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悪魔祈祷書(あくまきとうしょ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-8 13:59:53 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 歴代の羅馬法皇、その他の覇者は皆この悪魔道の礼讃実行者なり。万人の翹望ぎょうぼうする上流階級の特権なるものは皆この悪魔道に関する特権に外ならず。人類の日常祈るところの核心ものは皆、この外道精神の満足に他ならず。強者は聖書を以て弱者を瞞着し、科学の教うるところの悪魔の力をほしいままにして恥じざらむとす。
 全世界の人類よ。皆、虚偽の聖書を棄てて、この真実の外道祈祷書を抱け。われは悪魔道のキリストなり。弱き者。貧しき者。悲しむ者は皆吾に従え」
 といったような熱烈な調子で、人類全般に、あらゆる悪事をすすめる文句がノベタラに書いて御座います。あっしはそれを読んで行くうちに、自分の首をしめられるような気持になってしまいましたよ。西洋あちらには血も涙もない悪党が多い。生肝いきぎも取りだの死人しびと使い、奴隷売買、人殺し請負いナンテものは西洋人でなくちゃ出来ない仕事だと聞いておりましたがマッタクその通りだと思いましたナ。
 その耶蘇教やそきょう僧侶ぼうさんは多分、精神異状者か何かだったのでしょう。そんなつもりで、世界中を悪党だらけにするつもりで、一生懸命に書いたらしく、この世界が「悪」ばっかりで固まっている世界だ……神様なんてものは唯、悪魔の手伝いに出て来た位のもんだっていう事を、出来るだけ念入りに説明しているんです。
「神は弱者のためにのみ存在し、弱者は強者のためにのみ汗水を流し、強者は又、悪魔のためにのみ生存せるもの也」
「世界の最初には物質あり。物質以外には何物もなし。物質は慾望と共に在り。慾望は又、悪魔と共に在り。慾望、物質は悪魔の生れ代り也。故に物質と慾望に最忠実なるものは強者となり悪魔となりて栄え、物質と慾望とを最も軽蔑する者は弱者となり、神となりて亡ぶ。故に神と良心を無視し、黄金と肉慾を崇拝する者は地上の強者也。支配者也」
「強者、支配者は地上の錬金術師也。彼等の手を触るる者はことごとく黄金となり、黄金となすあたわざるものは悉く灰となる」
「黄金を作る者は地上の悪魔也。彼等の触るる異性は悉く肉慾の奴隷と化し、肉慾の奴隷と化し能わざる異性は悉く血泥とる」
 というようなアンバイです。
 ですからこの悪魔の聖書では、旧約の処が「人類悪」の発達史みたいになっておりましてね。アダムとイブが、神様を信心し過ぎて肉慾を軽蔑している間は、子供が生まれなかった。それから蛇によって象徴あらわされた執念深い肉慾に二人がとらわれて、信仰をなくしちゃって、エデンの花園をわれてから、お互いの裸体はだかが恥かしくなったお蔭で、子供がドンドン生まれ初めてこの地上に繁殖し初めたんだから、トドのつまりこの地上で栄えるものはエホバの神の御心じゃない。悪魔の心でなくちゃならん……といったような理窟で、人類の罪悪史みたような事が、それからジャンジャン書立ててあるのです。
 ……エジプトの王様は代々、自分の妻を一晩ごとに取換えて、飽きた女を火焙ひあぶりにして太陽神に捧げたり、又は生きたままナイル河の水神様の鰐に喰わせたりするのを無上の栄華として楽しんでいた。
 ……ペルシャ王ダリオスの戦争の目的は領土でもなければ名誉でもない。捕虜にして来た敵国の女に対する淫虐と、敵国の男性に対する虐殺の楽しみ以外の何ものでもなかった。彼は戦争に勝つごとに、宮殿の壁や廊下を数万の敵兵の新しい虐殺屍体で飾りその中で敵国の妃や王女を初め、数千の女性の悲鳴を聞いて楽しんだ。そこにダリオスは世界最高の悪魔的文明を感じたのであった。
