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病状(びょうじょう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/26 9:01:56 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

凍てついた寒い夜がつゞいてゐた。
 私は、十銭メートルの瓦斯ストーヴに銀貨を投げ込みながら、空の白むまで机の前に坐りつゞけたが、一行の言葉も浮ばぬ夜ばかりだつた。
「いつでも関はぬから起してお呉れ。」
 細君は明方の私の食事については、パンや果物の用意をとゝのへて、机の傍らにすやすやと眠つてゐるのだが、稍ともすると私は気の弱い食客の心地に襲はれた。
 カーテンが水底のやうに白んで来ると、私は頼りないあきらめの吐息を衝いて五体がたゞ煙りのやうにふわ/\としてゐるのを感ずるだけだつた。
 私は、どてらの上にそのまゝ外套を羽おり、襟巻きに頤を埋めて、そつと部屋を忍び出た。私は食堂を探さうと考へながら、坂を降りて行つたが、極く稀に朝霧をきつてゆく車の響きがするだけで、街は未だ眠りの奈落であつた。私は雪の中に道を失ふた旅人のやうに、あてどもなくふら/\と歩いて、眠気の襲来を待つのであつたが、不図、辛うじて一台の車を拾ふと、品川まで――とつたへた。
 そこの廓内に夜通しの営業に栄えてゐる一軒の食ひものやのあることに気づいた。
 私は怕る/\盃に口をつけてゐた。――おもふにつけ、それは苦く味はひのない液体で、一杯の盃を傾ける毎に思はず顔を顰めては、凝つと首筋を伸して宙を睨めてゐるだけだつた。
 寺小屋の机のやうな食卓が二列にならんだ広い座敷で、私のと一つ置いたところでは、ひとりの眼の据つた頬のこけた中年の、商人とも他所行の職人ともつかぬ男が、何かの鍋を前にしてやはりひとりでぼんやりと湯気を視詰めてゐた。既に、その食卓の上には四五本もの徳利がならび、間もなくもう一本を注文したのであるが、女中が酌をすゝめようとすると、
「関はないで――」
 と彼はことわつてゐた。そして、無造作気な手酌で盃を傾けては、何かうつうつと深い思案に耽つてゐる様子は、余程不気嫌な豪酒家と察せられた。――向ふ側には真つ赤になつた会社員風の二人伴れが、切りと女中を相手に頓狂な声を挙げて、ふざけちらしてゐた。――広いところに客の数は、それだけだつたが、二人伴れの騒ぎだけが華々しくて、こちら側の二人は、まるで申し合せたかのやうに黙々としてゐるだけだつた。三四人の女中達が向ふ側の騒ぎを取り巻いて、うしろ向きなので表情は解らなかつたが、客は正面なので悦に入つてゐる笑ひ顔などがはつきりと私の眼にも映つた。そして時々彼等の視線を私はまともに感じたが、私は別段反らせもせず一層憤ツとした気味合ひで済してゐると、向ふの悪る騒ぎは益々嵩じて、どつといちどきに笑ひくづれたり、ふざけた悲鳴をあげたりした。どうも、その様子が、何か私の姿を嘲弄してゐるらしくも思はれた。そんなきつかけから見ず知らずの客同志が大喧嘩をはぢめるといふやうな場合を酒場などで私は見ることもあるので、私は胸を冷してうつ向いてしまつた。私の胸は飽くまで弱々しく打ち沈むばかりであつた。彼等のわらひ声がつゞけばつゞくほど、如何にも自分は嘲笑のまとに価するやうないつそこのまゝ遠方へでも逃げのびてしまひたいやうな止め度もない気恥しさが湧くばかりで、反撥心なんていふものは夢にも感ぜられなかつた。
 私は吐息ばかりを衝きながら、眠さが襲ひ次第に飛び立たうとして、盃を傾ける毎に、今度は、凝つと眼をつむつて見るのだが、更に眠気も酔も襲はず、注ぎ込んでゆく苦い酒の流れが胸先を白々しく迂回するかのやうであつた。
