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駆落(かけおち)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-6 18:03:12 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「何もかも知られてしまひましたの。だからこの手紙は、わたくし泣ながら書きます。お父う様はわたくしを打ちました。わたくしどうしようかと思ひますわ。もうとても外へ一人でなんか出しません。あなたの仰やつた通りだと思ひます。御一しよに逃げませうね。アメリカへでも好いし、その外どこでも、あなたのお好きな所へ参りますわ。わたくしあすの朝六時に停車場ステエシヨンに参つてゐます。六時に出る汽車がございます。いつもお父う様がそれに乗つて猟に行きますから知つてゐます。どこへ行くのが宜しいか、それはわたくしには分りません。誰か参るやうですから、もう書かれません。わたくしきつと待つてゐてよ。六時ですよ。どうしてもあなたとは死ぬまで別れません。アンナより。わたくし誰か参るかと思つたら、参りませんでしたの。あなたどこへ入らつしやるお積りなの。お金はあつて。わたくし貯金は八円しかなくつてよ。この手紙は、内の女中に持たせてあなたのお内の女中に渡させます。わたくしもうちつともこはくなんかなくつてよ。あなたのお内のマリイをばさんが饒舌つたらしいのよ。やつぱり日曜にあの人に見られたのね。」
 少年は手紙を読んでしまつてから、大股に室内を歩き出した。なんだか今までの苦痛が無くなつたやうな心持がする。動悸が烈しい。兎に角一人前の男になつたといふ感じがある。アンナが己に保護を頼むのだ。己は女を保護する地位に立つのだ。保護して遣れば、あの女は己の物になるのだと思ふと、ひどく嬉しい。血が頭に昇つて来る。そこで椅子に腰を掛けた。その時、どこへ行つたら好からうと云ふ問題が始めて浮んだ。
 この問題の解決は中々付かない。そこでそれをぼかす為めに、跳り上がつて支度をし始めた。
 少しばかりのシヤツや衣類を纏めて、それから溜めて置いた紙幣を黒革の紙入れに捻ぢ込んだ。それから忙しげに、なんの必要もない抽斗ひきだしなぞを開け放して、品物を取り出しては、又元の位置に戻したり何かした。机の上にあつた筆記帳は部屋の隅へ投げた。「己はもう出て行くからこんな所に用は無い」と、壁に向つて息張いばつてゐると云ふ風である。
 夜中過ぎに寝台ねだいの縁に腰を掛けた。眠らうとは思はない。余り屈んだり立つたりしたので、背中が痛いから、服を着た儘で、少し横になつてゐようと思つたのである。
 横になつてから、又どこへ行かうかと考へた。そして声を出して云つた。「なに。真の恋愛をしてゐる以上はどうでもなる。」
 時計がこち/\と鳴つてゐる。窓の下の往来を馬車が通つて、窓硝子に響く。時計は十二時まで打つて草臥くたびれてゐると見えて、不性らしく一時を打つた。それ以上は打つ事が出来ないのである。
 少年はその音を遠くに聞くやうな心持で、又さつきの「真の恋愛をしてゐる以上は」と云ふ詞を口の内で繰り返した。
 その内夜が明け掛つた。
 フリツツは床の上で寒けがして、「己はもうアンナは厭になつた」と思つてゐる。なんだか頭がひどく重い。「兎に角アンナは厭だ。あれが真面目だらうか。二つ三つ背中をたれたからと云つて、逃げ出すなんて。それにどこへ行くといふのだらう。」それからアンナが自分に行く先を話した事でもあるやうに、その土地を思ひ出さうとして見た。「どうも分からない。それに己はどうだ。何もかも棄てゝしまはなくてはならなくなる。両親も棄てる。何もかも棄てる。そして未来はどうなるのだ。馬鹿げ切つてゐる。アンナ奴。ひどい女だ。そんな事を言ふなら、打つて遣つても好い。本当にそんな事を言ふなら。」
 五月の朝の日が晴やかに、明るく部屋に差し込んで来た。その時フリツツは「どうもアンナだつて真面目に考へて、あんな手紙を書いたのではあるまい」と思つた。それと同時に、少し気が落ち着いて来て、この儘も少し寝てゐたいと思つた。併し又一転して考へて見ると、やはり停車場ステエシヨンへ行つた方が好いやうに思はれる。行つて、あいつの来ないのを見て遣らうと思ふのである。時間が来ても娘が来なかつたら、どんなにか嬉しからうと思つて見るのである。
 まだ薄ら寒い朝の町を、疲れて膝のがく/\するやうな足を引きつて、停車場へ出掛けた。
 停車場の広場は空虚である。なんだか気味の悪いやうな、まだ希望の繋がれてゐるやうな心持をしながら、フリツツはあたりを見廻した。
 茶色のジヤケツはどこにも見えない。
 フリツツはほつと息をした。それから廊下や待合室を駆け廻つて捜した。旅客が寝ぼけた顔をして、何事にも無頓着な様子で歩き廻つてゐる。赤帽が柱の周囲まはりに、不性らしく立つてゐる。埃だらけのベンチの上に、包みや籠を置いて、それに倚り掛つて、不機嫌らしい顔をしてゐる下等社会の男女もある。
 茶色のジヤケツはどこにも見えない。
 駅夫がどこかの待合室を覗いて、なんとか地名を呼んだ。そしてがらん/\と、けたゝましくベルを振つた。それから同じ地名を、近い所で呼んだ。それから又プラツトフオオムへ出て、もう一度同じ地名を呼んだ。厭な鐸の音が反復して聞える。
 フリツツはくびすめぐらして、ポツケツトに両手を入れた儘、ぶら/\広場へ戻つて来た。心中非常に満足して、凱歌を奏するやうに、「茶色のジヤケツはどこにも見えない」と思つて見た。「来ないには極まつてゐる。己には前から分かつてゐた。」
 なんだかひどく気楽な心持になつて、或る柱の背後うしろへ歩み寄つた。一体午前六時の汽車といふのはどこへ行くのか見ようと思つたのである。そして器械的に種々な駅の名を読んで、自分がたつた今ころばうとした梯子段を、可笑しがつて見てゐる人のやうな顔をしてゐた。
 その時床の石畳みの上を急ぎ足で来る靴の音がした。
 フリツツがふいとその方角を見ると、茶色のジヤケツを着た、小さい姿が、プラツトフオオムの戸の向うへ隠れるのが見えた。帽子の上にゆらめいてゐる薔薇の花も見えたのである。
 フリツツはぢつとそれを見送つてゐた。その時少年の心に、この人生をおもちやにしようとしてゐる、色の蒼い弱々しい小娘に対する恐怖が、圧迫するやうに生じて来た。そして娘が跡へ引き返して来て、自分を見附けて、知らぬ世界へ引き摩つて行くのだらうとでも思つたらしく、フリツツは慌てゝ停車場を駆け出して、跡をも見ずに町の方へ帰つて行つた。





底本:「鴎外選集 第14巻」岩波書店
   1979(昭和54)年12月19日第1刷発行
初出:「女子文壇 八ノ一」
   1912(明治45)年1月1日
原題:Die Flucht.
原作者:Rainer Maria Rilke, 1875-1926
翻訳原本:R. M. Rilke: Am Leben hin.(Novellen und Skizzen.)Stuttgart, Verlag von Adolf Bonz. 1898.
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2000年5月5日公開
2006年4月26日修正
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