打印本文 关闭窗口 |
スランプ(スランプ)
|
作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-10 9:42:37 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
|
――ぷろふいる社御中―― 申訳ありません。このあいだ御下命の原稿、一度、御猶予願っておきながら、まだ書けずにおります。ひどいスランプに陥ってしまったのです。 いささか広告に類しますが、私はスランプに陥った経験がまだ一度もないのです。 九州日報社で編輯と外交の中ブラリンをつとめております時分に、新聞専門家の間に名編輯長として聞こえていた、同時に自由詩社の元老として有名な加藤 そのうちにその九州日報を首になりましたので、私は書きたい材料をウンウン云うほどペン軸に 四つも五つも電話が鳴りはためいている中でも平気で しかし、それでも有難いことに、とにもかくにもペンの方で動いてくれましたので、私もそのペン軸に取り 何故だかその理由はわからないのです。 昨年の十二月の初めの事です。私は道楽半分に書いておりました千枚ばかりの長篇を或る処へ送り付けましたあと、アタマが暫く馬鹿みたいになっておりました。ところへ十二月初旬までという約束で送り付けておりました或る連載物が、某誌から念入りな註文附きの書直しを要求して、返送して来ましたので、既に予告も出ている事ですから、一生懸命になって書直しにかかりましたが、どうしても註文通りに行きませぬ。某誌の註文通りにしますと筋がどうしても気持ちよく運びませぬので、やっぱり我流かも知れませぬがモトの構成に立帰って来るのです。そこで大いに慌てまして、ほかに数篇の未成稿が在るのにペンを突込んでみましたが、どれも、これも この行詰まりを打開する手段といったら普通の場合、まず酒でも飲むことでしょう。又は女を相手に、あばれまわる事でしょう。そうして ところが遺憾なことに、こうした局面打開策は、そうした元気旺盛な、精力の強い人にして初めて出来る事で、何回となく死に損ねた、見かけ倒おしの私には全然不向きな更生法なのです。 ですから私は昨年の十二月から私一流の局面打開策をこころみ初めました。これは今までにも仕事に疲れた時なんかに、よくやって来た事ですが、中学に行っている長男や、私の家に遊びに来ている農村の青年なぞを引っぱって近郷近在の野山を そこで又、着のみ着のまま家を飛出して、地図も何も持たないまま、盲目滅法に野山を歩るきまわる。言葉 文章は一行も書けないのに俳句と川柳と短歌の出来ること出来ること。むろん いずれにしても昨年の暮以来、私の頭が否、ペンが変調子を呈していることは、もはや疑う余地がありませぬ。書きたい材料がコンナにあって、書きたくて書きたくてウズウズしているのに、一行も書けないとなれば、その責任は当然、私のペンに在るに違いありませぬ。 私にはこうしたスランプの それ位書ければスランプじゃないじゃないか……なぞと冷やかさないで下さい。実は私自身にも不思議で仕様がないのです。どうしても創作が書けないままに、そのお詫びをしようと思って書きはじめたら、ついスラスラと筆が辷ってコンナに長くなってしまったのです。読み返してみると決して面白い文章ではありませぬが、しかし、私自身の今の心持だけは、どうやらこうやら書けていると思います。 いったいこれは何とした事でしょうか。スランプに陥っているペンが、スランプに関する事だけはスラスラと書けるというのは何という皮肉な現象でしょう。心理学者はこうした不思議な現象を何と説明してくれるでしょう。 私のペンは真実な出来事でなければ書けなくなったのではないでしょうか。心にもない作り事を書きまわすのがほんとうにイヤになったのではないでしょうか。 万一そうとすれば、それこそ一大事です。創作は大抵作りごとにきまっているのですから、私は将来永久に作り事すなわち創作なるものは書けなくなる訳です。創作の世界では首を ああ。どうしたらいいでしょう。どうしたらこの苦境を通り抜ける事が出来るでしょう。 私は今一度、創作の世界に蘇る事が、永久に不可能なのでしょうか。私は絵か、和歌か、俳句を作るよりほかに生きる道がなくなるのではないでしょうか。 底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房 1992(平成4)年12月3日第1刷発行 入力:柴田卓治 校正:渥美浩子 2001年6月6日公開 2006年2月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
|
打印本文 关闭窗口 |