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文づかい(ふみづかい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-7 10:05:56 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 けわしく高き石級をのぼりきて、かおにさしたるくれないの色まだあせぬに、まばゆきほどなるゆう日の光に照されて、苦しき胸をしずめんためにや、このいただきの真中まなかなる切石に腰うちかけ、かのものいう目のひとみをきとわが面に注ぎしときは、常は見ばえせざりし姫なれど、さきに珍らしき空想の曲かなでしときにもまして美しきに、いかなればか、なにがしの刻みし墓上の石像に似たりとおもわれぬ。
 姫はことばせわしく、「われ君が心を知りての願いあり。かくいわばきのうはじめて相見て、ことばもまだかわさぬにいかでと怪しみたまわん。されどわれはたやすく惑うものにあらず。君演習すみてドレスデンにゆきたまわば、王宮にも招かれ国務大臣のたちにも迎えられたもうべし」といいかけ、衣の間より封じたるふみを取り出でてわれに渡し、「これを人知れず大臣の夫人に届けたまえ、人知れず」と頼みぬ。大臣の夫人はこの君の伯母御おばごにあたりて、姉君さえかの家にゆきておわすというに、はじめてあえること国人くにびとの助けを借らでものことなるべく、またこの城の人に知らせじとならば、ひそかに郵便に附してもよからんに、かく気をかねて希有けうなる振舞いしたまうを見れば、この姫こころ狂いたるにはあらずやとおもわれぬ。されどこはただしばしのことなりき。姫の目はよくものいうのみにあらず、人のいわぬことをもよく聞きたりけん、分疏いいわけのように語をつぎて、「ファブリイス伯爵夫人のわが伯母なることは、聞きてやおわさん。わが姉もかしこにあれど、それにも知られぬを願いて、君がみ助けを借らんとこそおもい侍れ。ここの人への心づかいのみならば、郵便もあめれど、それすらひとりいずることまれなる身には、かないがたきをおもいやりたまえ」というに、げに故あることならんとおもいてうべないぬ。
 入り日は城門近き木立より虹のごとく洩りたるに、河霧たちそいて、おぼろけになるころ塔を下れば、姫たちメエルハイムが話ききはててわれらを待ち受け、うち連れて新たにともし火をかがやかしたる食堂に入りぬ。こよいはイイダ姫きのうに変りて、楽しげにもてなせば、メエルハイムがおもてにも喜びのいろ見えにき。
 あくる朝ムッチェンのかたをこころざしてここを立ちぬ。
 秋の演習はこれより五日ばかりにて終り、わが隊はドレスデンにかえりしかば、われはゼエ、ストラアセなるたちをたずねて、さきにフォン、ビュロオ伯が娘イイダ姫に誓いしことを果さんとせしが、もとよりところの習いにては、冬になりて交際の時節来ぬうち、かかる貴人あてびとにあわんことたやすからず、隊つきの士官などの常の訪問というは、玄関のかたえなる一間にかれて、名簿に筆染むることなればおもうのみにてやみぬ。
 その年も隊務いそがわしきうちに暮れて、エルベがわ上流の雪消ゆきげにはちす葉のごとき氷塊、みどりの波にただようとき、王宮の新年はなばなしく、足もと危うき蝋磨ろうみがきの寄木よせきをふみ、国王のおん前近う進みて、正服うるわしき立ち姿を拝し、それよりふつか三日過ぎて、国務大臣フォン、ファブリイス伯の夜会に招かれ、オースタリア、バワリア、北アメリカなどの公使の挨拶あいさつおわりて、人々こおり菓子にさじをおろすすきをうかがい、伯爵夫人のかたえに歩み寄り、事のもと手短かにのべて、首尾よくイイダ姫が文をわたしぬ。
