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冗談に殺す(じょうだんにころす)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-9 9:21:44 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


       二

 私が何故なにゆえに、彼女を殺したか。
 その彼女を殺した手段と、その手段を行った機会とが、如何いかに完全無欠な、見事なものであったか。
 そうして、そういう私はソモソモどこの何者か。
 そんな事は三週間ばかり前の東京の各新聞を見てもらえば残らずわかる。多分特号活字で、大々的に掲載してあるであろう「女優殺し」の記事の中に在る「私の告白」を読んでもらえば沢山である。そうしてその記事によって……かくいう私が、某新聞社の社会部記者で、警察方面の事情に精通している青年であった。同時に極端な唯物主義的なニヒリスト式の性格で、良心なぞというものは旧式の道徳観から生まれた、遺伝的感受性の一部分ぐらいにしか考えない種類の男であった……という事実をハッキリと認識してもらえば、それで結構である。
 ところでその私が、現在、ここで係官の許可を得て、執筆しているのは、そんな新聞記事の範囲に属する告白ではない。又は警察の報告書や、予審調書に記入さるべき性質の告白でもない。すなわち、その新聞記事や、予審調書にあらわれているような告白を、私がナゼしたかという告白である。……事件の真相のモウ一つうらに潜む、極めて不可思議な恐ろしい真相の告白である。……すべての犯罪事件を客観的に考察し、批判する事にれた、すこぶる鋭利な、冷静な頭の持主でも意外に思うであろう……[#ここから横組み]光明の中心×暗黒の核心=X[#ここで横組み終わり]……とも形容すべき告白である。
 くどく云うようであるが、私はモウ一度念を押しておきたい。
 あの新聞記事を徹底的に精読してくれた、極めて少数の人々……もしくは直感の鋭い、或る種のアタマの持ち主は直ぐに気付いたであろう。私はこの事件にいては、どこまでも知らぬ存ぜぬの一点張りで、押通し得る自信を持っていた。如何なる名探偵や名検事が出て来ても、一分一厘の狂い無しに「証拠不充分」のところまで押し付け得る、絶対無限の確信を持っていた……という私の主張を遺憾いかんなく首肯しゅこうしてくれるであろう。……にもかかわらずその私が、何故なにゆえに自分から進んで自分の罪状をブチマケてしまったか……モウ一歩突込んで云うと、良心なるものの存在価値を絶対に否認していた私……同時に自分の手にかけた彼女に対しては、一点の同情すら残していなかった筈の私が……何故にコンナにも他愛なく泥を吐いてしまったか……ホンの当てズッポーで投げかけた刑事の手縄に、何故にこっちから進んで引っかかって行ったか……。
 ……こうした疑問は、あの記事を本当の意味で精読してくれた何人かの頭に必然的に浮かんだ事と思う。「何故に私が白状したか」という大きな疑問に、一直線にぶつかった筈と考えられる。
 ところが不思議な事に、この事件を担当した警察官や裁判所の連中は、コンナ事をテンカラ問題にしていないらしい。現在私を未決監みけつにブチ込んでいながら、この点に関しては一人も疑問を起したものが居ないらしい。それはこの点について、私に訊問じんもんした事が一度も無い……という事実が、何よりも雄弁に証拠立てている。
 しかし考えてみるとこれは無理もない話である。彼等は私の自白にスッカリ満足してしまって、ソレ以上の事に気が付かないでいるのだから……。彼等は要するに犯人を捕える無智な器械に過ぎないのだから……そうしてそんな器械となって月給を取るべく彼等は余りに忙し過ぎるのだから……。
 だから私はこの一文を彼等の参考に供しようなぞ思って書くのではない。あの記事を精読してくれて、私の自白心理に就いて疑問を起してくれた少数の頭のいい読者と、わざわざ私のために係官の許可を得て、この紙と鉛筆とを差し入れてくれた官選の弁護士君へ、ホンの置土産おきみやげのつもりで書いているのだ。
