一
つまらないことから、えて大喧嘩になる。これはいつの世も同じことだ。もっとも、つまらないことでなければ喧嘩なんかしない。隣家の鶏が庭へはいって来て、蒔いたばかりの種をほじくったというので、隣家へ談じ込んでゆくと、となりでは、あんたの犬が鶏を追い廻して困ると逆ねじを食わせる。そこで、こっちが、ええ面倒くせえ、やっちめえというんで、隣家の鶏をつぶして水たきにでもしていると、となりでは、手早くこちらの犬の屍骸を埋める穴を掘っていようという騒ぎ。それから両家がことごとに啀みあって、とんだ三面種を拵えるなんてことは今でも珍しくない。だから、となりの人が、あなたんとこの鶏が庭へ来て、種をほじくって困るんだがいったいどうしてくれると持ち込んで来たら、なに、それはべつに不思議でもありません、こっちの種がそちらの庭へ行って鶏をほじくってこそ、はじめて協議すべき問題が生じようというもので――なんかとこう軽くあしらってやれば、事はそれですむ。が、こういう人間が多くなっては、世の中が退屈でしようがあるまい。 で、じつは喧嘩の因のつまるつまらないは、傍観者や後人の言うことで、当人同士は、喧嘩するくらいだからもちろんつまらなくてはできない。むっとしてかあっとなった時には、あらゆる利害得失理窟不理窟を忘れているのである。昔はこういう人間が多かったものだ。 尾張藩の侍寺中甚吾左衛門、今がちょうどそれでかんかんになって怒っている。 「いいやいや。錵乱れて刃みだれざるは上作なりと申す。およそ直刃に足なく、位よきは包永、新藤五、千手院、粟田口――。」と一気に言いかけて唾を飲んだが、これは昂奮が咽喉につかえて声が出ないためとみえる。 一同、黙って甚吾左衛門の顔を見ている。ちょっとその権幕に呑まれたかたちだ。なかにひとり口唇を青くして甚吾左衛門をにらんでいるのがある。同藩の士安斎十郎兵衛嘉兼これがこの口論の相手である。 「こ、こ、ここへお眼をとめられい。」 と甚吾左衛門は、膝元の、中心だけ白紙に包んだ刀身を指して、あらためて猛り出した。 「丁子乱れ、な、丁子みだれがあろう。丁子乱れは番鍛冶一文字に多しと聞くからには、この一刀は、誰が何と言おうと、これは粟田口だ。」 言い切って一座を見まわす。みんなぽかんとしているから、じかに当の安斎へ食ってかかった。 「安斎、粟田口だな。」 「ふうむ。粟田口かな。」 と腕を組んだ安斎十郎兵衛、感心したのかと思うと、そうではない。 「なるほど。言わるるとおり乱れは乱れじゃが、ちと逆心が見える。拙者の観るところ、どうも青江物じゃな、これは。」 「しかし――。」 甚吾左衛門が口をとんがらせる。 「しかし――。」 と十郎兵衛も負けてはいない。が、一歩譲る気になって、 「しかし――何じゃ?」 「しかし、」甚吾がつづける。「しかし、刃文と言い、さまで古からぬ切込みのあんばいと言い、何とあってもここは粟田口、しかも国光あたりと踏むが、まず恰好と存ずる。」 しきりに難かしい論判をしている。 寛永三年春。さくらも今日明日が見ごろというある日の午後だ。 鉄砲洲の蔵屋敷に、尾州家江戸詰めの藩士が、友だちだけ寄りあって、刀剣眼利の会を開いている。人斬庖丁を中にお国者が眼に角を立てるんだから、この席上に間違いの端を発したのも、あながちいわれがないでもない。 戦国の余風を受けて殺伐な世だ。そこへ持ってきて、武士の生活にようやく落着きと余裕ができかけているから、ちょっぴり風流気もまじって、多勢集まって刀を捻くって、たがいに鑑定眼を誇りあうことが流行る。これへ顔を出すことは、武士のたしなみの一つとさえなっていた。 今日の会主は本阿弥長職派にゆかりのある藩中の老人。