妻が息をひきとったとき、彼は時計を見て時刻をたしかめた。 妻の母は、念仏を唱えながら、隣室から、小さな仏壇を抱(かか)えて来ると、妻の枕許(まくらもと)の床の間にそっと置いた。すると、何か風のようなものが彼の背後で揺れた。と、彼ははじめて悲しみがこみあげて来た。彼はこれまでに、父や母の死に遭遇していたので、人間の死がどのように取扱われるかは既によく知っていた。仏壇を見たとき、それがどっと彼の心にあふれた。それよりほかに扱われようはない死がそこにあった。苦しみの去った妻はなされるがままに床のなかに横(よこた)わっているのだ。その細い手はまだ冷えきってはいなかったが、はじめて彼はこの世に置き去りにされている自分に気づいた。今は彼もなされるがままに生きている気持だった。 「僕は茫(ぼう)としてしまっているから、よろしく頼みます」 葬いのことや焼場のことで手続に出掛けて行ってくれる義弟を顧みて、彼はそう云った。昨夜からの疲労と興奮が彼の意識を朧(おぼろ)にしていた。妻のいる部屋では、今朝ほど臨終にかけつけたのに意識のあるうちには間にあわなかった神戸の義姉がいた。彼はひとり隣室に入って、煙草を吸った。障子一重隔てて、台所では義母が昼餉(ひるげ)の仕度(したく)をしていた。(そうだったのか、これからもやはり食事が毎日ここで行われるのか)と彼はぼんやりそんなことを考えていた。……心のなかで何かが音もなく頻(しき)りに崩(くず)れ墜(お)ちるようだった。ふと机の上にある四五冊の書籍が彼の眼にとまった。それはみな仏教の書物だった。その年の夏に文化映画社に入社して以来、機械や技術の本ばかり読まされていた彼は、ふと仏教の世界が探求してみたくなった。それは今現に無慙(むざん)な戦争がこの地上を息苦しくしている時に、嘗(かつ)ての人類はどのような諦感(ていかん)で生きつづけたのか、そのことが知りたかったからだ。だが、病妻の側(そば)で読んだ書物からは知識の外形ばかりが堆積(たいせき)されていたのだろう。それが今、音もなく崩れ墜ちてゆくようだった。彼はぼんやりと畳の上に蹲(うずくま)っていた。 それは樹木がさかさまに突立ち、石が割れて叫びだすというような風景ではなかった。いつのまにか日が暮れて灯のついた六畳には、人々が集って親しそうに話しあっていた。……東京からやって来た映画会社の友人は、彼のすぐ横に坐っていた。ことさら悔みを云ってくれるのではなかったが、彼にはその友人が側に居てくれるというだけで気が鎮(しず)められた。床の間に置かれた小さな仏壇のまわりには、いつのまにか花が飾られて、蝋燭(ろうそく)の灯が揺れていた。開放たれた縁側から見ると、小さな防空壕(ぼうくうごう)のある二坪の庭は真暗な塊(かたま)りとなって蹲っていた。その闇(やみ)のなかには、悲しい季節の符号がある。彼が七年前に母と死別れたのも、この季節だった。三日前に、「きょうはお母さんの命日ね」と妻は病床で何気なく呟(つぶや)いていたのだが。……母を喪(うしな)った時も、暗い影はぞくぞくと彼のなかに流れ込んで来た。だが、それは息子(むすこ)としてまだ悲しみに甘えることも出来たのだ。だが今度は、彼はこれからさきのことを思うと、ただ茫として遠いところに慟哭(どうこく)をきいているような気がした。 妻の寝床は部屋の片隅(かたすみ)に移されて、顔は白い布で覆(おお)われていた。そこの部屋のその位置が、前から一番よく妻の寝床の敷かれた場所だった。彼女は今も何ごともなく静かに睡(ねむ)りつづけているようだった。だが、四年前に拵(こしら)えたまま、まだ一度も手をとおさなかった訪問着が夜具の上にそっと置かれていた。電灯の明りに照らされてその緑色の裾模様(すそもよう)は冴(さ)えて疼(うず)くようだった。ふと外の闇から明りを求めて飛込んで来た大きな螳螂(かまきり)が、部屋の中を飛び廻って、その着物の裾のところに来てとまった。やはり死者の気配はこの部屋に満ちているのだった。読経(どきょう)がおわって、近所の人たちが去ると、部屋はしーんと冴え静まっていた。彼は妻の枕許に近より、顔の白布をめくってみた。あれから何時間たったのだろう。顔に誌(しる)されている死の表情は、苦悶(くもん)のはての静けさに戻っている。