 ……亜歴山アレキサンドル大王はアラビヤ人を亡ぼすために、黒死病患者の屍体をかついだ人夫を連れて行って、メッカの町の辻々でその人夫を一人ずつ斬倒きりたおさせた。これはその極端な悪魔的な精神に於て、近代の戦争のやり口をリードしているのみならず、遥かにソンナものを超越した偉いところがあった。流石さすがは大王というよりほかなかったものである。
 ……露西亜の彼得ペートル大帝は、和蘭オランダに行って造船術を習ったと歴史に書いてあるが、これは真赤な偽りで、実際は堕胎術と、毒薬の製法を研究に行ったのだ。彼得ペートル大帝は、そうして得た魔力でもって露西亜の宮廷を支配して、あれだけの勢力を得たもので、大帝の属するスラブ人種が、六十幾つの人種を統一して、大露西亜帝国を作ったのも、こうした大帝から魔力を授かったスラブ族の科学智識のお蔭でしかないのだ。
 ……こんな調子で世界を支配するものは神様でなくてイツモ悪魔であった。一切の科学の初まりは神様の存在を否定し、人間をその良心から解放するのが目的で、同時に一切の化学の初まりは錬金術であり、一切の医術の初まりは堕胎術と毒薬の研究でしかなかったのである。
 ……吾々は歴史にあざむかれてはならない。常に悪魔的な正しい目で歴史を読んで行かないと飛んでもない間違いに陥ることがある。元来ユダヤ人というものは人類の全部をナマケモノにしてコッソリと亡ぼしてしまって、ユダヤ人だけで世界を占領してしまおうと思って、昔から心掛けて来た人種だ。骰子さいころだのルーレットだのトランプだの将棋だのドミノだのいうものは、そんな目的のために猶太ユダヤ人が考え出して世界中に教え拡めたものである。しかもその猶太人が、そんな目的のために発明して世界中に宣伝しようとこころみた最後のものがこの基督キリスト教なのだから、呆れてモノが云えないではないか。
 ……「この世の中の事は何もかも神様の思召おぼしめしばかりだ。神様に祈ってさえいれば、欲しいものは何でも下さるのだから、人間はチットモ働かなくていいのだ。神様を信ずれば盲目が見え、唖が物を云い、躄が駆け出すのだ。天を飛ぶ鳥を見よ。地を走る狐を見よ。明日の事なんか考えなくともチャンと生きて行けるじゃないか」といったアンバイ式に宣伝して世界中をみんななまけ者にしちまおうと思って発明したのがこの基督教なんだ。
 ……そこでその当時ユダヤでも一番の名優であったヨハネという爺さんを雇って来て、この基督教のチンドン屋をやらせてみたがドウモうまいこと行かない。そこでその次に出て来たユダヤでも第一等の美男子のイエスという男優と、ユダヤ第一の美しい女優のマリアというのを取組ませて、この宣伝を街頭でやらせてみたらコイツが大々的に大当りを取ることになった。
    (三十行削除)
 ……といったような調子で旧約聖書の文句が済みますと今度は新約でゲス。
 ……つまりそのデュッコっていう僧侶が聖書の中で基督に成り代って云うのです。「吾は悪魔の救世主なり。皆吾に従え」ってんで自分が先祖代々から受け伝えて来た悪魔の血すじを、系図みたいに書並べたのがソノ新約の書出しなんで、それから自分が虫も殺さぬ宣教師となって明暮れ神の道を説きながら、内心では悪魔の道を信仰して、女を殺したり、金を捲上げたりして来た恐ろしい悪事の数々を各章に分けてサモサモ勿体もったいらしく書立ててあるのです。人間は神様と良心を蹴飛ばしちまえばドンナ幸福でも得られる。自分の師と仰ぐものはイエス・クリストじゃない、悪魔に魂を売った独逸の魔法使いファウストだってんで、ありとあらゆる科学的な悪事のやり方が、自分の体験と一緒に、それ相当の悪魔式のお説教を添えて書いてあります。
    (四十七行削除)
 それから一番おしまいの詩篇のところへ来ると、極端な恋歌ばっかりですね。それもマトモな恋の歌なんか一つもないので、邪道の恋、外道の恋みたいなものを讃美した歌ばっかりなんで呆れ返ったワイ本なんですがね……ヘエ……。
