠え立てられつつ楽屋の中に駈け込んで行った。
 ……三時二十分きっかり……。
 ……あと十分間……。
 ……私の胸の動悸が急に高まった。嬢次少年が云った最少限度の二十分よりも五分以上早く演技が終ったのだ。この次の「馬上の奇術」は演技者が居ないからやらない事は明白である。
 ……あとは順序通りに行けば、幕間(まくあい)二三分乃至四五分の後に始まるであろう、馬の舞踏会である。戦慄すべき馬の舞踏……。
 ……瞬間……おそるべき幻影がまざまざと私の眼の前に描き出された。
 ……場内に数十頭の裸馬が整列する……。
 ……その間に軽羅(うすもの)を纏うた数十名の美人が立ち交(こも)って、愉快な音楽に合わせて一斉に舞踏を初める……。
 ……けれどもそれは、まだ十分と経たない中(うち)に見る見る悽惨を極めた修羅場と化する……。
 ……数十頭の馬が突然棹立ちになって狂いはじめる……。
 ……噛み付く……。
 ……蹴飛ばす……。
 ……飛びかかる……。
 ……抱き倒す……。
 ……蹂(ふ)み躙(にじ)る……。
 ……数十名の美人は悲鳴を揚げて逃げ惑いつつ片端から狂馬の蹄鉄にかかって行く……肉が裂ける……骨が砕ける……血が飛沫(しぶ)く……咆哮……怒号……絶叫……苦悶……叫喚……大叫喚……。
 ……大虐殺の見世物……。
 ……活地獄(いきじごく)のオーケストラ……。
 ……私の罪……。
 ……肝魂(きもたま)が消え失せるとはこの時の私の事であったろう。頭の中がグワーンと鳴った。眼の前に灰色の靄(もや)がズ――ウと降りて来た。立ち上ろうとしたが膝が石のように固まって動かない。叫ぼうとしたが胸が鉄より重くなって呼吸(いき)が出来ない。やっとの思いで、わななく手を額に当てたが、その額は硝子(ガラス)のように冷たかった。
 忽ち粗(まば)らな拍手が起った。その音に連れて、眼の前の靄がズ――ウと開いた。楽屋の入口から燕尾服(えんびふく)を着た日本人と、水色の礼服を着たカルロ・ナイン嬢が静々と歩み出して来るのが見えた。
 私は長い、ふるえた溜息をホ――ッとした。同時に全身の緊張が弛んで、腋(わき)の下から滴(したた)る冷汗を押える事が出来た。
 ナイン嬢と燕尾服の男は広場の真中まで来ると並んで立ち止った。
 二人が見物に対して丁重な敬礼を終ると、ナイン嬢が流暢(りゅうちょう)な英語で左(さ)の意味の事を述べた。
「……満場の淑女……紳士方よ……。
 妾(わたし)は先ほど皆様にお目見得致しまして、拙(つたな)い技を御覧に入れました露西亜(ロシア)少女カルロ・ナインでございます。
 わたくしは今、バード・ストーン曲馬団の団員一同を代表致しまして、謹んで皆様にお詫び致さなければなりませぬ事が出来ましたのを深く深く遺憾に存じている者でございます。
 わたくしは包まず申上げます。
 この一座の花形として、皆様から一方(ひとかた)ならぬ御贔屓(ごひいき)を賜わっておりました、あの伊太利(イタリー)少年のジョージ・クレイはどうした訳か存じませぬが今朝(けさ)から行方がわからない事に相成りました」
 嬢がここで一寸息を切ると場内の処々(しょしょ)に軽い……けれども深い驚きの響きを籠めた囁きの声が、悲風のように起った……と思ううちに又ピタリと静まった。
「それで団員一同は八方に手を別けて探しているのでございますが、只今になりましてもやはり、その行方が判らないのでございます。……でございますから私共団員一同は、私共の不注意のために、折角皆様が楽しみにしておいでになりました、お眼当ての演技を、今日の番組から除かなければなりませぬのを深く深くお詫び申し上げなければなりませぬ。
 申すまでもなく警察方面にもお願いして、出来るだけの事を尽して探しているのでございますから近いうちに皆様の御満足になるような結果を得られます事と、わたくし共は固く信じております次第でございます。……それで誠に失礼な、又は身勝手千万な致し方とは存じますが、せめて今日の不都合のお詫びの印と致したい心から、この次に御買求めになります切符の半額券を、お帰りの節に入口の処で差上げる事に致しておりますから、何卒御遠慮なくお持ち下さるようにお願い致します。
 実は団長のバード・ストーンが自身に皆様にお詫びを致しまして、このような御挨拶を申上げなければ相済みませぬのでございますが、只今その事で、警察から横浜の方へ参っておりますから、不調法ではございますが、わたくしが代りまして、お詫びをさして頂く次第でございます。
 かような訳で、わたくしども団員一同は、ジョージ少年が帰って参りますまで、全力を挙げまして新番組を色々差し加えまして皆様の御機嫌を取り結ぶ覚悟でございますから、何卒(どうぞ)わたくし共一同の佯(いつわ)りのない赤心(まごころ)をお酌み取り下さいまして、この上とも末永く御贔屓を賜わりますように、団員一同を代表致しまして、わたくしから幾重にもお願い申上る次第でございます」
 それは僅か十五六の少女にしては立派過ぎた挨拶ぶりであった。多分ハドルスキーか何かが教えたものであろうが、それにしてもよくこれだけ整って記憶出来たものである。更にこれを述べた嬢の態度は、実に真情に満ち満ちていて、衷心から……相済みませぬ……という感情に充たされていたために、英語の解らぬ人々までも同情を惹いたらしくあとで傍に立っている燕尾服の男が通訳をすると、皆割れるような喝采をして嬢の謝意に対する好意を表した。
 けれどもその喝采の声は間もなくぴたりと止んだ。見物一同の眼はこの時、嬢と燕尾服の男を離れて、楽屋口から二人の人夫に運び出されて来る高さ二間幅一間ぐらいの大きな立看板に集まった。その表面には墨黒々と左(さ)のような文句が記されて、赤インキで二重圏点が附けてある。

 三万円の懸賞 [#「三万円の懸賞」に二重丸傍点]

    ジョージ・クレイを見知り給う人々に急告す。
今後一週間以内にジョージ・クレイの居所を通知し賜わりたる方々には先着者に一千円を、その他の方々に五百円宛を贈呈す。又同少年を同伴し賜わりたる御方には現金三万円[#「現金三万円」に二重丸傍点]を贈呈す。尚、同少年を御見識りなき方々は表の絵看板を御覧ありたし。

     麹町区内幸町帝国ホテル内
バード・ストーン曲馬団事務所


 見物一同は暫くの間鳴りを鎮めてこの立看板を見詰めていたが、やがて前とは違った深い驚きのどよめきが一隅から起って、忽ち見物席の全部に及んだ。
 三万円……高が一少年の行方を求むるために三万円の懸賞……あの少年が出場しないという事は、それ程にこの曲馬団に打撃を与えるのであろうか。一介の少年ジョージ・クレイの技術はそれ程に価値のあるものであろうか。そうして又、何という手早い、思いきった処置の取り方であろう。少年の失踪は今朝(けさ)の事ではないか……というような意味の驚きのどよめきでそれはあったろう。これは無理もない話で、事情を知っている私でさえもちょっと驚かされた位である。
