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『春と修羅』(『はるとしゅら』)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-29 16:37:38 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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(一九二二、一〇、一〇) [#改ページ] 栗鼠と色鉛筆 樺の向ふで日はけむる つめたい露でレールはすべる 靴革の料理のためにレールはすべる 朝のレールを栗鼠は横切る 横切るとしてたちどまる 尾は der Herbst 日はまつしろにけむりだし 栗鼠は走りだす 水そばの たれか三角やまの草を刈つた ずゐぶんうまくきれいに刈つた 緑いろのサラアブレツド 日は白金をくすぼらし 一れつ黒い杉の槍 その 古い壁画のきららから 再生してきて浮きだしたのだ 色鉛筆がほしいつて ステツドラアのみじかいペンか ステツドラアのならいいんだが 来月にしてもらひたいな まああの山と上の雲との模様を見ろ よく熟してゐてうまいから (一九二二、一〇、一五) [#改丁、ページの左右中央に] 無声慟哭 [#改ページ] 永訣の朝 けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ (あめゆじゆとてちてけんじや)* うすあかくいつそう みぞれはびちよびちよふつてくる (あめゆじゆとてちてけんじや) 青い これらふたつのかけた おまへがたべるあめゆきをとらうとして わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに このくらいみぞれのなかに飛びだした (あめゆじゆとてちてけんじや) みぞれはびちよびちよ沈んでくる ああとし子 死ぬといふいまごろになつて わたくしをいつしやうあかるくするために こんなさつぱりした雪のひとわんを おまへはわたくしにたのんだのだ ありがたうわたくしのけなげないもうとよ わたくしもまつすぐにすすんでいくから (あめゆじゆとてちてけんじや) はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから おまへはわたくしにたのんだのだ 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの そらからおちた雪のさいごのひとわんを…… ……ふたきれのみかげせきざいに みぞれはさびしくたまつてゐる わたくしはそのうへにあぶなくたち 雪と水とのまつしろな すきとほるつめたい雫にみちた このつややかな松のえだから わたくしのやさしいいもうとの さいごのたべものをもらつていかう わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ みなれたちやわんのこの藍のもやうにも もうけふおまへはわかれてしまふ (Ora Orade Shitori egumo)* ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ あああのとざされた病室の くらいびやうぶやかやのなかに やさしくあをじろく燃えてゐる わたくしのけなげないもうとよ この雪はどこをえらばうにも あんまりどこもまつしろなのだ あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ (うまれでくるたて* こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる) おまへがたべるこのふたわんのゆきに わたくしはいまこころからいのる どうかこれが天上のアイスクリームになつて おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ 一九二二、一一、二七 [#改ページ] 松の針 さつきのみぞれをとつてきた あのきれいな松のえだだよ おお おまへはまるでとびつくやうに そのみどりの葉にあつい頬をあてる そんな植物性の青い針のなかに はげしく頬を刺させることは むさぼるやうにさへすることは どんなにわたくしたちをおどろかすことか そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ おまへがあんなにねつに燃され あせやいたみでもだえてゐるとき わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた ああいい さつぱりした* まるで林のながさ来たよだ 鳥のやうに おまへは林をしたつてゐた どんなにわたくしがうらやましかつたらう ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ 泣いてわたくしにさう言つてくれ おまへの頬の けれども なんといふけふのうつくしさよ わたくしは緑のかやのうへにも この新鮮な松のえだをおかう いまに雫もおちるだらうし そら さはやかな 一九二二、一一、二七 [#改ページ] 無声慟哭 こんなにみんなにみまもられながら おまへはまだここでくるしまなければならないか ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき