一
時は欧洲大戦の半ば頃、処は浪も煮え立つやうな暑い印度洋。地中海に出動中の日本艦隊へ食糧や弾薬を運ぶ豊国丸は、独逸商業破壊艦「ウルフ号」が、印度洋に向つたといふ警報を受けたので、帝国軍艦「伊吹」の保護を求めて、しきりに無電をかけながら、西へ西へと進んでゐた。 前部甲板の日覆の下には、とぐろを巻いたロープを椅子代りに腰掛けた二人の少年が話してゐる。水夫の服装をした少年は下村といつて当年十八歳、もう一人は中原といつて一つ下の十七歳、中原は麻の白服にカラーをつけたボーイ姿だつた。二人はこの船に一緒に乗組んでから、まだ一航海をしたつきりなのに、非常に仲好になつて、互に仕事を助け合つたり、相談したり、将来の希望を語り合つたりするのだつた。 「ウルフの畜生奴、やつぱり出て来ないな。」と、下村は幾分か失望したやうな口振で言つた。「やつぱり帝国軍艦『伊吹』が恐いのだらう。」 「出て来ないで幸だらうよ。」と、中原は年下のくせに慎重な口のきゝやうをした。「こつちは武装してゐるとは言へ、十二サンチ砲を前後二門づつ載せてゐるつきり、速力だつて、高々十五ノットだ。ところが『ウルフ号』は一万八千噸もある客船を補助巡洋艦に仕立てたんだから、十八サンチが二門に、十サンチが十門も備へつけてあるつて話だ。それに二十二ノツトも出ると言ふから、見つかつたら最後、こつちは撃沈されるか、自爆するかより外に途はない。」 「さうだな。だが、こつちだつて大砲があるんだから、むざむざやられはしないさ。一発でも二発でも打つて、かなはない時は、この船を爆沈させるだけの話だ。監督将校の堀大尉も、さつき船橋で船長にさう言つてゐた。」 下村は自分が何でも知つてゐるやうに意気込んで話した。 中原はしばらく黙つてゐたが、そろ/\と言つた―― 「それもよからう。だが、僕なら、魚雷を使つて、あべこべに敵艦を撃沈してやるねえ。」 「えツ! 魚雷? この船に魚雷なんて無いぢやないか。」 「いや、ある。地中海の駆逐隊へ送る分が二十発ばかり積み込んである。しかも大型の二十一インチだからね。補助巡洋艦なんか、こいつを一発くらへば、木葉微塵だ。」 「さうか。けれども、そいつを発射する発射管がなからう。」 「いや、魚雷は発射管がなくたつて、使へるものだよ。僕の親父は水雷専門の兵曹長で水雷のことなら、僕も小さい時から、見たり、聞いたりして、よく知つてゐるんだ。実は僕、この間から、万一の場合には使つてやらうかと思つて、積んであるやつを調べて見たんだがね、ちやんと圧搾空気もはいつてゐるし、恐しい爆薬をつめた実用頭部も取りつけてあるんだ。僕がちよつと仕掛をすれば、すぐ走つて行くやうになつてゐるんだ。」 「さうか。そいつは手廻しがいゝな。ぢや断然やれよ。俺も手伝はあ。貴様が発射した魚雷で、巨艦『ウルフ』が海の底に深く沈むなんざア愉快だ!」 下村は単純で、無邪気な少年だ。もはや敵艦を沈めてしまつたやうな燥ぎやうだ。 「ところが君、」と、中原はちよつと困つた顔をした。「二十一インチの魚雷ときたら、いゝ加減のボートぐらゐの大きさがあるから、大人でも、一人や二人の腕ぢや扱へないんだ。」 「それなら何でもない。」と、下村はすぐに言つた。「巻揚機を使ふさ。俺はその方にかけちや名人だ。巻上げるんでも、振り落すんでも自由自在だ。」 「フム。」と、中原はしばらく考へてゐたが、半ば独言のやうに、 「さうだ、後部の巻揚機で上甲板まで上げて、ちやんと準備をしてから、水ん中へ振り落してやれば、あとは水雷がひとりでに仕事をする。」 