 人夫は立看板を抱えたまま、見物の前二三間の処まで来て場内を一周した。最後にこの掲示が見物席の正面、楽屋の出入口に持って行って、あとから出来上ったらしい赤インキの滴(したた)り流れた英文の立看板と一緒に立てかけられると、いつの間にか楽屋に引込んでしまったカルロ・ナイン嬢のあとに、たった一人残っていた燕尾服の男は、一際声に力をこめて云った。
「只今御覧に入れました懸賞の広告は、既にその筋へお届けが済んでおりまして、明日(あす)の新聞紙にも掲載致す手筈に相成っておりますのを取り敢えず皆様に御報告申上げた次第でございます。内容は御覧になりまする通りで、別に御説明申上ぐる迄もございませぬから差し控えますが、これはお客様御一同に対しまする当曲馬団の責任と致しまして、一日も早く当曲馬団の花形と相成っておりますジョージ・クレイの演技を御覧に入れなければ相済まぬという考えから、かように取り計らいましたので、結局、当曲馬団が蒙りまする損害は一切勘定に入れず、唯、お客様御一同に対しまする当曲馬団の責任のみを重んじまして、かように決定致しました次第でございます。かような次第でございますから何卒お客様御一同に対しまする当曲馬団の誠意の程を御酌量賜わりまして、倍旧のお引立あらん事を伏してお願い申上ぐる次第でございます」
 陳(の)べ了(おわ)った燕尾服の男は恭(うやうや)しく一礼して見物席を見まわした。けれども一人として拍手する者がなかった。これは恐らく前のカルロ・ナイン嬢の言葉と比較して、この男の説明が余りに現金的で外国式なために、見物の同情を惹かなかったのであろう。全く別の見物人のように冷淡な、反響のない群衆と化してしまっていた。
 燕尾服は一寸張合抜けの体(てい)であったが、又勇を鼓して一歩踏み出して附け加えた。
「……ええ……なお一言申上げます。実は只今身支度のため楽屋へ引取りましたカルロ・ナイン嬢は、只今から演じまする馬の舞踏会には今日(こんにち)まで出演致した事は一度もないのでございますが、今日(こんにち)は特に、皆様へお詫びの心を現わしまするために、平生愛乗致しておりまするあの御承知の白馬『崑崙(こんろん)号』と共に参加致したいとの希望……」
 あとの言葉は耳が潰れたかと思われる拍手の音で聞えなくなってしまった。その中(うち)に燕尾服は腰を二重に折り曲げて最敬礼をした。
 ……三時二十八分……あと二分……。
 又一としきり大波のように拍手の音が渦巻き返った。
 同時に楽屋の入口に垂れ下っている緑色の揚げ幕の中から、嚠喨(りゅうりょう)たる音楽の音(ね)が、静かに……静かに流れ出して来た…………………………………。
 私の頭髪が一時に逆立った。全身の血が心臓を蹴って逆流した。思わず椅子から立ち上って絶叫した。
「待てッ…………」
 ……それからどうしたか記憶しない。気が付いた時にはもう広場の真中に駈け出していて、向うから走って来た最前の鬚武者(ひげむしゃ)の巨漢ハドルスキーに背後から羽がい締めにされていた。
「きちがいだきちがいだ」
摘(つま)み出せ――ッ」
 なぞ云う声が八方から聞える。巡査と西洋人と人夫らしい男が二三名走って来るのが見える。
 けれども私はそんな者を相手にする隙(ひま)はなかった。それこそ本当の狂人(きちがい)のように身を藻掻きながら絶叫し続けた。
「……ここを放せ……放せ。危険だ。危険だ。次の番組をやってはいけない。馬の舞踏をやってはいかん。途中で馬が……馬が……ええっ。ここ放せ……ハドルスキー……放さぬか……ええッ……」
 私の声は徒(いたず)らに空(くう)を劈(つんざ)いた。場内は空しくワーワーと湧き立った。しかしハドルスキーは平気であった。足を宙に振り舞わして暴れる私を楽々と引っかかえて、一歩楽屋の入口の方へ歩み出した。その時に今まで静かであった音楽が、急に浮き浮きしたワンステップの愉快な調子に変った。これは演技が初まった事を知らせるので、この音楽に連れて楽屋の入口から、馬と美人が入れ違いに並んで、踊りながら出て来るのであろう。
 私は無言のまま、死力を尽して羽がい締めから脱け出そうとしたが無効であった。私の力量は庁内でも有名なもので、狭山は鉄の棒を曲げるとまで云われていた。鬼という綽名(あだな)も一つはそうした意味で附けられたのであるが、このハドルスキーの金剛力には遠く及ばなかった。彼は籐椅子(とういす)を一つ抱える位の力で私を締め上げている事が、明かに私の背中に感じられた。そうして自信のある柔道の手を施す術(すべ)もないうちに私の両肩は、巨大な噛締機(バイト)にかかったように痺(しび)れ上って、抵抗する力もなくなってしまったばかりでなく、肋骨がメリメリと音を立てて千切(ちぎ)れて行くような……今にも肺臓が引き裂かれて、呼吸(いき)が止まりそうな大苦痛を感じ初めたのであった。
 ……死ぬのだ……俺は殺されるのだ……楽屋に連れて行かれて……。
 ……そうした絶望的な予感が二三度頭の中に閃めいて、私の抵抗力を無理に振い起させた。私はただ力なく藻掻きまわった。
 ……突然……大砲を連発するような響きが楽屋の方に起った。それと一緒に狂わしい馬の嘶(いなな)きと、助けを呼ぶ外国人の声とが乱れて聞えた。馬が狂い出して厩の羽目板を蹴っているのだ。
 その音を聞くと私は気の抜けた風船玉のようにぐったりとなった。
 けれども騒ぎの方は次第に烈しくなった。とうとう三十頭の馬が皆騒ぎ出したらしく、どかんどかんばりばりと板を蹴破る音、嘶く声、急を呼ぶ人々の叫びが暴風のように、又は戦争のように場内に響き渡った。その中から髪を振り乱した素跣足(はだし)の女が十人ばかり、肉襦袢ばかりの、だらしない姿のまま悲鳴をあげて場内へ逃げ込んで来た。
 これを見たハドルスキーは私を抱えたまま立ち止まって二三秒の間じっと考えているらしかったが急に私を放して巡査と人足に渡して、巧みな日本語で、
此奴(こいつ)を逃がさないようにして下さい。罪人ですから……」
 と云い捨てたまま、他の西洋人と一緒に楽屋の方に走って行った。
 私は四人の巡査と人足にしっかりと手足を押えられたまま、気抜けしたようになって立っていたが忽ち巡査を振り放した。組み付いて来る人足を跳ね飛ばし投げ付けて、落ちた帽子を拾うが否や、ハドルスキーの後を逐うて行った。私を欺いた憎むべき悪少年、呉井嬢次を捕えるためである。
 見物は総立ちになった。吾も吾もと仕切りの柵を越えて、演技場の中に走り込んで、一時に楽屋の入口の方へ殺到した。いつ這入って来たものか四五名の巡査が手を挙げて制しているが、野次馬は益々殖えるばかり……楽屋の入口は見る間に人足と巡査と見物の群で、押すな押すなの大雑沓を極めた。
