「そうだ、あすこにも今まで噂も聞いたことのない外腹の令嬢ができて、それをたいそうに扱っていられるではないか。あまりに他人のことを言われない大臣だが、不思議に私の家のことだと口の悪い批評をされる。このことなどはそれを証明するものだよ」 「あちらの西の対の姫君はあまり欠点もない人らしゅうございます。兵部卿の宮などは熱心に結婚したがっていらっしゃるのですから、平凡な令嬢でないことが想像されると世間でも言っております」 「さあそれがね、源氏の大臣の令嬢である点でだけありがたく思われるのだよ。世間の人心というものは皆それなのだ。必ずしも優秀な姫君ではなかろう。相当な母親から生まれた人であれば以前から人が聞いているはずだよ。円満な幸福を持っていられる方だが、りっぱな夫人から生まれた令嬢が一人もないのを思うと、だいたい子供が少ないたちなんだね。劣り腹といって明石の女の生んだ人は、不思議な因縁で生まれたということだけでも何となく未来の好運が想像されるがね。新しい令嬢はどうかすれば、それは実子でないかもしれない。そんな常識で考えられないようなこともあの人はされるのだよ」 と内大臣は玉鬘をけなした。 「それにしても、だれが婿に決まるのだろう。兵部卿の宮の御熱心が結局勝利を占められることになるのだろう。もとから特別にお仲がいいのだし、大臣の趣味とよく一致した風流人だからね」 と言ったあとに大臣は雲井の雁のことを残念に思った。そうしたふうにだれと結婚をするかと世間に興味を持たせる娘に仕立てそこねたのがくやしいのである。これによっても中将が今一段光彩のある官に上らない間は結婚が許されないと大臣は思った。源氏がその問題の中へはいって来て懇請することがあれば、やむをえず負けた形式で同意をしようという大臣の腹であったが、中将のほうでは少しも焦慮するふうを見せず落ち着いているのであったからしかたがないのである。こんなことをいろいろと考えていた大臣は突然行って見たい気になって雲井の雁の居間を訪ねた。少将も供をして行った。雲井の雁はちょうど昼寝をしていた。薄物の単衣を着て横たわっている姿からは暑い感じを受けなかった。可憐な小柄な姫君である。薄物に透いて見える肌の色がきれいであった。美しい手つきをして扇を持ちながらその肱を枕にしていた。横にたまった髪はそれほど長くも、多くもないが、端のほうが感じよく美しく見えた。女房たちも几帳の蔭などにはいって昼寝をしている時であったから、大臣の来たことをまだ姫君は知らない。扇を父が鳴らす音に何げなく上を見上げた顔つきが可憐で、頬の赤くなっているのなども親の目には非常に美しいものに見られた。 「うたた寝はいけないことだのに、なぜこんなふうな寝方をしてましたか。女房なども近くに付いていないでけしからんことだ。女というものは始終自身を護る心がなければいけない。自分自身を打ちやりしているようなふうの見えることは品の悪いものだ。賢そうに不動の陀羅尼を読んで印を組んでいるようなのも憎らしいがね。それは極端な例だが、普通の人でも少しも人と接触をせずに奥に引き入ってばかりいるようなことも、気高いようでまたあまり感じのいいものではない。太政大臣が未来のお后の姫君を教育していられる方針は、いろんなことに通じさせて、しかも目だつほど専門的に一つのことを深くやらせまい、そしてまたわからないことは何もないようにということであるらしい。それはもっともなことだが、人間にはそれぞれの天分があるし、特に好きなこともあるのだから、何かの特色が自然出てくることだろうと思われる。大人になって宮廷へはいられるころはたいしたものだろうと予想される」 などと大臣は娘に言っていたが、 「あなたをこうしてあげたいといろいろ思っていたことは空想になってしまったが、私はそれでもあなたを世間から笑われる人にはしたくないと、よその人のいろいろの話を聞くごとにあなたのことを思って煩悶する。ためそうとするだけで、表面的な好意を寄せるような男に動揺させられるようなことがあってはいけませんよ。私は一つの考えがあるのだから」 ともかわいく思いながら訓めもした。昔は何も深く考えることができずに、あの騒ぎのあった時も恥知らずに平気で父に対していたと思い出すだけでも胸がふさがるように雲井の雁は思った。大宮の所からは始終逢いたいというふうにお手紙が来るのであるが、大臣が気にかけていることを思うと、御訪問も容易にできないのである。 大臣は北の対に住ませてある令嬢をどうすればよいか、よけいなことをして引き取ったあとで、また人が譏るからといって家へ送り帰すのも軽率な気のすることであるが、娘らしくさせておいては満足しているらしく自分の心持ちが誤解されることになっていやである、女御の所へ来させることにして、馬鹿娘として人中に置くことにさせよう、悪い容貌だというがそう見苦しい顔でもないのであるからと思って、大臣は女御に、 「あの娘をあなたの所へよこすことにしよう。悪いことは年のいった女房などに遠慮なく矯正させて使ってください。