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源氏物語(げんじものがたり)44 匂宮

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-6 10:04:35 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「末に生まれてかわいそうな子です。一人前になるまでを自分が見てやることもできない」
 と、院が仰せられたことをお思いになって、あわれみを深くかけておいでになるのである。夕霧の右大臣も自身の公達きんだちよりもこの人を秘蔵がって丁寧に扱うのであった。昔の光源氏は帝王の無二の御愛子ではあったが、嫉妬しっとする反対派があったり、母方の保護者がなかったりして、聡明そうめいな資質から遠慮深く世の中に臨んでおいでになって、一世の騒乱になりかねぬようなことになった時も、いさぎよく自身で渦中かちゅうを去り、宗教を深く信じて冷静に百年の計をされたのである。この中将は若年ですでにあらゆる条件のそろった恵まれた環境に置かれていた。そしてそれに相当した優秀な男子でもあるのである。仏が仮に人として出現されたかと思われるところがこの人にあった。容貌ようぼうもどこが最も美しいというところはなくて、目を驚かすものもないが、ただえんで貴人らしくて、賢明らしいところが万人に異なっているのである。この世のものとも思われぬ高尚こうしょうな香を身体からだに持っているのが最も特異な点である。遠くにいてさえこの人の追い風は人を驚かすのであった。これほどの身分の人が風采ふうさいをかまわずにありのままで人中へ出るわけはなく、少しでも人よりすぐれた印象を与えたいという用意はするはずであるが、怪しいほど放散するにおいに忍び歩きをするのも不自由なのをうるさがって、あまり薫香たきものなどは用いない。それでもこの人の家にしまわれた薫香たきものが異なった高雅な香の添うものになり、庭の花の木もこの人のそでが触れるために、春雨の降る日の枝のしずくも身にしむ香を放つことになった。秋の野のだれのでもない藤袴ふじばかまはこの人が通ればもとの香が隠れてなつかしい香に変わるのであった。こんなに不思議な清香の備わった人である点を兵部卿ひょうぶきょうの宮は他のことよりもうらやましく思召おぼしめして、競争心をお燃やしになることになった。宮のは人工的にすぐれた薫香をお召し物へおきしめになるのを朝夕のお仕事にあそばし、御自邸の庭にも春の花は梅を主にして、秋は人の愛する女郎花おみなえし小男鹿さおしかのつまにするはぎの花などはお顧みにならずに、不老の菊、衰えてゆく藤袴、見ばえのせぬ吾木香われもこうなどという香のあるものを霜枯れのころまでもお愛し続けになるような風流をしておいでになるのであった。昔の光源氏はこうしたかたよったことはされなかったものである。
 源中将は始終宮の二条の院へお伺いするのであって、音楽の遊びの行なわれる時にも優越を誇るような笛の音を吹き立てる相手を、互いに好敵手と認める若いどうしであった。世間も黙ってはいなかった。におう兵部卿、かおる中将とやかましく言って、すぐれた娘を持つ貴族たちはこの貴公子たちを婿に擬して、好奇心の起こるようにしむける者もあるのを、宮は相手の女の価値を相当なものと考えられる人へは手紙を送ってごらんになって、なお細かく相手を観察しようとされるのであった。しかも熱心にだれを得なければならぬとお思いになる女はなかった。冷泉れいぜい院の女一にょいちみやと結婚ができたらうれしいであろうと匂宮におうみやがお思いになるのは、母君の女御も人格のりっぱな尊敬すべき才女であって、姫君もさもあるはずにすぐれた評判をとっておいでになる方だからである。遠くからの評判だけではなく匂宮は姫宮のおそばにいる女房から細かな御様子を聞いてもおいでになるのであったから、忍びがたく恋のようにも今ではなっていた。
 中将は人生を味気ないものと悟っているのであるから、寂しいからといって、恋愛などをしては、かえってこの世を捨てる際の妨げになるであろうということを知っていて、保護者との関係の煩瑣はんさな女性に求婚するようなことははばかられるのであった。自身では永久にこの冷静な態度が続けられるものと思っていたであろうが、それはただ現在の薫中将が熱情をもって愛する人がないからであろうと思われる。親兄弟の同意せぬ恋愛結婚などはまして遂行すべくもない薫である。十九になったとしに三位の参議になって、なお中将も兼ねていた。帝も后も愛を傾けておいでになる人で、臣下としてこれ以上幸福な存在はないと見られる薫ではあるが、心の中には純粋な六条院の御子と思われぬ不幸な認識がひそんでいて、楽天的にはなれない人で、貴公子に共通な放縦な生活をするようなことも好まなかった。静かに落ち着いたものの見方をする老成なふうの男であると人からも見られていた。兵部卿の宮の恋が年とともに態度の加わる院の一品いっぽんの姫宮も、一つの院の中にいる薫には、ことに触れて御様子がわかりもするのであって、評判どおりに優秀な御素質の貴女らしいことを知っては、こんな方を妻にできれば生きがいを感じることであろうと思うのであるが、院が御実子同然な御待遇を薫に与えておいでになるものの、姫宮との間だけは厳重にお隔てになるのを知っていては、しいて御交際を求めにゆく気にはなれないのであった。自分ながらも予期せぬ恋の初めのみちに踏み入るようなことがもしあっては、宮のためにも、自身のためにもよろしくないと思って、親しもうとは心がけなかった。
