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雪の上の足跡(ゆきのうえのあしあと)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/25 16:29:05 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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高原の古駅における、二月の夕方の対話 主 やあ、どこへ行ったかと思ったら、雪だらけになって帰って来たね。 学生 林の中を歩いて来ました。雑木林の中なぞは随分雪が深いのですね。どうかすると、腰のあたりまで雪の中に埋まってしまいます。 主 君と、兎なんぞが一しょになるものかね。それに、もういくぶん春めいて来ているから、 学生 ええ、実に愉快でした。歩きながら、立原道造さんの詩にも、こうやって林の中をひとりで歩きながら、深い雪の底に夏の日に咲いていた花がそのまま隠れているような気がしたり、蝶の飛んでいる幻を見たりするような詩があったのを思い出しました。 主 立原は、僕がはじめてここで冬を越したとき、二月になってからやって来た。あいにく僕が病気で寝こんでいたので、君のように、ひとりで林の中を雪だらけになって歩いて帰って来たっけ。そのときの詩だろう。もう七八年前になるかなあ。……どうだい、狐のやつの足跡はついていなかったかい? 学生 狐の足跡はどうも分かりませんでした。どんなんだか、まだそれもよくは……。 主 そうだな、こう、まっすぐに、一本の点線を雪の 学生 狐なぞがまだこのへんにうろついているのでしょうかしら? 主 いるらしい。このごろは冬になると、僕はからきし 学生 いつだかお書きになっていた、昔、武家に切り殺された、この 主 この村ではないが、隣りの村の古老にきいた話だ。ハアンでも好んで書きそうな話だ。ああいう話が残っていたら、もっと聞きたいものだが、あまり無いようだね。どうもこういう古駅には一たいに昔話なぞが少ないのではないかね。維新前までは茶屋 学生 そうかも知れませんね。しかし、まだ二つや三つはそんな話もありそうな気がしますね。 主 そう、ありそうな気もする。ところが、ありそうで無いんだ。なんにも無いくせに、そんな雰囲気だけはもっている――そこがまあ現在のこの村の一種の持味で、僕なんぞにはかえってぴったりしているのだろうと思う。こんなに荒廃して、それがそれなりになんとなく 学生 三好さんの詩にも、何処かの山村を、一匹の傷ついた鹿が足を縛られたまま、猟師にかつがれてゆく詩がありますね。あれは何処かしら? 主 伊豆の湯ヶ島あたりの風景だろう。僕は残念だが、とうとう鹿は見られなかった。向うの 学生 僕はこの間、チェホフの「学生」という短篇をよみました。復活祭で帰省していた一人の学生が、或日――北風の吹いている、寒い日でしたが、なんだか此の世にはいつの時代にもこんな風が吹きまくっていて、そこには無智と悲惨としか見られないような考えを抱いて、非常にうち沈んだ気もちになって、散歩から帰つて来ると、もう暮れがたで、隣り村の或農家の中庭では 主 ふむ、いい短篇だね。僕は読みそこなっていたが、いつかその本を貸してくれたまえ。しかし、君の話だけでも、大体は分かるね。ちょっと其処にある聖書をとってくれないか。そこのところを読んでみよう。ルカ伝だったね。(聖書をひらいて読む)「……やがて鶏鳴きぬ。主、ふりかえりてペテロに目をとめ給う。ここにペテロ、主の「今日にわとり鳴く前に、なんじ 学生 僕はこの短篇を読んだときにも思ったのですけれど、このペテロの話にしろ、いつかお書きになっていたエマオの旅びとの話にしろ、そんな縁遠いような物語がおもいがけず僕らの身ぢかに迫って来て、妙に感動させられることがあるのですが、それに反して日本の古い物語はいかに美しく、なつかしいと思っても、それだけの強い力がないような気がするのです。何か fatal なものの前にわれわれを無気力にさせてしまいます。そのチェホフの短篇は、まず、森のなかのもの寂しい自然の描写ではじまっています。チェホフの筆だと其処が非常に美しいんですが、そういうもの寂しい自然がすっかりその学生の心をめいらせているのです。――そんなものからチェホフは小説を書きはじめていますが、日本のいいものはそれとは反対に、一番最後にそういうところへわれわれを引きずり込んでゆくように思われるんですけれど……。 主 確かにそういうところがあるだろう。これから君たちは大いにそういう fatal なものと戦ってみるのだね。僕なんぞも僕なりには戦ってきたつもりだ。だんだんそういう fatal なものに一種の ![]() ![]() 学生 そうですね。僕には、いま、二つのものが浮びます。一つは釈迢空の「死者の書」を荘厳にいろどっていたあの落日の美しさです。それからもう一つは、フランシス・トムスンが「落日頌」(Ode to the setting sun)の中で歌った、あの野なかの十字架のうえを血で染めたように赫やかせながら没してゆく太陽の神々しさです。――向うの山の端に、いま、くるめき入ろうとしているあの太陽は、「死者の書」に描かれてある、ああいった山越しの 主 釈迢空と、フランシス・トムスンか。なかなか重厚な好みだな。……僕はきのうね、こんな落日を眺めながら、ふいと 学生(目をつぶりながら)「鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ」――凄いなあ。 主 そんな句がみごとに浮ぶこともある。かとおもうと、随分くだらないことを思い出して、いつまでもひとりで感傷的な気分になっていることもある。或日などは、昔、村の雑貨店で買った十銭の雑記帳の表紙の絵をおもい浮べていた。雪のなかに半ば埋もれて夕日を浴びている一軒の山小屋と、その向うの夕焼けのした森と、それからわが家に帰ってゆく主人と犬と、――まあ、そういった絵はがきじみた紋切型の絵だ。或日、その雑記帳を買ってきて僕がなんということもなくその表紙の絵をスゥイスあたりの冬景色だろう位におもって見ていたら、宿の主人がそばから見て、それは軽井沢の絵ですね、とすこしも疑わずに言うので、しまいには僕まで、これはひょっとしたら軽井沢の何処かに、冬になって、すっかり雪に埋まってしまうと、これとそっくりな風景がひとりでに出来あがるのかもしれない、と思い出したものだ。そうしたら急に、こんな絵はがきのような山小屋で、一冬、犬でも飼うて、暮らしたくなった。その夢はそれからやっと二三年立って実現された。――その冬は、おもいがけず悲しい思い出になったが、それはともかくも、あの頃の――立原などもまだ生きていて一しょに遊んでいた頃の僕たちときたら、まだ若々しく、そんな他愛のない夢にも自分の一生を 学生 急に寒くなってきましたね。もう窓をしめましょうか。 底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館 1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行 底本の親本:「堀辰雄全集 第3巻」筑摩書房 1977(昭和52)年11月30日初版第1刷発行 初出:「新潮」 1946(昭和46)年3月号 初収単行本:「堀辰雄作品集第六・花を持てる女」角川書店 1948(昭和23)年4月1日 ※筑摩書房の全集版の底本は角川書店版による。 ※初出情報は、「堀辰雄全集 第3巻」筑摩書房、1977(昭和52)年11月30日、解題による。 入力:kompass 校正:門田裕志 2004年1月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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