一
御維新の少し前頃、北海道有珠のアイヌ部落にキクッタとチャラピタといふ二人の少年がゐました。キクッタは十七で、チャラピタは一つ下の十六でした。小さなときから、大へん仲好しで、遊ぶにも魚をとるにも、また罠をかけに行くにも、いつも一しよでした。ところが、その年になつて、二人が今までのやうに睦じくやつていけないことが起りました。それはアイヌが一ばん手柄にする熊捕りの競争を二人が始めたからです。特に本年は 「部落で、十五歳から十八歳までの少年で、一ばん早く、一ばん大きな熊をとつたもの、または一番沢山の数をとつた者には会所のお役人からりつぱな鉄砲を一挺下さる。そして部落ではその人をやがて酋長の候補者にしよう」 さういふ懸賞の附いた課題が出てゐましたから、みんなが勇んだのですがじつさいそれに応ずる力のあるのは、キクッタとチャラピタとだけよりなかつたので、自然、二人の間の競争となつてしまひました。 「おれが勝つてみせるぞ!」 「なアに、優勝はおれのものだ」
二
そこで、キクッタは、ある日、お父さんのモコッチャルの銃を借りて、ベンベの森を熊をさがして、歩き廻つてゐました。 時は秋の半ばでした。赤く、紫に、黄に、樺色に、まるで花のやうにいろいろの紅葉が青い松や樅と入りまじつた、その美しさといつたらありません。しかし、それよりもつと、このアイヌの少年の目をひきつけたのは、青いコクワと、濃紫の山葡萄の実が、玉をつらねたやうに、ふさ/\と生つて、おいで/\をしてゐることでした。 これはキクッタのやうなアイヌの少年には結構なおやつであるばかりか、また熊にとつても、大好物です。だから、コクワや山葡萄が沢山生つてゐるところには、きつと熊が来るものです。果して熊の糞をキクッタは見付けました。 「やア、親父(熊のこと)がゐるぞ!」 キクッタは銃を肩から下ろし、注意ぶかくそこらをあらためました。糞はごく新らしく、あたりの草はふみにぢられて、大きなお盆のやうな熊の足あとがいつぱいついてゐました。 「よし、〆た。おれが勝ちだ。この熊をおれがとつてやる!」 キクッタは胸をどき/\させながら、そろ/\と、なほも足あとをつけて行きました。 と、たちまち、右手の藪がガサ/\と音がしたので、急いで銃を取り直すひまもなく、いきなり目の前に、牡牛のやうな大きな羆があらはれ、後ろ脚でスクッと立上がり、まつかな口に、氷のやうな牙をあらはし、ウオーッと吼えました。 「畜生!」 キクッタはその心臓を狙つて、引金をひきました。 「ドーン」 鋭い銃声が森に反響しました。射術にかけては、少年の間は勿論大人のアイヌの間にも有名なキクッタですから、大熊はその場に地響きさして、ぶつ仆れた――はずですが、不幸、ガチッと音がして、不発でした。さア大へん。もう弾丸をこめ直すひまもありませんから、いきなり銃を逆手に持ち直し、とびかゝつて来ようとする大熊の頭を力まかせになぐりつけましたが、岩のやうなその頭は、銃の台尻の一打ぐらゐは平気です。大熊はいよ/\怒つて、キクッタにとびついて来ましたから、キクッタはひらりと身をかはして、やりすごし、そばの立木の下枝へ手をかけるが早いか、すら/\と、まるで猿のやうに、その梢によぢのぼりました。 大熊はその木の幹に前脚をかけ、ウオ/\と吼え狂ひながら、力まかせにゆすぶりました。生憎くその木は小さかつたので、まるで暴風に吹かれてゞもゐるやうに、ゆら/\、ざわ/\と動いて、キクッタは今にも落ちさうでした。 しばらく、かうゆすぶつては吼え、吼えては梢のキクッタを見上げてゐた大熊は、やがて何か思ひ付いたやうに、その大きな片手をあげて、小さな木の幹をハッシと打ちました。直径十センチぐらゐの、柔かい、ゑぞ松でしたから、大熊の一打ちに、まるでマッチの棒みたやうに、ポッキと折れて、メリ/\と仆れかけました。しかし、さすがは、キクッタです、その拍子にすばやく、ヒョイとそばの、べつな木にとび移りました。 が、運の悪いときは仕方のないもので、その手のかゝつた枝が枯れてゐたとみえ、ポッキリと音がして、キクッタはずる/\、ズドンと地に落ちました。それと殆んど同時に、銃声がひゞいたやうでしたが、すぐ気絶したのであとは分りません。 気がついてみると、自分のそばに、チャラピタが立つてゐました。折りよく、来合はせたチャラピタは、大熊の頭に一発、弾丸を打ち込んで、キクッタを救つたのでした。
