登美子達の兩親も、安並の人柄が氣に入つたのか、非常にうれしさうで、無口で人ぎらひな父親まで何十年前かの支那旅行の話なんかを持ち出してゐる。 杉枝は今日は花模樣の派手な洋服を着て、さかんに女中と出たりはいつたりして働いてゐた。眼鏡をかけた與田先生は時々英語まじりにワーズワースを論じ、萬葉を論じ、せつかちに言葉の聯想がぱつぱつと火華のやうに散つてゆくとともに、卓上には先生のつばきも相當飛んでいつた。 安並もそんなものには趣味のある樣子で、時々與田先生の話に相槌を打つてゐる。登美子は寫眞よりもいいひとだと思つた。寫眞を見ないで、最初に人間同志逢つてゐたら、案外、安並と芽出度く結婚をしたかも知れないと思つた。運命の神樣は面白いめぐりあひをおつくりになるものだと、登美子はふつとのこりをしい氣持で安並の皿の上にあるかまぼこを何氣なく箸でつまんだ。一瞬の出來ごとだつたので、登美子は箸でかまぼこをつまみあげたままうろうろした氣持だつたけれど、人の皿のものを取つて、自分の皿の上に置くのもどうかと太々しく思ひきつて、板燒きの厚く切つたかまぼこを登美子は自分の唇へもつて行つて一口に頬ばつた。速い出來事だつたので、與田先生の李白だの、張繼の楓橋夜泊の詩論をけいちやうしてゐた連中は、誰も登美子のこの無作法を見てゐるものはない。ただ、安並だけは、自分の皿からつまみあげられた一片のかまぼこのゆくへをよく見てゐただけに、心はおだやかではなく、知らぬ顏をしてかまぼこをもりもりと食べてゐる登美子の横顏を呆れて眺めてゐた。
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杉枝が安並にとついで二年の歳月が夢のやうに過ぎた。 その二年の間、登美子はどう云ふまはりあはせなのか、いい相手もみつからず、いたづらに青春の月日を虚しく過して、毎日、支那語を勉強することと、相變らず漱石を讀むこと、そのほかには、禪を少し研究しはじめた事位が生活の變化で、時々は女らしく臺所に出て、ごもく壽司をつくつてみたり、父の好きな團子汁をつくつたりして坦々とした歳月をすごしてゐたのである。もう、二十六にもなると、父も母も何も云はなくなり、勝手にしたらいいだらうと云つた調子で、中學生まで時々オールドミスと姉をからかつたりする時があつた。何と云はれても、登美子は平氣で、青煙はかすみ、人生すべて飛花の境地で悠々と自分の生活は自分で誰にも犯されないやうに固く殼を守つてゐる。 上海へ行つた杉枝が二年目に敗血症で亡くなり、思ひがけなく、登美子は母と二人で上海へ旅立つ事になつた。 家ぢゆうでも一番元氣だつた杉枝が亡くなつたと聞いて、流石に、母は、一番可愛かつた末娘だけに、自分が行つて骨をひらつて來たいと父をせがんで、お供役に登美子がついてゆく事になつた。さて、話には上海と云ふところを樣々に聞いてゐるけれども、いざ、現實にそこへ行つてみることになると、登美子は上海に就いて段々不安なものを感じて來てもゐる。 秋で支那の氣候としては一番いいシーズンだつたので、心配をしたほど寒くもなく、安並がとつておいてくれたブロードウヱマンシヨンの八階の部屋に登美子親子は落ちつくことが出來た。時々、母親は思ひ出したやうに、杉枝は亡くなつてからも孝行で、私は杉枝のおかげで支那へ來たやうなものだと冗談まじりに云ふ時があつた。登美子はすつかり上海が好きになり、何か職でもあつたら、二三年とどまつて働いてみたいとも思つたけれど、一ヶ月ほどして杉枝の遺骨をたづさへた安並と、去年の冬生れた赤ん坊とをかかえて、登美子は母と町へ戻つて來た。 杉枝の赤ん坊はすつかりおばあちやんに氣に入つてしまひ、牛乳の世話から何から、みんな登美子の母がするやうになつた。安並は杉枝のとむらひを濟ませるとまた、一人で上海へ戻つて行つたけれど、それからまた一年は無爲に過ぎてしまつた。