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田舎がえり(いなかがえり)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-10-23 12:48:46 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


      *

 尾道の駅には昼すぎて着いた。新らしい果物屋、新らしい自動車屋、新らしい桟橋さんばし、何か昔と違った新鮮な町に変っていた。道も立派になり女車掌の乗っている銀色のバスが通っているけれども、いまだに昔と変らないのは、町じゅうが魚臭さかなくさいことだ。そのにおいをぐと母親を連れて来てやればよかったとおもった。だが、あんまり町が立派になっているので、歓びがすぐ失望にかわって行ってしまう。町では文房具屋にかたづいている友達を尋ねてみた。もう四人もの子もちだった。
「まア! 誰かとおもえば、あんたですかの、どうしなさったんなア、こんなにとつぜんで、ほんまに、びっくりしやんすがのう
 そう云って、その友達は、白粉おしろいの濃い綺麗な顔で、店の暗い梯子段はしごだんを降りて来た。――わたしは海添いの旅館に宿をとった。障子を開けると、てすりの下が海で、四国航路の船が時々汽笛を鳴らして通っている。向島のドックには色々な船が修理に這入っていた。鉄板をたたく音が、こだまして響いて来る。なごやかに景色に融けた気持ちであった。ひそかな音をたてて石崖に当る波の音もなつかしかった。てすりに凭れて海を見ていると、十年もの歳月が一瞬のように思えて仕方がない。この宿屋に泊るのに、金は大丈夫だったかしらと、何の錯覚からかそんな事まで考えたりした。
 昔、わたしはこの町で随分貧しい暮らしをしていた。さまざまなものが生々と浮んで来る。その当時の苦痛がかえってはっきり心に写って来る。休止状態にあったみじめな生活が、海の上に浮んで来る。わたしは昔のおもい出で、窒息しそうにたのしかった。その愉しさは狂人みたいだった。Y襯衣シャツの胸のボタンをみんなはずして、大きな息をしたいほどな狂人じみた悲しさだった。明日はいんしまへ行ってみようと思ったりした。
 風呂から上ると、わたしは廊下を通る女中を呼びとめて、上等の蒲団ふとんへ寝かせて下さいと頼んだ。なりあがりものの素質をまるだしにしてしまって、だが、その気持ちは子供のような歓びなのだ。わたしは海ばかり見ていた。ちぬご、かわはぎ、かながしら、色々な魚が宙に浮んで来る。
 夜になると宿屋の上をほととぎすが鳴いて通った。この町では晩春頃からほととぎすが鳴きに来た。学校の国文の教師や、女友達が遊びに来てくれた。子供を寝かしつけていて遅くなったと云う友達もあった。

