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青年(せいねん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/11/7 9:47:53 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     十八

 純一は亀清の帰りに、両国橋の袂に立って、浜町の河岸を廻って来る電車を待ち受けて乗った。歳の暮が近くなっていて、人の往来(ゆきき)も頻繁(ひんぱん)な為めであろう。その車には満員の赤札が下がっていたが、停車場(ば)で二三人降りた人があったので、とにかく乗ることだけは乗られた。
 車の背後の窓の外に、横に打ち附けてある真鍮(しんちゅう)の金物に掴まって立っていると、車掌が中へ這入(はい)れと云う。這入ろうと思って片足高い処に踏み掛けたが、丁度出入口の処に絆纏(はんてん)を着た若い男が腕組をして立っていて、屹然(きつぜん)として動かない。純一は又足を引っ込めて、そのまま外にいたが、車掌も強いて這入れとは云わなかった。
 そのうち車が急に曲がった。純一は始て気が附いて見れば、浅草へ行く車であった。宴会の席で受けた色々の感動が頭の中でchaos(カオス)を形づくっているので、何処(どこ)へ行く車か見て乗るという注意が、覚えず忘れられたのである。
 帰りの切符を出して、上野広小路への乗換を貰った。そして車掌に教えられて、廐橋(うまやばし)の通りで乗り換えた。
 こん度の本所(ほんじょ)から来た車は、少し透いていたので、純一は吊革(つりがわ)に掴まることが出来た。人道を歩いている人の腰から下を見ている純一が頭の中には、おちゃらが頸筋(くびすじ)を長く延べて据わった姿や、腰から下の長襦袢を見せて立った形がちらちら浮んだり消えたりして、とうとう便所の前での出来事が思い出されたとき、想像がそこに踏み止(とど)まって動かない。この時の言語と動作とは、一々精(くわ)しく心の中(うち)に繰り返されて、その間は人道をどんな人が通るということも分からなくなる。
 どういう動機であんな事をしたのだろうという問題は、この時早くも頭を擡(もた)げた。随分官能は若い血の循環と共に急劇な動揺をもするが、思慮は自分で自分を怪しむ程冷やかである。或時瀬戸が「君は老人のような理窟(りくつ)を考えるね」と云ったのも道理である。色でしたか、慾でしたか、それとも色と慾との二道(ふたみち)掛けてしたかと、新聞紙の三面の心理のような事が考えられる。そして慾でするなら、書生風の自分を相手にせずとも、もっと人選(にんせん)の為様(しよう)がありそうなものだと、謙譲らしい反省をする、その裏面にはvanite(ヴァニテエ)[# 最後の「e」は「´」付き]が動き出して来るのである。しかし恋愛はしない。恋愛というものをいつかはしようと、負債のように思っていながら、恋愛はしない。思慮の冷かなのも、そのせいだろうかなどと考えて見る。
 広小路で電車を下りたときは、少し風が立って、まだ明りをかっかっと点(とも)している店々の前に、新年の設けに立て並べてある竹の葉が戦(そよ)いでいた。純一は外套の襟を起して、頸を竦(すく)めて、薩摩下駄をかんかんと踏み鳴らして歩き出した。
 谷中の家の東向きの小部屋にある、火鉢が恋しくなった処を、車夫に勧められて、とうとう車に乗った。車の上では稍々(やや)強く顔に当る風も、まだ酔(えい)が残っているので、却(かえっ)て快い。
 東照宮の大鳥居の側(そば)を横ぎる、いつもの道を、動物園の方へ抜けるとき、薄暗い杉木立の下で、ふと自分は今何をしているかと思った。それからこのまま何事をも成さずに、あの聖堂の狸(たぬき)の話をしたお爺いさんのようになってしまいはすまいかと思ったが、馬鹿らしくなって、直ぐに自分で打消した。
 天王寺の前から曲れば、この三崎北町(さんさききたまち)あたりもまだ店が締めずにある。公園一つを中に隔てて、都鄙(とひ)それぞれの歳暮(さいぼ)の賑(にぎわ)いが見える。
 我家の門で車を返して、部屋に這入った。袂から蝋(ろう)マッチを出して、ランプを附けて見れば、婆あさんが気を附けてくれたものと見えて、丁寧に床が取ってあるばかりではない、火鉢に掛けてある湯沸かしには湯が沸いている。それを卸して見れば、生けてある佐倉炭が真赤におこっている。純一はそれを掻き起して、炭を沢山くべた。
 綺麗(きれい)に片附けた机の上には、読みさして置いて出たマアテルリンクの青い鳥が一冊ある。その上に葉書が一枚乗っている。ふと明日箱根へ立つ人の便りかと思って、手に取る時何がなしに動悸(どうき)がしたがそうでは無かった。差出人は大村であった。「明日参上いたすべく候(そうろう)に付、外(ほか)に御用事なくば、御待下されたく候。尤(もっと)も当方も用事にては無之(これなく)候」としてある。これだけの文章にも、どこやら大村らしい処があると感じた純一は、独り微笑(ほほえ)んで葉書を机の下にある、針金で編んだ書類入れに入れた。これは純一が神保町(じんぼうちょう)の停留場(ば)の傍(わき)で、ふいと見附けて買ったのである。
 それから純一は、床の間の隅に置いてある小葢(こぶた)を引き出して、袂から金入れやら時計やらを、無造作に攫(つか)み出して、投げ入れた。その中に小さい名刺が一枚交っていた。貰ったままで、好くも見ずに袂に入れた名刺である。一寸(ちょっと)拾って見れば、「栄屋おちゃら」と厭(いや)な手で書いたのが、石版摺(せきばんずり)にしてある。
 厭な手だと思うと同時に、純一はいかに人のおもちゃになる職業の女だとは云っても、厭な名を附けたものだと思った。文字に書いたのを見たので、そう思ったのである。名刺という形見を手に持っていながら、おちゃらの表情や声音(せいおん)が余りはっきり純一の心に浮んでは来ない。着物の色どりとか着こなしとかの外には、どうした、こう云ったという、粗大な事実の記憶ばかりが残っているのである。
 しかしこの名刺は純一の為めに、引き裂いて棄てたり、反古籠(ほごかご)に入れたりする程、無意義な物ではなかった。少くも即時にそうする程、無意義な物ではなかった。そんなら一人で行って、おちゃらを呼んで見ようと思うかと云うに、そういう問題は少くも目前の問題としては生じていない。只棄ててしまうには忍びなかった。一体名刺に何の意義があるだろう。純一はそれをはっきりとは考えなかった。或(あるい)は彼が自ら愛する心に一縷(いちる)のencens(アンサン)を焚(た)いて遣った女の記念ではなかっただろうか。純一はそれをはっきりとは考えなかった。
 純一は名刺を青い鳥のペエジの間に挟んだ。そして着物も着換えずに、床の中に潜り込んだ。

     十九

 翌朝純一は十分に眠った健康な体の好(い)い心持で目を醒(さ)ました。只咽(のど)に痰(たん)が詰まっているようなので咳払(せきばらい)を二つ三(みつ)して見て風を引いたかなと思った。しかしそれは前晩(ぜんばん)に酒を飲んだ為めであったと見えて漱(うが)いをして顔を洗ってしまうと、さっぱりした。
 机の前に据わって、いつの間にか火の入れてある火鉢に手を翳(かざ)したとき、純一は忽(たちま)ち何事をか思い出して、「あ、今日だったな」と心の中(うち)につぶやいた。丁度学校にいた頃、朝起きて何曜日だということを考えて、それと同時にその日の時間表を思い出したような工合である。
 純一が思い出したのは、坂井の奥さんが箱根へ行(ゆ)く日だということであった。誘われた通りに、跡から行こうと、はっきり考えているのではない。それが何より先きに思い出されたのは、奥さんに軽い程度のsuggestion(サジェスション)を受けているからである。一体夫人の言語や挙動にはsuggestif(サジェスシイフ)な処があって、夫人は半ば無意識にそれを利用して、寧(むし)ろ悪用して、人の意志を左右しようとする傾きがある。若し催眠術者になったら、大いに成功する人かも知れない。
 坂井の奥さんが箱根へ行(ゆ)く日だと思った跡で、純一の写象は暗中の飛躍をして、妙な記憶を喚び起した。それは昨夜(ゆうべ)夜明け近くなって見た夢の事である。その夢を見掛けて、ちょいと驚いて目を醒まして、直ぐに又寐(ね)てしまったが、それからは余り長く寐たらしくはない。どうしても夜明け近(ぢか)くなってからである。