「何といふことだ……」
 私はそつとつぶやいて、両掌を拡げて胸の上を撫でたり、重々しく腕を組んで首垂れたりするばかりであつた。
「……何だと、もう一辺云つて見やがれ!」
 突然、そんな啖呵が私の耳の傍らに鳴り渡つた。聞くも爽々しい巻舌の江戸弁だつた。
 見ると、隣りの中年者が、食卓に突いた片肘をそびやかせて、軍鶏のやうな眼光をもつて向方側の二人伴れを瞶めてゐた。一陣の寒風が颯つと吹き抜けた概で、あたりは水底のやうに静まり返つた。
「――見損ふない、馬鹿野郎!」
 彼はつゞけて突き飛すやうな言葉を挑んだが、相手は蝉のやうにぱつたりと鳴き止んだまゝ一言の返答もなかつた。――まことに胸のすく見事な調子だ! と私は感心したがそれが若し自分の敵から投げられる科白だつたらと想ふと、聞くだに五体が竦む怕ろしさだつた。その彼の言葉の調子は、刃の鋭どさを閃めかせて、間断もなく敵の胸先を突きとほすのであつた。刃はおろか、稲妻とも何とも云ひやうもない霹靂で、底光りを湛えた物凄さであつた。彼は相手の手応のないのを悟ると唇の端にわらひを浮べながら、ゆるゆると盃を執りあげてゐたが、私が瞥見する彼の姿は真に近寄り難い青光りの中に途方もない殺気を含んで蜂のやうに身構えてゐた。私は他人ごとながら有無もない恐怖に圧し潰されて、膳の下の膝がしらが可笑しい程震えてゐるのさへ止め難かつた。
 やがて向方側の二人伴れは、時を見はからつて、すご/\と立ち去つた。
 嘲笑の声も、憤激の啖呵も――私の疲れた頭に響くと悉くが己れの上にかゝつた譴責の声であるかのやうな妄想に駆られて、私の胸はびく/\と震えた。
 彼等の立ち去るのを見送つてゐた隣りの男は、その時、私に話しかけるともつかぬ独白めいた口調で、
「振られた人形が、二つ首をならべてゐやがるなんて、あいつ等、抜しやがつた。」
 とつぶやいた。――そして彼は、ぼんやりと私の顔を眺めてゐるのであつた。――ところが私は、たつた今、彼の様子に、そんなに怯えたにも関はらず、知らぬ間に酔でも回つてゐたものか、急に平気になつて、
「俺の顔に何か付いてゐるのか?」
 と突き返した。
「いゝえ――」
 彼は白々と素直であつた。
「ぢや何で、そんなにひとの顔を見るんだ、さつきの奴みたいぢやないか?」
 と私はふくれた。
「振られやがつた――と云はれたのが、実はわつしは痛かつたのさ。」
「…………」
 私はそんなことで話相手になるのは億劫だつたので、眼をつむつてゐると、
「仕事のやまが見つからないうちは生きた心地もないといふものさ。振られてゐるといふのは、つまり仕事に置き去りを食つてゐるといふわけで……」
 彼は何やらわけの解らぬことを、くど/\と呟いてゐるのだが、私がまた不図眼をあくと、眼ばたきもせずに鋭く視張られた彼の眼光がやきつくやうに私の面上に注がれてゐるので、私は思はずぎよつとして慌てゝもう一度眼をつむらうとすると、逸早く彼が先に眼を閉ぢた。妙な人だ! と思ひながら私は彼の顔をしげ/\と打ち眺めた。鼻筋が嶮しく引きしまつた唇のあたりには如何にも抗し難い科白を吐きさうな凛とした厳しさが窺はれた。そして眼蓋が神経的にぴくぴくと震えてゐるのであつた。見るにつけ、その顔かたちは激しい雨にでも打たれたものゝやうな窶れと憂ひに覆はれてゐた。それでゐて、それは遊堕の後の窶れとは全く趣きの異なる何か張り切つた万遍のない神経がみちみちてゐるやうな迫力を覚えさせられるものであつた。私は次第に彼の崇厳な顔面に惑かるゝ感で、眺め入つてゐた。――すると間もなく、また彼が眼を開いたので私は驚いて眼を閉ぢた。