 一月中旬に入りて昇進任命などにあえる士官とともに、奥のおん目見えをゆるされ、正服着て宮に参り、人々と輪なりに一間に立ちて臨御を待つほどに、ゆがみよろぼいたる式部官に案内あないせられてきさき出でたまい、式部官に名をいわせて、ひとりびとりことばをかけ、手袋はずしたる右の手の甲に接吻せっぷんせしめたもう。妃は髪黒くたけ低く、褐いろの御衣おんぞあまり見映えせぬかわりには、声音こわねいとやさしく、「おん身はフランスのえきに功ありしそれがしがうからなりや」などねもごろにものしたまえば、いずれも嬉しとおもうなるべし。したがい来し式の女官にょかんは奥の入口のしきいの上まで出で、右手めてにたたみたる扇を持ちたるままに直立したる、その姿いといと気高く、鴨居かもい柱をわくにしたる一面の画図に似たりけり。われは心ともなくその面を見しに、この女官はイイダ姫なりき。ここにはそもそもいかにして。
 王都の中央にてエルベ河を横ぎる鉄橋の上より望めば、シュロス、ガッセにまたがりたる王宮の窓、こよいはことさらにひかりかがやきたり。われも数にはもれで、きょうの舞踏会にまねかれたれば、アウグスツスの広こうじにあまりて列をなしたる馬車の間をくぐり、いま玄関に横づけにせし一輛より出でたる貴婦人、毛革の肩かけを随身ずいじんにわたして車箱しゃそうのうちへかくさせ、美しくゆい上げたるこがね色の髪と、まばゆきまで白きえりとをあらわして、車のとびら開きし剣おびたる殿守とのもりをかえりみもせで入りしあとにて、その乗りたりし車はまだ動かず、次に待ちたる車もまだ寄せぬ間をはかり、やり取りて左右にならびたる熊毛※(「(矛+攵)/金」、第3水準1-93-30)くまげかぶと近衛卒このえそつの前を過ぎ、赤きかもを一筋に敷きたる大理石の階をのぼりぬ。階の両側のところどころには、黄羅紗きらしゃにみどりと白との縁取りたる「リフレエ」を着て、濃紫のはかまをはいたる男、項をかがめてまたたきもせず立ちたり。むかしはここに立つ人おのおの手燭てしょく持つ習いなりしが、いま廊下、階段にガス燈用いることとなりて、それはやみぬ。階の上なる広間よりは、古風いにしえぶりを存ぜるつり燭台しょくだい黄蝋おうろうの火遠く光の波をみなぎらせ、数知らぬ勲章、肩じるし、女服の飾りなどを射て、祖先よよの曲画の肖像の間にはさまれたる大鏡に照りかえされたる、いえば尋常よのつねなり。
 式部官が突く金総きんぶさついたる杖、「パルケット」の板に触れてとうとうと鳴りひびけば、天鵝絨びろうどばりの扉一時に音もなくさとあきて、広間のまなかに一条ひとすじの道おのずから開け、こよい六百人と聞えし客、みなくの字なりに身を曲げ、背の中ほどまでもきりあけてみせたる貴婦人の項、金糸の縫い模様ある軍人のえり、またブロンドの高髻たかまげなどの間を王族の一行よぎりたもう。真先にはむかしながらの巻毛の大仮髪おおかずらをかぶりたる舎人とねり二人、ひきつづいて王妃両陛下[#「王妃両陛下」は底本では「王両妃陛下」]、ザックセン、マイニンゲンのよつぎの君夫婦、ワイマル、ショオンベルヒの両公子、これにおもなる女官数人したがえり。ザックセン王宮の女官はみにくしという世のうわさむなしからず、いずれも顔立ちよからぬに、人の世の春さえはや過ぎたるが多く、なかにはおいしわみてあばら一つ一つに数うべき胸を、式なればえも隠さで出だしたるなどを、額越しにうち見るほどに、心待ちせしその人は来ずして、一行はや果てなんとす。そのときまだ年若き宮女一人、殿めきてゆたかに歩みくるを、それかあらぬかとうち仰げば、これなんわがイイダ姫なりける。
 王族広間の上のはてにき着きたまいて、国々の公使、またはその夫人などこれを囲むとき、かねて高廊のに控えたる狙撃連隊そげきれんたいの楽人がひと声鳴らす鼓とともに「ポロネエズ」という舞はじまりぬ。こはただおのおの右手めてにあいての婦人の指をつまみて、この間をひとめぐりするなり。列のかしらは軍装したる国王、紅衣のマイニンゲン夫人をひき、つづいて黄絹の裙引衣すそひきごろもを召したる妃にならびしはマイニンゲンの公子なりき。わずかに五十ついばかりの列めぐりおわるとき、妃はかんむりのしるしつきたる椅子にりて、公使の夫人たちをそばにおらせたまえば、国王向いの座敷なるかるたづくえのかたへうつりたまいぬ。
