源氏物語
竹河
紫式部
與謝野晶子訳
姫たちは常少女にて春ごとに花あらそひ
をくり返せかし (晶子)
ここに書くのは源氏の君一族とも離れた、最近に亡くなった関白太政大臣の家の話である。つまらぬ女房の生き残ったのが語って聞かせたのを書くのであるから、紫の筆の跡には遠いものになるであろう。またそうした女たちの一人が、光源氏の子孫と言われる人の中に、正当の子孫と、そうでないのとがあるように思われるのは、自分などよりももっと記憶の不確かな老人が語り伝えて来たことで、間違いがあるのではないかと不思議がって言ったこともあるのであるから、今書いていくことも皆真実のことでなかったかもしれないのである。 玉鬘の尚侍の生んだ故人の関白の子は男三人と女二人であったが、どの子の未来も幸福にさせたい、どんなふうに、こんなふうにと空想を大臣は描いて、成長するのをもどかしいほどに思っているうちに、突然亡くなったので、遺族は夢のような気がして、大臣の志していた姫君を宮中へ入れることもそのままに捨てておくよりしかたがなかった。世間の人は目の前の勢いにばかり寄ってゆくものであったから、強大な権力をふるっていた関白のあとも、財産、領地などは少なくならないが、出入りする人が見る見る減って、寂しく静かな家になった。玉鬘夫人の兄弟たちは広く栄えているのであるが、貴族たちの肉親どうしの愛は一般人よりもかえって薄いもので、大臣の生きている間さえもそう親密に往来をしなかった上に、大臣が少し思いやりのない、むら気な性質で恨みを買うこともしたためにか、遺族の力になろうとする人も格別ないのであった。六条院は初めと変わらず子の一人として尚侍を見ておいでになって、御遺言状の遺産の分配をお書きになったものにも、冷泉院の中宮の次へ尚侍をお加えになったために、夕霧の右大臣などはかえって兄弟の情をこの夫人に持っていて、何かの場合には援助することも忘れなかった。男の子たちは元服などもして、それぞれ一人並みになっていたから、父の勢力に引かれておれば思うようにゆくところがゆかぬもどかしさはあるといっても、自然に放任しておいても年々に出世はできるはずであった。姫君たちをどうさせればよいことかと尚侍は煩悶しているのである。帝にも宮仕えを深く希望することを大臣は申し上げてあったので、もう妙齢に達したはずであると、年月をお数えになって入内の御催促が絶えずあるのであるが、中宮お一人にますます寵が集まって、他の後宮たちのみじめである中へ、おくれて上がって行ってねたまれることも苦しいことであろうと思われるし、また存在のわからぬ哀れな後宮に娘のなっていることも親として見るに堪えられないことであるからと思って、尚侍はお請けをするのに躊躇されるのであった。冷泉院から御懇切に女御として院参をさせるようにとお望みになって、昔尚侍がお志を無視して大臣へ嫁いでしまったことまでもまた恨めしげに仰せられて、
今ではいっそう年もとり、光の淡い身の上になっていて取柄はないでしょうが、安心のできる親代わりとして私にください。
お手紙にはこんなふうなお言葉もあるのであったから、これはどうであろう、自分が前生の宿縁で結婚をしたあとでお目にかかったのを飽きたらず思召したことが、恥ずかしくもったいないことだったのであるから、お詫びに代えようかなどとも思って、なお尚侍は迷っていた。美人であるという評判があって恋をする人たちも多かった。右大臣家の蔵人少将とか言われている子息は、三条の夫人の子で、近い兄たちよりも先に役も進み大事がられている子で、性質も善良なできのよい人が熱心な求婚者になっていた。父母のどちらから言っても近い間柄であったから、右大臣家の息子たちの遊びに来る時はあまり隔てのない取り扱いをこの家ではしているのであって、女房たちにも懇意な者ができ、意志を通じるのに便宜があるところから、夜昼この家に来ていて、うるさい気もしながら心苦しい求婚者とは尚侍も見ていた。母の雲井の雁夫人からもそのことについての手紙も始終寄せられていた。
まだ軽い身分ですが、しかもお許しくださる御好意を、あるいはお持ちくださることかと思われます。