 ナ……何ですか……その本がどこに在るかって仰言るんですか……ヘヘヘ。それが又面白いんです。
 今も申します通り、その聖書は、ちょっと見たところ、古い木版みたいな字の恰好ですからね。しまっておいたって仕様がないし、そうかといってウッカリ気心の知れないところに持って行ってお勧めする訳にも行きませんからね。困っちゃって、ボクスか何かの古い皮革かわのケースに入れたまんま向うの棚の片隅に置いといたんです。それを見つけたお客様のお顔色次第で千円ぐらいは吹っかけてもアンマリ罰は当るめえ……と思っていた訳ですが……普通の聖書にしてもソレ位のねうちはあるんですからね。
 ところがこの三月ばかり前のことです。驚きましたよ。いつの間にシテヤラレたものですか、その聖書の中味がスッポ抜かれちゃって、ケースだけがあそこの棚の隅に残っているのを発見しちゃったんです。
 あそこは店の中でも一番暗い処で、あっしが珍本と思った本だけをソーッと固めて置いとく処ですからね。あそこに来てジイッと突立っておいでになる方はイツモ大抵きまっているんですからね。持ってお出でになった方もアラカタ見当が……。
 オヤッ……先生のお顔色はドウなすったんです。御気分でもお悪いんですか……ヘエ。ヘエッ……これは三百円のお金……今月のお月給の全部……あっしに下さるんで……ヘエッ……あの聖書のお手附け……千円の内金と仰言るんで……これはどうも恐れ入りましたナ。あの本は先生がお持ちになったんで……ヘエ。それはドウモ何ともハヤ……ヘエヘエ……何と仰言る……。
 ヘエエ……今年の春から先生の奥様にピアノを教えにお出でになっている音楽学校出の若いピアニストの方が、あの本を偶然に御覧になって、大変に珍しがって借りておいでになった。先生もその時までは普通の聖書と思って何の気もなくお貸しになった。ヘエヘエッ……ド……ドッ……どうぞお落付きになって……お落付きになって……お静かに……お静かに……御ゆっくりお話し下さいまし……ナナ……なる程。ヘエヘエ。
 それから一週間ばかり経って、奥様が流産をなすった……妊娠三箇月で……成る程。お医者様の御診察ではその前にお二人で××にドライブをなすったのが悪かった……ナル程。あの国道はこの頃悪くなりましたな。無理は御座んせんよ。自動車が矢鱈やたらえましたからナ。県の土木費はモトの通りなのに……まだある。ヘエ……。
 タッタお一人のお坊ちゃんが、牛乳ばっかりで育てておいでになったのが、四、五日前に急にお亡くなりになった。食餌中毒という診断だが、怪しいと仰言るんで……ヘエ。ドウ怪しいんで……ヘエ。あの本を借りて行かれたピアノの教師せんせいが、あの本の中の毒薬を使っているに違いない。この頃、貴方様も胃のお工合が宜しくない。胃がシクシクお痛みになる。×××××、×××かも知れない。ヘエ。つまり貴方様はズット前からそのピアノの教師せんせいを疑っておいでになったんですね。成る程。そのピアノの教師は芸術家気取のノッペリした青年……奥様は二度目の奥様で、大阪新聞の美人投票で一等賞……アッ……。
 ワ――ッ……先生ッ。チョチョチョチョットお待ち下さい。チョットチョット。いいえ放しませぬ。チョットお待ち下さい。血相をお変えになってどこへお出でになるんで……ナ何ですって……。そのピアノ教師せんせいをお訴えになる。あの本を取返して使った毒薬を発見してやる……ま……ま……待って下さい。……ト……飛んでもない事です。まあお聴き下さい。落ち付いて……とにかくここへ今一度おかけ下さい。あっしのお話をお聞き下さい。御事情はあっし見貫みぬいております。事件の真相はあっしがチャンと存じておりますから、残らずお話し致しましょう。いてはいけません。短気は損気です……ああビックリした……。
