その駒もすさめぬものと名に立てる汀の菖蒲今日や引きつる
とおおように夫人は言った。何でもない歌であるが、源氏は身にしむ気がした。
にほ鳥に影を並ぶる若駒はいつか菖蒲に引き別るべき
と源氏は言った。意はそれでよいが夫人の謙遜をそのまま肯定した言葉は少し気の毒である。 「二六時中あなたといっしょにいるのではないが、こうして信頼をし合って暮らすのはいいことですね」 戯れを言うのでもこの人に対してはまじめな調子にされてしまう源氏であった。帳台の中の床を源氏に譲って、夫人は几帳を隔てた所で寝た。夫婦としての交渉などはもはや不似合いになったとしている人であったから、源氏もしいてその心を破ることをしなかった。 梅雨が例年よりも長く続いていつ晴れるとも思われないころの退屈さに六条院の人たちも絵や小説を写すのに没頭した。明石夫人はそんなほうの才もあったから写し上げた草紙などを姫君へ贈った。若い玉鬘はまして興味を小説に持って、毎日写しもし、読みもすることに時を費やしていた。こうしたことの相手を勤めるのに適した若い女房が何人もいるのであった。数奇な女の運命がいろいろと書かれてある小説の中にも、事実かどうかは別として、自身の体験したほどの変わったことにあっている人はないと玉鬘は思った。住吉の姫君がまだ運命に恵まれていたころは言うまでもないが、あとにもなお尊敬されているはずの身分でありながら、今一歩で卑しい主計頭の妻にされてしまう所などを読んでは、恐ろしかった監のことが思われた。源氏はどこの御殿にも近ごろは小説類が引き散らされているのを見て玉鬘に言った。 「いやなことですね。女というものはうるさがらずに人からだまされるために生まれたものなんですね。ほんとうの語られているところは少ししかないのだろうが、それを承知で夢中になって作中へ同化させられるばかりに、この暑い五月雨の日に、髪の乱れるのも知らずに書き写しをするのですね」 笑いながらまた、 「けれどもそうした昔の話を読んだりすることがなければ退屈は紛れないだろうね。この嘘ごとの中にほんとうのことらしく書かれてあるところを見ては、小説であると知りながら興奮をさせられますね。可憐な姫君が物思いをしているところなどを読むとちょっと身にしむ気もするものですよ。また不自然な誇張がしてあると思いながらつり込まれてしまうこともあるし、またまずい文章だと思いながらおもしろさがある個所にあることを否定できないようなのもあるようですね。このごろあちらの子供が女房などに時々読ませているのを横で聞いていると、多弁な人間があるものだ、嘘を上手に言い馴れた者が作るのだという気がしますが、そうじゃありませんか」 と言うと、 「そうでございますね。嘘を言い馴れた人がいろんな想像をして書くものでございましょうが、けれど、どうしてもほんとうとしか思われないのでございますよ」 こう言いながら玉鬘は硯を前へ押しやった。 「不風流に小説の悪口を言ってしまいましたね。神代以来この世であったことが、日本紀などはその一部分に過ぎなくて、小説のほうに正確な歴史が残っているのでしょう」 と源氏は言うのであった。 「だれの伝記とあらわに言ってなくても、善いこと、悪いことを目撃した人が、見ても見飽かぬ美しいことや、一人が聞いているだけでは憎み足りないことを後世に伝えたいと、ある場合、場合のことを一人でだけ思っていられなくなって小説というものが書き始められたのだろう。よいことを言おうとすればあくまで誇張してよいことずくめのことを書くし、また一方を引き立てるためには一方のことを極端に悪いことずくめに書く。全然架空のことではなくて、人間のだれにもある美点と欠点が盛られているものが小説であると見ればよいかもしれない。支那の文学者が書いたものはまた違うし、日本のも昔できたものと近ごろの小説とは相異していることがあるでしょう。深さ浅さはあるだろうが、それを皆嘘であると断言することはできない。仏が正しい御心で説いてお置きになった経の中にも方便ということがあって、大悟しない人間はそれを見ると疑問が生じるだろうと思われる。方等経の中などにはことに方便が多く用いられています。結局は皆同じことになって、菩提心はよくて、煩悩は悪いということが言われてあるのです。つまり小説の中に善悪を書いてあるのがそれにあたるのですよ。だから好意的に言えば小説だって何だって皆結構なものだということになる」 と源氏は言って、小説が世の中に存在するのを許したわけである。 「それにしてもね、古いことの書いてある小説の中に私ほどまじめな愚直過ぎる男の書いてあるものがありますか。それからまた人間離れのしたような小説の姫君だってあなたのように恋する男へ冷淡で、知って知らぬ顔をするようなのはないでしょう。だからありふれた小説の型を破った小説にあなたと私のことをさせましょう」 近々と寄って来て源氏は玉鬘にこうささやくのであった。玉鬘は襟の中へ顔を引き入れるようにして言う。 「小説におさせにならないでも、こんな奇怪なことは話になって世間へ広まります」 「珍しいことだというのですか。そうです。私の心は珍しいことにときめく」 ひたひたと寄り添ってこんな戯れを源氏は言うのである。
「思ひ余り昔のあとを尋ぬれど親にそむける子ぞ類ひなき
不孝は仏の道でも非常に悪いことにして説かれています」 と源氏が言っても、玉鬘は顔を上げようともしなかった。源氏は女の髪をなでながら恨み言を言った。やっと玉鬘は、
古き跡を尋ぬれどげになかりけりこの世にかかる親の心は
