海は金粉を蒔いたやうになつてゐる。この殆ど注意を惹かぬ程の天の反影があるので、暗黒と沈黙とに支配せられてゐる寂寥の境に、
不機嫌になつて黙つてしまつた漁師に、「おい、わたしは聞いてゐるのだよ」と、兵卒が催促した。
漁師は中音で、ゆつくりと話をし出した。人の落ち着いて傾聴しなくてはならぬやうな話振である。
「百年程前の事だつた。今あの黒い樅の木が立つてゐる山の上に、イエケルラニと云ふグレシア人の一族が住んでゐた。親爺は
兵卒はくす/\笑ひ出した。それに調子を合はせるやうに、どこか近い所で水がぴちや/\云つた。二人共頸を延ばして海の方を見て、耳を
「跡を話さないかね。」
「さうだつけ。そのカリアリスだがな。息子が三人兄弟だつた。話の種になつた手ん坊の元祖はその中の子で、カルロネと云つた。大男で雷のやうな声をするので、さう云ふ名が附いたのださうだ。それが貧乏な鍛冶職の娘のユリアと云ふのに惚れた。娘は利口者だつた。所が強い男には智慧は無いものだ。色々の邪魔があつて、婚礼が出来ないので、双方もどかしがつてゐた。そこで最初に話したグレシア人の猟師のアリスチドだがな、そいつが又ユリアに執心だつたのだ。ぼんやりして手を引つ込めてゐる奴ではない。久しい間口説いて見たが、駄目だ。そこでとう/\娘に恥を掻かせようと思つた。娘が疵物になりやあ、カルロネが貰ふまい。さうしたら、娘を手に入れることが出来ようと思つたのだ。其頃は人間が堅かつたからな。」
「なに。今だつて。」
「今かい。じだらくは
「或る日の事、娘は葡萄畠で木の枝を拾つてゐた。丁度そこへグレシア人の息子が、葡萄畠の上の
「カルロネと云ふ奴は馬鹿な野郎だなあ」と、兵卒がつぶやいた。
「ふん。正直な人間の料簡は胸の底にあるのだ。もう言つたか知らないが、此出来事のあつたのは冬の事で、クリスト様の御誕生祭のある前だつた。土地のものはお祭の日に品物の取遣をすることになつてゐた。葡萄酒や果物や肴や小鳥なんぞを遣るのだ。それはどうしても物持が貧乏人に沢山くれることになつてゐた。ユリアの打たれたのは、ひどく打たれたのだか、どうだつたか、己は覚えてゐない。兎に角鍛冶職の夫婦は礼拝堂にも往かない人達で、お祭の日にも内にゐると、品物が只一つ届いた。籠に樅の小枝で何やら詰めてある。それを見ると、カルロネの左の手だ。ユリアを打つた左の手だ。夫婦もユリアもびつくりしてカルロネの所へ駆け附けると、カルロネは自分の内の戸口に膝を衝いてゐた。腕を布で巻いてゐるのに、血が染み通つてゐる。大男が子供のやうに泣いてゐる。なんと云ふ事をしなすつたのだと、親子で聞いた。カルロネはかう云つた。いや、わたしはしなくてはならない事をしたのです。わたしの約束をした娘に恥を掻かせた男を生かして置くわけには行きません。わたしはアリスチドを殺しました。それからわたしの左の手ですが、あれは大事なユリアさんを打つたのですから、わたしに対しても済まない事をしたのです。だから切つてしまひました。どうぞ、ユリアさん、堪忍して下さい。御両規もどうぞと云つた。勿論親子共文句は無い。だが法律と云ふものはこつちでもやくざな奴に都合の好いやうに出来てゐるのだ。カルロネはアリスチドを殺したので、二年懲役に往つてゐた。それを出すのに、兄や弟が随分金を使つたさうだ。それからカルロネはユリアと婚礼をした。二人共長生をして、センツアマニの一族は今でも栄えてゐる。」
漁師は黙つて、烟管を強く吸つた。
兵卒は小声で云つた。「その話はわたしは好かないね。そのカルロネと云ふ男は野蛮で、ひどく馬鹿だ。」
「ふん。今から百年立つて見たら、お前方のする事も馬鹿に見えるだらうて。それはお前方のやうな人達が此世界に生きてゐたと云ふことを、人が覚えてゐてくれた上の話だが。」漁師はかう云つて、深く物を考へるらしく、白い烟の輪を闇の中に吹いた。
又さつきの所にぴちや/\云ふ水の音がした。さつきより大きい、急な音である。漁師は肩掛の