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ガリバー旅行記(ガリバーりょこうき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/23 13:42:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     3 幽霊の島

 私は学士院を見物すると、もうこれ以上、この国にいても仕方がないと思い、また、イギリスへ帰りたくなりました。私はヨーロッパへの帰り途に、ひとつラグナグ島へ寄ってみようと考えていました。それから、さらに日本へも寄ってみたいと思いました。
 私は荷物を運ばせるために、騾馬らばを二頭、それに案内人を一人やといました。あの貴族には、いろ/\世話になったのですが、私がいよ/\出発することになると、大へんな土産物までくれました。
 ところで、マルドナーダという港に着いてみると、あいにく、ラグナグ島行きの船は当分出そうもないということがわかりました。そこで、私はその港町に、しばらく滞在することになりました。そのうち二三の知合いも出来、みんな私に親切にしてくれました。ラグナグ島行きが出るまでには、まだ一月はあると聞いて、私は、そこから五リーグばかりのところにある、グラブダブドリブという島を訪ねることにしました。この町の一流の紳士が、小帆船を一隻仕立てゝ、私と一しょに行ってくれました。
 ところで、この『グラブダブドリブ』という名前は、『魔法使の島』という意味なのでした。この島は酋長がいて治めていましたが、住民は一人残らず魔法使でした。島で一番年長者が酋長になることになっていて、酋長は立派な宮殿に住んでいます。その庭園の中には、家畜、穀物、園芸などのために、小さな区切りが作ってあります。
 酋長とその家族が使っている、召使というのが、実に奇妙なのでした。酋長は、魔法を使って、死人の中から、誰でも好きな者を呼び出すことができます。そして、二十四時間限り、(それ以上は駄目でしたが)呼び出した死人を、召使として使います。だが、一度呼び出して使ったら、まずその召使は、三ヵ月間は呼び出せないことになっていました。
 私たちが、この島へ着いたのは、朝の十一時頃でしたが、連れの紳士はさっそく、酋長のところへ行って、
「実は外国人が一人、閣下にお目にかゝりたくて、わざ/\やって来たのですが、ひとつ会ってやってくださいませんか。」
 と頼みました。
 さっそくそれは許されたので、私たちは宮殿の門をくゞって行きました。門の両側には、よろいかぶとを着た兵士がズラリと並んでいます。そして、その兵士たちはなんともいえない恐ろしい顔つきをしているので、私は思わずゾッと寒気がしました。私たちは部屋を二つ三つ通り抜けましたが、どの部屋にも、同じような無気味な恰好の兵士が並んでいました。
 やがて、酋長の室に来ると、私たちは三度頭を下げて、おじぎをしました。それから、挨拶がすむと、酋長の席から一番下の段のところにある椅子に、私たちは腰をおろしました。
 この酋長は、飛島の言葉をよく知っていました。それで私に、旅行の話を少し聞かせてほしい、と言います。そして、彼は、
「うん、召使たちはいない方がいゝな。」
 と言いながら、ヒョイと指を動かしました。
 すると、今まで、酋長のまわりにいた召使たちが、一ペんに、すーっと消えてしまいました。私はびっくりして、しばらくは口もきけませんでした。
「いや、何でもないのですよ。怖がることはありません。」
 と酋長は言ってくれます。
 見ると、私の連れの紳士は、たび/\こんなことには馴れているらしく、まるで平気な顔をしていました。それで、私もやっと安心して、旅行の話を手短に話しました。
 それでも、私は話しながら、とき/″\どうも気になって、あの召使たちが消えてしまったあたりを振り返って見ていました。
 それから私たちは、酋長と一しょに食事をしました。すると、今度はまた別の幽霊どもが、食事を運んで来て、給仕してくれるのでした。それを見ても、私はもう最初ほど、ビク/\しなくなっていました。夕方まで私たちは酋長のところにいました。彼は泊ってゆけとすゝめましたが、私たちは無理に帰りました。私たちは、島の民家に泊り、翌朝になると、また酋長のところへ訪ねて行きました。
 こんなふうにして、私たちは十日間、この島にいました。毎日、大がい酋長のところへ行って、夜は、民家の宿へ戻るのです。私は幽霊にも馴れてしまったので、もう三四回目から平気になりました。いや、怖いのはまだ少し怖かったのですが、それよりも、とにかく、これが珍しくてたまらなくなっていたのです。
 酋長は私にこんなことを言いだしました。
「私は誰でも死人の中から、あなたの好きな人間を呼び出してあげます。そして、何でも、あなたが聞きたいと思うことを聞けば、死人に返事させます。世界はじまって以来、今日まで、どんな死人でも、呼び出すことができます。」
 私は酋長の厚意を大へん有り難く思いました。ちょうど、私たちのいた部屋からは、庭園がすっかり見わたせるようになっていました。
 私はまず最初に、何か雄大なものが見たいと思いました。
「それではひとつ、アレキサンダー大王が戦場に立っている姿を見せてください。」
 と私は言いました。
 酋長は指先をちょっと動かして合図しました。すると、私たちのいる窓の下の庭園に、戦場の光景が現れました。それから、アレキサンダー大王は、私たちの部屋へ呼ばれてやって来ました。しかし、彼の話すギリシャ語は、私にはどうもよく通じませんでした。
 次には、ハンニバルがアルプスの山を越すところを見せてもらいました。
 その次には、シーザーとポンペイが、それ/″\、陣地に立って、戦争をはじめようとしているところを見せてもらいました。そして、シーザーが大勝利をするところも見ました。
 私は次に、ひとつ最も偉い学者たちを見たいものだ、と思いました。そこで、酋長にこう頼みました。
「どうか、ホーマーとアリストテレスと、それから、その註釈家たちを、全部見せてください。」
 すると、これはまた大へんな人数で、何百人という人間が、ぞろ/\と現れて来ました。私は一目見て、ホーマーとアリストテレスの顔はすぐわかりました。
 ホーマーの方が背も高く、好男子でした。歩き方も、しゃんとしているし、それに、目はまるで人を突き刺すような、鋭い眼光でした。アリストテレスの方は、だいぶん腰が曲って、杖をついていました。それに髪も薄くなっているし、声にも力がないのでした。しかし、この二人の学者と、まわりの群衆とは、まるで何の縁故もないのだということは、私にもよくわかりました。
 私はまる五日間、まだ/\、いろんな人間や学者たちと会いました。ローマの皇帝たちにも、大てい会いました。

 いよ/\出発の日が来たので、私はグラブダブドリブの酋長と別れて、連れの紳士と一しょに、マルドナーダーへ帰りました。そして、この港で二週間ばかり待っていると、いよ/\、ラグナグ島行きの船が出ることになりました。この町の人たちは、大へん親切にしてくれて、私を、わざ/\船まで見送ってくれました。
 航海は一ヵ月かゝりました。一度は暴風雨に会ったりしましたが、一七一一年四月二十一日に私たちの船はクルメグニグ河に入りまそした。