 そんなことが三四遍繰り反されてゐるうちに私は、とてもてれ臭くなつたので、彼が更に仮睡を装ふて顔を伏せた間にそつと帰り仕度をして立ちあがつた。そして外へ出ようとした店先から、何気なく振り返つて見るといつの間にか彼も頭を持ちあげてゐたが、反対の海の方の空を眺めてゐた。いつまでも明方のやうな薄暗さで、今にも降り出しさうな空工合だつた。
 翌日の明方頃、また私は空しい机の前を離れて、昨日の食卓で朝飯を喰はうとしてゐると、程なくまた彼が颯爽たる脚どりで這入つて来た。そして彼は私に気づくと、不意にからからと笑ひ出しながら、隣りに座を占めた。その時私は気づいたのであるが、彼の笑ひ声は鴉のやうな響きで、笑つても決してその表情は笑ひのために歪まぬのであつた。頭上の空を鳴き渡る鴉のやうに可成り長く笑ふのであつたが、彼の表情はカラス天狗のやうに悒鬱で、わずかに口が開いたまゝ喉の奥が空々しく鳴つてゐるだけなのであつた。
「やあ、また振られ同志の顔が出遇ひましたね……」
 彼はそう云つて、なほも奇天烈なワラヒ声をつゞけてゐた。
「厭なことを云はないで呉れ給へよ、おもしろくもない。」
 私は迷惑さうにつぶやいた。
「だつて、お前さんの顔には、ちやんとそうかいてあるんだもの……」
「……何うでも好いや。」
 私は横を向いて、煩さがつた、――まつたくきのふの彼ではないが、私としても斯んな状態の折から、幾度びもそんなことを耳にすると、一層気持が滅入るばかりで途方に暮れずには居られなかつた。
 ほんのわずかばかりの酒で、私はその時底もなく酔つてしまつた。――どんなはなしを彼と取り換したか殆んど記憶もないのだが「御面師おめんし――御面師とは?」
 と私は彼が何かのはずみに、私に、おめんしですよと云つた時、さつぱり意味が解らずに訊きかへしたのであつた。
「般若とか、ひよつとこ――とか、そんなものをつくるのがしようばいなんで……」
 さう云ふと彼は、ぐつたりと肩の力を抜いてふところへ向つて吐息を衝き、再び顔をあげると夢でも見るやうな眼つきで、ぼんやりと私の顔を視守るのであつた。そして彼は自分の仕事の説明をしたばかりで、相手の私に関しては何も訊ねることもなく、たゞたゞ私の顔ばかりを一心に眺めつゞけるばかりであつた。そして頭の中に何かのかたちを描いてでもゐるらしく、凝つと眼を据えたまゝ、私の鼻やら口つきやらを抉るやうに視据えるのであつた。――だが、私も彼の職業を知らされて見ると、それも殆んど気にならなくなり洒々と酔つたまゝ、
めんなどといふものは、天狗とか、ひよつとことか、もともとあんな荒唐無稽な型ちが決つてゐるものゝ、やはり普通の人間の顔が参考になるといふ場合があるものなんですかね?」
 などと開き直つて質問したりした。
「あります。――やはり、はつきりと、その度毎にあるんです。わたしは……」
 彼は言下に答へた。――「腕の先では出来ません。怖ろしい夢ばかりを見るんです。何と申したら好いやら云ひやうもないんだが、夢が、眼の前に探し当てたものゝ汐にのつて、実を結ばない限りは、天狗も鬼もあつたものぢやない……」――「御面のかほつきなんていふものは、それあもう此方の了見が汐にのつたあとなら、何が六つかしいの、何が楽だのなんていふ差別もなく、きまり切つたものなんですけれど、その笑つたり憤つたりしてゐるかほつきの蔭に、それこそ、飛んでもない、途方もない、わけと云つたら何もないらしい――つまり、その、振られて、振られて空の上へでもほうり出された見たいな、突つ拍子もなく馬鹿気きつた憂ひといふものが、夫々降りかゝつてゐなければならないんです。こいつは何うも口で云つても到底埒はあかない、理窟ぢや手に負へない――その上に、その時、その時に依つて異る自分の了見を、あれだけの定つた顔かたちの上に万遍なく現すために、他の人間の顔をかりようとするんだから……」
 彼は自分の云ひたいことが言葉にならぬのを、もどかし気に打ち切つて、いよいよ眼を据えて私の顔ばかりを視入つて来るので、さすがに私もいさゝか薄気味悪さを覚えて、
