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鬼涙村(きなだむら)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-26 8:56:51 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

     一

 もずの声が鋭くけたたましい。万豊の栗林からだが、まるで直ぐの窓上の空ででもあるかのようにちかぢかと澄んで耳を突く。きょうは晴れるかとつぶやきながら、私は窓をあけて見た。窓の下はまだ朝霧が立ちこめていたが、いも畑の向方むこう側にあたる栗林の上にはもう水々しい光がして、栗拾いに駈けてゆく子供たちの影があざやかだった。そして見る見るうちに光の翼は広い畑を越えて窓下に達しそうだった。芋の収穫はもうよほど前に済んで畑は一面に灰色の沼の観で、光が流れるに従って白い煙が揺れた。万豊はそこで小屋掛の芝居を打ちたいはらだが、青年団からの申込みで来るべき音頭小唄おんどこうた大会の会場にと希望されて不承無承にふくれているそうだった。
 私と同居の御面師は、とっくに天気を見定めて下彫の面型を鶏小屋の屋根にならべていた。私は鋸屑おがくずにかわで練っていたのだ。万豊の桐畑から仕入れた材料は、ズイドウ虫や瘤穴こぶあなあとおびただしくて、下彫の穴埋あなうめによほどの手間がかかった。御面師は山向うの村へ仕入れに行くと、つい不覚の酒に参って日帰りもかなわなかったから、よんどころなく万豊の桐で辛抱しようとするのだが、こう穴やふしこぶだらけでは無駄骨が折れるばかりで手間が三倍だとこぼしぬいた。今後はもう決して酒には見向かずにと彼は私に指切りしたが、急に仕事の方が忙しくて材料の吟味に山を越えるひまもなかった。万豊は下駄材の半端物はんぱものを譲った。値段をくとその都度は、まあまあと鷹揚おうようそうにわらっていながら、仕事の集金を自ら引受け、日当とも材料代ともつけずに収入の半分をとってしまうと御面師は愚痴を滾した。万豊はすべてにハッキリしたことを口にするのが嫌いで、ひとりで歩いている時も何が可笑おかしいのかいつもわらっているような表情だった。では元々そういう温顔なのかと想うと大違いで、邸の垣根を越える子供らを追って飛出して来る時の姿は全くの狼で、不断はレウマチスだと称して道普請みちぶしんや橋の掛替工事を欠席しているにもかかわらず、垣も溝も三段構えで宙を飛んだ。
 そのうちにも、さっきの子供たちがばらばらと垣根をくぐり出て芋畑を八方に逃げ出して来たかと見ると、おいてゆけおいてゆけ野郎ども、たしかに顔は知れてるぞなどと叫びながら、どっちを追っていのやらと戸惑うた万豊が八方に向って夢中で虚空をつかみながらあばれ出た。万豊の栗拾いにゆくには面をもって行くに限ると子供たちが相談していたが、なるほど逃げてゆく彼らはたちまち面をかむってあちこちから万豊を冷笑した。鬼、ひょっとこ、狐、天狗、将軍たちが、面をかむっていなくても鬼の面と化した大鬼を、遠巻きにして、一方を追えば一方から石を投げして、やがて芋畑は世にも奇妙な戦場と化した。
「やあ、面白いぞ面白いぞ。」
 私は重い眼蓋まぶたをあげて思わず手をたたいた。私の腕はいつも異様な酒の酔いで陶然としているみたいだったから、そんな光景が一層不思議な夢のように映った。私たちの仕事部屋は酒倉の二階だったので、それに私は当時胃下垂の症状で事実は一滴の酒も口にしなかったにもかかわらず、昼となく、夜となく、一歩も外へは出ようとはせずに、面作りの手伝いに没頭しているうちには、いつか間断もない酒の香りだけで泥酔するのがしばしばだった。かなう仕儀ならのどを鳴らして飛びつきたい WET 派のカラス天狗が、食慾不振のカラ腹を抱えて、十日二十日と沼のような大樽おおだるに揺れる勿体もったいぶった泡立ちの音を聴き、ふつふつたる香りにばかりあおられていると酔ったとも酔わぬとも名状もなしがたい、前世にでもいただいたから天竺てんじくのおみきの酔いがいまごろになっていて来たかのような、まことに有り難いような、なさけないような、にもとりとめのない自意識の喪失に襲われた。