 こゝは、ラグナグ国の東南にある港です。船は、この町から一リーグばかり手前で、いかりをおろし、水先案内に合図をしました。半時間もしないうちに、水先案内は二人連れでやって来ました。
 ところが、船員の二三の者が、私のことを、外国人で、大旅行家だと、水先案内に話してしまったのです。するとまた、水先案内は、税関吏に、私のことを話しました。そのために、私は上陸すると、さっそく厳しい検査を受けました。
 この税関吏は、バルニバービ語で、私に話しかけました。この国とバルニバービとは互に往来しているので、港町では、大てい言葉が通じるのでした。
 私はできるだけ簡単に、わかりやすく話してやりましたが、私の国はオランダだと、一つ嘘をつきました。これは、私が日本へ寄ってみようと思っていたからです。その日本では、オランダ人のほかは、一さいヨーロッパ人を上陸させない、ということを、私は知っていました。
「私はバルニバービの海岸で船が難破して岩に打ち上げられたのです。すると、ラピュタ(飛島)に見つかって、救われました。今はこれから、日本へ行こうとしているところです。日本へ行きさえすれば、船があるので、故国へ帰れます。」
 と私は役人に向って言ってやりました。すると、役人は、
「ではさっそく、宮廷へ手紙を書いてあげる。二週間もすれば返事が聞けるだろうから。しかし、それまでは、一応あなたをこちらで捕えておくことにする。」
 と言います。
 そこで、私は宿へ引っ張ってゆかれましたが、門口には、番人がちゃんと一人立っています。しかし、庭の中を歩きまわることだけは許されました。それに、私は国王の費用で、ずいぶんよく、もてなされました。また方々から、私を珍しがって、招いてくれました。私のことが、まだ話にも聞いたことのない、遠い/\国からやって来た男だと、人々の噂になっていたからです。
 私は同じ船で来た一人の青年を、通訳にやといました。この通訳を使って、私は訪ねて来る人たちと、話をすることができました。
 宮廷からの返事を待っていた頃、使者がやって来ました。それは、私と私の連れを、十頭の馬で、この通訳を使って、私は訪ねて来る人たちとトラルドラグダカまで案内してくれるというのです。私は通訳の青年のほかに連れはなかったので、彼に一しょに行ってくれるように頼み、二人の乗り物として、騾馬らばを一頭ずつもらいました。いよ/\出発する前に、まず、使者を一人さきに発たせることにしました。
「陛下の御足の前の塵をなめさせていたゞきたいのですが、いつお伺いしたらいゝか、御都合をお知らせくださいませ。」
 と、私の使者は王にこう申し上げました。
 はじめ私は、『塵をなめる』というのは、たゞ、この国の宮廷の言いまわしで、『お目にかゝる』という意味だろう、と思っていました。ところが、その後、これはほんとに塵をなめるのだということがわかりました。
 宮廷に着いて二日目に、私はいよ/\陛下の前に呼び出されました。すると、私は腹這いになれ、と命じられました。そして、陛下の前まで進んで行き、床の塵をペロ/\なめろ、と言われました。もっとも私は外国人なので、特別の扱いをされて、床は綺麗にしてありましたので、塵も大したことはなかったのです。しかし、これは全く特別扱いで、この国の一番偉い人と同じように扱ってくれたわけです。
 ひどいのになると、宮廷で気に入らない人がやって来ると、わざ/\塵をまき散らしておくのです。
 私はこの宮廷で、ある大官が口の中を塵だらけにして、ものも言えず困っているところを見ました。もしこんな場合、相手が陛下の前で、唾を吐いたり、口を拭いたりしたら、すぐ死刑にされてしまいます。
 それからこの宮廷では、もう一つ、面白くない慣習があります。それは、もし王が誰か家来をそっと死刑にしてやろうと思われると、この床の上に、毒の粉をまき散らすように、お命じになります。それを家来がなめれば、二十四時間で死んでしまうというのです。しかし、こうして死刑がすむと、あとは必ず床についている毒を綺麗に洗い落しておくよう、お命じになります。
 あるとき、私は一人の侍童がひどく叱られているのを見ました。それは、床にまいた毒を、あとで綺麗に掃除しておかなかったからです。そのため、一人の立派な青年が、陛下の前で、毒をなめて死んでしまいました。そのとき、陛下は、彼を殺そうとはちょっともお考えにならなかったので、ひどく残念がられました。
 王は私との会見が大へんお気に召されました。
 私と通訳に宮中の部屋を貸してくださって、毎日、食事とお小遣を与えてくれました。私は王にすゝめられて、この国に三ヵ月間滞在しました。ラグナグ人は、礼儀正しい国民でした。私は上流貴族と、おもに附き合いました。通訳つきで話をしたのですが、気まずいものではなかったのです。

     4 死なゝい人間

 ある日のことでした。一人の紳士がふと私にこんなことを尋ねました。
「あなたはこの国のストラルドブラグというものを見ましたか。これは『死なゝい人間』という意味なのですが。」
「あいにくまだ見ていません。しかし、死なゝい人間なんて、一たい、どうして、そんな名前をつけるのですか。そのわけを教えてください。」
 と私は尋ねてみました。すると、彼は次のようなことを教えてくれました。
 それはごくまれなことですが、この国には、額の左の眉毛の上に、赤い円いあざのついた子供が生れるのです。このあざがあると、この子供はいつまでたっても死なゝい、というしるしなのです。
 このあざは年とともに、大きくなり、色が変ってゆきます。十二歳になると、緑色になり、二十五歳になると、紺色に変り、それから四十五歳になると、真黒になりますが、それからはもう変りません。こんな子供が生れるのは、非常に稀で、全国を探しても、男女合せて千百人ぐらいしかいません。そしてそのうち、五十人ぐらいが、この首府に住んでいますが、そのなかには、三年前に生れた女の子も一人います。この死なゝい人間が生れるのは、全く偶然で、血統のためではないのです。だから、ストラルドブラグを親に持っていても、その子供は普通の子供なのです。
 私は紳士からこの話を聞いて、何ともいえないほどうれしかったので、思わず、こう口走りました。
「あゝ、そんな人たちは、どんなに幸いでしょう。みんな人間は、死ぬことが恐ろしいから、いつも苦しんでいるのに、その心配がない人なら、ほんとに幸いなことでしょう。」
 しかし、一つ不思議に思ったのは、ストラルドブラグが宮廷に一人も見あたらなかったことです。とにかく私は、ひとつストラルドブラグたちに会って話してみたいと思いました。そこで私は、紳士を通訳に頼んで、一度彼等と引き合せてもらいました。
 まず紳士は、私がストラルドブラグを、大へんうらやましがっていることを、彼等に話しました。するとストラルドブラグたちは、しばらく自分たちの言葉でガヤ/\話し合っていました。それから通訳の紳士は、私にこう言いました。
「もし、仮に、あなたがストラルドブラグに生れてきたら、どんなふうにして暮すつもりか、それを、あの人たちは聞かせてくれと言っています。」
 そこで、私は喜んで次のように答えました。
「もし私が幸いにストラルドブラグに生れたとすれば、私はまず第一に、大いに努力して金もうけをしようと思います。そして、節約と整理をよくしてゆけば、二百年ぐらいで、私は国内第一の金持になれます。
