「どうして長く家へ行っていたのかね。少しこれまでとは違っているのではないか。独身者はこんな所にいる時と違って、自宅では若返ることもできるのだろう。おもしろいことがきっとあったろう」 などと例の困らせる気の戯談を源氏が言う。 「ちょうど七日お暇をいただいていたのでございますが、おもしろいことなどはなかなかないのでございます。山へ参りましてね。お気の毒な方を発見いたしました」 「だれ」 と源氏は尋ねた。突然その話をするのも、これまで夫人にしていない昔の話から筋を引いていることを、源氏にだけ言えば夫人があとで話をお聞きになって不快がられないかなどと右近は迷っていて、 「またくわしくお話を申し上げます」 と言って、ほかの女房たちも来たのでそのまま言いさしにした。 灯などをともさせてくつろいでいる源氏夫婦は美しかった。女王は二十七、八になった。盛りの美があるのである。このわずかな時日のうちにも美が新しく加わったかと右近の目に見えるのであった。姫君を美しいと思って、夫人に劣っていないと見たものの思いなしか、やはり一段上の美が夫人にはあるようで幸福な人と不運な人とにはこれだけの相違があるものらしいなどと右近は思った。寝室にはいってから、脚を撫でさせるために源氏は右近を呼んだ。 「若い人はいやな役だと迷惑がるからね。やはり昔馴染の者は気心が双方でわかっていてどんなことでもしてもらえるよ」 と源氏が言っているのを聞いて、若い女房たちは笑っていた。 「そうですよ。どんなことでもさせていただいて私たちは結構なんですけれど、あの御戯談に困るだけね」 などと言っているのであった。 「奥さんも昔馴染どうしがあまり仲よくしては機嫌を悪くなさらない。決して寛大な方ではないから危いね」 などと言って源氏は笑っていた。愛嬌があって常よりもまた美しく思われた。このごろは公職が閑散なほうに変ってしまって、自宅でものんきに女房などにも戯談を言いかけて相手をためすことなどを楽しむ源氏であったから、右近のような古女にも戯れてみせるのである。 「発見したって、どんな人かね。えらい修験者などと懇意になってつれて来たのか」 と源氏は言った。 「ひどいことをおっしゃいます。あの薄命な夕顔のゆかりの方を見つけましたのでございます」 「そう、それは哀れな話だね、これまでどこにいたの」 と源氏に尋ねられたが、ありのままには言いにくくて、 「寂しい郊外に住んでおいでになったのでございます。昔の女房も半分ほどはお付きしていましてございますから、以前の話もいたしまして悲しゅうございました」 と右近は言っていた。 「もうわかったよ。あの事情を知っていらっしゃらない方がいられるのだからね」 と源氏が隠すように言うと、 「私がおじゃまなの、私は眠くて何のお話だかわからないのに」 と女王は袖で耳をふさいだ。 「どんな容貌、昔の夕顔に劣っていない」 「あんなにはおなりにならないかと存じておりましたけれど、とてもおきれいにおなりになったようでございます」 「それはいいね、だれぐらい、この人とはどう」 「どういたしまして、そんなには」 と右近が言うと、 「得意なようで恥ずかしい。何にせよ私に似ていれば安心だよ」 わざと親らしく源氏は言うのであった。 その話を聞いた時から源氏はおりおり右近一人だけを呼び出して姫君の問題について語り合った。 「私はあの人を六条院へ迎えることにするよ。これまでも何かの場合によく私は、あの人の行くえを失ってしまったことを思って暗い心になっていたのだからね。聞き出せばすぐにその運びにしなければならないのを、怠っていることでも済まない気がする。お父さんの大臣に認めてもらう必要などはないよ。おおぜいの子供に大騒ぎをしていられるのだからね。たいした母から生まれたのでもない人がその中へはいって行っては、結局また苦労をさせることになる。私のほうは子供の数が少ないのだから、思いがけぬ所で発見した娘だとも世間へは言っておいて、貴公子たちが恋の対象にするほどにも私はかしずいてみせる」 源氏の言葉を聞いていて、右近は姫君の運がこうして開かれて行きそうであるとうれしかった。 「何も皆思召し次第でございます。内大臣へお知らせいたしますのも、あなた様のお手でなくてはできないことでございます。