「法服を新しくなさい」 僧都はこう言って、御所からの賜わり物の綾とかうすものとかを贈った。 「私の生きています間は、あなたに十分尽くします。何も心配することはありません。無常の世に生まれて人間の言う栄華にまとわれていては、これを自身のためにも人のためにも快く捨てることができなくなるものです。この寂しい林の中にお勤めの生活をしていては、何に恨めしさの起こることがありますか、何を恥ずかしく思うことをしますか、人間の命のある間は木の葉の薄さほどのものですよ」 こう説き聞かせて、「松門暁到月徘徊」(柏城尽日風蕭瑟)と僧であるが文学的の素養の豊かな人は添えて聞かせてもくれた。唐の詩で陵園を守る後宮人を歌ったものである。かねて願っていたようなよい師であると思って姫君は感激していた。 ある日風がひねもす吹きやまず、寂しい音が立っていたから、心細くなっている時に、来ていた僧の一人が、 「山伏というものはこんな日にこそ声を出して泣きたくなるものだ」 と言っているのを聞き、姫君は自分ももう山伏になったのである、だから涙がとまらないのであろうと思いながら、縁側に近い所へ出て外を見ると、軒の向こうの山路をいろいろの狩衣を着て通るのが見えた。叡山へ上がる人もこの道を通るのはまれであって、黒谷という所から歩いて行く僧の影を時々見ることがあるだけだったのに、普通の服装の人を見いだしたのは珍しく思われたのであったが、それは失恋した中将であった。もうかいのないこととしても、自分の心を告げておきたいと思って来たのであるが、紅葉の美しく染まって他の所よりもきれいにいろいろと混じって立った庭であったから、門をはいるとすぐにもう行く秋の身にしむことを中将は感じた。この風雅な場所に住む美しい人を恋人にしていたならば興味の多いことであろうなどと思った。 「少し閑散になりまして、退屈なものですから、こちらの紅葉も見ごろになっていようと思って出かけて来ました。いつもここはいい所ですね。なつかしい一夜の宿が借りたくなる所です」 こう言って中将は庭をながめていた。感じやすい涙を持った尼君はもう泣いていた。
木がらしの吹きにし山の麓には立ち隠るべき蔭だにぞなき
と言うと、
待つ人もあらじと思ふ山里の梢を見つつなほぞ過ぎうき
と中将は返しをした。尼になった人のことをまだあきらめきれぬように言い、 「お変わりになった姿を少しだけのぞかせてください」 と少将の尼に求めた。それだけのことでも約束してくれた義務としてしなければならぬと責められて、少将が姫君の室へはいってみると、人に見せないのは惜しいような美しい恰好で浮舟の姫君はいるのであった。淡鈍色の綾を着て、中に萱草色という透明な明るさのある色を着た、小柄な姿が美しく、近代的な容貌を持ち、髪の裾には五重の扇を拡げたようなはなやかさがあった。濃厚に化粧をした顔のように素顔も見えてほの赤くにおわしいのである。仏勤めはするのであるがまだ数珠は近い几帳の棹に掛けられてあって、経を読んでいる様子は絵にも描きたいばかりの姫君であった。少将は自身でも見るたびに涙のとどめがたい姫君の姿を、恋する男の目にはどう映るであろうと思い、よいおりでもあったのか襖子の鍵穴を中将に教えて目の邪魔になる几帳などは横へ引いておいた。これほどの美貌の人とは想像もしなかった、自分の理想に合致した麗人であったものをと思うと、尼にさせてしまったことが自身の過失であったように残念にくちおしく思われる心を、これをよくおさえることができなくっては、静かにすべき隙見に激情のままの身じろぎの音もたててしまうかもしれぬと気づいて立ち退いた。こんな美女を失った人が捜さずに済ませる法があろうか、まただれそれ、だれの娘の行くえが知れぬとか、または人を怨んで尼になったとか自然噂にはなるものであるがと返す返すいぶかしく思われた。尼になってもこんな美しい人は決して愛人にして悪感の起こるものではあるまい、かえって心が強く惹かれることになるであろう、極秘裡にやはりあの人を自分のものにしようと、こんなことを心にきめた中将は、こちらの尼君の座敷に来て、気を入れて話をしていた。 「俗の人でおいでになった間は、私と御交際くださるにもいろいろさしさわりがあったでしょうが、落飾されたあとでは気楽につきあっていただける気がします。そんなふうにあなたからもお話しになっておいてください。昔のことが忘られないために、こんなふうに御訪問をしていますが、またもう一つ友情というものを持ち合う相手がふえれば幸福になりうるでしょう」 などと言った。 「将来がどうなるかと心細く、気がかりでなりませんのに、厚い御友情でお世話をくださる方があるのはうれしいことでございます。