 なんでも大村と一しょに旅行をしていて、どこかの茶店に休んでいた。大宮で休んだような、人のいない葭簀張(よしずば)りではない。茶を飲んで、まずい菓子麪包(パン)か何か食っている。季節は好く分からないが、目に映ずるものは暖い調子の色に飽いている。薄曇りのしている日の午後である。大村と何か話して笑っていると、外から「海嘯(つなみ)が来ます」と叫んだ女がある。自分が先きに起(た)って往来に出て見た。
 広い畑(はた)と畑との間を、真直に長く通っている街道である。左右には溝(みぞ)があって、その縁(ふち)には榛(はん)の木のひょろひょろしたのが列をなしている。女の「あれ、あそこに」という方角を見たが、灰色の空の下に別に灰色の一線が劃(かく)せられているようなだけで、それが水だとはっきりは見分けられない。その癖純一の胸には劇(はげ)しい恐怖が湧(わ)く。そこへ出て来た大村を顧みて、「山の近いのはどっちだろう」と問う。大村は黙っている。どっちを見ても、山らしい山は見えない。只水の来るという方角と反対の方角に、余り高くもない丘陵が見える。純一はそれを目掛けて駈け出した。広い広い畑を横に、足に任せて駈けるのである。
 折々振り返って見るに、大村はやはり元の街道に動かずに立っている。女はいない。夢では人物の経済が自由に行われる。純一は女がいなくなったとも思わないから、なぜいないかと怪しみもしない。
 忽ちscene(セエヌ)[#一つ目の「e」は「`」付き]が改まった。場所の変化も夢では自由である。純一は水が踵(かかと)に迫って来るのを感ずると共に、傍(そば)に立っている大きな木に攀(よ)じ登った。何の木か純一には分からないが広い緑色の葉の茂った木である。登り登って、扉のように開いている枝に手が届いた。身をその枝の上に撥(は)ね上げて見ると、同じ枝の上に、自分より先きに避難している人がある。所々に白い反射のある緑の葉に埋(うず)もれて、長い髪も乱れ、袂も裾も乱れた女がいるのである。
 黄いろい水がもう一面に漲(みなぎ)って来た。その中に、この一本の木が離れ小島のように抜き出(い)でている。滅びた世界に、新(あらた)に生れて来たAdam(アダム)とEva(エヴァ)とのように梢(こずえ)を掴む片手に身を支えながら、二人は遠慮なく近寄った。
 純一は相触れんとするまでに迫まり近づいた、知らぬ女の顔の、忽ちおちゃらになったのを、少しも不思議とは思わない。馴馴しい表情と切れ切れの詞(ことば)とが交わされるうちに、女はいつか坂井の奥さんになっている。純一が危(あやう)い体を支えていようとする努力と、僅かに二人の間に存している距離を縮めようと思う慾望とに悩まされているうちに、女の顔はいつかお雪さんになっている。
 純一がはっと思って、半醒覚(はんせいかく)の状態に復(かえ)ったのはこの一刹那(いっせつな)の事であった。誰(たれ)やらの書いたものに、人は夢の中ではどんな禽獣(きんじゅう)のような行いをも敢(あえ)てして恬然(てんぜん)としているもので、それは道徳という約束の世間にまだ生じていない太古に復るAtavisme(アタヴィスム)だと云うことがあった。これは随分思い切った推理である。しかしその是非はとにかく措(お)いて、純一はそんなAtavisme(アタヴィスム)には陥らなかった。或は夢が醒め際になっていて、醒めた意識の幾分が働いていたのかも知れない。
 半醒覚の純一が体には慾望の火が燃えていた。そして踏み脱いでいた布団を、又領元(えりもと)まで引き寄せて、腮(あご)を埋(うず)めるようにして、又寐入る刹那には、朧(おぼろ)げな意識の上に、見果てぬ夢の名残を惜む情が漂っていた。しかしそれからは、短い深い眠(ねむり)に入(い)ったらしい。
 純一が写象は、人間の思量の無碍(むげ)の速度を以て、ほんの束(つか)の間に、長い夢を繰り返して見た。そして、それを繰り返して見ている間は、その輪廓(りんかく)や色彩のはっきりしていて、手で掴まれるように感ぜられるのに打たれて、ふとあんな工合に物が書かれたら好かろうと思った。そう思って、又繰り返して見ようとすると、もう輪廓は崩れ色彩は褪(あ)せてしまって、不自然な事やら不合理な事やらが、道の小石に足の躓(つまず)くように、際立って感ぜられた。

     二十

 午前十時頃であった。初音町の往来へ向いた方の障子に鼠色の雲に濾(こ)された日の光が、白らけた、殆ど色神(しきしん)に触れない程な黄いろを帯びて映じている純一が部屋へ、大村荘之助が血色の好(い)い、爽快な顔付きをして這入って来た。
「やあ、内にいてくれたね。葉書は出して置いたが、今朝起きて見れば、曇ってはいるけれど、先(ま)ず東京の天気としては、不愉快ではない日だから、どこか出掛けはしないかと思った」
 純一は自分の陰気な部屋へ、大村と一しょに一種の活気が這入って来たような心持がした。そして火鉢の向うに胡坐(あぐら)を掻(か)いた、がっしりした体格の大村を見て、語気もその晴れ晴れしさに釣り込まれて答えた。「なに。丁度好(い)いと思っていました。どこと云って行(い)くような処もないのですから」
 大村の話を聞けば、休暇中一月の十日頃まで、近県旅行でもしようかと思う、それで告別の心持で来たということである。純一は心から友情に感激した。
 一つ二つ話をしているうちに、大村が机の上にある青い鳥の脚本に目を附けた。
「何か読んでいるね」と云って、手に取りそうにするので、純一ははっと思った。中におちゃらの名刺の挟んであるのを見られるのが、心苦しいのである。
 そこで純一は機先を制するように、本を手に取って、「L'oiseau bleu(ロアゾオ ブリヨオ)です」と云いながら、自分で中を開けて、初(はじめ)の方をばらばらと引っ繰り返して、十八ペエジの処を出した。
「ここですね。A peine Tyltyl a-t-il tourne le diamant, qu'un changement soudain et prodigieux s'opere en toutes choses.(ア ペエヌ チルチル アチル ツウルネエ ル ジアマン カン シャンジュマン スデン エエ プロジジオヨオ ソペエル アン ツウト ショオズ)[#「tourne」の「e」は「´」付き、「s'opere」の一つ目の「e」は「`」付き]ここの処が只のと書き[#「と書き」に傍点]だとは思われない程、美しく書いてありますね。僕は国の中学にいた頃、友達にさそわれて、だいぶ学問のある坊さんの所へちょいちょい行ったことがあります。丁度その坊さんが維摩経(ゆいまきょう)の講釈をしていました。みすぼらしい維摩居士の方丈の室が荘厳世界(そうごんせかい)に変る処が、こんな工合ですね。しかし僕はもうずっと先きの方まで読んでいますが、この脚本の全体の帰趣(きしゅ)というようなものには、どうも同情が出来ないのです。麺包(パン)と水とで生きていて、クリスマスが来ても、子供達に樅(もみ)の枝に蝋燭(ろうそく)を点して遣ることも出来ないような木樵(きこ)りの棲(す)み家(か)にも、幸福の青い鳥は籠(かご)の内にいる。その青い鳥を余所(よそ)に求めて、Tyltyl, Mytyl(チルチル ミチル)のきょうだいの子は記念の国、夜の宮殿、未来の国とさまよい歩くのですね。そしてその未来の国で、これから先きに生れて来る子供が、何をしているかと思うと、精巧な器械を工夫している。翼なしに飛ぶ手段を工夫している。あらゆる病を直す薬方を工夫している。死に打ち克(か)つ法を工夫している。ひどく物質的な事が多いのですね。そんな事で人間が幸福になられるでしょうか。僕にはなんだか、ひどく矛盾しているように思われてなりません。十九(じゅうく)世紀は自然科学の時代で、物質的の開化を齎(もたら)した。我々はそれに満足することが出来ないで、我々の触角を外界から内界に向け換えたでしょう。それに未来の子供が、いろんな器械を持って来てくれたり、西瓜(すいか)のような大きさの林檎(りんご)を持って来てくれたりしたって、それがどうなるでしょう。おう。それから鼻糞(はなくそ)をほじくっている子供がいましたっけ。大かた鴎村さんが大発見の追加を出すだろうと、僕は思ったのです。あの子供が鼻糞をほじくりながら、何を工夫しているかと思うと、太陽が消えてしまった跡で、世界を煖(ぬく)める火を工夫しているというのですね。そんな物は、現在の幸福が無くなった先きの入れ合せに過ぎないじゃありませんか。そりゃあ、なる程、人のまだ考えたことのない考(かんがえ)を考えている子供だとか、あらゆる不公平を無くしてしまう工夫をしている子供だとか云うのもいました。内生活に立ち入る様な未来もまるで示してないことはないのです。しかし僕にはそれが、唯雑然と並べてあるようで、それを結び附ける鎖が見附からないのです。矛盾が矛盾のままでいるのですね。どう云うものでしょう」