おまへはじぶんにさだめられたみちを ひとりさびしく往かうとするか 信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが あかるくつめたい 毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき おまへはひとりどこへ行かうとするのだ (おら おかないふうしてらべ)* 何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら またわたくしのどんなちひさな表情も けつして見遁さないやうにしながら おまへはけなげに母に (うんにや ずゐぶん立派だぢやい けふはほんとに立派だぢやい) ほんたうにさうだ 髪だつていつそうくろいし まるでこどもの苹果の頬だ どうかきれいな頬をして あたらしく天にうまれてくれ それでもからだくさえがべ?* うんにや いつかう ほんたうにそんなことはない かへつてここはなつののはらの ちひさな白い花の匂でいつぱいだから ただわたくしはそれをいま言へないのだ (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから) わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ ああそんなに かなしく眼をそらしてはいけない 一九二二、一一、二七 註 *あめゆきとつてきてください *あたしはあたしでひとりいきます *またひとにうまれてくるときは こんなにじぶんのことばかりで くるしまないやうにうまれてきます *ああいい さつぱりした まるではやしのなかにきたやうだ *あたしこはいふうをしてるでせう *それでもわるいにほひでせう [#改ページ] 風林 (かしはのなかには鳥の巣がない あんまりがさがさ鳴るためだ) ここは艸があんまり とほいそらから空気をすひ おもひきり倒れるにてきしない そこに水いろによこたはり 一列生徒らがやすんでゐる (かげはよると亜鉛とから合成される) それをうしろに わたくしはこの草にからだを投げる 月はいましだいに銀のアトムをうしなひ かしははせなかをくろくかがめる ばうずの 騎兵聯隊の灯も澱んでゐる ああおらはあど死んでもい おらも死んでもい (それはしよんぼりたつてゐる宮沢か さうでなければ小田島国友 向ふの柏木立のうしろの闇が きらきらつといま顫へたのは Egmont Overture にちがひない たれがそんなことを云つたかは わたくしはむしろかんがへないでいい) 伝さん しやつつ何枚 三枚着たの せいの高くひとのいい佐藤伝四郎は 月光の反照のにぶいたそがれのなかに しやつのぼたんをはめながら きつと口をまげてわらつてゐる 降つてくるものはよるの微塵や風のかけら よこに鉛の針になつてながれるものは月光のにぶ ほお おら…… 言ひかけてなぜ堀田はやめるのか おしまひの声もさびしく反響してゐるし さういふことはいへばいい (言はないなら手帳へ書くのだ) とし子とし子 野原へ来れば また風の中に立てば きつとおまへをおもひだす おまへはその巨きな木星のうへに居るのか 鋼青壮麗のそらのむかふ (ああけれどもそのどこかも知れない空間で 光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか ………… ただひときれのおまへからの通信が いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ) とし子 わたくしは高く呼んでみようか 手 手凍えだ? 俊夫ゆぐ凍えるな こなひだもボダンおれさ掛げらせだぢやい 俊夫といふのはどつちだらう 川村だらうか あの青ざめた喜劇の天才「植物医師」の一役者 わたくしははね起きなければならない おゝ 俊夫てどつちの俊夫 川村 やつぱりさうだ 月光は柏のむれをうきたたせ かしははいちめんさらさらと鳴る (一九二三、六、三) [#改ページ] 白い鳥 みんなサラーブレツドだ あゝいふ馬 誰行つても押へるにいがべが よつぽどなれたひとでないと 古風なくらかけやまのした おきなぐさの冠毛がそよぎ 鮮かな青い樺の木のしたに 何匹かあつまる茶いろの馬 じつにすてきに光つてゐる (日本絵巻のそらの群青や 天末の あんな大きな心相の 光の 二疋の大きな白い鳥が 鋭くかなしく啼きかはしながら しめつた朝の日光を飛んでゐる それはわたくしのいもうとだ 死んだわたくしのいもうとだ 兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる (それは一応はまちがひだけれども まつたくまちがひとは言はれない) あんなにかなしく啼きながら 朝のひかりをとんでゐる (あさの日光ではなくて 熟してつかれたひるすぎらしい) けれどもそれも夜どほしあるいてきたための (ちやんと今朝あのひしげて融けた 青い夢の北上山地からのぼつたのをわたくしは見た) どうしてそれらの鳥は二羽 そんなにかなしくきこえるか それはじぶんにすくふちからをうしなつたとき わたくしのいもうとをもうしなつた そのかなしみによるのだが (ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか けさはすずらんの花のむらがりのなかで なんべんわたくしはその名を呼び またたれともわからない声が 人のない野原のはてからこたへてきて わたくしを嘲笑したことか) そのかなしみによるのだが