中原がこゝまで言ひかけたとき、船橋の方で、けたゝましく喇叭が鳴つた。 「おうツ、非常喇叭だ!」 二人はとび上つた。そして、右舷近くへ走りよつて、敵はどこ? と見渡すと…… 見える、見える! 右斜、前方の水平線に三本煙突、二本マストの巨船が、こちらの航路をおさへるやうに走つて来る。四段にかまへた甲板、舳や艫の形などからして、勿論、軍艦ではない。旅客船だ。 速い、速い! 見る/\うちに双方の距離が五千メートルになつた。と忽ち、その前檣にさら/\と上がつたのはドイツの鉄十字! あゝ、つひに恐しい海の上の狼、「ウルフ号」は現れた。羊の皮を着た狼とは、まさしくこのことである。表面は平和な客船に見えてゐるけれど、艦長が電気釦を一つ押せば、忽ち武装いかめしい軍艦に変るのだ。今まで何にも見えなかつた舷側には、この時俄かに砲門がずらりと開いて、大砲がによき/\と頭を出し、前後の甲板には十八サンチ砲がにゆうつとせり上つた。 と、忽ち、その横檣に万国信号旗がひら/\と上つた。中原はそれを見て、さも軽蔑するやうに言つた。 「ふん、海賊のおきまりの脅し文句だ。『止れ、我、汝に語るべき用事あり。』と言ふんだらう。信号簿をくつて見るまでもないや。」 「生意気な!」と、下村がそれを受継いで呶鳴つた時、ドンとすさまじい音を立てて、こつちの十二サンチが打出した。それと同時に檣頭高く日章旗が翻つた。これが「ウルフ号」の信号に対する日本男児の答であつた。 「うまいぞ、かう来なくちや!」 下村がむやみに興奮してゐるうち、豊国丸は続けさまに打つ放した。 一発遠く、二発近く、三発命中! 命中、又命中、四門ではあるが砲射の技術にかけては、世界にほこる日本の海軍兵だ。見る/\「ウルフ号」の甲板は滅茶滅茶に打ちこはされた。勿論、敵もこれしきのことにひるむやうな弱虫ではない。その十八サンチの主砲をはじめ、十サンチの副砲が猛烈に火をふきだした。しかし、敵はこちらを余りに弱いものと見くびつて、油断をしてゐたので、はじめの程の砲撃は徒に魚を驚かしたに過ぎなかつた。 とは言へ、大人と子供とでは角力にならない。間もなく独艦の精鋭クルツプ砲は恐るべき威力を見せ出した。十八サンチの一弾は豊国丸の煙筒を根本からもぎ取つた。十サンチの砲弾は舷側に蜂の巣のやうに穴をあけた。もしその一発でもが、積んでゐる水雷か、砲弾にか当らうものなら! そのうち、だん/\時が経つにつれて、海図室をやられる。操舵機をこはされる。おまけに大事な前部の十二サンチ砲は敵弾を受け、砲身が曲つたり砲架をいためられたりして、砲員も死傷して、とう/\二門とも発砲が出来なくなつた。後部の二門もこの時、別な理由でだめになつた。 「弾薬がつきました。監督大尉!」 後部の掌砲兵が悲痛の声を絞つて、伝声管に口を寄せて叫んだ。けれども伝声管はもう敵弾にいたんでゐるので、船橋へは通じない。よし通じても、監督の堀大尉は戦死してゐた。砲のことは素人の船長には分らない。いや、その船長も既に重傷を負うて、船の指揮は今一等運転士がつかさどつてゐる。 「せめてもう一発でも――畜生もう一発あれば、あの艦橋にドカンと打つくらはしてやるんだが! ちえツ、残念だ!」 掌砲長が砲の把手を握りしめて、口惜しさうに敵を睨んで叫ぶのを、嘲笑つてでもゐるやうに、敵弾はぶん/\飛んで来て、ところきらはず命中するそれだのに、こちらからは答へる弾薬が尽きてしまつたのだ。いよいよ自ら爆沈すべき最後の時がせまつて来た。
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