 純一は覚えず能弁になった。そして心の底には始終おちゃらの名刺が気になっている。大村がその本をよこせと云って、手を出すような事がなければ好(い)いがと、切に祈っているのである。
 幸に大村は手を出しそうにもしないで云った。「そうさね。矛盾が矛盾のままでいるような所は、その脚本の弱点だろうね。しかし一体哲学者というものは、人間の万有の最終問題から観察している。外から覗(のぞ)いている。ニイチェだって、この間話の出たワイニンゲルだってそうだ。そこで君の謂(い)う内界が等閑にせられる。平凡な日常の生活の背後に潜んでいる象徴的意義を体験する、小景を大観するという処が無い。そう云う処のある人は、Simmel(シムメル)なんぞのような人を除(の)けたらマアテルリンクしかあるまい。だから君が雑然と並べてあると云う、あの未来の国の子供の分担している為事(しごと)が、悉(ことごと)く解けて流れて、青い鳥の象徴の中に這入ってしまうように書きたかったには違いないが、それがそう行(ゆ)かなかったのでしょう」
 純一は大村の詞を聞いているうちに、名刺を発見せられはすまいかと思う心配が次第に薄らいで行って、それと同時に大村が青い鳥から拈出(ねんしゅつ)した問題に引き入れられて来た。
「ところが、どうも僕にはその日常生活というものが、平凡な前面だけ目に映じて為様(しよう)がないのです。そんな物はつまらないと思うのです。これがいつかもお話をした利己主義と関係しているのではないでしょうか」
「それは大(おおい)に関係していると思うね」
「そうですか。そんならあなたの考えている所を、遠慮なく僕に話して聞かせて貰いたいのですがねえ」純一は大きい涼しい目を耀(かがや)かして、大村の顔を仰ぎ見た。
 大村は手に持っていた紙巻の消えたのを、火鉢の灰に挿して語り出した。「そうだね。そんなら無遠慮に大風呂敷を広げるよ」大村は白い歯を露(あら)わして、ちょっと笑った。「一体青い鳥の幸福という奴は、煎(せん)じ詰めて見れば、内に安心立命を得て、外に十分の勢力を施すというより外有るまいね。昨今はそいつを漢学の道徳で行(い)こうなんという連中があるが、それなら修身斉家治国平天下で、解決は直ぐに附く。そこへ超越的な方面が加わって来ても、老荘を始として、仏教渡来以後の朱子学やら陽明学というようなものになるに過ぎない。西洋で言って見ると希臘(ギリシア)の倫理がPlaton(プラトン)あたりから超越的になって、基督(クリスト)教がその方面を極力開拓した。彼岸に立脚して、馬鹿に神々(こうごう)しくなってしまって、此岸(しがん)がお留守になった。樵夫(きこり)の家に飼ってある青い鳥は顧みられなくなって、余所に青い鳥を求めることになったのだね。僕の考では、仏教の遁世(とんせい)も基督教の遁世も同じ事になるのだ。さてこれからの思想の発展というものは、僕は西洋にしか無いと思う。Renaissance(ルネッサンス)という奴が東洋には無いね。あれが家の内の青い鳥をも見させてくれた。大胆な航海者が現れて、本当の世界の地図が出来る。天文も本当に分かる。科学が開ける。芸術の花が咲く。器械が次第に精巧になって、世界の総てが仏者の謂う器世界(きせいかい)ばかりになってしまった。殖産と資本とがあらゆる勢力を吸収してしまって、今度は彼岸がお留守になったね。その時ふいと目が醒めて、彼岸を覗いて見ようとしたのが、ショペンハウエルという変人だ。彼岸を望んで、此岸を顧みて見ると、万有の根本は盲目の意志になってしまう。それが生を肯定することの出来ない厭世(えんせい)主義だね。そこへニイチェが出て一転語を下した。なる程生というものは苦艱(くげん)を離れない。しかしそれを避けて逃げるのは卑怯(ひきょう)だ。苦艱籠(ご)めに生を領略する工夫があるというのだ。What(ホワット)の問題をhow(ハウ)にしたのだね。どうにかしてこの生を有(あり)のままに領略しなくてはならない。ルソオのように、自然に帰れなどと云ったって、太古と現在との中間の記憶は有力な事実だから、それを抹殺(まっさつ)してしまうことは出来ない。日本で※園(かんえん)派の漢学や、契冲(けいちゅう)、真淵(まぶち)以下の国学を、ルネッサンスだなんと云うが、あれは唯復古で、再生ではない。そんならと云って、過去の記憶の美しい夢の国に魂を馳(は)せて、Romantiker(ロマンチケル)の青い花にあこがれたって駄目だ。Tolstoi(トルストイ)がえらくたって、あれも遁世的だ。所詮覿面(てきめん)に日常生活に打(ぶ)っ附かって行(い)かなくては行けない。この打っ附かって行く心持がDionysos(ジオニソス)的だ。そうして行きながら、日常生活に没頭していながら、精神の自由を牢(かた)く守って、一歩も仮借しない処がApollon(アポルロン)的だ。どうせこう云う工夫で、生を領略しようとなれば、個人主義には相違ないね。個人主義は個人主義だが、ここに君の云う利己主義と利他主義との岐路がある。利己主義の側はニイチェの悪い一面が代表している。例の権威を求める意志だ。人を倒して自分が大きくなるという思想だ。人と人とがお互にそいつを遣り合えば、無政府主義になる。そんなのを個人主義だとすれば、個人主義の悪いのは論を須(ま)たない。利他的個人主義はそうではない。我という城廓を堅く守って、一歩も仮借しないでいて、人生のあらゆる事物を領略する。君には忠義を尽す。しかし国民としての我は、昔何もかもごちゃごちゃにしていた時代の所謂(いわゆる)臣妾(しんしょう)ではない。親には孝行を尽す。しかし人の子としての我は、昔子を売ることも殺すことも出来た時代の奴隷ではない。忠義も孝行も、我の領略し得た人生の価値に過ぎない。日常の生活一切も、我の領略して行(ゆ)く人生の価値である。そんならその我というものを棄てることが出来るか。犠牲にすることが出来るか。それも慥(たしか)に出来る。恋愛生活の最大の肯定が情死になるように、忠義生活の最大の肯定が戦死にもなる。生が万有を領略してしまえば、個人は死ぬる。個人主義が万有主義になる。遁世主義で生を否定して死ぬるのとは違う。どうだろう、君、こう云う議論は」大村は再び歯を露わして笑った。
 熱心に聞いていた純一が云った。「なる程そんなものでしょうかね。僕も跡で好く考えて見なくては分からないのですが、そんな工合に連絡を附けて見れば、切れ切れになっている近世の思想に、綜合点が出来て来るように思われますね。こないだなんとか云う博士(はくし)の説だと云うので、こんな事が書いてありましたっけ。個人主義は西洋の思想で、個人主義では自己を犠牲にすることは出来ない。東洋では個人主義が家族主義になり、家族主義が国家主義になっている。そこで始て君父の為めに身を棄てるということも出来ると云うのですね。こう云う説では、個人主義と利己主義と同一視してあるのだから、あなたの云う個人主義とは全く別ですね。それに個人主義から家族主義、それから国家主義と発展して来たもので、その発展が西洋に無くって、日本にあると云うのは可笑(おか)しいじゃありませんか」
「そりゃあ君、無論可笑しいさ。そんな人は個人主義を利己主義や自己中心主義と一しょにしているばかりではなくって、無政府主義とも一しょにしているのだね。一体太古の人間が一人一人穴居から這い出して来て、化学の原子のように離れ離れに生活していただろうと思うのは、まるで歴史を撥無(はつむ)した話だ。若しそうなら、人生の始は無政府的だが、そんな生活はいつの世にもありやしなかった。無政府的生活なんと云うものは、今の無政府主義者の空想にしか無い。人間が最初そんな風に離れ離れに生活していて、それから人工的に社会を作った、国家を作ったと云う思想は、ルソオのContrat social(コントラ ソシアル)あたりの思想で、今になってまだそんな事を信じているものは、先ず無いね。遠い昔に溯(さかのぼ)って見れば見る程、人間は共同生活の束縛を受けていたのだ。それが次第にその羈絆(きはん)を脱して、自由を得て、個人主義になって来たのだ。お互に文学を遣っているのだが、文学の沿革を見たって知れるじゃないか。運命劇や境遇劇が性格劇になったと云うのは、劇が発展して個人主義になったのだ。今になって個人主義を退治ようとするのは、目を醒まして起きようとする子供を、無理に布団の中へ押し込んで押さえていようとするものだ。そんな事が出来るものかね」
