須磨のほうでは紫の女王との別居生活がこのまま続いて行くことは堪えうることでないと源氏は思っているのであるが、自分でさえ何たる宿命でこうした生活をするのかと情けない家に、花のような姫君を迎えるという事はあまりに思いやりのないことであるとまた思い返されもするのである。下男や農民に何かと人の小言を言う事なども居間に近い所で行なわれる時、あまりにもったいないことであると源氏自身で自身を思うことさえもあった。近所で時々煙の立つのを、これが海人の塩を焼く煙なのであろうと源氏は長い間思っていたが、それは山荘の後ろの山で柴を燻べている煙であった。これを聞いた時の作、
山がつの庵に焚けるしばしばも言問ひ来なむ恋ふる里人
冬になって雪の降り荒れる日に灰色の空をながめながら源氏は琴を弾いていた。良清に歌を歌わせて、惟光には笛の役を命じた。細かい手を熱心に源氏が弾き出したので、他の二人は命ぜられたことをやめて琴の音に涙を流していた。漢帝が北夷の国へおつかわしになった宮女の琵琶を弾いてみずから慰めていた時の心持ちはましてどんなに悲しいものであったであろう、それが現在のことで、自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、とそんなことを源氏は想像したが、やがてそれが真実のことのように思われて来て、悲しくなった。源氏は「胡角一声霜後夢」と王昭君を歌った詩の句が口に上った。月光が明るくて、狭い家は奥の隅々まで顕わに見えた。深夜の空が縁側の上にあった。もう落ちるのに近い月がすごいほど白いのを見て、「唯是西行不左遷」と源氏は歌った。
何方の雲路にわれも迷ひなん月の見るらんことも恥かし
とも言った。例のように源氏は終夜眠れなかった。明け方に千鳥が身にしむ声で鳴いた。
友千鳥諸声に鳴く暁は一人寝覚めの床も頼もし
だれもまだ起きた影がないので、源氏は何度もこの歌を繰り返して唱えていた。まだ暗い間に手水を済ませて念誦をしていることが侍臣たちに新鮮な印象を与えた。この源氏から離れて行く気が起こらないで、仮に京の家へ出かけようとする者もない。 明石の浦は這ってでも行けるほどの近さであったから、良清朝臣は明石の入道の娘を思い出して手紙を書いて送ったりしたが返書は来なかった。父親の入道から相談したいことがあるからちょっと逢いに来てほしいと言って来た。求婚に応じてくれないことのわかった家を訪問して、失望した顔でそこを出て来る恰好は馬鹿に見えるだろうと、良清は悪いほうへ解釈して行こうとしない。すばらしく自尊心は強くても、現在の国の長官の一族以外にはだれにも尊敬を払わない地方人の心理を知らない入道は、娘への求婚者を皆門外に追い払う態度を取り続けていたが、源氏が須磨に隠栖をしていることを聞いて妻に言った。 「桐壺の更衣のお生みした光源氏の君が勅勘で須磨に来ていられるのだ。私の娘の運命についてある暗示を受けているのだから、どうかしてこの機会に源氏の君に娘を差し上げたいと思う」 「それはたいへんまちがったお考えですよ。あの方はりっぱな奥様を何人も持っていらっしって、その上陛下の御愛人をお盗みになったことが問題になって失脚をなすったのでしょう。そんな方が田舎育ちの娘などを眼中にお置きになるものですか」 と妻は言った。入道は腹を立てて、 「あなたに口を出させないよ。私には考えがあるのだ。結婚の用意をしておきなさい。機会を作って明石へ源氏の君をお迎えするから」 と勝手ほうだいなことを言うのにも、風変わりな性格がうかがわれた。娘のためにはまぶしい気がするほどの華奢な設備のされてある入道の家であった。 「なぜそうしなければならないのでしょう。どんなにごりっぱな方でも娘のはじめての結婚に罪があって流されて来ていらっしゃる方を婿にしようなどと、私はそんな気がしません。それも愛してくださればよろしゅうございますが、そんなことは想像もされない。戯談にでもそんなことはおっしゃらないでください」 と妻が言うと、入道はくやしがって、何か口の中でぶつぶつ言っていた。 「罪に問われることは、支那でもここでも源氏の君のようなすぐれた天才的な方には必ずある災厄なのだ、源氏の君は何だと思う、私の叔父だった按察使大納言の娘が母君なのだ。すぐれた女性で、宮仕えに出すと帝王の恩寵が一人に集まって、それで人の嫉妬を多く受けて亡くなられたが、源氏の君が残っておいでになるということは結構なことだ。