またほんたうにあの声もかなしいのだ いま鳥は二羽 かゞやいて白くひるがへり むかふの湿地 青い蘆のなかに降りる 降りようとしてまたのぼる (日本武尊の新らしい御陵の前に おきさきたちがうちふして嘆き そこからたまたま千鳥が飛べば それを尊のみたまとおもひ 蘆に足をも傷つけながら 海べをしたつて行かれたのだ) 清原がわらつて立つてゐる (日に灼けて光つてゐるほんたうの農村のこども その菩薩ふうのあたまの 水が光る きれいな銀の水だ さああすこに水があるよ 口をすゝいでさつぱりして往かう こんなきれいな野はらだから (一九二三、六、四) [#改丁、ページの左右中央に] オホーツク挽歌 [#改ページ] 青森挽歌 こんなやみよののはらのなかをゆくときは 客車のまどはみんな水族館の窓になる (乾いたでんしんばしらの列が せはしく遷つてゐるらしい きしやは銀河系の 巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる) りんごのなかをはしつてゐる けれどもここはいつたいどこの停車 枕木を焼いてこさへた柵が立ち (八月の よるのしじまの 支手のあるいちれつの柱は なつかしい陰影だけでできてゐる 黄いろなラムプがふたつ せいたかくあをじろい駅長の 真鍮棒もみえなければ じつは駅長のかげもないのだ (その大学の昆虫学の助手は こんな車室いつぱいの液体のなかで 油のない赤 かばんにもたれて睡つてゐる) わたくしの汽車は北へ走つてゐるはずなのに ここではみなみへかけてゐる 焼杭の柵はあちこち倒れ はるかに黄いろの地平線 それはビーアの あやしいよるの 陽炎と さびしい心意の明滅にまぎれ 水いろ川の水いろ駅 (おそろしいあの水いろの空虚なのだ) 汽車の逆行は こんなさびしい幻想から わたくしははやく浮びあがらなければならない そこらは青い孔雀のはねでいつぱい 真鍮の睡さうな脂肪酸にみち 車室の五つの電燈は いよいよつめたく液化され (考へださなければならないことを わたくしはいたみやつかれから なるべくおもひださうとしない) 今日のひるすぎなら けはしく光る雲のしたで まつたくおれたちはあの重い赤いポムプを ばかのやうに引つぱつたりついたりした おれはその黄いろな服を着た隊長だ だから睡いのはしかたない (おゝ どうかここから急いで去 尋常一年生 ドイツの尋常一年生 いきなりそんな悪い叫びを 投げつけるのはいつたいたれだ けれども尋常一年生だ 夜中を過ぎたいまごろに こんなにぱつちり眼をあくのは ドイツの尋常一年生だ) あいつはこんなさびしい停車場を たつたひとりで通つていつたらうか どこへ行くともわからないその方向を どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか (草や沼やです 一本の木もです) ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ こおんなにして眼は大きくあいてたけど ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ ナーガラがね 眼をじつとこんなに赤くして だんだん し 環をお切り そら 手を出して ギルちやん青くてすきとほるやうだつたよ 鳥がね たくさんたねまきのときのやうに ばあつと空を通つたの でもギルちやんだまつてゐたよ お日さまあんまり変に飴いろだつたわねえ ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの ぼくほんたうにつらかつた さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたらう 忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに かんがへださなければならないことは どうしてもかんがへださなければならない とし子はみんなが死ぬとなづける そのやりかたを通つて行き それからさきどこへ行つたかわからない それはおれたちの空間の方向ではかられない 感ぜられない方向を感じようとするときは たれだつてみんなぐるぐるする 耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい さう甘えるやうに言つてから たしかにあいつはじぶんのまはりの 眼にははつきりみえてゐる なつかしいひとたちの声をきかなかつた にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり それからわたくしがはしつて行つたとき あのきれいな眼が なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた それからあとであいつはなにを感じたらう それはまだおれたちの世界の幻視をみ おれたちのせかいの幻聴をきいたらう わたくしがその耳もとで 遠いところから声をとつてきて そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源 万象同帰のそのいみじい生物の名を ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき あいつは二へんうなづくやうに息をした 白い尖つたあごや頬がゆすれて ちひさいときよくおどけたときにしたやうな あんな偶然な顔つきにみえた けれどもたしかにうなづいた