 これまでになく打ち明けて、盛んな議論をしているが、話の調子には激昂(げきこう)の迹(あと)は見えない。大村はやはりいつもの落ち着いた語気で話している。それを純一は唯「そうですね」「全くですね」と云って、聞いているばかりである。
「一体妙な話さ」と、大村が語り続けた。「ロシアと戦争をしてからは、西洋の学者が一般に、日本人の命を惜まないことを知って、一種の説明をしている。日本なんぞでは、家族とか国家とか云う思想は発展していないから、そういう思想の為めに犠牲になるのではない。日本人は異人種の鈍い憎悪の為めに、生命(せいめい)の貴さを覚(さと)らない処から、廉価な戦死をするのだと云っている。誰(たれ)の書物をでも見るが好(い)い。殆ど皆そんな風に観察している。こっちでは又西洋人が太古のままの個人主義でいて、家族も国家も知らない為めに、片っ端から無政府主義になるように云っている。こんな風にお互にmeconnaissance(メコンネッサンス)[#一つ目の「e」は「´」付き]の交換をしているうちに、ドイツとアメリカは交換大学教授の制度を次第に拡張(こうちょう)する。白耳義(ベルギイ)には国際大学が程なく立つ。妙な話じゃないか」と云って、大村は黙ってしまった。
 純一も黙って考え込んだ。しかしそれと同時に尊敬している大村との隔てが、遽(にわ)かに無くなったような気がしたので、純一は嬉しさに覚えず微笑(ほほえ)んだ。
「何を笑うんだい」と、大村が云った。
「きょうは話がはずんで、愉快ですね」
「そうさ。一々の詞を秤(はかり)の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、我々青年の特権だね」
「なぜ人間は年を取るに従って偽善に陥ってしまうでしょう」
「そうさね。偽善というのは酷かも知れないが、甲らが硬くなるには違いないね。永遠なる生命が無いと共に、永遠なる若さも無いのだね」
 純一は暫く考えて云った。「それでもどうにかして幾分かその甲らの硬くなるのを防ぐことは出来ないでしょうか」
「甲らばかりでは無い。全身の弾力を保存しようという問題になるね。巴里(パリイ)のInstitut Pasteur(アンスチチュウ パストヨオル)にMetschnikoff(メチュニコッフ)というロシア人がいる。その男は人間の体が年を取るに従って段々石灰化してしまうのを防ぐ工夫をしているのだがね。不老不死の問題が今の世に再現するには、まあ、あんな形式で再現する外ないだろうね」
「そうですか。そんな人がありますかね。僕は死ぬまいなんぞとは思わないのですが、どうか石灰化せずにいたいものですね」
「君、メチュニコッフ自身もそう云っているのだよ。死なないわけには行(い)かない。死ぬるまで弾力を保存したいと云うのだね」
 二人共余り遠い先の事を考えたような気がしたので、言い合せたように同時に微笑んだ。二人はまだ老(おい)だの死だのということを、際限も無く遠いもののように思っている。人一人の生涯というものを測る尺度を、まだ具体的に手に取って見たことが無いのである。
 忽ち襖(ふすま)の外でことこと音をさせるのが聞えた。植長の婆あさんが気を利かせて、二人の午飯(ひるめし)を用意して、持ち運んでいたのである。

     二十一

 食事をしまって茶を飲みながら、隔ての無い青年同士が、友情の楽しさを緘黙(かんもく)の中(うち)に味わっていた。何か言わなくてはならないと思って、言いたくない事を言う位は、所謂附合いの人の心を縛る縄としては、最も緩いものである。その縄にも縛られずに平気で黙りたい間黙っていることは、或る年齢を過ぎては容易に出来なくなる。大村と純一とはまだそれが出来た。
 純一が炭斗(すみとり)を引き寄せて炭をついでいる間に、大村は便所に立った。その跡で純一の目は、急に青い鳥の脚本の上に注がれた。Charpentier et Fasquelle(シャルパンチエエ エエ ファスケル)版の仮綴(かりとじ)の青表紙である。忙(せ)わしい手は、紙切小刀で切った、ざら附いた、出入りのあるペエジを翻した。そして捜し出された小さい名刺は、引き裂かれるところであったが、堅靭(けんじん)なる紙が抗抵したので、揉(も)みくちゃにせられて袂(たもと)に入れられた。
 純一は証拠を湮滅(いんめつ)[#底本はルビを「えんめつ」と誤植]させた犯罪者の感じる満足のような満足を感じた。
 便所から出て来た大村は、「もうそろそろお暇(いとま)をしようか」と云って、中腰になって火鉢に手を翳(かざ)した。
「旅行の準備でもあるのですか」
「何があるものか」
「そんなら、まあ、好(い)いじゃありませんか」
「君も寂しがる性(たち)だね」と云って、大村は胡座(あぐら)を掻いて、又紙巻を吸い附けた。「寂しがらない奴は、神経の鈍い奴か、そうでなければ、神経をぼかして世を渡っている奴だ。酒。骨牌(かるた)。女。Haschisch(ハッシッシュ)」
 二人は顔を見合せて笑った。
 それから官能的受用で精神をぼかしているなんということは、精神的自殺だが、神経の異様に興奮したり、異様に抑圧せられたりして、体をどうしたら好(い)いか分らないようなこともある。そう云う時はどうしたら好いだろうと、純一が問うた。大村の説では、一番健全なのはスエエデン式の体操か何かだろうが、演習の仮設敵のように、向うに的を立てなくては、倦(う)み易い。的を立てるとなると、sport(スポルト)になる。sport(スポルト)になると、直接にもせよ間接にもせよ競争が生ずる。勝負が生ずる。畢竟(ひっきょう)倦まないと云うのは、勝とう勝とうと思う励みのあることを言うのであろう。ところが個人毎に幾らかずつの相違はあるとしても、芸術家には先ずこの争う心が少い。自分の遣(や)っている芸術の上でからが、縦(たと)え形式の所謂競争には加わっていても、製作をする時はそれを忘れている位である。Paul Heyse(パウル ハイゼ)の短編小説に、競争仲間の彫像を夜忍び込んで打ち壊すことが書いてあるが、あれは性格の上の憎悪を土台にして、その上に恋の遺恨をさえ含ませてある。要するに芸術家らしい芸術家は、恐らくはsport(スポルト)に熱中することがむずかしかろうと云うのである。
 純一は思い当る所があるらしく、こう云った。「僕は芸術家がる訳ではないのですが、どうも勝負事には熱心になられませんね」
「もう今に歌がるたの季節になるが、それでは駄目だね」
「全く駄目です。僕はいつも甘んじて読み役に廻されるのです」と、純一は笑いながら云った。
「そうさね。同じ詞で始まる歌が、百首のうちに幾つあるということを諳(そら)んじてしまって、初五文字(しょごもじ)を読んでしまわないうちに、どれでも好(い)いように、二三枚のかるたを押えてしまうことが出来なくては、上手下手の評に上(のぼ)ることが出来ない。もうあんな風になってしまえば、歌のせんは無い。子供のするいろはがるたも同じ事だ。もっと極端に云えばA(ア)の札B(ベ)の札というようなものを二三枚ずつ蒔(ま)いて置いて、A(ア)と読んだ時、蒔いてあるA(ア)の札を残らず撈(さら)ってしまえば好いわけになる。若し歌がるたに価値があるとすれば、それは百首の歌を諳んじただけで、同じ詞で始まる歌が幾つあるかなんと云う、器械的な穿鑿(せんさく)をしない間の楽みに限られているだろう。僕なんぞもそんな事で記憶に負担をさせるよりは、何かもっと気の利いた事を覚えたいね」
「一体あんな事を遣ると、なんにも分からない、音(おん)の清濁も知らず、詞の意味も知らないで読んだり取ったりしている、本当のroutiniers(ルチニエエ)に愚弄(ぐろう)せられるのが厭(いや)です」
「それでは君にはまだ幾分の争気がある」
「若いのでしょう」
「どうだかねえ」
 二人は又顔を見合わせて笑った。