或日、與田先生が、興奮したやうな表情で登美子をたづねて來て、安並が、登美子を貰ひたいと云ふ手紙をよこしたけれども、あなたはどう思ひますかと藪から棒に訊きに來た。 「とてもいい手紙なの、安並さんは、是非、登美子さんを貰ひたいンですつて、よかつたら行つてあげて下さい」 「ええ、でも、また、私が敗血症になつてたふれるンぢやア……」 心のなかでは、安並のところなら遠慮がないし、遠い思ひ出の人として心にのこつてゐる人だつたので行きたいとは思ひながら、登美子はまたこんな意地惡を云つてゐる。 與田先生はむきになつて怒つて復つて行つた。登美子は與田先生の復つたあと、自分の部屋にはいつて暫く考へこんでゐた。考へがうまくまとまらないので.押入れにはいつて蒲團の上へ這ひあがると、暫く横になつてみた。肩の骨、腰の骨が何となく固くなつてゐる。氣やすく若さと云ふものをみくびつてゐるやうだけれども、自分は、安並に値しない女になつてゐるのかも知れないと思へた。 安並の爲ならば、たとへどのやうになつてもお嫁にゆきたいと考へるのだけれど、年齡の臆病さなのか、登美子は迷つてばかりゐるのだ。 いつペん、よく逢つて話をしたいと思つた。手紙を出して、一度復つて貰つて、それから話をしようと思つた。登美子が手紙を出してから間もなくである、安並は飛行機で戻つて來た。三年以前とは安並も大分きびしく風貌がかはつてきてゐた。登美子の兩親は、登美子さへ行く氣持になつてくれればと云ふ意向であるらしく、登美子には何もめんだうな事は云はなかつた。 二三日して、安並の落ちついた樣子をみると、登美子が、安並を散歩に誘つた。明治節で何處の家にも國旗が出てゐてきれいな町である。小春日のあたたかい陽が町の後の山脈を銀色に照らしつけてゐた。 魚市場を拔けて、山あひの家々のひばの垣根ぎはの小徑をゆつくり寺の方へ登つてゆきながら、登美子は、安並にこんな事を云つた。 「私はもうおばあさんですよ……」 安並は吃驚したやうにふりかへつたが、急に歩みをとめて、 「ぢやア、僕が杖になつて上げませう」 と云つた。 「あら、もつたいない杖ですのね」 杖になつてもらふつもりではなく、私はもう年をとつてゐるから、貴方の奧さまになる資格はないのですと云ふつもりだつたのだ。安並は登美子のそばへ寄つて來て登美子の右腕をとつた。 腕をとられて、登美子は心のうちで恥づかしさうにうんうん唸つてゐる。胸に激しい動悸が打ちはじめ、何だか、歩くことが出來ないほど、荒々しい感情にとらはれてきた。いつたい、何處から、こんな激しい思ひが湧いてくるのか、自分にもこんな思ひが湧いてくる、火の倉があつたのかと登美子は不思議だつた。 「僕は何も云ふ資格はないかも知れないけれど……」 安並はさう云つて、一番最初の二人のきづなを云ひ出しかけたやうだつたが、何となくわざとらしく考へたのか、話を途中で切つてしまつた。登美子が眞赤になり、腕をぶるぶるふるはしてゐるのが、自分の胸につたはり、もう、それで登美子の心も判つたやうで、安並は安心したやうに右の手で、垣根の草をむしりながら、 「日本の民家の垣根つていいものだなア、こんなさつぱりしたものに少しも氣がつかないで石の塀ばかり、僕は長い間見て暮してゐたンだから……」 登美子はそつと立ちどまると、一度眼を固くつぶつて自分に問ひきかせるやうに、 「何時でも、私、行きます。早く式を濟まして下さるやうに、母さんに、あなたから云つて下さいね……」 と、ぽオつと大きく眼をみひらいて、小さい聲で云つた。寺の五重の塔のところで、晝間の電氣がきらきら光つてゐて子供達がさうざうしくさわいでゐた。
●表記について
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