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安重根(あんじゅうこん)
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作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/10/23 9:36:16 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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翌二十四日、深夜。蔡家溝駅前、チチハル・ホテル。 木賃宿の如きホテルの階上の一室。灰色の壁、低い天井、裸かの 安重根、禹徳淳、劉東夏、蔡家溝駅長オグネフ、同駅駐在中隊長オルダコフ大尉、同隊付セミン軍曹、チチハル・ホテル主人ヤアフネンコ、支那人ボウイ、兵卒、ロシア人の売春婦三人、相手の男達。 隅に二つ並んだ寝台に、安重根と禹徳淳が寝ている。禹徳淳は 女 (低く笑って)門番さん! ちょいと門番さんてば! 何だってそんなところに頑張ってんのさ。寒いわ。わたしんとこへ来ない? はいってもいい?
劉東夏は眼を覚ます。
女 (小声に)まあ、あんた子供じゃないの? 可愛がって上げるわ。いらっしゃいよ。あたしの部屋へさ。廊下の突き当りよ。
劉東夏 いけないよ、そんなところから顔を出しちゃあ。叱られるぞ。
禹徳淳が寝台に起き上る。女はあわててドアを閉めて去る。
禹徳淳 また淫売かい。
劉東夏 (笑って)ええ、あいつとてもうるさいんです。
禹徳淳 何時だい。
劉東夏 さあ――今三時打ったようですよ。
禹徳淳 かわろうか。
劉東夏 いいんです。もう少ししたら――。
禹徳淳 起したまえ。かわるから。
禹徳淳が再び寝台に横になると同時に、弾かれたように安重根が起き上る。
安重根 ひどい汗だ。(腋の下へ手をやって)こんなに寝汗をかいている。
禹徳淳 (ベッドから)よく眠っていたよ。君は朝までぐっすり眠らなくちゃあ。僕と劉君が代り番こに起きているから大丈夫だ。
安重根もふたたび枕に就き、劉東夏は戸口の椅子で居眠りを続け、しんとなる。長い間。
安重根 (独り言のように、突然)徳淳、君は黄海道のほうはあんまり知らないようだねえ。(間。禹徳淳は答えない)僕のおやじは安泰勲と言って、黄海道海州の生れさ。科挙に及第して進士なんだ。(長い間。次第に述懐的に)そうだ、僕の家に塾があってねえ、あのポグラニチナヤの趙康英や、ハルビンの金成白、それに僕の弟の安定根と安恭根など、みんな一緒に漢文を習ったものさ。童蒙先習、通鑑、それから四書か。はっはっは、勉強したよ。(間)その後僕は、信川で、天主教の坊さんで洪神文と言ったフランス人に就いてフランス語を教わったこともある。僕の家はみんな天主教だが、僕が洗礼を受けたのはたしか十七の春だった。うむ、洪神文というんだ。君は識らないかなあ。
禹徳淳は空寝入りをして鼾をかいている。長い間がつづく。
安重根 おやじの安泰勲が
軍曹 (大喝)起きろ! 検査だ!
安重根と禹徳淳は起き上る。劉東夏は椅子を離れて直立する。兵卒たちは早くも室内を歩き廻って、衣類や手廻品に触れてみている。
安重根 何だ。夜中に
軍曹 (大声に)何だと? 生意気言うな。何の検査でもよいっ! 日本の高官が
禹徳淳 (急いで寝台を下りて)済みません。わたくしどもは飴屋でございます。こいつは宵の口に
軍曹 飴屋か。道具はどこにある、道具は。
禹徳淳 はい。道具は、預けてございます。
軍曹 どこに預けてあるのか。
禹徳淳 この町の親方のところに預けてございます。
軍曹 たしかにそうだな。嘘をつくと承知せんぞ。儲かるか。
禹徳淳 へ?
軍曹 飴屋は儲かるかと訊いているんだ。
軍曹は安重根を白眼みつけて、部下を纏めてさっさと出て行く。支那人のボウイが、その背ろ姿に顔をしかめながら
禹徳淳 笑わせやがらあ。あんでえ! 威張りくさりやがって。まるで日本人みてえな野郎だ。(劉東夏へ)驚いたろう。
安重根 (寝台に腰掛けて)僕は徳淳が羨しいよ。明日にも、世界中がびっくりするようなことをやろうというのに、とっさに上手に飴屋に成り済ましたりなんか――神経が太いぞ。
禹徳淳 (勢いよく寝台に滑り込んで、大声に)そうだ! いよいよおれたちがやっつけたとなると、騒ぎになるぜ。××戦争の戦端を切るんだ。愉快だなあ!