 そうして私の「完全な犯罪」を清算してしまいたい意味で……。

 私は「彼女の死」以外に、何等の犯跡を残していない空屋を出ると、零度以下に冷え切った深夜のコンクリートの上を、悠々ゆうゆうと下宿の方へ歩いて帰った。それは、いつも新聞社からの帰りがけに、散歩をしている通りの足取であったが、あんまり寒いせいか、途中には犬コロ一匹居なかった。ただ街路樹の処々しょしょに残った枯葉が、クローム色の星空の下で、あるか無いかの風にヒラリヒラリと動いているばかりであった。
 すべてが私の予想通りに完全無欠で、つ理想的であった。「完全なる犯罪」を実行し得る無上の一刹那せつなを、私のために作り出してくれた天地万象が、どこまでも私のアタマのヨサを保証すべく、私の註文通りに動いているかのようであった。こころみに下宿の門口かどぐちに立ち止まって、軒燈けんとうの光りで腕時計を照してみると、いつも帰って来る時間と一分も違っていなかった。
 ……彼女はモウ、これで完全に過去の存在として私の記憶の世界から流れ去ってしまったのだ。そうして私はこれからのち、当分の間、毎晩その通りの散歩を繰返せばいいのだ。あの空家で彼女と媾曳あいびきすることだけを抜きにして……。
 そう思い思い私は下宿の表口の呼鈴よびりんを押して、かんぬきはずしてくれた寝ぼけ顔の女中に挨拶をした。いつもの通りに「ありがとう……お休み」……と……。その時に、帳場の上にかかった柱時計が、カッタルそうに二時を打った。
 その時計の音を耳にしながら私は、神経の端の端までも整然として靴の紐を解く事が出来た。それから、いつもの足どりで、うつむき勝ちに階段を昇ったが、それはれながら感心するくらい平気な……ねむたそうな跫音あしおととなって、深夜の階上と階下に響いた。
 ……もう大丈夫だ。何一つ手ぬかりは無い。あとは階段の上の取っ付きの自分のへや這入はいって、いつもの通りにバットを一本吹かしてから蒲団ふとんを引っかぶって睡ればいいのだ。……何もかも忘れて……。
 そんな事を考え考え幅広い階段を半分ほど昇って、そこから直角に右へ折れ曲る処に在る、一間四方ばかりの板張りの上まで来ると、そこで平生いつもの習慣が出たのであろう、何の気もなく顔を上げたが……私は思わずハッとした。モウすこしで声を立てるところであったかも知れなかった。
 ……「私」が「私」と向い合って突立っているのであった……板張りの正面の壁にめ込まれた等身大の鏡の中に、階段の向うから上って来たに違い無い私が、頭の上の黄色い十しょくの電燈に照らされながら立ち止まって私をジッと凝視しているのであった。……蒼白い……いかにも平気らしい……それでいて、どことなく犯人らしい冴え返った顔色をして……底の底まで緊張した、空虚なを据えて……。
「この鏡の事は全く予想していなかった」……と気付くと同時に私は、私の全神経が思いがけなくクラクラとなるのを感じた。私の完全な犯行をタッタ今まで保証して、支持して来てくれた一切のものが、私の背後で突然ガランガランガランガランと崩壊ほうかいして行く音を聞いたように思った。……同時に、逃げるように横の階段を飛び上って、廊下の取っ付きの自分のへやに転がり込んで行く、自分自身を感じたように思った……が、間もなく、その次の瞬間には、もとの通りに固くなって、板張りの真中に棒立ちになったまま鏡と向い合っている自分自身を発見した。……自分自身に、自分自身を見透みすかされたような、狼狽ろうばいした気持ちのまま……。
 するとその時に、鏡の中の私が、その黒い、鋭い眼つきでもって、私にハッキリとこう命令した。
「お前はソンナに凝然じっと突立っていてはいけないのだぞ。今夜に限ってこの鏡の前で、そんな風に特別な素振をするのは、非常な危険に身をさらす事になるのだぞ。一秒躊躇ちゅうちょすれば一秒だけ余計に「自分が犯人」である事を自白し続ける事になるのだぞ。
