待つて下さい、諸君!
それから三日後である。上村少佐とダンリ中尉とは、約束の決闘場たる練兵場へ現れた。双方型どほり二人づつの介添人がついてゐる。武器はピストルで、互に百歩はなれて介添人が上げてゐる手を下すのを合図に、双方一度に発射するのだ。発射が早いと卑怯といはれるし、遅いと、敵の弾にやられてしまふ危険がある。なか/\むづかしいものだ。 やがて少佐も中尉も定の位置について、中尉方の一人の介添人が、今日の決闘の趣旨を宣言しようとしたとき、どうしたことか、上村少佐は突然右の手を高く上げて叫んだ。 「待つて下さい、諸君!」 相手の中尉は元より、双方の介添人たちも少佐の言葉にすつかり呆れてしまつた。が、少佐はそんなことには一切おかまひなく言葉をつゞけた。 「私はこの決闘の仕方を、もつと安全なものにかへたいと思ふのです。」 ます/\意外だ。みんなの驚きは一方ならぬものがあつた。 「つまり双方とも死にもせず、怪我もしないで、しかも名誉を十分に保つことの出来る方法にかへたいのです。」 誰も口をきかなかつた。けれども、みんな、少佐は決闘が恐くなつたので、今更こんなことをいひ出したものと思ひ、卑怯な人間だと内心軽蔑してゐるのを、顔の色にあり/\とあらはしてゐた。それももつともである。だが、少佐は少しもひるまない。平気で言葉をつゞけた。 「私はこれまで幾十度となく銃砲弾の中をくゞつて来たから、ちつぽけなピストルの弾など少しも恐れるものではない。しかし、今、私の一身は、天皇陛下と、日本のために捧げたもので、これから生ひ立つて行く日本の新陸軍のために、非常に重大な任務を帯びてゐるものであるから、つまらぬ名誉心のために、勝手にそれを殺したり、傷つけたりすることはできないのだ。」 少佐の言葉は次第に熱と威厳とを増して来たので、今まで軽蔑してゐた人々も、思はず襟を正しうして、耳を傾けた。 「またダンリ中尉もフランス軍にとつては、新式砲ミトライユの指揮者として、この場合、なくてならぬ人である。その重要な人が決闘で傷つき、倒れ、肝腎の戦場に出て、働かれぬやうなことがあつては、甚だ遺憾である。熱烈な愛国者であるダンリ中尉の弾は、私に対してよりも、真のフランスの敵に向けらるべきものである。」 すぢの通つた、正しい少佐の言葉を聞く人達は、まつたくそのとほりにちがひないと、うなづくのであつた。 少佐はやはり厳然としてつゞけた。 「それだから、私はまことに安全で、しかも我々両人にとつて最もふさはしい決闘法を提議する。それは、中尉は射撃の名手であり、私も又その方にかけては相当の自信をもつてゐる。それで二人して射撃の術くらべをしようといふのである。」 「うん、それは面白いな! 賛成だ!」と、ダンリ中尉はもうすつかり打ちとけて叫んだ。「だが、勝負はどうしてつけるのか。」 「何でも君がうつ的を、私もうつことにする。もし私がうてなかつたなら、私が負だ。又もし君の的を私が残らずうつて、君が新たにうつべき的を見つけられない場合には、今度は私が的をえらぶから、それを君がうてばよい。それを君がうつたら、私が降参しようし、うてなかつたら、私の勝だ。」
弾で書く文字
話はきまつた。みんなはすぐつれ立つて射撃場へ行つた。そこには丁度フランス兵の一隊も射撃演習に来てゐたので、この珍しい決闘射撃のことを知ると、みんな見物することになつた。 最初は普通の標的の点取射撃で、どちらも名人のことだから、無造作に満点で、勝負なしに終つた。 次にダンリ中尉は速射をした。扱ひにくいその頃の小銃で、一分間七発もうつて、それがいづれも黒点をうちぬくのだから、神技ともいふべき素晴しい腕前であつた。しかし、上村少佐はそれに輪をかけた速さで、一分間十発もうつて、やつぱり黒点のまん中をうちぬいて、フランスの軍人たちをあつといはせた。 