女という者は皆桐壺の更衣になろうとすべきだ。私が地方に土着した田舎者だといっても、その古い縁故でお近づきは許してくださるだろう」 などと入道は言っていた。この娘はすぐれた容貌を持っているのではないが、優雅な上品な女で、見識の備わっている点などは貴族の娘にも劣らなかった。境遇をみずから知って、上流の男は自分を眼中にも置かないであろうし、それかといって身分相当な男とは結婚をしようと思わない、長く生きていることになって両親に死に別れたら尼にでも自分はなろう、海へ身を投げてもいいという信念を持っていた。入道は大事がって年に二度ずつ娘を住吉の社へ参詣させて、神の恩恵を人知れず頼みにしていた。 須磨は日の永い春になってつれづれを覚える時間が多くなった上に、去年植えた若木の桜の花が咲き始めたのにも、霞んだ空の色にも京が思い出されて、源氏の泣く日が多かった。二月二十幾日である、去年京を出た時に心苦しかった人たちの様子がしきりに知りたくなった。また院の御代の最後の桜花の宴の日の父帝、艶な東宮時代の御兄陛下のお姿が思われ、源氏の詩をお吟じになったことも恋しく思い出された。
いつとなく大宮人の恋しきに桜かざしし今日も来にけり
と源氏は歌った。 源氏が日を暮らし侘びているころ、須磨の謫居へ左大臣家の三位中将が訪ねて来た。現在は参議になっていて、名門の公子でりっぱな人物であるから世間から信頼されていることも格別なのであるが、その人自身は今の社会の空気が気に入らないで、何かのおりごとに源氏が恋しくなるあまりに、そのことで罰を受けても自分は悔やまないと決心してにわかに源氏と逢うために京を出て来たのである。親しい友人であって、しかも長く相見る時を得なかった二人はたまたま得た会合の最初にまず泣いた。宰相は源氏の山荘が非常に唐風であることに気がついた。絵のような風光の中に、竹を編んだ垣がめぐらされ、石の階段、松の黒木の柱などの用いられてあるのがおもしろかった。源氏は黄ばんだ薄紅の服の上に、青みのある灰色の狩衣指貫の質素な装いでいた。わざわざ都風を避けた服装もいっそう源氏を美しく引き立てて見せる気がされた。室内の用具も簡単な物ばかりで、起臥する部屋も客の座から残らず見えるのである。碁盤、双六の盤、弾棊の具なども田舎風のそまつにできた物が置かれてあった。数珠などがさっきまで仏勤めがされていたらしく出ていた。客の饗応に出された膳部にもおもしろい地方色が見えた。漁から帰った海人たちが貝などを届けに寄ったので、源氏は客といる座敷の前へその人々を呼んでみることにした。漁村の生活について質問をすると、彼らは経済的に苦しい世渡りをこぼした。小鳥のように多弁にさえずる話も根本になっていることは処世難である、われわれも同じことであると貴公子たちは憐んでいた。それぞれに衣服などを与えられた海人たちは生まれてはじめての生きがいを感じたらしかった。山荘の馬を幾疋も並べて、それもここから見える倉とか納屋とかいう物から取り出す稲を食わせていたりするのが源氏にも客にも珍しかった。催馬楽の飛鳥井を二人で歌ってから、源氏の不在中の京の話を泣きもし、笑いもしながら、宰相はしだした。若君が何事のあるとも知らずに無邪気でいることが哀れでならないと大臣が始終歎いているという話のされた時、源氏は悲しみに堪えないふうであった。二人の会話を書き尽くすことはとうていできないことであるから省略する。 終夜眠らずに語って、そして二人で詩も作った。政府の威厳を無視したとはいうものの、宰相も事は好まないふうで、翌朝はもう別れて行く人になった。好意がかえってあとの物思いを作らせると言ってもよい。杯を手にしながら「酔悲泪灑春杯裏」と二人がいっしょに歌った。供をして来ている者も皆涙を流していた。双方の家司たちの間に惜しまれる別れもあるのである。朝ぼらけの空を行く雁の列があった。源氏は、
故郷を何れの春か行きて見ん羨ましきは帰るかりがね
と言った。宰相は出て行く気がしないで、
飽かなくに雁の常世を立ち別れ花の都に道やまどはん