 第二に、私は子供のときから学問をはげみます。そうすれば、やがて国中第一の学者になれます。それから最後に、私は社会のいろんな出来事を何でもくわしく書いておきます。風習や、言語や、流行や、服装や、娯楽などが移り変るたびに、それらを、一つ/\書きとめておきます。こうしておけば、私はやがて活字引いきじびきとして皆から重宝がられます。
 六十を過ぎたら、私は規則正しい安楽な生活をしたいと思います。そして、有望な青年を導くことを、私の楽しみにします。私の記憶や経験から、いろんなことを彼等に教えてやりたいと思います。
 しかし、絶えず交わる友人には、やはり私と同じような、死なゝい仲間を十二人ほど選びます。そして、もし彼等のうちに生活に困っているようなものがあれば、私の土地のまわりに便利な住居を作ってやります。それから食事のときには、彼等のうちから数人招きます。もっともそのときには、普通の人間も、二三人ずつ立派な人を招くことにします。なにしろあまり長く生きていると、普通の人間が、どん/\死んでゆくことなど、別に惜しくもなんともなくなるでしょう。孫が出来れば、私はその孫を招いたりするでしょう。こうなると、ちょうどあの庭のチューリップが、毎年人の目を楽しませて、前の年に枯れた花を悲しまさないのと同じことです。
 それから私は死なゝいのですから、まだ/\、いろんなものを見ることができます。昔、栄えた都が廃墟となったり、名もない村落が都となったり、大きな河がれて小川となってしまったり、文明国民が野蛮人になったり、昨日の野蛮人が、今日の文明人になっていたり、そんなふうな移り変りを見ることができるのです。そして、まだ人間の知識では解けない、いろんな問題も解ける日が来るのを、それも見ることができるでしょう。」
 私がこんなふうに答えると、紳士は、私の言ったことを、ストラルドブラグたちに、通訳して聞かせました。すると、彼等はにわかにガヤ/\と話しはじめました。なかには、失礼にも何かおかしそうに笑い出したものもいました。しばらくして通訳の紳士は、私にこう言いました。
「どうも、あなたはストラルドブラグというものを、考え違いしておられるようだと、彼等はそう言っています。
 なにしろ、このストラルドブラグなるものは、この国にしかいないもので、バルニバービにも日本にも見ることはできません。前に私も使節として、バルニバービや日本へ行ったことがありますが、その国の人たちは、てんで、そんなものがあるとは考えられないと言っていました。私は、バルニバービや日本の人たちと、いろ/\話し合ってみて、長生ということが、すべての人間の願いであることを発見しました。片足を墓穴に突っ込んだような人間でさえ、もう一方の足ではできるだけ入るまいとあがきます。たとえ、どんなに年をとっていても、まだ一日でも長生するつもりらしいのです。
 ところが、このラグナグの国では、絶えず眼の前にストラルドブラグの例を見せつけられているためか、この国の人たちは、やたらに長生を望まないのです。
 あなたは人間の若さとか健康とか元気とかいうものが、いつまでもいつまでもつゞくと、とんでもない考え違いをしていられますが、ストラルドブラグのつらいところは、年をとって衰えながら、いろんな不便を耐えて、まだ生きつゞけているということなのです。」
 そう言って、彼はこの国のストラルドブラグの有様を次のようにくわしく話してくれました。
 彼等は三十歳頃までは普通の人間と同じことなのですが、それからあとは次第に元気が衰えてゆく一方で、そうして八十歳になります。この国では八十歳が普通、寿命の終りとされていますが、この八十歳になると、彼等は老人の愚痴と弱点をすっかり身につけてしまいます。おまけに決して死なゝいという見込みから、まだ/\たくさんの欠点がふえてきます。頑固、欲張り、気むずかし屋、自惚れ、おしゃべりになるばかりでなく、友人と親しむこともできなければ、自然の愛情というようなものにも感じなくなります。
 たゞ嫉妬と無理な欲望ばかりが強くなります。彼等は青年が愉快そうにしているのを見ては、嫉妬します。それは彼等が、もうあんなに愉快にはなれないからです。それから彼等は、老人が死んで葬式が出るのを見ると、やはり嫉妬します。ほかの人たちは安らかに休息の港に入るのに、自分たちは死ねないからです。
 彼等は自分たちが若かった頃に見たことのほかは、何一つおぼえていません。しかも、そのおぼえているということも、ひどくでたらめなのです。だから、ほんとのことをくわしく知ろうとするには、彼等に聞くより、世間の言い伝えに従う方が、まだましなのです。すっかり記憶がなくなってしまっているのは、まだいゝ方です。これはほかの連中とは違って、もう多くの欠点もなくなっているので、多少、人から憐んでもらえます。
 彼等は満八十歳になると、この国の法律ではもう死んだものと同じように扱われ、財産はすぐ子供が相続することになっています。そして国から、ごく僅かの手当が出され、困る者は国の費用で養われることになっています。
 九十歳になると、歯と髪の毛が抜けてしまいます。この年になると、もう何を食べても、味なんかわからないのですが、そのくせ、たゞ手あたり次第に、食べたくもないのに食べます。しかし彼等はやはり病気にはかゝるのです。かゝる病気の方は、ふえもしなければ減ることもありません。話一つしても、普通使うありふれた物の名まで忘れています。人の名前などおぼえてはいません。どんな親しい友達や親類の人と会っても顔がわからないのです。本を読んでも、ぼんやり一つページを眺めています。文章のはじめから終りまで読んで意味をたどる力がなくなっているのです。ですから、何もかも一向面白くはないのです。
 それに、この国の言葉は絶えず変っています。だから甲の時代のストラルドブラグと、乙の時代のストラルドブラグが出会ったのでは、少しも言葉が通じません。そのうえ、二百年もたてば、友人と会っても話一つできない有様ですから、彼等は自分の国に住みながら、まるで外国人のように不便な生活をしているのです。
 私が紳士から聞いた話は、大たい、こんなふうなものでした。
 その後、私はいろ/\の時代のストラルドブラグをたび/\、家につれて来て会ってみました。中で一番若いのは、まだ二百歳になったかならないくらいでした。彼等は、私が大旅行家で、世界中を見てきた人間だと聞いても、別に珍しがりもせず、何の質問もしません。たゞ、何か記念品をくれと手を差し出しました。
 ストラルドブラグは、みんなから厭がられています。もしストラルドブラグがこの国に生れて来ると、これは不吉なことゝして、その誕生がくわしく書き残されることになっています。だから、その記録を見れば、彼等の年齢はわかるわけですが、しかしこの記録も千年くらい前のものしか残っていません。
 実際、ストラルドブラグほど不快なものを私は見たことがないのです。ことに女の方が男よりもっとひどいのでした。形がみにくいばかりでなく、その年齢に比例して、なんともいえないもの凄さがあるのです。私は彼等が六人ばかり集っているのを見て、年は百か二百ぐらいしか違わないのに、誰が一番、年上か、すぐわかりました。
 私はストラルドブラグのことを知ったために、やたらに長生したいという烈しい欲望もすっかりさめてしまいました。以前、心に描いていたたのしい夢が、今は恥かしくなったのです。たとえどのような恐ろしい死でも、あのように、厭らしい生よりは、まだましだと思うようになりました。