      *

 翌日は早く起きて因の島行きの船へ乗った。風は寒かったがいい天気だった。船が町に添って進んでゆくので、わたしは甲板に出て町を見上げた。わたしの住んでいた二階が見える。円福寺と云う家具屋の看板が出ていた。わたしは亡くなった義父の棺桶かんおけを見ているような気持ちだった。千光寺山には紅白の鯨幕くじらまくがちらほら見えた。因の島の三ツ庄へ行くのを西行きとまちがえてたくまと云う土地へ上った。船着場の酒屋で、歩いてどの位でしょうと訊くと、一里はあるだろうと云う返事なので、荷物が大変だと、船をしたてて貰って三ツ庄へ行った。小さい和舟の胴中に、モオタアをつけた木の葉のような船で、走り出すと、ほおがぶるぶるゆすぶれる。はぶの造船所の前を船が通っている。社宅が海へ向って並んでいる。初めて嫁入りをして行った家が見える。もう、あの男には子供が沢山出来ているのだろうと、ひらひらした赤いものを眼にとめて、わたしはそんなことを考えていた。
 造船所のみさきの陰には、あさなぎ、ゆうなぎと書いた二そうの銀灰色の軍艦が修理に這入っていた。白い仕事服の水兵たちがせっせと船を洗っている。赤い筋のある帽子が遠くからほたるのように見えた。三ツ庄へ着いて親類の家へ行くと、子供も誰もいなくて、若夫婦が台所の土間で散髪をしていた。小さい犬がわたしのひざへ飛びあがって来た。髪を刈りかけて、若夫婦は吃驚びっくりして走って来た。
「とつぜんぞやがのう、どうしたんなア、わしゃ、誰かおもうて吃驚したがのう
 尾道でも同じようなことを言われたと云って、わたしは、犬と一緒に庭の中をあっちこっち歩いてみた。
「そりゃアまア、よう来てつかアさった。えっとまア御馳走しやすんで、ゆっくりしとってつかさい喃」
 若い主婦は何からしていいかと云う風に、立ったり坐ったりしている。いかなごまて貝がどう、そんなものを煮て貰ってたべた。田舎の味がして舌にみた。遠くの荒物屋へ風呂を貰いに行って、子供たちとかえりに海へ行ってみた。あんまりしんとした海なので、まるで畳のようだと云うと、子供がこんな黄昏たそがれ鯛なぎと云うのだと教えてくれた。鯛が入江へ這入って来る頃は、海が森となぎて来るのだと云っていた。小波さざなみの上を吹く風の音さえきこえそうに静かな海だった。夜になると、この辺の船は、洋灯をつけていたが、いまもそうなのだろうか。――島へ来て島の人たちの生活を見ていると、都会の生活とは何のかかわりもないのだ。漁師は漁をし、子供は学校へ行き、百姓は土地をたがやすのにわしいし、造船所の職工は職工で朝から夜まで工場だし、一軒しかない芝居小屋も幾月となく休みだと云うことだ。学校帰りの子供がつくしを沢山とって帰っている。何時いつの日か金の値うちがなくなり、田舎をたよりにしないと誰が云えよう。そう云う暮らしに早く帰って来たいとおもった。自分で食べるものをつくって暮らすのは愉しいことだろうとおもった。地酒をよばれ一泊して尾道へ帰った。

      *

学校の図書庫の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず

 尾道では女学校の庭へも私は行ってみた。女学校には図書庫はないけれど、講堂の裏に、小さい花畑があり猫塚があったりした。そこには小さい花が沢山咲いていた。新らしく出来た運動場には桜の並木にかこまれて、生徒たちがバスケット・ボールをして遊んでいた。
 帰りは神戸へも大阪へも寄らず京都へ降りて西竹へ行った。人形が出来て来ていた。幾月か空想していた人形を前にすると、あんまり立派なので(これは大変だな)と思った。
 持って来たお波さんは、一人ではこわれてしまうから、わたしも東京へお供しましょうと云ってくれた。人形はびんつけで髪をっていた。半襟はんえりに梅の模様があるのは、野崎村の久松ひさまつの家に梅の木のあるのをたよりにしたのだからと云うことだった。手は踊りのように自由に動く。まだ娘だから喜怒哀楽がないのだと云って、おそめの人形は、まなじりをすずやかにあけて、表情のない顔をしていた。あんまり人形が美しいので、成瀬無極なるせむきょく氏や山田一夫氏にも宿へ来て貰って観て貰った。雨が降っていた。肩さきがぬれるほどな細かな雨だった
 三人分の三等寝台を買いに行って貰ったが、一つも買えなかったので、わたしたちはいていそうな遅い汽車に乗った。坐ったなりで身動きも出来ないほどのこみかただったが、途中名古屋あたりで一番上の寝台がいているのをボーイが知らせて来たのでその寝台に人形を寝かせて帰った。人形の寝ている寝台の下は五ツともみんな男のひとばかり横になっていた。





底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年2月14日第1刷発行
   2003(平成15)年3月5日第2刷発行
入力:林 幸雄
校正:noriko saito
2004年8月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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