と夕霧の大臣からも言ってよこされた。玉鬘夫人は上の姫君をただの男とは決して結婚させまいと思っていた。次の姫君はもう少し少将の官位が進んだのちなら与えてもさしつかえがないかもしれぬと思っていた。少将は許しがなければ盗み取ろうとするまでに深い執着を持っているのである。もってのほかの縁と玉鬘夫人は思っているのではないが、女のほうで同意をせぬうちに暴力で結婚が遂行されることは、世間へ聞こえた時、こちらにも隙のあったことになってよろしくないと思って、蔵人少将の取り次ぎをする女房に、 「決して過失をあなたたちから起こしてはなりませんよ」 といましめているので、その女も恐れて手の出しようがないのである。 六条院が晩年に朱雀院の姫宮にお生ませになった若君で、冷泉院が御子のように大事にあそばす四位の侍従は、そのころ十四、五で、まだ小さく、幼いはずであるが、年齢よりも大人びて感じのよい若公達になっていて、将来の有望なことが今から思われる風貌の備わった人であるのを、尚侍は婿にしてみたいように思っていた。この邸は女三の尼宮の三条のお邸に近かったから、源侍従は何かの時にはよくここの子息たちに誘われて遊びにも来るのであった。妙齢の女性のいる家であるから、出入りする若い男で、自身をよく見られたいと願わぬ人はないのであるが、容貌の美しいのは始終来る蔵人少将、感じのよい貴人らしい艶な姿のあることはこの四位の侍従に超えた人もなかった。六条院の御子という思いなしがしからしめるのか、源侍従はほかからも特別なすぐれた存在として扱われている人である。若い女房たちはことさら大騒ぎしてこの人をほめたたえるのであった。尚侍も、 「人が言うとおりだね、実際すばらしい公達ね」 などと言っていて、自身が出て親しく話などもするのであった。 「院の御親切を思うと、お別れしてしまったことが、ひどい損失のような気がして、悲しくばかりなる私が、お形見と思ってお顔を見ることのできる方でも、右大臣はあまりにごりっぱな御身分で、何かの機会でもなければお逢いすることもできないのだから」 と言っていて、尚侍は源侍従を弟と思って親しみを持っているのであったから、その人も近い親戚の家としてここへ出てくるのである。若い人に共通した浮わついたことも言わず、落ち着いたふうを見せていることで、二人の姫君付きの女房は皆物足らぬように思って、いどみかかるふうな冗談もよく言いかけるのだった。 正月の元日に尚侍の弟の大納言、子供の時に父といっしょに来て、二条の院で高砂を歌った人であるその人、藤中納言、これは真木柱の君と同じ母から生まれた関白の長子、などが賀を述べに来た。右大臣も子息を六人ともつれて出てきた。容貌を初めとしてまた並ぶ人なきりっぱな大官と見えた。子息たちもそれぞれきれいで、年齢の割合からいって、皆官位が進んでいた。物思いなどは少しも知らずにいるであろうと見えた。いつものように蔵人少将はことに秘蔵息子らしくその中でも見えたが、気の浮かぬふうが見え、恋をしている男らしく思われた。 大臣は几帳だけを隔てにして、尚侍と昔に変わらぬふうで語るのであった。 「用のない時にも伺わなければならないのを、失礼ばかりしています。年がいってしまいまして、御所へまいる以外の外出がもういっさいおっくうに思われるものですから、昔の話を伺いたい気持ちになります時も、そのままに済ませてしまうようになるのを遺憾に思います。若い息子たちは何の御用にでもお使いください。誠意を認めていただくようにするがいいと教えております」 「もうこの家などはだれの念頭にも置いていただけないものになっておりますのに、お忘れになりませんで御親切にお訪ねくださいましたのをうれしく存じますにつけましても、院の御厚志が私を今になっても幸福にしてくださるのだとかたじけなく思うのでございます」 尚侍はこんなことを言ったついでに、冷泉院からあった仰せについて大臣へ相談をかけた。 「しかとした後援者を持ちませんものが、そうした所へ出てまいっては、かえって苦しみますばかりかとも思われますが」 「宮中からもお話があるということですが、どちらへおきめになっていいことでしょうね。院は御位をお去りになりまして、盛りの御時代は過ぎたように、ちょっと考えては思うでしょうが、たぐいもない御美貌でいらっしゃるのですから、まだお若々しくて、りっぱに育った娘があれば、差し上げたいという気に私もなるのですが、すぐれた後宮がおありになるのですから、その中へはいらせてよいような娘は私になくて、いつも残念に思われるのです。いったい女一の宮の女御は同意されているのですか。これまでもよく人がそちらへの御遠慮から院参を断念したりするのでしたが」 と大臣は質した。 「女御さんから、つれづれで退屈な時間もあなたに代わってその人の世話をしてあげることで紛らしたいなどとお勧めになるものですから、私も院参を問題として考えるようになったのでございます」 と尚侍は言っていた。あとからも来た高官たちはここでいっしょになって三条の宮へ参賀をするのであった。朱雀院の御恩顧を受けた人たちとか、六条院に近づいていた人たちとかは今も入道の宮へ時おりの敬意を表しにまいることを怠らないのであった。