 しかし私はそんな騒ぎを後にして一直線に楽屋の中を眼がけて突進した。そうして巡査と押し合う人間の袂(たもと)の下をかいくぐって、躓(つまず)きたおれんばかりに楽屋の奥へ転がり込むと、楽屋の連中は皆、外へ逃げ出すか、馬の処へ駈け付けるかしているために、どの室(へや)も森閑と静まり返っている。
 荷物部屋らしい室(へや)の前に来ると、ここばかりは他の室(へや)と違って、壁が亜鉛(トタン)張りになっていて、やはり亜鉛(トタン)張りの頑丈な扉(ドア)が付いている。その扉(ドア)を開くと苦もなく開(あ)いたが、中に這入って扉(ドア)を締めると真暗になる。懐中電燈を点(とも)してみると嬢次少年が云った通り、向うの隅に真鍮(しんちゅう)張りの大トランクがあって表に白い文字でGEORGE・CRAYと書いてあるが、その鍵の処には、白い小さい紙布(かみきれ)が挟んであるようである。近付いてよく見ると、それは嬢次少年自身の名刺で、その裏面には鉛筆で羅馬(ローマ)綴りの走り書きにしてある。
「この中の黒い鞄は頂戴致しました。御心配かけました」

 …………………………………………………………………私はどこをどう歩いて来たのか丸で記憶しない。いつこのカフェー・ユートピアの二階へ上り込んだのか……どうして今、眼の前に並んでいる四種の料理……「豆スープ」と「黒麺麭(パン)」と「ハムエッグス」と「珈琲(コーヒー)」を誂(あつら)えたのか……一つも頭の中に残っていなかった。
 窓の外を覗くと、往来には夕暗(ゆうやみ)の色が仄(ほの)かに漂い初(そ)めている。向家(むかい)の瓦屋根の上を行く茶色の雲に反映する光りを見ると、太陽は殆んど地平線下に沈みかけているようである。頭の上の右手には花電燈がほっかりと点(つ)いていて、周囲には大勢の客が笑いさざめいている。中には曲馬団の帰りらしい学生の一組も居て、頻(しき)りに高声で話をしている。
「……面白かったな」
「うん。あのキチガイみたいなハイカラ紳士と、ハドルスキーの活劇が素敵だった。もう五十銭出してもいい……明日(あす)も遣るんなら……」
「一円呉れりゃあ俺が遣ってやらあ……」
「遣るよ一円ぐらい……」
「ダメよ。見物がみんな呉れなくちゃア……」
「チエ……慾張ってやがら……」
「何だろうな。あの紳士は一体……」
「キチガイだよ毛唐の……英語で何だか呶鳴(どな)ってたじゃねえか」
「最初は日本語だったぜ。待てッ……とか何とか……」
「……ウン……しかし何だってあんなに呶鳴り出したんだろう。だし抜けに……」
「ジョージ・クレイの居所を知っていたんじゃねえかナ」
「……どうしてわかる……」
「そいつが三万円の懸賞を見て気が変になったんじゃねえかと思うんだが……ハハン……」
「そうかも知れねえ。だから馬が共鳴して暴れ出したんだろう……馬い話だってんで……」
「アハハハ……違(ちげ)えねえ」
「ワハハハハハハ……」
「しかし三万円は大きいじゃねえか。たった一人の小僧っ子に……」
「なあに……あれあ広告よ。毛唐はよくあんな事をして人気を呼ぶそうだから……事によると両方狎(な)れ合いでやっているのかも知れねえぜ」
「キチガイ紳士も馴れ合いか」
序(ついで)に馬も馴れ合いにしちまえ」
「しかし三万円てえと一寸(ちょっと)使えるな。誰か希望者は居ないか」
「カルロ・ナイン嬢なら只でも探しに行かあ」
「初めやがった好色漢(すけべえ)野郎!」
「いや真剣に……」
「なお悪いや」
「一体ジョージの野郎は何だって曲馬団を飛び出したんだろう」
「さあ……そいつはわからねえ」
「なあに。ちゃんと判っている。給金の事で団長と喧嘩(けんか)したんだ」
「イヨ。名探偵。どうして判った」
「芸当がジョージになったからもっと給金をクレイって云ったんだ」
「アハハハハ初まった初まった」
「ふざけるな」
「いやまったく。それで団長が憤(おこ)ったんだ。そんな金はカルロ・ナインだと」
「そこで談判がバードしたんだろう」
「ストーンと御免蒙ったってね」
止(よ)せ止せ」
 一同は哄(どっ)と噴き出した。
 私は両手をポケットに突込んだ。双眼鏡と懐中電燈がある。それから金容(かねいれ)も……ピストルも……万年筆も……時計も……今四時四分を示している。ただ鼈甲縁(べっこうぶち)の眼鏡と、紫檀(したん)のステッキがない。そうして身体(からだ)を動かす拍子に両肩と首すじがピリピリと痛むのに気が付いた。大方ハドルスキーに抱きすくめられた時に暴れて磨(す)り剥(む)いたのであろう。
 私はあれから約三十分ばかりの間、どこで何をしていたか。
 私は眼を閉じてじっと記憶を辿ってみた。
 私の記憶の中から高い赤煉瓦(れんが)の建物の二階に並んだ窓の二つが、ぎらぎらと夕陽に輝いて現れて来るようである。それから夥(おびただ)しく並んだ自動車の間を抜けて来るうちにT3588と番号を打った自動車を発見してはっとした記憶が浮み出て来るようである。それから長い長い砂利道を色々な人間とすれ違いながら歩いて来るうちに、どこか遠くでポンポンポンと撃ち出す試験射撃みたような銃声を聞いたようにも思う。頭の上を轟々(ごうごう)と音を立てて高架線の列車が走ったり、電車とすれすれに道を横切って誰かに叱られたようにも記憶するが、しかしそれが果して今日のことか、それともずっと以前の記憶の再現か、その辺がどうもハッキリしないようである。
 それから枯れ柳の並木の間に、青黒い瓦斯(ガス)灯のポールが並んだ狭い街に這入った。それから入口に赤い煉瓦を敷いた家……ここだ……ここに這入ったのだ。して見ると私は曲馬場の前に出て、鍛冶(かじ)橋を渡って、電車通りから弥左衛門町に這入ってここへ来たものらしい。とにかくあの曲馬場の楽屋で嬢次少年が書いた文句、
「この中の黒い鞄は頂戴致しました。御心配かけました」
 というのを読んでから今までの間の私の頭の中はオムレツにされかけた卵のように混乱していた。嬢次少年に欺かれ、弄(もてあそ)ばれたという憤怒の焔(ほのお)に熱し切っていた。そうしてその中に、今日の出来事の原因結果を整理しようと焦躁(あせ)っていた。
 ……何のために私をあれ程に欺いたのか。……何故に十四五分で済む演技を二十分以上もかかると嘘を吐(つ)いたか。何故に私を死ぬ程心配させたか……と考えては考え、考えつくしては又考え直した。けれどもそれはただ私の頭を混乱させるばかりで、何等の判断力も決定力も与えなかった。
 ……否……たった一つ……私がハドルスキーに抱きすくめられて藻掻(もが)いているうちに……まだ多少の推理力が頭の片隅に残っているうちにてっきりそれに違いないと思い込んだ事がある。そう気がつくと同時に一層猛烈に藻掻きまわって、嬢次少年を一刻も早く引っ捕えるべく、焦躁(あせ)りまわらずにはいられなくなった事がある。
 それは他でもない。嬢次少年の「復讐」という事であった。嬢次少年はその両親の讐敵(かたき)を取るべく私を手先に使って、曲馬団に致命的の打撃を与えているのだ……という私の直覚? であった。