さっきから皆がちらちらと視線を送っている胡麻塩茶筅頭のおやじがそれだ。会主がその道の巧者だから、持ち寄った刀には、中心を紙で巻いて銘を隠しただけで、番号札はつけてない。あらかじめ各刀の銘をしるした台帳を手許に控えて、会主は背中を丸くして片隅にすわっている。ちょっと猫の感じだ。 つぎつぎに持ち出される刀について、議論が沸騰する。こうした会は後年はものしずかなものになったが、この時代はどうしてどうして喧々囂々たるさわぎだった。入札に対して、会主は、当り、当り同然、よく候と三様に答える。当りは的中、当り同然は鍛冶の時代、兄弟、系図、国入りがやや本城に近いもの。よく候には海道筋よく候、通りよく候、国入りよく候と三つあって、海道筋は伊賀伊勢、通りは備前備中、国入りというのはその流派のうちに入りさえすればよいとなっていた。それがまた、一度で当るか二度三度で当るかによって、一の当り、三の当り同然などと言ってそれぞれ点数が違っていたが、本阿弥二流のうちでも長職のほうが成善派よりもすべてにおいて二点だけ甘かったものだ。 こういうわけで、天狗連が点取りを争うのだから、ともすれば荒っぽくなる。 しかも今日は若侍のよりあい。どういうものか、はじめから寺中甚吾左衛門に旗色が悪くて、いつもの甚吾にも似ず、言うことが片っぱしからどじで、取った点も列座の面々とは桁ちがいと来ているので、甚吾の心中、はなはだ穏かでないものがある。それにひきかえ、安斎十郎兵衛の指す星は、毎度見事に的中して、安斎が甚吾に反対するたびごとに、安斎は奇妙に一の当り二の当りという点のいいところを重ねて来ている。殺気などというほどのことでもないが、二人のあいだにいささか変なこだわりが流れ出していることは事実だ。
二
さて、いま出された刀だが、寺中甚吾左衛門はあくまでもこれを粟田口藤原国光の作と言い張っている。その理窟を聞いてみるとまんざら根拠のないものとも思えないが、およそこの席につらなっている者で甚吾が示した刀剣の智識ぐらいは誰でも持っているのに、そいつをしゃあしゃあと物識顔にやり出したので、十郎兵衛、ついぐっと片腹痛く感じた。 で、はじめは反対のために反対したのである。 というのは十郎兵衛も最初はその一刀を粟田口則国あたりと白眼んだのだったが、そう言おうとしていると、甚吾が先を越して国光と口を入れたので、すこし意地にかかって黙って首を捻った。そして、首をひねりながら熟視ると、今度はどうも粟田口物とは見えない、そうかといって何国の誰ともべつに当てがつかないのだ。途方にくれて思慮深そうに構えこんでいると、甚吾の方から開き直って、 「安斎、粟田口だな。」 と突っかかって来たのだ。うっかり、いかにもさよう、同眼でござる、と出ようとするのを押えて、ふうむと鼻の穴から息を吹いたとたん、思いがけない考えが十郎兵衛の頭にひらめいた。ことによると、これぁずっとさかのぼって備中青江鍛冶ではないかしら――とこう思ったので、彼は瞳を凝らして三頭から鋩子先、物打ち、かさね、関と上下に見直してみたが、見れば見るほど、青江、それも為次どころの比較的あたらしい作とし観じられない。いよいよもって青江だなと、十郎兵衛は内心見極めをつけてしまったが、それかといって、そう言いきるには、まだ充分の自信がなかった。ことによると、とはじめ自分の頭へ来た、そのことによるとがいざとなると一抹の不安を投げるようでもある。しかし、いきり立っている甚吾左衛門に対してはもちろん、きょうの今までの自分の見巧者の手前もここはなんとかぜひ一言なかるべからざるところだ。第一ぐずぐずしていて他の者に一の当りを取られてはかなわぬ。