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衣服と婦人の生活(いふくとふじんのせいかつ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-11-2 11:22:23 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 昔の日本では大抵田舎のお婆さんが綿を紡いで自分で染めて織って家内の必要はみたしていた。ところが紡績が発達して一反五十銭、八十銭で買えるような時代になると、農家の人々は、どうしてもそういう反物を買うようになった。貧乏のために娘を吉原に売るよりはまだ女工の方が人間なみの扱いと思って紡績工場に娘をやって、その娘は若い命を減しながら織った物が、まわりまわってその人たちの親の財布から乏しい現金をひき出してゆくという循環がはじまった。日本の農村生活は封建と資本主義生産と二重の重荷を負って生きて来たことは、この簡単な堂々めぐりを観察しただけでも十分にわかると思う。
 今日衣服、服装の問題は社会的な問題で、決してただ個人の趣味だけのことではなくなった。ただひとこと「おしゃれをしている」といわれる人のおしゃれを、はっきり開いた眼でみれば、その女の人の生活の裏がこのインフレーション地獄の下でどうやりくりされているか見えるようなおしゃれもある。
 ここで、誰のために何を縫うのかという質問は、もっと身に迫って、私たちは、どういうものを自分で着られるような社会にしようとしているのかということが問題になってくる。近代の資本主義の社会で裁縫は一つの職業になった。アメリカなどでも労働者の比率から見ると被服工場に働いている婦人労働者が第一位を占めている。アメリカの能率のよい生産行程では、一つの型紙でもって電気鋏で一度に数百枚の切れ地を切って電気ミシンで縫う。
 特に裁縫ではいろいろ細工がある。衣料関係の労働は、こういう大量の既製品製作ばかりではない。金モール細工をする人、刺繍をする人、さけた布地をつぐ専門家、大体それは女の仕事であった。或は、立って働くには不便な不具の男の仕事とされた。アンデルセンの「絵のない絵本」の一番初めの話は、高い屋根裏の部屋で朝から晩までモール刺繍をして暮している娘の窓に月が毎晩訪れて、お話をして聴かせるという話だったと思う。都会の屋根うらのそういうふうな娘の人生を、アンデルセンは悲しい同情をもって理解した。
 またこんどの大戦前に堀口大学氏の訳で出版されたマルグリット・オードウの「孤児マリー」という独特な小説があった。この小説の作家、マルグリットはパリのつつましい一人の裁縫師であった。裁縫工場に勤めて働いている裁縫女工ではなくて、個人から小さい註文を受け取って働くお針さんであった。
 孤児として修道院で育てられたマルグリットは、農家の家畜番をする娘として働き、やがてパリに来て初めは裁縫工場に働き、やがてお針さんをしているうちに眼が悪くなり、だんだん手さぐりで縫うよりしかたがないようになった。長い間本をよむことや書くことが好きであったためマルグリットは遂にお針を止めて書くようになり、そして「孤児マリー」と「町から風車場へ」など、フランスの婦人作家に珍しい純朴な美しい作品をかいた。
 このように、孤児のお針さんであった人が、小説も書くようになったということにはフランスの社会のどこにかある民衆の文化性の高さ、ゆたかさが思われる。マルグリットの文学の真似のしようのない美しさ純粋さは、視力を失うほど生活とたたかい、その苦しい生活の中にも理想をもって人間らしく生きようとした思いの凝固こりかたまったものとして作品の中に溢れている。
 日本でも女の人ならお針だけは出来るからと、お針の内職を思いつくことは決して少くない。「和服仕立て致します」「裁縫致します」と細長く切った紙に書いた広告はその家の前に大きく堂々と掲げられていることは殆どない。小さい紙に女のいくらかたどたどしい字で「和服裁縫致します。何番地何某」と、姓だけしか書いてない紙が板塀や電信柱に貼られている。そこに、和服裁縫の内職という仕事にからみついている独特な雰囲気がある。
 この節のようなインフレーションでどの家でも貯金もなくなり、子供に一本の飴でも食べさせたいため、また夫の誕生日にすきなものの一つも食べさせたいというつまり妻や母の気持で、紙に「裁縫致します」と書くことになって来ている。けれどもこの「和服裁縫いたします」の貼紙は、何とまざまざと、日本の家庭というもののよるべなさ、妻の活動能力の低さ、切ないこころをつつむにあまる姿で示しているだろう。一九四七年の日本インフレーションのこんなすさまじい波風にもまれて、電柱に和服裁縫内職の紙のひらめいている光景は、実に悲惨な時代錯誤の感じを与える風景だと思う。樋口一葉の小説の中にあるにふさわしい風景だと思う。