 こんなことを私が王に話したところ、王は大へん面白がられました。そして、私をおからかいになって、
「ひとつストラルドブラグを二人ばかり、イギリスへつれて行って見せてやってはどうか。」
 とおっしゃいます。だが、実際はこの国の法律で、彼等を国外につれて行くことは厳しく禁止されているようでした。
 ストラルドブラグのこの話は、諸君にもいくらか興味があるだろうと思います。というのは、少し普通とは変った話ですし、私のこれまで読んだどの旅行記にも、まだ、これは出ていなかったと思います。
 このラグナグ国と日本国とは、絶えず行き来しているのですから、このストラルドブラグの話も、もしかすると、日本の人が本に書いているかもしれません。しかし、なにしろ私が日本に立ち寄ったのは、ほんの短い間でしたし、そのうえ、私は日本語をまるで話せなかったので、そのことを確めてみることもできなかったのです。
 ラグナグ国王は、私を宮廷で何かの職につけようとされました。けれども、私がどうしても本国へ帰りたがっているのを見て、快く出発をお許しになりました。そして、わざわざ、日本皇帝にあてゝ推薦状を書いてくださいました。そのうえ、四百四十枚の大きな金貨と、赤いダイヤモンドを私にくださいました。このダイヤモンドの方は、私はイギリスに帰ってから、売ってしまいました。
 一七〇九年五月六日、私は陛下や知人一同に、うや/\しく別れを告げました。王はわざ/\私に近衛兵をつけて、グラングエンスタルドという港まで送ってくださいました。そこで、六日ほど待っていると、ちょうど、日本行きの船に乗れました。それから日本までの航海が十五日かゝりました。

 私たちは、日本の東南にあるザモスキという小さな港町に上陸しました。
 私は上陸すると、まず税関吏に、ラグナグ王から、この国の皇帝にあてた手紙を出して見せました。すると、その役人は、ラグナグ王の判をちゃんとよく知っていました。その判は、私の掌ほどの大きさで、王がびっこの乞食の手を取って立たせているところが、図案になっているのです。町奉行は、この手紙のことを聞いて、すっかり、私を大切にしてくれました。馬車やお附きをつけて、私をエド(江戸)まで送りとゞけてくれました。
 私はエドで、皇帝にお目にかゝると、手紙を渡しました。すると、この手紙はひどくおごそかな作法で開封され、それを通訳が皇帝に説明しました。やがて、通訳が私に向って、こう言いました。
「陛下は、何でもいゝから、その方に願いの筋があったら申し上げよと言っておられる。陛下の兄君にあたるラグナグ国王のために、聞きとゞけてつかわそうとのことだ。」
 この通訳は私の顔を見ると、すぐヨーロッパ人だと思って、オランダ語で話しました。そこで、私は、
「私は遠い/\世界の果で難船したオランダの商人ですが、それからとにかく、どうにかラグナグ国までやって来ました。それからさらに船に乗って、今この日本にやって来たところです。つまり、日本とオランダとは貿易をしていることを知っていたので、その便をかりて私はヨーロッパへ帰りたいと思っているのです。そんな次第ですから、どうか、ナンガサク(長崎)まで無事に送りとゞけていたゞきたいのです。」
 と答えてやりました。それから私はつけ加えて、
「それから、もう一つお願いがございます。どうか、あの十字架踏みの儀式だけは、私にはかんべんしていたゞきたいのです。私は貿易のため日本へ来たのではなく、たゞ、たまたま災難からこの国へたどりついたのですから。」
 と、お願いしました。
 ところが、これを陛下に通訳が申し上げると、陛下はちょっと驚いた様子でした。それから、こう言われました。
「オランダ人で踏絵をしたがらないのは、その方がはじめてなのだ。してみると、その方はほんとうにオランダ人かどうか怪しくなってくる。これはどうもほんとうのクリスト信者ではないかと思えるのだがなあ。」
 しかし、とにかく、私の願いは許されることになりました。役人たちは、私が踏絵をしなくても、黙って知らない顔をしているように命令されました。
 ちょうどそのとき、ナンガサクまで行く一隊があったので、その指揮官に、私を無事にナンガサクまでつれて行くよう、命令されました。
 一七〇九年六月九日、長い旅のあげく、ようやくナンガサクに着きました。私はすぐそこで、『アンポニア号』という船の、オランダ人の水夫たちと知り合いになりました。前に私はオランダに長らくいたことがあるので、オランダ語はらくに話せます。私は船長に、船賃はいくらでも出すから、オランダまで乗せて行ってほしいと頼みました。船長は、私が医者の心得があるのを知ると、では途中、船医の仕事をしてくれるなら、船賃は半分でいゝと言いました。
 船に乗る前には、踏絵の儀式をしなければならないのでしたが、役人たちは、私だけ見のがしてくれました。
 さて、今度の航海では別に変ったことも起りませんでした。四月十日に船は無事アムステルダムに着きました。私はこゝから、さらに小さい船に乗って、イギリスに向いました。
 一七一○年四月十六日、船はダウンズに入港しました。私は翌朝上陸して、久し振りに祖国の姿を見たわけです。それからすぐレドリックに向って出発し、その日の午後、家に着き、妻子たちの元気な顔を見ることができました。


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  第四、馬の国(フウイヌム)




     1 馬の主人

 私は家に戻ると五ヵ月間は、妻や子供たちと一しょに楽しく暮していました。が、再び航海に出ることになりました。今度は私に『アドベンチュア号』の船長になってくれというので、すぐ私は承知しました。
 一七一〇年九月七日に私の船はプリマスを出帆しました。ところが、熱い海を渡ってゆくうちに、船員たちが熱病にかゝってたくさん死んでしまいました。そこで、私はある島へ寄って、新しく代りの船員をやとい入れました。ところが、今度やとい入れた船員たちは、みんな海賊だったのです。この悪漢どもは、ほかの船員たちを引き入れ、みんなして船を横取りして、船長の私をとじこめてしまおうと、こっそり計画していたのです。
 ある朝のことでした。いきなり彼等は、なだれをうって、私の船室に飛び込んで来ると、私の手足をしばりあげて、騒ぐと海へほうりこむぞ、と脅しつけます。私は、もうこうなっては、お前たちの言うとおりになる、と降参しました。
 そこで、彼等は私の手足の綱を解いてくれました。それでも、まだ片足だけは鎖でベッドにしばりつけて、しかも、戸口には弾丸をこめた鉄砲を持って、ちゃんと番兵が立っていました。食物だけは上から持って来てくれましたが、もう私は船長ではなく、今ではこの船は海賊のものでした。船はどこをどう進んでいるのか、私にはまるでわかりませんでした。
 一七一一年五月九日、一人の男が私の船室へやって来て、船長の命令により、お前を上陸させる、と言って私をつれ出しました。それから彼等はむりやりに私をボートに乗せてしまいました。一リーグばかり漕いで行くと、私を浅瀬におろしました。
「一たいこゝはどこの国なのか、それだけは教えてください。」
 と私は頼みました。しかし、彼等もそこがどこなのか全然知らないのでした。
「満潮にさらわれるといけないから早く行け。」
 と言いながら、彼等はボートを漕いで行きました。