 私はこうした事実を頭の片隅で推理すると同時に、ほんとうにキチガイになりかねないくらい恐怖戦慄したのであった。絶叫し狂乱したのであった。……如何にJ・I・Cが日本民族の敵とはいえ、如何に曲馬団が兇悪無残の無頼漢の集まりとはいえ、又、バード・ストーン団長が如何に両親の仇(かたき)とはいえ、これに致命的の打撃を与える手段として、何の罪も報いもない数十名の美人を狂馬の蹄鉄にかけて蹴殺させるというような極悪残忍な所業(しわざ)が、果して人間の……しかも一少年の頭から割り出され得ることであろうか。東洋文化の真只中、大東京の中心地として、馬場先の聖域と東京駅と、警視庁とを鼻の先に控えた晴れの場所で、ついこの間まで現役の探偵として多少共に人に知られた私をタマに遣(つか)って実行された事であろうか……というような疑問と驚愕とを一時に頭の中に閃めかせつつも、死に物狂いに虚空を掴んだのであった。
 しかし、その騒動が事なく済んだ事がわかると、私はぐったりと喪神状態に陥りながらも、その一瞬間に私のそうした推理に幾多の矛盾がある事に気付いたのであった。……親のために泣くような純な心を持った少年が、こんな残忍冷血な計画を思い付く筈はない……「正義」というものに対してあれ程敏感な人間が、これ程の卑怯無道な手段を択(えら)む筈はない……というような色々な反証を思い浮めると同時に、ただ、何かなしに欺された、飜弄された……という極めて低級な憤怒に駆られたのであったが、その憤怒も亦(また)、少年が書き残した「御心配かけました」の一句でパンクさせられてしまうと、とどの結局(つまり)、私は何が何やらわからない五里霧中の空間に投げ出されてしまったのであった。そうして何が何やらわからないままここまで来てしまったのであった。
 私はこれ程非道(ひど)い手違いをして、これ程痛烈な心配をして、これ程無茶な眼に合わされて、これ程にベラボーな大きな恥をかかされた事は今まで嘗て一度もなかった。そうしてもし本当に私を、これ程の眼に合わせ得る者があるとすれば、今のところあの少年嬢次よりほかにない筈である。これだけはどっちから見ても疑いない事実である。
 ……宜(よ)し……俺は嬢次少年を見事に取って押えてくれよう。そうして事実、俺を愚弄したものであるかどうかを白状さしてくれよう。
 やっとそれだけの決心をすると、やがて眼の前のスープの皿が眼に付いた。これは私が無我夢中の中(うち)に註文したものらしいが、果してその通りかどうかを考える前に……私は何もかもなく冷たくなったスープ皿を引き寄せて音を立てて貪(むさぼ)り吸うた。それと一緒に俄(にわ)かに空腹を感じて来たので、そこにあった黒麺麭(パン)を左手に掴み、右手で肉叉(フォーク)を使ってハムエッグスを掬(すく)いながら、野獣のように噛じり、頬張り、且つ呑み込んだ。そうして最後に角砂糖をガリガリと噛み砕きながら、冷え切った珈琲(コーヒー)をガブガブと呑み干してしまった。するとそれは普通(ただ)の珈琲でなくてウイスキーを割ったものであることが、飲んだ後から解ったので、酒に弱い私は慌てて水瓶を持って来させて、コップで二三杯立て続けに飲んでアルコール分を弱めようとしたがもう遅かった。最前からの疲れと、アルコールの利き目とが一緒にあらわれたものであろう。爪楊枝(つまようじ)を使う間もなく崩れ落ちるように睡くなった。全身の筋肉が綿のようにほごれて、骨の継ぎ目継ぎ目がぐらりぐらりと弛んで……足の裏が腫れぼったく熱くなって……頭の中が空っぽになって……その身体(からだ)をぐったりと椅子に寄せかけて……眼を閉じて……全身の疲れが快よく溶けて……流れて……恍惚となって……………………………………………………………………………………。
 ……そのうちにどこかの階段を慌しく駈け上って来る靴の音を、夢うつつのように聞いていた。
「大変だ大変だ」
「何だ何だ」
「火事か……喧嘩か……」
「戦争だ戦争だ。今撃ち合っているんだ。早く来い早く……」
「馬鹿にするな」
「いや本当だ。早く早く……」
「どこだどこだ」
「帝国ホテルだ……」
「嘘を吐(つ)け……担(かつ)ぐんだろう」
 そんな夢のような会話と、階段を降りて行くオドロオドロしい五六人の足音を、やはり遠い世界の出来事のように聞いていた。そうして、その会話の通りの戦争を夢とも空想とも附かぬ世界にうつらうつらと描いていた。
 カーキ色の城砦のような帝国ホテルの上空に、同じ色の山のような層雲がユラユラと流れかかって来る……その中から一台の、矢張りカーキ色をした米国の飛行船が現われて帝国ホテルの上空をグルグルと旋回し初める……帝国ホテルの屋上には何千何百ともわからぬ全裸体の美人の群れがブロンドの髪を振り乱して立ち並んで、手に手に銀色のピストルを差し上げながらポンポンポンポンと飛行船を目がけて撃ち放す……飛行船はタラタラと爆弾を落すと、見事に帝国ホテルに命中して、一斉に黄金色の火と煙を噴き上げる……美人の手足や、首や胴体がバラバラになって、木の葉のように虚空に散乱する。……帝国ホテルが真赤な血の色に染まって行く……飛行船も大火焔を噴き出して独楽(こま)のようにキリキリと廻転し初める……それを日比谷の大通りから米国の軍楽隊が囃(はや)し立てる……数万の見物が豆を焙(い)るように拍手喝采する……それを警視の正装した私が馬に乗って見廻りながら、これは困った事になって来た。どうしたらいいだろう。米国公使館に電話をかけてやろうか。どうしようか。……それともこれは見世物じゃないか知らん。それとも何かの広告かしら……なぞと色々心配しているうちにとうとうほんとうに眠ってしまったらしい……。
 ……それはおよそ二時間足らずの睡眠であったらしい。けれども疲れた頭と身体(からだ)を休めて、新しい元気を回復するには十分であった。そのうちにふっと気が付いてみると眼の前に十二三の見習いらしいボーイが立っている。そうして肩を怒らしながら紫色のハンカチで包んだ四角いハガキ大のものを私の鼻の先に突き付けている。
 私は無言のまま何気なくその包みを受取った。結び目を解いて中味を検(あらた)めて見ると、何でもない古新聞紙で、ただ紫のハンカチを包みらしく見せかけるために包んだもののように見えた。
 私はそう気付くと同時にハッとした。そうして眼の前に空しく並んだ四つの皿をジイーと睨み付けた。
 その時にボーイは横柄(おうへい)な態度で云った。
「さっき表を通った方(かた)が、貴方(あなた)に渡してくれと云ったんです。……ですけど、ちょうどお寝(やす)みでしたから待っていたんです」
 その言葉が終るか終らないかに私は椅子を蹴って立ち上った。ボーイはその剣幕に驚いて一寸後退(あとじさ)りをしたが、魘(おび)えた眼付きをして私を見上げた。
「それはいつ頃だ」
「一時間……二時間ぐらい前です」
「どんな人間だ……」