 このときまことの舞踏はじまりて、群客ぐんかくたちこめたる中央の狭きところを、いと巧みにめぐりありくを見れば、おおくは少年士官の宮女たちをあい手にしたるなり。わがメエルハイムの見えぬはいかにとおもいしが、げに近衛ならぬ士官はおおむね招かれぬものをと悟りぬ。さてイイダ姫の舞うさまいかにと、芝居にて贔屓ひいき俳優わざおぎみるここちしてうちまもりたるに、胸にそうびの自然花をこずえのままに着けたるほかに、飾りというべきもの一つもあらぬ水色ぎぬの裳裾もすそ、せまき間をくぐりながらたわまぬ輪を画きて、金剛石の露こぼるるあだし貴人の服のおもげなるをあざむきぬ。
 時うつるにつれて黄蝋の火は次第に炭のにおかされて暗うなり、燭涙ながくしたたりて、床の上にはちぎれたるうすぎぬ、落ちたるはなびらあり。前座敷のビュッフェエにかよう足ようようしげくなりたるおりしも、わが前をとおり過ぐるようにして、小首かたぶけたる顔こなたへふり向け、なかば開けるまい扇におとがいのわたりを持たせて、「われをばはや見忘れやしたまいつらん」というはイイダ姫なり。「いかで」といらえつつ、二足三足ふたあしみあしつきてゆけば、「かしこなる陶物すえものの間見たまいしや、東洋産の花瓶はながめに知らぬ草木鳥獣など染めつけたるを、われにきあかさん人おん身のほかになし、いざ」といいて伴いゆきぬ。
 ここは四方よもの壁に造りつけたる白石のたなに、代々の君が美術に志ありてあつめたまいぬる国々のおお花瓶はながめ、かぞうる指いとなきまで並べたるが、のごとく白き、琉璃るりのごとくあおき、さては五色まばゆき蜀錦しょくきんのいろなるなど、蔭になりたる壁より浮きいでてうるわし。されどこの宮居に慣れたるまろうどたちは、こよいこれに心とどむべくもあらねば、前座敷にゆきかう人のおりおり見ゆるのみにて、足をとどむるものほとほとなかりき。
 の淡き地におなじいろの濃きから草織り出だしたる長椅子に、姫は水いろぎぬののけだかきおおひだの、舞のあとながらつゆくずれぬを、身をひねりて横ざまに折りて腰かけ、斜めに中の棚の花瓶を扇のさきもてゆびさしてわれに語りはじめぬ。
「はや去年こぞのむかしとなりぬ。ゆくりなく君を文づかいにして、いや申すたつきを得ざりければ、わが身のこといかにおもいとりたまいけん。されどわれを煩悩の闇路やみじよりすくいいでたまいし君、心の中には片時も忘れ侍らず」
「近ごろ日本の風俗書きしふみ一つ二つ買わせて読みしに、おん国にては親の結ぶ縁ありて、まことの愛知らぬ夫婦多しと、こなたの旅人のいやしむようにしるしたるありしが、こはまだよくも考えぬことにて、かかることはこのヨオロッパにもなからずやは。いいなずけするまでの交際つきあい久しく、かたみに心の底まで知りあう甲斐かいいなともともいわるるうちにこそあらめ、貴族仲間にては早くより目上の人にきめられたる夫婦、こころ合わでもいなまんよしなきに、日々にあい見て忌むこころあくまで募りたるとき、これに添わする習い、さりとてはことわりなの世や」
「メエルハイムはおん身が友なり。しといわば弁護もやしたまわん。否、われとてもそのすぐなる心を知り、かたちにくからぬを見る目なきにあらねど、年ごろつきあいしすえ、わが胸にうずみ火ほどのあたたまりもできず。ただいとうにはゆるは彼方あなたの親切にて、ふた親のゆるしし交際つきあいの表、かいな借さるることもあれど、ただ二人になりたるときは、家も園もゆくかたものういぶせく覚えて、こころともなく太き息せられても、かしら熱くなるまで忍びがとうなりぬ。なにゆえと問いたもうな。そを誰か知らん。恋うるも恋うるゆえに恋うるとこそ聞け、嫌うもまたさならん」