 こうして、私はたった一人で取り残されました。仕方なしに、歩いて行くと、間もなく陸に着きました。そこで、しばらく堤に腰をおろして休みながら、どうしたらいゝものか考えました。少し元気を取り戻したので、また奥の方へ歩きだしました。私は誰か蛮人にでも出会ったら、さっそく、腕環うでわやガラス環などをやって、生命だけは助けてもらおうと思っていました。
 あたりを見わたすと、並木がいくすじもあって、草がぼう/\と生え、ところ/″\にからす麦の畑があります。私はもしか蛮人に不意打ちに毒矢でも射かけられたら大へんだと思ったので、あたりに充分眼をくばりながら歩きました。やがて、道らしいところに出てみると、人の足跡や牛の足跡や、それからたくさんの馬の足跡がついていました。
 ふと、私は畑の中に、何か五六匹の動物がいるのを見つけました。気がつくと、木の上にも一二匹いるのです。それはなんともいえない、いやらしい恰好なので、私はちょっと驚きました。そこで、私はくさむらの方へ身をかゞめて、しばらく様子をうかゞっていました。
 そのうちに、彼等の二三匹が近くへやって来たので、私ははっきり、その姿を見ることができました。この猿のような動物は、頭と胸に濃い毛がモジャ/\生えています。背中から足の方も毛が生えていますが、そのほかは毛がないので、黄褐色の肌がむき出しになっています。それに、この動物は尻尾を持っていません。それから、前足にも後足にも、長い丈夫な爪が生えていて、爪の先は鈎形かぎがたに尖っています。彼等は高い木にも、まるでりすのように身軽によじのぼります。それからとき/″\、軽く跳んだり、はねたりします。
 私もずいぶん旅行はしましたが、まだ、これほど不快な、いやらしい動物は、見たことがありません。見ていると、なんだか胸がムカ/\してきました。
 私は叢から立ち上って、路を歩いて行きました。この路を行けば、いずれどこかインド人の小屋へでも来るかと思っていました。だが、しばらく行くと、私はさっきの動物が真正面から、こちらへ向ってやって来るのに出くわしました。このみにくい動物は、私の姿を見ると、顔をさま/″\にゆがめていました。と思うと、今度はまるではじめての物を見るように、目を見張ります。そして、いきなり近づいて来ると、何のつもりか、片方の前足を振り上げました。
 私は短剣を抜くと、一つなぐりつけてやりました。が、実は刃の方では打たなかったのです。というのは、私がこの家畜を傷つけたということが、あとで住民たちにわかると、うるさいからです。
 私になぐりつけられて、相手は思わず尻込みしましたが、同時に途方もない唸り声をあげました。すると、たちまち隣りの畑から、四十匹ばかりの仲間が、もの凄い顔をして吠えつゞけながら集って来ました。私は、一本の木の幹に駈け寄り、幹を後楯にして、短剣を振りまわしながら彼等を防ぎました。すると、二三匹の奴等がヒラリと木の上に躍り上ると、そこから私の頭の上に、ジャー/\と汚いものをやりだします。私は幹にピッタリ身を寄せて、うまく除けていましたが、あたり一めんに落ちて来る汚いものゝために、まるで息がふさがりそうでした。
 こんなふうに困っている最中、私は急に彼等がちり/″\になって逃げて行くのを見ました。どうしてあんなに驚いて逃げ出すのか、不思議に思いながら、私も木から離れ、もとの道を歩きだしました。
 そのとき、ふと左の方を見ると、馬が一匹、畑の中をゆっくり歩いて来るのです。さっきの動物どもは、この馬の姿を見て逃げ出したのでした。
 馬は私を見ると、はじめちょっと驚いた様子でしたが、すぐ落ち着いた顔つきに返って、いかにも不思議そうに私の顔を眺めだしました。それから私のまわりを五六回ぐる/\廻って、私の手や足をしきりに見ています。
 私が歩きだそうとすると、馬は私の前に立ちふさがりました。しかし、馬はおとなしい顔つきで、ちょっとも手荒なことをしそうな様子はありません。しばらく私たちは、お互に相手をじっと見合っていました。とう/\私は思いきって片手を伸しました。そして、この馬を馴らすつもりで、口笛を吹きながら首のあたりをなでてやりました。
 ところが、この馬は、そんなことはしてもらいたくないというような顔つきで、首を振り眉をしかめ、静かに右の前足を上げて、私の手を払いのけました。それから、馬は二三度いなゝきましたが、なんだかそれは独言でも言っているような、変ったいなゝき方でした。
 すると、そこへもう一匹、馬がやって来ました。この馬はなにかひどく偉そうな様子で、前の馬に話しかけました。それから、二匹とも、静かに右足のひづめを打ち合せると、代る/″\五六度いなゝきました。だが、そのいなゝき方は、これはどうも、普通の馬の声ではないようです。それから、彼等は私から五六歩離れたところを、二匹が並んで行ったり来たりします。それは、ちょうど、人間が何か大切な相談をするときの様子とよく似ています。そして、彼等はとき/″\私の方を振り向いて、私が逃げ出しはしないかと、見張っているようでした。
 私は動物がこんな賢い様子をしているのを見て、大へん驚きました。馬でさえこんなに賢いのならこの国の人間はどんなでしょう。たぶんこゝには、世界中で一番賢い人たちが住んでいるのでしょう。そう思うと、私は早く家か村でも見つけて、誰かこの国の人間に会ってみたくなりました。それで、私は勝手に歩いて行こうとしました。
 そのとき、はじめの馬が、私の後から、「ちょっと待て」というようにいなゝきました。なんだか私は呼びとめられたような気がしたので、思わず引き返しました。そして、彼のそばへのこ/\近づいて行きました。一たい、これはどうなるのか、実はそろ/\心配でしたが、私は平気そうな顔つきでいました。
 二匹の馬は、一匹は青毛で、もう一匹は栗毛でしたが、彼等は私の顔と両手をしきりに見ていました。そのうちに、青毛の馬が前足の蹄で、私の帽子をグル/\なでまわしました。帽子がすっかりゆがんだので、私は一度脱いで、かむりなおしました。これを見て、彼等はひどくびっくりしたようでした。今度は栗毛の馬が私の上衣に触ってみました。そして何か不思議そうに驚いています。それから彼は私の右手をなで、ひどく感心している様子でしたが、ひづめはさまれて手が痛くなったので、私は思わず大声をたてました。そうすると、彼等は用心しながら、そっと、触ってくれるようになりました。彼等は、私の靴と靴下が、いかにも不思議でならないらしく、何度も触っては互にいなゝき合いました。そして、しきりに何か考え込むような顔つきをしていました。
 こんな利口な馬は魔法使にちがいないと私は考えました。そこで次のように話しかけてみました。
「諸君、どうもあなたたちは魔法使のように思えるのですが、魔法使なら、どこの国の言葉でもわかるのでしょう。だから一つ申し上げます。実は私はイギリス人ですが、運悪くこの島へ流れ着いて、困っているところなのです。それで、どこか私を救ってもらえる家か村までつれて行ってくださいませんか。ほんとの馬のように私を乗せて行ってほしいのです。そのお礼には、この小刀と腕環を差し上げますよ。」
 こんなふうに私がしゃべっている間、二匹の馬は黙ってじっと聞いていましたが、私の話がすむと、今度は互に何か相談するようにいなゝき合いました。
 私は馬の声を注意して聞いていましたが、何度も「ヤーフ」という言葉が聞えるのです。二匹ともその「ヤーフ」という言葉をしきりに繰り返していますが、私には何の意味なのか、さっぱりわかりません。けれども、彼等の話が終ると、私は大声で、はっきり、
