此の記事によると、初めて自分の廢嫡問題なるものを捏造掲載した時の標題は「廢嫡されても文學を」といふのであつた。淺薄な流行唄の文句のやうなこんな標題で、ありもしない惡名を書き立てられたのかと思ふと、自分の心は暗くなつた。 あまりにくだくだしい捏造指摘は自分ながら馬鹿々々しいから止めるが、日本新聞界の兩大關と自稱する毎日朝日の記者が、一人の口から出た事を、全然違つて聽取つた事實を、此の二つの記事を對照して見る人はあやしまなければならない筈だ。二人とも全然自分勝手な腹案を當初から持つてゐて、記事の大部分は、自分に面會する前に原稿として出來上つてゐたのだらうと思ふ。たゞ彼等が一致した事は、自分の黒い衣服を紺背廣だと誤り記してゐる一事ばかりであつた。毎日記者は「ハハハハハと語り終つて微笑せり」と結んだが、朝日記者は「苦し氣に語つて人々と共に上陸した」と記してゐる。人を馬鹿にした話である。二人揃つてやつて來て、二人で質問しながら、お互によくも平氣で白々しい出たらめを書いてゐられるものである。馬鹿、馬鹿、馬鹿ッ。自分は思はず叫ばうとして、目の前の紳士の存在を思つて、苦笑した。 どうも新聞記者といふものは嘘を書くのが職業ですから困ります、と云ひながら、その新聞を持主に返へした。それでも貴方のお話を伺つて書いたのでせう、と若い紳士はいかにも好奇心に光る目で自分を見ながらきき出した。自分は不愉快な氣持で食事も咽喉を通らなくなつたが、簡短に神戸港内の船中で二人の記者に迫られて四五の問答を繰返したのが、こんな長い捏造記事になつたのだと説明した。さうして肉刀をとり、肉叉をとつて話を逃れようとした。すると相手は給仕を呼んで、菓物とキユラソオを命じ、卷煙草に火をつけて落ついて話し出した。食後のいい話材を得た滿足に、紫の煙は鼻の孔からゆるやかに二筋上つた。 自分が如何に説明しても、彼は矢張り新聞の記事を信じるらしく、少くとも廢嫡問題の將來に最も興味を持つ心持をかくしてもかくし切れないのであつた。兎に角才能のある方がそれを捨てるといふのは惜しい事ですから、などと一人合點で餘計な事をいふのである。自分は苦笑しながら食事を終つた。 東京に着いて、母や弟妹や、親類友だちに久々で逢ふ時、自分はもう悄氣てゐた。誰しも自分を異常なる出來事の主人公と見做してゐるらしく思はれてしかたがなくなつた。あれ程心を躍らして待つた父母との對面にも、自分は合はせる顏が無いやうに思はれた。自分が東京に着く前に既に關西電話で傳へられた、毎日朝日と同じやうな記事が都下の多くの新聞に出てゐた。 その日から我家の電話は新聞社からの電話で忙しく鳴つた。玄關に名刺を出すごろつきに等しい新聞記者を一人々々なぐり倒し度くいきまく自分と、それらの者の後日の復讐を恐れる家人との心は共に平靜を失つてしまつた。老年の父母が、自分が憤りの餘り、更に一層彼等から意地の惡い手段を以て苦しめられる事を氣づかふのを見てゐると、遂々自分の方が弱くなつてしまつた。新聞社へ宛て書いた難詰文も破いて捨てなければならなかつた。 あまりに多數のごろつきの玄關に來るのを歎く母の乞を容れて、中の一新聞を擇んで面談し、事實を語る事を承知して、折柄電話で會見を申込んで來たタイムス社の記者と稱する者に丈逢ふ事に決めた。 二人のタイムス記者と稱する者が大きな風呂敷包を持つてやつて來た。自分は勿論ヂャパン・タイムスと信じてゐたので、そのつもりで話をしてゐた。彼等は巧妙に調子を合はせてゐる。自分は教はりはしなかつたが、慶應義塾の高橋先生は今でもタイムスに筆を執つて居られるか、といふ問にも、然りと返事をしたのである。さうして約卅分は過ぎた。すると二人の中の一人は俄に話をそらして、實は今日は別にお願ひがあると云ひながら、その持參の風呂敷を解いて、「和漢名畫集」といふものを取出し、それを買つてくれと云ひ出した。創立後幾年目とかの紀念出版だといふのである。自分は勿論斷つたが、それならお宅へお買上を願ふから取次いでくれといふので、爲方なく奧へ持つて行つた。母は買つてやつて早く歸した方が無事だと云ふのである。馬鹿々々しい、こんな下らない物をとは思つたが、母の心配してゐる樣子を見ると心弱くなつた。とう/\自分はなけなしの小遣から「和漢名畫集」上下二册金四拾圓也を支拂はされた。 ところが後日聞くところによると、このタイムス社は、ヂャパン・タイムス社ではなく、日比谷邊りに巣をくつてゐる人困らせの代物であつた。自分は自分の人の好さをつくづくなさけなく思ふと同時に、かゝる種類の人間の跋扈する世の中を憎んだ。 