若い女房などが何を言ってもあなただけはいっしょになって笑うようなことをしないでお置きなさい。軽佻に見えることだから」 と笑いながら言った。 「だれがどう言いましても、そんなつまらない人ではきっとないと思います。中将の兄様などの非常な期待に添わなかったというだけでしょう。こちらへ来ましてからいろんな取り沙汰などをされて、一つはそれでのぼせて粗相なこともするのでございましょう」 と女御は貴女らしい品のある様子で言っていた。この人は一つ一つ取り立てて美しいということのできない顔で、そして品よく澄み切った美の備わった、美しい梅の半ば開いた花を朝の光に見るような奥ゆかしさを見せて微笑しているのを大臣は満足して見た。だれよりもすぐれた娘であると意識したのである。 「しかしなんといっても中将の無経験がさせた失敗だ」 などとも父に言われている新令嬢は気の毒である。大臣は女房を訪ねた帰りにその人の所へも行って見た。 座敷の御簾をいっぱいに張り出すようにして裾をおさえた中で、五節という生意気な若い女房と令嬢は双六を打っていた。 「しょうさい、しょうさい」 と両手をすりすり賽を撒く時の呪文を早口に唱えているのに悪感を覚えながらも大臣は従って来た人たちの人払いの声を手で制して、なおも妻戸の細目に開いた隙から、障子の向こうを大臣はのぞいていた。五節も蓮葉らしく騒いでいた。 「御返報しますよ。御返報しますよ」 賽の筒を手でひねりながらすぐには撒こうとしない。姫君の容貌は、ちょっと人好きのする愛嬌のある顔で、髪もきれいであるが、額の狭いのと頓狂な声とにそこなわれている女である。美人ではないがこの娘の顔に、鏡で知っている自身の顔と共通したもののあるのを見て、大臣は運にのろわれている気がした。 「こちらで暮らすようになって、あなたに何か気に入らないことがありますか。つい忙しくて訪ねに来ることも十分できないが」 と大臣が言うと、例の調子で新令嬢は言う。 「こうしていられますことに何の不足があるものでございますか。長い間お目にかかりたいと念がけておりましたお顔を、始終拝見できませんことだけは成功したものとは思われませんが」 「そうだ、私もそばで手足の代わりに使う者もあまりないのだから、あなたが来たらそんな用でもしてもらおうかと思っていたが、やはりそうはいかないものだからね。ただの女房たちというものは、多少の身分の高下はあっても、皆いっしょに用事をしていては目だたずに済んで気安いものなのだが、それでもだれの娘、だれの子ということが知られているほどの身の上の者は、親兄弟の名誉を傷つけるようなことも自然起こってきておもしろくないものだろうが、まして」 言いさして話をやめた父の自尊心などに令嬢は頓着していなかった。 「いいえ、かまいませんとも、令嬢だなどと思召さないで、女房たちの一人としてお使いくださいまし。お便器のほうのお仕事だって私はさせていただきます」 「それはあまりに不似合いな役でしょう。たまたま巡り合った親に孝行をしてくれる心があれば、その物言いを少し静かにして聞かせてください。それができれば私の命も延びるだろう」 道化たことを言うのも好きな大臣は笑いながら言っていた。 「私の舌の性質がそうなんですね。小さい時にも母が心配しましてよく訓戒されました。妙法寺の別当の坊様が私の生まれる時産屋にいたのですってね。その方にあやかったのだと言って母が歎息しておりました。どうかして直したいと思っております」 むきになってこう言うのを聞いても孝心はある娘であると大臣は思った。 「産屋などへそんなお坊さんの来られたのが災難なんだね。そのお坊さんの持っている罪の報いに違いないよ。唖と吃は仏教を譏った者の報いに数えられてあるからね」 と大臣は言っていたが、子ながらも畏敬の心の湧く女御の所へこの娘をやることは恥ずかしい、どうしてこんな欠陥の多い者を家へ引き取ったのであろう、人中へ出せばいよいよ悪評がそれからそれへ伝えられる結果を生むではないかと思って、大臣は計画を捨てる気にもなったのであるが、また、 「女御が家へ帰っておいでになる間に、あなたは時々あちらへ行って、いろんなことを見習うがいいと思う。平凡な人間も貴女がたの作法に会得が行くと違ってくるものだからね。そんなつもりであちらへ行こうと思いますか」 とも言った。 「まあうれしい。私はどうかして皆さんから兄弟だと認めていただきたいと寝ても醒めても祈っているのでございますからね。そのほかのことはどうでもいいと思っていたくらいでございますからね。お許しさえございましたら女御さんのために私は水を汲んだり運んだりしましてもお仕えいたします」 なお早口にしゃべり続けるのを聞いていて大臣はますます憂鬱な気分になるのを、紛らすために言った。 「そんな労働などはしないでもいいがお行きなさい。あやかったお坊さんはなるべく遠方のほうへやっておいてね」 滑稽扱いにして言っているとも令嬢は知らない。