 ……しかし、そんなに神経を動揺さしたまま俺の前を立ち去るのは尚更なおさらケンノンだ。お前は今すぐに、そのお前の全神経を、いつもの通りの冷静さに立ち帰らせなければならぬ。そうして平生いつもの通りの平気な足取りで、お前の右手の階段を昇って、自分のへやに帰らなければならぬ。……いいか……まだ動いてはいけないぞ……お前の神経がまだ震えている……まだまだ……まだまだ……」
 こんな風に隙間もなく、次から次に命令する相手の鋭い眼付きを、一生懸命に正視しているうちに私は、私の神経がスーッと消え失せて行くように感じた。それにつれて私の全身が石像のように硬直したまま、左の方へグラグラと傾き倒れて行くのを見た……ように思いながら慌てて両脚を踏み締めて、唇を血の出るほど噛み締めながら、鏡の中の自分の顔を、なおも一心に睨み付けていると、そのうちにいつの間にか又スーッと吾に返る事が出来た。やっと右手を動かして、ポケットからハンカチを取り出して、顔一面に流るる生汗なまあせを拭うことが出来た。そうすると又、それにつれて私の神経がグングンとゆるんで来て、今度は平生よりもズット平気な……むしろガッカリしてしまって胸が悪くなるような、ダレ切った気持になって来た。
 私は変に可笑おかしくなって来た。タッタ今まで妙に狼狽ろうばいしていた自分の姿が、この上もなく滑稽こっけいなものに思えて来た。そうして「アハアハアハ」と大声で笑い出してみたいような……「笑ったっていいじゃないか」と怒鳴ってみたいようなフザケた気持になった。
 私は鏡の中の自分を軽蔑してやりたくなった……「何だ貴様は」とツバを吐きかけてやりたい衝動で一パイになって来た。そこでモウ一度ポケットからハンカチを出して顔を拭い拭い、そこいらをソット見まわしてから、鏡の中を振り返ると、鏡の中の私もまた、瀬戸物のように、血のの無い顔をして、私の方をオズオズと見返した……が……やがて突然に、思い出したように、白い歯をあらわして、ひややかにアザミ笑った。
 私は思わず眼を伏せた。……ゴックリと唾液つばを呑んだ。

 それから一週間ばかりのちの或る朝であった。私はいつもの通り朝寝をして、モウ起きようか……どうしようかと思い思い、昨夜ゆうべ新聞社から持って帰った、今日の朝刊を拡げていると、階下の帳場で話している男と女の声が、ゆくりなくも障子越しに聞えて来た。私はその声を聞くと新聞から眼を離した。……ハテ……どこかで聞いたような……と思い思い新聞を見るふりをして聞くともなく聞いていると、それは顔馴染なじみの警視庁のT刑事と、下宿の女将おかみの話声だった。
「フ――ン……何かその男に変った事は無いかね……近頃……」
 T刑事は有名な胴間声どうまごえであった。
「イイエ。別に……それあキチョウメンな方ですよ」
 女将も評判のキンキン声であったが、きょうは何となくびえている様子……。
 私は新聞紙を夜具の上に伏せて、天井の木目を見ながら一心に耳を澄ました。大丈夫こっちの事ではない……と確信しながら……。
「フ――ン。身ぶり素振りや何かのチョットした事でもいいんだが……隠さずに云ってもらわんと、あとで困るんだが」
「……ええ……そう仰有おっしゃればありますよ。チョットした事ですけども……」
「どんな事だえ」
「…………」
 女将の声が急に聞えなくなった。T刑事の耳に口を寄せてささやいているらしい気はいであったが、ジッと耳を澄ましている私には、そうした芝居じみた情景がアリアリと見透かされて、何となく滑稽な気持ちにさえなった。……と思ううちに又も、T刑事の太い声が筒抜けに聞え初めた。
「……ウ――ム……。いつも鏡の前を通るたんびにチョット立ち止まるんだな。ウンウン。そうしてネクタイを直して、色男らしい気取った身振りを一つして、シャッポを冠り直して降りて行く。……それがこの頃その鏡を見向きもしない。色っぽい男だから、そんなくせは女中がみんな気を付けて知っている……この一週間ばかり……フ――ン……ちょうど事件の翌日あたりからの事だな……フ――ム……モウほかには無いかね……気の付いた事は……」