この家の左近中将、右中弁、侍従なども大臣の供をして出て行った。大臣の率いて行く人数にも勢力の強大さが思われた。 夕方になって源侍従の薫がこの家へ来た。昼間玉鬘夫人の前へ現われたこの人よりもやや年長の公達も、それぞれの特色が備わっていて悪いところもなく皆きれいであったが、あとに来たこの人にはそれらを越えた美があって、だれの目も引きつけられるのであった。美しい物好きな若い女房たちなどは、 「やっぱり違っておいでになる」 などと言った。 「こちらのお姫様にはこの方を並べてみないでは」 こんなことを聞きにくいまでに言ってほめる。そう騒がれるのにたるほどの優雅な挙止を源侍従は見せていて、身から放つ香も清かった。貴族の姫君といわれるような人でも頭のよい人はこの人をすぐれた人と言うのはもっともなことだとくらい認めるかと思われた。尚侍は念誦堂にいたのであったが、 「こちらへ」 と言わせるので、東の階から上がって、妻戸の口の御簾の前へ薫はすわった。前になった庭の若木の梅が、まだ開かぬ蕾を並べていて、鶯の初声もととのわぬ背景を負ったこの人は、恋愛に関した戯れでも言わせたいような美しい男であったから、女房たちはいろいろな話をしかけるのであるが、静かに言葉少なな応対だけより侍従がしないのをくやしがって、宰相の君という高級の女房が歌を詠みかけた。
折りて見ばいとど匂ひもまさるやと少し色めけ梅の初花
速く歌のできたことを薫は感心しながら、
「よそにては 木なりとや定むらん下に匂へる梅の初花
疑わしくお思いになるなら袖を触れてごらんなさい」 などと言っていると、また女房は、 「真実は色よりも香」 口々にこんなことを言って、引き揺らんばかりに騒いでいるのを、奥のほうからいざって出た玉鬘夫人が見て、 「困った人、あなたたちは。きまじめな人をつかまえて恥ずかしい気もしないのかね」 とそっと言っていた。きまじめな人にしてしまわれた、あわれむべき名だと源侍従は思った。この家の侍従はまだ殿上の勤めもしていないので、参賀する所も少なくて早く家に帰って来てここへ出て来た。浅香の木の折敷二つに菓子と杯を載せて御簾から出された。 「右大臣はお年がゆけばゆくほど院によくお似ましになるが、侍従はお似になったところはお顔にないが、様子にしめやかな艶なところがあって、院のお若盛りがそうでおありになったであろうと想像されます」 などと薫の帰ったあとで尚侍は言って、昔をなつかしくばかり追想していた。あたりに残ったかんばしい香までも女房たちはほめ合っていた。 源侍従はきまじめ男と言われたことを残念がって、二十日過ぎの梅の盛りになったころ、恋愛を解しない、一味の欠けた人のように言われる不名誉を清算させようと思って、藤侍従を訪問に行った。中門をはいって行くと、そこには自身と同じ直衣姿の人が立っていた。隠れようとその人がするのを引きとめて見ると蔵人少将であった。寝殿の西座敷のほうで琵琶と十三絃の音がするために、夢中になって立ち聞きをしていたらしい。苦しそうだ、人が至当と認めぬ望みを持つことは仏の道から言っても罪作りなことになるであろうと薫は思った。琴の音がやんだので、 「さあ案内をしてください。私にはよく勝手がわかっていないから」 と言って、蔵人少将とつれだって西の渡殿の前の紅梅の木のあたりを歩きながら、催馬楽の「梅が枝」を歌って行く時に、薫の侍従から放散する香は梅の花の香以上にさっと内へにおってはいったために、家の人は妻戸を押しあけて和琴を歌に合わせて弾きだした。呂の声の歌に対しては女の琴では合わせうるものでないのに、自信のある弾き手だと思った薫は、少将といっしょにもう一度「梅が枝」を繰り返した。琵琶も非常にはなやかな音だった。まったく芸術的な家であるとおもしろくなった薫は、元日とは変わった打ち解けたふうになって、冗談なども今夜は言った。 御簾の中から和琴を差し出されたが、二人の公達は譲り合って手を触れないでいると、夫人は末の子の侍従を使いにして、 「あなたのは昔の太政大臣の爪音によく以ているということですから、ぜひお聞きしたいと思っているのです。今夜は鶯に誘われたことにしてお弾きくだすってもいいでしょう」 と言わせた。恥ずかしがって引っ込んでしまうほどのことでもないと思って、たいして熱心にもならず薫の弾きだした琴の音は、音波の遠く広がってゆくはなやかな気のされるものだった。接近することの少なかった親ではあるが、亡くなったと思うと心細くてならぬ尚侍が、和琴に追慕の心を誘われて身にしむ思いをしていた。
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