 こういう時代錯誤的な切ない風景を街に現出した根源には戦争による国民経済の破壊があり、そこに君臨した制服万能の問題があることをわたしたちは決して見のがしてはならないと思う。制服というものは土台、一人一人の人格や個性、その人の人生を抹殺して、一定目的のための集団性を示す手段ではないだろうか。一人一人から名前を取って番号形にしてしまうと同じで、兵隊でも監獄でも個性を示す銘々の着物は決して着せない。女学校でさえ制服のスカートの長さを、長いとか短いとか、喧しくいった。男はすべていがぐり、女のパーマネントは打倒。そして私たちは戦争に追いたてられ、今日のギセイとなっている。
 ブルジョア民主主義の進んだ国ではそれぞれの人が自分の能力とこのみに従って、どんななりをしようとも、好きなものを着て個性を発揮していいところまで行っている。しかしその段階では、まだ着るものも買えない人々の存在が絶滅されていないし、「着るに着られない」という状態も、またそのひとの力相応とみる矛盾がのこされている。
 本当にわたくしたちが社会で働き得ること、その働きによって、衣食住が保障されること、こういう生存の必要条件が合理的に保証されていなければ、最も長い時間裁縫工場で働かなければならない婦人が、着るに着られず生活しなければならない矛盾は解決されない。
 いい身なりということについても、随分わたしたちの感覚はしっかりして来たと思う。美しい身なりというものを生活的に感じとるようになって来ていると思う。私たちは誰でも、雨の降る日にレイン・コートもないのに絹の着物なんか着て歩きたくないと思っている。雨になって直ぐ縮むような縮緬ちりめんの服をつくるより、麻のワンピース、木綿の着物、雨が降っても大丈夫な長靴が欲しいし、そういう生活の役に立つ服装がすべての人に余り差別なく出来るようでありたいと思う。私たちが衣服についてもつ希望や要求はこんなに遠大な本質をもつものであることを、私たちは知っていただろうか。
 政治というと、私たちの生活に遠いことのようだけれども、こうして、衣服一つとして追求してもやはり結局は社会的な意味をもっている。人民全体が、どう食べ、どう住み、どう着ているのか、そしてどんな教育をされているかということは、ひとの政治問題ではない。じつにわたしたちの運命の課題なのである。
 服装について、センス(感覚)ということがよくいわれる。服装についてセンスというのは、ただ単純に配色、アクセントなどについてだけ語られるものだろうか。そうは思えない。やつれた体に粉飾してアクセントをつけたとして、それがよいセンスだろうか。美しさの基本に私たちは健康をもとめる。健康な体に、目的にかなったなりをしたいと思う。それには食べ物が確保されなければならない。安心して寝る家を確保しなければならない。人間らしい気品の保てる経済条件がなければならない。
 本当に深く人生を考えて見れば、今の社会に着物一つを問題にしてもやはり決して不可能ではない未来の一つの絵図として本当に糸を紡いで織ったり染めたりしている紡績の労働組合が強くなって勤労者全員のための衣料について積極的に作用するようになったら、衣服事情は今日では信じられないほど大きい変化をみるだろう。今の日本の繊維産業は大体総同盟のしめつけで非常に組合としては無力化されてしまっている。もしそういう抑圧から自分を解放して繊維の組合が自主的な企画で生産をやるようになれば、組合間の健全な物質の交換で布地の流れは本当に違ってくる。
 今日新聞に出た経済安定本部の経済白書をわたしたちは、どんなこころもちでよんだだろう。あの白書のなかにかかれている文句を、数字に直し、それを原型として一枚の生活図をひいたらば、それは果して人間生活という肉体に合うようなものだろうか。
 日本のあらゆる女性が手にもって暮して来た物指やテープをハトロン紙の上に走らせるばかりでなく社会の上に、わたしたちの人生とその建設のために使うことを知るようにならなければならないと思う。

〔一九四七年十月〕





底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「働く婦人」
   1947(昭和22)年10月号
※李白は唐の詩人であることから、「宋」にママを付した。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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