 人に愛さるべく作られたような風采ふうさいのあるかおるであったから、かりそめの戯れを言いかけたにすぎない女からも皆好意を持たれて、やむなく情人関係になったような、まじめには愛人と認めていない相手も多くなったが、女のためには秘密にするほうがよいと思って、皆かげのことにしておいて、無情だと思われぬ程度にだれの所へも人目を紛らして通って行くのを、女のほうではかえって気が詰まるように苦しく思い、薫の誘うままに三条の母宮の所へ女房勤めに集まって来るのが多くなった。冷淡な態度を始終見せられているのも苦痛ではあったが、絶縁されるよりはと心細い恋人たちは思って、女房勤めをする身分でない人々もこうして薫とはかない関係を続けることで慰んでいるのであった。さすがになつかしい、目に見るだけでも情感を受けられる人であったから、どの女もしいてみずからを欺くようにしてこの境遇に満足していた。
「宮様の御存命中は毎日お目にかかることを怠らないつもりだから」
 と薫中将は言っていた。こんなふうの人であったから、夕霧の右大臣もおおぜいある娘の中の一人は匂宮へ、一人はこの人の妻にさせたいという希望は持っていても、言いだすことをはばかっていた。なんといっても内輪どうしのことであって、世間の聞こえもおもしろくないとは大臣も知っているのであるが、この二人のすぐれた貴公子に準じて見るほどの人もない世の中ではしかたがないと考えられるのであった。雲井くもいかり夫人の生んだ娘たちよりも藤典侍とうてんじにできた六女はすぐれて美しく、性質も欠点のない令嬢なのであった。劣った母に生まれた子として世間が軽蔑けいべつして見ることを惜しく思って、女二の宮が子供をお持ちになることができずに寂しい御様子であるために、六の君を大臣は典侍の所から迎えて宮の御養女に差し上げた。よい機会に二人の公子に姫君の気配けはいをそれとなく示したなら、必ず熱心な求婚者になしうるであろう、すぐれた女の価値を知ることは、すぐれた男でなければできぬはずであると大臣は思って、六の君を后の候補者というような大形おおぎょうな扱いをせず、はなやかに、人目を引くような派手はでな扱いをして貴公子の心を多くくようにしていた。
 御所の正月の弓の競技のあとで、左大将でもある夕霧の大臣の家で宴会の開かれるのを、大臣は六条院ですることにして匂宮にも御来会を願っていた。賭弓かけゆみの席には皇子がたの御元服あそばしたのは皆出ておいでになった。后腹きさきばらの宮は皆気高けだかくお美しい中にも、風流男みやびおの名を取っておいでになる兵部卿の宮はやはりすぐれて御風采ふうさいがりっぱにお見えになった。第四の皇子は常陸ひたちの大守でおありになるが、この方は更衣腹こういばらで、思いなしかずっと見劣りがされた。例のことであるが勝負は左ばかりが勝ち続けた。例年よりも早く競技は終わって左右の大将は退出するのであったが、匂宮、常陸の宮、后腹の五の宮を大臣の大将は自身の車へいっしょにお乗せして帰ろうとした。薫は負け方の右中将で、そっと退出して行こうとしていた車を、大臣は、
「宮様がたがおいでになるお送りにおいでにならないか」
 と言ってとどめさせて、子息の衛門督えもんのかみごん中納言、右大弁そのほかの高官をそれへ混ぜて乗せさせて六条院へ来た。
 やや遠いみちを来るうちに雪も少し降り出してえんな気のする黄昏時たそがれどきであった。笛などもおもしろく吹き立ててはいって行った。六条院は、ここ以外にはどんな御仏みほとけの国でもこうした日の遊び場所に適した所はないであろうと思われた。寝殿の南のひさしの間の端に定例どおり中将が南向いて席につき、北向きに主人の座に対して来会者の親王がた、高官たちの席が作ってあった。酒杯が出て夜がおもしろくなったころに「求子もとめこ」が舞われた。左の手でおさえ、右の手で抑えて幾度かそでを斜めにするこの時の風の動きに庭の梅の香がさっと家の中へはいってきて、源中将が身に持つにおいを誘うのも艶な趣のあることであった。わずかな透き間からのぞく女房なども、
やみはあやなし(梅の花色こそ見えね香やは隠るる)という時間にもあの方のにおいだけはだれにだってわかります」
 と言って薫をほめていた。大臣もそう思っていた。容貌ようぼう風采ふうさいも平生以上にまたすぐれて見える薫が行儀正しくしているのを見て、
右近衛うこんえの中将も声をお加えなさい。あまりに客らしくしているではありませんか」
 と言うと、感じのよいほどの中音で、「神のます」など、求子もとめこの一ふしをうたった。





底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
   1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
   1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
※「一品」のルビは底本では「いっぼん」となっていましたが、「匂宮」以外の作品では「いっぽん」で統一されていましたので直しました。
入力:上田英代
校正:高橋真也
2003年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。

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