新聞雜誌の噂話に廢嫡問題の出る事は尚しきりに續いた。これよりさき大正二年の春にも、憎むべき都新聞は三日にわたつて「父と子」なる題下に、驚くべき捏造記事を掲げた事があつた。その記事の記者は自分が曾て書いた小説を、すべて作者の過去半生に結びつけて、ありもしない戀愛談迄捏造した。厚顏にしてぼんくらなる記者は、その記事の最後に、「彼は今英國のケムブリッヂにゐる」と書いて、御叮嚀にも劍橋大學の寫眞を掲げた。當時自分は北米合衆國マサチュセツ州のケムブリッヂといふ町にゐたのである。 その都新聞の切拔を友だちの一人が送つてくれた時、自分は隨分怒つた。しかし考へてみると、あと形も無い戀愛談も、あと形もない廢嫡問題よりは、少くとも愛嬌がある丈ましであつた。自分は自分が如何に此の下等愚劣なる賤民、即ち新聞記者の爲に、其後も屡々不快な思ひをさせられたかを述べる前に、ついでに出たらめの愛嬌話を添へて僅かに苦笑しようと思ふ。 大正五年十月二十七日發行の保險銀行時報といふ新聞には、二つの異なる記事として自分の事を材料とした捏造記事が出てゐる。記者はさも消息通らしい筆つきで書いてゐるのが寧ろ氣の毒な程愛嬌であるけれども、書かれた者にとつては、矢張り憎む可き記事であつた。 第一は「保險ロマンス」といふ題下に「此父にして此子」といふ標題で、例の廢嫡云々が噂に上つてゐる。その記事によると或人が例の廢嫡問題を、我父に質問したといふのである。如何に父の齡は傾いたと雖も自分の四男を嫡男だと思ひ違へるわけが無い。然るに此の記事によると、父も亦その問題を事實起り得るものとして返答をしてゐるのである。記事の捏造である事は敢て論ずる迄もあるまい。 もう一つは「閑話茶談」といふ題で、身に覺えの無い艶種である。「三田派の新しい文士に水上瀧太郎といふのがある。それにカフヱ・プランタンの(春の女)と(秋の女)が競爭でラヴしてゐたことなどは文壇では夙に誰も知りつくしてゐたが一般の世間はまだ餘り知つてゐない」といふ冒頭で、同じく廢嫡問題に言及し、最後に「それにつけても餘計なことだが、彼の派手な華やかな明るい感じを持つた(春の女)と淋しい靜かなおとなしい(秋の女)は君の歸朝したことを知つてゐるかどうか今は誰もその姿を見た者もない」と結んだ。 自分はカフヱ・プランタンといふ家に足を踏入れたのは前後三囘きりである。一體に日本のカフヱに集る客の樣子が、自分のやうな性分の者には癪に障つて堪らず、殊に一頃半熟の文學者に限つてカフヱ邊りで、しだらなく醉拂ふのを得意とした時代があつたが、そんなこんなで自分はカフヱを好まない。プランタンといふ變な家もその開業當時友人に誘はれて、一緒に食事をした三囘の記憶以外に何も無い。第一(春の女)(秋の女)などといふ女は當時はゐなかつた。これも亦自分は惚れられる權利を持つてゐないので、記事の捏造なる事は疑ひも無い。 驚く可き事は、初め憎むべき東京朝日新聞の記者の捏造した一記事が、それからそれと傳へられて、眞の水上瀧太郎の他に、もう一人他の水上瀧太郎が人々の腦裡に實在性を持つて生れた事である。此の水上瀧太郎は某家の嫡男で、その父と父の業を繼ぐか繼がないかといふ問題から不和を生じ、廢嫡になるかならないかといふ瀬戸際迄持つて來られた。勿論物語の主人公だから世にも稀なる才人である。新聞記者の語をかりて云へば天才といふものなのである。 ところが眞の水上瀧太郎は新聞記者の傳へた都合のいゝ戲曲的場景の中に住んではゐなかつた。彼は天才でもなんでもない。彼はもつたいない程その父にその母に愛されて成人した。彼が小説戲曲を書いて發表したのは事實である。しかも曾て文筆を持つて生活しようと考へた事は一度もなかつた。彼の持つて生れた性分として、彼は身の圍に事無き事を愛し、平凡平調なる月給取の生活を子供の時から希望してゐた。勿論自分自身充分の富を所有してゐたら月給取にもなり度なかつたらう、恐らくは懷手して安逸を貪つたに違ひない。彼は落第したり、優等生になつたり出たらめな成績で終始しながら學校を卒業し、海外へ留學した。父が保險會社の社員だつたといふ事は彼の學ばんとする學問には何の影響をも持つてゐなかつた。父とも約束して、彼は經濟原論と社會學を學ぶつもりで洋行した。しかし學校の學問は面白くなかつた。學者となるべく彼はあまりに人生に情熱を持ち過ぎてゐた。時にふと氣まぐれに保險の本を買集めたり、圖書館へ通つて研究する事もあつた。しかしそれが彼の留學の目的ではなかつた。