「……よく……わかりません。俥(くるま)の幌の中から差し出したんですから……けれども何でも若い女の方のようでした」
「何と云った」
「エ……?」
「そいつが何と云った」
「二階の窓のすぐ側の西側の隅っ子の卓子(テーブル)に灰色の外套を着て、腰をかけて居眠りをしている紳士の方に差上げてくれと……」
「それだけか」
「ハイ……」
 私は窓の外を見た。私の姿は窓の外から見えないようになっている。
「俥の番号は記憶(おぼ)えているか」
「よくわかりませんでした」
「どっちへ行った」
「新橋の方へ……」
 私は紫のハンカチを新聞紙と一緒に内ポケットへ突込んで、机の上に五十銭玉を五つ投げ出した。
「お釣銭(つり)はお前に遣る」
 と云ううちに帽子を掴んで表に飛び出しかけたが又立ち止まってボーイを振り返った。
「俺が今喰った……その四皿の料理はスープとハムエッグスと黒麺麭(パン)と珈琲(コーヒー)だったナ……ウイスキー入りの……」
「ハイ……貴方が御註文なすったんです」
 ボーイは叱られるのを待っているような顔をした。
「よし。この家(うち)には電話があるか」
「御座います」
「数寄屋橋タキシーに電話をかけて早いのを一台大至急でここへ……」
「タキシーなら一軒隣りに二台あります」
 私はその声を半分階段の途中で聞きながら表へ飛び出した。ボーイが指した方向の一軒隣りに駈け付けて、たった今帰って来たばかりの新フォードに飛び乗ると、ニキビだらけの運転手に五円札を二枚握らした。
「新宿駅まで……全速力だぞ……車内照明(ルーム)を点(つ)けないで……」
 運転手は札(さつ)を握ったまま恨めしそうに振り返った。
「この頃はルーム点けないと八釜(やかま)しいんです。直ぐに赤自動自転車(アカバイ)が追っかけて来るんです」
「構わない……俺は警視庁と心安いんだ……」

 話が又、少々傍道(わきみち)へ這入るようであるが、しかしここでちょっと脱線を許してもらわないと、話の筋道が無意味になりそうだから止むを得ない。
 あれ程、昏迷に昏迷を重ねて来た私が、何故にこのような猛然たる活躍を初めたか。もっと具体的に云えば、前記の通り取り付く島もないほどへたばり込んで、涙も出ないほど叩き付けられていた私が、たった今、カフェー・ユートピアで紫のハンカチを受け取って、自分が註文して喰ってしまった四皿の料理の名前をもう一度確かめると同時に、何に驚いてタクシーに飛び乗って、全速力の一直線で、狂人(きちがい)のように新宿めがけて飛び出したか……という理由を説明するには、是非とも私の体験と観察から生れた「第六感論」なるものを少々ばかり御披露させてもらわねばならぬ。そうして兎(と)にも角(かく)にも世間の所謂(いわゆる)「第六感」なるものが決して非科学的な、もしくは荒唐無稽なものでない。寧ろ恐ろしく科学的な、非常に深刻偉大な実在現象である事を、幾分なりとも認めてもらわなければ、かんじんのところで話の眼鼻がつかなくなると思うからである。
 読者も御承知の事と思うが、すべて新聞記者とか、刑事とかいうものは多少に拘らず第六感というものが発達しているものである。私は近い中(うち)にこの第六感が活躍する実例を種類別にして、纏めて、「第六感」と題する書物にして出版するつもりだから、苟(いやし)くも探偵事件に興味を持つ人々は、是非とも一読せられたい……いや……これは広告になって申訳ないが、ここにはその内容の大要だけを述べさしてもらう事にする。
 ところで冒頭に断っておくがこの第六感というものは、千里眼、又は催眠術なぞという迷信的なものとは全然別物なので、あんなあやふやな奇蹟的なものではない。儼然(げんぜん)たる科学の範囲に属する感覚である事である。
 すなわち普通の人が知っている眼、耳、鼻、口等の五官の作用以外に存在する凡(すべ)ての直覚力を仮りに「第六感」と名付けたもので、手近く人間の第六感で例を引けば、或る人間が或る一瞬間に、理窟も何も考えないで、ただ「これはこうだナ」とか「それはそうだナ」とか感じた事が百発百中図星(ずぼし)に的中(あた)っている事で、新聞記者が朝眼を覚ますと同時に「今日は何か事件の起りそうな日だな」と思ったり、又は刑事巡査が犯罪の現場に来ると直ぐに「犯人はまだ近くに居るな」と感じたりするのが、まるで偶然のように事実と符合して行くのは皆、この第六感の作用に他ならないのである。その他、博奕打(ばくちうち)が相手の懐合(ふところあ)いを勘定したり、掏摸(すり)やインチキ師が「感付かれたな」と感付いたり、馬道(うまみち)あたりの俥屋が、普通の客としか見えない男を捕えて「吉原(なか)まで如何(いかが)です」と図星を指したりするのも皆この「第六感」の一種に数えられるのである。
 しかも、私の考えに依ると、斯(か)ような第六感の作用は人間ばかりに限ったものでない。広く動植物界を見渡してみると誠に思い半ばに過ぐるものがある……否……人間世界に現われる第六感の実例よりもずっと甚しい、深刻な現象を到る処に発見する事が出来るので一々数えてはおられない位である。早い話が地平線下に居る獅子を発見して駱駝(らくだ)が慄(ふる)え出したり、山の向うに鷹が来ているのを七面鳥が感付いて騒ぎ立てたりする。蛭(ひる)が数時間後の暴風を予知して水底に沈み、蜘蛛(くも)が巣を張って明日(あす)の好天気を知らせ、象が月の色を見て狼群(ろうぐん)の大襲来を察し、星を仰いだ獺(かわうそ)が上流から来る大洪水を恐れて丘に登る。そのほか、犬、猫、伝書鳩が故郷に帰る能力なぞ、五官の活用ばかりでは絶対に説明出来ない事である。しかもこれがもっと下等な生物になるともっと明瞭に現われて来るので、朝顔の蔓(つる)が眼も何もないのに竹の棒を探り当て、銀杏(いちょう)の根が密封した死人の甕(かめ)を取り囲む。又は林の木の枝がお互同志に一本でも附着(くっつ)き合ったり、押し合ったりしているものはなく、皆お互に相談をして譲り合ったかのように、程よく隔たりを置いているのも、この考えから見れば何の不思議もないので、換言すれば下等な生物になればなる程……耳や鼻や口がなくなって、五官の活用がなくなればなくなる程……第六感ばかりで生活している事になる訳である。
 だから人間の中でも文化程度の低いものほど「第六感」が発達している理由がよくわかって来る。野蛮人は磁石なしに方角を知り、バロメーターなしに悪天候を前知する。又は敵の逃げた方向を察し獲物の潜伏所を直覚するなぞ、その第六感の活用は驚くべきものがある。これは我々文明人が、あまりに眼とか耳とかいう五官の活用に信頼し過ぎたり、理詰めの器械を迷信し過ぎたりするために、この非常に貴い、この上もなく明白な「天賦の能力」を忘れているからで、一つは近頃の世の中が、あまりに科学や常識を尚(たっと)ぶために、人間の頭が悪く理窟で固まってしまって「神秘」とか「不思議」とか「超自然」とかいう理窟に当て箝(は)まらない事を片端(かたはし)から軽蔑して罵倒してしまうのを、文明人の名誉か何ぞのように心得ているために、このような大きな自然界の事実を見落しているものと思う。