不幸なお亡くなり方をなさいました奥様のかわりにもともかくも助けておあげになりましたなら罪がお軽くなります」 と右近が言うと、 「私をまだそんなふうにも責めるのだね」 源氏は微笑みながらも涙ぐんでいた。 「短いはかない縁だったと、私はいつもあの人のことを思っている。この家に集まって来ている奥さんたちもね、あの時にあの人を思ったほどの愛を感じた相手でもなかったのが、皆あの人のように短命でないことだけで、私の忘れっぽい男でないのを見届けているのが多いのに、あの人の形見にはただ右近だけを世話していることが残念な気のすることは始終だったのに、そうして姫君を私の手もとへ引き取ることができればうれしいだろう」 こう言って、源氏は姫君へ最初の手紙を書いた。あの末摘花に幻滅を感じたことの忘れられない源氏は、そんなふうに逆境に育った麗人の娘、大臣の実子も必ずしも期待にそむかないとは思われない不安さから手紙の返事の書きようでまずその人を判断しようとしたのである。まじめにこまごまと書いた奥には、
こんなに私があなたのことを心配していますことは、
知らずとも尋ねて知らん三島江に生ふる三稜のすぢは絶えじな
とも書いた。右近はこの手紙を自身で持って行って、源氏の意向を説明した。姫君用の衣服、女房たちの服の材料などがたくさん贈られた。源氏は夫人とも相談したものらしく、衣服係の所にできていた物も皆取り寄せて、色の調子、重ねの取り合わせの特にすぐれた物を選んで贈ったのであったから、九州の田舎に長くいた人々の目に珍しくまばゆい物と映ったのはもっともなことである。姫君自身は、こんなりっぱな品々でなくても、実父の手から少しの贈り物でも得られたのならうれしいであろうが、知らない人と交渉を始めようなどとは意外であるというように、それとなく言って、贈り物を受けることを苦しく思うふうであったが、右近は母君と源氏との間に結ばれた深い因縁を姫君に言って聞かせた。人々も横から取りなした。 「そうして源氏の大臣の御厚意でごりっぱにさえおなりになりましたなら、内大臣様のほうからもごく自然に認めていただくことができます。親子の縁と申すものは絶えたようでも絶えないものでございます。右近でさえお目にかかりたいと一心に祈っていました結果はどうでございます。神仏のお導きがあったではございませんか。御双方ともお身体さえお丈夫でいらっしゃればきっとお逢いになれる時がまいります」 とも慰めるのである。まず早く返事をと言って皆がかりで姫君を責めて書かせるのであった。自分はもうすっかり田舎者なのだからと姫君は書くのを恥ずかしく思うふうであった。用箋は薫物の香を沁ませた唐紙である。
数ならぬみくりや何のすぢなればうきにしもかく根をとどめけん
とほのかに書いた。字ははかない、力のないようにも見えるものであったが、品がよくて感じの悪くないのを見て源氏は安心した。姫君を住ます所をどこにしようかと源氏は考えたが、南の一廓はあいた御殿もない。華奢な生活のここが中心になっている所であるから、人出入りもあまりに多くて若い女性には気の毒である。中宮のお住居になっている一廓の中には、そうした人にふさわしい静かな御殿もあいているが、中宮の女房になったように世間へ聞かれてもよろしくないと源氏は思って、少しじみな所ではあるが東北の花散里の住居の中の西の対は図書室になっているのを、書物をほかへ移してそこへ住ませようという考えになった。近くにいる人も気だての優しい、おとなしい人であるから、花散里と親しくして暮らすのもいいであろうと思ったのである。こうなってから夫人にも昔の夕顔の話を源氏はしたのであった。そうした秘密があったことを知って夫人は恨んだ。 「困るね。生きている人のことでは私のほうから進んで聞いておいてもらわねばならないこともありますがね。たとえこんな時にでも昔のそうした思い出を話すのはあなたが特別な人だからですよ」 こう言っている源氏には故人を思う情に堪えられない様子が見えた。 「自分の経験ばかりではありませんがね、他人のことででもよく見ましたがね、女というものはそれほど愛し合っている仲でなくてもずいぶん嫉妬をするもので、それに煩わされている人が多いから、自分は恐ろしくて、好色な生活はすまいと念がけながらも、そのうち自然に放縦にもなって、幾人もの恋人を持ちましたが、その中で可憐で可憐でならなく思われた女としてその人が思い出される。