「そんなんなら何も僕に限つた事はなからうぢやないか、止めて貰ひたいな。僕はひとりで少々考へごとがあつて、ぼんやりしてゐるんだから、顔なんて見られるのは閉口だよ。誰の顔だつて飽かずにいつまでも眺めてゐたら、途方もない悲しみに満ちてゐるといふものだらうがな……」
 と私もつい余計な口を利いてしまつた。そして無理に笑ひ声をたてゝ見た。すると、正しく鳴き声ばかりが、彼のそれと似て鴉の如くクワツ/\と筒抜けながら、顔の筋肉は少しもゆるがなかつた。
「いゝえ、わたしは、あなたのやうに――さつぱりと振られて、見得も得意も、やけつぱちもないといふやうなお面を、いや、様子を何時にも見たことはないんです。」
「ちえツ馬鹿めんのモデルにされちや堪らないぞ?」
 と私は云ひ棄てゝ立ちあがつてしまつた。
「何もそんなに肚を立てないだつて好いぢやありませんか――」
 彼は私の姿を弱々しく見あげながら、悲しさうにつぶやくのであつた。いつか別の客に向つて、あれほどの圧倒的な威喝を浴せた男であるからには、いつかは短気を起して私の上にも目ざましい罵りを加へるだらう――私はそういふ光景を自分の上に想像して、吾ながらの生気を呼び反したいといふやうな憐れな状態だつた。
「然し、何ういふわけで――」
 と私は最も横柄な口調で唸らずには居られなかつた。「特に僕の姿にばかり、君は飛んでもない興味を持たうとするんだい。実に迷惑だな――」
「何ういふわけか――」
 と彼は益々弱々しく首垂れるばかりだつた。「見ると全く変哲もない顔なんだが――僕はあなたが憤つたり笑つたりする時に、その顔が何んな風に動くかと……何とも失礼な云ひぶんで申しわけありませんが、兎も角、云はせて下さい――はぢめて遇つた時から、不意とそんな考へを持ちはぢめたのです、ところが、あなたは笑つても憤つても、声だけで顔はちつとも変らないんです、空々しいと云へばそれまでだが、考へて見るとわたしは、そんな顔といふものにこれまで出遇つたためしがありません――それにしても、もと/\あんたはそんな風だつたんでせうか? 若しそうだとすれば得難い珍品だ、何にも動きのない顔にこそ、いろいろな動きの顔かたちが想像出来るものなのです。」
 益々妙なことばかりを云ふ奴だ! と私は気色を悪くしたが、若し彼の云ふ通りだとすると、自分にしろそんな人間の顔には接したこともない――と思はれた。
「神経衰弱のせゐだよ。」
 と私は云つた。笑ひ声だけは、クワツ/\とひゞいて、寧ろ私は彼のに似てゐるとは思つたが、その他の場合で、そんなに自分の顔つきが白々しいものとは考へられもしなかつた。もと/\自分は堪え性のない感情家で、泣いたり笑つたりの表情までが激しいたちだつたが、いつの間にそんな風に変つてゐたのか思ひも寄らなかつた。さう思つて見ると何うも近頃、笑つても、泣いても、心底から感情に支配される如き思ひもなく、空々しい歎きの煙りにうろたへてゐるばかりの気がするのであつた。
「御面師だけあつて、妙なところに気を留めたもんだね。幸ひ僕が神経衰弱なんで、反つてそんな、君の云ふことに耳を傾けたりするんだが、普通の人が聞いたら気狂ひの寝言だらうよ。」
「それあ知つたことぢやないが――今晩はひとつはなしついでに、もう少しつき合つて下さいませんか。」
「厭なこつた、馬鹿/\しい!」
 私は、袖をつかまうとした彼の腕を激しく振払つた。
「そんなことを仰言らずに、ほんのもう一時間でもつき合つて下さいよ。あなたは、これにこりて屹度もう此処にはいらつしやらないに違ひありません。……残念なんだ。」
「無論、来ないよ。」

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