 その証拠にはこの問題を普通の人に持ちかけると皆、符節を合わせたように同じ返事をする。
「それは特に貴下のような特別の職業に従事している人に限って発達している一種の能力で、我々は及びもつかぬ事でしょう」
 と云う。そこで私が追(お)っ蒐(か)けて、
「いやそうでないのです。凡ての生命(いのち)あるものは皆、この能力を持っているものです。私共にだけあって貴方(あなた)がたにないという理窟はありませぬ。この宇宙間には眼で見え、耳で聞え、鼻に匂い、舌で味(あじわ)われ、手で触れられるもの以外に、まだまだ沢山の感じられ得るものがあるのです。下等な動物は五官の作用を持たないままに、そんなものを直覚して生活しているのです。それがだんだん高等な動物になって、手が生え、舌が出来、眼が開(あ)き、耳が備わって来るにつれて、そんな五官の作用ばかりをたよりにするようになって、ほかの直覚作用を信じなくなって来るために、そんな作用がだんだん退化して来るのです。殊に文明人となると、五官の働きを基礎とした学問や常識ばかりをたよりにして電信電話以外に遠方の事はわからない。X光線以外に物は透かして見えない。指紋足跡の鑑識と、三段論法式の推理と、三等訊問法以外に犯罪の探偵方法はない……と固く信じているために、これ程に明白な第六感の存在を首肯する事が出来ないのです」
 と説明しても、
「へえ。そうですかね。どうも貴方の議論は高尚過ぎて、われわれには解りかねます」
 とか何とか云って逃げてしまう。そうして大神宮のお札(ふだ)売りか、大道易者にでも捕まったように、表面(うわべ)では尊敬して、内心では大いに軽蔑した表情をする。しかもその心の底では「どうもそんな事がありそうだ。時々そんな気がする事がある。或(あるい)は事実かも知れぬ」と感じながらも、それを押し隠そうと努力している。その証拠には、隠しても隠し切れぬ苦笑いがその表情の中に浮き出して来る。これはその人の心の底に隠れている第六感と、常識とが互に相争っているからで、この傾向は相手に地位があればある程、又は教育があればあるだけそれだけ甚しい。こうして現代の唯物科学的文明は、この大問題を見向きもしないで振り棄てて行くので、私はこれを人類文明の大損害と思っている。
 ところでここでもう一つ傍道(わきみち)に這入って説明しておかなければならぬ事は、人間が「第六感」を感ずる場合に三種類ある事である。
 元来この第六感というものは、今まで説明したところでもあらかた察しられる通り、人間が普通の常識とか、妄想とか、空想とか、又は智慧分別とかいう雑念の一切合財から綺麗に離れた、純真純一な空(から)っぽの頭になった時に感ずるもので、その第一例としては、和漢の高僧、名知識と呼ばれる人々が、遠方の出来事を直感したり、将来の一大事変を予知した話が、屡々(しばしば)世に伝えられている実例がある。しかし、これは余程修養の積んだ、悟りの開けた人間に限った話で、吾々のような俗物が、いつもかもそんな澄み切った、超人的な気持ちで澄まし込んで、無線電信のアンテナ見たいに、ふんだんに第六感ばかりを感じている訳には行かない。だから、これは第一種の特別の部類として敬遠しておく事にするが、しかしながら、かような第六感を感じ得るのは何もそんな名僧知識に限ったものではないのである。吾々のようなありふれた俗物でも、時々、名僧知識と同様の何の気もない無心状態になって「第六感」を受けている場合は屡々あり得るので、その場合を私は又、仮りに二種類に分けて考えているのである。
 その第一種は昔から俗に云う「虫の知らせ」という奴で、細かく分けると「鴉(からす)鳴きが悪い」とか、「下駄の鼻緒が切れた」とか「鼬(いたち)が道を切った」とか、又は「夢見が悪い」とか「鳥影がさした」とかいうあれである。これはその人間の第六感が或る事を感じていながら、まだ意識のうちに現われて来なかったのが、そんな出来事に出会った拍子にひょいと現われて、何かの異変を知らせているので、決して迷信とか旧弊といって排斥すべきものではないのである。
 譬(たと)えば鴉がいつもと違った陰気な低い声で「カアア……」と啼(な)く。おやと思ってその方を見る。その瞬間、その人の頭の中にあるいろいろのあり触れた妄念が綺麗に消え失せて、只ぽかんとした空(から)っぽの頭になる。そこに「第六感」がアリアリと浮かみ現われて、その日のうちに起りかけている悪い出来事を感じている。
 鼬がすらりと道を横切る。……アレ……と思ってその影を見送るはずみに、今まで考えて来た事をふッと忘れる。あとには「第六感」だけが残って、行く手の災難を予覚している。
 誰でも下駄の鼻緒が切れるとハッと思う。何も考えずにジッと見詰める。その心の空虚に「第六感」が閃めきあらわれて、誰かの大病を感付いている。
 夢を見て覚めた瞬間はどんな英雄豪傑でもぽかんとしている。その時に第六感が働く。夢が悪いのではない。その夢を見て覚めた瞬間に第六感が凶事を感ずるから、今見た夢が何かしら悪いしらせのように感じられるので、そんなのが後(のち)に正夢となって思い合わされるのである。
 前に挙げた数例でも同様で、別に鴉や、鼻緒や、鼬が凶事を知らせている訳ではない。その瞬間に受けた「第六感」の感じがよくなかったのを錯覚して、鴉や、鼻緒や、鼬が気を悪くさせたかのように人に話す……そうすると、そんな感じを経験した人が案外多いために、吾れも吾れもと共鳴してこんな迷信を云い伝えるようになったもので、そんな事を云い出すのが、頭の単純な昔の人間や、田舎者であるのを見ても、こうした俗説の起りが「第六感」の作用から起っている事がわかる。
 尚、こうした第六感の錯覚作用は次の例を見れば一層よく解る。
 よく……鳥影がさした。今日はお客があるだろう……なぞいう事があるが、これは普通女に限って云う事で男は滅多にこんな言葉を口にしないようである。しかも女がこんな事を云い出す時は、大抵日当りのいい障子(しょうじ)の側で、静かに縫い物か何かしている時で、ばたばたと忙(せわ)しく働いている時は余り云わぬ。ところで誰でも知っている通り女が縫い物をする時は、眼を絶え間なく小さな針の先に注いでいるために、気持ちが平生(ふだん)よりもずっと澄み切っていて、只いろいろと取り止めもない夢のような事を考えている。つまり女の頭の中には、平生(いつも)の常識的な、理窟ばった考えは微塵(みじん)もなくなって、人間世界を遠く離れたうっとりした気持ちになっている。こんな時が第六感の最も鋭く働く時で、女はその澄み切ったあたまの中に、いつとなく一人の客人が遠くから、自分の家(うち)に向って動いて来るのを感じている。しかしそれは先から先へとめぐって行くシャボン玉より軽い、夢より淡(うす)い空想の蔭になって動いているので、女にはまだハッキリと意識されていない。……そこへぱっと黒い影が障子を横切る。女ははっと思う。夢のシャボン玉がふっと消える。その下から客人が来る……という第六感がまざまざと現われる。そこで女は思わず云う……