「ヤーフ」
 と言ってやりました。
 すると彼等は大へん驚いたようです。それから青毛が近寄って来ると、
「ヤーフ ヤーフ」
 と教えるように二度繰り返しました。私もできるだけ、その馬の声をまねしてみました。すると今度は栗毛が、別の言葉を教えてくれました。これは、「フウイヌム」という、むずかしい言い方でした。とにかく私が馬の言葉がまねできるので、彼等はとても感心したようです。それから、彼等はまだ何かしばらく相談していましたが、それがすむと、また前と同じように、蹄を打ち合せて二匹は別れました。
 青毛の方が私を振り返って、手まねで歩けと言いました。私は黙ってついて行くことにしました。私がゆっくり歩くと、彼はきまって、「フウン、フウン」と叫びます。これはたぶん、ついて来いという意味なのでしょう。
 三マイルほど行くと、一つの建物がありました。材木を地に打ち込んで、横に木の枝を渡したもので、屋根は低く、藁葺わらぶきでした。馬は私に先に入れと合図しました。
 中に入ってみると、下の床は滑らかな粘土で出来ていて、壁には大きな秣草棚まぐさだなや秣草桶がいくつも並んでいます。子馬が三匹と牝馬が二匹いました。別に物を食べているのでもなく、ちゃんと、お尻を床の上につけて、坐っているのです。私はびっくりしました。
 もっと驚いたのは、ほかの馬たちが、みんなせっせと家の仕事をしていることでした。なにしろ、馬をこんなふうに数え、仕込むことのできる人間なら、よほど偉い主人にちがいないと、私は感心しました。
 この部屋の向うには、まだ三つ部屋がありました。私たちは二つ目の部屋を通って、三つ目の部屋へ近づいて行きました。青毛は、そこで私に待っておれと合図しました。私は戸口で待ちながら、この家の主人と奥さんに贈るつもりで、小刀を二つ、真珠の腕環を三つ、小さな鏡、それから真珠の首飾などを用意しておきました。
 青毛は、その部屋に入って、三四度いなゝきました。すると、彼の声よりもっとかん高い声で、誰かゞいなゝきました。人間の声はまだ聞えません。しかし、私は向うの部屋に、どんな貴い人が住んでいるのだろうか、と考えました。面会を許してもらうのに、こんな手数がかゝるのでは、この国でも、よほど位のいゝ人なのでしょう。だが、それにしては、そんな貴い人が、馬だけを家来に使っているのは、少し変です。
 これは私の頭の方が、どうかしたのではないかしらと思いました。私は今、立っている部屋の中をよく/\見まわしてみました。何度、目をこすってみても、そこは前と変らないのです。夢ではないかしらと、目がさめるように、脇腹をつねってみました。が、夢でもないのです。それでは、これはみんな魔法使の仕業しわざにちがいない、と私は決めました。
 ちょうど、そのとき、青毛が戸口から顔を出して、私に入れと合図しました。中に入ってみて、私は驚きました。上品な牝馬が一匹、それに子馬が一匹、小ざっぱりしたむしろの上にきちんと坐っているのです。
 牝馬は延から立ち上ると、私のそばへ来て、私の手や顔をジロ/\眺めました。それから、いかにも私を軽蔑するような顔つきで、
「ヤーフ」
 とつぶやきました。そして、青毛の方をかえりみては、お互に何回となく、この「ヤーフ」という言葉を繰り返しているのです。
 青毛は私の方へ首を向けて、「フウン、フウン」としきりに繰り返しました。これは、ついて来い、という合図なのでした。そこで私は彼について、中庭のところへ出ました。家から少し離れたところに、また一棟、建物がありました。そこへ入ってみて、私はあッと思いました。
 私が上陸してすぐ出くわした、あのいやったらしい動物がいたのです。その三匹の動物がいま、木の根っこや、何か生肉をしきりに食っていました。三匹は首のところを丈夫な紐でくゝられ、柱につながれたまゝ、食物を左右の前足でつかんでは、歯で引き裂いています。
 主人の馬は、召使の馬に命じて、この動物の中から一番大きい奴を、取りはずして、庭の中へつれて来させました。私とこの動物とは、一ところに並んで立たされました。それから主人と召使の二人は、私たちの顔をじっとよく見くらべていましたが、そのときもまたしきりに「ヤーフ」という言葉が繰り返されたのです。
 私はそばにいるいやらしい動物が、そっくり人間の恰好をしているのに気がついて、びっくりしました。この動物は顔が人間より少し平たく、鼻は落ち込んでいて、唇が厚く、口は広く割れています。だが、これくらいの違いなら、野蛮人にだってあるはずです。ヤーフの前足は、私の前足より、爪が長くて掌がゴツ/\していて、色が違っています。とにかく、この動物は人間より毛深くて、皮膚の色が少し変っているだけで、あとは身体中すっかり人間と同じことです。
 だが、二匹の馬には、私が洋服を着ているので、ヤーフとは違っているように思えたのです。この洋服というものを、馬はまるで知っていないので、彼等にはどうも合点がゆかないのでした。
 ふと栗毛の子馬が、木の根っこを一本、私の方へ差し出してくれました。私は手に取って、ちょっと臭を嗅いでみましたが、すぐていねいに返してやりました。すると、彼は今度はヤーフの小屋から、驢馬の肉を一きれ持って来てくれました。これは臭くてたまらないので、私は顔をそむけてしまいました。しかし彼がそれをヤーフに投げてやると、ヤーフはおいしそうに食べてしまいました。
 その次には乾草を一束とからす麦を私に見せてくれました。しかし、私はどちらも自分の食物ではないと、首を振ってみせました。私はもしこれで同じ人間に出会わなかったら、いずれ餓死するのではないかと心配になりました。
 すると、このとき、主人の馬は蹄を口許へ持って行って、私に、どんなものが食べたいかというような身振りをしました。だが、なにしろ私は相手にわかるように返事ができませんでした。
 ところが、ちょうどいゝことに、いま表を一匹の牝牛が通りかゝりました。そこで、私はそれを指さしながら、ひとつ牛乳をしぼらせてくれという身振りをしました。これが相手にもわかったのです。彼は私を家の中へつれて帰ると、たくさんの牛乳が器に入れて、きちんと綺麗に並べてある部屋へつれて行きました。そして、大きな茶碗に牛乳を一ぱい注いでくれました。私はグッと一息に飲みほすと、はじめて生き返ったような気持がしました。
 正午頃、一台の車が四人のヤーフに引かれて、家の前に着きました。車の上には身分のいゝ老馬が乗っていました。彼は非常にていねいに迎えられて、一番いゝ部屋で食事することになりました。部屋の真中に秣草桶をまるく並べ、みんなはそのまわりに、藁蒲団を敷き、尻餠をついたように、その上に坐るのでした。そして、馬どもは、それ/″\、自分の乾草やからす麦と牛乳の煮込みなどを、行儀よくきちんと食べるのでした。
 子馬でも非常に行儀がいゝのです。特に、お客をもてなす主人夫妻のやり方は、気持のいゝものでした。ふとそのとき、青毛が私を招いて、こちらへ来て立て、と命じました。
 客たちは、しきりに私の方を見ては、『ヤーフ』という言葉を言っています。これは、私のことを今いろ/\話し合っているのでしょう。
 彼等は私に、知っている言葉を言ってみよと言いました。そして、主人は食卓のまわりにあるからす麦、牛乳、火、水などの名前を教えてくれました。私はすぐ彼のあとについて言えるようになりました。