 純一の笑う顔を見る度に、なんと云う可哀い目附きをする男だろうと、大村は思う。それと同時に、この時ふと同性の愛ということが頭に浮んだ。人の心には底の知れない暗黒の堺(さかい)がある。不断一段自分より上のものにばかり交るのを喜んでいる自分が、ふいとこの青年に逢ってから、余所(よそ)の交(まじわり)を疎んじて、ここへばかり来る。不断講釈めいた談話を尤(もっと)も嫌って、そう云う談話の聞き手を求めることは屑(いさぎよし)としない自分が、この青年の為めには饒舌(じょうぜつ)して忌むことを知らない。自分はhomosexuel(オモセクシュエル)ではない積りだが、尋常の人間にも、心のどこかにそんな萌芽(ほうが)が潜んでいるのではあるまいかということが、一寸(ちょっと)頭に浮んだ。
 暫(しばら)くして大村は突然立ち上がった。「ああ。もう行(い)こう。君はこれから何をするのだ」
「なんにも当てがないのです。とにかくそこいらまで送って行(い)きましょう」
 午後二時にはまだなっていなかった。大学の制服を着ている大村と一しょに、純一は初音町の下宿を出て、団子坂の通へ曲った。
 門(かど)ごとに立てた竹に松の枝を結び添えて、横に一筋の注連縄(しめなわ)が引いてある。酒屋や青物屋の賑(にぎ)やかな店に交って、商売柄でか、綺麗(きれい)に障子を張った表具屋の、ひっそりした家もある。どれを見ても、年の改まる用意に、幾らかの潤飾を加えて、店に立ち働いている人さえ、常に無い活気を帯びている。
 この町の北側に、間口の狭い古道具屋が一軒ある。谷中は寺の多い処だからでもあろうか、朱漆(しゅうるし)の所々に残っている木魚(もくぎょ)や、胡粉(ごふん)の剥(は)げた木像が、古金(ふるかね)と数(かず)の揃(そろ)わない茶碗小皿との間に並べてある。天井からは鰐口(わにぐち)や磬(けい)が枯れた釣荵(つりしのぶ)と一しょに下がっている。
 純一はいつも通る度に、ちょいとこの店を覗いて過ぎる。掘り出し物をしようとして、骨董店(こっとうてん)の前に足を留める、老人の心持と違うことは云うまでもない。純一の覗くのは、或る一種の好奇心である。国の土蔵の一つに、がらくた道具ばかり這入(はい)っているのがある。何に使ったものか、見慣れない器、闕(か)け損じて何の片割れとも知れない金屑(かなくず)や木の切れがある。純一は小さい時、終日その中に這入って、何を捜すとなしにそのがらくたを掻き交ぜていたことがある。亡くなった母が食事の時、純一がいないというので、捜してその蔵まで来て、驚きの目を※(みは)ったことを覚えている。
 この古道具屋を覗くのは、あの時の心持の名残である。一種の探検である。※(さ)びた鉄瓶、焼き接ぎの痕(あと)のある皿なんぞが、それぞれの生涯のruine(ルユイイヌ)を語る。
 きょう通って見ても、周囲の影響を受けずにいるのは、この店のみである。
 純一が古道具屋を覗くのを見て、大村が云った。「君はいろんな物に趣味を有していると見えるね」
「そうじゃないのです。あんまり妙な物が並んでいるので、見て通るのが癖になってしまいました」
「頭の中があの店のようになっている人もあるね」
 二人はたわいもない事を言って、山岡鉄舟の建てた全生庵(ぜんしょうあん)の鐘楼(しゅろう)の前を下りて行(ゆ)く。
 この時下から上がって来る女学生が一人、大村に会釈をした。俯向(うつむ)けて歩いていた、廂(ひさし)の乱れ髪を、一寸横に傾けて、稲妻のように早い、鋭い一瞥(いちべつ)の下(もと)に、二人の容貌、態度、性格をまで見たかと思われる位であった。
 大村は角帽を脱いで答礼をした。
 純一は只女学生だなと思った。手に持っている、中身は書物らしい紫の包みの外には、喉(のど)の下と手首とを、リボンで括(くく)ったシャツや、袴(はかま)の菫色(すみれいろ)が目に留まったに過ぎない。実際女学生は余り人と変った風はしていなかった。着物は新大島、羽織はそれより少し粗い飛白(かすり)である。袴の下に巻いていた、藤紫地に赤や萌葱(もえぎ)で摸様の出してある、友禅縮緬(ゆうぜんちりめん)の袴下の帯は、純一には見えなかった。シャツの上に襲(かさ)ねた襦袢(じゅばん)の白衿(しろえり)には、だいぶ膩垢(あぶらあか)が附いていたが、こう云う反対の方面も、純一には見えなかった。
 しかし純一の目に強い印象を与えたのは、琥珀色(こはくいろ)の薄皮の底に、表情筋が透いて見えるようなこの女の顔と、いかにも鋭敏らしい目(ま)なざしとであった。
 どう云う筋の近附きだろうかと、純一が心の中(うち)に思うより先きに、大村が「妙な人に逢った」と、独言(ひとりごと)のようにつぶやいた。そして二人殆ど同時に振り返って見た時には、女はもう十歩ばかりも遠ざかっていた。
 それから坂を降りて又登る途(みち)すがら、大村が問わず語りにこんな事を話した。
 大村が始めてこの女に逢ったのは、去年雑誌女学界の懇親会に往った時であった。なんとか云う若いピアニストが六段をピアノで弾くのを聞いて、退屈しているところへ、遅れて来た女学生が一人あって、椅子が無いのでまごまごしていた。そこで自分の椅子を譲って遣って、傍(そば)に立っているうちに、その時もやはり本を包んで持っていた風炉敷(ふろしき)の角の引っ繰り返った処に、三枝(さいぐさ)と書いてあるのが目に附いた。その頃大村は女学界の主筆に頼まれて、短歌を選んで遣っていたが、際立って大胆な熱情の歌を度々採ったことがある。その作者の名が三枝茂子であった。三枝という氏(うじ)は余り沢山はなさそうなので、ふいと聞いて見る気になって、「茂子さんですか」と云うと、殆ど同時に女が「大村先生でいらっしゃいましょう」と云った。それから会話がはずんで、種々な事を聞くうちに、大村が外国語をしているかと問うと、独逸(ドイツ)語だと云う。独逸語を遣っている女というものには、大村はこの時始て出逢ったのである。
 懇親会の翌日、大村の所へ茂子の葉書が来た。又暫く立つと、或る日茂子が突然大村の下宿へ尋ねて来た。Sudermann(ズウデルマン)のZwielicht(ズヴィイリヒト)を持って、分からない所を質問しに来たのである。さ程見当違いの質問ではなかった。しかし問わない所が皆分かっているか、どうだかと云うことを、ためして見るだけの意地わるは大村には出来なかった。
 その次の度には、Nicht doch(ニヒト ドホ)と云う、Tavote(タヴォオテ)の短篇集を持って来た。先ず「ニヒト・ドホはなんと訳しましたら宜(よろ)しいのでしょう」と問われたには、大村は少からず辟易(へきえき)したと云うのである。これを話す時、大村は純一に、この独逸特有の語(ことば)を説明した。フランスのpoint du tout(ポアン ドュ ツウ)や、nenni-da(ナンニイ ダア)[#「a」は「`」付き]に稍(やや)似ていて、どこやら符合しない語(ことば)なのである。極めて平易に書いた、極めて浅薄な、廉価なる喝采(かっさい)を俗人の読者に求めているらしい。タヴォオテの、あの巻頭の短篇を読んで見れば、多少隔靴の憾(うらみ)はあるとしても、前後の文意で、ニヒト・ドホがまるで分からない筈は無い。それが分かっているとすれば、この語(ことば)の説明に必然伴って来る具体的の例が、どんなものだということも分かっていなくてはならない。実際少しでも独逸が読めるとすれば、その位な事は分かっている筈である。それが分かっていて、なんの下心もなく、こんな質問をすることが出来る程、茂子さんはinnocente(アンノサント)なのだろうか。それでは、篁村翁(こうそんおう)にでも言わせれば、余りに「紫の矢絣(やがすり)過ぎている」それであの人のいつも作るような、殆ど暴露的な歌が作られようか。今の十六の娘にそんなのがあろうか。それともと考え掛けて、大村はそれから先きを考えることを憚(はばか)ったと云うのである。
 茂子さんはそれきり来なくなった。大村が云うには、二人は素(も)と交互の好奇心から接近して見たのであるが、先方でもこっちでも、求むる所のものを得なかった。そこで恩もなく怨みもなく別れてしまった。勿論(もちろん)先方が近づいて来るにも遠ざかって行(ゆ)くにも、主動的にはなっていたが、こっちにも好奇心はあったから、あらわに動かなかった中(うち)に、迎合し誘導した責は免れないと、大村は笑いながら云った。