「あれ鳥影がさした。誰か来るような気がする」
 と……。けれども女は「第六感」というものが人間にある事を知らないから、すぐに平生(いつも)の常識に立ち帰って、
「……けども家(うち)の人が今ごろ自宅(うち)に居ないのは誰でも知っている筈だ。あんまり当てにはならない」
 なんかと思い消してしまう。しかし女の第六感は承知しない。矢張り何だか気になるから縫物(しごと)を止(よ)して、それとなく茶器なぞを拭いていると、思いもかけぬ人が表口から、
「御免下さい。御無沙汰しました」
 と這入って来る。
「まあ。矢っ張り本当だったわよ」
 と女は思う。
 然(しか)らば吾々の持っている職業的な第六感の動き方はどうかというと、これとは全く正反対である。神経を磨(みが)き澄まし、精神を張り切って、眼にも見えず、耳にも聞えない或る事を考え詰めている時に電光のように閃めき出すもので、その鋭くて、早くて、確かな事はとても無線電波なぞの及ぶものでない。吾ながら驚く程沢山の事実をほんの一瞬間に感じさせたり、又は遠方で起った仕事の手違いを的確に予知させたりするものである。私はずっと前からこの種の第六感の存在を固く信じているもので、これによって重大な事件を解決した例は一つや二つでない。勿論科学的な研究や観察を基礎とした推理なぞを決して軽く見ている訳ではないが、場合によってはそんなものが全く役に立たなくなって、いくら研究して、推理して見ても、考えは唯同じ処をぐるぐる廻るばかりのみじめな状態に陥る事がある。
 大抵の人間はそんな時にすっかり失望して終(しま)って、とても駄目だと諦めて終(しま)うようであるが、私は決してそれを諦めない。なおの事一心不乱になって考え続けて行く。そうすると全身の神経の作用が次第に求心的に凝(こ)り集まって、あるかないかわからない無色透明の結晶体みたようになってしまう。その時に第六感が煌々(こうこう)と、サーチライトを見るように輝き出して、事件の焦点を照し出したり、行くべき方向を示したりするから、それに依って猶予なく敏速な活動を開始する事が出来る。但し、そんな場合に何故そんな風に私が動き出して行くのかという理由は、説明しようとしても説明出来ないのだから、私は難事件になればなる程たった一人で仕事をする事になる訳である。しかもそんな場合に傍(はた)から見ていると、私の行動はまるで狂人(きちがい)のように感じられるそうであるが、その結果を見ると又、奇蹟としか思わない事が多いそうである。これは普通人ばかりでなく私と同じ仕事をしている連中でもそう感じるそうで、現にこの間私を免職した高星総監なぞも、
「君はまるで魔法使いのようだ。事件と何の関係もない事実を見付けては寄せ集めて、その中に事件の核心を発見する」
 と云って舌を捲いた位である。しかし事実は不思議でも何でもない。普通人が常識の範囲内でだけしか仕事が出来ないのを私は「第六感」の範囲まで神経を高潮させて仕事をするからで、現在たった今私がカフェー・ユートピアを飛び出すと一直線に「新宿へ」と命じたのもその最適当した一例であろうと思う。
 この時の私はただ「第六感」ばかりに支配されていた私であった。
 初めカフェー・ユートピアでボーイが私に紫の包みを渡すべく差出した時に、私は殆んど睡りから覚めかけていた。そうして、いつの間にか不思議にがら空(あ)きになっているカフェーの片隅に、たった一人で静かに眼を閉じていると、疲れが休まった身体(からだ)の中にずんずん血がめぐって行く快よさと、頭の中の神経細胞がちゃんと秩序を回復していて気を付けの号令をかけられた軍隊のように整然としている気持ちよさとを、心ゆくまで感じていた。その時に誰か私の前に近づいて来るように思ったから、何気なく眼を開(あ)いて見ると、それは一人のボーイであった。
 ところでそのボーイが差出した紫色の包みを受取って、中味を検(あらた)めようとした時に、その包んだ風呂敷が、紫色の絹ハンカチである事に気付くと同時に、私ははっとさせられた。そうして今日じゅうの出来事……否、二年前の東京駅ホテル殺人事件以来の出来事の裏面に潜む、想像を超越した奇怪な出来事が、一時に解決されかかったように思いつつ、眼の前に並んだ四枚の皿を見まわした。
 それから私は立ち上って出て行きがけに、念のため私が自分で註文した食事が、黒麺麭(パン)とスープとハムエッグスと、ウイスキーを入れた珈琲(コーヒー)の四皿に相違なかったかどうかをボーイに問い確かめてみると、ボーイはその通りですとハッキリ答えた。その時に私は一切の秘密を明かにする裏面の真相が電光のように私の頭に閃めき込むのを感じたのであった。
 私の第六感の作用のすばらしさをハッキリと感じたのであった。
 読者は記憶しておられるであろう。
 去る大正七年十月十四日の朝、東京駅ホテル第十四号室で起った岩形圭吾氏こと、志村浩太郎氏の変死事件を探るために、私はその朝の午前十一時頃カフェー・ユートピアへ来た。そこで一冊の聖書を見付けて、その聖書によって志村氏と、その妻のぶ子がJ・I・Cに関係している事実を発見したことを……。
 ……ところでその時に私が坐っていた卓子(テーブル)は、確かに最前坐っていたのと同じ卓子(テーブル)の同じ椅子で、しかも、その卓子(テーブル)が又その前夜、志村夫婦が差し向いに坐っていたその卓子(テーブル)ではなかったか。……のみならずその卓子(テーブル)に腰をかけていた志村浩太郎氏が、その妻ののぶ子から紫のハンカチを受け取る直前に、その卓子(テーブル)の上に並べていた四皿の料理は、今夜疑問の女から紫のハンカチを受け取る前に並べていた四皿の料理と、そっくりそのままの……黒麺麭と、スープと、ハムエッグスとウイスキー入りの珈琲ではなかったか。
 ……今の世に奇蹟はない。
 ……偶然としては余りに偶然過ぎる。
 しかもこの奇蹟的な偶然を、私の第六感の作用として判断すると、一切の疑問の闇を貫く一道の光明が、サーチライトのようにありありと現われて来るではないか。
 あの時に発見した聖書は、今も警視庁の参考品室の片隅にある、暗号の部と書いた硝子(ガラス)戸棚の中に投(ほう)り込まれたままになっている。たしか二〇一番の札(ふだ)を貼られたまま塵埃(ほこり)に包まれている筈である。
 私も、今朝(けさ)の中(うち)迄はすっかりあの事件を忘れてしまっていた。何もかも忘れて、余生を自然科学の研究に没頭して送るべく、これから追々と買入れねばならぬ器械と、薬と、書物の事ばかり考えていた。