ダンリ中尉もいさゝか驚いたやうだが、今度は他の人に銅貨を空にほふり上げさせて、それが地面に落ちきらないうちに、ポン/\打つのだつた。百発百中で、見てゐる多くの仏人たちはその見事さに手を拍つて悦んだ。けれども上村少佐にだつてそんなことはお茶の子さい/\だつた。 ダンリ中尉は少しあせつて来た。「この爺め、なか/\の奴だ。しかし今度は真似ができまい。」 そこで中尉はいよ/\取つておきの手を出した。 「では、向かふに白紙を張つた衝立をおいて、僕がそれに一つ文字を射ぬいて現すから、あなたもそれをやつてごらんなさい。出来たら、僕が負けたことにしよう。僕はフランスの敵たるプロシヤの頭を打ちぬくといふ意味で、その頭字Pを射ぬいてみせよう!」 中尉はさういつて、用意された白紙張の衝立に向かひ、ポン/\と、一発又一発、丹念にうつて行くと、やがてその弾痕は点々とつらなつて、大きなPの字をゑがき出した。なか/\あざやかな手際であつた。見てゐる仏軍の将士は今度こそと一斉に手をたゝいて悦んだ。 上村少佐もニコ/\して手をうつた。そしてつか/\とダンリ中尉に近寄つて、手をさしのべた。 「立派だ! もう私が試みる必要はない。君は今見事に敵の頭を打ちぬいて、大勝利を得た、私は心からお悦びを申し上げる!」 ダンリ中尉は勝つたと思つて、やつぱりニコ/\しながらその手を握りしめると、又あたりから盛んに拍手が起つた。 が、しかし、この拍手が一しきりやむと、上村少佐は再び銃を取上げ、容をあらためて、一同に向かつていつた。 「諸君、私は今、ダンリ中尉の妙技に絶大の敬意を表し、又フランスを祝賀するために、改めてダンリ中尉の真似をさせて頂きます。しかし、いさゝかちがつた風に、即ち一字だけではなく、二三の言葉を射ぬくことにいたしませう。」 少佐は銃を肩に当てるが早いか、まづポンと一つ、無造作に打つ放し、それからこめては打ち、こめては打ちして釣瓶打だ。その速いこと! だが、白紙の衝立に残つた弾の痕は唯、めちやくちやに点がちらばつてゐるだけで、字なんか一つもかけてゐなかつた。見てゐる人々は唯驚き呆れてゐる。けれども少佐は一向平気だ。そしてすました顔でいつた。 「これが私の心をこめたフランスへお祝ひの言葉です!」 ダンリ中尉は例の肩をすぼめる身振をしていつた。 「ですが、少佐、あれは一体何と読むのですか。少くともフランス語ではありませんね。多分、日本語なんでせう。」 「いや、フランス語をかいたのです。」と、いひながら、上村少佐は衝立に近寄り、ポケツトから鉛筆を取出して、一番左端の上の弾痕から、その下の、六十糎ほどへだてて、少し右へ寄つた弾痕へ、斜にスツと一本の線をひき、更に今度はその点から、逆に上の方へ、最初の弾痕の右の方に三十糎ほどはなれて、同じ高さにならんでゐる第三の弾痕へ、スウツと一線をひいたのでVの字が出来た。かうして散らばつた弾痕を次から次へと鉛筆でつないで行くと、
VIVE LA FRANCE! (フランス万歳!) といふ言葉になつた。 忽ち、見事! 見事! といふ声が湧き起つて、上村少佐は仏軍将士のために胴上されて、しばらくは足が地につかなかつた。 少佐は改めてプロシヤ軍の兵器について仏軍当局に注意したが、そのときにはもう遅かつた。仏軍の大敗は勿論士気、編制にもよるが、少佐が見破つた兵器の劣等であつたことも大なる原因であつた。 上村少佐は帰朝後、これからその腕をふるはうとしたとき急病にかゝつて亡くなつたので、その立派な知識も、すぐれた考案も、実際の役に立てることができないでしまつたのは甚だ残念である。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で表しました。
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