 大村がこう云って、詞を切ったとき、二人は往来から引っ込めて立てた門のある、世尊院の前を歩いていた。寒そうな振(ふり)もせずに、一群の子供が、門前の空地で、鬼ごっこをしている。
「一体どんな性質の女ですか」と、突然純一が問うた。
「そうさね。歌を見ると、情に任せて動いているようで、逢って見ると、なかなか駈引のある女だ」
「妙ですね。どんな内の娘ですか」
「僕が問いもせず、向うが話しもしなかったのだが、後(のち)になって外(ほか)から聞けば、母親は京橋辺に住まって、吉田流の按摩(あんま)の看板を出していると云うことだった」
「なんだか少し気味が悪いようじゃありませんか」
「さあ。僕もそれを聞いたときは、不思議なようにも思い、又君の云う通り、気味の悪いようにも思ったね。それからそう思ってあの女の挙動を、記憶の中から喚び起して見ると、年は十六でも、もうあの時に或る過去を有していたらしいのだね。やはりその身元の話をした男が云ったのだが、茂子さんは初め女医になるのだと云って、日本医学校に這入って、男生ばかりの間に交って、随意科の独逸語を習っていたそうだ。その後(のち)何度学校を換えたか知れない。女子の学校では、英語と仏語の外は教えていないからでもあろうが、医学を罷(や)めたと云ってからも、男ばかりの私立学校を数えて廻っている。或る官立学校で独逸語を教えている教師の下宿に毎日通って、その教師と一しょに歩いていたのを見られたこともある。妙な女だと、その男も云っていた。とにかくproblematique(プロブレマチック)[#一つ目の「e」は「´」付き]な所のある女だね」
 二人は肴町(さかなまち)の通りへ曲った。石屋の置場のある辺を通る時、大村が自分の下宿へ寄れと云って勧めたが、出発の用意は無いと云っても、手紙を二三本は是非書かなくてはならないと云うのを聞いて、純一は遠慮深くことわって、葬儀屋の角で袂を別った。
Au revoir(オオ ルヴォアアル)!」の一声(いっせい)を残して、狭い横町を大股(おおまた)に歩み去る大村を、純一は暫く見送って、夕(ゆうべ)の薄衣(うすぎぬ)に次第に包まれて行(ゆ)く街を、追分の方へ出た。点燈会社の人足が、踏台を片手に提げて駈足で摩(す)れ違った。

     二十二

 箱根湯本の柏屋という温泉宿の小座舗(こざしき)に、純一が独り顔を蹙(しか)めて据わっている。
 きょうは十二月三十一日なので、取引やら新年の設けやらの為めに、家(うち)のものは立ち騒いでいるが、客が少いから、純一のいる部屋へは、余り物音も聞えない。只早川の水の音がごうごうと鳴っているばかりである。伊藤公の書いた七絶(しちぜつ)の半折(はんせつ)を掛けた床の間の前に、革包(かばん)が開けてあって、その傍(そば)に仮綴のinoctavo(アノクタヴォ)版の洋書が二三冊、それから大版の横文(おうぶん)雑誌が一冊出して開いてある。縦にペエジを二つに割って印刷して、挿画(さしえ)がしてある。これはL'Illustration Theatrale(リルリュストラション テアトラアル)[#「Theatrale」の一つ目の「e」は「´」付き、一つ目の「a」は「^」付き]の来たのを、東京を立つ時、そのまま革包に入れて出たのである。
 ゆうべ東京を立って、今箱根に着いた。その足で浴室に行って、綺麗な湯を快く浴びては来たが、この旅行を敢(あえ)てした自分に対して、純一は頗(すこぶ)る不満足な感じを懐(いだ)いている。それが知らず識(し)らず顔色にあらわれているのである。
     *     *     *
 大村は近県旅行に立ってしまう。外に友達は無い。大都会の年の暮に、純一が寂しさに襲われたのも、無理は無いと云えば、それまでの事である。しかし純一はこれまで二日や三日人に物を言わずにいたって、本さえ読んでいれば、寂しいなんと云うことを思ったことはなかったのである。
 寂しさ。純一を駆って箱根に来させたのは、果して寂しさであろうか。Solitude(ソリチュウド)であろうか。そうではない。気の毒ながらそうではない。ニイチェの詞遣(ことばづかい)で言えば、純一はeinsam(アインザアム)なることを恐れたのではなくて、zweisam(ツヴァイザアム)ならんことを願ったのである。
 それも恋愛ゆえだと云うことが出来るなら、弁護にもなるだろう。純一は坂井夫人を愛しているのではない。純一を左右したものはなんだと、追窮して見れば、つまり動物的の策励だと云わなくてはなるまい。これはどうしたって庇護(ひご)をも文飾をも加える余地が無さそうだ。
 東京を立った三十日の朝、純一はなんとなく気が鬱してならないのを、曇った天気の所為(せい)に帰しておった。本を読んで見ても、どうも興味を感じない。午後から空が晴れて、障子に日が差して来たので、純一は気分が直るかと思ったが、予期とは反対に、心の底に潜んでいた不安の塊りが意識に上ぼって、それが急劇に増長して来て、反理性的の意志の叫声(さけびごえ)になって聞え始めた。その「箱根へ、箱根へ」と云う叫声に、純一は策(むち)うたれて起(た)ったに相違ない。
 純一は夕方になって、急に支度をし始めた。そこらにある物を掻(か)き集めて、国から持って出た革包に入れようとしたが、余り大きくて不便なように思われたので、風炉敷に包んだ。それから東京に出る時買って来た、駱駝(らくだ)の膝掛(ひざかけ)を出した。そして植長の婆あさんに、年礼に廻るのがうるさいから、箱根で新年をするのだと云って、車を雇わせた。実は東京にいたって、年礼に行(い)かなくてはならない家は一軒も無いのである。
 余り出し抜けなので、驚いて目を※(みは)っている婆あさんに送られて、純一は車に乗って新橋へ急がせた。年の暮で、夜も賑やかな銀座を通る時、ふと風炉敷包みの不体裁なのに気が附いて鞆屋(ともえや)に寄って小さい革包を買って、包(つつみ)をそのまま革包に押し込んだ。
 新橋で発車時間を調べて見ると、もう七時五十分発の列車が出た跡で、次は九時発の急行である。国府津(こうづ)に着くのは十時五十三分の筈であるから、どうしても、適当な時刻に箱根まで漕(こ)ぎ着けるわけには行(い)かない。儘(まま)よ。行(ゆ)き当りばったりだと、純一は思って、いよいよ九時発の列車に乗ることに極(き)めた。そして革包と膝掛とを駅夫に預けて、切符を買うことも頼んで置いて、二階の壺屋の出店に上がって行った。まだ東洋軒には代っていなかったのである。
 Buffet(ビュッフェエ)の前を通り抜けて、取り附きの室に這入って見れば、丁度夕食の時間が過ぎているので、一間(ひとま)は空虚である。壁に塗り込んだ、古風な煖炉に骸炭(コオクス)の火がきたない灰を被(かぶ)っていて、只電燈だけが景気好く附いている。純一は帽とインバネスとを壁の鉤(かぎ)に掛けて、ビュッフェエと壁一重を隔てている所に腰を掛けた。そして二品(ふたしな)ばかりの料理を誂(あつら)えて、申しわけに持って来させたビイルを、舐(な)めるようにちびちび飲んでいた。
 初音町の家を出るまで、苛立(いらだ)つようであった純一の心が、いよいよこれで汽車にさえ乗れば、箱根に行(い)かれるのだと思うと同時に、差していた汐(しお)の引くように、ずうと静まって来た。そしてこんな事を思った。平生自分は瀬戸なんぞの人柄の陋(いや)しいのを見て、何事につけても、彼と我との間には大した懸隔があると思っていた。就中(なかんずく)性欲に関する動作は、若し刹那(せつな)に動いて、偶然提供せられた受用を容(ゆる)すか斥(しりぞ)けるかと云うだけが、問題になっているのなら、それは恕(じょ)すべきである。最初から計画して、※(けが)れた行いをするとなると、余りに卑劣である。瀬戸なんぞは、悪所へ行く積りで家を出る。そんな事は自分は敢てしないと思っていた。それに今わざわざ箱根へ行(ゆ)く。これではいよいよ堕落して、瀬戸なんぞと同じようになるのではあるまいかとも思われる。この考えは、純一の為めに、頗るfierte(フィエルテエ)[#最後の「e」は「´」付き]を損ずるもののように感ぜられたのである。そこで純一の意識は無理な弁護を試みた。それは箱根へ行ったって、必ず坂井夫人との関係を継続するとは極まっていない。向うへ行った上で、まだどうでもなる。去就の自由はまだ保留せられていると云うのであった。