 食事がすむと、主人の馬は私を脇へ呼びました。そして言葉やら身振りで、私の食物がないのが、とても心配だと言います。私はそこで、
「フルウン、フルウン」
 と呼んでみました。『フルウン』というのは、『からす麦』のことです。はじめ私はからす麦など、とても食べられそうになかったのですが、これでなんとか、パンのようなものをこさえようと考えついたのです。
 すると主人は、木の盆にからす麦をどっさり載せて持って来ました。私はこれを、はじめ火でよく暖めて、もんで殻を取り、それから石でりつぶし、水を混ぜて、お菓子のようにして火で焼いて、牛乳と一しょに食べました。
 これははじめは、とても、まずくて食べにくかったのですが、そのうちに、どうにか我慢できました。私は、たまには、兎や鳥を獲って食べたり、薬草を集めてサラダにして食べました。はじめ頃は塩がないので、私は大へん困りました。が、それも慣れてしまうと、あまり不自由ではなかったのです。

     2 不思議なヤーフ

 私が言葉をおぼえるというので、主人も、子供たちも、召使まで、みんなが私に言葉を教えてくれます。
 私は手あたり次第、物を指さしては名前を聞きます。そして、その名前を手帳に書き込んでおいて、発音の悪いところは、家の者に何度もなおしてもらいます。それには、下男の栗毛の子馬が、いつも私を助けてくれました。
 この家の主人は、閑なときには何時間でも、私に教えてくれました。彼ははじめ、私をヤーフにちがいない、と考えていたのです。しかし、ヤーフの私が物をおぼえたり、礼儀正しかったり、綺麗好きなので、彼はとても驚いたらしいのです。ヤーフなら決して、そんな性質は持っていません。彼に一番わからなかったのは、私の着ている洋服のことです。あれは一たい何だろう、やはり身体の一部分なのだろうかと、彼は何度も考えてみたそうです。
 ところで、私はこの洋服を、みんなが寝静まってしまうまでは決して脱がなかったし、朝はみんなが起きないうちに、ちゃんと身に着けていたのです。
 馬のようにものが言えて、上品で利口そうな、不思議なヤーフが現れたと、私のことが評判になると、近くの馬たちが、たび/\、この家を訪ねて来ます。私に会いに来る馬たちは、私の身体が、顔と両手の外は、普通の皮膚がまるで見えないので驚いていました。いつも私は用心して、裸のところを見せないようにしていました。
 ある朝のことでした。主人は召使に言いつけて、私を呼びに来ました。そのとき、私はまだぐっすり眠っていたので、服は片方にずり落ち、シャツは腰の上に載っていました。これを見て召使はすっかり驚き、さっそく、このことを主人にしゃべりました。私が服を着て、主人の前に行くと、主人は不審そうに尋ねました。
「お前は寝たときと起きているときとでは、まるで姿が変るということだが、それは一たいどういうわけなのか。」
 私はこれまで、あの厭なヤーフ族から区別してもらうために、洋服のことは秘密にしておいたのです。しかし今はもう隠せなくなりました。そこで主人に打ち明けてしまいました。
「私の国では、仲間たちはみんな、動物の毛で作ったものを身体に着けています。これは寒さや暑さを防ぐためと、礼儀のためにそうするのです。それで、もしそれを見せよ、とおっしゃるなら、私はさっそく裸になって、お目にかけてもよろしいのです。」
 そう言って、私はまず、ボタンをはずして上衣を脱ぎました。次には、チョッキ、それから順々に、靴、靴下、ズボンと脱いでゆきました。
 主人はさも不思議そうに眺めていましたが、やがて私の洋服を一枚ずつ拾い上げて、よく検査していました。それから、今度は私の身体をやさしくなでたり、私のまわりをぐるぐる歩きまわって眺めていました。そしてこう言いました。
「やはりヤーフだ。ヤーフにちがいない。だが、それにしても皮膚の軟かさ、白さ、それから身体にあまり毛のないこと、四足の爪の形が短いこと、いつも二本足だけで歩くことなんか、他のヤーフどもとは、だいぶ変っているようだな。」
 そこで、私も彼にこう言ってやりました。
「一つどうも面白くないことがあるのですが、それはしきりに私をヤーフ、ヤーフと呼ばれていることなのです。なにしろ、あんな厭な動物たらないのですから、私だってヤーフは大嫌いなのです。どうか、これからはヤーフと呼ばれるのだけはよしてください。それから、この洋服のことは、あなたにだけ打ち明けましたが、まだほかの人には、どうか秘密にしておいてください。」
 すると、主人は私の願いを、快く承知してくれました。それで、この洋服の秘密はうまく守られました。
 ある日、私は主人に身の上話をして聞かせました。
「私は遠い/\国からやって来たのです。はじめ私のほかに五十人ばかりの仲間が一しょでした。この家よりも、もっと大きい、木で作った容れものに乗って、海を渡って来たのです。」
 私は船のことをうまく口で説明し、それが風で動くことも、ハンカチを出して説明しました。すると、主人はこう尋ねました。
「そうすると、誰が一たいその船を作るのだ。また、フウイヌムたちは、よくその船をヤーフなんかにまかせておけるだろうか。」
 フウイヌムというのはこの国の言葉で、馬のことでした。私は彼にこう言いました。
「実はこれ以上、お話しするには、ぜひその前に、決して怒らないということを約束してください。」
 彼は承知しました。そこで私は話しました。
「実は船を作るのは、みんな私と同じような動物がするのです。それは私の国だけでなく、今まで私はずいぶん旅行しましたが、どこの国へ行ってみても、私と同じ動物が一番偉いのです。ところが、私はこの国へ来てみて、フウイヌムが一番偉いので、非常に驚きました。」
 私がこう言うと、彼はびっくりして、こう尋ねます。
「お前の国では、ヤーフが一番偉いのか。そんな馬鹿なことがあってたまるか。それでは、お前の国にはフウイヌムはいないのか。いるとすれば、何をしているのか、それを言ってみ給え。」
 私は答えました。
「フウイヌムならずいぶんたくさんいます。夏は野原で草を食べているし、冬になると家の中で飼われて、乾草やからす麦をもらっています。そして、召使のヤーフが、身体を磨いたり、たてがみをといてやったり、食物をやったり、寝床をこしらえてやったりするのです。」
「なるほど、それでは、お前の国では、やっぱしフウイヌムが主人で、ヤーフは召使なのだな。」
 と主人はうなずきます。
「いや、実はフウイヌムの話をこれ以上お聞かせすると、きっと、あなたは怒られるでしょう。だからもう、この話はよしましょう。」
 と私は言いました。しかし、彼はとにかく、ほんとのことが聞きたいのだ、と承知しません。そこでまた私は話しました。
「私の国ではフウイヌムのことを馬と呼んでいますが、それは立派な美しい動物です。力もあり、速く走ります。だから貴人に飼われて、旅行や競馬や馬車を引く仕事をしているときは、ずいぶん大切にされます。しかし、病気にかゝったり、びっこになると、今度は他所よそへ売られて、いろんな苦しい仕事に追い使われます。それに死ねば死ぬで、皮をはがれて、いゝ値段で売られ、肉は犬なんかの餌にされます。そのほか、百姓や馬車屋に飼われて、一生ひどくこき使われ、ろくな食物ももらえない馬もいます。」
 それから、私は馬の乗り方や、手綱や、鞍、拍車、鞭などのことを、できるだけわかるように説明してやりました。主人はちょっと、腹を立てたような顔を見せましたが、また、こう言いだしました。