亡くなりましたあとのこともそう承って安心されます」 と言って尼君は泣くのであった。こんな様子を見せるのはよほど濃い尼君の血族に違いないがだれであろうと中将はなおいぶかしがった。 「将来のお世話は命も不定のものですし、私も生き抜く自信の少ないものですが、そうお話を承った以上は決して忘れることはありません。あの方に縁のある方が実際この世におられないのでしょうか、そんなことがまだ少し不安で、それは障りになることでもありませんが、隔ての一つ残されている気はします」 「普通の形でおいでになれば、いつまたそんな人が来られるかもしれませんが、もう現世の縁を絶った身の上になっておられる以上は私も安心しておられます。自身の気持ちもそう見えますからね」 こんなふうに話し合った。中将は姫君のほうへも次の歌を書いて送るのであった。
おほかたの世をそむきける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ
誠意をもって将来までも力になろうと言っていることなども尼君は伝えた。 「兄弟だと思っておいでなさいよ。人生のはかなさなどを話し合ってみれば慰みになるでしょう」 「見識のある方のお話などを伺っても、私にはよく理解できないのが残念でございます」 とだけ言っても、世を厭うように人を厭うたという言葉について浮舟は何も答えなかった。思いのほかな過失をしてしまった過去を思うと自分ながらうとましい身である、何ともものを感じることのない朽ち木のようになって人から無視されて一生を終えようと、姫君はこの精神を通そうとしていた。そうした気持ちから、今までは憂鬱から自己を解放することのできなかった人であるが、近ごろは少し晴れ晴れしくなって、尼君と遊び事をしたり、碁を打ったりして暮らすこともある。仏勤めもよくして法華経はもとより他の経なども多く読んだ。 雪が深く降り積んで、出入りする人影も皆無になったころは寂しさのきわまりなさを姫君は覚えた。 年が明けた。しかし小野の山蔭には春のきざしらしいものは何も見ることができない。すっかり凍った流れから音の響きがないのさえ心細くて、「君にぞ惑ふ道に惑はず」とお言いになった人はすべての禍根を作った方であると、もう愛は覚えずなっているのであるが、そのおりの光景だけはなつかしく目に描かれた。
かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき
などと書いたりする手習いは仏勤めの合い間に今もしていた。自分のいなくなった春から次の春に移ったことで、自分を思い出している人もあろうなどと去年の思い出されることが多かった。そまつな籠に若菜を盛って人が持参したのを見て、
山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生ひさきの頼まるるかな
という歌を添えて姫君の所へ尼君は持たせてよこした。
雪深き野べの若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき
と書いて来た返しを見て、実感であろうと哀れに思うのであった。尼姫君などでなく、宝とも花とも見て大事にしたかった人であるのにと真心から尼君は悲しがって泣いた。 寝室の縁に近い紅梅の色の香も昔の花に変わらぬ木を、ことさら姫君が愛しているのは「春や昔の」(春ならぬわが身一つはもとの身にして)と忍ばれることがあるからであろう。御仏に後夜の勤行の閼伽の花を供える時、下級の尼の年若なのを呼んで、この紅梅の枝を折らせると、恨みを言うように花がこぼれ、香もこの時に強く立った。
袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの
姫君のその時の作である。 大尼君の孫で紀伊守になっている人がこのころ上京していて訪ねて来た。三十くらいできれいな風采をし思い上がった顔つきをしていた。大尼君の所で去年のこととか、一昨年のこととかを訊こうとしているのであったが、ぼけてしまったふうであったから、そこを辞して叔母の尼君の所へ来た。 「非常に老いぼれておしまいになりましたね。気の毒ですね。御老体のお世話をすることもできずに遠い国で年を送っていますのは相済まぬことだと思っているのですよ。両親のいなくなりましてからは、お祖母さんだけがその代わりのたいせつな方だと思って来たのですがね。常陸夫人からはたよりがまいりますか」 と言うのはこの人の女の兄弟のことらしい。 