(いつかもう一度、このことについてお互に語りあえないのだろうか)だが、妻の顔は何ごとも応(こた)えなかった。義母が持って来たアルコールを脱脂綿に浸して、彼は妻の体を拭(ふ)いて行った。義母はまだ看護のつづきのように、しみじみと死体に指を触れていた。それは彼にとって知りすぎている体だった。だが硬直した皮膚や筋肉に今はじめて見る陰翳(いんえい)があった。 その夜も明けて、次の朝がやって来た。棺に入れる花を買いに彼は友人と一緒に千葉の街へ出かけて行った。家を出てから、ずっと黙っていた友は、国道のアスファルトの路(みち)へ出ると、 「元気を出すんだな、挫(くじ)けてはいかんよ」 と呟いた。 「うん、しかし……」と彼は応えた。しかし、と云ったまま、それからさきは言葉にはならなかった。佗(わび)しい単調な田舎街(いなかまち)の眺(なが)めが眼の前にあった。(これからさき、これからさきは、悲しいことばかりがつづくだろう)ふと、そういう念想が眼の前を横切った。……寝棺に納められた妻の白い衣に、彼は薄荷(はっか)の液体をふりかけておいた。顔のまわりに、髪の上に、胸の上に合掌した手のまわりに、花は少しずつ置かれて行った。彼はよく死者の幻想風な作品をこれまでも書いていたのだが、だが今眼の前で行われていることは幻ではなかった。郷里から妻の兄がその日の夕刻家に到着していた。そうした眼の前の一つ一つの出来事が、いつかまた妻と話しあえそうな気が、ぼんやりと彼のなかに宿りはじめた。 霊柩車が市営火葬場の入口で停ると、彼は植込みの径(みち)を歩いて行った。花をつけた百日紅(さるすべり)やカンナの紅が、てらてらした緑のなかに燃えていた。その街に久しく住み馴(な)れていたのだが、彼はこんな場所に火葬場があるのを今日まで知らなかったのだ。妻も恐らくここは知らなかったにちがいない。柩(ひつぎ)は竈(かまど)の方へあずけられて、彼は皆と一緒に小さな控室で時間を待っていた。何気なく雑談をかわしながら待っている間、彼はあの柩の真上にあたる青空が描かれた。妻の肉体は今最後の解体を遂げているのだろう。(わたしが、さきにあの世に行ったら、あなたも救ってあげる)いつだったか、そんなことを云った彼女の顔つきが憶(おも)いだされた。それは冗談らしかったが、ひどく真顔のようでもあった。……しばらく待っているうちに火葬はすっかり終っていた。竈のところへ行ってみると焦げた木片や藁灰(わらばい)が白い骨と入混っていた。義母はしげしげとそれを眺めながら骨を撰(え)り分けた。彼もぼんやり側に屈(かが)んで拾いとっていたが、骨壺(こつつぼ)はすぐに一杯になってしまった。風呂敷に包んだ骨壺を抱えて、彼は植込の径を歩いて行った。すると遽(にわ)かに頭上の葉がざわざわ揺れて、さきほどまで静まっていた空気のなかにどす黒い翳(かげ)りが差すと、陽(ひ)の光が苛立(いらだ)って見えた。それはまた天気の崩れはじめる兆(きざし)だった。こういう気圧や陽の光はいつも病妻の感じやすい皮膚や彼の弱い神経を苦しめていたものだ。(地上には風も光ももとのまま)そう呟くと、急に地上の眺めが彼には追憶のように不思議におもえた。 持って戻った骨壺は床の間の仏壇の脇(わき)に置かれた。さきほどまで床の間にはまだ明るい光線が流れていたのだが、いつの間にかそのあたりも仄暗(ほのぐら)くなっていた。外では雨が降りしきっていた。湿気の多い、悲しげな空気は縁側から匐(は)い上って畳の上に流れた。時折、風をともなって、雨はザアッと防空壕(ぼうくうごう)の上の木の葉を揺すった。庭は真暗に濡(ぬ)れて号泣しているようなのだ。こうした時刻は、しかし彼には前にもどこかで経験したことがあるようにおもえた。郷里から次兄と嫂(あによめ)がやって来たので、狭い家のうちは人の気配で賑(にぎわ)っていた。その家の外側を雨は狂ったように降りしきっていた。 二日つづいた雨があがると、郷里の客はそれぞれ帰って行った。義姉だけはまだ逗留(とうりゅう)していたが、家のうちは急に静かになった。床の間の骨壺のまわりには菊の花がひっそりと匂(にお)っている。彼は近いうちに、あの骨壺を持って、汽車に乗り郷里の広島まで行ってくるつもりだった。