また同じ大臣といっても、きれいで、物々しい風采を備えた、りっぱな中のりっぱな大臣で、だれも気おくれを感じるほどの父であることも令嬢は知らない。 「それではいつ女御さんの所へ参りましょう」 「そう、吉日でなければならないかね。なにいいよ、そんなたいそうなふうには考えずに、行こうと思えば今日にでも」 言い捨てて大臣は出て行った。四位五位の官人が多くあとに従った、権勢の強さの思われる父君を見送っていた令嬢は言う。 「ごりっぱなお父様だこと、あんな方の種なんだのに、ずいぶん小さい家で育ったものだ私は」 五節は横から、 「でもあまりおいばりになりすぎますわ、もっと御自分はよくなくても、ほんとうに愛してくださるようなお父様に引き取られていらっしゃればよかった」 と言った。真理がありそうである。 「まああんた、ぶちこわしを言うのね。失礼だわ。私と自分とを同じように言うようなことはよしてくださいよ。私はあなたなどとは違った者なのだから」 腹をたてて言う令嬢の顔つきに愛嬌があって、ふざけたふうな姿が可憐でないこともなかった。ただきわめて下層の家で育てられた人であったから、ものの言いようを知らないのである。何でもない言葉もゆるく落ち着いて言えば聞き手はよいことのように聞くであろうし、巧妙でない歌を話に入れて言う時も、声づかいをよくして、初め終わりをよく聞けないほどにして言えば、作の善悪を批判する余裕のないその場ではおもしろいことのようにも受け取られるのである。強々しく非音楽的な言いようをすれば善いことも悪く思われる。乳母の懐育ちのままで、何の教養も加えられてない新令嬢の真価は外観から誤られもするのである。そう頭が悪いのでもなかった。三十一字の初めと終わりの一貫してないような歌を早く作って見せるくらいの才もあるのである。 「女御さんの所へ行けとお言いになったのだから、私がしぶしぶにして気が進まないふうに見えては感情をお害しになるだろう。私は今夜のうちに出かけることにする。大臣がいらっしゃっても女御さんなどから冷淡にされてはこの家で立って行きようがないじゃないか」 と令嬢は言っていた。自信のなさが気の毒である。手紙を先に書いた。
葦垣のまぢかきほどに侍らひながら、今まで影踏むばかりのしるしも侍らぬは、なこその関をや据ゑさせ給ひつらんとなん。知らねども武蔵野といへばかしこけれど、あなかしこやかしこや。
点の多い書き方で、裏にはまた、
まことや、暮れにも参りこむと思ひ給へ立つは、厭ふにはゆるにや侍らん。いでや、いでや、怪しきはみなせ川にを。
と書かれ、端のほうに歌もあった。
草若みひたちの海のいかが崎いかで相見む田子の浦波
大川水の(みよし野の大川水のゆほびかに思ふものゆゑ浪の立つらん)
青い色紙一重ねに漢字がちに書かれてあった。肩がいかって、しかも漂って見えるほど力のない字、しという字を長く気どって書いてある。一行一行が曲がって倒れそうな自身の字を、満足そうに令嬢は微笑して読み返したあとで、さすがに細く小さく巻いて撫子の花へつけたのであった。厠係りの童女はきれいな子で、奉公なれた新参者であるが、それが使いになって、女御の台盤所へそっと行って、 「これを差し上げてください」 と言って出した。下仕えの女が顔を知っていて、北の対に使われている女の子だといって、撫子を受け取った。大輔という女房が女御の所へ持って出て、手紙をあけて見せた。女御は微笑をしながら下へ置いた手紙を、中納言という女房がそばにいて少し読んだ。 「何でございますか、新しい書き方のお手紙のようでございますね」 となお見たそうに言うのを聞いて、女御は、 「漢字は見つけないせいかしら、前後が一貫してないように私などには思われる手紙よ」 と言いながら渡した。 「返事もそんなふうにたいそうに書かないでは低級だと言って軽蔑されるだろうね。それを読んだついでにあなたから書いておやりよ」 と女御は言うのであった。露骨に笑い声はたてないが若い女房は皆笑っていた。使いが返事を請求していると言ってきた。 「風流なお言葉ばかりでできているお手紙ですから、お返事はむずかしゅうございます。仰せはこうこうと書いて差し上げるのも失礼ですし」 と言って、中納言は女御の手紙のようにして書いた。
近きしるしなきおぼつかなさは恨めしく、
ひたちなる駿河の海の須磨の浦に浪立ちいでよ箱崎の松
中納言が読むのを聞いて女御は、 「そんなこと、私が言ったように人が皆思うだろうから」 と言って困ったような顔をしていると、 「大丈夫でございますよ。聞いた人が判断いたしますよ」 と中納言は言って、そのまま包んで出した。新令嬢はそれを見て、 「うまいお歌だこと、まつとお言いになったのだから」 と言って、甘いにおいの薫香を熱心に着物へ焚き込んでいた。紅を赤々とつけて、髪をきれいになでつけた姿にはにぎやかな愛嬌があった、女御との会談にどんな失態をすることか。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
上一页 [1] [2] 尾页
|