「あるとき父の機嫌よきをうかがい得て、わがくるしさいいいでんとせしに、気色けしきを見てなかばいわせず。『世に貴族と生れしものは、しずやまがつなどのごとくわがままなる振舞い、おもいもよらぬことなり。血の権のにえは人の権なり。われ老いたれど、人の情け忘れたりなど、ゆめな思いそ。向いの壁にかけたるわが母君の像を見よ。心もあのかおばせのようにいつくしく、われにあだし心おこさせたまわず、世のたのしみをば失いぬれど、幾百年の間いやしき血一滴ひとしずくまぜしことなき家のほまれはすくいぬ』といつも軍人ぶりのことばつきあらあらしきに似ぬやさしさに、かねてといわんかく答えんとおもいしてだて、胸にたたみたるままにてえもめぐらさず、ただ心のみ弱うなりてやみぬ」
「もとより父に向いてはかえすことば知らぬ母に、わがこころあかしてなににかせん。されど貴族の子に生れたりとて、われも人なり。いまいましき門閥、血統、迷信の土くれと看破みやぶりては、わが胸のうちに投げ入るべきところなし。いやしき恋にうき身やつさば、姫ごぜの恥ともならめど、このならわしのにいでんとするを誰か支うべき。『カトリック』教の国には尼になる人ありといえど、ここ新教のザックセンにてはそれもえならず。そよや、かのロオマ教の寺にひとしく、礼知りてなさけ知らぬ宮のうちこそわが冢穴つかあななれ。」
「わが家もこの国にて聞ゆるうからなるに、いま勢いある国務大臣ファブリイス伯とはかさなるよしみあり。このことおもてより願わばいとやすからんとおもえど、それのかなわぬは父君のみ心うごかしがたきゆえのみならず。われさがとして人とともに歎き、人とともに笑い、愛憎二つの目もて久しく見らるることを嫌えば、かかる望みをかれに伝え、これにいいつがれて、あるはいさめられ、あるはすすめられん煩わしさに堪えず。いわんやメエルハイムのごとく心浅々しき人に、イイダ姫嫌いて避けんとすなどと、おのれ一人にのみ係ることのようにおもいなされんこと口惜しからん。われよりの願いと人に知られで宮づかえする手だてもがなとおもい悩むほどに、この国をしばしの宿にして、われらを路傍の岩木などのように見もすべきおん身が、心の底にゆるぎなき誠をつつみたもうと知りて、かねてわが身いとおしみたもうファブリイス夫人への消息しょうそこ、ひそかに頼みまつりぬ」
「されどこの一件ひとくだりのことはファブリイス夫人こころに秘めてうからにだに知らせたまわず、女官の闕員けついんあればしばしの務めにとて呼び寄せ、陛下のおん望みもだしがたしとてついにとどめられぬ」
「うき世の波にただよわされて泳ぐすべ知らぬメエルハイムがごとき男は、わが身忘れんとてしら生やすこともなからん。ただ痛ましきはおん身のやどりたまいし夜、わが糸の手とどめし童なり。わが立ちしのちも、よなよなともづなをわが窓のもとにつなぎてししが、ある朝羊小屋の扉のあかぬにこころづきて、人々岸辺にゆきて見しに、波むなしき船を打ちて、残れるはかれ草の上なる一枝いっしの笛のみなりきと聞きつ」
 かたりおわるとき午夜ごやの時計ほがらかに鳴りて、はや舞踏の大休みとなり、妃はおおとのごもりたもうべきおりなれば、イイダ姫あわただしく坐をたちて、こなたへさしのばしたる右手めての指に、わが唇触るるとき、隅の観兵の間に設けたる夕餉スペエに急ぐまろうど、群らだちてここを過ぎぬ。姫の姿はその間にまじり、次第に遠ざかりゆきて、おりおり人の肩のすきまに見ゆる、きょうの晴衣はれぎの水いろのみぞ名残りなりける。

明治二十四年一月





底本:「日本の文学 2 森鴎外(一)」中央公論社
   1966(昭和41)年1月5日初版発行
   1972(昭和47)年3月25日19版発行
初出:「新著百種 第12号」吉岡書籍店
   1891(明治24)年1月28日
※修正箇所は「舞姫・うたかたの記 他三篇」(岩波文庫、1981)を参照しました。
入力:土屋隆
校正:小林繁雄
2005年10月5日作成
2006年3月21日修正
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