眠いような頭から、酒に酔った魂だけが面白そうに抜け出してふわりふわりとあちこちを飛びまわっているのを眺めているような心持だった。そのうちには新酒の蓋あけのころともなって秋の深さは刻々に胸底へにじんだ。倉一杯にあふれる醇々じゅんじゅんたる酒のもやは、ければあわや潸々さんさんとしてしたたらんばかりの味覚に充ちよどんでいた。――鶏小屋の傍らでは御面師がしきりと両腕を拡げて腹一杯の深呼吸を繰返していた。彼も「酒の酔い」をさまそうとして体操に余念がないのだ。――万豊が地団太じだんだを踏みながら引き返してゆく後姿が栗林の中でまだらな光を浴びていた。線路の堤に、青鬼、赤鬼、天狗、狐、ひょっとこ、将軍などの矮人こびと連が並んで勝鬨かちどきを挙げていた。――もともとそれらは私たちがつくった成人おとな用の御面なので、五体にくらべて顔ばかりが大変に不釣合なのが奇抜に映った。音頭大会の日取はまだ決らないが、出場者の多くは面をかむろうということになって、日々に註文が絶えなかった。たとえこれが今や全国的の流行で踊りとなれば老若の別もないとはいうものの、まさか素面では――とたじろいて二のあしを踏む者も多かったが、仮面をかむって、――という智慧ちえがつくと、われもわれもと勇み立った。名誉職も分限者ぶげんしゃも教職員も自ら乗気になって出演の決心をつけた。どんな歌詞かは知らぬが鬼涙きなだ音頭なる小唄も出来て「東京音頭」の節で歌われるということであった。
「面をかむっていれば、担がれるという騒ぎもなくなるだろう――やがては、あの永年の弊風が根を絶つことにでもなれば一挙両得ともなるではないか。」
 一方ではこういううわさが高かった。由来、このあたりでは村人の反感を買った人物はしばしばこの「担がれる」なる名称の下に、世にも惨澹さんたんたるリンチに処せられた。
 ……「おいおい、ツル君、はやくあがって来ないか。」
 私は、いつまでも外気に顔をさらしていることに「或る危惧」を覚えたので、まだ酔いを醒してもいなかったのだが、御面師に声をかけた。それに干場の面型をかぞえて見るとかろうじて十二、三の数で、あれがきのうまでの三日がかりの仕事では今夜あたりは徹宵でもしなければ追いつくまいと心配した。私は、うしろの棚から鬼の赤、青、狐の胡粉ごふん、天狗の紅の壺などを取りおろし、塗刷毛ぬりばけで窓を叩きながらもう一遍呼ぶのだが、彼は振向きもしなかった。
「聞えないのか――」
 私は怒鳴ってから、そうだ口にしない約束だった彼の名前を思わず呼んでしまったと気づいた。彼は自分の姓名を非常に嫌うという奇癖の持主で、うっかりその名を呼ばれると時と場所の差別もなく真赤になって、あわや泣き出しそうにしおれるのであった。
いやだ厭だ厭だ、たまらない……」と彼は身震いして両耳をおおった。それ故彼は、めったな事には人に自分の姓名をあかしたがらず、
「ええ、もう私なんぞの名前なんてどうでもよろしいようなもので……」と言葉巧みにごまかしたが、それはいたずらな謙遜というわけでもなく、実はそれが神経的に、そして更に迷信的にかなわぬというのであった。それで私も久しい間彼の名前を知らなかったし、またふとした機会から彼と知合になり、どうして生活までを共にするまでに至ったかの筋みちを短篇小説に描いたこともあり、実際の経験をとりあげる場合にはいつも私は人物の名前をもありのままを用いるのが習慣なのだが、その時も終始彼の代名詞は単に「御面師」とのみ記入していた。私はそのころ「御面師」なる名称の存在を彼に依ってはじめて知り、やや奇異な感もあって、実名の頓着とんじゃくもなかったまでなのだったが、後に偶然の事から彼の名前は水流舟二郎とぶのだと知らされた。私はミズナガレと読んだが、それはツルとむのだそうだった。