こう言った。源氏は気恥ずかしい気がしてそれ以上の手出しはできなかった。どうこの二人はなっていくのであろう。 紫夫人も姫君に託してやはり物語を集める一人であった。「こま物語」の絵になっているのを手に取って、 「上手にできた画だこと」 と言いながら夫人は見ていた。小さい姫君が無邪気なふうで昼寝をしているのが昔の自分のような気がするのであった。 「こんな子供どうしでも悪い関係がすぐにできるじゃありませんか。昔を言えば私などは模範にしてよいまれな物堅さだった」 と源氏は夫人に言った。そのかわりにまれなことも好きであったはずである。 「姫君の前でこうした男女関係の書かれた小説は読んで聞かせないようにするほうがいい。恋をし始めた娘などというものが、悪いわけではないが、世間にはこんなことがあるのだと、それを普通のことのように思ってしまわれるのが危険ですからね」 こんな周到な注意が実子の姫君には払われているのを、対の姫君が聞いたら恨むかもしれない。 「浅はかな、ある型を模倣したにすぎないような女は読んでいましてもいやになります。空穂物語の藤原の君の姫君は重々しくて過失はしそうでない性格ですが、あまり真直な線ばかりで、しまいまで女らしく書かれてないのが悪いと思うのですよ」 と夫人が言うと、 「現実の人でもそのとおりですよ。風変わりな一本調子で押し通して、いいかげんに転向することを知らない人はかわいそうだ。見識のある親が熱心に育てた娘がただ子供らしいところにだけ大事がられた跡が見えて、そのほかは何もできないようなのを見ては、どんな教育をしたのかと親までも軽蔑されるのが気の毒ですよ。なんといってもあの親が育てたらしいよいところがあると思われるような娘があれば親の名誉になるのです。作者の賞めちぎってある女のすること、言うことの中に首肯されることのない小説はだめですよ。いったいつまらない人に自分の愛する人は賞めさせたくない」 などと言って、源氏は姫君を完全な女性に仕上げることに一所懸命であった。継母が意地悪をする小説も多かったから、その反対な継母のよさを見せつける気がして夫人はそんなものをいっさい省いて選択に選択をしたよいものだけを姫君のために写させたり絵に描かせたりした。 中将を源氏は夫人の住居へ接近させないようにしていたが、姫君の所へは出入りを許してあった。自分が生きている間は異腹の兄弟でも同じであるが、死んでからのことを思うと早くから親しませておくほうが双方に愛情のできることであると思って、姫君のほうの南側の座敷の御簾の中へ来ることを許したのであるが台盤所の女房たちの集まっているほうへはいることは許してないのである。源氏のためにただ二人だけの子であったから兄妹を源氏は大事にしていた。中将は落ち着いた重々しいところのある性質であったから、源氏は安心して姫君の介添え役をさせた。幼い雛遊びの場にもよく出会うことがあって、中将は恋人とともに遊んで暮らした年月をそんな時にはよく思い出されるので、妹のためにもよい相手役になりながらも時々はしおしおとした気持ちになった。若い女性たちに恋の戯れを言いかけても、将来に希望をつながせるようなことは絶対にしなかった。妻の一人にしたいと心の惹かれるような人も、しいて一時的の対象とみなして、それ以上関係を進行させることもなかった。今でも緑の袖とはずかしめられた人との関係だけを尊重して、その人以外の人を妻に擬して考えることは不可能であった。許されようと熱心ぶりを見せれば伯父の大臣も夫婦にしてくれるであろうが、恨めしかったころに、どんなことがあっても伯父が哀願するのでなければ結婚はすまいと思ったことが忘られなかった。雲井の雁の所へは情けをこめた手紙を常に送っていても、表面はあくまでも冷静な態度を保っているのである。この態度をまた雲井の雁の兄弟たちは恨んでいた。 玉鬘に右近中将は深く恋をして仲介役をするのは童女のみるこだけであったから、たよりなさにこの中将を味方に頼むのであった。 「人のことではそう熱心になれない問題だから」 などと左中将は冷淡に言っていた。 内大臣は腹々に幾人もの子があって、大人になったそれぞれの子息の人柄にしたがって政権の行使が自由なこの人は皆適した地位につかせていた。女の子は少なくて后の競争に負け失意の人になっている女御と恋の過失をしてしまった雲井の雁だけなのであったから、大臣は残念がっていた。この人は今も撫子の歌を母親が詠んできた女の子を忘れなかった。かつて人にも話したほどであるから、どうしたであろう、たよりない性格の母親のために、あのかわいかった人を行方不明にさせてしまった、女というものは少しも目が放されないものである、親の不名誉を思わずに卑しく零落をしながら自分の娘であると言っているのではなかろうか、それでもよいから出て来てほしいと大臣は恋しがっていた。息子たちにも、 「もしそういうことを言っている女があったら、気をつけて聞いておいてくれ。放縦な恋愛もずいぶんしていた中で、その母である人はただ軽々しく相手にしていた女でもなく、ほんとうに愛していた人なのだが、何でもないことで悲観して、私に少ない女の子一人をどこにいるかもしれなくされてしまったのが残念でならない」 とよく話していた。中ほどには忘れていもしたのであるが、他人がすぐれたふうに娘をかしずく様子を見ると、自身の娘がどれも希望どおりにならなかったことで失望を感じることが多くなって、近ごろは急に別れた女の子を思うようになったのである。ある夢を見た時に、上手な夢占いをする男を呼んで解かせてみると、 「長い間忘れておいでになったお子さんで、人の子になっていらっしゃる方のお知らせをお受けになるというようなことはございませんか」 と言った。 「男は養子になるが、女というものはそう人に養われるものではないのだが、どういうことになっているのだろう」 と、それからは時々内大臣はこのことを家庭で話題にした。
●表記について
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