 こんな事を思っているうちに、給仕がham-eggs(ハム エッグス)か何か持って来たので、純一はそれを食っていると、一人の女が這入って来た。薄給の家庭教師ででもあろうかと思われる、痩(や)せた、醜い女である。竿(さお)のように真っ直な体附きをして、引き詰めた束髪の下に、細長い頸(くび)を露(あら)わしている。持って来た蝙蝠傘(こうもりがさ)を椅子に倚(よ)せ掛けて腰を掛けたのが丁度純一のいる所と対角線で結び附けられている隅の卓で、純一にはその幅の狭い背中が見える。※※(コオフィイ)creme(クレエム)[#一つ目の「e」は「`」付き]を誂えたが、クレエムが来たかと思うと、直ぐに代りを言い付けて、ぺろりと舐めてしまう。又代りを言い付ける。見る間に四皿舐めた。どうしても生涯に一度クレエムを食べたい程食べて見たいと思っていたとしか思われない。純一はなんとなく無気味なように感じて、食べているものの味が無くなった。謂(い)わばロオマ人の想像していたようなlemures(レムレス)の一人が、群を離れて這入って来たように感じたのである。これには仏教の方の餓鬼という想像も手伝っていたかも知れない。とにかく迷信の無い純一がどうした事かこの女を見て、旅行が不幸に終る前兆のように感じたのである。
 急行の出る九時が段段近づいて来ると共に、客がぽつぽつこの間(ま)に這入って来て、中には老人や子供の交った大勢の組もあるので、純一の写象はやっと陰気でなくなった。どこかの学校の制服を着た、十五六の少年が煖炉の火を掻き起して、「皆ここへお出(い)で」と云って、弟や妹を呼んでいる。誰(たれ)かが食事を誂える。誰かが誂えたものが来ないと云って、小言を言う。
 喧騒(けんそう)の中(うち)に時間が来て、誰彼(たれかれ)となくぽつぽつ席を立ち始めた。クレエムを食ったfemme omineuse(ファム オミニョオズ)もこの時棒立ちに立って、蝙蝠傘を体に添えるようにして持って、出て行(ゆ)く。純一の所へは、駅夫が切符を持って催促に来た。
 プラットフォオムはだいぶ雑※(ざっとう)していたが、純一の乗った二等室は、駅夫の世話にならずに、跡から這入って来た客さえ、坐席に困らない位であった。向側(むこうがわ)に細君を連れて腰を掛けている男が、「却(かえっ)て一等の方が籠(こ)んでいるよ」と、細君に話していた。
 汽車が動き出してから、純一は革包を開けて、風炉敷の中を捜して、本を一冊取り出した。青い鳥と同じ体裁の青表紙で、Henry Bernstein(アンリイ ベルンスタイン)のLe voleur(ル ヴォリヨオル)である。つまらない物と云うことは知っていながら、俗受けのする脚本の、ドラマらしいよりは寧(むし)ろ演劇らしい処を、参考に見て置こうと思って取り寄せて、そのまま読まずに置いたのであった。
 象牙(ぞうげ)の紙切り小刀(こがたな)で、初めの方を少し切って、表題や人物の書いてある処を飜(ひるがえ)して、第一幕の対話を読んでいる。気の利いた、軽い、唯骨折らずに、筋を運ばせて行(ゆ)くだけの対話だと云うことが、直ぐに分かる。退屈もしないが、興味をも感じない。
 二三ペエジ読むと、目が懈(だる)くなって来た。明りが悪いのに、黄いろを帯びた紙に、小さい活字で印刷してある、ファスケル版の本が、汽車の振動に連れて、目の前でちらちらしているのだから堪(た)まらない。大村が活動写真は目に毒だと云ったことなどを思い出す。お負(まけ)に隣席の商人らしい風をした男が、無遠慮に横から覗(のぞ)くのも気になる。
 読みさした処に、指を一本挟んで閉じた本を、膝の上に載せたまま、純一は暫く向いの窓に目を移している。汽車は品川にちょっと寄った切りで、ずんずん進行する。闇のうちを、折折どこかの燈火(ともしび)が、流星のように背後へ走る。忽(たちま)ち稍大きい明りが窓に迫って来て、車ははためきながら、或る小さい停車場(ば)を通り抜ける。
 純一の想像には、なんの動機もなく、ふいと故郷の事が浮かんだ。お祖母(ば)あ様の手紙は、定期刊行物のように極まって来る。書いてある事は、いつも同じである。故郷の「時」は平等に、同じ姿に流れて行(ゆ)く。こちらから御返事をするのは、遅速がある。書く手紙にも、長短がある。しかもそれが遅くなり勝ち、短くなり勝ちである。優しく、親切に書こうとは心掛けているが、いつでも紙に臨んでから、書くことのないのに当惑する。ぼんやりした、捕捉し難い本能のようなものの外には、お祖母あ様と自分とを結び附けている内生活というものが無い。しかしこれは手紙だからで、帰ってお目に掛ったら、お話をすることがないことはあるまいなどと思う。こう思うと、新年には一度帰れと、二度も続けて言って来ているのに、この汽車を国府津で降りるのが、なんだか済まない事のようで、純一は軽い良心の呵責を覚えた。
 隣の商人らしい男が新聞を読み出したのに促されて、純一は又脚本を明けて少し読む。女主人公Marie Louise(マリイ ルイイズ)の金をほしがる動機として、裁縫屋Paquin(パケン)の勘定の嵩(かさ)むことなぞが、官能欲を隠したり顕(あらわ)したりする、夫との対話の中(うち)に、そっと投げ入れてある。謀計と性欲との二つを綯(な)い交ぜにして、人を倦(う)ませないように筋を運ばせて行(ゆ)くのが、作者の唯一の手柄である。舞台に注ぐ目だけは、倦まないだろうと云うことが想像せられる。しかし読んでいる人の心は、何等の動揺をも受けない。つまりこれでは脚本と云うもののtheatral(テアトラル)[#一つ目の「e」は「´」付き。一つ目の「a」は「^」付き]な一面を、純粋に発展させたようなものだと思う。
 目がむず癢(がゆ)いようになると、本を閉じて外を見る。汽車の進行する向きが少し変って、風が烟(けむり)を横に吹き靡(なび)けるものと見えて、窓の外の闇を、火の子が彗星(すいせい)の尾のように背後へ飛んでいる。目が直ると、又本を読む。この脚本の先が読みたくなるのは、丁度探偵小説が跡を引くのと同じである。金を盗んだマリイ・ルイイズが探偵に見顕されそうになったとたんに、この女に懸想している青年Fernand(フェルナン)が罪を自分で引き受ける。憂悶(ゆうもん)の雲は忽ち無辜(むこ)の青年と、金を盗まれた両親との上に掩(おお)い掛かる。それを余所に見て、余りに気軽なマリイ・ルイイズは、閨(ねや)に入って夫に戯れ掛かる。陽に拒み、陰に促して、女は自分の寝支度を夫に手伝わせる。半ば呑(の)み半ば吐く対話と共に、女の身の皮は笋(たかんな)を剥ぐ如くに、一枚々々剥がれる。所詮東京の劇場などで演ぜられる場では無い。女の紙入れが出る。「お前は生涯己(おれ)の写真を持ち廻るのか」「ええ。生涯持ち廻ってよ」「ちょっと見たいな」「いじっちゃあ、いや」「なぜ」「どうしてもいや」「そう云われると見たくなるなあ」「直ぐ返すのなら」「返さなかったら、どうする」「生涯あなたに物を言わないわ」「ちと覚束(おぼつか)ないな」「わたし迷信があるの。それを見られると」「変だぞ。変だぞ。その熱心に隠すのが怪しい」「開けないで下さいよ」「開ける。間男の写真を拝見しなくては」こんな対話の末、紙入れは開かれる。大金(たいきん)が出る。蒸暑い恋の詞が、氷のように冷たい嫌疑の詞になる。純一は目の痛むのも忘れて、Bresil(ブレジル)[#「e」は「´」付き]へ遣(や)られる青年を気の毒がって、マリイ・ルイイズが白状する処まで、一息に読んでしまった。そして本を革包に投げ込んで、馬鹿にせられたような心持になっていた。
 間もなく汽車が国府津に着いた。純一はどこも不案内であるから、余り遅くならないうちに泊って、あすの朝箱根へ行(い)こうと思った。革包と膝掛とを自分に持って、ぶらりと停車場を出て見ると、図抜けて大きい松の向うに、静かな夜の海が横たわっている。
 宿屋はまだ皆開(あ)いていて、燈火(ともしび)の影に女中の立ち働いているのが見える。手近な一軒につと這入って、留めてくれと云った。甲斐々々(かいがい)しい支度をした、小綺麗な女中が、忙(いそが)しそうな足を留めて、玄関に立ちはたがって、純一を頭のてっぺんから足の爪尖(つまさき)まで見卸して、「どこも開(あ)いておりません、お気の毒様」と云ったきり、くるりと背中を向けて引っ込んでしまった。