安重根 ××戦争? 不思議なことを言うねえ。誰が戦争をするんだ。
禹徳淳 何を言ってるんだ。おれたちが敢然と起ったのを見て、鶏林八道から露領、満洲にかけての同志が安閑としていると思うか。大戦争だよ。これは、大戦争になる。
安重根 (哄笑)笑わせないでくれ。だから僕は、君が羨しいと言うんだ。
禹徳淳 (むっくり起き上って)何? じゃあ、安君、君は、同志が僕らを見殺しにするとでも考えているのか。
安重根 (話題を外らすように、劉東夏へ)十二時ごろに汽車の音がしたねえ。夢心地に聞いていた。
禹徳淳 (激しく)安君! 君は同志を信じないのか。
劉東夏 (戸口の椅子から)あれは貨物です。
安重根 汽車はあれきり通らないようだねえ。(禹徳淳へ笑って)三夾河まで行った方がよかったかな。
禹徳淳 しかし、蔡家溝は小さな駅だが、列車の行き違うところで、停車時間が長いというから降りたんじゃないか。
安重根 (劉東夏へ)列車往復の回数はわかっていますね。
禹徳淳 (吐き出すように)もちろんここは大事を決行するに便利なところじゃないよ。見慣れぬ人間がうろついていると、眼についてしょうがない。三人なんか張り込んでいる必要はないんだ。
先刻の支那人ボウイを従えて駅長オグネフがはいって来る。
駅長 (にこにこして)ちょっと調べさせて頂きます。
禹徳淳 (俯向けに寝台に寝転がる)またか――うんざりするなあ。
駅長 (劉東夏を見て)あなたはなぜそんなところに掛けているんですか。
劉東夏 ベッドが二つしかないもんですから――。
駅長 なるほど。(禹徳淳へ微笑)このホテルは駅に接続しております関係上、私の管轄になっておりますんで、御迷惑でしょうが、お答え願います。
禹徳淳 はいはい、(元気よく起き上って肘を張る)答えますとも! さあ、何でも訊いて下さい。
駅長 なに、ほんの形式ですよ。
安重根 先刻も軍隊のほうから
駅長 (とぼけて)さあ、何ですか、私どもは上司の命令で動いているだけですから――(禹徳淳へ)三人御一緒ですか。
禹徳淳 はい。そうです。
駅長 どちらからおいででした。
禹徳淳 旅の飴屋なんです。ハルビンから来ました。
駅長 これからどちらへ?
禹徳淳 明朝三夾河、寛城子の方へ
駅長 ありがとう。お邪魔しました。
駅長去る。支那人ボウイは顔をしかめて
禹徳淳 (安重根を凝視した後)君はどう考えているか知らんが、僕らは決して個人の挌で(低声に)伊藤を
安重根 (続けさまに巻煙草を吹かして歩き廻りながら、苦笑)解った、わかった! 僕も今さらこんなことを言いたくはないが、本国では、外部も工部も法部も、いや、通信機関まですべて日本の経営なんだぜ。いまわかったことじゃないが、考えてみると、これじゃとても大仕掛けに事を挙げるなんて思いも寄らない。例えば、ここで僕らが何かやったって、果して僕らの目的、僕らの意思が、大衆に徹底するかどうか――。
禹徳淳 (顔色を変える)おいおい、今になって君は何を言い出すんだ――。
安重根 (冷笑して)また徳淳のお株が始まるぞ。そのつぎは、(大言壮語の口調で)「われにしてもし武力あらば、軍艦に大砲を積んで朝鮮海峡へ乗り出し、伊藤公の乗って来る船を撃ち沈める」――という、いつもの、そら、
禹徳淳がむっとして何か言わんとする時、
女一 (禹徳淳へ低声に)ちょっと
侵入者一同は部屋の三人に頓着なくささやき続ける。
男一 いや、あわてた、あわてた。眼も当てられやしない。
女二 サアシャさんはやられたらしいわね。
男二 ざまったらないよ。今夜にかぎってばかに脅かしやがる。
女三 えらい人が汽車で通るからって、家の中で何をしようとかまわないじゃないのねえ。
男三 憲兵のやつ何か感違いしてるらしいんだ。とんだ災難だよ。
女一 (耳を澄まして)しっ!
