十三時
THE DEVIL IN THE BELFRY
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe
森林太郎訳
オランダのスピイスブルク市が世界第一の立派な都会だと云ふことは、誰でも知つてゐる。併しもう遺憾ながら、世界第一の立派な都会だつたと云はなくてはならなくなつた。 あの市は本街道を離れて、謂はば非常な所にあるのだから、読者諸君のうちであそこへ往つたことのある人は少からう。あそこを知らない人に、あの特色のある所を想像させるために、少し精しく土地の事を話すことは無益ではあるまい。己はこなひだあの土地にあつた重大な災難の話をして、あそこの市民に対する同情を広く喚起したいと思つてゐるのだから、その話の前置として己の説明は一層役に立つ筈である。さて己の目的としてゐるその災難の事だが、その話をすると云ふ責任を己が負ふ以上は、必ず力の限を尽してそれを果たすだらうと云ふこと、正しい古文書を比較して、自己の良心を満足させるやうに細密に事実を考へて、苟も歴史家たる身分に負かないやうに、公平無私にその話をするだらうと云ふことには、恐らくは誰一人疑を挾むものはあるまい。 己は金石文字や古文書を精しく調べて、先づあのスピイスブルク市が始て興つた時、矢張現今の地点を占めてゐたもので、それから後少しも移動したものでないと云ふことを確言することが出来る。併しその創立がいつの事であつたかと云ふことは、己も遺憾ながら或る不定の断案を以て答へるより外無い。兎に角非常に遠隔した時代の事だから、我々が溯つて計算し得る時代の最大距離に於いて、あの市は創立せられたのだと丈は己が明言しても好からう。 そこでスピイスブルクと云ふ地名の起原だが、これも矢張遺憾ながら十分に説明することが出来ない。臆説は種々に立てられてゐる。中にはいかにも巧妙で、緻密で、博識の言らしいのがある。中には又それの反対だと思はれるのもある。併しその中でどれ一つ十分の根拠を有してゐると認めて好いものは無い。已むことなくんば、一説を挙げよう。それはドイツの学者リンド氏の説で、イギリスの学者ビイフ氏の説も略それと一致してゐる。それはかうである。スピイスは槍である。ブルクは城である。あの市で城らしい建物と云つては、議事堂が一棟しか無いが、その議事堂の塔に或る時雷が落ちた。その落ち工合が丁度上から槍で衝いたやうであつたことを思ふと、此語源説が愈尤らしく聞えて来る。併しこんな重大な問題にうかと断案を下して、跡で恥を掻きたくもないから、己はなんとも言はずに置かう。読者が若し此問題を深く研究しようと思ふなら、有名なオランダの大学教授ホオルコツプ氏のオラチウンクレエ・デ・レエブス・プレテリチスと云ふ本を見るが好からう。それから今一つ参考して好い本は、フアン・デル・ドムヘエト氏のデ・デレワチオニブスの二十七ペエジから五千零十ペエジ迄である。此本は大判の紙にゴチツクで印刷してあつて、骨子になつてゐる語には朱と墨とで標がしてある。丁附は無い。此本にはフアン・デル・ドムヘエト氏の高足弟子として聞えた支那の民間学者シユツンプジン氏の自筆の書入があるから、それも参考するが好い。又註脚に大学助教授ドヨオジヒ氏の言つてゐることは一顧に値する。 創立の時代も地名の起原も、こんなに不確実ではあるが、兎に角スピイスブルクは昔出来た日から今目撃する状況と少しも変つてゐなかつたと云ふことは明白である。市の故老に聞いて見ると、何一つ変つたと思ふことは無いさうだ。実際若しや変つた所がありはせぬかと云ふ問題でからが、それを口に出したら、あの土地の人は侮辱せられたやうに感ずるだらう。 市は正円形をなした谷の中央に位してゐる。谷の周囲は一哩の四分の一位である。四方には景色の好い丘陵がある。市に住んでゐる人に、誰一人敢て丘陵の巓に登つたものが無い。さう云ふ堅固な土着的観念が何に本づいてゐるかと云ふと、実に尤千万な理由がある。丘陵より先きに何物かが有るだらうと云ふことは、到底信ぜられないからだと云ふのである。 谷は総て平坦で、全面に平たい瓦が敷き詰めてある。此平地の外囲に円形をなして六十軒の家が立ててある。それだから家は皆丘陵を負うて、平地の中央に臨んでゐる。その中央の地点までの距離は、どの家の戸口から測つても六十呎ある。どの家の前にも円形に道を附けた、小い菜園がある。そこに円い日時計が据ゑ附けてある。そして円いキヤベツが二十四本植ゑてある。家と家とは飽く迄似てゐて、何一つ相違してゐる点が無い。建築の様式は少し異様だが、併し画の様な面白みがある。堅く焼いた、小さい、赤い煉瓦の縁の黒いので建ててあるから、壁が丁度大きな象棋盤のやうに見える。家の正面には搏風がある。屋根と表口の上とに、簷と庇とが出てゐるが、その広さが丁度家全体の広さ程ある。