直感とでも言おうか、一ばん先に心に浮んだのを吐きだして大過ないどころか、たいがいそれが的中していることは今日の成績が立派に証明している。よし、一か八か、一つぶつかってやれ――こう十郎兵衛がしっかり肚をきめる前に、かれはいかにも確信ではちきれそうに、逆心のあるところを掴まえて、これは青江ものでござる、なんかと鹿爪らしく並べ立てていたのだ。ちょっとおかしかったが、彼としても一生懸命、骨の高い肩を無理にも張って見せなければならなかったくらいである。 すると、甚吾左衛門は予期以上に急きこんで来て、刀身にある切込みがそれほど古くはないから、これはどうしても粟田口だと言ってきかない。言われてみればそうかな、と思いながら、十郎兵衛は、それが癖のもったいらしく咳払いをして、ついでに、 「御免。」 と言った。 この御免をきっかけに、彼は帛を持ち添えて中心に手を掛けた。それから注意ぶかく光線をうしろに据わりなおした。そして、刀身をまっすぐ竪にし、刃文を照らしながら、焼刃の差し表を、元から一分刻みによく見て、こんどは裏を返して、次に平鎬棟などを、考え考え眺め出した。 お刀拝見の定法である。 これで十郎兵衛がまことの具眼者ならば、刃の模様は五の目か丁子か、逆心があるかないか直刃に足があるかないか、打ちよけや映りなどの有無、においの工合い、全体の恰好なんかで、当らずといえども遠くないところ、さしずめ目下にしてみれば、粟田口か青江か、それともほかの何人かか、がちゃんと言えるはずなんだが、儀式だけは心得ているからけっして二、三度裏表をかえしたり同じ個所を見直したりするような、嫌がられこそはしないものの、早く言えば法どおりに扱かっているだけのことで、この安斎十郎兵衛、じつはいたって眼がきかないときているから、いやはやなんとも心細いかぎりだ。 しかし、藩中に刀剣の鑑定家をもって自他ともに許している寺中甚吾左衛門をことごとに打ち負かしたのは、今日の安斎十郎兵衛である。おまけに、こう斜にかまえて、延べ鏡のような刀身を陽にすかして、ためつすがめつしているようすが、どうも十郎兵衛をこの上ない眼ききのように見せるからたまらない。一同声を呑んで十郎兵衛の言葉を待っている。 ところが十郎兵衛、うんともすんとも言わない。なに、じつは何にも言うことがないので、そのかわり、しきりに人のわるいことを考えている。 「これは困ったことになったな。まぐれ当りに好い点を取って来たのはいいが、ここでへまをやっちゃあすっかりお里が知れてしまう。なんとかうまい工夫はないものかしら。今まで寺中にさからって当ったんだから、今度も一つ逆に出てみようか。ふふふ、すると甚吾のやつめ、なんのことはない俺に正案を教しているようなものだて、うふっ。」 と、表むきはえらそうに刃すじを見守っていると、刀身の三分の二手元へ近い、その道で腰と称するところに、横にかすかに疵があるのが眼についた。さっき甚吾が切込みと指摘したのはこれである。 切込みとは戦場で敵の刀を受けた痕のことで、疵は疵だが賞美すべきもの。だが、ここに、この切込みに似ておおいに非なる純粋の疵に、刃切れというのがある。これはすべて横にある焼疵で、一つでも結構ありがたくないが、こいつがいっしょに幾つもあると、それを百足しなんと呼んで、ことある際に折れるかもしれぬとあってもっとも忌みきらったものだ。 いま十郎兵衛が、この疵を見ていると、だんだんそれが、切込みではなくて、刃切れも刃切れ、百足しなんのように思えてきた。 「はてな。」
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