口に指を当てる。ドアが細く開いてホテルの主人ヤアフネンコの禿頭が現れる。
女一 あら、ヤアフネンコのお父つぁん、もう大丈夫?
ヤアフネンコ やれやれ、一組挙げて帰ったらしいよ。そっと部屋へ帰んな。静かに――いいか、静かにな。
女たちは銘めいの男を伴って音を忍ばせて出て行く。
ヤアフネンコ (ドアから顔だけ入れて)お騒がせしましたな。はい、お休みなさい。
禹徳淳 (安重根が着がえしたのに気づいて愕く)なんだい、今からそんな物を着込んで。(駈け寄る)どこへ行くんだ?
安重根 (着がえを済まして)おれは嫌だよ。(戸口へ進む)ハルビンへ帰るんだ。
禹徳淳 (血相を変えて追い停めようとする)安重根! 君――なにを馬鹿な!
安重根 何をするんだ! (振り払う)
禹徳淳 (激昂して)貴様、貴様――変節したな。裏切るつもりか。
安重根 (ドアの前で振り返って、静かに)変節も裏切りもしない。おれはただ、もう伊藤を殺してしまったような気がするだけだ。
禹徳淳 (呆然と佇立していたが、気がついたように
安重根 (冷然と)伊藤を殺してしまったような気がして、淋しくて仕様がないんだ。僕はハルビンへ帰るよ。
禹徳淳 ようし! (怒りに顫えて掴みかかろうとし、どなる)卑怯者! 卑怯だ。こいつ――!
安重根 (禹徳淳の手を抑えて一語ずつ力強く)徳淳! いいか、伊藤は、おれの伊藤だぞ。おれだけの伊藤だぞ。
禹徳淳 (じっと睨んで)詭弁を弄すな、詭弁を。
安重根 殺そうと生かそうとおれの伊藤なんだ。おれがあいつを殺すと言い出した以上、今度は、助けるのもおれの権利にある。おれはあいつを生かしておこう! 殺すと同じ意味で助けるのだ!
言い終って禹徳淳を突き放し、身を翻して室外に出るや否、ドアを閉める。
禹徳淳 (劉東夏へ)外套を取ってくれ! 外套のポケットにピストルがあるんだ。畜生! 射ち殺してやる。警察へ駈け込むかも知れないから、早く――。
劉東夏があわてて寝台に掛けてあった外套を持って来て渡す時、
大尉 (ヤアフネンコへ)飴屋というのはこいつらか。三人と聞いたが二人しかおらんじゃないか。(はいって来る)貴様ら朝鮮人だろう。出ることならん! 特別列車が通過するまで明日一日この部屋に禁足だ! 待て! 今、一応身体検査をする。
大尉の合図を受けて兵卒たちがのっそりとはいって来る。劉東夏はぼんやり立ち竦み、禹徳淳は驚愕して背ろへよろめく。 13[#「13」は縦中横] 十月二十六日、朝。東清鉄道長春ハルビン間の特別列車、食堂車内。 金色燦然たる 伊藤公出迎えのため便乗せる東清鉄道民政部長アファナアシェフ少将、同営業部長ギンツェ、護境軍団代表ヒョウドロフ大佐、他二三の露国文武官。ハルビン総領事川上俊彦、日本人居留民会会長河井松之助、満鉄代理店日満商会主、他二三。日露人すべて礼装。 一同が下手の車扉に向って立ち、無言で慎ましやかに待っているところへ、満鉄総裁中村是公、同理事田中清次郎、同社員庄司鐘五郎を伴い、 アファナアシェフ少将 (きらびやかな軍服。伊藤の前に進んで)公爵閣下には御疲労であらせられましょうが、到着前に一場のお慰みにもなりましょうし、またお見識りの栄を得たく、御出席を願いましたるところ、幸いに御快諾下さいまして、光栄に存じます。東清鉄道民政部のアファナアシェフと申します。(握手する)
伊藤 自分がこのたびハルビンを訪問致すのは、なんら政治外交上の意味があるのではなく、ただ新しい土地を観、天下の名士ココフツォフ氏その他に偶然会見するのを楽しみにして行くに過ぎませぬ。
庄司が背後から椅子を奨めるが伊藤は掛けない。
伊藤 一度見ておきたいと思った満洲に、政務の余暇を利用し、皇帝陛下の御許可を得て視察の途に上ると、たまたま自分のかねて
ギンツェ営業部長 (