 私はガバと跳ね起きた。社に出るにはまだ早かったが、そんな事を問題にしてはいられなかった。しかし決して慌てはしなかった。万一の用心のために、あらゆる場合を予想していたのだから……手早く着物を脱ぎ棄てて、テニスの運動服に着かえたが、その時に恥かしい話ではあるが胸が少々ドキドキした。まさか……まさかと思っていたのが案外早く手がまわったので……同時にすくなからず腹も立った。どうしても一番手数のかかる、最後の手段をらなければならない事が予想されたので……。
 ……彼奴等きゃつらはいつもコンナ当てズッポー式の見込捜索をやるから困る。当り前に動かぬ証拠を押えて来るとなれば、百年かかってもここへって来る筈は無いのに……チエッ……。おまけに今、俺を引っかけようとしているトリックの浅薄あさはかさ加減はドウダ……そんな古手に引っかかる俺と思うか……と云いたいが今度だけは特別をもって引っかかってやる……その古手を利用してやる。その代り一分一厘間違い無しに証拠不充分になって見せるから、その時に吠面ほえづらかくな……。
 そんな事を思い思い運動服の上から、スエーターをぬくぬくと着込んで、ガマ口を尻のポケットへ押し込んで、鳥打帽子と西洋手拭と、ラケットと運動靴を抱えると、石鹸せっけんを塗ってすべりをよくしておいた障子をソーッとあけて、裏町の屋根を見晴らした二階の廊下に出た。そこで念のために前後を見まわしたが誰も居ない。
 ……シメタナ。事によったら今の芝居は、芝居じゃなかったかも知れないぞ。逃げる余裕が充分に在るのかも知れないぞ……しかしまだ往来まで出てみないとわからない……。
 と考えながら裏口の階段に続く廊下を、もしやと疑いながら曲り込むと、果してそこに立っていた……張り込んでいたに違い無いAという、やはり警視庁の老刑事にバッタリと行き合ってしまった。
 私はその時にハッと眼を丸くして立ちすくんだ……ように思う。何故なぜかというとこのAという老刑事が出て来る事は、ほとんど十中八九まで確定した犯人を逮捕する時にきまっていたのだから……そうしてあの晩見た、鏡の中の自分の姿を、その瞬間にチラリと思い浮かべたように思ったから……。
 A刑事はゴマ塩の無性髭ぶしょうひげを撫でながらニッコリと笑った。
「……ヤア……早くから……どこへ行くかね……」
 私は二三度眼をパチパチさせた。すぐに笑い出しながら、何かうまい弁解をしようと思ったが、その一刹那に又も、鏡の中の自分の姿が、眼の前に立ちふさがったような気がしたので、思わずラケットを持った手で両方の眼をこすってしまった。
「……エ……エ……そのチョット……」
 私はれながら芝居のまずいのに気が付いた。腋の下から冷汗がポタポタとしたたり落ちるのがわかった。老刑事も無論、私のいつに無いウロタエ方に気が付いたらしい。心持ち顔の筋肉を緊張させながらニッコリと笑った。
「チョットどこへ」
「テニスをしに行くんです……約束がありますから……」
 老刑事は悠々と私を見上げ見下した。相かわらずあごを撫でまわしながら……。
「……フ――ン……どこのコートへ……」
 私はここでヤット笑う事が出来た。ドンナ笑い顔だったか知らないけど……。
「日比谷のコートです……しかし何か御用ですか」
「ウン……チョット来てもらいたい事があったからね」
「僕にですか」
「ウン……大した用じゃないと思うが……」
「そうじゃないでしょう……何か僕に嫌疑をかけているのでしょう」
 ……平生の通りズバズバるに限る……とかねてから覚悟していた決心が、この時にヤット付いた私は、思い切ってそう云ってやった。すると果して老刑事の微笑が見る間に苦笑に変って行った。かなり面喰ったらしい。
「そ……そんな事じゃないよ。君は新聞社の人間じゃないか」
 私は腹の中で凱歌がいかをあげた。ここでこの刑事をおこらして、遮二無二しゃにむに私を捕縛さしてしまえばいよいよ満点である。
「だってそうじゃないですか。何でも無い用事だったら電話をかけてくれた方が早いじゃないですか。まだ社に出る時間じゃないんですから直ぐに行けるじゃありませんか」
