蟻地獄
ありぢごくは蟻をとらへんとて おとし穴の底にひそみかくれぬ ありぢごくの貪婪の瞳に かげろふはちらりちらりと燃えてあさましや。 ほろほろと砂のくづれ落つるひびきに ありぢごくはおどろきて隱れ家をはしりいづれば なにかしらねどうす紅く長きものが走りて居たりき。 ありぢごくの黒い手脚に かんかんと日の照りつける夏の日のまつぴるま あるかなきかの蟲けらの落す涙は 草の葉のうへに光りて消えゆけり。 あとかたもなく消えゆけり。
利根川のほとり
きのふまた身を投げんと思ひて 利根川のほとりをさまよひしが 水の流れはやくして わがなげきせきとむるすべもなければ おめおめと生きながらへて 今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ。 きのふけふ ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ たれかは殺すとするものぞ 抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。
濱邊
若ければその瞳も悲しげに ひとりはなれて砂丘を降りてゆく 傾斜をすべるわが足の指に くづれし砂はしんしんと落ちきたる。 なにゆゑの若さぞや この身の影に咲きいづる時無草もうちふるへ 若き日の嘆きは貝殼もてすくふよしもなし。 ひるすぎて空はさあをにすみわたり 海はなみだにしめりたり しめりたる浪のうちかへす かの遠き渚に光るはなにの魚ならむ。 若ければひとり濱邊にうち出でて 音もたてず洋紙を切りてもてあそぶ このやるせなき日のたはむれに かもめどり涯なき地平をすぎ行けり。
緑蔭
朝の冷し肉は皿につめたく せりいはさかづきのふちにちちと鳴けり 夏ふかきえにしだの葉影にかくれ あづまやの籐椅子によりて二人なにをかたらむ。 さんさんとふきあげの水はこぼれちり さふらんは追風にしてにほひなじみぬ。 よきひとの側へにありてなにをかたらむ すずろにもわれは思ふゑねちやのかあにばるを かくもやさしき君がひとみに 海こえて燕雀のかげもうつらでやは。 もとより我等のかたらひは いとうすきびいどろの玉をなづるがごとし この白き鋪石をぬらしつつ みどり葉のそよげる影をみつめゐれば 君やわれや さびしくもふたりの涙はながれ出でにけり。
再會
皿にはをどる肉さかな 春夏すぎて きみが手に銀のふほをくはおもからむ。 ああ秋ふかみ なめいしにこほろぎ鳴き ええてるは玻璃をやぶれど 再會のくちづけかたく凍りて ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。 みよあめつちにみづがねながれ しめやかに皿はすべりて み手にやさしく腕輪はづされしが 眞珠ちりこぼれ ともしび風にぬれて このにほふ鋪石はしろがねのうれひにめざめむ。
地上
地上にありて 愛するものの伸長する日なり。 かの深空にあるも しづかに解けてなごみ 燐光は樹上にかすかなり。 いま遙かなる傾斜にもたれ 愛物どもの上にしも わが輝やく手を伸べなんとす うち見れば低き地上につらなり はてしなく耕地ぞひるがへる。 そこはかと愛するものは伸長し ばんぶつは一所にあつまりて わが指さすところを凝視せり。 あはれかかる日のありさまをも 太陽は高き眞空にありておだやかに觀望す。
花鳥
花鳥の日はきたり 日はめぐりゆき 都に木の芽ついばめり。 わが心のみ光りいで しづかに水脈をかきわけて いまぞ岸邊に魚を釣る。 川浪にふかく手をひたし そのうるほひをもてしたしめば かくもやさしくいだかれて 少女子どもはあるものか。 ああうらうらともえいでて 都にわれのかしまだつ 遠見にうかぶ花鳥のけしきさへ。
初夏の印象
昆蟲の血のながれしみ ものみな精液をつくすにより この地上はあかるくして 女の白き指よりして 金貨はわが手にすべり落つ。 時しも五月のはじめつかた。 幼樹は街路に泳ぎいで ぴよぴよと芽生は萌えづるぞ。 みよ風景はいみじくながれきたり 青空にくつきりと浮びあがりて ひとびとのかげをしんにあきらかに映像す。
洋銀の皿
しげる草むらをたづねつつ なにをほしさに呼ばへるわれぞ ゆくゆく葉うらにささくれて 指も眞紅にぬれぬれぬ。 なほもひねもすはしりゆく 草むらふかく忘れつる 洋銀の皿をたづね行く。 わが哀しみにくるめける ももいろうすき日のしたに 白く光りて涙ぐむ 洋銀の皿をたづねゆく 草むら深く忘れつる 洋銀の皿はいづこにありや。
月光と海月
月光の中を泳ぎいで むらがるくらげを捉へんとす 手はからだをはなれてのびゆき しきりに遠きにさしのべらる もぐさにまつはり 月光の水にひたりて わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに たましひは凍えんとし ふかみにしづみ 溺るるごとくなりて祈りあぐ。
かしこにここにむらがり さ青にふるへつつ くらげは月光のなかを泳ぎいづ。 [#改丁]
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