三
キクッタは折角、自分が見付けた熊をチャラピタの為に打取られ、おまけに生命までも救つてもらつたことになつたので、口惜くてたまりません。これからは何んとかして、大きな熊をたくさんとつて、あはよくば、チャラピタの生命を救つてやらなければ、一つでも年上の自分の面目が立たないと、せつせと熊をさがして歩きました。 けれども、もう銃はないので、その代りに弓矢をもつて出ました。矢の根には、トリカブトといふ草の根からとつた毒汁ブシを泥にねりまぜたものが塗つてあるので、その矢が中れば、どんな猛悪な熊でも、すぐ、ゴロリとたふれて死ぬのです。 ところが、ある日、オサル川の岸を上へのぼつて行くと、近くで、猛烈に熊が吼えるのを聞いて、急いで、その方へ行つてみると、驚いてしまひました。一人のアイヌが、大きな熊と、必死となつて、組打ちしてゐるのでした。しかも、そのアイヌはチャラピタだつたのです。チャラピタは大胆にも、大熊のふところにとびこみ、両手両足で大熊の胸にしがみついてゐるのでした。熊は怒つて、チャラピタの頭を、たゞ一口に噛みくだいてやらうとするけれど、チャラピタはそのあごの下に、ピッタリと顔をつけてゐるので、大熊にはそれが出来ません。そこで、爪でもつて、八つ裂きにしてやらうとしましたが、熊の手は、人間の手ほど深く内側に曲らないので、ダニのやうに胸にくひこんでゐるチャラピタの身にまではとゞきません。だから、大熊はなほ更怒つて、ウオ/\と吼えながら、この厄介な人間を振り落してやらうと、そこらぢうを飛び廻り、跳ね廻つてゐるのでした。 然し、チャラピタの方でも、これ以上は、どうにも仕方がありません。腰の小刀をとることが出来さへすれば、熊の心臓を一刺しに突き刺してしまふのですが、さうするために、うつかり片手を放さうものなら、振り落される恐れがあるので、仕方なしに、只しつかりと抱付いてゐるのでした。 キクッタはそれを見て、日頃の念ひがかなつたと、大悦びでした。 「おい、チャラピタ、しつかりしろツ! キクッタが助けに来たぞ!」と、大きな声でどなりながら、毒矢を弓につがへて、大熊を狙ひました。キクッタは弓にかけても、たしかな腕前をもつてゐましたけれど、大熊は一秒の休みもなく、とびまはり、跳ねまはりしてゐるうへ、その胸にはチャラピタが抱きついてゐるのですから、射そんじると大へんなことになります。 で、只、ぢつと狙ひをつけ、すきをうかゞつてゐましたが、容易にそんなすきが見付かりません。そのうち、大熊が、ウオッと一きわ強く吼えて、ピョンとはね上がつた拍子に手の力がゆるんだかして、チャラピタはどしんとそこへ振り落されました。 「あッ!」 キクッタは思はず驚きの声をあげましたが、さすがに弓の名手です。熊が姿勢をあらためて、チャラピタに向つてとび付かうとした瞬間、早くも狙ひをつけて、ピユッと毒矢を放ちました。中りました。が足のさきでしたからさすがに猛烈なブシ毒も、さう急にはきゝめがありません。 大熊は横合ひから、不意に矢を射込まれたので、チャラピタをおいてこつちへ向つて、例の後ろ脚で立ち上がつて、攻撃して来ようとしました。 もう二発目の矢は間に合ひません。そのときキクッタの目についたのはそこにチャラピタが落した、長さ二メートルばかりの手槍でした。キクッタは電光のやうにそれを拾ひ上げると、二三歩前へ進み出で、穂尖を大熊の胸につきつけ、石突きを地面に当てがひ、柄をしつかり握つたまゝ、そこへうづくまりました。 勢ひこんだ大熊は、槍が自分の心臓に当てがはれてゐることには気がつかず、只、そこに恐れたやうに、うづくまつてゐるキクッタを、おし潰し、掴み殺してやらうと思つて、まるで大木でも仆れるやうに、のしかゝつて来ました。そこで、丁度、こちらの注文どほり、熊先生、自分の身体の重さで、自分の胸をぶす/\と刺して、たあいもなく参つてしまひました。 これは熊が人をおそふときの癖をよくのみこんで、アイヌが発明した滑稽なやうで、大胆不敵な狩猟法です。チャラピタはそれをやつてみようとして手槍を持つて出たのでしたが、あんまり不意に熊にとびつかれたので、それが出来ず、組打ちをしてゐるうち、ふりとばされ、しばらく足が立たなかつたので、キクッタにその功をゆづることになつたのです。
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