生きていたなら私は北の町にいる人と同じくらいには必ず愛しているでしょう。だれも同じ型の人はないものですが、その人は才女らしい、りっぱなというような点は欠けていたが、上品でかわいかった」 などと源氏が言うと、 「でも、明石の波にくらべるほどにはどうだか」 と夫人は言った。今も北の御殿の人を、不当にすばらしく愛されている女であると夫人はねたんでいた。小さい姫君がかわいいふうをして前に聞いているのを見ると、夫人の言うほうがもっともであるかもしれないと源氏は思った。それらのことは皆九月のうちのことであった。 姫君が六条院へ移って行くことは簡単にもいかなかった。まずきれいな若い女房と童女を捜し始めた。九州にいたころには相当な家の出でありながら、田舎へ落ちて来たような女を見つけ次第に雇って、姫君の女房に付けておいたのであるが、脱出のことがにわかに行なわれたためにそれらの人は皆捨てて来て、三人のほかにはだれもいなかった。京は広い所であるから、市女というような者に頼んでおくと、上手に捜してつれて来るのである。だれの姫君であるかというようなことはだれにも知らせてないのである。いったん右近の五条の家に姫君を移して、そこで女房を選りととのえもし衣服の仕度も皆して、十月に六条院へはいった。源氏は新しい姫君のことを花散里に語った。 「私の愛していた人が、むやみに悲観して郊外のどこかへ隠れてしまっていたのですが、子供もあったので、長い間私は捜させていたのですがなんら得る所がなくて、一人前の女になるまでほかに置いたわけなのですがその子のことが耳にはいった時にすぐにも迎えておかなければと思って、こちらへ来させることにしたのです。もう母親は死んでいるのです。中将をあなたの子供にしてもらっているのですから、もう一人あったっていいでしょう。世話をしてやってください。簡単な生活をして来たのですから、田舎風なことが多いでしょう。何かにつけて教えてやってください」 「ほんとうにそんな方がおありになったのですか。私は少しも知りませんでした。お嬢さんがお一人で、少し寂しすぎましたから、いいことですわね」 花散里はおおように言っている。 「母親だった人はとても善良な女でしたよ。あなたも優しい人だから安心してお預けすることができるのです」 などと源氏が言った。 「母親らしく世話を焼かせていただくこともこれまではあまり少なくて退屈でしたから、いいことだと思います、ごいっしょに住むのは」 と花散里は言っていた。女房たちなどは源氏の姫君であることを知らずに、 「またどんな方をお迎えになるのでしょう。同じ所へね。あまりに奥様を古物扱いにあそばすではありませんか」 と言っていた。 姫君は三台ほどの車に分乗させた女房たちといっしょに六条院へ移って来た。女房の服装なども右近が付いていたから田舎びずに調えられた。源氏の所からそうした人たちに入り用な綾そのほかの絹布類は呈供してあったのである。 その晩すぐに源氏は姫君の所へ来た。九州へ行っていた人たちは昔光源氏という名は聞いたこともあったが、田舎住まいをしたうちにそのまれな美貌の人がこの世に現存していることも忘れていて今ほのかな灯の明りに几帳の綻びから少し見える源氏の顔を見ておそろしくさえなったのであった。源氏の通って来る所の戸口を右近があけると、 「この戸口をはいる特権を私は得ているのだね」 と笑いながらはいって、縁側の前の座敷へすわって、 「灯があまりに暗い。恋人の来る夜のようではないか。親の顔は見たいものだと聞いているがこの明りではどうだろう。あなたはそう思いませんか」 と言って、源氏は几帳を少し横のほうへ押しやった。姫君が恥ずかしがって身体を細くしてすわっている様子に感じよさがあって、源氏はうれしかった。 「もう少し明るくしてはどう。あまり気どりすぎているように思われる」 と源氏が言うので、右近は燈心を少し掻き上げて近くへ寄せた。
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