「この苗字は私の村(奈良県下)では軒並なんですが――」と彼はその時も、ふところの中に顔を埋めるようにしてつぶやいた。「苗字と名前とがまるでこしらえものの冗談のようにきわどく釣合っているのが、私は無性に恥しいんです。それにどうもそれは私にとってはいろいろと縁起でもない、これまでのことが……」
 彼はわけもなく恐縮して是非とも忘れて欲しいなどと手を合せたりする始末だったのである。そんな想いなどは想像もつかなかったが、私は難なく忘れて口にしたためしもなかったのに、ツマラヌ連想から不意とその時、人の名前というほどの意味もなく、その文字面を思い浮べたらしかったのである。
 それはそうと、その頃私の身にはとんだ災難が降りかかろうとしているらしいあたりの雲行であった。
「今度、踊りの晩に、担がれる奴は、おそらくあの酒倉の居候だろう。」
畢竟ひっきょうするに、野郎の順番だな。」
 私を目指めざして、このおそるべき風評がしばしば明らさまの声と化して私の耳を打つに至っていた。あの戦慄せんりつすべきリンチは、期が熟したとなれば祭の晩を待たずとも、闇に乗じて寝首を掻かれる騒ぎも珍らしくはない。私たちがここに来た春以来からでさえも、三度も決行されている。
 現に私も目撃した。花見の折からで「サクラ音頭」なる囃子はやしが隆盛を極めていた。夜ごと夜ごと、鎮守の森からは、陽気な歌や素晴しい囃子の響が鳴り渡って、村人は夜のけるのも忘れた。あまり面白そうなので私も折々遅ればせに出かけては石燈籠の台に登ったりして、七重八重の見物人の上からじっと円舞者連の姿を見守っていた。円陣の中央にはやぐらがしつらわれ、はじめて運び込まれたという、拡声機からはレコードの音頭歌が鳴りもやまずに繰返されてこずえから梢へこだました。それといっしょに櫓の上に陣取っているお囃子連の笛、太鼓、擂鉦あたりがね、拍子木が節面白く調子を合せると、それッとばかりに雲のような見物の群が合の手を合唱する大乱痴気に浮されて、われもわれもと踊手の数を増すばかりで、いには円陣までもが身動きもならぬほどに立込み、大半の者は足踏のままに浮れほうけ、踊りほうけていた。――そのうちに向方むこうの社殿のあたりから、妙に不調和な笑い声とも鬨の声ともつかぬどよめきが起って、突然二十人ちかい一団がわッと風を巻いて森を突き走り出た。でも、踊りの方は全くそっちの事件には素知らぬ気色で相変らず浮れつづけ見物の者もまた、誰ひとり眼もくれようともせず、知って空呆そらとぼけている風だった。弥次馬の追うすきもなさそうな、全く疾風迅雷の早業で、誰しも事の次第を見届けた者もあるまいが、それにしても群集の気配が余りにも馬耳東風なのがむしろ私は奇態だった。
「一体、今のあれは何の騒動なんだろう。喧嘩けんかにしてはどうもおかしいが……」と私は首をかしげた。すると誰やらが小声で、
「万豊が担がれたんだよ。」といとも不思議なさげにささやいた。
 朧月夜おぼろづきよであった。あの一団が向方の街道を巨大ないのししのような物凄さでまっしぐらに駈出してゆくのがうかがわれた。誰ひとりそっちを振向いている者さえなかったが、私の好奇心は一層深まったので、ともかく正体を見定めて来ようと決心して何気なさげにその場を脱けてから、麦畑へ飛び降りるやいなや狐のように前へのめると、やにわにみちも選ばず一直線に畑を突き抜いて、彼らの行手を目指した。街道は白く弓なりに迂廻うかいしているのでたちまち私は彼らのはるか行手の馬頭観音のほこらの傍らに達し、じっと息を殺してうずくまったまま物音の近づくのを待伏せした。突撃の軍馬が押寄せるかのような地響をたてて、間もなく秘密結社の一団は、砂を巻いて私の眼界に大写しとなった。非常な速さで、誰も掛声ひとつ発するものとてもなく、唯不気味な息づかいの荒々しさが一塊ひとかたまりとなって、丁度機関車の煙突の音と間違うばかりの壮烈なる促音調を響かせながら、一陣の突風と共に私の眼の先をかすめた。見ると連中はこぞって鬼や天狗、武者、狐、しおふき等の御面をかむって全くどこの誰とも見境いもつかぬ巧妙無造作な変装ぶりだった。