伊藤 (ちょっと鋭くギンツェを見て)これは珍しいお説である。(すこし不機嫌そうに)いや、障害、困難のごとき、余輩は老眼のせいか、さらにこれを認めませぬ。日露両国の関係は、この列車の疾走するがごとく、益ます前進しつつあるように見受けられる。(すぐ微笑して)余は露人を愛
伊藤はこの「ヤ・リュブリュウ・ルウスキフ」を棒読みに、不器用に繰り返しながら、順々に握手する。一同微笑する。 14[#「14」は縦中横] パントマイム 同日午前九時、ハルビン駅構内、一二等待合室。 正面中央に改札口ありて、ただちにプラットフォウムに続く。改札口を挟んで、左右は舞台横一面に、腰の低い硝子窓。下手奥、窓の下にストウブを囲んで卓子と椅子二三脚。混雑に備えて取り片づけて、広く空地を取ってある。壁には大時計、列車発着表、露語の広告等掛けあり。下手は 正面の窓の外はプラットフォウム、窓硝子の上の方に向うの線路が見える。寒い朝で雪が積もり、細かい雪が小止みもなく、降りしきっている。 窓のすぐ外、改札口の右側に露国儀仗兵、左側に清国儀仗兵が、こっちに背中を向けて一列に並んでいるのが、硝子越しに見える。 舞台一ぱいの出迎人だが、この場は物音のみで、人はすべて無言である。礼装の群集がぎっしり詰まって動き廻っている。そこここに一団を作って談笑している。知った顔を見つけて遠くから呼ぶ。人を分けて挨拶に行く。肩を叩いて笑う。久濶を叙している。それらの談笑挨拶等、その 美々しい礼服の日清露の顕官が続々到着する。その中に露国蔵相ココフツォフの一行、東清鉄道副総裁ウェンツェリ、同鉄道長官ホルワット少将、交渉局長ダニエル、清国吉林外交部の大官、ハルビン市長ベルグなどがいる。ボンネットの夫人連も混っている。日本人側は居留民会役員、満鉄代理店日満商会員、各団体代表者、一般出迎人。及び各国領事団。 日本人が大部分である。将校マント、フロック、モウニング、シルクハット、明治四十二年の紳士。和服も多い。紋付袴に二重廻し、山高帽。婦人達もすべて明治の礼装だ。群集は縦横に揺れ動いて、口だけ動く無言の歓談が続く、特務将校ストラゾフと領事館付岡本警部が、駅員を指揮して整理に右往左往している。出迎人は、後からあとからと詰めかけて来る。写真班が名士の集団に八方からレンズを向ける。 やがて 誰もいない待合室だ。安重根は無心に、刻一刻近づいて来る汽車の音に、聞き入っている。長い間。轟音を立てて汽車がプラットフォウムに突入して来る。耳を聾する響き。窓硝子を撫でて沸く白い蒸気。プラットフォウムとすれずれに眼まぐるしく流れ去る巨大な車輪とピストンの動きが、窓の上方、人垣の脚を縫って一線に見える。幾輛か通り過ぎて速力は漸次に緩まり、音が次第に低くなって、停車する。正面、改札口向うに、飴色に塗った貴賓車が雪と湯気に濡れて静止している。号令の声が聞こえて、露支両国の儀仗兵が一斉に捧げ銃する。 同じに喨々たる奏楽の音が起って、しいんとなる。安重根は魅されたように起ち上る。右手をポケットに、微笑している。そのまま前へよろめく。だんだん急ぎ足に、改札口からプラットフォウムへ吸い込まれるようにはいって行く。 底本:「一人三人全集1時代捕物釘抜藤吉捕物覚書」河出書房新社 1970(昭和45)年1月15日初版発行 初出:「中央公論」中央公論社 1931(昭和6)年4月 ※改行行頭の人名、及び「時。」「所。」「人。」は、底本では、ゴシックで組まれています。 ※ト書きは、底本では、小さな文字で組まれています。 ※「ボグラニチナヤ」と「ポグラニチナヤ」の混在は、底本通りにしました。 入力:奥村正明 校正:松永正敏 2003年8月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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