と言って悲しんでいた。宰相は京から携えて来た心をこめた土産を源氏に贈った。源氏からはかたじけない客を送らせるためにと言って、黒馬を贈った。 「妙なものを差し上げるようですが、ここの風の吹いた時に、あなたのそばで嘶くようにと思うからですよ」 と言った。珍しいほどすぐれた馬であった。 「これは形見だと思っていただきたい」 宰相も名高い品になっている笛を一つ置いて行った。人目に立って問題になるようなことは双方でしなかったのである。上って来た日に帰りを急ぎ立てられる気がして、宰相は顧みばかりしながら座を立って行くのを、見送るために続いて立った源氏は悲しそうであった。 「いつまたお逢いすることができるでしょう。このまま無限にあなたが捨て置かれるようなことはありません」 と宰相は言った。
「雲近く飛びかふ鶴も空に見よわれは春日の曇りなき身ぞ
みずからやましいと思うことはないのですが、一度こうなっては、昔のりっぱな人でももう一度世に出た例は少ないのですから、私は都というものをぜひまた見たいとも願っていませんよ」 こう源氏は答えて言うのであった。
「たづかなき雲井に独り音をぞ鳴く翅並べし友を恋ひつつ
失礼なまでお親しくさせていただいたころのことをもったいないことだと後悔される事が多いのですよ」 と宰相は言いつつ去った。 友情がしばらく慰めたあとの源氏はまた寂しい人になった。 今年は三月の一日に巳の日があった。 「今日です、お試みなさいませ。不幸な目にあっている者が御禊をすれば必ず効果があるといわれる日でございます」 賢がって言う者があるので、海の近くへまた一度行ってみたいと思ってもいた源氏は家を出た。ほんの幕のような物を引きまわして仮の御禊場を作り、旅の陰陽師を雇って源氏は禊いをさせた。船にやや大きい禊いの人形を乗せて流すのを見ても、源氏はこれに似た自身のみじめさを思った。
知らざりし大海の原に流れ来て一方にやは物は悲しき
と歌いながら沙上の座に着く源氏は、こうした明るい所ではまして水ぎわだって見えた。少し霞んだ空と同じ色をした海がうらうらと凪ぎ渡っていた。果てもない天地をながめていて、源氏は過去未来のことがいろいろと思われた。
八百よろづ神も憐れと思ふらん犯せる罪のそれとなければ
と源氏が歌い終わった時に、風が吹き出して空が暗くなってきた。御禊の式もまだまったく終わっていなかったが人々は立ち騒いだ。肱笠雨というものらしくにわか雨が降ってきてこの上もなくあわただしい。一行は浜べから引き上げようとするのであったが笠を取り寄せる間もない。そんな用意などは初めからされてなかった上に、海の風は何も何も吹き散らす。夢中で家のほうへ走り出すころに、海のほうは蒲団を拡げたように腫れながら光っていて、雷鳴と電光が襲うてきた。すぐ上に落ちて来る恐れも感じながら人々はやっと家に着いた。 「こんなことに出あったことはない。風の吹くことはあっても、前から予告的に天気が悪くなるものであるが、こんなににわかに暴風雨になるとは」 こんなことを言いながら山荘の人々はこの天候を恐ろしがっていたが雷鳴もなおやまない。雨の脚の当たる所はどんな所も突き破られるような強雨が降るのである。こうして世界が滅亡するのかと皆が心細がっている時に、源氏は静かに経を読んでいた。日が暮れるころから雷は少し遠ざかったが、風は夜も吹いていた。神仏へ人々が大願を多く立てたその力の顕われがこれであろう。 「もう少し暴風雨が続いたら、浪に引かれて海へ行ってしまうに違いない。海嘯というものはにわかに起こって人死にがあるものだと聞いていたが、今日のは雨風が原因になっていてそれとも違うようだ」 などと人々は語っていた。夜の明け方になって皆が寝てしまったころ、源氏は少しうとうととしたかと思うと、人間でない姿の者が来て、 「なぜ王様が召していらっしゃるのにあちらへ来ないのか」 と言いながら、源氏を求めるようにしてその辺を歩きまわる夢を見た。さめた時に源氏は驚きながら、それではあの暴風雨も海の竜王が美しい人間に心を惹かれて自分に見入っての仕業であったと気がついてみると、恐ろしくてこの家にいることが堪えられなくなった。
●表記について
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- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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