「いやじっさいあの辺はひどい処だよ。どうも六百からの棄権ですからな。」 なんて云っている人もあり一方ではそろそろ大切な用談がはじまりかけました。 「ええと、失礼ですが山男さん、あなたはおいくつでいらっしゃいますか。」 「二十九です。」 「お若いですな。やはり一年は三百六十五日ですか。」 「一年は三百六十五日のときも三百六十六日のときもあります。」 「あなたはふだんどんなものをおあがりになりますか。」 「さよう。栗の実やわらびや野菜です。」 「野菜はあなたがおつくりになるのですか。」 「お日さまがおつくりになるのです。」 「どんなものですか。」 「さよう。みず、ほうな、しどけ、うど、そのほか、しめじ、きんたけなどです。」 「今年はうどの出来がどうですか。」 「なかなかいいようですが、少しかおりが不足ですな。」 「雨の関係でしょうかな。」 「そうです。しかしどうしてもアスパラガスには叶いませんな。」 「へえ」 「アスパラガスやちしゃのようなものが山野に自生するようにならないと産業もほんとうではありませんな。」 「へえ。ずいぶんなご卓見です。しかしあなたは紫紺のことはよくごぞんじでしょうな。」 みんなはしいんとなりました。これが今夜の眼目だったのです。山男はお酒をかぶりと呑んで云いました。 「しこん、しこんと。はてな聞いたようなことだがどうもよくわかりません。やはり知らないのですな。」みんなはがっかりしてしまいました。なんだ、紫紺のことも知らない山男など一向用はないこんなやつに酒を呑ませたりしてつまらないことをした。もうあとはおれたちの懇親会だ、と云うつもりでめいめい勝手にのんで勝手にたべました。ところが山男にはそれが大へんうれしかったようでした。しきりにかぶりかぶりとお酒をのみました。お魚が出ると丸ごとけろりとたべました。野菜が出ると手をふところに入れたまま舌だけ出してべろりとなめてしまいます。 そして眼をまっかにして「へろれって、へろれって、けろれって、へろれって。」なんて途方もない声で咆えはじめました。さあみんなはだんだん気味悪くなりました。おまけに給仕がテーブルのはじの方で新らしいお酒の瓶を抜いたときなどは山男は手を長くながくのばして横から取ってしまってラッパ呑みをはじめましたのでぶるぶるふるえ出した人もありました。そこで研究会の会長さんは元来おさむらいでしたから考えました。(これはどうもいかん。けしからん。こうみだれてしまっては仕方がない。一つひきしめてやろう。)くだものの出たのを合図に会長さんは立ちあがりました。けれども会長さんももうへろへろ酔っていたのです。 「ええ一寸一言ご挨拶申しあげます。今晩はお客様にはよくおいで下さいました。どうかおゆるりとおくつろぎ下さい。さて現今世界の大勢を見るに実にどうもこんらんしている。ひとのものを横合からとるようなことが多い。実にふんがいにたえない。まだ世界は野蛮からぬけない。けしからん。くそっ。ちょっ。」 会長さんはまっかになってどなりました。みんなはびっくりしてぱくぱく会長さんの袖を引っぱって無理に座らせました。 すると山男は面倒臭そうにふところから手を出して立ちあがりました。「ええ一寸一言ご挨拶を申し上げます。今晩はあついおもてなしにあずかりまして千万かたじけなく思います。どういうわけでこんなおもてなしにあずかるのか先刻からしきりに考えているのです。やはりどうもその先頃おたずねにあずかった紫紺についてのようであります。そうしてみると私も本気で考え出さなければなりません。そう思って一生懸命思い出しました。ところが私は子供のとき母が乳がなくて濁り酒で育ててもらったためにひどいアルコール中毒なのであります。お酒を呑まないと物を忘れるので丁度みなさまの反対であります。そのためについビールも一本失礼いたしました。そしてそのお蔭でやっとおもいだしました。あれは現今西根山にはたくさんございます。私のおやじなどはしじゅうあれを掘って町へ来て売ってお酒にかえたというはなしであります。おやじがどうもちかごろ紫紺も買う人はなし困ったと云ってこぼしているのも聞いたことがあります。それからあれを染めるには何でも黒いしめった土をつかうというはなしもぼんやりおぼえています。紫紺についてわたくしの知っているのはこれだけであります。それで何かのご参考になればまことにしあわせです。さて考えてみますとありがたいはなしでございます。私のおやじは紫紺の根を掘って来てお酒ととりかえましたが私は紫紺のはなしを一寸すればこんなに酔うくらいまでお酒が呑めるのです。 そらこんなに酔うくらいです。」 山男は赤くなった顔を一つ右手でしごいて席へ座りました。 みんなはざわざわしました。工芸学校の先生は「黒いしめった土を使うこと」と手帳へ書いてポケットにしまいました。 そこでみんなは青いりんごの皮をむきはじめました。山男もむいてたべました。そして実をすっかりたべてからこんどはかまどをぱくりとたべました。それからちょっとそばをたべるような風にして皮もたべました。工芸学校の先生はちらっとそれを見ましたが知らないふりをしておりました。 さてだんだん夜も更けましたので会長さんが立って、 「やあこれで解散だ。諸君めでたしめでたし。ワッハッハ。」とやって会は終りました。 そこで山男は顔をまっかにして肩をゆすって一度にはしごだんを四つくらいずつ飛んで玄関へ降りて行きました。 みんなが見送ろうとあとをついて玄関まで行ったときは山男はもう居ませんでした。 丁度七つの森の一番はじめの森に片脚をかけたところだったのです。 さて紫紺染が東京大博覧会で二等賞をとるまでにはこんな苦心もあったというだけのおはなしであります。
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