 飛んでもない事ですよ先生、ソレは……。もし先生がソンナ事をなされますとあの本をどこから手に入れたという事が、警察でキット問題になりますよ。その時にあっしが警察へ呼ばれまして正直のところを申立てましたら、先生の御身分は一体どうなるんですか。
 ハハハ。それ御覧なさい。まあまあモウ一度ここへお掛け下さい。このお茶の熱いところを一服めし上って下さい。あっしが何もかもネタを割ってお話し致します。モトを申しますと何もかもあっしが悪いのです。
 ソ……ソンナにビックリなさることは御座いません。コレ……この通りお詫びを申上げます。何もかもあっしが悪いので御座います。ヘエヘエ。この通りアヤマリます。どうぞ御勘弁を……。
 何をお隠し申しましょう……只今まであっしがお話致しました事は、みんなヨタなんです。出鱈目でたらめなんです。根も葉もない作り話なんでゲス。ハハハ。吃驚びっくりなさいましたか。ハハハ……。
 あの御本はヤッパリ普通の聖書なんです。もちろん一六八〇年度の英国の筆写本なんでゲスから相当の珍本には間違い御座んせん。三百両ぐらいの価値ねうちは確かで御座いますがトテモ千両なんて踏めるシロモノじゃ御座んせん。御自身で読んで御覧になれあ、おわかりになります。初めからおしまいまで普通の聖書の通りの文句で、一字一字ごとに狂いのないところを見ますと、よっぽど信仰の深い僧侶ぼうさんが三拝九拝しながら写したもんですね。とにかく滅多に出て来っこない珍本ですからドウゾお大切にお仕舞いおき願いますよ。こうしてお代金を頂戴いたしましたからには、惜しゅうは御座いますが、お譲り致します。
 実は先生が、大学でも有名な御本集めの名人でおいでになる事を、法文科の中江先生からズット以前に伺っておりました。今度、○○科へ本集めの名人が来たぜ。あの男は東京に居る時分から俺の好敵手で、どうして集めるんだか判らないが、俺の狙っている本を片端かたはしからさらって行ってしまいやがる。あの男が来ると俺の道楽は上ったりだ……ってね。よくソウ仰言っておられましたよ。
 ……ですから実はソノ……ヘヘヘ。先生があの本をお持ちになった時もあっしはよく存じておりましたからね。そのうちに奥様にでもお代を頂戴に行こうかと思っておりますところへ、今日ヒョックリ先生がお見えになる……トタンに今の夕立で御座いましょう。店には格別お珍しいものも御座んせんし、先生も雨上がりをお待ちになっておいでになる御様子ですし、あっしも朝から店に座っていてすこし頭がボンヤリして来たようですから、ツイ退屈しのぎに根も葉もないヨタ話を一席伺いました訳で……若いうちにナマジッカな学問をしたり寄席へ出たり致しました者は、ツイ余計なお喋舌しゃべりが出て参りますようで……ヤクザな学問ほどあふれ出したがるようでヘヘヘ。……ヘエヘエやっぱりコウして書物の中に埋まっておりましても探偵小説が一番面白いようで……まったくで御座います。どうかするとツイ探偵小説を地で行ってみたいような気にフラフラッとなりますから妙なもんで……ヘエ。思いもかけませぬお代を頂戴致しまして恐れ入りました。全く根も葉もない作り事を申上げまして、御心配をおかけ申しました段は、幾重にも御勘弁を……。
 ヘエ。モウ降り止んだようで御座います。だいぶ明るくなって参りました。明日はお天気になりましょう。
 ヘイ。御退屈様。毎度ありがとう存じます。ドウゾ奥様をお大事に……。





底本:「夢野久作怪奇幻想傑作選 あやかしの鼓」角川ホラー文庫、角川書店
   1998(平成10)年4月10日初版発行
初出:「サンデー毎日特別号」
   1936(昭和11)年3月
入力:林裕司
校正:浜野 智
1998年11月10日公開
2003年10月15日修正
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