 老刑事の顔から笑いが全く消えた。疑い深い眼付きをショボショボさして、モウ一度私を見上げ見下した。
 その顔をこっちからも同時に見上げ見下しているうちに、私は完全に落ち付きを恢復かいふくした。頭が氷のようになって、あらゆる方向に冴え返って行った。
 私は事態が容易でないのをモウ一度直覚した。老刑事が私を容易に犯人扱いにしようとしないのは、証拠が不十分なままに私を的確な犯人と睨んでいる証拠である……だから何とかして私を狼狽ろうばいさして、不用意な、取り返しの付かないボロを出さしておいてから、ピッタリ押え付けようとこころみている、この刑事一流の未練な駈け引きであることが、よくわかった。
 ……しかし警視庁ではドウして俺に目星を付けたんだろう……その模様によっては慌てない方がいいとも思うんだが……ハテ……。
 そう考えながらホンノ一二秒ばかり躊躇しているうちに、老刑事は又もニコニコ笑い出しながら、私の耳に口をさし寄せた。そうして私が身を退く間もなく、ボソボソと囁き出したが、その云う事を聞いてみると、私が想像していたのと一言一句違わないといってもいい内容であった。
「……ええかね君……温柔おとなしくいて来たまえ。悪くははからわんから。ええかね。君はあの女優が殺された空屋の近くに住んでいるだろう。そうして毎晩、社から帰りにあの家の前を通って行くじゃろう。それから手口が非常に鮮かで何の証拠も残っておらん。よほど頭と腕の冴えた人間で、手筋をよく知っている人間の仕事に違わんというので、ごく秘密で研究した結果君に札が落ちたのだよ。別に証拠がある訳じゃない。だから出る処に出ればキット証拠不充分になる。これは絶対に保証出来る。ええかね。わかっとるじゃろう……。これは職務を離れた心持ちで、君を助けたいばっかりに云う言葉じゃから信用してくれんと困る。君は頭がええから解るじゃろう。わしも君には今まで何度も何度も仕事の上で助けてもらったことがあるからナ……ナ……」
 この言葉のウラに含まれている恐るべく、憎むべきわなが見え透かない私じゃなかった。同時にその裏をいて行こうとしている私の方針を考えて、思わず微笑したくなった私であった。
 しかし私は、そんなぶりを色に出すようなヘマはしなかった。そんな甘口に引っかかって一寸ちょっとでも躊躇したら、その躊躇がそのまま「有罪の証拠」になる事を逸早いちはやく頭にひらめかした私は、老刑事の言葉が終るか終らないかに、憤然として云い放った。
「……駄目です。冗談は止して下さい……僕を引っぱったら君等の面目は立つかも知れないが、僕の面目はどうなるんです。面目ばかりじゃない、飯の喰い上げになるじゃないですか。厚顔無恥にも程がある。……失敬な……退き給え……」
 と大声で怒り付けながら、老刑事を突き退けて裏口の階段の方へ行こうとしたが、この時の私の腹の工合は、れながら真に迫った傑作であったと思う。老刑事のネチネチした老獪ずるい手段が、ホントウに自烈度じれったくて腹が立っていたのだから……。
 しかし、こうした私の行動が、滅多に無事に通過しないであろう事は、私もよく知っていた。
 老刑事は私が思っていたよりも強い力で、素早く私の肩を押えて引き戻した。そうしてラケットと靴を持った両手をホンの一寸ちょっとたたいたと思ったら、バッチリと生あたたかい手錠をかけてしまった。……と……私の背後の縁側からT刑事と、モウ一人の新米らしい若い刑事が、待ち構えていたように曲り角から出て来て、私の背後に立ちふさがってしまった。
 私はその中でも見知り越しの二人の刑事の顔を、わざと不思議そうに見まわした。それから如何いかにも面目無い恰好かっこうでグッタリとうなだれる拍子ひょうしに、思わずヨロヨロとよろめいて横の壁にドシンと背中を寄せかけると、あとからT刑事がツカツカと近寄って来て、チョットお辞儀をするように私の顔を覗き込んだ。そうして私をあわれむように……又は云い訳をするように、見え透いた空笑いをした。
「ハハハハハ。今の芝居に引っかかったね」

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