小さい、奥深い窓が細い格子で為切つてあつて、中には締め切つてあるのも見える。屋根に葺いてある瓦には長い、反ね返つた耳が出てゐる。家に使つてある材木は皆暗い色をしてゐて、それに一様な彫刻がしてある。それは古来スピイスブルクの彫刻師が、時計とキヤベツとの二つしか彫刻しないからである。併しその二つは上手に彫る。どこでも材木の面が明いてゐれば、すぐにそこへ彫り附ける。 家は外面が似てゐる様に、内部も似てゐる。道具は皆同じ雛形に依つて拵へたものである。床は四角な煉瓦を敷き詰めてある。卓や椅子は黒ずんだ木で拵へて、捩れた脚の下の方が細くしてある。壁に塗り籠めた大きい、丈の高い炉には時計とキヤベツとが彫つてある。炉の上の棚には、真ん中に本当の時計が一つ据ゑてあつて、それが断えず感心な好い音をさせてゐる。棚の両端には植木鉢が一つ宛置いてあつて、それにはキヤベツが生えてゐる。それからその時計と植木鉢との間には、きつと支那人の人形が一つ宛立つてゐる。ふくらんだ腹の真ん中に穴があつて、それを覗いて見ると、中には懐中時計の表面が見えてゐる。炉の火床は幅が広くて深い。それに恐ろしい五徳のやうな物が据ゑてある。そしてその上に壁に切り込んだ龕のやうな所から大きな鍋が吊り下げてあつて、中には一ぱい麦酒樽漬にしたキヤベツと豚の肉とが入れてある。 鍋にはお神さんが気を附けてゐる。お神さんは頬の赤い、目の青いをばさんで、あのカンヂスと云ふ白砂糖の包紙のやうな円錐形の大帽子を被つてゐる。帽子からは紫と黄色とに染めた紐が下がつてゐる。着物は橙のやうに黄いろい色の毛織で、背後がふくらんで丈が詰まつてゐる。全体此着物はひどく短い。脚の中程までしか届かない。脚は円つこい。踝も同断である。その脚には綺麗な草色の沓足袋を穿いてゐる。沓は桃色の鞣革で、それが黄いろい紐で締めてある。その締めた結玉がキヤベツの形になつてゐる。お神さんは左の手に小さい、重みのある懐中時計を持つて、右の手には大きい杓子を持つてゐる。その杓子で鍋の中のキヤベツと豚の肉とを掻き廻すのである。お神さんの傍には斑の猫の太つたのがゐる。その尻つぽには子供がいたづらに金めつきの懐中時計を括り付けたので、猫はそれを引き摩つてゐる。 子供が今例にして話してゐる家には三人ゐる。それが三人とも前の菜園で豚の番をしてゐる。三人とも丈は二呎で頭に三角帽子を被つてゐる。赤いチヨツキが太股の辺まで垂れてゐる。ずぼんは膝切りで、ブツクスキンと云ふ毛織で拵へてある。沓足袋は赤い毛糸で編んである。重さうな沓には大きい銀の金物が付いてゐる。上着は長くて、それに大きい貝殻ぼたんが付けてある。皆煙管を口に銜へて、右の手には胴を円くふくらませた懐中時計を持つてゐる。口から煙を吹いては時計を見、時計を見ては煙を吹く。それをいつまでも繰り返してゐるのである。豚は皆ひどく太つてゐて、不精である。キヤベツの葉の枯れて落ちたのを拾つて食つてゐる。矢張猫と同じやうに尻つぽには懐中時計が括り付けてあるので、折々後足でそれを蹴ることがある。 家の戸口の右の方には、倚り掛かりの高い腕附の椅子がある。鞣革で張つた椅子で、脚は卓と同じやうに捩れて下の方が細くなつてゐる。その椅子に腰を掛けてゐるのが主人である。頬つぺたの非常にふくらんだ爺いさんで、目は真ん円で、大きい腮が二重になつてゐる。着物は子供のと全く同じ事だから、改めて説明しなくても好からう。只爺いさんの子供と違ふ所は、口に銜へてゐる煙管が少し大きいから、口から煙を余計に吹き出すことが出来る丈である。爺いさんも矢張懐中時計を持つてゐるが、それを隠しに入れてゐる丈が違つてゐる。これは別に大切な用事があるので、時計ばかり見てはゐられないのである。その用事がなんだと云ふことは直ぐに説明するから、待つてゐて貰ひたい。爺いさんはぢつとして据わつて、左の膝の上に右の膝を載せてゐる。そして真面目な顔をして、少くも片々の目で虚空の或る一点を睨んでゐる。その一点は議事堂の塔の上である。 議事堂には市の評議員達がゐる。皆円く太つた、賢い小男達で、車輪のやうな目をして、大きい二重の腮を持つてゐる。上着は並の市民の着てゐるのより長い。沓の金物も市民のより太い。己がこの市に来て住むことになつてから、評議員達は二度特別会議を開いて、左の重大な決議をした。 第一条。何事に依らず古来定まりたる事を変更すべからず。 第二条。本市以外には一切取るに足る事なしと認む。 第三条。市民は先祖伝来の時計及キヤベツを忘却すべからず。 議事堂の会議室の上が塔になつてゐる。塔の中には市の創立以来大時計が据ゑ付けてある。これが市の誇りで、同時に市の奇蹟である。家の戸口に据わつてゐる爺いさんの睨んでゐるのはこの時計である。
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