 次の宿屋に行(ゆ)く。同じようにことわられる。三軒目も四軒目も同じ事である。インバネスを着て、革包と膝掛とを提げた体裁は、余り立派ではないに違いない。しかし宿屋で気味を悪がって留めない程不都合な身なりだと云うでもあるまい。一人旅の客を留めないとか云う話が、いつどこで聞いたともなく、ぼんやり記憶には残っているが、そんな事が相応に繁華な土地に、今あろうとは思われない。現に東京では、なんの故障もなく留めてくれたではないか。
 不思議だとは思うが、誰に問うて見ようもない。お伽話(とぎばなし)にある、魔女に姿を変えられた人のような気がしてならないのである。
 純一はとうとう巡査の派出所に行って、宿泊の世話をして貰いたいと云った。巡査は四十ばかりの、flegmatique(フレグマチック)な、寝惚(ねぼ)けたような、口数を利かない男で、純一が不平らしく宿屋に拒絶せられた話をするのを聞いても、当り前だとも不当だとも云わない。縁(ふち)の焦げた火鉢に、股火(またび)をして当っていたのが、不精らしく椅子を離れて、机の上に置いてあった角燈を持って、「そんならこっちへお出でなさい」と云って、先きに立った。
 巡査が純一を連れて行って立ち留まったのは、これまで純一が叩いたような、新築の宿屋と違って、壁も柱も煤(すす)で真っ黒に染まった家の門(かど)であった。もう締めてある戸を開けさせて、巡査が何か掛け合った。話は直ぐに纏(まと)まったらしい。中から頭を角刈にして、布子の下に湯帷子(ゆかた)を重ねて着た男が出て来て、純一を迎え入れた。巡査は角燈を光らせて帰って行った。
 純一は真っ黒な、狭い梯子(はしご)を踏んで、二階に上ぼった。上(のぼ)り口(ぐち)に手摩(てす)りが繞(めぐ)らしてある。二階は縁側のない、十五六畳敷の広間である。締め切ってある雨戸の外(ほか)には、建具が無い。角刈の男は、行燈(あんどん)の中に石油ランプを嵌(は)め込んだのを提げて案内して来て、それを古畳の上に置いて、純一の前に膝を衝(つ)いた。
「直ぐにお休みなさいますか。何か御用は」
 純一は唯とにかく屋根の下には這入られたと思っただけで、何を考える暇もなく、茫然としていたが、その屋根の下に這入られた喜(よろこび)を感ずると共に、報酬的に何か言い付けた方が好かろうと、問われた瞬間に思い付いた。
「何か肴(さかな)があるなら酒を一本附けて来ておくれ。飯は済んだのだ」
「煮肴がございます」
「それで好(い)い」
 角刈の男は、形ばかりの床の間の傍(そば)の押入れを開けた。この二階にも床の間だけはあるのである。そして布団と夜着と括(くく)り枕(まくら)とを出して、そこへ床を展(の)べて置いて、降りて行った。
 純一は衝っ立ったままで、暫(しばら)く床を眺めていた。座布団なんと云う贅沢品(ぜいたくひん)は、この家では出さないので、帽をそこへ抛(な)げたまま、まだ据わらずにいたのである。布団は縞が分からない程よごれている。枕に巻いてある白木綿も、油垢(あぶらあか)で鼠色に染まっている。
 純一はおそるおそる敷布団の上に据わって、時計を出して見た。もう殆ど十二時である。なんとも名状し難い不愉快が、若い、弾力に富んでいる心をさえ抑え附けようとする。このきたない家に泊るのが不愉快なのではない。境遇の懐子(ふところご)たる純一ではあるが、優柔なeffemine(エッフェミネエ)[#二つ目と三つ目の「e」は「´」付き]な人間にはなりたくないと、平生心掛けている。折々はことさらにSparta(スパルタ)風の生活をして見ようと思うこともある位である。しかしそれは自分の意志から出て、進んで困厄に就くのでなくては厭(いや)だ。他働的に、周囲から余儀なくせられて、窮屈な目に遭いたくはない。最初に旅宿をことわられてから、或る意地の悪い魔女の威力が自分の上に加わっているように、一歩一歩と不愉快な世界に陥って来たように思われる。それが厭でならない。
 角刈の男が火鉢を持って上がって来た。藍色(あいいろ)の、嫌に光る釉(くすり)の掛かった陶器の円火鉢である。跡から十四五の襷(たすき)を掛けた女の子が、誂えた酒肴(さけさかな)を持って来た。徳利一本、猪口(ちょく)一つに、腥(なまぐさ)そうな青肴(あおざかな)の切身が一皿添えてある。女の子はこの品々を載せた盆を枕許(まくらもと)に置いて、珍らしそうに純一の蹙(しか)めた顔を覗いて見て、黙って降りて行った。男は懐から帳面を出して、矢立の筆を手に持って、「お名前を」と云った。純一は東京の宿所と名前とを言ったが、純の字が分からないので、とうとう自分で書いて遣った。
 純一はどうして寝ようかと考えた。眠たくはないが、疲労と不愉快とで、頭の心(しん)が痛む。とにかく横にだけはなりたい。そこで袴(はかま)を脱いで、括り枕の上にそれを巻いた。それから駱駝の膝掛を二つに折って、その二枚の間に夜着の領(えり)の処を挟むようにして被せた。こうすれば顔や手だけは不潔な物に障らずに済む。
 純一は革包を枕許に持って来て置いた。それから徳利を攫(つか)んで、燗酒(かんざけ)を一口ぐいと飲んで、インバネスを着たまま、足袋を穿(は)いたまま、被せた膝掛のいざらないように、そっと夜着の領を持って、ごろりと寝た。暫くは顔がほてって来て、ひどく動悸(どうき)がするようであったが、いつかぐっすり寐(ね)てしまった。
 いくら寐たか分からない。何か物音がすると云うことを、夢現(ゆめうつつ)の間に覚えていた。それから話声が聞えた。しかも男と女の話声である。そう思うと同時に純一は目が覚めた。「お名前は」男の声である。それに女が返事をする。愛知県なんとか郡(ごおり)なんとか村何(なん)の何兵衛(なにべえ)の妹何(なに)と云っているのは、若い女の声である。男は降りて行った。
 知らぬ女と二人で、この二階に寝るのだと思うと、純一は不思議なような心持がした。しかし間の悪いのと、気の毒なのとで、その方を見ずに、じっとしていた。暫くして女が「もしもし」と云った。慥(たし)かに自分に言ったのである。想うに女の方では自分の熟睡していた処へ来て、目を醒(さ)ました様子から、わざと女の方を見ずにいる様子まで、すっかり見て知っているのらしい。純一はなんと云って好(い)いか分からないので、黙っていた。女はこう云った。
「あの東京へ参りますのですが、上りの一番は何時に出ますでしょうか」
 純一は強情に女の方を見ずに答えた。「そうですね。僕も知らないのですが、革包の中に旅行案内があるから、起きて見て上げましょうか」
 女は短い笑声(わらいごえ)を漏した。「いいえ。それでは宜(よろ)しゅうございます。どうせ起して貰うように頼んで置きましたから」
 こう云ったきり、女は黙ってしまった。純一はやはり強情に見ずにいる。女の寐附かれないらしい様子で、度々寝返りをする音が聞える。どんな女か見たいとも思ったが、今更見るのは弥(いよいよ)間が悪いので見ずにいる。そのうちに純一は又寐入った。
 朝になって純一が目を醒ました時には、女はもういなかった。こんな家(うち)で手水(ちょうず)を使う気にもなられないので、急いで勘定をして、この家を飛び出した。角刈の男が革包を持って附いて来そうにするのをもことわった。この家との縁故を、少しも早く絶ちたいように思ったのである。
 湯本の朝日橋まで三里の鉄道馬車に身を托して、靄(もや)をちぎって持て来るような朝風に、洗わずに出た顔を吹かせつつ、松林を穿(うが)ち、小田原の駅を貫いて進むうちに、悪夢に似た国府津の一夜を、純一の写象は繰り返して見て、同じ間に寝て、詞を交しながら、とうとう姿を見ずにしまった、不思議な女のあったのを、せめてもの記念だと思った。奉公に都へ出る、醜い女であったかも知れない。それはどうでも好(い)い。どんな女とも知らずに落ち合って、知らずに別れたのを面白く思ったのである。
 鉄道馬車を降りてから、純一はわざと坂井夫人のいる福住(ふくずみ)を避けて、この柏屋に泊った。国府津に懲りて拒絶せられはしないかと云う心配もあったが、余り歓迎しないだけで、小さい部屋を一つ貸してくれた。去就の自由がまだあるのなんのと、覚束ない分疏(いいわけ)をして見るものの、いかなる詭弁(きべん)的見解を以てしても、その自由の大(おおき)さが距離の反比例に加わるとは思われない。湯を浴びて来て、少し気分が直ったので、革包の中の本や雑誌を、あれかこれかと出しては見たが、どうも真面目に読み初めようと云う落着きを得られなかった。

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