 ところが今日の午後になって、嬢次少年の訪問を受けると又も、新(あらた)にその時の記憶を喚び起したのみならず、その問題の曲馬団の興行を見物に来て、カルロ・ナイン嬢の美しい姿を見て、どこかの華族様の令嬢ではないかと思ったりした。又、自分の直ぐ背後(うしろ)に坐っている女優髷(まげ)の女を見ると、もしや志村のぶ子ではあるまいか……なぞと途方もない事を考えたりした。そのおかげであべこべに女から不良老年と見られて逃げられてしまったが、その時に私は、変な日だなと思った。今日は自分の頭が余程どうかしていると思った。そのほかにも未(ま)だ二つ三つ変だな……と思った事があったが、先の用事に気を取られて、次から次に忘れて行った。おまけに時間の間違いで、大勢の女が舞踏の最中に、馬に蹴殺されそうになった心配の余りに、頭がすっかり混乱してしまって、茫然恍惚とした夢うつつの境をさまよいながら、どこをどう歩いているか解らないまんまにカフェー・ユートピアに来てしまったのである。曲馬団が真赤な偽物である直接の証拠を一つも発見し得ないまま……嬢次少年の復讐を手伝うべき準備偵察も何も出来ないまま……そうして団員のどれもこれもが、皆本物の曲馬師で、素晴らしい腕前を持っているらしいのに感心させられたまま……平生(いつも)の理智と判断力とをめちゃめちゃにたたき付けられて終(しま)いかけていたのである。
 ところが私の「第六感」はそんな甘い事では承知しなかった。それ以上の……殆んど私の生命(いのち)にも拘る或る大きな秘密を掴もうと努力していたのであった。
 あとから考えると私の「第六感」はあの時に色々な材料を提供して、私の判断力の活躍を催促していた。前に述べたカルロ・ナイン嬢が貴族的な……寧ろ皇族的な気品を備えていた事……女優髷の女を見るとすぐに志村のぶ子を聯想させられた事……なぞも勿論、私にとって大切な判断の材料でなければならなかったが、まだこの外にも私の「第六感」は幾多の重要な発見をして次から次に私の脳髄の判断活躍を催促していたのであった。
 ……カルロ・ナイン嬢が乗馬に深い経験を持っていないこと……。
 ……ハドルスキーがいつも嬢の直ぐ後方(うしろ)に馬を立てて、恰(あたか)も嬢を監視しているかのように見えた事……。
 ……そのハドルスキーとカルロ・ナイン嬢とが場内を廻りながら馬上から私をちらりと見た事……等、等、等。
 その他色々と注意すべき点が沢山あったように思うが、その中でも亦、取りわけて重大な意味を含んだ暗示がたった一つあった。それは、すべての暗示材料を一貫して……曲馬団……女優髷……ジョージ・クレイ……志村夫婦……魚目(ぎょもく)と木精(メチール)の毒薬……ピストル……J・I・Cなどいうものの一切合財の裏面の消息を一言で説明している紫のハンカチであった。
 ……カルロ・ナイン嬢が持っていた紫のハンカチ……。
 ……女優髷の女が持っていた紫のハンカチ……。
 ……そうして二年前、志村のぶ子が持っていた紫のハンカチ……。
 ……同じ大きさの同じ色のもの……。
 私はどうしてこれに気付かなかったのであろう……この三人の間にはちゃんとした脈絡のある事を紫のハンカチが遺憾なく証明しているではないか。仮りに志村のぶ子が死んでいるとしても、カルロ・ナイン嬢は私の前で紫のハンカチを振って行ったではないか。私の真背後(まうしろ)に居る女優髷の女に見せるために……。何かの合図をするために……。
 こうした事実が確定して来るとカルロ・ナイン嬢が、私の顔を見て行ったように思われた理由も判明する。カルロ・ナイン嬢は、私を見て行ったのでなくて、私のすぐ背後(うしろ)に居る女優髷の女を見て行ったのだ。二人の女は紫のハンカチでもって何かの意味を通信し合って行ったのだ。
 然らばその通信し合った意味とはどんな意味か……。
 これも私の「第六感」がハッキリと暗示している。私が註文した四種の料理によって、説明し過ぎるほど明瞭に説明している。
 ……紫のハンカチを受取ったものは殺されなければならぬ。
 ……と……。
 何という恐ろしい暗示であろう。
 そうして又、何という明瞭な宣告であろう。
 二年前に志村のぶ子から紫のハンカチを受け取った志村浩太郎氏は、その夜のうちに奇怪な変死を遂げたではないか。今から考えると、志村浩太郎氏の死状は、私の判断も、呉井嬢次の説明も超越した、恐ろしい死に方であったのだ。
 そうして現在の私も、紫のハンカチを、J・I・Cと関係のあるらしい美しい女から渡されて、死の暗示を与えられているではないか。二年前の志村氏と同様の不可思議な「死の運命」の方向へ、ぐんぐんと惹き付けられて行きつつあるではないか。
 ……私がJ・I・Cに殺されなければならぬ理由は数え上げるだけ野暮(やぼ)であろう。私が二年前に、前総監の許可を得て、M男爵から内密に借り受けた名簿によって日本内地に散在するJ・I・C団員を虱潰(しらみつぶ)しに投獄し、又は国外に放逐した事実は、微塵(みじん)も外(ほか)へ洩れていないにしても、最少限J・I・Cの連中の記憶には骨の髄まで徹底している筈である。さもなくとも私が辞職の直前に、現警視総監と大声で云い争った、その半言隻句でも外に洩れたとすれば、それだけで十分である。況(いわん)や私の眼の球の黒いうちはJ・I・Cの影法師でも二重橋橋下に近づけない覚悟でいる事が、万に一つでもJ・I・Cに伝わったとしたらどうであろう。
 否々(いやいや)。彼等はもうとっくの昔に私のこうした決心を感付いている筈である。そうして私を第一番に片付けてから、第二第三の仕事にかかる予定にしていなければならぬ筈である。そうして彼等はこの目的の下に、生命(いのち)知らずの無頼漢をすぐり集めて、曲馬団を組織して捲土重来(けんどちょうらい)したものに違いないのである。これは決して私の自惚(うぬぼ)れや何かで云うのではない。
 然るに私は最前嬢次少年に会ってから後(のち)というものはこんな考えから全然遠ざかっていた。自分の一身に関する危険なぞは変にも考えずに、ただ漫然と様子を見る位の考えで見物に来ていた。そうして嬢次少年の仕事を手伝うこと以外に何等の緊張も、危険も感じないまま双眼鏡をひねくりまわしているに過ぎなかった。そうして思いもかけぬ大失敗をして徹底的にたたき付けられたまま曲馬場を出て来たのであった。
 その時の私の頭の中は、自分自身がどこに居るのか、判断出来ないくらい混乱していた。常識とか理智とかいうものは跡型(あとかた)もなくノック・アウトされた空(から)っぽ同然のあたまを肩の上に乗せて、ふらふらと往来にさまよい出たに過ぎなかった。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5]  下一页 尾页




打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口