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谷間からの手紙(たにまからのてがみ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-23 13:04:50 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 第三信
Merci bien !
 まあ、私胸がとてもドキドキして、一寸の間夢ぢやないかと思ひました。勇兄さんのお描きなつた海の風景と、チヨコレートにボンボン、コテイのオークルジヨン、雑誌が二冊、とても私の嬉しさ楽しさ、空想してみて下さい。
 もういちど、メルシ・ビヤン! やつぱり都会の虫は仕様がありません。ボンボンをひとつ口にはふりこんだら、ボンボンのやうな涙がこぼれました。こゝの人達にもお菓子をわけましたが、先生の外は、みんな苦味いと言つてよろこびませんでした。
 海の風景は、私のお部屋に、小学校の先生は、勇兄さまの絵を見て、もう三十を過ぎた方なのに、これから絵を勉強に東京へ出ようかしらと言つてゐました。
 娘さんはせつせと古風なお嫁入りの着物を縫つてゐます。そのそばで弟の方が、誰かに手紙でも書いてゐたのでせう。
「おまへは勉強させてもらつて幸福だでなア、姉ちやアは、着物ばかし縫つて、手紙ひとつ書けねどもさ」
 弟の方は沈黙つて鉛筆を嘗めてゐました。
 姉娘の方は、水つぽい眼をしてぼんやり何か一人ごと言つては針を動かしてゐます。忘れられたやうなこの谷間の風景の中にも、此様な悲しい汚点があるのです。
 シネマなンぞはなほさらのこと、一年に一度か二度の村芝居もみかねる人達が多いのです。だから、勿論、村のうちは、現金なんてはめつたに持つて歩く人はなくて、卵と石油と交換したり、塩鮭と蕎麦粉とかへたり、淋しい村です。
 そのうち、写真でもとつて送りませう。
 くれ/″\も皆様によろしく、私の体はとても元気、少し太つたと家の人達が言ひます。
 此間も、家の人達と一緒に眼を覚ましたので、朝の御飯が済むと、涼しい落葉松林の中へ散歩して、一人で自分の影を見ながら汗ばむほど踊つてみました。
 やつぱり、東京へ帰つて舞台へ立つてみたい気持です。エマ子さんや、滝子さん、雅子さんなんぞ、みンな上達なすつた事でありませう。私一人で残された者みたいで淋しい気もします。朝の落葉松林は無人境です。一人で自分の影と踊つてゐるかづ子を考へてみて下さい。
 私、早く病気をなほさうと思つてゐます。
 勇兄さまにもお会ひしたい、いつもお手紙が電報のやうに短いので、本当はとても淋しいンです。恨みつぽい事を言つて済みません。チヨコレートは楽しみに長く食べませう。
 よろしく。

かづ子より
  百合江さま

 第四信
 口髭のこと、いまごろ勇兄さんから、何と愛すべき髭のかづ子よつて来ました。だから私お返事をあげたのです。
 口髭のある私に、思ひをかけてくれた兵隊さんの顔が忘れられませんつて。その兵隊さんは、一寸勇兄さんに似てゐましたの、でも勇兄さんのやうにニヒリストぢやなささうです。
 昨夜、娘さんは川下の曼陀羅寺へお嫁入りして行きました。麩のやうなかまぼこや、きんとん、鮭の焼いたの、こんなものがお夕食につきました。お嫁さんは紅い風呂敷包を腰にくくつて、お嫁入り先まで歩いて行くのです。荷物は家の馬に乗せて、お婆さんも時代色のついた古風な紋付を着て、荷物と一緒に馬に乗つて、まるで昔の道中です。提灯が見えなくなるまで、皆で軒下に立つてゐました。
「いやもう、娘といふものは産むでないよ」
 娘のお母さんはさう言つて、涙をホロホロこぼしてゐました。
 先生は離れに大の字に寝転んで、しきりに弟息子の名を呼んでゐました。
「何だね、先生?」
「姉ちやはもう見えねえか?」
「うん、もう行つたでなア」
 私は妙に悲しい気持でした。先生の心が判るやうで‥‥とてもお通夜のやうに淋しい晩でした。
 野風呂にはひつてゐると、酔つぱらひの村長さんが大きい声を張りあげて、
かんなめさんや、娘さ芽出度かつたなア、うちも末娘が此間のこと、嫁入つたが、親といふものはたいていな骨折りぢや」
 お父つあんは沈黙つて煙管を叩いてゐます。
「まア、はひつて一杯召し上るベア」
 お母さんが酒でも燗徳利に入れてゐるのでせう。ドクドク音がしています[#「しています」は底本では「してします」]
 いつたい、こんな貧しい村はどうなつて行くのでせうか?
 写真二枚入れておきます。
 すつかり山の中の女になつてゐるでせう。この写真については面白い話があります。村長さんの家の、長男氏が焼いてくれたのですが、これは×大学生で、実に厭な部類の男です。二枚写真を焼いてもらつた為に、毎日夜になると私の部屋の前で口笛を吹きます。この谷間の村では、男が女を呼ぶのに口笛でもつて合図をするのでせうか、あんまりやかましいので、「もう沢山ですよツ!」つて呶鳴つてやるんです。
 だつてその口笛が、守るも攻めるもくろがねの‥‥つて云ふのや、俺とお前はかれ芒きの唄なんです。ね、厭になつてしまひますわ。折角の美しい谷間の風景も、このダブダブな神経を持つた青年がこはしてゆきます。
 お臍までとゞくやうなカレツヂ・ネクタイをして、角帽なんぞ被つた姿で、村の娘を釣るといふのですから、大したものです。
 まるで、美文書簡集を、まる写しにしたやうな手紙をもらひました。
 こンな人を見ると、やつぱり都会は田舎の人にはいゝ土地ではないと思ひます。土をみつめて、朝から晩まで平凡に暮してゐるお百姓を見ると、私は心から頭がさがります。
 秋の展覧会も間近ですが、勇兄さんのお仕事はどうですか。今年はモデルをおつかひになりまして? 此間勇兄さんが、絵の具代が残つたからつて、私にお小遣ひ[#「お小遣ひ」は底本では「お小遺ひ」]を少し送つて下さいました。お礼言つておいて下さい。私は何でも言へる貴女を持つてゐることを、とてもうれしく思ひます。体はやつぱり安静にしてゐた方がいゝやうです。踊つて帰つて来ましたら、少し頭がグラグラしました。
 夕方、桃の葉を入れた野風呂にはひり、早くから床へもぐりこみました。
 離れの先生は夜中詩吟ばかりしてゐます。辛いのかもしれません。そのうち――。
かづ子
  百合江さま みもとへ





底本:「林芙美子全集 第十五巻」文泉堂出版
   1977(昭和52)年4月20日発行
初出:「令女界」
   1931(昭和6年)10月号
※疑問点の確認にあたっては、「青春」実業之日本社、1940(昭和15)年4月3日9版発行を参照しました。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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