「歳月がたつにしたがって周囲が寂しくなりますよ。常陸は久しく手紙をよこしませんよ。上京するまでお祖母様がいらっしゃるかどうかあぶないようでもあるのですよ」 浮舟の姫君は自身の親と同じ名の呼ばれていることにわけもなく耳がとまるのであったが、また客が、 「京へ出てまいってもすぐに伺えませんでした。地方官としてこちらでする仕事がたくさんでめんどうなことも中にはあるのです。それに昨日こそは伺おうと思っていたのですが、それも右大将さんの宇治へおいでになったお供に行ってしまいましてね。以前の八の宮の住んでおいでになった所に終日おいでになったのですよ。宮の姫君の所へ通っておられたのですが、最初の方は前にお亡くしになって、そのお妹さんをまたそこへ隠すように住ませて通っておいでになったのですが、去年の春またお亡くなりになったのです。一周忌の仏事をされることになっていまして、宇治の寺の律師をお呼び寄せになって、その日の指図をしておいでになりましてね。私もその方に供える女の装束一そろいの調製を命ぜられましたが、あなたの手でこしらえてくださらないでしょうか。織らすものは急いで織り屋へ命じることにしますから」 こう言うのを姫君が聞いていて身にしまぬわけもない、人に不審を起こさせまいと奥のほうに向いていた。尼君が、 「あの聖の宮様の姫君は二人と聞いていましたがね、兵部卿の宮の奥様はどうなの、そのお一人でしょう」 と問うた。 「大将さんのあとのほうの御愛人は八の宮の庶子でいらっしゃったのでしょう。正当な奥様という待遇はしておいでにならなかったのですが、今では非常に悲しがっておいでになります。初めの方にお別れになった時もたいへんで、もう少しで出家もされるところでした」 こんなことも語っている。大将の家来の一人であるらしいと思うと、さすがに恐ろしく思われる姫君であった。 「しかもお二人とも同じ宇治でお亡くしになったのですから不思議ですね。昨日もお気の毒なことでした。川に近い所で水をおのぞきになって非常にお泣きになりましたよ、家へお上がりになって柱へお書きになった歌は、
見し人は影もとまらぬ水の上に落ち添ふ涙いとどせきあへず
というのでした。口にはあまりお出しにならない方ですが、御様子でお悲しいことがよくうかがえるのです。女だったらどんなに心が惹かれるかしれない方だと思われました。私は少年時代から優雅な方だと心に沁んで思われた方ですからね、現代の第一の権家はどこであっても、私はそのほうへ行きたくありませんで、大将の御庇護にあずかるのを幸福に感じて今日まで来ました」 この話を聞いていて、高い見識を備えたというのでもないこうした人さえ薫のすぐれたところは見知っているのであると浮舟は思った。 「それでも、光源氏と初めはお言われになったお父様の六条院の御容姿にはかなうまいと思うがねえ。まあ何にもせよ現在の世の中でほめたたえられる方というのは六条院の御子孫に限られてますね。まず左大臣」 「そうです。御容貌がりっぱでおきれいで、いかにも重臣らしい貫禄がおありになりますよ。兵部卿の宮は御美貌の点では最優秀な方だと思えますね。女だったら私もあの方の女房になる望みを持つことでしょう」 などと今の世間を多く知らぬ叔母を教えようとするように紀伊守は言い続けた。浮舟の姫君はおかしくも聞き、身にしむ節のあるのも覚え、語られた貴人たちも仮作の人物のような気がし、しまいには自身までも小説の中の一人ではないかと思われるのであった。宇治の話によって大将が今も自分の死をいたんでいることを知り、悲しみのわく心にはまた、まして母はどれほど思い乱れていることであろうと推理して想像することもできたが、かえって哀れな尼になっている自分の姿を見せては悲しみを増させることとなろうと思った。 紀伊守から頼まれた女装束に使う材料を尼君が手もとで染めさせたりなどしているのを見ては不思議なことにあうように浮舟は思われるのであるが、自身がその人であったなどとは言いだせなかった。 裁縫をしていた女房の一人が、 「これはいかがでございますか。あなた様はきれいに端がお縒れになりますから」 と言って小袿につける単衣の生地を持って来た時、悲しいような気になった姫君は、気分が悪いからと言って手にも触れずに横になってしまった。尼君は急ぎの仕事も打ちやって、どんなふうに身体が悪くなったのかと心配してそばへ寄って来た。紅い単衣の生地の上に、桜色の厚織物を仮に重ねて見せ、 「姫君にはこんなのをお着せしたいのに、情けない墨染めの姿におなりになって」 と言う女房があった。
あま衣変はれる身にやありし世のかたみの袖をかけて忍ばん