が、ともかく今はしばらく心を落着けたかった。久し振りに机の前に坐って、書物をひらいてみた。茫然(ぼうぜん)とした頭に、まだ他人の書いた文章を理解する力が残っているかどうか、それを試(ため)してみるつもりだった。眼の前に展(ひろ)げているのは、アナトール・フランスの短篇集だった。読んで意味のわからない筈(はず)はなかった。だが意味は読むかたわらに消えて行って、それは心のなかに這入(はい)って来なかった。今、彼は自分の世界がおそろしく空洞(くうどう)になっているのに気づいた。 久し振りに彼は電車に乗って、東京へ出掛けて行くと、家を出た時から、彼をとりまく世界はぼんやりと魔の影につつまれて回転していた。それは妻を喪う前から、彼の外をとりまいて続いている暗いもの悲しい、破滅の予感にちがいなかった。今も電車のなかには、どす黒い服装の人々で一杯だった。ホームの人混みのなかには、遺骨の白い包みをもった人がチラついていた。久し振りに映画会社に行くと、彼は演出課のルームの片隅にぼんやり腰を下ろした。間もなく、試写が始って、彼も人々について試写室の方へ入った。と、魔の影はフィルムのなかに溶け込んで、彼の眼の前を流れて行った。大陸の暗い炭坑のなかで犇(ひし)めいている人の顔や、熱帯の眩(まぶ)しい白い雲が、騒然と音響をともないながら挽歌(ばんか)のように流れて行った。映画会社の階段を降りて、道路の方へ出ると、一瞬、彼のまわりは、しーんと静まっていた。秋の青空が街の上につづいていた。ふと、その青空から現れて来たように、向うの鋪道(ほどう)に友人が立っていた。先日、彼の家に駈(か)けつけてくれた、その友人は、一瞥(べつ)で彼のなかのすべてを見てとったようだった。そして、彼もその友人に見てとられている自分が、まるで精魂の尽きた影のように思えた。 「おい、なんだ、しっかりし給え」 「駄目なんだ」と彼は力なく笑った。だが、笑うと今迄(まで)彼のなかに張りつめていたものが微(かす)かにほぐされた。だが、ほぐされたものは忽(たちま)ち彼から滑(すべ)り墜ちていた。彼はふらふらの気分で、しかしまっすぐ歩ける自分を訝(いぶか)りながら鋪道を歩いていた。友人と別れた後の鋪道にはまたぼんやりと魔の影が漾(ただよ)っていた。 週に一度の出勤なのに、東京から戻って来ると、翌日はがっかりしたように部屋に蹲っていた。妻が生きていた日まで、この家はともかく、外の魔の姿からは遮(さえぎ)られていた。妻のいなくなった今も、まだ外の世界がいきなりここへ侵入して来たのではなかった。だが、どこからか忍びよってくる魔の影は日毎(ひごと)に濃くなって行くようだった。彼は、ある画集で見た「死の勝利」という壁画の印象が忘れられなかった。オルカーニアの作と伝えられる一つの絵は、死者の群のまんなかに大きな魔ものが、どっしりと坐っていた。それからもう一つの絵は、画面のあちこちに黒い翼をした怪物が飛び廻っていた。その写真版からは、人間の頭脳を横切る魔ものの影がぞくぞくと伝わってくるようなのだった。人間の想像力で描き得る破滅の図というものは、いくぶん図案的なものかもしれない。やがて来る破滅の日の図案も、もう何処(どこ)かの空間に静かに潜められているのだろうか。 暫(しばら)く滞在していた義姉が神戸の家に帰ることになった。義姉の家には挺身隊(ていしんたい)の無理から肺を犯されて寝ている娘がいた。その姪(めい)のために彼は妻のかたみの着物を譲ることにした。箪笥(たんす)から取出した衣裳(いしょう)を義母と義姉はつぎつぎと畳の上にくりひろげて眺めた。妻はもっている着物を大切にして、ごく少ししか普段着ていなかったので、殆(ほとん)どがまだ新しかった。義母は愛着のこもった手つきで、見憶(みおぼ)えのある着物の裾をひるがえして眺めている。彼には妻の母親が悲歎(ひたん)のなかにも静かな諦感をもって、娘の死を素直に受けとめている姿が羨(うらやま)しかった。ある日こういうことになる日が訪れて来たのか、と彼は着物の賑(にぎ)やかな色彩を眺めながら、ぼんやり考えた。
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