ヘツケル博士! わたくしがそのありがたい証明の 任にあたつてもよろしうございます 凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は…… (宗谷海峡を越える晩は わたくしは夜どほし甲板に立ち あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり からだはけがれたねがひにみたし そしてわたくしはほんたうに挑戦しよう) たしかにあのときはうなづいたのだ そしてあんなにつぎのあさまで 胸がほとつてゐたくらゐだから わたくしたちが死んだといつて泣いたあと とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が つぎのせかいへつゞくため 明るいいゝ匂のするものだつたことを どんなにねがふかわからない ほんたうにその夢の中のひとくさりは かん護とかなしみとにつかれて睡つてゐた おしげ子たちのあけがたのなかに ぼんやりとしてはひつてきた 黄いろな花こ おらもとるべがな たしかにとし子はあのあけがたは まだこの世かいのゆめのなかにゐて 落葉の風につみかさねられた 野はらをひとりあるきながら ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ そしてそのままさびしい林のなかの いつぴきの鳥になつただらうか I'estudiantina を風にききながら 水のながれる暗いはやしのなかを かなしくうたつて飛んで行つたらうか やがてはそこに小さなプロペラのやうに 音をたてて飛んできたあたらしいともだちと 無心のとりのうたをうたひながら たよりなくさまよつて行つたらうか わたくしはどうしてもさう思はない なぜ通信が許されないのか 許されてゐる そして私のうけとつた通信は 母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう それらひとのせかいのゆめはうすれ あかつきの薔薇いろをそらにかんじ あたらしくさはやかな感官をかんじ 日光のなかのけむりのやうな かがやいてほのかにわらひながら はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを 交錯するひかりの棒を過ぎり われらが上方とよぶその不可思議な方角へ それがそのやうであることにおどろきながら 大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた わたくしはその跡をさへたづねることができる そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ あまりにもそのたひらかさとかがやきと 未知な全反射の方法と さめざめとひかりゆすれる樹の列を ただしくうつすことをあやしみ やがてはそれがおのづから研かれた 天の瑠璃の地面と知つてこゝろわななき 紐になつてながれるそらの楽音 また瓔珞やあやしいうすものをつけ 移らずしかもしづかにゆききする 巨きなすあしの生物たち 遠いほのかな記憶のなかの花のかをり それらのなかにしづかに立つたらうか それともおれたちの声を聴かないのち 暗紅色の深くもわるいがらん洞と 意識ある蛋白質の砕けるときにあげる声 亜硫酸や これらをそこに見るならば あいつはその中にまつ青になつて立ち 立つてゐるともよろめいてゐるともわからず 頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち (わたくしがいまごろこんなものを感ずることが いつたいほんたうのことだらうか わたくしといふものがこんなものをみることが いつたいありうることだらうか そしてほんたうにみてゐるのだ)と 斯ういつてひとりなげくかもしれない…… わたくしのこんなさびしい考は みんなよるのためにできるのだ 夜があけて海岸へかかるなら そして波がきらきら光るなら なにもかもみんないいかもしれない けれどもとし子の死んだことならば いまわたくしがそれを夢でないと考へて あたらしくぎくつとしなければならないほどの あんまりひどいげんじつなのだ 感ずることのあまり新鮮にすぎるとき それをがいねん化することは きちがひにならないための 生物体の一つの自衛作用だけれども いつでもまもつてばかりゐてはいけない ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち あらたにどんなからだを得 どんな感官をかんじただらう なんべんこれをかんがへたことか むかしからの多数の実験から 倶舎がさつきのやうに云ふのだ 二度とこれをくり返してはいけない おもては 半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ 月のあかりはしみわたり それはあやしい いよいよあやしい苹果の匂を発散し なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる 青森だからといふのではなく 大てい月がこんなやうな暁ちかく 巻積雲にはひるとき…… おいおい あの顔いろは少し青かつたよ だまつてゐろ おれのいもうとの死顔が まつ青だらうが黒からうが きさまにどう斯う云はれるか あいつはどこへ堕ちようと もう無上道に属してゐる 力にみちてそこを進むものは どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ ぢきもう東の鋼もひかる ほんたうにけふの……きのふのひるまなら おれたちはあの重い赤いポムプを…… もひとつきかせてあげよう ね じつさいね あのときの眼は白かつたよ すぐ瞑りかねてゐたよ まだいつてゐるのか もうぢきよるはあけるのに すべてあるがごとくにあり かゞやくごとくにかがやくもの おまへの武器やあらゆるものは おまへにくらくおそろしく まことはたのしくあかるいのだ みんなむかしからのきやうだいなのだから けつしてひとりをいのつてはいけない ああ わたくしはけつしてさうしませんでした あいつがなくなつてからあとのよるひる わたくしはただの一どたりと あいつだけがいいとこに行けばいいと さういのりはしなかつたとおもひます (一九二三、八、一) [#改ページ] オホーツク挽歌 海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた むかふの波のちゞれたあたりはずゐぶんひどい チモシイの穂がこんなにみじかくなつて かはるがはるかぜにふかれてゐる (それは青いいろのピアノの鍵で かはるがはる風に押されてゐる) あるいはみじかい変種だらう しづくのなかに朝顔が咲いてゐる モーニンググローリのそのグローリ いまさつきの曠原風の荷馬車がくる 年老つた白い重挽馬は首を垂れ またこの男のひとのよさは わたくしがさつきあのがらんとした町かどで 浜のいちばん賑やかなとこはどこですかときいた時 そつちだらう 向ふには行つたことがないからと さう云つたことでもよくわかる いまわたくしを親切なよこ目でみて (その小さなレンズには たしか樺太の白い雲もうつつてゐる) 朝顔よりはむしろ おほきなはまばらの花だ まつ赤な朝のはまなすの花です ああこれらのするどい花のにほひは もうどうしても 妖精のしわざだ 無数の藍いろの蝶をもたらし またちひさな黄金の槍の穂 軟玉の花瓶や青い簾 それにあんまり雲がひかるので たのしく激しいめまぐるしさ 馬のひづめの痕が二つづつ ぬれて寂まつた褐砂の上についてゐる もちろん馬だけ行つたのではない 広い荷馬車のわだちは こんなに淡いひとつづり 波の来たあとの白い細い線に 小さな蚊が三疋さまよひ またほのぼのと吹きとばされ 貝殻のいぢらしくも白いかけら 萱草の青い花軸が半分砂に埋もれ 波はよせるし砂を巻くし 白い片岩類の小砂利に倒れ 波できれいにみがかれた ひときれの貝殻を口に含み わたくしはしばらくねむらうとおもふ なぜならさつきあの熟した黒い実のついた まつ青なこけももの上等の おほきな赤いはまばらの花と 不思議な サガレンの朝の妖精にやつた 透明なわたくしのエネルギーを いまこれらの濤のおとや しめつたにほひのいい風や 雲のひかりから恢復しなければならないから それにだいいちいまわたくしの心象は つかれのためにすつかり青ざめて 眩ゆい緑金にさへなつてゐるのだ 日射しや幾重の暗いそらからは あやしい鑵鼓の蕩音さへする わびしい草穂やひかりのもや 雲の累帯構造のつぎ目から 一きれのぞく天の青 強くもわたくしの胸は刺されてゐる それらの二つの青いいろは どちらもとし子のもつてゐた特性だ わたくしが樺太のひとのない海岸を ひとり歩いたり疲れて睡つたりしてゐるとき とし子はあの青いところのはてにゐて なにをしてゐるのかわからない とゞ松やえぞ松の荒さんだ幹や枝が ごちやごちや漂ひ置かれたその向ふで 波はなんべんも巻いてゐる その巻くために砂が湧き 潮水はさびしく濁つてゐる (十一時十五分 その蒼じろく光る 鳥は雲のこつちを上下する ここから今朝舟が滑つて行つたのだ 砂に刻まれたその船底の痕と 巨きな横の台木のくぼみ それはひとつの曲つた十字架だ 幾本かの小さな木片で HELL と書きそれを LOVE となほし ひとつの十字架をたてることは よくたれでもがやる技術なので とし子がそれをならべたとき わたくしはつめたくわらつた (貝がひときれ砂にうづもれ 白いそのふちばかり出てゐる) やうやく乾いたばかりのこまかな砂が この十字架の刻みのなかをながれ いまはもうどんどん流れてゐる 海がこんなに青いのに わたくしがまだとし子のことを考へてゐると なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を 悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ またわたくしのなかでいふ (Casual observer ! Superficial traveler !) 空があんまり光ればかへつてがらんと暗くみえ いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる あんなにかなしく啼きだした なにかしらせをもつてきたのか わたくしの片つ方のあたまは痛く 遠くなつた栄浜の屋根はひらめき 鳥はただ一羽硝子笛を吹いて 玉髄の雲に漂つていく 町やはとばのきららかさ その背のなだらかな丘陵の鴾いろは いちめんのやなぎらんの花だ 爽やかな 黒緑とどまつの列 (ナモサダルマプフンダリカサスートラ) 五匹のちひさないそしぎが 海の巻いてくるときは よちよちとはせて遁げ (ナモサダルマプフンダリカサスートラ) 浪がたひらにひくときは 砂の鏡のうへを よちよちとはせてでる (一九二三、八、四)
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