と浮舟の姫君は書き、行くえの知れぬことになって人々を悲しませた自分の噂はいつか伝わって来ることであろうから、真実のことを尼君のさとる日になって、憎いほどにも隠し続けたと自分を思うかもしれぬと知った心から、 「昔のことは皆忘れていましたけれども、こうしたお仕立て物などをなさいますのを見ますとなんだか悲しい気になるのですよ」 とおおように尼君へ言った。 「どんなになっておいでになっても、昔のことはいろいろ恋しくお思い出しになるに違いないのに、今になってもそうした話を聞かせてくださらないのが恨めしくてなりませんよ。この家ではこんな普通の衣服の色の取り合わせをしたりすることが長くなかったのですから、品のないものにしかでき上がらないでね、死んだ人が生きておればと、そんなことを思い出していますが、あなたにもそうしてお世話をなさいました方がいらっしゃるのですか。私のように死なせてしまった娘さえも、どんな所へ行っているのだろう、どの世界というだけでも聞きたいとばかし思われるのですからね、御両親は行くえのわからなくなったあなたをどんなに恋しく思っておいでになるかしれませんね」 「あの時まで両親の一人だけはおりました。あれからのち死んでしまったかもしれません」 こう言ううちに涙の落ちてくるのを紛らして、浮舟は、 「思い出しましてはかえって苦しくばかりなるものですから、お話ができなかったのでございますよ。少しの隔て心もあなたにお持ちしておりません」 と簡単に言うのであった。 薫は一周忌の仏事を営み、はかない結末になったものであると浮舟を悲しんだ。あの常陸守の子で仕官していたのは蔵人にしてやり、自身の右近衛府の将監をも兼ねさせてやった。まだ童形でいる者の中できれいな顔の子を手もとへ使おうと思っていた。 雨が降りなどしてしんみりとした夜に大将は中宮の御殿へまいった。お居間にあまり人のいない時で、親しくお話ができるのであった。 「ずっと引っ込みました山里に、以前から愛していた人を置いてございましたのを、人から何かと言われましたが、前生の因縁でこの人が好きになったのだ、だれも心の惹かれる相手というものはそうした約束事になっているのだからと、非難を恐れもしませんでしたが、亡くしてしまいまして、これも悲しい名のついた所のせいであろうと、土地に好意が持たれなくなりましてからは久しく出かけることもいたしませんでしたが、ひさびさ先日ほかの用もあってまいりまして、この家は人生のはかなさをいろいろにして私へ思い知らせ、仏道へ深く私を導こうとされる聖が私のためにことさらこしらえておかれた場所であったと気がついて帰りました」 薫のこの言葉から中宮は僧都の話をお思い出しになり、かわいそうに思召して、 「そのお家には目に見えぬこわいものが住んでいるのではありませんか。どんなふうでその方は亡くなりましたか」 とお尋ねになったのを、二人までも恋人の死んだことを知っておいでになって、幽鬼のせいと思召してのお言葉であろうと大将は解釈した。 「そんなこともございましょう。そうした人けのまれな所には必ず悪いものが来て住みつきますから。それに亡くなりようも普通ではございませんでした」 薫はくわしく申し上げることはしなかった。こうして隠そうとしている話に触れてゆくのはよろしくないし、事実を自分に知られたと思うのはいたましいと思召されて、兵部卿の宮が憂悶しておいでになり、そのころ病気にもおなりになったこともお思いになっては、宮の心情も哀れにお思われになり、いずれにしても口の出されぬ人のことであるとして、話そうとあそばしたこともおやめになった。中宮は小宰相にそっと、 「大将があの人のことを今も恋しいふうに話したからかわいそうで、私はあの話をしてしまうところだったけれど、確かにそれときめても言えないことでもあったから、気がひけて言うことができなかった。あなたは僧都にいろいろ質問もして聞いていたのだから、恥に感じさせるようなことは言わずに、こんなことがあったとほかの話のついでに僧都の言ったことを話してあげなさいね」 とお言いになった。 「宮様でさえお言いにくく思召すことを他人の私がそれをお話し申し上げますことは」 小宰相はこう申すのであったが、 「それはまたそれでいいのよ。私にはまた気の毒で言いにくいわけもあってね」 これは兵部卿の宮がかかわりを持っておいでになるために仰せられるのであろうと小宰相はさとった。 小宰相の部屋へ寄って、世間話などをする薫に、その人は僧都の話を告げた。意外千万な、珍しい話を聞いて驚かぬはずはない。中宮が宇治の家のことをお尋ねになったのも、この話をしようとあそばすお心だったらしい。