ただひとり彼らの頭上にささげ上げられて鯉のように横たわったまま、悲嘆の苦しみに※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがき返り、滅茶苦茶に虚空をつかんでいる人物だけが素面で、しかとは見定めもつかなかったが、やはり正銘な万豊の面影だった。その衣服はおそらく途中の嵐で吹飛んでしまったのであろうか、彼は見るも浅ましい裸形のなりで、命かぎりの悲鳴を挙げていた。たしかに何かの言葉を吐いているのだが、支那かアフリカの野蛮人のようなおもむきで、まるきり意味は通じなかった。ただ動物的な断末魔のわめきで気狂いとなり、救いを呼ぶのか、あわれみをうのか判断もつかぬが、折々ひときわ鋭く五位鷺ごいさぎのような喉を振り絞って余韻もながく叫びあげる声が朧夜の霞を破って凄惨この上もなかった。と、そのたびごとに担ぎ手の腕が一斉に高く上へ伸びきると、たくましい万豊の体躯は思い切り高くほうりあげられて、その都度空中に様々なるポーズを描出した。徹底的な逆上で硬直した彼の肢体は、一度はしゃちほこのような勇ましさで空を蹴って跳ねあがったかとおもうと、次にはかっぽれの活人形いきにんぎょうのような飄逸ひょういつな姿で踊りあがり、また三度目にはえびのように腰を曲げて、やおら見事な宙返りを打った。そして再び腕の台に転落すると、またもや激流にのった小舟の威勢で見る影もなく、らっし去られた、――私は堪らぬ義憤に駆られて、夢中で後を追いはじめたが忽ち両脚は氷柱つららの感ですくみあがり、むなしくこの残酷なる処刑の有様を見逃さねばならなかった。空中に飛びあがる憐れな人物の姿が鳥のように小さく遠ざかってゆくまで、私は唇を噛み、果ては涙を流して見送るより他はすべもなかった。――それにしても私は、こんな奇怪な光景を眼のあたりに見れば見るほど、見知らぬ蛮地の夢のようでならなかった。
 後に聞くところに依ると、あの激しい胴上げを十何遍繰返しても気絶をせぬと、村境いの川まで運んで、流れの上へ真っさかさまに投げ込むのだそうである。結社の連中は必ず覆面をして黙々と刑を遂行するから、被害者は誰を告訴するという方法もなく、人々は一切知らぬ顔を装うのが風習であり、何としても泣寝入より他はなかった。
 あの時の万豊の最後は、あれなり私は見届けそこなったが、ねらわれたとなれば祭りや闇の晩に限ったというのでもなく、蛍の出はじめたころの或る夕暮時に、村会議員のJ氏が役場帰りの途中を待伏せられて、担がれたところを、私は鮒釣ふなつりの帰りに目撃した。彼は達者な泳ぎ手で、難なく向岸へ抜手を切って泳ぎついたが、とぼとぼと手ぶらで引あげて行った折の姿は、思い出すも無惨な光景で私は目をおおわずには居られなかった。
 もずの声などを耳にして、あの時のことを思い出すと、私にはありありと万豊の叫びや議員のことが連想された。やがては次第に私も迷信的にでも陥ったせいか、水流舟二郎などという文字を考えただけでも、臆病げな予感に脅やかされた。あの胴上どうあげもさることながら、この寒さに向っての水雑炊と来ては思うだに身の毛のよだつ地獄のふちだ。私は、水だの、流れだのという川に縁のある文字を感じても、不吉な空想に震えた。定めとてもない漂泊の旅に転々として憂世うきよをかこちがちな御面師が、次第に自分の名前にまでも呪咀じゅそを覚えたというのが、漠然ながら私も同感されて見ると、私は彼との悪縁が今更の如く嗟嘆さたんされたりした。
 澄み渡った青空に、鵙の声が鋭かった。往来の人々が、何か胡散うさん臭い目つきでこちらを眺める気がして私は、いつまでも窓から顔を出していることも出来なかった。
「そんな色に塗られては……」
 戻って来た御面師が、慌てて私の腕をおさえた。なるほど私はうかうかと青の泥絵具を、紅を塗るべき天狗の面になぞっているのに気がついた。

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