「それにしても、お前らがよくもフウイヌムの背中へ乗れるものだ。この家のどんな弱い召使だって、一番強いヤーフを振り落すくらいわけないし、ヤーフ一匹押しつぶすことなど誰にもできるのだ。」
「私の国の馬はもう三つ四つの頃から、訓練されます。どうしてもいけない奴は、荷馬車引きに使われます。もし悪い癖でもあれば、子馬のうちにひどくひっぱたかれるのです。」
 こう言っても、主人はまだ私の話がよくわからないようでした。そしてこう言います。
「この国では、動物という動物は、みんなヤーフを毛嫌いしている。弱い者はよけて通り、強い者は追っ払ってしまう有様だ。してみると、仮にお前たち人間が理性を持っているとしても、あらゆる動物から嫌われているのをどうするのだろうか。どうして彼等を馴らして使うことなどできるのか、そこのところがわからない。」
 しかし、彼はもうその話はそれで打ち切りました。それから、今度は、私の経歴や生国のことや、この国へ来るまでに出会った、いろんなことを話して聞かせてくれと言うのです。そこで私は言いました。
「それはもう、何なりとお話しいたしましょう。たゞ、心配なのは、とても説明できないような、あなたなどは考えたこともないようなことが、多少あるのではないかと思います。
 まず、私の生れはイギリスという島国です。この島はこゝからずいぶん離れています。あなたの召使の一番強いものが歩いて行っても、太陽が一年かゝって一周するだけかゝるでしょう。私は一つ金もうけをして、それで帰ったら家族を養おうと思って国を出たのです。
 今度のこの航海では、私が船長になって、五十人ばかりのヤーフを使っていました。ところが、これが海でだいぶ死んでしまったので、別のヤーフをやとい入れました。ところが、新しくやとい入れたヤーフは、海賊だったのです。」
 こんなふうに私は話してゆきましたが、主人は海賊などというものが、てんでわからないのでした。そしてこう尋ねます。
「一たい、何のために、何の必要があって、人間はそんな悪いことをするのか。」
 そこで、私はいろ/\骨折って、人間の悪徳を説明してやりましたが、彼はまるで、一度も見も聞きもしなかったことを聞かされたように、驚いて憤るのでした。
 私と主人とは、それから後も何度も会って、いろんな話をしました。私はヨーロッパのことについて、商業のこと、工業のこと、学術のことなど、知っていることを全部話してやりました。しかし、この国には権力、政府、戦争、法律、刑罰などという言葉がまるでないのです。ですから、こんなことを説明するには、私は大へん弱りました。あるとき、私はこんなことを主人に話しました。
「今、イギリスとフランスは戦争をしているのです。これはとても長い戦争で、この戦争が終るまでには、百万人のヤーフが殺されるでしょう。」
 すると主人は、一たい国と国とが戦争をするのは、どういう原因によるのか、と尋ねました。そこで、私は次のように説明してやりました。
「戦争の原因ならたくさんありますが、主なものだけを言ってみましょう。まず、王様の野心です。王様は、自分の持っている領地や、人民だけで満足しません。いつも他人のものを欲しがるのです。第二番目の原因は政府の人たちが腐っていることです。彼等は自分で政治に失敗しておいて、それをごまかすために、わざと戦争を起すのです。
 そうかとおもえば、ほんのちょっとした意見の食い違いから戦争になります。たとえば肉がパンであるのか、パンが肉であるのかといった問題、口笛を吹くのが、いゝことか悪いことか、手紙は大切にするのがよいか、それとも火にくべてしまった方がよいかとか、上衣の色には何色が一番よいか、黒か白か赤か、或はまた、上衣の仕立ては、長いのがよいか短いのがよいか、汚いのがいゝか、清潔なのがいゝか、そのほか、まあ、こんな馬鹿馬鹿しい争いから、何百万という人間が殺されるのです。しかも、この意見の違いから起る戦争ほど気狂じみてむごたらしいものはありません。
 ときには、二人の王様が、よその国の領土を欲しがって、戦争をはじめる場合もあります。またときには、ある王様が、よその国の王から攻められはすまいかと、取越苦労をして、かえってこちらから戦争をはじめることもあります。相手が強すぎて戦争になることもあれば、相手が弱すぎてなることもあります。また、人民が餓えたり病気して国が衰えて乱れている場合には、その国を攻めて行って戦争してもいゝことになっています。
 そこで、軍人という商売が一番立派な商売だとされています。つまり、これは何の罪もない連中を、できるだけたくさん、平気で殺すために、やとわれているヤーフなのです。」
 すると主人は、私の話を開いて、こう言いました。
「なるほど、戦争について、お前の言うことを聞いてみると、お前がいう、その理性の働きというものもよくわかる。だが、それにしても、お前たちのその恥かしい行いは、実際には危険が少い方だろう。お前たちの口は顔に平たくくっついているから、いくら両方が噛み合ってみても、大した傷にはならないし、足の爪も短くて軟かいから、まあこの国のヤーフ一匹で、お前の国のヤーフ十匹ぐらいは追っ払うことができるだろう。だから、戦場でたおれたという死者の数だって、お前は大げさなことを言っているだけだろう。」
 主人がこんな無智なことを言うので、私は思わず首を振って笑いました。私は軍事について少しは知っていましたので、大砲とか、小銃とか、弾丸、火薬、剣、軍艦、それから、攻撃、砲撃、追撃、破壊など、そういう事柄をいろ/\説明してやりました。
「私はわが国の軍隊が、百人からの敵を囲んで、これを一ペんに木っ葉みじんに吹き飛ばしてしまうところも、見たことがあります。また、数百人の人が、船と一しょに吹き上げられるのも見ました。雲の間から死体がバラ/\降って来るのを見て、多くの人は万歳と叫んでいました。」
 こんなふうに私はもっと/\しゃべろうとしていると、主人がいきなり、
「黙れ。」
 と言いました。
「なるほど、ヤーフのことなら、今お前が言ったような、そんな忌まわしいこともやりそうだ。ヤーフの智恵と力が、その悪心と一しょになれば、できることだろう。」
 主人は私の話を聞いて、非常に心が乱され、そして、私の種族を前よりもっと/\嫌うのでした。
 私は今度は金銭の話をしてやりました。これも、主人には私の言う意味がなか/\、のみこめないようでした。私は言いました。
「ヤーフというものは、このお金をたくさん貯めていさえすれば、綺麗な着物、立派な家、おいしい肉や飲物、そのほか、何でも欲しいものが買えるのです。そして、ヤーフの国では、何もかも、お金次第なのですから、ヤーフどもは、いくら使っても使い足ったとか、いくら貯めてももうこれでいゝと思うことはありません。お金のためには、ヤーフどもは絶えず互に相手を傷つけ合うことを繰り返します。お金持は貧乏人を働かせて、らくな暮しをしていますが、その数は貧乏人の千分の一ぐらいしかいません。多くのヤーフは毎日々々、安い賃銀で働いて、みじめな暮しをつゞけています。」
 と、こんなふうに私は話してやりました。それから、ヤーフの国の政治とか法律のことも、主人にいろ/\説明して聞かせました。



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