なぜ御自身で語ってくださらなかったのであろうと思われて恨めしかったが、自身もあの人の死の真相を初めから聞かされなかったために、知ってからも疑いが解けないで人に自殺したなどとは言わなかった。かえって他へは真実のことが洩れているのであろう、当事者どうしで秘密にしようと努めることも知れてしまわない世の中ではないのであるからと思い続け、小宰相にも自殺する目的のあった人だったとは言いだすことにまだ口重い気がして薫はならない。 「まだ今日さえ不審の晴れない人のことに似た話ですね。それで、その人はまだ生きていますか」 と言うと、 「あの僧都が山から出ました日に尼になすったそうです。重くわずらっています間にも、人が皆惜しんで尼にはさせなかったのでありましたが、その人自身がぜひそうなりたいと言ってなってしまったと僧都はお言いになりました」 小宰相はこう答えた。 場所も宇治であり、そのころのことを考えてみれば皆符合することばかりであるために、どうすればもっとくわしく聞くことができるであろう、自分自身が一所懸命になってその人を捜し求めるのも、人から単純過ぎた男と見られるであろう。またあの宮のお耳にはいることがあれば必ず捨ててはお置きにならずお近づきになり、いったんはいった仏の御弟子の道も妨げておしまいになることであろう、もうすでに宮は知っておいでになって、その話を大将へくわしくはあそばさぬようにと頼んでお置きになったために、こうした珍しい話がお耳にはいっていながら、御自身では中宮が言ってくださらなかったのかもしれぬ。宮がまだあの関係を続けようとしておいでになるのであれば、どんなにあの人を愛していても、自分はもうあの時のまま死んだ人と思うことにしてしまおう、生死の線が隔てた二人と思い、いつかは黄色の泉のほとりで風の吹き寄せるままに逢いうることがあるかもしれぬのを待とう、愛人として取り返すために心をつかうことはしないほうがよかろうなどと煩悶する大将であった。 やはりその話に触れようとあそばさないであろうかと思われるのであったが、中宮の思召すところが知りたくて、機会を作って薫はお話しにまいった。 「突然死なせてしまったと私の思っていました人が漂泊ってこの世にまだおりますような話を聞かされました。そんなことがあろうはずはないと思われますものの、また自殺などの決行できる強い性質ではなかったことを考えますと、その話のように人に助けられておりますのが性格に似合わしいことのようにも思われるのでございます」 と言い、その話を以前よりも細かに申し上げ、兵部卿の宮のことを、尊敬を払うふうで、お恨み申しているようには申さずお話をして、 「拾われて生きていますことがあの方のお耳にはいっているのでございましたら、私が女を疑って見る能力の欠けた愚か者に見えることでございますから、なお生きているとも知らぬふうにしてそのまま置こうかとも思います」 と申すのであった。 「僧都が宇治の話をした晩はね、こわいような気のする晩でしたからね、くわしくは聞かなかったあのことですね。兵部卿の宮が知っておいでになるはずは絶対にありません。何とも批評のしようのない性質だと私もよく歎息させられる方なのだから、ましてその話を聞かせてはめんどうをお起こしになるでしょう。恋愛問題では軽薄な多情男だとばかり言われておいでになる方だから、私は悲しんでいます」 中宮はこう仰せになった。聡明な方であるから人が夜話にしたことではあっても、必ずしもほかへお洩らしになることはなかろうと薫は思った。 住んでいる家は小野のどこにあるのであろう。どんなふうに世間体を作ってあの人にまた逢おう、何よりも僧都にまず逢ってみてくわしいことをともかくも知っておく必要があると薫は明け暮れこのことをばかり思い悩んだ。 毎月八の日には必ず何かの仏事を行なう習慣になっていて、薬師仏の供養をその時にすることもあるので叡山へも時々行く大将であったから、そこの帰りに横川へ寄ろうと思い、浮舟の異父弟をも供の中へ入れて行った。母とか弟とかそうした人たちにさえすぐには知らすことをすまい、その場の都合で今日すぐに尼の家を訪ねることになるかもしれぬ。夢のような再会を遂げるその時に、俗縁の親しみを覚えさせるのがよいかもしれぬと思ったのかもしれない。その人とわかったあとでも、異様な尼たちのいる所へ行き、予期せぬ事実などの聞かされることがあっては悲しいであろうなどと、行く途中でも薫はいろいろと煩悶をしたそうである。
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