足かけ五年の年月の歐米滯在中彼が學んだ事は何であるかといふと、それは人間を愛する事と人間を憎む事である。最もはげしい愛憎のうちに現るゝ人間性を熱愛する意志と感情の育成に他ならない。彼は不幸にして他人を愛する事が出來なかつた。そのかはりにその父母兄弟姉妹を、自分自身よりももつと愛する嬉しい心をいだいて歸朝した。それだけの人間である。 自分は自分を第三者と見て、上述の如き記述をした。しかしその眞の自分を知つてゐる者は自分以外には數人の友人の外に誰もない事實を思ふと、流石に寒い心に堪へ難くなる。一度東京朝日新聞の奸譎邪惡憎む可き記者の爲に誤り傳へられてから、自分の目の前に開かれる世界は暗くなつた。或學者は人間の愛を説いて、愛とは理解に他ならないといふ。それを愛の一部だとしか考へない自分も、無理解の世界、誤解の世界には生きてゐられない。見る人逢ふ人のすべてが、新聞によつて與へられた先入觀念で自分を見る世界が、自分にとつてどんなものであるか、恐らくは人をおとしいれる事を職とする憎む可き程淺薄低級なる新聞記者には理解出來まい。 自分を知らない人で、朝日その他の新聞の捏造記事を見た人は、殆どすべて彼の記事を眞實を語るものと思つたに違ひない。友だちの中にも、知己の中にも、彼の記事を信じた人がある。自分は屡々初見の人に紹介される時「例の廢嫡問題の」といふ聞くも忌はしい言葉を自分の姓名の上に附加された。打消しても打消しても、人は先入の誤解を忘れなかつた、甚しいのになると、自分に兄のある事を熟知してゐながら、尚且廢嫡問題が自分の身に起らんとしてゐるのだと考へる粗忽な人も多かつた。否その粗忽な人ばかりだと云つてもいい程、人々は憎む可き記者の捏造の世界に引入れられてしまつた。たとへその記事を全部は信じなかつた人も、多少の疑念をいだいて自分を見るやうになつた。自分を見る世界の目はすべて比良目の目になつてしまつた。 幸にして自分は衣食に事缺かぬ有難い身の上であつたし、幸にして奉公口もあつたから、その點は無事であつたが、若しまかり間違つたら、此の如き記事によつて人は衣食の道をさへ求め難きに至る事は、想像出來ない事ではない。 幸にして自分は獨身生活を喜んでゐるから、その點は心配はなかつたが、假りに自分が配偶を探し求めてゐるとしたら、恐らくは廢嫡問題の爲に、世の中の娘持つ程の親は、二の足を踏んだに違ひない。 要するに自分は、世間の目から廢嫡問題の主人公としての他、偏見無しには見られなくなつてしまつたのだ。多數の人間の集會の席に行くと、あちらからもこちらからも、心無き人々の好奇心に輝く目ざしが自分の一身にそゝがれ、中には公然指さして私語する無禮な人間さへある。 如何に寛容な心を持ちたいと希ふ自分も、かかる世の中に身を置いては、どうしても神經の苛立つ事を止めかねた。どいつも此奴も癪に障ると思はないではゐられなくなる。さうして自分は一日と雖も、新聞記者を憎む事を忘れる事が出來なくなつた。 自分は決して新聞記者を、社會の木鐸だなどとは考へてゐないが、彼等が此の人間の形造る社會の出來事の報告者であるといふ職分を尊いものだと思ふのである。然るに憎む可き賤民は事實の報告を第二にして、最も挑發的な記事の捏造にのみ腐心してゐる。さうして新聞記者といふものに對して適當なる原因の無い恐怖をいだいてゐる世間の人々は、彼等に對して正當の主張をする事をさへ憚つてゐて、相手が新聞記者だから泣寢入のほかはないと、二言目には云ふのである。それをいゝ事にして強もてにもててゐる下劣なるごろつきを自分は徹頭徹尾憎み度い。同時にこれらの下劣なるごろつきの日常爲しつゝある惡行を、寧ろ奬勵してゐる新聞社主の如きも、人間社會に對する無責任の點から考へれば、等しく下劣なる賤民である。自分は單に自分自身迷惑した場合を擧げて世に訴へようとするのではない。それよりも一般の社會に惡を憎み、これに制裁を加へる事を要求鼓吹し度いのだ。 根も葉も無い捏造記事の爲に、幾多の家庭の平和を害し、幾多の人々の社會生活を不愉快にし、幾多の人の種々の幸福を奪ふ彼等の行爲を世間は何故に許して置くのか。 繰返して云ふ。自分は新聞記者を心底から憎む。馬鹿馬鹿馬鹿ッ。その面上に唾して踏み※[#「足へん+爛のつくり」、23-11]つてやる心持で、この一文を草したのである。(大正六年十二月十七日)
――「三田文學」大正七年一月號
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